復活する新吉原 洲崎もカリ小屋で營業〔大正12年9月20日:やまと新聞〕

【新聞集録大正史 第11巻】1978
出版者   大正出版
出版年月日 1978.6
  関東大震災からの復興
大正12(1923)年9月1日、
関東地方にマグニチュード7.9の大地震が発生しました。

大正十二年九月(一九二三年)
 復活する新吉原
  洲崎もカリ小屋で營業
〔九・二〇 やまと〕
不夜城を誇つた新吉原三百軒の靑樓も、
今度の災害には一たまりもなく
目茶苦茶に荒されて、
見渡す限りの燒野原で何處が何處だか
さつぱり判らない惨澹たる光景だ。

廓内で不幸にも壓死燒死したものは
小川樓夫妻・大阪樓夫妻を始め、
組合取締市川氏の細君及び
田中副取締の細君と愛孃など
樓主關係のもののみで三十六軒百餘名、
娼妓で死んだものや行方不明者は
總娼妓數の半數約一千五百名に達した。

中には地震と同時に家が崩れ、
下敷となつて逃げる間もなく火を發して、
娼妓諸共一家族燒死してしまつたものがある程で、
一時の混亂さは想像外であつたが、
災害後二旬に餘る今日では
燒けた組合事務所跡に假事務所を置き
組合員の總動員を行ひ、
毎日午前九時から午後五時まで詰かけ
今後の復興方針に付き畫策大いに努めて居る。

何しろ今後の東京はその復興のため
一時勞働者全盛の時代を現出することは
瞭かなことであるから、
風紀上から云つても遊廓復興の必要なことは
言を俟たないと許りに
先づ燒け跡に急造バラツク式の建築物を建て
營業開始の手筈で出願中だ。

專ら市川取締等が奔走中であるが、
警視廰保安部でも以前の吉原大火の前例に鑑み
大體許可する方針であることが
十八日午後判明したので、
それと許りに各樓主は燒跡の灰掻きや
障碍物の取除けに着手した。

そして建築材料の到着次第
假小屋の建築に取りかゝる段取りであるが、
正式の許可は衛生設備と
病院の建築が出來次第許される筈で、
茲にも復興の氣運は素晴らしい勢で働いて居るが、
洲崎も同樣
假小屋で營業を開始するであらう。
p205【新聞集録大正史 第11巻】1978
〔画像〕p205【新聞集録大正史 第11巻】1978
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《山田民蔵》坂本商事(株)代表取締役:昭和28年1月【人事興信録 第25版 下】昭和44年(1969)

【人事興信録 第25版 下】昭和44年(1969)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1969
《山田民蔵》
 坂本商事(株)代表取締役
 西宮鋼板(株)監査役
 福岡県出身
 妻  久子 明治27年2月17日生
 二男  宏 昭和5年9月23日生
 長女 静枝(大正3年1月1日生)
      (京都府立女専家政科卒)は
       武間敏夫に
 二女 泰子(大正14年9月22日生)
      (同志社女専家政科卒)は
       原三雄に嫁す
明治22年10月29日
安田太八郎の二男に生れ
卯三郎の養子となる
大正11年
内務属地方局長秘書に任ぜられ
大正12年
明大専門部法科卒業
大分県南海部・北海部各部長
大分県地方・庶務各課長
中津市長
京都市庶務課長
電気局運輸部長
電灯部長兼調査部長を歴任退官し
昭和17年
関西配電京都支店次長兼青年学校長となり
飯野海運嘱託
京和興業社長を歴任
昭和26年
西宮鋼板取締役
昭和27年
草野産業顧問
昭和28年1月
坂本商事社長に夫々就任す
趣味 読書・将棋・スポーツ
宗教 仏教
住所 603 京都市北区紫野大徳寺町二三ノ二
電話 (441)六〇〇六
 p1219【人事興信録 第25版 下】昭和44年(1969)
〔画像〕p1219【人事興信録 第25版 下】昭和44年(1969)
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《草野稻穗》國華興業(株) 台東區淺草公園六區【日本職員録】昭和24・26・27年版

【日本職員録 昭和24年版】
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 昭和24年
國華興業(株)
台東區淺草公園六區7
舊三友館
(電)淺草6545
設立 昭和21年10月
資本(濟)4,000,000
株數    200,000
事業 映畫及演劇興行 劇場經營
代表 吉村信逸
取締 草野稻穗
〃  藤井英雄
〃  横井太郎
監査 靑木寅治
 p156【日本職員録 昭和24年版】
〔画像〕p156【日本職員録 昭和24年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8797888/1/156

【日本職員録 昭和26年版】
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 昭和25年
國華興業(株)
台東區淺草田島町72
(電)淺草6545・5925
設立 昭和22年5月
資本(濟)400万
株數    20万
事業 輕演劇・映畫館經營
取引銀行 三和(淺草)
代表 吉村 信逸
取締 草野 稻穗
〃  菅   勇
〃  松倉 卯七
監査 仲澤淸太郎
〃  長尾喜三郎
 p219【日本職員録 昭和26年版】
〔画像〕p219【日本職員録 昭和26年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/8797889/1/219

【日本職員録 昭和27年版】
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 昭和27年
國華興業(株)
台東區淺草田島町72
(電)淺草5925
事業 劇場賃貸
授權株數  20万株
發行濟株數 20万株
資本金  400万圓
創 業  昭和20年12月
設 立  昭和22年 5月
決算期  4月・10月
取引銀行 三和(淺草)
株主總數 140
主要株主 松倉卯七 100,000
     吉村信逸  30,000
     茂木竹治  15,000
     草野稻穗  15,000
社 長  吉村信逸
取締役  草野稻穗
〃    松倉卯七
〃    拵井智憲
監査役  中島毅造
 p254【日本職員録 昭和27年版】
〔画像〕p254【日本職員録 昭和27年版】
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《草野稻穗》東洋映演株式會社 臺東區淺草公園六區【映画芸能年鑑 1947年版】

【映画芸能年鑑 1947年版】
著者    時事通信社 編
出版者   時事通信社
出版年月日 1947
 p4【映画芸能年鑑 1947年版】
〔画像〕p4【映画芸能年鑑 1947年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2455489/1/4

東洋映演株式會社
臺東區淺草公園六區一一
(電話)淺草五〇六四
(業務)映畫、演劇興行
(社長)草野稻穗
(常務)松倉宇七
(資本金)一千五百萬圓
(創立)昭和廿一年十一月
(組織)株式會社
 p155【映画芸能年鑑 1947年版】
〔画像〕p155【映画芸能年鑑 1947年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2455489/1/155
昭和二十二年九月二十二日印刷
昭和二十二年九月二十五日發行 定價 金参百圓
編集人 彦坂 竹男
    株式會社 時事通信社
發行人 松尾 精吉
印刷人 北川武之輔
印刷所 株式會社 細川活版所
    東京都中央區銀座西六丁目二
發行所 株式會社 時事通信社
    東京都千代田區日比谷公園二番
    電話銀座(57)6161-8番
    振替口座東京85000番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京都千代田區神田淡路町二丁目九
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《草野稻穗》浅草六区ストリップ常設館(ロック座)【浅草六区はいつもモダンだった】1984

【浅草六区はいつもモダンだった : 
 オペラ・レビュー・ストリップ】1984
著者    雑喉潤 著
出版者   朝日新聞社
出版年月日 1984.12

  ロック座の地鎮祭[昭和21年(1946)10月]
 p99【浅草六区はいつもモダンだった】1984
〔画像〕p99【浅草六区はいつもモダンだった】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438220/1/99

実はそのころ、
浅草にストリップ常設館(ロック座)が建築中であった。
旧万世座跡である。※万成座
昭和二十一年(一九四六)十月に地鎮祭をやり、
客席四百五十、
木造二階建てのロック座は約十カ月で完成、
終戦二周年の昭和二十二年八月十五日に開場した。
建設、開業時の初代社長草野稲穂さんは、
市川市にいまも健在である。

草野さんは戦争中、
五つの会社と二つの鉱山を経営していたが、
一番大きかったのが中島飛行機の下請け、
日本鋳造工業だった。
中島飛行機は栃木県に疎開していたから、
草野さんも宇都宮に支店をかまえ、
ここで終戦を迎えた。
会社も鉱山も一応整理して、
戦後の情勢を見ているうちに、
復員しながら職のない陸海軍の将校たちが、
つてを頼って草野さんの周囲に集まってきた。
この人たちをたべさせなければならないと、
宇都宮でちょっとした空き地を買って
メトロポリスという映画館を建てた。
建築費が十五万円だったという。
これが当たって大いに日銭をかせいだのが、
草野さんの興行の世界への第一歩だった。

間もなく草野さんに浅草六区でも
映画館を経営しないかという話が飛び込んできた。
宇都宮メトロポリスの成功がものをいったのだろう。
六区では三友館、万成座、有楽館がまだ復興していない。

そのうちどれかを再建してほしいという話だった。
「どうせやるならストリップをやりなさい」
と熱心に時勢の流れを説いてすすめたのが、
東宝社長秦豊吉だったという。

そういえば、
新宿帝都座での”額縁ショー“の仕掛人も秦だった。
草野さんはやる気になった。

松倉宇七という支配人は「ピカリ座」
という名にする予定だったが、
草野さんは、
「六区にあるのだからロック座でいいじゃないですか」
と断を下した。
だからこの名前は、
後に流行したロック・ギターとは関係がない。
あくまで六区の片かな書きなのである。

開場祝いには、
浅草寺貫主大森亮順と
松竹社長大谷竹次郎が祝辞を読んだ。
入場料は七十円だった。
<写真>ストリッパー応募者の面接風景(ロック座で)
 p100【浅草六区はいつもモダンだった】1984
〔画像〕p100【浅草六区はいつもモダンだった】1984
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雑喉 潤(ざこう じゅん)
1929年 神戸生まれ。
1953年 京都大学文学部中国語中国文学教室卒業。
1953年 朝日新聞社入社。
現 在 東京本社編集委員。

1984年12月25日 第1刷 定価1100円
著 者 雑喉 潤
発行者 初山有恒
印刷所 図書印刷
発行所 朝日新聞社
編集・図書編集室
販売・出版販売部
〠104 東京都中央区築地5-3-2
☏03-545-0131(代表)
振替 東京0-1730
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[草野合名會社]草野梅吉 惣市 稻穗 田代開作 草野八十次等一族【官報 1934年11月13日】昭和9年

【官報 1934年11月13日】昭和9年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和9年
◎草野合名會社 變更及資本增加
一 昭和九年九月五日
  總社員ノ同意ニ依リ
  社員 草野梅吉ハ其ノ持分ノ中
  金二千八百五十圓ヲ
  草野惣市ニ
  金二百圓ヲ草野義巳ニ譲渡シテ
  其ノ出資額ヲ
  金二千九百五十圓ニ

  社員 草野由利松ハ其ノ持分ノ中
  金二千八百五十圓ヲ
  田代開作ニ
  金三百圓ヲ草野稻穗ニ譲渡シ

  社員 草野八十次ハ其ノ持分ノ中
  金二千八百五十圓ヲ
  草野作太郎ニ
  金三百圓ヲ草野秋一ニ譲渡シ

  社員 草野藤九郎ハ其ノ持分ノ中
  金二千八百五十圓ヲ
  草野 壽ニ
  金三百圓ヲ草野幸孝ニ譲渡シ

  社員 草野芳三郎ハ其ノ持分ノ中
  金二千八百五十圓ヲ
  草野勇作ニ
  金三百圓ヲ草野義巳ニ譲渡シテ
  各其ノ出資額ヲ
  金二千八百五十圓ニ變更シ

  草野義巳ハ譲受ケタル
  金五百圓ノ外
  金二千三百五十圓ヲ

  草野稻穗 草野秋一 草野幸孝ハ
  各讓受ケタル金三百圓ノ外
  金二千五百五十圓ヲ
  出資シテ入社ス

一 入社シタル社員ノ氏名 住所
  出資ノ種類 及ヒ價額
  金 二千八百五十圓 草野惣市
    福岡縣鞍手郡植木町七百四十八番地
  金 二千八百五十圓 田代開作
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野作太郎
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野 壽
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野勇作
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野義巳
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野稻穗
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野秋一
    同所同番地
  金 二千八百五十圓 草野幸孝
    同所同番地
昭和九年九月十九日登記
  直方區裁判所植木出張所
 p12【官報 1934年11月13日】昭和9年
〔画像〕p12【官報 1934年11月13日】昭和9年
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《草野稻穗》草野工業(株)草野商事(株)國華興業(株)浅草ロック座【人事興信録 第16版 上】昭和26年(1951)

【人事興信録 第16版 上】昭和26年(1951)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1951
《草野稻穗》くさの いなほ
 草野工業(株)社長
 草野商事(株)社長
 國華興業(株)取締役
 東日製作所(株)取締役
 福岡縣植木町出身
明治四十年三月
草野梅吉の二男に生れた
大正十四年
鞍手中學を卒業し
直ちに草野商店に入り
同店副社長
京都三榮商會社長を經て
昭和十五年
日本鑄造工業を設立
社長に就任
昭和二十一年四月
草野産業と改稱
更に
昭和二十五年六月
草野工業と改稱
昭和二十三年八月
東洋科學工業を設立
社長となり
昭和二十五年六月
草野商事と改稱
今日に至つた
其間
浦賀ドツク協力部會親補會長
帝國コークス評議員
九州中國コークス製造協會理事長
日本鐵鑛上峰ケ澤鐵山社長を兼ね
鹿沼滿俺鑛山の開發に當り
昭和二十年
宇都宮メトロポリス映畫館
昭和二十二年
淺草ロツク座を建設
國華興業を設立
社長となつたが
昭和二十三年
辭任した
趣 事業経營
宗 日蓮宗
家 母  キン(慶應元年生)
       (福岡、田代耕介妹)
  妻  澄江(明治四一年四月生)
       (福岡、瀧口甚七妹)
       (小倉女學校卒)
  長男 一穗(昭和七年二月生)
       (日比谷高校卒)
  二男 二穗(昭和八年一一月生)
       (日比谷高校在)
  長女 弘子(昭和一六年九月生)
住 江戸川區東小松川四ノ一七一三
電 江戸川四二〇
 p290【人事興信録 第16版 上】昭和26年(1951)
〔画像〕p290【人事興信録 第16版 上】昭和26年(1951)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2997928/1/290
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【人事興信録 第17版 上】昭和28年(1953)
著者    人事興信所 編
出版者   人事興信所
出版年月日 1953
《草野稻穗》くさの いなほ
 東洋化學工業(株)社長
 草野工業(株)代表取締役
 國華興業(株)取締役
 福岡縣植木町出身
 ※履歴等、上記と同じ
 p366【人事興信録 第17版 上】昭和28年(1953)
〔画像〕p366【人事興信録 第17版 上】昭和28年(1953)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025541/1/366
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《加藤てる》ウタの養女『モルガンお雪の姪』【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月23日06:52
[思い出の写真帖]072〔坂本恭啓社長:古希・昭和43年〕
 bb172bca
※前列右端:加藤てる
 前列中央:坂本恭啓
 後列左端:小野一雄
坂本工業(株)社員等
古希 昭和43年(1968)
坂本恭啓:明治31年(1898)1月6日生
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
      近代 日本人の肖像
      モルガン ユキ
生没年   明治14年8月7日 〜 昭和38年5月18日
      (1881年8月7日 〜 1963年5月18日)
出身地   京都府
職業・身分 その他
別称    加藤(旧姓)、ユキ、モルガンお雪(別名)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
著者    小坂井澄 著
出版者   集英社
出版年月日 1984
 p2【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
〔画像〕p2【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/2

長女 ウタ 芸妓 明治16年(16歳)祇園新地
二女 スミ 芸妓
三女 ナヲ 祇園川端のお茶屋の仲居
四女 ユキ モルガンお雪

加藤ユキ、
明治十四年(1881)十一月(7日)
出生と戸籍にはあるが、
実際には同年(明治14年)八月七日に生まれた。
当時は届け出が遅れるのが普通で、
女の子だけに少しでも遅くという配慮が、
よけいにそうさせたのであろう。
父は加藤平助(天保二年(1831)生れ)、
母はコー(天保八年(1837)生れ)。
ユキはその末っ子である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/12

ウタは女ながらも大黒柱という自覚と責任感から、
体一つを元手に懸命に働いた。
母親のコトに似て、
男まさりで通っていた。
稼ぎを貯え、自前になり、
ついに祇園新橋にお茶屋と芸者置屋兼業の
加藤楼を開業するにいたったのは、
明治三十三年(1900)、三十三歳のときである。

さいわい加藤楼は八十年来健在で、
橋の畔で現在も営業を続け、
新橋の主とも呼ばれている。
当主はウタの養女『てる』さんである。
『てる』さんは、
ふとユキをしのばせるなめらかな京言葉で、
昔を語ってくれた。
「おかあはんがここを買(こ)うたのは、
 ちょうど私の生まれた
 明治二十九年(1896)やそうです。
 まだガス灯のころで、
 私の記憶でも、
 夜になると寂しいというより、
 こわいくらい暗うおした。
 母は自前になってから、
 末吉町に家を構えて祖母を引き取り、
 ユキおばさんもそこから芸妓に出ました。
 そして自分は、
 芸妓はいつまでもしてるもんやないというて、
 お金を溜めてこの店を始めはったんどす。
 後援者の人たちからだいぶん借金して、
 当時のお金で八十円、百円と返したはりましたえ」
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/14

祇園の芸妓時代は「胡弓のユキ」と呼ばれていた
 p15【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
〔画像〕p15【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/15

川上俊介とユキとの出会いは、
これより三年ほどさかのぼる春のことである。
東京の某官庁(※文部省)の属官であった俊介は、
公用で京都にきて、 ※明治31年前後
一夜、円山公園の平野家で開かれた宴席に招かれ、
その席に祇園新地の芸妓舞妓数名とともにはべったのが、
ユキであった。

俊介は、熊本の五高を出ただけで、
大学へは進めなかった失意の男である。
鹿児島県の士族だが、
学業を放擲しなければ
ならないほどの差し迫った事情が、
家にあったのであろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/21

昭和40年に建てられたユキの墓
 p146【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984
〔画像〕p146【モルガンお雪 (集英社文庫)】1984

付記
ユキの墓は遺族の強い希望により、
昭和五十八年(1983)五月十八日、
逝去二十年の命日に、
※昭和38年(1963)5月18日没
同じ大北山のカトリック墓地だが、
新しい場所に改葬され、
墓碑もつくり直された。
黒い石を横たえた墓である。
 CIMG5694-180315-20
※撮影:平成30年(2018/03/15)小野喜代子
〔画像〕CIMG5694-180315-20

なお、
姪の加藤てるさんは、
※明治29年(1896)生
昭和五十二年(1977)、
八十一歳の高齢で亡くなった。
ベルサイユのマリー・ビュレット夫人も、
すでに他界されている。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188655/1/146
集英社文庫 モルガンお雪 360円
昭和59年7月25日 第1刷
著 者 小坂井 澄
発行者 堀内末男
発行所 株式会社 集英社
    東京都千代田区一ツ橋2-5-10 〒101
    電話 東京(238)2842(編集)
         (230)6171(販売)
印 刷 凸版印刷株式会社
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【モルガンお雪四万円】明治35年
著者    鶴浦 著
出版者   駸々堂
出版年月日 明35.8
その翌日おゆきは
實の姉に當る
新橋貸座敷 加藤樓の女將おうた
末吉町の小方業 加藤おすみ
西陣の帶地商 福田某の妻おなを
の三人を訪ね廻りて
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月17日09:36
[墓参り 衣笠墓苑]
テレジア
ユキ モルガン
1881年(明治14年)11月7日生
1904年(明治37年)ジョージデニソン
           モルガンと結婚
1963年(昭和38年)5月18日帰天
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《伊勢俊介・川上俊介》京都帝國大學 書記 伊勢俊介【職員録 明治30年現在(甲)】京都帝國大學 書記 川上俊介【職員録 明治32年現在(甲)】

【芸妓からアメリカの大富豪の妻へ】
モルガンお雪 ~明治のシンデレラの生涯
しかし当時、お雪には京都帝国大学の学生、
川上俊介という恋人がいたため、
モルガンからの求婚を断った。
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《伊勢俊介・川上俊介》
【第五高等学校一覧 明治39,41年】伊勢俊介 明治28年7月卒業
【職員録 明治30年現在(甲)】伊勢俊介 京都帝國大學 書記
【職員録 明治32年現在(甲)】川上俊介 京都帝國大學 書記

《伊勢俊介》
第五高等学校 法科 明治28年(1895)7月卒業
【第五高等学校一覧 明治39,41年】
  第四回(明治二十八年七月)卒業七十人
 第一部法科二十六人
法 伊勢俊介 鹿兒島士
p171【第五高等学校一覧 明治39,41年】
〔画像〕p171【第五高等学校一覧 明治39,41年】
https://dl.ndl.go.jp/pid/812894/1/171

【官報 1895年07月08日】明治28年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治28年
〇第五高等學校卒業證書授與式
  卒業生氏名
 第一部法科
鹿兒島縣士族 伊勢俊介
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《川上俊介・伊勢俊介》
東京帝国大学 入学の記録は無い
【官報 1895年11月12日】明治28年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治28年
〇學生入學宣誓式
 帝國大學ニ於テ去月三十日例ニ依リ
 學生入學宣誓式ヲ行事ヘリ
 其學生ノ氏名ハ左ノ如シ(文部省)
大學院(三十二人)
法科大學(百五十人)
※川上俊介・伊勢俊介:記載無し

【東京帝国大学一覧 明治27-28年】
 第二 法科大學學生及生徒
※川上俊介・伊勢俊介:記載無し

【東京帝国大学一覧 明治28-29年】
 第二 法科大學學生及生徒
※川上俊介・伊勢俊介:記載無し
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《伊勢俊介》
文部省 秘書官 明治29・30年
【職員録 明治29年現在(甲)】1896
[文部省]
◎大臣官房
〇秘書課 秘書官 屬
 伊勢俊介

【文部省職員録 明治30年5月】1897
[文部省]
◎大臣官房
〇秘書課 秘書官 屬
 伊勢俊介 鹿兒島縣 士族
 神田區錦町三、二一 井上方
 p5【文部省職員録 明治30年5月】1897
〔画像〕p5【文部省職員録 明治30年5月】1897
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《伊勢俊介・川上俊介》
京都帝国大学 書記 明治30・32年
【職員録 明治30年現在(甲)】1897
〇京都帝國大學
書記 伊勢俊介
 p245【職員録 明治30年現在(甲)】1897
〔画像〕p245【職員録 明治30年現在(甲)】1897

【職員録 明治32年現在(甲)】1899
〇京都帝國大學
書記 川上俊介
 p266【職員録 明治32年現在(甲)】1899
〔画像〕p266【職員録 明治32年現在(甲)】1899
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《川上俊介》
京都帝国大学 法科 政治学科
明治32年入学 明治36年卒業
【京都帝国大学一覧 明治30-33年】
 第二 法科大學學生及生徒
政治學科 明治三十二年(1899)入學
川上俊介 鹿兒島
【京都帝国大学一覧 明治33-35年】
 第二 法科大學學生及生徒
政治學科 明治三十二年(1899)入學
川上俊介 鹿兒島
【京都帝国大学一覧 従明治34年至明治35年】
 第二 法科大學學生及生徒
政治學科 明治三十二年(1899)入學
川上俊介 鹿兒島

【京都帝国大学一覧 明治43-44年】
  〇卒業生姓名
   法學士 政治學科
明治三十六年(1903)七月卒業
川上俊介 鹿兒島
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《川上俊介》大正11年2月9日歿【類聚伝記大日本史 第十二卷】昭和11年

【芸妓からアメリカの大富豪の妻へ】
モルガンお雪 ~明治のシンデレラの生涯
しかし当時、お雪には京都帝国大学の学生、
川上俊介という恋人がいたため、
モルガンからの求婚を断った。
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【類聚伝記大日本史 第十二卷】昭和11年
著者    雄山閣 編
出版者   雄山閣
出版年月日 昭和11
《川上俊介》
鹿兒島縣の人、明治三年十二月生る。
      ※1871年2月1日
明治二十八年(1895)
東京帝國大學法科に入りしも半途退學。
後ち京都帝國大學法科に入學、
明治三十六年(1903)卒業後
浪速銀行に入り縱横の奇才を發揮し、
關西銀行界に活躍す。
後ち東京瓦斯電氣會社の常務取締役、
朝日興業、帝國製糖等の重役として
實業界に重きをなす。
大正十一年(1922)二月九日歿す、
享年五十五年。※55⇒51
 p142【類聚伝記大日本史 第十二卷】昭和11年
〔画像〕p142【類聚伝記大日本史 第十二卷】昭和11年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1879883/1/142
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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