《藍燈貴・寫眞技術家として》南邦の實業界に躍る人々【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)

【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
出版者   台湾芸術新報社
出版年月日 1939-01
p1【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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 近郊雜信
◎南邦の實業界に躍る人々
 寫眞技術家として
  太平町 藍 燈 貴
君は臺北市に生れ、
現在二十四才の靑年で大いに感ずる處あり、
少年の時より希望をいだいて寫眞業で身を起すべく
一意專念斯業の發展と技術の熟練研究に
日夜沒頭せられ其の功空しからず、
氏は昭和六年三月より
臺中市錦町有本寫眞舘に五箇年間學び、
昭和十年十月より臺北に歸り、
榮町三丁目サン・スタヂオ寫眞舘の技師として
三箇年間活躍しその技倆を認められ、
愈々技術並に業務大いに揚り
現に太平町三丁目アイ・スタヂオを經營するに至り
業績頓にあがり相當の蓄財をなすの盛況である、
殊に現在毎日四、五十名の客で繁昌し、
人氣は素晴しい、
設備は完備して居り
顧客のサービスは百パーセント、
一面大稻埕方面の社會事業に盡され、
上下の信賴も厚き人格者である。
p41-1【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
〔画像〕p41-1【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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毎月一回一日發行 第五巻第一號
昭和十三年十二月廿八日印刷
昭和十四年 一月 一日發行
編輯兼發行人 赤星義雄
印刷所    臺北活版社
       臺北市京町三ノ十一
發行所    臺灣藝術新報社
       臺北市築地町一ノ十八
       電話六六三一番
支 局 臺中 高雄 臺南
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《白数文夫》野田川町議会議長【京都年鑑 1972年】昭和47年

【京都年鑑 1972年】昭和47年
出版者   夕刊京都新聞社
出版年月日 1971
p1【京都年鑑 1972年】昭和47年
〔画像〕p1【京都年鑑 1972年】昭和47年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/1

白数 文夫(しらす ふみお)
大正4年1月1日生
京都府
職 野田川町議会議長
住 与謝郡野田川町下山田
〒 629-23
電 加悦谷②3896
歴 高小
家 妻  里枝 大正3年生
  二男 昭夫 昭和25年生
  二女 紀子 昭和27年生
  父  信次 明治44年生
p309【京都年鑑 1972年】昭和47年
〔画像〕p309【京都年鑑 1972年】昭和47年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/309

[野田川町議会]
議 長 白数 文夫
副議長 小北 陸二
議 員 倉橋  武  大谷 初次  村山 和生
    渡辺 嘉一  仲野 大二  糸井 勝勇
    井田 嘉裕  吉田鼎一郎  安田 辰美
    山添  実  小長谷宗太郎 茂籠 憲郎
    伊達  収  有吉 峰雄  中島 順一
    山添 誠一  加藤  菴  白須民之助
    長島 輝夫  加畑貞一郎
https://dl.ndl.go.jp/pid/9568909/1/149
京都年鑑 1972年版(昭和47年)
定価 2,000円
昭和46年10月25日印刷
昭和46年11月1日発行
編集兼発行人 矢野彌三郎
発行所    株式会社 夕刊京都新聞社
       京都市中京区烏丸通二条上ル
       電話(075)231-1101(代)
       振替口座 京都25916
印刷所    株式会社 石田大成社印刷所
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《臺北カフヱー 孔雀》大稻埕藝妓と女給の評判記【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)

【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
出版者   台湾芸術新報社
出版年月日 1939-01
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 近郊雜信
大稻埕藝妓と女給の評判記

  臺北カフヱー 孔雀
カフヱー界では古い歷史をもつ店と云つてもよい。
此店の特長は主人の郭博容君がコツクをやる事
開店當時からで其の努力は感心だ。
そして使用人と主人の意氣がピツタリ合つて
女給も永續してゐる。
臺北では二流カフヱーであるが
その繁昌ぶりは一流どころと大差がない。
どんな客に對しても同一な態度であり
決して惡い顔を見せず
親切叮嚀と云ふことをモツトーとしてゐるらしい。
ボツクス十、ルーム五、二十一名の女給がゐるのはよいが、
客一人に二十餘人の女給が集つて來るのは何うかと思ふ。
成る可く客にチツプの心配をさせないことが
肝要ではあるまいか、
同店發展は大稻埕のカフヱー界に
一つの王座として推稱されることであらふ。
p41【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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《臺北カフヱー太陽 百合子》大稻埕藝妓と女給の評判記【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)

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 近郊雜信
大稻埕藝妓と女給の評判記

  臺北カフヱー太陽 百合子
カフヱー太陽はマスターの氣分通りに
仕込んだ女給だけに
實に感じのよい店である。
常に明朗潑溂と伸び行く
市の姿を如實に表徴して
充實した内容と相俟つて
高尚優雅にサービス陣を固めて
市内唯一の歡樂の殿堂として
溢るゝ盛況を呈してゐる。
ボツクス十二、ルーム十、外に二つの日本室がある。
女給内地人十五名、本島人廿五名、
經營者は李謝氏腰さんである。
尚ほ百合子さんは十九才で年こそ若いが
持つて生れた愛嬌ぶりが人氣で
中肉中背のやゝ丸顔にニコニコ微笑む度に
可愛い笑靨(えくぼ)が出る。
殊にこの妓は學校卒業後すぐ
樹林專賣局酒工場で事務員を
してゐたこともあると云ふインテリーで、
昨年春頃よりこの店に働いてゐるが
氣品もあり御覧の如く美貌である。
p41【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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《藝妓 美佐子》大稻埕藝妓と女給の評判記【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)

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 近郊雜信
大稻埕藝妓と女給の評判記

  藝妓 美佐子
大稻埕撿番の中堅藝妓として
粹客に評判のよいこの妓
至つて無口ではあるが眞面目な方です。
藝道には特に熱心で
若柳吉聲と言ふ名取りであるが
高慢チキな所は一つもみせず、
飽迄藝道にいそしんでゐるところ
この妓の價値があるのです。
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旭會 大塚旭海師・旭會 内野旭蓉師・八州會 石井旭豊師・旭會 梅下旭洲師【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)

【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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島都 四絃界のお師匠さん

旭會 大塚旭海師
◆島都四絃界の最古參者として
臺北旭會の代表者たる
大塚旭海師は何んと云つても
彈法としては島内に於ける第一人者たることは
斯界に於いて認められて居る、
同師門下よりは幾多の法山號や旭號
允許者が出て居ることを以ても
如何に斯界に盡して來たかを語るものがある、
一時は島都四絃界も素晴しく
黄金時代を出現したこともあるが
近來は頓と沈靜して居るやうだ、
昔日の隆昌時代を再現さるゝ日を期待してをく。

旭會 内野旭蓉師
◆JFAKのマイクを通じて内野旭蓉師は
その艶麗なる彈聲を聽するので
市民としてもマイクを通じて馴染の深いものがある、
同師は隈部旭構師の門より出たものだが
現在島都四絃界の花形として
力あるお師匠さんと云ふのだ。
先般は日本全國旭會大會には臺灣代表として出演し
其技の卓抜たるを全國の會員に示したことは
大きな譽と云つて良い。

八州會 石井旭豊師
◆臺北八州會の代表者、
石井旭豐師は斯界としても可成り永い間
敎授して來られたようだ、
同流には上田旭昇師、木の下旭靜師、
其他幾多の師もあつたよふだが
爾來更に絃聲を斷つて靜かなものだ、
歷史上の人傑に或ひは其史蹟に良風を傳ふる四絃が
何故か斯る低調を示したことは
眞に遺憾の極みだ。
斯界に於いての花形だつた
永江旭艶師は花柳界に身を轉じ、
石田旭靖師は女給に轉向を見せるとか
斯界の振はざることは殘念だ、
どうか本年こう
昔日の隆昌時代の復活を祈る。

旭會 梅下旭洲師
◆斯界に於ける矢張古參株にて
彈法に於いても確かなものがある、
近來では劍舞なぞも大いに研究して居るようだが、
筑箭󠄀琵琶としてもお稽古づけをして居るようだ、
同師なぞは斯界鼓吹に
もつと力を盡して貰ひたいものだと期待してをく。
p39【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
〔画像〕p39【台湾芸術新報 5(1)】昭和14年(1939-01)
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毎月一回一日發行 第五巻第一號
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東京新橋桑島千代髪結場⇒東京新橋伊賀とら髪結場【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984

【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984
著者    小出新次郎 著
出版者   女性モード社
出版年月日 1984.4
p1【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984
〔画像〕p1【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168920/1/1
近代髪結場の光景
(東京新橋桑島千代髪結場)⇒
(東京新橋伊賀とら髪結場)
※下記、元画像記載。
p62【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984
〔画像〕p62【美容の歴史散歩 (美容文庫 ; 46)】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168920/1/62
美容文庫 46  美容の歴史散歩
昭和59年4月10日 初版発行
定価2900円
著 者 小出新次郎
発行者 今成  弘
印刷所 明和印刷株式会社
    二葉印刷株式会社
製本所 和光堂製本所
発行所 株式会社 女性モード社
    東京都新宿区下落合3の15の27
    振替口座/71540
https://dl.ndl.go.jp/pid/12168920/1/129
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年06月05日08:15
《伊賀とら》PDF[東京一流 新橋 伊賀とら 桑島千代
 髪結場の光景]絵葉書
10-1東京一流 新橋 伊賀とら 髪結場の光景
 10-1東京一流 新橋 伊賀とら 髪結場の光景

11-1東京一流 新橋 桑島千代 髪結場の光景
 11-1東京一流 新橋 桑島千代 髪結場の光景
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東京の有名な「髪結い」新橋の伊賀とら、下谷の佐藤あき、柳島の桑島千代・高木きく(美髪学会設立)【髪と女優】伊奈もと 著1961

【髪と女優】伊奈もと 著1961
著者    伊奈もと 著
出版者   日本週報社
出版年月日 1961
p3【髪と女優】伊奈もと 著1961
〔画像〕p3【髪と女優】伊奈もと 著1961
https://dl.ndl.go.jp/pid/2493201/1/3

   櫛を片手の私の半生
   (自叙伝をふくめて)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2493201/1/9

生まれは宮城県栗原郡若柳町で、
弟が一人の姉弟二人、
元来山けの多い父は世間によくある
相場や事業の失敗やらで
家庭は不和となり、
母と私を残して弟を連れ、
北海道で一旗挙げると言って生き別れ、
母と私は片田舎で細々と暮らしているうちに
ともかく小学校は終えました。

明治から大正にかけて、
東京の有名な「髪結い」には、
新橋の伊賀とら、
下谷の佐藤あき、
柳島の桑島千代、
などという人がいて、
いずれも花柳界をバックにしていましたが、
これに対して山の手を地盤としたのに
高木きく(あとに美髪学会設立)が
小石川伝通院にいて、
いずれも隆盛をきわめておりました。

いなかの小学校を出たばかりの私は、
なんとか東京に出、
将来名高い髪結いになりたいものと、
母を説得して一人東京に出てまいりました。
そして高木きくの門をたたき、
ようやく入門がかなったのでした。

田舎娘のこととて言葉はむろん、
櫛一つ使い方も満足にできず、
無我夢中の日が流れました。
厳しい徒弟生活は姉弟子に気がねし、
師匠の肩も人よりもよけいに叩き、
冬の日など、
赤ぎれや霜やけに悩みながら
血の出る思いで修業に修業を重ね、
歯を食いしばって技術の錬磨に明け暮れました。

たかが小学校程度の教育、
これではいけないと、
当時はやった通信教授の本に齧りついて
少しでも仕事のかたわら学問を覚えたいと、
石油ランプは使えぬため、
豆ランプの下でせっせと勉強もしました。
師匠のあとに従って大きなお邸へ髪結いに回り、
いまでも忘れませんのが、
海軍大将斎藤実さんのお嬢さまの髪の「下すき」、
これが私の外へ出て仕事をした初めてのものです。
p11【髪と女優】伊奈もと 著1961
〔画像〕p11【髪と女優】伊奈もと 著1961
https://dl.ndl.go.jp/pid/2493201/1/11
昭和36年1月5日 印刷
昭和36年1月7日 発行 二八〇円
著 者 伊那もと
発行人 湯川洋蔵
印刷人 松村 保
発行所 日本週報社
    東京都千代田区代官町一
    振替口座・東京九九〇六八
印 刷・明和印刷
製 本・江口製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2493201/1/114
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(補助金の額)京丹波町交通空白地有償運送者支援補助金交付要綱:令和6年3月25日

 令和6年3月25日
 告示第10号
(趣旨)
第1条 この要綱は、地域住民の交通手段として
京丹波町交通空白地有償運送を実施する者に対して、
京丹波町交通空白地有償運送者支援補助金
(以下「補助金」という。)を交付することに関し、
京丹波町補助金等交付規則(平成17年京丹波町規則第25号)に
定めるもののほか、必要な事項を定めるものとする。

第2条 この要綱において、交通空白地有償運送とは、
道路運送法施行規則(昭和26年運輸省令第75号)
第49条第1号に規定する運送をいう。

(補助対象者)
第3条 補助金の交付対象となる者
(以下「補助対象者」という。)は、
京丹波町内において交通空白地有償運送を実施する者とする。

(補助対象経費)
第4条 補助金の対象は、別表のとおりとする。

(補助金の額)
第5条 補助金の額は、別表に定める額を上限とし、
毎年度定める予算の範囲内とする。

附則
この告示は、令和6年4月1日から施行する。
 区分   補助金の額(上限) 補助金の割合
人件費   1箇月 60万円   10分の10
燃料費   1箇月 10万円
車両保険料 1箇月 3万円
      1,000円未満(月単位)は、切り捨てるものとする。
 別表(第5条関係)補助金の額
〔画像〕別表(第5条関係)補助金の額
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令和2年12月18日
告示第82号
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京丹波町職員倫理条例(職員が遵守すべき職務に係る倫理原則)

平成30年9月26日
条例第29号
第3条 職員は、公務員としての誇りを持ち、
かつ、その使命を自覚し、
自らの行動が公務に対する
町民の信頼に影響を及ぼすことを深く認識し、
町民の信頼を裏切る行為をすることがないよう、
常に自らを厳しく律しなければならない。

2 職員は、町民全体の奉仕者であり、
町民の一部の者に対してのみ
有利又は不利な取扱いをする等
不当な取り扱いをしてはならず、
常に公正な職務の執行に当たらなければならない。

(倫理監督者)
第9条 町長は、職員の倫理を監督し、
及び職員の倫理の保持を図るため、倫理監督者を置く。
2 倫理監督者は、総務課長をもって充てる。
 (職員が遵守すべき職務に係る倫理原則)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[令和7年2月17日]
発行 京都府京丹波町議会
p1京丹波議会だより第87号
〔画像〕p1京丹波議会だより第87号

山﨑眞宏議員
デマンドタクシー事業者の選定に公募の検討を
課長 必要に応じて、公募も検討する
問  丹波・瑞穂地区の
   デマンドタクシー事業者選定に公募の検討を。
課長 事業者に聞き取りを行い、進めていきたい。
   必要に応じて、公募も検討する。
p12京丹波議会だより第87号
〔画像〕p12京丹波議会だより第87号
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令 和 6 年 1 2 月 5 日 ( 木 )
開 議 午 前 9 時 0 0 分
〇2番(山﨑眞宏君)
瑞穂地区、丹波地区に対しても取り組まれるなら、
公平性を担保し、
日々いろいろと取組をされている既存の法人、
業者などにも意見を聞き、進めるべきと考えます。
公募方法などは検討されているのかお伺いいたします。
〇企画情報課長(堀 友輔君) 
和知地区で実証事業を進める際には、
地区内のNPO法人等にも聞き取りを行った上で
進めてまいりました。
丹波・瑞穂地区におきましても、
同様に進めてまいりたいというふうに考えておりまして、
必要に応じて公募についても検討してまいります。
p12令和6年第4回京丹波町議会定例会(第3号)
〔画像〕p12令和6年第4回京丹波町議会定例会(第3号)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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