【新聞集録大正史 第11巻】1978
出版者 大正出版
出版年月日 1978.6
関東大震災からの復興
大正12(1923)年9月1日、
関東地方にマグニチュード7.9の大地震が発生しました。
大正十二年九月(一九二三年)
復活する新吉原
洲崎もカリ小屋で營業
〔九・二〇 やまと〕
不夜城を誇つた新吉原三百軒の靑樓も、
今度の災害には一たまりもなく
目茶苦茶に荒されて、
見渡す限りの燒野原で何處が何處だか
さつぱり判らない惨澹たる光景だ。
廓内で不幸にも壓死燒死したものは
小川樓夫妻・大阪樓夫妻を始め、
組合取締市川氏の細君及び
田中副取締の細君と愛孃など
樓主關係のもののみで三十六軒百餘名、
娼妓で死んだものや行方不明者は
總娼妓數の半數約一千五百名に達した。
中には地震と同時に家が崩れ、
下敷となつて逃げる間もなく火を發して、
娼妓諸共一家族燒死してしまつたものがある程で、
一時の混亂さは想像外であつたが、
災害後二旬に餘る今日では
燒けた組合事務所跡に假事務所を置き
組合員の總動員を行ひ、
毎日午前九時から午後五時まで詰かけ
今後の復興方針に付き畫策大いに努めて居る。
何しろ今後の東京はその復興のため
一時勞働者全盛の時代を現出することは
瞭かなことであるから、
風紀上から云つても遊廓復興の必要なことは
言を俟たないと許りに
先づ燒け跡に急造バラツク式の建築物を建て
營業開始の手筈で出願中だ。
專ら市川取締等が奔走中であるが、
警視廰保安部でも以前の吉原大火の前例に鑑み
大體許可する方針であることが
十八日午後判明したので、
それと許りに各樓主は燒跡の灰掻きや
障碍物の取除けに着手した。
そして建築材料の到着次第
假小屋の建築に取りかゝる段取りであるが、
正式の許可は衛生設備と
病院の建築が出來次第許される筈で、
茲にも復興の氣運は素晴らしい勢で働いて居るが、
洲崎も同樣
假小屋で營業を開始するであらう。
假小屋で營業を開始するであらう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12229223/1/205
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