日本傍聽筆記法講習會第一回卒業生記念撮影:明治十六年五月五日【日本速記五十年史:速記発表五十週年記念】1934

【日本速記五十年史:速記発表五十週年記念】1934
出版者   日本速記協会
出版年月日 1934
p3【日本速記五十年史】1934
〔画像〕p3【日本速記五十年史】1934
https://dl.ndl.go.jp/pid/1869853/1/3

 田鎖式速記術基本文字
  (五十音表)
p24【日本速記五十年史】1934
〔画像〕p24【日本速記五十年史】1934
https://dl.ndl.go.jp/pid/1869853/1/24

日本傍聽筆記法講習會第一回卒業生記念撮影
 明治十六年五月五日
 源綱紀 門下 第一回卒業生の撮影、
 此外 林茂淳、前田正一の兩氏も
 同時の卒業なれども
 事故缺席のため此中に加はらざりしは遺憾なり。

(後列右ヨリ)
高柳虎次郎 奥村梅次郎 市東謙吉 蛯江曉村 竹内友三郎
(中列)
三田泰光 蘆田東雄 勘解由小路資承 酒井昇造 千葉富壽 神尾珍
(前列)
山縣萬吉 若林玵藏 源綱紀 佐藤潤象 石原明倫
p26【日本速記五十年史】1934
〔画像〕p26【日本速記五十年史】1934
https://dl.ndl.go.jp/pid/1869853/1/26
  日本速記五十年史
別冊附錄日本速記記者名鑑付
昭和九年十月 二十日印刷
昭和九年十月二十八日發行 定價金參圓
編 者 淺川  隼
發行者 安田 勝藏
    東京市豊島區雜司ケ谷町五ノ七四三
印刷者 東條半太郎
    横濱市中區天神町一ノ四〇
印刷所 秀文堂印刷所
    横濱市中區天神町一ノ四〇
發行所 日本速記協會
    東京市麴町區内幸町 貴族院内
    振替東京五三五八三番
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【日本速記者名鑑:日本速記五十年史附録 昭和8年版】
出版者   日本速記協会
出版年月日 昭和8
 本名鑑所載速記者 計 八百八十一名
 昭和八年十月
   目  次
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【日本速記者名鑑 昭和28年度】1953
出版者   日本速記協会
出版年月日 1953
   昭和28年度
   日本速記者名鑑
  速記発表70周年記念
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[山﨑眞宏]議員活動誌【デマンドタクシー公募方式で】発行2024.4 No.9『京丹波町議会』

12月議会(令和6年第4回定例会)は、
12月2日(月)から12月20日(金)まで開かれました。
山﨑まさひろ 議員活動の一環として、
一般質問の一部を報告させて頂きます。
 p0[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
〔画像〕p0[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13

【安全な食と教育 連携出来るか】
p1[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
〔画像〕p1[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13

【誰の為の認証システム】
【デマンドタクシー 公募方式で】
p2[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
〔画像〕p2[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13

【みずほガーデンロッジ 改修工事 根拠】
【観光協会?】
p3[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
〔画像〕p3[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13

町内向け(有権者に向けて)の年賀状等は、
公職選挙法で時候の挨拶状が禁止されています。
(答礼的な自筆の物は除く)
その他にも、赤い羽根共同募金も
町内では出来ません。
寄付行為の禁止に抵触するとの事です。

 本年も皆さまが健やかに
  過ごせますよう、
   お祈り申し上げます。
p4[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
〔画像〕p4[山﨑眞宏]議員活動誌2025.1 No.13
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『アサヒ芸能』鉄道弘済会から取引停止になるという事態に遭遇【雑誌を斬る:『文芸春秋』から『ぴあ』まで】1979

【雑誌を斬る:『文芸春秋』から『ぴあ』まで】1979
著者    岡留安則 著
出版者   教育研究社
出版年月日 1979.3
p1【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p1【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/1

  往年の精彩が失せた『アサヒ芸能』
かつて『アサヒ芸能』は、
鉄道弘済会から取引停止になるという
事態に遭遇したことがある。

女性ヌード(上半身)を表紙に載せたことに
クレームをつけられたことが発端で、
五週間にわたって、
週刊誌にとってはドル箱ともいえる
弘済会ルートから締め出しを食ったのである。

B5判の週刊誌に切り換え、
経営ベースに乗り始めた
一九五九年(昭和34年)のことだった。
当時の金にして五〇〇〇万円ほどの損害だったという。
p24【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p24【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/24

このことは大手取次なみに、
全国の駅売店という販売ルートを握っている
鉄道弘済会も同様だ。
鉄道弘済会の場合は、
出版物のみならず新聞までも
販売を手がけていることから、
出版・新聞ジャーナリズム双方にとっての
タブーといえる。

出版界ではかつて、
『アサヒ芸能』がヌードの上半身を表紙に載せたため、
弘済会の判断で五週間の取引停止を申し渡されたことがある。

週刊誌やスポーツ紙などは
弘済会への依存率が高いだけに、
悪口が書けようはずもない。

かくして鉄道弘済会も”聖域化“していく。
国鉄退職者や遺族救済のための
”福祉・救済事業“として設立された社団法人が、
「言論操作」の実力を持つに至ったのである。
p95【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p95【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/95
昭和五十四年三月 五日 印刷
昭和五十四年三月二十日 発行
著 者  岡留安則
発行人  小林俊次
発行所  株式会社 教育研究社
     サンマークグループ
     東京都新宿区高田馬場一ノ三二ノ一三
     サンマークビル
     電話(03)208-0450
本文印刷 東洋印刷(株)
装本印刷 東京書籍印刷(株)
製  本 和田製本工業(株)
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弘済会事件『アサヒ芸能』徳間書店 昭和34年【語録・編集鬼たち】1973

【語録・編集鬼たち】1973
著者    江国滋 著
出版者   産業能率短期大出版部
出版年月日 1973
p3【語録・編集鬼たち】1973
〔画像〕p3【語録・編集鬼たち】1973
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/3

 崖っぷちに立った社主兼編集長
 「週刊アサヒ芸能」
 徳間康快(徳間書店社長)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/59

『アサヒ芸能』が完全に軌道に乗った
昭和三十四年(1959)に
”弘済会事件“という出来事が起きている。
ヌードの上半身を表紙に載せたのが
刺激的すぎるという理由で、
鉄道弘済会(東鉄管内)が五週間にわたって
取引を停止するという事態に立ち至ったのである。

「あの当時の金で五千万円の損害だった。
 真偽のほどは知らんが、
 ある新聞社の策謀だという説も耳にしましたが、
 実際、いま見りゃまったく何ということもない表紙ですよ。
 たまたま、あのときわたしゃ、
 腎臓周囲膿瘍という病気で慈恵医大に入院中で、
 二回も大手術を受けたあとなんだ。
 手術台から運ばれてきて、
 麻酔がきれると指示をあたえるというありさまで、
 そら凄絶なもんでしたわ。
 これまでに、わたし、
 死ぬか生きるかちゅう危機を何度か経験してきましたが、
 弘済会事件もその一つですな。
 あれを突破したことが、
 みんなに自信を植えつけたようですな。
 わたし自身にしても、
 異常な境地を切り抜けるたびに、
 一つのあきらめと勇気と見通しが出てくるんだな。
 ま、わたし、働きもんですからな、
 営々としてやってきたわけですわ」
p63【語録・編集鬼たち】1973
〔画像〕p63【語録・編集鬼たち】1973
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/63
語録・編集鬼たち
昭和48年8月25日 初版発行
著 者 江國 滋
発行者 上野一郎
発行所 産業能率短期大学 出版部
    東京都世田谷区等々力6-39-15
    電話 03(702)4151(大代表)
    振替口座(東京)44404
印 刷 朝陽会
製 本 協栄製本
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兵頭武郎君が徳間書店営業の重役で、徳間観光の常務:徳間康快社長【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977

【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
著者    戸田寛 著
出版者   講談社
出版年月日 1977.4
p3【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
〔画像〕p3【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/3

21 徳間書店社長
  徳間康快(とくま やすよし)氏
  昭和50年6月18日 於 徳間書店
[徳間書店]
戦後まもなく出来た
アサヒ芸能新聞と徳間書店が、
昭和二十九年合併して現在に至る。

週刊誌「アサヒ芸能」にみられるような、
大衆向きの雑誌、単行本からスタート、
最近は「十八史略」など硬派ものも出版、
総合出版社として今後が期待されている。

資本金一千五百万円、
従業員百七十七人。
本社・東京都港区新橋4-10-1
電話433-6231
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/120

  書店創立までのいきさつ
[徳間康快]
それから、
いま名古屋の中部読売で話題をまきながら活躍している
地産の社長竹井博友君が私の読売社会部時代の友人で、
アサヒ芸能新聞を戦後すぐつくってやってました。

彼は読売の社長の命を受けて大阪に工場をつくって、
大阪読売進出の基礎をつくっているわけです。

大体それができ上がって
「自分は日東新聞という新聞を出したい、
 なんとか徳さん助けてくれ」
ということで、
私も根が新聞屋ですから、
まあいいだろうといって、
竹井君と組んで日東新聞を出すのです。

これも悪戦苦闘の末、
借金だらけで遅配欠配、
何日も徹夜で労組におどされて、
結局紙も買えない、
輪転機も回らないでつぶれちゃうわけです。

その借金を竹井君と私が背負い込んで、
そのときの処理方針として、
前から東京タイムズの岡村二一氏に
面識がありましたので、
泣く泣く社屋、輪転機、社員もろとも買ってもらって、
それが東京タイムズになるわけです。

竹井君はノイローゼになっちゃったもんですから、
私は労働組合の終戦処理を一手に引き受けて
解決したわけです。

そうしている間に、
労組の執行部が休刊になってる
アサヒ芸能新聞をなんとか再生してくれというので、
よっしゃというんで社長になって、
同志十五人くらいを糾合して、
ごみ箱みたいな小さな二階を借りて始めるのです。

当時の十五人はいまほとんど
徳間書店の首脳部でして、
山下辰巳君が徳間書店の常務で、徳間音工の専務、
兵頭武郎君が徳間書店営業の重役で、徳間観光の常務、
梨本実君が現代史出版会の常務、
鈴木繁実君が徳間書店の役員で、経理の責任者、
宮本昇蔵君が大徳開発の専務というふうに
いまうちの事業団の中心になっているわけです。

週刊誌のアサヒ芸能新聞はタブロイド判、
内容はスクリーン・アンド・ステージで、
『平凡』が猛烈に出ていたときです。

岩堀さんが非常に活躍したときで、
※岩堀喜之助
私も真善美社で同じ神田の小さな印刷屋で
知ってたんですよ。

私のところは最初いいお得意さんで
扱ってもらったんだけど、
向こうがどんどん出ちゃって、
こっちははずされて、
ああこういうのが売れるのかなあ、
だれがやってるんだろうって聞いたら、
時事新報出身の岩堀という人だ。

『平凡』という非常に平凡な題をつけて
やっていると聞いて
考え込んだことがあります。

それから単行本活動をやろうということで
徳間書店をつくって、
アサヒ芸能新聞社と徳間書店と二つやっていて、
合併する。

徳間書店はことしで
創業二十一年ということになるわけです。

[戸田 寛]
いま徳間グループはどのくらい……。

[徳間康快]
徳間書店を軸にしまして、
ミノルフォンレコードの徳間音楽工業、
日刊紙の東京タイムズ社、
最近参加した大映映画、
それから北海道のホテル、
福島県のホテル、
矢祭カントリークラブを造成中の徳間観光、
印刷部門の新光印刷、東タイ印刷と
いうものを大ざっぱに分けた
メーングループとしながら、
そのほかに現代史出版会とか、
徳間牧場とか、大徳開発とか、
小さいのを周辺に置いていると
いうようなところですね。
p123【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
〔画像〕p123【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/123
出版社のトップは何を考えているか
昭和52年4月15日 第一刷発行
著 者 戸田 寛
発行者 野間省一
発行所 株式会社 講談社
    東京都文京区音羽2-12-21
    郵便番号112
    電話東京(03)945-1111
    振替口座 東京8-3930
印刷所 慶昌堂印刷株式会社
製本所 株式会社 島田製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/181
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《兵頭武郎》徳間書店・徳間観光常務【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976

【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
出版者   光文社
出版年月日 1976
p1【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
〔画像〕p1【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/1


  數點梅花天地心  p170-171/259
    徳間康快
いま私は、
心静かに五十嵐社長との出会いを思い起してみると、
それはたしか、
日東新聞が奮戦、武運つたなく破れ去り、
その残党と同じ経営体下にあった
「アサヒ芸能新聞」の若い社員に懇望され、
当時、スクリーン・ステージ専門の
同誌経営を引き継いだ前後であったことと思う。

当時の私は、
文字どおり満身創痍、
精神的、経済的に破局の状態にあり、
その日の生活にも追われるような日夜を送っていた。

私を中心に集まった連中は、
現在、徳間書店専務・徳間音工副社長の山下辰巳君、
徳間書店・徳間観光常務の兵頭武郎君、
大徳開発専務の宮本昇蔵君、
徳間書店・徳間音工常務の鈴木繁実君、
現代史出版会常務の梨本実君など十四、五名であった。

ちょうどその頃、
私は日本雑誌協会の存在を知り、
その入会の労をとっていただくことで、
亡くなられた五十嵐社長と
ダイヤモンド社の故・松本実氏とご縁ができ、
お二人の推輓で
「アサヒ芸能」を雑誌協会のメンバーに
加盟させていただいたのです。
その日のことが、
いまさらの如く想い出され、
感謝の念に堪えない次第であります。
p170【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
〔画像〕p170【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/170
昭和五十一年一月二日 発行(非売品)
編纂発行 株式会社 光文社
印  刷 大日本印刷株式会社
用  紙 十條製紙株式会社
     日本加工製紙株式会社
     ダイニック株式会社
     株式会社 岡本
発行所  株式会社 光文社
     東京都文京区音羽二ノ一二ノ一三
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/256
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世木沢藤三郎(銘柄・登鶴)世木沢 登【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972

加藤恵陽様
コメント、有難うございます。

2014年02月15日05:37
【人事興信録】昭和16-18年
コメント一覧 (1)
1. 加藤恵陽 2025年01月10日 13:04
60年前、登鶴酒造に就職、
今年初夢に世木澤登氏の夢をみました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972
著者    毎日新聞社 編
出版者   北海道出版企画センター
出版年月日 1972
p3【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972
〔画像〕p3【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/12292766/1/3

  旭川酒造界
明治から大正にかけ、世木沢藤三郎(銘柄・登鶴)

[メモ]創業者・ひとくち紹介
世木沢藤三郎=明治九年、京都府竹野村生まれ。
明治三十三年、家財を処分、千二百円を持ち旭川移住、
農業、精米業など。
 世木沢 登   世木沢藤三郎
p37【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972
〔画像〕p37【北の人脈:三代の系譜・集団の系譜】1972
https://dl.ndl.go.jp/pid/12292766/1/37
「登鶴」
社長・世木沢登(旭川酒造組合長)は、
藤三郎の長男で二代目。
登の長男・淳一は同専務、二男・茂は同常務。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12292766/1/38
昭和四十七年一月十日初刷 定価600円
編集者 毎日新聞社
発行者 野沢信義
発行所 北海道出版企画センター
    札幌市北三条西三丁目
     (スノー会館五階)
    電話(241)八八八一番
    振替小樽一六六七七番
印刷 北海道機関紙共同印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/12292766/1/166
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《赤坂龜次郎氏》集成社の前身東洋舘(小野梓経営)【慶応義塾出身名流列伝】明治42年

【慶応義塾出身名流列伝】明治42年
著者    三田商業研究会 編
出版者   実業之世界社
出版年月日 明42.6

赤坂龜次郎氏
共同出版會社 專務取締役
東京市京橋區彌左衞門町七
(安政五年生)

氏は安政五年五月(1858年6月)
福島縣石城郡上遠野に生る。
家世々農なれども帶刀御免の家格なり。
氏の父良忠氏に至り商業を營み傍ら農業に從事す。

良忠氏は夙に殖産興業の道に通じ、
其近郊の地味が蒟蒻粉製造に適するを知り、
郷黨に向つて大に之が栽培製造を勸誘したり。
現今同地方が蒟蒻粉の産出を以て
嘖々たるもの盖し氏の賜と云ふべし。

氏は幼にして聰明群に絶し、
村人常に氏の強記に驚く、
九歳にして郷儒小澤政美翁に薫陶を受け、
明治六年(1873)
磐前縣立惜陰學舎に入りて、
英學を修め、
明治九年(1876)五月
笈を負うて東京に遊び慶應義塾に入る。
當時氏は學資裕かならず。
殆んど書籍を購ふこと能はざりしに拘らず、
學業常に儕輩を抜き、
日本郵船會社重役吉武誠一郎氏と伯仲し
尾崎行雄、犬養毅氏等皆同窓なり。

明治十一年(1878)十二月
塾を卒業するや、
氏は敎育界の人たらんとの希望ありしに、
雪池先生の勸めによりて

横濱丸善商店に入り、
輸出入業に從事し、
此處に一年餘を過し、

更に東京丸善本店に轉じ、
出版部支配人となる。
氏が斯業に手腕を有することは
既に此時代より現はれたり。

當時故小野梓氏が
其著『國憲汎論』を刊行せんとせしに
何(いず)れの書肆も之を諾するものなかりしかば
氏は進んで之を引受けて出版し、
忽ちにして洛陽の紙價を貴(たつと)からしめたり。

【國憲汎論 上巻 第一章~第十六章】
著者    小野梓 著
出版者   小野梓
      丸家善七 (発売)
出版年月日 明治15年(1882)12月出版
      明治16年(1883)7月再版
明治十五年七月三十一日版權免許
明治十五年十二月出版
明治十六年七月再版
著述并出版人 東京府平民
       小野 梓
       府下北豊島郡地方橋場町千三百八十番地
印行并發賣人 東京府平民
       丸家善七
       府下日本橋區通三丁目拾四番地
p148【國憲汎論 上巻 第一章~第十六章】
〔画像〕p148【國憲汎論 上巻 第一章~第十六章】
【國憲汎論 中巻 第十七章~第三十一章】
著者    小野梓 著
出版者   相良剛造
      集成社書店 (発売)
出版年月日 明治19年(1886)9月再版
明治十五年七月三十一日版權免許
明治十六年四月    出版
明治十九年九月 十五日再版御届
明治十九年九月    再版
著 者 故人 小野 梓
出版人 相良剛造
    府下北豐島郡千四百十一番地
發 兌 集成社書店
    府下神田小川町拾番地

後ち氏が同社を辭するに臨み
丸善は賞與株券を贈りて
氏の功を表彰せりと云ふ。

明治二十年春(※明治19年[1886]1月11日)
小野梓氏物故すると共に
其經營に成る東洋舘は遂に倒産せんとせしかば、
氏は牟田口元學、藤田茂吉等の諸氏と謀り、
同舘の整理に任じ
之を集成社と改め、
自ら其社長となりて業務の擴張を圖り、
出版業の傍ら外國書籍の直輸入業を開始し、
大(おほい)に其頽勢を挽回するを得たり。

氏が今の商業會議所の前身たる
東京商工會會員として
書籍商組合を代表したるは此時代なり。

次いで明治二十三年(1890)議會開設に當り、
氏は暫らく政治界に入りて奔走し、
集成社の前身東洋舘が
大隈伯に深き關係を有したるを以て
伯の知遇を得、
福島縣の候補者として
初めて逐鹿場裡に打つて出でしも
遂に失敗に了りたり。

此後集成社を閉じて新聞社を創設し、
曩には日曜新聞を起し、
次いで毎朝新聞に更め
前後一年半にして癈刊するに至りぬ。

後ち明治三十六年(1903)三月始めて
福島縣より選出せらるゝに至りたり。
氏は性眞摯にして創始の才に富み、
其人と接するや、
牆壁を設けず、
常に語つて曰く、
友は多きを求めずと、
是れ氏が
『余は多くの無益なる友を有するよりは
 少數有爲なる友を求む』
の主義に依るもの也。

氏の著書中
經財學平權論、
政學原論
最も著はる。
明治四十二年六月 十日印刷
明治四十二年六月十五日發行 定價金拾貳圓
編纂兼發行者 三田商業研究會
       東京市芝區三島町二番地
右代表者   野依秀一
       東京市芝區三島町二番地
印刷者    手塚猛昌
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
印刷所    東洋印刷株式會社
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
發行所    實業之世界社
       東京市芝區三島町二番地
       電話新橋四八〇四番
       振替貯金口座三四三三番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2025年01月01日05:00
《小野梓著》【國憲汎論】東洋館書店 出版:明治18年(1885)
明治十五年七月三十一日版權免許
明治十八年九月    出版
著述兼出版人 小野 梓
       東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地
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《兵頭武郎》大映映画(株)京都撮影所監査役【京都年鑑 1977年版】

【京都年鑑 1977年版】
出版者   夕刊京都新聞社
出版年月日 1976.12
p1【京都年鑑 1977年版】
〔画像〕p1【京都年鑑 1977年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/1

大映映画(株)京都撮影所
所在地 京都市右京区太秦多薮町14
    〒616 電話861-1161~9
設 立 昭和49年9月
資本金 2億円
本 社 東京都調布市小島町602
    〒182 電話0424-82-1151(代)
営 業 映画 TV その他 映像関連事業
役 員 社長 徳間康快
    専務 武田 敦
       並河 敏
    常務 金丸益美=京都撮影所長
    取締 大平 洋
       松丸謙一
       山下辰巳
       鈴木繁実
    監査 兵頭武郎
幹 部 溝口勝美=次長 京都撮影所
    小池清茂=部長 スタジオ経営
    太田雅二=課長 総務
    小林正雄=企画室長
    原田国一=課長 製作
    斉藤良明=課長 営業
    上田春夫=課長 総合サービス
業 務 「わが青春のとき」
    「金環蝕」
    「君よ憤怒の河を渉れ」
    「天保水滸伝・大原幽学」
    「ひとごろし」
    「妖婆」を製作
    TV映画 CFの受注製作
銀 行 京都 三井
決 算 8月
従業員 271名(うち京都96名)
事業所 営業 東京 札幌 名古屋 大阪
    工  東京都調布市
p259【京都年鑑 1977年版】
〔画像〕p259【京都年鑑 1977年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/259
京都年鑑 1977年版(昭和52年)
定価 4,000円
昭和51年10月25日印刷
昭和51年11月1日発行
編集兼発行人 原 在修
発行所    株式会社 夕刊京都新聞社
       京都市中京区烏丸通二条上ル
       電話(075)231-1101(代)
       振替口座 京都25916
印刷所    株式会社 石田大成社印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/368
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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徳間事業団第1回ソ連視察団(団長 兵頭武郎営業部長)1970(昭和45)年8月22日【日本出版クラブ三十年史】1987

【日本出版クラブ三十年史:戦後出版史への一証言】1987
著者    小宮山量平 編
出版者   日本出版クラブ
出版年月日 1987.2

p3【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p3【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/3

日本出版クラブ維持員(昭和六十一年八月現在)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/71
日本文芸社  兵頭武郎
p72【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p72【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/72

1970(昭和45)年 8月22日
徳間事業団第1回ソ連視察団
(団長 兵頭武郎営業部長)
p152【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p152【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/152

1970(昭和45)年 10月21日
クラブ杯 第10回出版役員ゴルフ会
(富士レークサイドCC)参加一六人
優勝 兵頭武郎(徳間書店)
p170【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p170【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/170
財団法人日本出版クラブ三十年史
一九八七年二月 初版一刷発行
定価七〇〇〇円
編 集 小宮山量平
発行者 武内 俊三
発行所 財団法人日本出版クラブ
    〒162 東京都新宿区袋町六番地
    電話03-260-5271(代)
印 刷 凸版印刷株式会社
製 本 凸版印刷株式会社
装 幀 工藤 強勝
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/203
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