《新垣善治》遺族ハ八重山郡石垣町字大川二八一番地ニ在リ【沖縄医生教習所記念誌】昭和4年

【沖縄医生教習所記念誌】昭和4年
著者    浜松哲雄 編
出版者   沖縄県医師同窓会
出版年月日 昭和4
 p2【沖縄医生教習所記念誌】昭和4年
p2【沖縄医生教習所記念誌】昭和4年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1031216/1/2
《新垣善治》 p102/151
明治十年(1877)
沖繩縣首里ニ生レ
明治三十二年(1899)三月
醫生敎習所第十期卒業後、
醫術開業試驗ニ及第シテ
開業醫タルノ資格ヲ得テ歸省。
八重山郡與那國村村醫ヲ拜命セシガ後
辭シテ同郡石垣ニ移轉開業、
ソノ後
病ヲ得テ間モナク逝去セリ。
時ニ大正六年(1917)、
行年恰モ四十歳。
 遺族ハ八重山郡石垣町字大川二八一番地ニ在リ。
 長男 政治君 當二十歳、
 目下 東都ニ於テ勉學中。
 長女 靜子  當十七歳、
 縣立第一高等女學校 第四學年在學。
 二女 八重子 當十四歳、
 登野城小學校高等科 第一學年在學。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1031216/1/102
昭和四年三月 二十日印刷
昭和四年三月二十五日發行 非賣品
發行人 沖繩縣醫師會同窓會
編輯人 濱松 哲雄
    沖繩縣那覇市若狭町二丁目二十六番地
印刷人 中澤藤太郎
    東京市本郷區春木町二丁目五番地
印刷所 中信堂印刷所
    東京市本郷區春木町二丁目五番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1031216/1/150
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《大蔵蔵之助=大久保逕三=大久保麑山》【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年

【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年
著者    赤松文二郎 編
出版者   中津小幡紀念図書館
出版年月日 昭和7
 p3【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年
〔画像〕p3【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/3
  五三、中津藩の分限帳
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/136
  小 性
一 高 百石
  三輪十大夫   柴山 義彌   大谷茂右衛門
一 高 拾人扶持
  奥平群兵衛   伊東宗兵衞   西谷 勘藏
  奥平前兵衞
  大久保藏之助  奥平貞之助   瀨澤澄右衞門
  瀧澤 傳藏   坪坂 豐八
 p141【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年
〔画像〕p141【扇城遺聞:郡誌後材】昭和7年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/141

 一四、野本雪巖父子の家譜
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/211
 一九、野本雪巖と倉成龍渚
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/220
 二四、水島均の事
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/227
 二八、野本萬春の事
野本萬春は眞城の次弟で
中津進脩館創始者野本雪巖の第三子である。
大二郎 字は耕
後に侍讀に進んだ人であるが、
多くは江戸藩邸に居住して居たので、
此の人の事蹟はあまり郷地では知られて居ぬは
遺憾である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/232

 九、進脩學校職員任免の事
  △大久保逕三
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/246
三五、大久保麑山先生紀念碑 中村敬宇 中津公園地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/396
 (三五)大久保麑山先生紀念碑 中村敬宇撰
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/411
昭和七年十一月卅日印刷
昭和七年十二月五日發行
定價金四圓五十錢
送料書留(三十六錢)
編纂者 赤松文二郎
發行者 中里 眞淸
    中津小幡紀念圖書館代表者
    中津市一四九二番地
印刷者 漆島 梶夫
    中津市一七六九番地
印刷所 文化印刷社
    中津市一七六九番地
    電話二六七番
發行所 中津小幡紀念圖書館
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259733/1/429
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年03月26日09:39
[大久保麑山(げいざん)]略歴
文政八年十二月十一日の生まれです。
※1826年1月18日
文久元年(1861)藩学の鎗務となり、
文久二年(1862)陣道具奉行に昇り、
文久三年(1863)江戸に出役し、
文久四年(1864)六月教連歿し麑山国に帰る。
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《京都環境保全公社》埋立場の覆土利用のための仮置き場:船井郡京丹波町下大久保17番ほか13筆

 土砂等による土地の埋め立て等に関する標識
許可年月日
 令和5年5月23日
許可番号
 京都府南丹保健所指令5南保環第109号の15
土地の埋立て等の目的
 埋立場の覆土利用のための仮置き
土地の埋立て等を行う場所の所在地
 船井郡京丹波町下大久保17番ほか13筆
土地の埋立て等の許可を受けた者
 京都府船井郡京丹波町下大久保中ノ谷17
 株式会社アースソイル
 代表取締役 山田 潤
土地の埋立て等を行う期間
 令和5年5月23日から
 令和7年7月31日まで
埋立て等区域の面積
 83,242.76㎡
施行管理者の氏名
 京都府船井郡京丹波町下大久保中ノ谷17
 株式会社アースソイル
 代表取締役 山田 潤
アースソイル調整池-1
〔画像〕アースソイル調整池-1

重要開発調整池の名称
 アースソイル調整池
重要開発調整池所有者等
 株式会社アースソイル
連絡先  0771-88-0270
構 造  フィルダム式
設置年月日 令和5年10月31日
アースソイル調整池-2
〔画像〕アースソイル調整池-2

アースソイル調整池-3
〔画像〕アースソイル調整池-3
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許可業者一覧(令和6年3月31日時点)
氏名又は名称 株式会社アースソイル
住所     京都府船井郡京丹波町下大久保中ノ谷17番地
許可日    R5.5.23
位置     船井郡京丹波町下大久保17番ほか13筆
目的     仮置き
面積/㎡   21,737
期間     R5.5.23~R7.7.31
 許可業者一覧(令和6年3月31日時点)京丹波町〔画像〕許可業者一覧(令和6年3月31日時点)京丹波町
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年12月05日18:47
《(株)京都環境保全公社》産業廃棄物の埋立処理
―その現状と課題―中島晃(弁護士)【国土問題 (31)】1985-07
[京都新聞]
京都府北部の処分場から「PFAS」
目標値2倍近い放流水「当社が原因の一つと認識」
2024年12月5日 5:45
秋田久氏、湯沢宏志、町塚葵
京都府福知山市と京都府京丹波町の猪鼻川で
国の暫定目標値を超える
有機フッ素化合物(PFAS)が検出された問題で、
上流域にある産業廃棄物処分場の放流水から
目標値の2倍近いPFASが検出されたことが分かった。
処分場を運営する
 40f0fb0c
〔画像〕40f0fb0c

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2024年12月09日06:00
《京都環境保全公社》産業廃棄物処理場の建設・
瑞穂町(現・京丹波町)【京都府町村会七十年史】1991
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《大久保蔵之助》手前抱御中間【中津藩:歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989

【中津藩:歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989
著者    半田隆夫 解説・校訂
出版者   中津市立小幡記念図書館
出版年月日 1989.3
 p3【歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989
〔画像〕p3【歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/3

 江戸家中分限帳
 享和三癸亥年(1803) 五月
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/40

一、高拾人扶持  大久保蔵之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/47

一、壱人扶持   大久保蔵之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/51

  手前抱御中間壱人ツヽ
一、金壱両 壱人扶持ツヽ 丸印之分ハ半高也
   三割五分増  百石已上ニ付
  〇菅沼孫右衛門
   梅田 康哉
   野本 友蔵
  〇竹下茂兵衛
   原岡 平泉
  〇菅沼新五右衛門
  〇大江 雲澤
   大久保蔵之助
   日下田三應
   村上 玄秀
   西  周哲
   山崎半左衛門
  〇阿部 善菴
   村田 淳良
   菅沼牧右衛門
   平井喜右衛門
   天野 尚賢
   水嶋六兵衛
   山口廣右衛門
   棟形忠太夫
   大西 僊舟
   津田 範晋
   跡部半右衛門
 p52【歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989
〔画像〕p52【歴史と風土 第9輯 (中津藩史料叢書)】1989
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/52
中津藩史料叢書
中津藩 歴史と風土 第九輯
一九八九年三月一日 非売品
校訂解説 半田隆夫
企画   中津藩政史料刊行会
     (会長 嶋 通夫)
発行   中津市立小幡記念図書館
     (館長 和泉英男)
     大分県中津市殿町一三八五
     (TEL〇九七九(二二)〇六七九)
     銀行口座 大分銀行中津市役所出張所
     普通〇〇〇〇六七五
     収入役 職務代理者・桧原直彦
     (郵便振替口座 下関四ノ一九七〇八)
印刷   増永印刷所
     福岡県大牟田市大字歴木二八八
     (TEL〇九四四(五二)二八七六)
     (FAX〇九四四(五二)二八七一)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776209/1/169
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年03月26日09:39
[大久保麑山(げいざん)]略歴
文政八年十二月十一日の生まれです。
※1826年1月18日
文久元年(1861)藩学の鎗務となり、
文久二年(1862)陣道具奉行に昇り、
文久三年(1863)江戸に出役し、
文久四年(1864)六月教連歿し麑山国に帰る。
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《大久保蔵之助》極難ニ付、銀札百匁被下候事:嘉永6年(1854)12月23日【歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988

【中津藩:歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988
著者    半田隆夫 解説・校訂
出版者   中津市立小幡記念図書館
 p3【歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988
〔画像〕p3【歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/3

出版年月日 1988.3
   嘉永元(1848) 申
       傳
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/112
一、同日(11月24日)※1848年12月19日
  大久保蔵之助在宅願被 仰付、申傳候事
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/114

   嘉永四(1851) 亥
       傳
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/117
一、四月七日 ※1851年5月7日
  左之面々具足拝借致、
  品物御陣道具ヘ不相納、
  相納候様 被 仰渡、
  夫々申傳候事
  野口平三郎・跡部半右衛門・佐藤忠・
  奥平市郎・恩傳次郎・渡辺藤三郎・
  松平助太夫・大久保蔵之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/118

   嘉永三(1850)
   金銀出納
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/136
一、同日(9月24日)※1850年10月29日
  大久保蔵之助馬代拝借被 仰付候
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/138

   嘉永四亥年(1851)
   金銀出納之部
一、二月廿四日 ※1851年3月26日
  左之面々具足拝借被 仰付候事
   金五両 松平助太夫
   金六両 大久保蔵之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/139

   嘉永六(1854) 丑
   金銀出納
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/143
一、十二月廿三日 ※1854年1月21日
  大久保蔵之助極難ニ付、
  銀札百匁被下候事
 p145【歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988
〔画像〕p145【歴史と風土 第8輯 (中津藩史料叢書)】1988
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/145
中津藩史料叢書
中津藩 歴史と風土 第八輯
一九八八年三月一日 非売品
校訂解説 半田隆夫
企画   中津藩政史料刊行会
     (会長 嶋 通夫)
発行   中津市立小幡記念図書館
     (館長 和泉英男)
     大分県中津市殿町一三八五
     (TEL〇九七九(二二)〇六七九)
     銀行口座 大分銀行中津市役所出張所
     普通〇〇〇〇六七五
     収入役・木ノ下政利
     (郵便振替口座 下関四ノ一九七〇八)
印刷   増永印刷所
     福岡県大牟田市大字歴木二八八
     (TEL〇九四四(五二)二八七六)
     (FAX〇九四四(五二)二八七一)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9776141/1/170
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年03月26日09:39
[大久保麑山(げいざん)]略歴
文政八年十二月十一日の生まれです。
※1826年1月18日
文久元年(1861)藩学の鎗務となり、
文久二年(1862)陣道具奉行に昇り、
文久三年(1863)江戸に出役し、
文久四年(1864)六月教連歿し麑山国に帰る。
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《須知町安井航空研究所》大正時代の飛行機(丹波町曽根の民間飛行場にて)【新聞と写真にみる京都百年】1976

【新聞と写真にみる京都百年 (Green backs)】1976
著者    岡満男 編著
出版者   東洋文化社
出版年月日 1976
p3【新聞と写真にみる京都百年】1976
〔画像〕p3【新聞と写真にみる京都百年】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573247/1/3
大正時代の飛行機(丹波町曽根の民間飛行場にて)
p55【新聞と写真にみる京都百年】1976
〔画像〕p55【新聞と写真にみる京都百年】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573247/1/55
昭和17年(一九四二) 4月
「京都日出新聞」「京都日日新聞」が合併して
「京都新聞」発足
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573247/1/116
新聞と写真にみる 京都百年
昭和51年4月5日発行
編著者 岡  満男
発行者 中西 利雄
印刷 株式会社 同朋舎
製本 昭栄堂製本印刷株式会社
発行所 株式会社 東洋文化社
    京都市右京区下刑部町14
    電話(075)881-3210(代)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573247/1/120
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年04月15日04:28
〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所]
[開場記念写真帖]大正11年11月
飛行機を囲む多数の人々
p06[須知町安井航空研究所]
〔画像〕p06[須知町安井航空研究所]

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年02月03日06:00
PDF[須知町安井航空研究所]
[開塲記念寫眞帖]大正11年11月
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《京都環境保全公社》産業廃棄物処理場の建設・瑞穂町(現・京丹波町)【京都府町村会七十年史】1991

【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
著者    京都府町村会 編
出版者   京都府町村会
出版年月日 1991.11
 第12回京都府町村長OB懇親会(平成3年6月7日 楠荘)
  瑞穂町 畠中正二
p13【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
〔画像〕p13【京都府町村会七十年史】平成3年(1991)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/13


 産業廃棄物処理場の建設・瑞穂町(現・京丹波町)
昭和五十四年(1979)七月、
京都府農業開発公社が
船井郡瑞穂町に所有している山林を、
京都産業サービスに転売する話が持ちあがる。

京都産業サービスは、
昭和四十九年(1974)七月
京都の主要企業三七社が
産業廃棄物の処理を目的に設立した会社で、
昭和五十二年(1977)三月には
株主が三社増えて四十社になっていた。

京都府農業開発公社が所有している山林は、
瑞穂町鎌谷奥の二〇・七三五ヘクタールと
天田郡三和町に近い
瑞穂町戸津川地内の三五・九二ヘクタールで、
これらの土地はかつて
地元の梅田財産区と三ノ宮財産区が
所有していたものであるが、
小学校の改築や公民館の建設などに
資金が必要となり、
昭和四十八年(1973)春
京都府農業公社への売却話がまとまった。

しかし、その直後におきた石油ショックで
土地ブームが終わり、
公社側が正式契約の調印に難色を示したため、
瑞穂町が五年を期限に公社が農業用地として
開発できない場合には
財産区が損失補償をするという内容の契約を交わし、
翌昭和四十九年(1974)九月にそれぞれ
一億二五〇〇万円と一億七五〇〇万円で
公社に売却した。

地元ではこの山林を公社が茶畑や桑畑として
開発してくれるものと期待していたが、
もともと農地に不向きな土地であった上に、
売却価格が当時としてはかなり高い値であったから、
その後の不況で転売先も見つからなかった。

昭和五十四年(1979)五月、
公社は長期保有地の売却を決定し、
産業廃棄物処理場用地の確保に苦心していた
京都産業サービスが買い取り相手として
浮上したわけであった。

当初、転売話が進んだのは、
梅田財産区が所有していた
鎌谷奥の二〇ヘクタール余であった。

町内に産業廃棄物処理場が建設されれば
環境が汚染される心配があり、
それを拒めば先の損失補償契約により
京都府農業開発公社から利子をふくめた
多額の金で土地の買い戻しを迫られる。

地元が得た土地代金は一部を残して
既に施設の建築費に消えていたので、
この問題の対応に苦慮した。

こうしたことから、
昭和五十四年(1979)十月二十日
鎌谷奥地区で、町、財産区、農業開発公社、
府の担当者が出席して説明会が開かれたのをはじめ、
関係する八つの地区でも順次同様の会合が催された。

町では問題の解決には処理場の建設を
受け入れるしかないとの方針でのぞんだが、
鎌谷奥は土師川の最上流にあって
梅田財産区全域がほぼその流域になることから
地元住民が建設反対期成同盟を結成したほか、
下流の三和町でも反対運動に火がついた。

昭和五十五年(1980)九月、
三ノ宮財産区の公社問題対策委員会から
産業廃棄物処理場用地として、
町内の三地区を候補地とする案が提示され、
畠中正二町長はそのうちの猪鼻地区が
適地であるとの意向を表明した。

これによって問題が急転回し、
猪鼻地区ではたびたび区民集会を開いて
対応を協議した結果、
昭和五十六年(1981)一月二十一日夜の区民総会で、
産業廃棄物処理は京都府が公社を設立して行う、
冠石峠の鉛工場問題を解決する、
指定品目以外は搬入禁止にする、
輸送道路の全面拡幅改良、
水質や土質の恒久的な検査、
地域の振興に協力する、
など八項目の条件付きで、
処理場の建設を認める方針をかためた。

同月(昭和56年1月)二十三日の
瑞穂町臨時町議会でもこれを可決した。

昭和五十六年(1981)三月十九日、
地元と町、府、京都産業サービスの四者間で、
八項目の建設受け入れ条件について
大筋で合意した内容の確認書を交わし、
(昭和56年)四月十四日
予定地内でボーリング調査が始まった。

この間、三和町町議会は、
昭和五十五年(1980)九月二十五日、
産業廃棄物処理場設置反対請願を
全員一致で議決している。

昭和五十五年(1980)十二月二十四日には
三和町の町長と町議会議長が、
同町民から町長に提出された
三九〇〇人の反対署名を
林田由紀夫知事に手渡した。

また、瑞穂町の反対派住民が
梅田・三ノ宮両財産区と府農業開発公社が交わした
損失補償契約に関する訴えを起こしたり、
反対署名活動を展開した。

昭和五十六年(1981)五月、
京都産業サービスは、
京都府と京都市から出資と役員を受け入れて、
京都環境保全公社と社名を改めた。

同年(昭和56年)八月
三和町は産廃問題対策協議会を発足して、
処理場建設反対の態度をやや軟化させる。

一方、瑞穂町と三和町の反対派住民ら五〇〇人は、
同年(昭和56年)九月十二日
総決起集会を開いた。

同年(昭和56年)十一月二十二日と二十三日には、
反対派による初の環境アセスメントが実施された。

昭和五十六年(1981)十二月七日に開かれた
猪鼻区の区民総会で、
瑞穂町と京都環境保全公社が
公害防止協定を締結することに合意し、
これを受けて
同月(昭和56年12月)十日
府庁会議室で林田由紀夫知事、
野中広務副知事が見守る中、
畠中正二瑞穂町長と坂部社長が
一七条からなる協定書に調印した。

そして翌五十七年(1982)一月十二日には
林田由紀夫知事、坂部三次郎社長、
滝本三和町長の三者が、
六項目の協定書に調印し、
産業廃棄物処理場の建設に
大きく道が開かれた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/236

同月(昭和57年1月)中、
京都環境保全公社は府園部地方振興局に
処理場の開発許可申請を、
府八木保健所(現園部保健所)に
産業廃棄物投棄申請をする。

その計画によると、
同公社は猪鼻地区の谷間
約二九ヘクタールのうち
約六・五ヘクタールに、
中間処理後の産業廃棄物を八年間で
約九万トン埋め立てるというものであった。

昭和五十七年(1982)三月十五日、
福知山、三和、瑞穂の一市二町の住民六一二人が、
処理場建設計画は事前調査が不十分で
公害の発生と住民の生命や財産に
重大な危険をもたらす恐れがある、
として公社を相手に、
建設差し止めを求める仮処分申請を
京都地方裁判所に提出した。

その審理の過程で、
公社側が提出した地質調査資料から
埋め立て予定地内に
四カ所の断層があることが判明する。

しかし公社側は危険性はないと主張し、
用地買収などに充てた
借入金の金利負担がかさむことを理由に、
同年(昭和57年)十月二十五日
「瑞穂環境保全センター」の起工式を行った。

反対派住民は抗議集会やデモ行進で対抗、
同年(昭和57年)十二月二日には
四五八人が公社を相手に、
処理場の建設差し止めを求める
第二次仮処分申請をした。

昭和五十八年(1983)二月から裁判所の調停で、
原告団と公社側が和解交渉を開始するが、
両者の主張には大きな隔たりがあり、
失敗に終わる。

その間にも工事は続行されて、
処理場の完成が近づいたため、
同年(昭和58年)七月五日
原告側は仮処分申請の内容を
「建設の差し止め」から
「工事の続行と完工後の操業開始の差し止め」
に変更する申し立てをした。

高さ一四・五メートル、
長さ七八メートルの埋立て用ダムは、
総工費約一〇億円(用地買収費を除く)をかけて、
同年(昭和58年)九月中にほぼ完成し、
公社は(昭和58年)十月八日に完工式を行うと発表。

ところがその矢先(昭和58年)九月二十八日、
台風一〇号が降らせた大雨で、
処理場の貯留槽から雨水が
あふれ出たことに反対派が反発し、
完工式と操業開始を中止して
施設の安全性について再点検せよと府に求めた。

しかし公社は
「瑞穂環境保全センター」の完工式を予定どおり行い、
その後、
雨水が処理場へ流入するのを防ぐ側溝の設置や
府道側のフェンスの取り付け工事を実施した。

年末から翌昭和五十九年(1984)一月にかけて、
京都地方裁判所で原告側及び公社側双方の代理人らが
再度和解交渉を進めた。

その結果、
①公社は同処理場の安全性確保のため
 科学的な地下水調査を実施し、
 そのデータを公表する、
②異常が認められれば公害などのため
 万全の措置をとる、
③埋め立てる廃棄物は安全無害なものに限る、
➃以上を条件に反対派住民側は
 処理場の設置と操業に同意する、
など四項目からなる和解条件で双方が合意に至った。

反対派住民側は
昭和五十九年(1984)一月三十日の総会で
この和解案を承認し、
翌(昭和59年1月)三十一日
京都地方裁判所で和解が正式に決まった。

同年(昭和59年)二月二日、
大雪の影響で予定より一日おくれて
「瑞穂環境保全センター」が操業を開始した。

当日に運び込まれた産業廃棄物は一一件、
一三〇トンであった。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/237
京都府町村会七十年史
平成三年十一月一日 発行
編集発行者 京都府町村会
 京都市上京区西洞院通下立売上ル
 京都府自治会館内
 電話〇七五(四四一)四七一三
      (四五一)四一五六
印刷 株式会社ぎょうせい
   東京都新宿区西五軒町四ノ二
   関西支社
   大阪市北区天満二ノ七ノ一七
https://dl.ndl.go.jp/pid/12739852/1/447
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《丹波町・瑞穂町・和知町》公害防止・環境保全等のための住民組織【環境白書 昭和51年版】【環境白書 昭和53年度版】

【環境白書 昭和51年版】
著者    京都府 [編]
出版者   京都府
出版年月日 [1976]
p1【環境白書 昭和51年版】
〔画像〕p1【環境白書 昭和51年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/1

表9-3 公害防止・環境保全等のための住民組織
(昭和50年10月1日現在)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/177
丹波町
富田公害対策委員会      井上 栄宏
昭和47年4月24日 160人    養鶏、開発公害反対

下山環境整備対策委員会    船越 幸雄
昭和47年4月28日 250人    養豚、開発公害反対

柳川染工進出反対同盟     南 勝太郎
昭和47年7月26日 170人    染色工場設置反対

瑞穂町
猪鼻冠石峠鉛再生工場     梅垣 辰治
公害対策実行委員会
昭和45年4月25日 110人    鉛公害

大朴公害対策実行委員会    上田縫次郎
昭和47年6月    25人    廃棄物

井脇開発対策委員会      保田 泰男
昭和48年6月    20人    水質汚濁

和知町中山地区公害対策委員会 仲井 辰男
昭和46年6月    33世帯   タングステン鉱山鉱排水公害

和知町小畑地区公害対策委員会 梅原  久
昭和46年6月    17世帯   タングステン鉱山鉱排水公害
p181【環境白書 昭和51年版】
〔画像〕p181【環境白書 昭和51年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9669761/1/181

【環境白書 昭和53年度版】
出版者   京都府
出版年月日 [1979]
p1【環境白書 昭和53年度版】
〔画像〕p1【環境白書 昭和53年度版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/1
丹波町
富田公害対策委員会      井上 栄宏 丹波町字
昭和47年4月24日 100人    養鶏、開発公害反対

下山環境整備対策委員会    山根  隆 丹波町字下山
昭和47年4月28日 250人    養豚、開発公害反対
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/203
丹波町
柳川染工進出反対同盟     南 勝太郎 丹波町字曽根
昭和47年7月26日 170人    染色工場設置反対

瑞穂町
猪鼻冠石峠鉛再生工場     梅垣 辰治 瑞穂町猪鼻
公害対策実行委員会
昭和45年4月25日 110人    鉛公害

大朴公害対策実行委員会    上田縫次郎 瑞穂町大朴
昭和47年6月    25人    廃棄物

井脇開発対策委員会      保田 泰男 瑞穂町井脇
昭和48年6月    20人    水質汚濁

和知町
和知町中山地区公害対策委員会 仲井 辰男 和知町中山
昭和46年6月    33世帯   タングステン鉱山鉱排水公害

和知町小畑地区公害対策委員会 梅原  久 和知町小畑
昭和46年6月    17世帯   タングステン鉱山鉱排水公害
https://dl.ndl.go.jp/pid/9670387/1/204
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瑞穂町猪鼻、三宮両地区公害対策委員会(梅垣辰治委員長)<住民と鉛工場、公害ゼロの誓約書>昭和45年【公害年鑑 1971年版】

【公害年鑑 1971年版】
出版者   環境保全協会
出版年月日 1971
 p3【公害年鑑 1971年版】
〔画像〕p3【公害年鑑 1971年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/3

次いで昭和45年9月11日に
京都府瑞穂町の地域住民が
中島金属株式会社猪鼻冠石工場との間で
締結したものがある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/128
1970年(昭和45年)の公害日誌
<住民と鉛工場、公害ゼロの誓約書>
人体,家畜,植物に有害となる物質は
一切ゼロであること――
京都府船井郡瑞穂町の住民は、
鉛工場と公害”ゼロ“を内容とする誓約書を
12日にとりかわした。
違反した場合は、即刻、工場を解体し移転する、
というきびしい罰則規定につき。
同町猪鼻、三宮両地区住民で組織している
公害対策委員会(梅垣辰治委員長、約80戸)と、
中島金属会社猪鼻冠石工場。(朝日,9月14日)
 p364【公害年鑑 1971年版】
〔画像〕p364【公害年鑑 1971年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/364
昭和46年5月25日印刷
昭和46年6月1日発行
定価 10,000円
編集並に発行 環境保全協会
 東京都港区南青山7-7-20-A1
 TEL・03-409-5175
https://dl.ndl.go.jp/pid/12094931/1/408
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京都府船井郡瑞穂町<住民と鉛工場で公害ゼロの誓約書>昭和45年【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971

【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】昭和46年(1971)
著者    谷口知平, 沢井裕, 淡路剛久 編
出版者   有斐閣
出版年月日 1971
p1【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p1【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/1

 <住民と鉛工場で公害ゼロの誓約書>
鉛や亜硫酸ガスなど
人体・家畜・植物に有害となる物質は
一切ゼロであること――
京都府船井郡瑞穂町の住民は、
鉛工場と公害”ゼロ“を内容とする
誓約書をとりかわした。

もし違反した場合は、即刻、
工場を解体し移転する、
というきびしい罰則規定つき。

誓約書をとりかわしたのは、
同町猪鼻・三宮両地区住民で組織している
公害対策委員会(約八〇戸)と
猪鼻地区にあるN金属会社猪鼻冠石工場。

同工場は、ことし三月、
猪鼻地区の山間部に五トンの炉をすえ、
古バッテリーなどから
月約一〇〇トンの鉛の再生を始めた。

公害対策委員会の一メンバーの話では、
ツンと鼻につく甘ずっぱいような
亜硫酸ガス特有のにおいがして
「このままではたまらない」ので、
工場の操業開始後まもなく
対策委員会を結成したという。

会社側も
「住民が反発するのは理解できる」
と話合いの姿勢を示して協議を続け、
「施設の改善が終わるまでは」
と、同工場は
(二五五頁へつづく)
p141【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p141【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/141
(二五二頁よりつづく)
操業を中止している。

そして、住民は“公害ゼロ”の条件のほか、
工場の事業内容の報告、
集じん装置の内容の公開、
原材料を解体した後の外箱・廃液・薬物の完全な処分、
地域住民や関係機関の立入検査や視察を認める、
被害を出した場合は補償する――
などを定めた誓約書を示し、
会社側は認めた。

工場の権利を第三者に譲渡した場合、
新たな経営者もこの契約書に拘束されるという
付則もあるきびしいもの。

現在の技術では困難といわれている
”公害ゼロ“の問題について、
住民側は
「日ごろの会社側の誠意や公害防止に取り組む姿勢も
 基準のひとつといえる。
 国の環境基準だけでは公害は防げない」
といっている。

住民側は、
この誓約書の効果をさらに確実なものにするため、
この誓約書を公正証書にしようと
いま検討を進めている。
(『朝日新聞』昭和45年9月14日)
p142【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
〔画像〕p142【公害の法律相談 (法律相談シリーズ ; 13)】1971
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/142
1971年10月20日 初版第1刷印刷
1971年10月25日 初版第1刷発行
編 者/谷口知平・沢井 裕・淡路剛久
発行者/江草忠允
発行所/株式会社 有斐閣
    東京都千代田区神田神保町2-17
印 刷/藤本綜合印刷株式会社
製 本/株式会社 高陽堂
https://dl.ndl.go.jp/pid/12006022/1/303
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