《(株)京都環境保全公社》最終処分場(瑞穂環境保全センター)公共関与による産廃処理施設【INDUST】1993-02

【Indust : journal of industrial waste disposal
 and resource circulation 8(2)(64)】
著者    「いんだすと」編集部 編
出版者   全国産業資源循環連合会
出版年月日 1993-02
月刊 産廃処理の総合専門誌
INDUST いんだすと 1993 2
平成元年10月5日第3種郵便物認可
平成5年2月1日発行(毎月1日発行)
VOL.  NO.2
特集/公共関与による産廃処理施設
p1【INDUST】
〔画像〕p1【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/1
(株)京都環境保全公社
概 要
所在地 京都市伏見区横大路千両松町126
目 的 当公社は、
    京都商工会議所、京都工業会が中心となり
    産業廃棄物専用の処理機関として、
    京都府、京都市の出資を受けて設立した
    第3セクターである。
    京都府内で発生する産業廃棄物の適正処理を推進し、
    京都産業界の支えとなり、
    さらに地域社会の環境保全向上に寄与する。
設 立 昭和49年7月
資本金 授権資本18億円
    払込資本15億400万円
事業内容 1. 産業廃棄物の中間処理
      (焼却処理、減容処理、コンクリート固化)
     2. 産業廃棄物の埋立処分

廃棄物処理施設の概要
1 中間処理施設(伏見環境保全センター)
  伏見環境保全センター中間処理場フロ-図
p18【INDUST】
〔画像〕p18【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/18

2 最終処分場(瑞穂環境保全センター)
〇所在地  船井郡瑞穂町字猪鼻小字冠石
〇面 積  29haの中埋立場約6.5ha
〇埋立量  約90万トン
〇主な施設 排水処理施設

〇処理対象廃棄物

〇廃棄物処理代金(円/kg)

〇処理実績
 平成2年度(平成元年10月~平成2年9月)
  埋立物 33,200トン
 平成3年度(平成2年10月~平成3年9月)
  埋立物 35,722トン
p19-1【INDUST】
〔画像〕p19-1【INDUST】

 最終処分場(瑞穂環境保全センター)平面図
p19-2【INDUST】
〔画像〕p19-2【INDUST】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1821866/1/19
INDUST いんだすと 2月号 通巻64号
     Vol. No.2
定価1部 1,100円(送料・消費税込み)
  年間 12,000円(送料・消費税込み)
平成元年10月5日第3種郵便物認可
平成5年2月1日発行
編 集 「いんだすと」編集委員会
発 行 (社)全国産業廃棄物連合会
    〒100 東京都千代田区永田町1-11-28
       (相互永田町ビル)
    電話 03-3593-0011(代)
発行人 太田忠雄
編集人 島田雅行
編集協力・製作 環境公害新聞社
    〒160 東京都新宿区四谷2-9
        田中ビル
    電話 03-3359-5371(代)
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「瑞穂環境保全センター」竣工式:昭和58年10月8日【生活と環境 28(12)(330)】1983-12

【生活と環境 28(12)(330)】昭和58年(1983-12)
出版者   日本環境衛生センター
出版年月日 1983-12
 p1【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
〔画像〕p1【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/1
京都府
京都環境保全公社が船井郡瑞穂町に建設した
産業廃棄物処理場
「瑞穂環境保全センター」の竣工式が、
(昭和58年)10月8日
植田副知事ほか150人が出席し行われた。
同センターは昨年10月から
10億3千万円の工費をかけて建設されたもので、
伏見環境保全センターで中間処理された
産業廃棄物を最終処分する施設。
また、竣工式と同時刻、
「汚水処理に問題がある」
とする反対派約200人が
センター近くで抗議集会、
デモ行進を行った。
 p23【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
〔画像〕p23【生活と環境 28(12)(330)】1983-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/23
  生活と環境
1983,VOL28,NO12(通巻330号)
  昭和58年12月号
 昭和58年12月1日発行
 定価650円 年間(前金)7,200円
発行人兼  三宅弘文
編集責任者
発行所   財団法人 日本環境衛生センター
      〒210 川崎市川崎区四谷上町10-6
      TEL 044-288-4896
      振替口座 東京5-13040
印刷所   有限会社 協立印刷社
https://dl.ndl.go.jp/pid/3443316/1/42
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(株)京都環境保全公社:大株主 日本新薬48千株 京都府45千株 京都市45千株【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】

【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
出版者   東京商工リサーチ関西支社
出版年月日 1986.9
(株)京都環境保全公社
〒612 伏見区横大路千両松町126
電話075(622)8080
設  立 昭和49年7月
営業種目 産業廃棄物
資本金  495,000千円(500円)
従業員  17名
代表者  坂部三次郎 大正12年生
役  員 専務 鈴木韶次郎
     取締 山脇 正勝
        園部 佳逸
        小谷 隆一
        立石 一真
        森川秀次郎
        森下  弘
        横地 節男
        植田 穂積
     監査 奥村 光林
        阿南 孝士
大株主  日本新薬 48千株
     京都府  45千株
     京都市  45千株
取引銀行 京都銀行、京都信用金庫、
     京都中央信用金庫(各本店)
     伏見信用金庫(大手筋)
販売先  京都産業界
業  績 決算 年1回
 決算期 売上高  利益   配当
58年9月  12,669 △254,764 ―
59年9月  44,496 △435,442 0%
60年9月 179,000 △450,000 ―
格付概評 A 京都経済4団体に所属の有力企業40社が、
     共同して産業廃棄物の処理を目的として設立、
     昭和65年より黒字転換が予測されている
p903【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
〔画像〕p903【東商信用録 近畿・北陸版 昭和61年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/11998468/1/903
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(株)京都環境保全公社 役員【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982) 【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)

【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
出版者   産経新聞年鑑局
出版年月日 1982.12
(株)京都環境保全公社
本 社 〒615 京都市右京区西京極大門町26
    電話(075)314-5390
資本金 4億9,500万円
設 立 昭和49年7月
事 業 産業廃棄物処理
大株主 京都府 京都市
役 員 社長 坂部三治郎
    専務 石井 正博
    取締 上西 亮二
       圓城 佳逸
       小谷 隆一
       木下  稔
       立石 一真
       野中 広務
       森川秀次郎
       森下  弘
       山川 常七
    監査 山脇 正勝
       栗林 四郎
       榊田喜四夫
p823【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
〔画像〕p823【産経会社年鑑 第17版】昭和57年(1982)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11998574/1/823
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【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
出版者   サンケイ新聞データシステム
出版年月日 1988.12
(株)京都環境保全公社
本 社 〒612 京都市伏見区横大路千両松町126
    電話(075)622-8080
〔伏見環境保全センター〕
〒612  京都市伏見区横大路千両松町126
〔瑞穂環境保全センター〕
〒622-03 京都府船井郡瑞穂町猪鼻字冠石
資本金 14億3,900万円
設 立 昭和49年7月
事 業 産業廃棄物処理
決算期 9月
年 商 3億6,700万円(昭和62年9月)
大株主 京都府 京都市
役 員 会長 森下  弘
    社長 坂部三次郎
    専務 鈴木韶次郎
    取締 片山 健三
       圓城 佳逸
       奥野 康夫
       小谷 隆一
       立石 一真
       森川秀次郎
       山脇 正勝
       西八条 実
    常監 中本 虎造
    監査 奥村 光林
       阿南 孝士
p906【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
〔画像〕p906【産経会社年鑑 第21版】昭和63年(1988)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12002694/1/906
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漢籍を大久保逕三(麑山)先生の門に學び【偉人和田豊治翁】大正14年

【偉人和田豊治翁】大正14年
著者    三木作次郎 著
出版者   三木作次郎
出版年月日 大正14
p2【偉人和田豊治翁】大正14年
〔画像〕p2【偉人和田豊治翁】大正14年
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/2

先生(和田豊治)は幼時、
漢籍を麑山大久保逕三先生の門に學び、
書道を川端楊坪先生に習はれた。

兩親の庭訓に加へて、
賢夫人と噂された
祖母藤子(とうこ)刀自の
親しき薫陶を受けて居たが、
明治十二年八月、
十九歳の時に嚴父を喪ひ、
翌年に至りて亦祖母に訣かれた、
是より先き先生は十五歳の頃より
中津藩の典醫村上長翁の家に寄寓し
藥局の手傳をなすの餘暇を利用して
市學校に通學せられた。
 ―略―
抑も此の市學校と云ふは明治四年の頃、
福澤先生が西洋文化鼓吹の爲めに
中津藩士島津祐太郎、桑名豐山、津田耕烟の
諸氏に内意を授けて
中津町三之丁(今の南部小學校の敷地)
に創設したもので、
當時に於ける關西唯一の英語學校であり、
慶應義塾とは經費を異にして居れど、
分校見たいなやうなものであつた。

初代の校長としては小幡篤次郎氏が就職せられ、
濱野定四郎氏其の後を襲かれた。
學級は初等、中等及び高等の三科に分ち、
先生(和田豊治)は高等科に在り
主として洋籍を研修せられたと云ふ。
p25【偉人和田豊治翁】大正14年
〔画像〕p25【偉人和田豊治翁】大正14年
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/25
大正十四年二月廿七日印刷
大正十四年三月 八日發行
編輯兼 三木作次郎
發行者 大分縣下毛郡中津町二二六九番地
印刷者 伊崎 開治
    東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所 株式會社 博文館印刷所
    東京市小石川區久堅町一〇八番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/983122/1/166
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《(株)京都環境保全公社》産業廃棄物の埋立処理―その現状と課題―中島晃(弁護士)【国土問題 (31)】1985-07

 京都新聞:京都府北部の処分場から「PFAS」目標値2倍近い放流水

【国土問題 (31)】1985-07
出版者   国土問題研究会
出版年月日 1985-07
 p1【国土問題 (31)】1985-07
〔画像〕p1【国土問題 (31)】1985-07
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/1


  産業廃棄物の埋立処理
  ―その現状と課題―
  中島 晃(弁護士)
<1. はじめに>

<2. 問題の発端と予定地区選定の経過>
(1)京都府のほぼ中央に位置する
丹波高原の兵庫県よりにある
京都府船井郡瑞穂町(現:京丹波町)に、
産業廃棄物埋立処理場(以下、産廃処理場という)の
建設計画がもちあがったのは
1979年(昭和54年)11月のことであった。

京都府農業開発公社が、
その5年前の1974年(昭和49年)に
瑞穂町(現:京丹波町)の
梅田財産区と三ノ宮財産区から
農用地開発を目的として買受けた土地を、
農用地の開発に失敗したために、
産廃処理場の用地として転売しようという
計画がもちあがったのである。

当時、梅田、三ノ宮の両財産区と
農業開発公社との間に取り交わされた
土地売買契約には、
買受けたときから5年以内に
農用地として開発できなかったときには、
財産区が売買代金に
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/34
5年分の利息をプラスした損失補償を支払って
土地を買戻す旨の損失補償契約が結ばれていた。

農地開発の失敗による農業開発公社の
赤字の穴埋めをはかるために、
京都府農林部の幹部は、
地元に直接乗り込んで損失補償契約をタテにして、
土地の買戻しか、
産廃処理場への転売かの二者択一を建ってきた。

(2)当初候補地にあがっていた
梅田財産区の鎌谷奥については、
梅田地域の住民が強く反対し、
産廃処理場への転売をあくまでも
承諾しなかったために、
鎌谷奥での処理場設置がゆきづまり、
候補地を他に求めざるをえなくなった。

その後、瑞穂町(現:京丹波町)のなかで
いくつかの候補地が物色されるなかで、
最終的に白羽の矢がたったのが
三ノ宮財産区の猪鼻であった。

当初は猪鼻地区でも区で反対決議がなされるなど
反対の声が強かった。

しかし、
産廃処理場の確保につとめていた京都府が、
当時の野中副知事を先頭に地元に乗り込み、
積極的に説得工作につとめるなかで、
最終的に1981年(昭和56年)1月、
猪鼻区が地区の条件整備に関する要望・意見を
対して受け入れを決定していった。

この設置受け入れ決定の背景には、
行政施策の立ちおくれのなかで
地域基盤が十分に整備されず、
このために過疎の進行におびえる
山村の焦りと苦悩がある。

(3)瑞穂町猪鼻が産廃処理場の
予定地に選定されたことは、
この問題をたんに瑞穂町だけの問題だけではなく、
瑞穂町に隣接する三和町さらには
福知山市域にまで広げることになった。

すなわち、
産廃処理場の建設予定地が
猪鼻川の最上流部に位置しており、
猪鼻川の河水は、
由良川水系の支流土師川に流入するところから、
土師川の清流に依拠して日々の暮らしを営んでいる
三和町、福知山市内等の住民に
産業廃棄物による水質汚濁等の
環境汚染について強い不安と危惧を
ひきおこすことになった。

これがやがて裁判闘争にまで発展する
大きな反対運動へと広がっていくことになった。

<3. 産廃処理場の計画概要>
(1)この産廃処理場の事業主体は、
産業廃棄物の処理・処分等を目的として
1974年(昭和49年)7月に
民間企業40社(株主名簿参照)の共同出資によって
京都産業サービス(株)の名称で設立され、
その後1981年(昭和56年)5月に新たに
京都府と京都市が出資し、
役員を派遣して社名も
(株)京都環境保全公社と変更した株式会社である。

 京都産業サービス株式会社株主名簿
 (昭和54年7月現在)(五十音順)
 京都産業サービス(株)株主名簿(昭和54年7月現在)
〔画像〕京都産業サービス(株)株主名簿(昭和54年7月現在)

この処理場は、
京都府船井郡瑞穂町(現:京丹波町)字猪鼻小字冠石
の谷間に建設される。

この谷間は、
由良川水系土師川の支流、
猪鼻川上流に位置しており、
瑞穂町(現:京丹波町)の北西、
五条山(標高568.5m)の北面と
府道大身下山停車場線に
はさまれた谷底面であり、
猪鼻川の最上流部にある。

(2)(株)京都環境保全公社作成の
「瑞穂環境保全センター環境影響調書報告書」
によれば、
建設計画の概要は次のとおりである。

計画概要  総面積29ha、
      そのうち埋立場の面積約6.5ha、
      埋立量約90万トン、
      埋立期間約8年
埋立対象物 京都府内で発生する産業廃棄物。
      直接埋立てるもの……
      土砂、がれき、もえがら、
      建設廃材、陶磁器くず、ガラスくず、
      金属くず、鉱さい等。
      1月当りの埋立予定量11,500トン、
      埋立量全体の約97%を占める。

      中間処理場で処理したのち
      埋立てるもの……
      汚泥、固形物等のもえがら、
      廃プラ、ゴムくず、
      汚泥類の無害化処理物等。
      1月当りの埋立予定量285トン、
      全体の約3%。
主な施設  埋立用ダム……
      埋立場の最下流部に、
      埋立て廃棄物の土留めのために
      埋立用ダムを設置する。
      排水処理施設……
      埋立場からの浸出水を処理して、
      清浄な処理水として放流するために
      排水処理施設を設置する。

<4. 廃棄処理場の建設禁止を求める仮処分の提起へ>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/35

<5. 産廃処理場計画の問題点>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/36

<6. 仮処分審理の経過と和解の成立>
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/37

<7. 結びにかえて―
   産業廃棄物処理をめぐる今後の課題>
(1)産業廃棄物処理の基本理念の確立
(2)現行の溶出試験と判定基準の抜本的再検討
(3)立地選定にあたっての住民合意の重視
(4)廃棄物の受入審査に関する公的審査制度の導入と
   搬入時チェックに対する住民監視システムの確立
(5)埋立地からの処理水の水質および
   地下水のモニタリングと住民監視
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/38
(6)公共関与における地方自治体の役割の
   重要性と住民運動
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/39
    昭和60年7月発行
発行所 国土問題研究会
〒604 京都市中京区二条通河原町西入ル
    南館3階
    TEL 075-241-1373
    振替 京都8-44858
https://dl.ndl.go.jp/pid/2692677/1/47
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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株式会社 京都環境保全公社
会社沿革
1974年 (昭和49年 7月)
京都産業サービス株式会社設立
民間出資企業 33社
1981年 (昭和56年 5月)
株式会社京都環境保全公社に商号変更
京都府・京都市の出資
1984年(昭和59年 2月)
瑞穂環境保全センター 最終処分場埋立事業開始
2004年 (平成16年 9月)
瑞穂環境保全センター 浸出水高度処理設備増設
2005年 (平成17年 7月)
瑞穂環境保全センター 最終処分場新埋立開始
2006年(平成18年 9月)
瑞穂環境保全センター ISO14001認証取得
2013年(平成25年 4月)
瑞穂環境保全センター 最終処分新埋立開始
2014年(平成26年 1月)
瑞穂環境保全センター新排水処理設備竣工
2024年(令和 6年 7月)
創立50周年記念事業(50年社史発刊)
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「丹波巡察記」船井郡四村:中臺村・新町村・質志村・三ノ宮村:天保11年3月【佐藤信淵】昭和18年

【佐藤信淵】昭和18年
著者    小野武夫 著
出版者   潮文閣
出版年月日 昭和18
 p1【佐藤信淵】昭和18年
〔画像〕p1【佐藤信淵】昭和18年
 第五章 信淵と皇國農村
    (「丹波巡察記」を讀みて)
     はしがき
茲に彼が天保十一年三月、※1840年4月
七十二歳の春、
伊達侯の推薦により丹波の綾部に赴き、
藩主九鬼侯の命に從ひ村内六十ケ村を巡回して
農村事情を調査したる手記を掲げたい。
 丹波巡察記
  上 巻
踏査村落
綾部藩 十二ケ村
  中 巻
踏査村落
山裏郷 十五ケ村
川合  六ケ村
船井郡 四ケ村(中臺村、新町村、質志村、三宮村)
 船井郡四村
〇中臺村
土性淡赭壤、
田方 四町九段七畝十一歩、
畑方 五町三段九畝九歩、
高  八十六石八斗三合、
家數 十三軒、
人別 五十一人
牛  七疋あり。

〇新町村
土性 中臺村に同じ、
田方 七段二十四歩、
畑方 七町八段四畝八歩
高  四十六石四斗八升七合、
家數 十一軒、
人別 三十九人
牛  二疋あり。
右二村は他領相給地所混雜して、
明に辨ずる事能はず、
故に物産の員數も審ならず。

〇質志村(しづしむら)
土性淡赭壤、
谷地は赤埴に壚を混ず、
田方 七町十歩、
畑方 九町九段二畝十三歩、
高  百十三石三斗六升、
家數 四十六軒、
人別 二百八人
牛  四十疋あり。
當村は田畑共に
冬は大麥小麥豌豆蠶豆等を作り、
夏は田に植ゑ、
畑には大豆、小豆、黍、稷、粟、稗、
麻、烟草、楮、漆、茶等を作て
少しく此を賣出し。
其の他種々菜類瓜茄子等を作り、
木綿も六町餘も作り、
蠶兒を飼ひ繭を得る事も七八貫に下らずと云ふ。

〇三ノ宮村
土性明神前黄壤、
奥谷の邊 赤埴に腐壚を混ぜり、
田方 十三町九段九畝四歩、
畑方 六町二段二畝 歩、
高  二百三石九斗四升六合、
家數 三十四軒、
人別 百五十七人
牛  二十三疋有り。
當村は土地肥沃に百姓能く農事を勤るを以て、
種々産物の員數質志村に伯仲す、
且つ近年茶を作る事上手に爲りて、
此村にて製する茶は牛一駄、銀五十匁以上なり、
年々十二三駄を出す、
木綿も六七町作り、
繭も八十貫以上を得べし。

此村に古城跡あり、
昔 享祿天文の頃、
山内某此に居れり、
今其の子孫山内三郎兵衞代々の當村の庄屋たり、
武鑑に土州侯の始祖は
丹州三ノ宮城主山內孫次郞と記せり。

然れども予藩翰譜を按に、
土州侯始祖始めて信長に仕へられたる時の
貧寠なりしを見れば、
三郎兵衞が庶流なるかと思はれる。
何にもせよ、
山内が家は貴人の出たる家にて目出度と云ふべし、
今三郎兵衞も母に事へて孝あり、
且つ能く義に勇む事篤く、
名家の裔にて一人物なり。

右船井郡四村、
田方 二十六町六段八畝餘、
畑方 二十九町三段八畝、
高  四百五十三石八斗三升餘、
家數 百三軒
人別 四百五十五人
牛  二十七疋あり。

此郷土地小なりと雖ども、
救民積金の多くなり、
上は三郎兵衞に命じて
他領百姓に貸し付て利倍せしむるに宜し。
泉源法の積金も既に大金と爲るに及んでは、
御領内には貸し付くべき處なし、
三宮は貸し付役所を立るには
最も樞要の地なりと知るべし。
(出版會承認 い110180番)
 佐藤信淵 〔五、〇〇〇〕
著者略歷
法政大學卒業。法政大學敎授。農學博士。
昭和十八年七月十五日 印刷
昭和十八年七月廿五日 發行
定價 二圓
印刷、製本特別行爲税發行所負擔
著 者  小野武夫
編輯者  高島政衞
兼發行者 東京市小石川區小日向臺町一ノ四一
發行及  合資會社 潮文閣
發賣所  電話大塚(86)六二四八・六四三五
     振替東京一七、四四三番
     會員番號一七、五〇六番
印刷所  帝都印刷株式會社
     代表者 長谷川謹士
     (東東二一三番)
     東京市板橋區板橋町三ノ六四
配給元  日本出版配給株式會社
     東京市神田淡路町二ノ九
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※上記と同一
【綾部市史:史料篇】1977
著者    綾部市史編さん委員会 編
出版者   綾部市
出版年月日 1977.1
 綾部藩九代藩主 九鬼隆都
  巡察記
 p8【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p8【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/8
  巡察記 解説
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/311
  巡察記 中
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/319
船井郡四村
〇中台村
〇新町村
〇質志村
〇三ノ宮村
 p326【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p326【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/326

 p327【綾部市史:史料篇】1977
〔画像〕p327【綾部市史:史料篇】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573786/1/327
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京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
佐藤信淵像(模本)
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「西三ノ宮城」跡、東麓の道一つ隔てた所に「東三ノ宮城」跡【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984

【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
著者    [丹波内藤会 編]
出版者   [丹波内藤会]
出版年月日 1984.7
 p1【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
〔画像〕p1【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/1

三ノ宮城 145
①船井郡瑞穂町三ノ宮
②③――
④山内孫太郎久豊
⑤山城
⑥本丸・石垣・井戸
⑦八〇m×一八m、標高二八〇m、比高三〇m
⑧―
⑨『丹波誌』『船井郡誌』

三宮小学校の裏、※現:金木犀(特養老人ホーム)
忠魂碑の右側から尾根道を上ると
「西三ノ宮城」跡があり、
東麓の道一つ隔てた所に
「東三ノ宮城」跡がある。

後者は見張台のような役割を
果たしていたものと思われる。
 三ノ宮城址・三ノ宮西城址
〔画像〕三ノ宮城址・三ノ宮西城址[Googleマップ]

町 立 三ノ宮小学校
不断寺 芦田哲雄
 郷土誌「三ノ宮」昭和56年発行
〔画像〕郷土誌「三ノ宮」昭和56年発行

『丹波誌』によると、
当城は山内孫太郎久豊の拠った城で、
山内三郎兵衛宅の背後にあり、
石垣跡・井戸跡もあるといっている。

また貝原益軒の『西北紀行』には、
「山内村あり、
 ※山内村あり。
 是土佐守山内氏の祖先の住めりし所なりと云ふ。
 ※是土佐大守山内氏の先祖の住めりし所也と云。
 此の辺茶種多し。
 ※此邊藥種おほし。
 沢瀉を田にうゑて利とす」とある。
 ※澤瀉を田にうへて利とす。
※【日本紀行文集成 第1巻】1979:下記
  諸州めぐり 西北紀行 巻之上
  貝原篤信記
  https://dl.ndl.go.jp/pid/12458164/1/66

本丸の北側には空堀があり、
それが竪堀となって下方まで続いている。

いまでは普断寺(※不断寺)との間が
道路で切断されてしまったため
旧観は失われてしまった。
なお、城主の子孫といわれる家が残っている。
 p77【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
〔画像〕p77【丹波内藤氏諸記録 第5集】1984
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/77
 丹波内藤会会員名簿
 (船井郡内)
内藤秀治 京都府船井郡丹波町須知新町41
     07718-2-0605
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/145
丹波内藤氏諸記録(第五集)
昭和五十九年七月発行
発行者 内藤  洋
    京都府船井郡日吉町胡麻
編集者 内藤元晴
    京都府船井郡園部町熊崎
編集者 内藤義一
    京都府船井郡日吉町志和賀
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575601/1/147
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【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
著者    貝原篤信 記
出版者   茨木多左衛門
出版年月日 正徳3 [1713]
 p11【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
〔画像〕p11【西北紀行 2巻】正徳3 [1713]
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三ノ宮城(三ノ宮村):山の内甚右衛門、弟小太夫等居住【山内首藤氏史料 第1巻】1967

【山内首藤氏史料 第1巻】1967
著者    前田泰男 編
出版者   前田泰男
出版年月日 1967
 p1【山内首藤氏史料 第1巻】1967
〔画像〕p1【山内首藤氏史料 第1巻】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/1

八 丹波 山内首藤氏族で
     系圖等は第一八項及び第九項参照。

  船井郡橋爪城(橋爪村)
  主に山内伊勢守通意あり、
  その一族山内將監通倫は、
  丹後與謝郡水部氏の聟となり、
  本庄・菅野両城主となる。
  また三ノ宮城(三ノ宮村)は
  山の内甚右衛門、弟小太夫等居住した。

  丹波志の
  天田郡條に
  「山内氏・子孫友淵村。紋丸に三ッ柏、
   赤井浪人と言ひ傳ふ。
   古家と雖、古の塚無し」、
  「山内氏、子孫河合村上河合、日向側坪ノ内に住す」

  氷上郡條に
  「山ノ内氏・大河村。
   古家、山の内甚右衛門、弟小太夫の貳人、
   船井郡三の宮城主也。
   浪人にて來住す」。
 p46【山内首藤氏史料 第1巻】1967
〔画像〕p46【山内首藤氏史料 第1巻】1967
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/46
昭和四十二年七月三十一日印刷
呉市東片山町六八
前田泰男
https://dl.ndl.go.jp/pid/1708326/1/72
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《小峰菊次郎》丹波町高岡出身・戦後 船井教員組合の執行委員長【親が子供に語る丹波の村落史】1983

【親が子供に語る丹波の村落史】1983
著者    湯浅貞夫 著
出版者   [湯浅貞夫]
出版年月日 1983.3
p3【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p3【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/3

p8【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p8【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/8

昭和初年に西本梅小学校には
小峰菊次郎という校長があった。

この人は今の丹波町高岡の出身で、
京都師範を卒業し
京都市梅屋校の校長や京都府視学となった人だが、
昭和十年頃は西本梅校長を務めていた。

戦後船井教員組合の執行委員長を務め
社会党の府会議員となった。

この人の伯母が野々口鶴之助の妻として
竹野から埴生に嫁して来ていた。
p60【親が子供に語る丹波の村落史】1983
〔画像〕p60【親が子供に語る丹波の村落史】1983
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/60
親が子供に語る丹波の村落史
印刷・発行 1983年3月20日
著者 湯浅貞夫
編集 日本機関誌協会京滋地方本部
協力 京都市上京区新町丸太町上ル春帯町350
   TEL 075-231-3048
印刷 (株)京都機関誌印刷センター
   TEL 075-211-4651  1400円
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575445/1/120
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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京都新聞
応仁の乱ごろ、京都中部に築かれた城があった 
ポンプ倉庫から発見、古文書まとめた歴史冊子
2024年12月1日 7:00
町塚葵
京都府京丹波町高岡の下村地区の歴史を、
地元の男性が冊子にまとめた。
応仁の乱前後に築かれたとされる
高岡下村城跡の解説をはじめ、
地元の古文書をひもといて
幕末から150年余りの郷土史を年表にまとめた。
年中行事なども写真を交え、今に伝えている。

編集したのは小峰章司さん(68)。
2022年に区長を務めた際、
「地元の遺跡や変わりつつある伝統を後世に伝えたい」
との思いで資料探しを始めた。
 ―略―
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【京都府学事関係職員録  大正11年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村字高岡
校 長 竹野村字高岡  松本 幹治
訓 導 同       小峰菊次郎
同   高原村字豐田  新江田素男
同   同       上田 立治
同   須知町字上野  山崎 英一
同   竹野村字高岡  船越 なか
同   同       野田作之進
同   竹野村字水戸  岸本  好
學校醫 須知町字須知  蘆田 耕平

【京都府学事関係職員録  大正13年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村
校 長 竹野村字高岡  德田 靜一
訓 導 竹野村字高岡  小峰菊治郎
同   高原村字豐田  新江田素男
同   竹野村字高岡  上原 光枝
同   竹野村字新水戸 高山  末
同   竹野村字高岡  飯田  幸
代用  須知町字新町  佐名木鳳一
同   竹野村字水戸  野々村ヨル
實補  竹野村字高岡 野田作之進
學校醫 須知町字須知  芦田 耕平

【京都府学事関係職員録  大正14年】
出版者   京都府教育会
出版年月日 大正11-14
 ◎竹野尋常高等小學校 竹野村
校 長 竹野村     德田 靜一
訓 導 竹野村     小峰菊治郎
同   高原村     中南 義信
同   高原村     新江田素男
同   竹野村     佐井 三郎
同   竹野村     上原 光枝
同   竹野村     飯田  幸
實補  竹野村     野田作之進
學校醫 須知町字    芦田 耕平
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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