【講座日本映画 1 (日本映画の誕生)】1985
著者 今村昌平 [ほか]編
出版者 岩波書店
出版年月日 1985.10
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/3
夢声が出てきまして、
事務所で話したら、
あんたよけりゃここで働いてくれって、
映画の弁士になるならば、
五〇円出すというけど、どう?
そのころ東大出が四〇円でしょう。
「あんたミリオネアーの息子かなんか知らないけど、
どうせいまは あまり金は持ってないだろう。
五〇円あげるから、部屋を借りて、
福神漬で三度三度めしを食えば生きていけるよ、
しっかりやりたまえ」。
それが始まりです。
それで新春大興行、
福地悟朗という名前で出たわけです。
その時、私がしゃべったのは『特製鋼鉄人形』、
ワーナー・ブラザーズ作品、
主演マット・ムーアとマリー・プレボーでございます。
大正一五年、正しくは昭和元年一二月三一日。
『武蔵野周報』7巻1号 福地悟朗の名が見える
※『武蔵野週報』
〔画像〕p164-2【講座日本映画 1 (日本映画の誕生)】1985
―― 当時、暗くなったときに話を始めて、
引っ込んでしまうから、顔は見えないですか。
福地 見えません。まるっきり見えません。
後ろにカーテンがありまして、
カーテンをあけたときに薄く光線が入るんです。
その光線によって、夢声は蓬髪だったんです。
これがまことに芸術的に見えるんですよ。
もじゃもじゃの毛が。
それで大喝采があるわけですね。
長いシャシンですと三人でやる場合がある。
夢声とかわるときにも、
スッとカーテンをあけて説明台へ入ったときに、
そのカーテンの気配でお客は拍手を送るんです。
顔は全然見えない。
―― それの説明は全く即興といいますか、
原稿があったりなんかはしないのですか。
福地 タイトル・シーツというのをフィルムと一緒に、
各映画会社、フォックスとか、
パラマウントとかつけてくる。
そのタイトル・シーツを、
いまでいうアルバイト、
東大の英文科の学生諸君で
しょっちゅう遊びにきている連中が、
仲間を集めて翻訳している。
それをつけて、タイプで打ったやつをもってくる。
それをわれわれ一通り見て、
三階の小さなスクリーンで、
普通のスピードの三倍ぐらいの速さで
ブルルルルッと回す。
楽士さんと、私がしゃべるなら私と、
二人で見るわけです。
それで楽士と相談する。
このラブシーンはセレナーデの何を入れる、
ここは何を入れる、
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/164
いいでしょう、
というようなことで選曲をする。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/165
日本映画の誕生
講座 日本映画1(全7巻・第1回配本)
一九八五年一〇月二三日 第一刷発行
定価二八〇〇円
発行者 緑川 亨
発行所 株式会社 岩波書店
〒101 東京都千代田区一ツ橋2-5-5
電話03-265-4111
振替東京6-26240
印刷・凸版印刷 製本・永井製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/12437354/1/186
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