[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-06

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-06

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [020 井上 愛] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【日本眼科学会会員名簿】[第1冊]明治42年11月発行
日本学科学会 福岡医科大学眼科教室内
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900145/1
[020 井上 愛]
井上アイ 埼玉県大宮町 p3/27
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900145/3
[095 谷本 薫]
谷本薫子 淡路国津名郡浦村 p7/27
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900145/7

【日本眼科学会会員名簿】[第2冊]明治43年11月発行
日本学科学会 福岡医科大学眼科教室内
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900146/1
[020 井上 愛]
井上アイ 埼玉県大宮町 p3/28
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900146/3
[095 谷本 薫]
谷本薫子 淡路国津名郡浦村 p8/28
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900146/8
[151 島峰 イチ(菅野)]
菅野伊智子 東京市小石川区駕籠町51 p7/28
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900146/7

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-05

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-05

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [003 高橋 瑞] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【日本東京医事通覧】日本医事通覧発行所 明治34年11月13日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/503
[003 高橋 瑞]
高橋 瑞 (試験)21年11月登録 東京府士族 嘉永5年11月生
日本橋区元大工町9 p193/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/193
[004 本多 セン]
本田せん (試験)22年6月登録 埼玉県士族 元治1年4月生
荏原郡上目黒村952 p233/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/233
[007 丸茂 むね(深萱)]
深萱ムネ (試験)24年6月登録 山梨県平民 明治2年9月生
京橋区新富町6-5 p189/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/189
[009 間宮 八重]
間宮八重子 (試験)24年3月登録 東京府士族 慶応2年8月生
本郷区駒込東片町36 p213/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/213
[026 斉藤 かね]
新野カネ  (試験)25年12月登録 東京府平民 明治1年1月生
深川区洲崎町2 p232/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/232
[027 吉岡 弥生(鷲山)]
鷲山弥生 (試験)26年4月登録 静岡県平民 明治4年3月生
麹町区飯田町4-9 p184/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/184
[029 大村 のぶ(加賀美)]
加賀美ノブ (試験)27年3月登録 山形県平民 慶応3年6月生
深川区古石場町12 p231/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/231
[030 吉田 賢]
吉田ケン (試験)27年2月登録 群馬県平民 明治1年5月生
京橋区銀座町3-21 p188/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/188
[037 赤尾 鶴(天田)]
天田ツル (試験)27年7月登録 福島県士族 明治6年8月生
神田区鍛冶町4 p219/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/219
[039 高田 もと]
高田モト (試験)28年4月登録 東京府平民 明治1年7月生
日本橋区薬研堀町19 p193/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/193
[047 鈴木 ケイ]
鈴木ケイ (試験)30年9月登録 宮城県士族 明治4年1月生
牛込区矢来町56 p208/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/208
[051 中村 菊]
中村キク (試験)33年12月登録 埼玉県平民 明治1年2月生
下谷区竹町1 p223/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/223
[062 大槻 とき]
大槻登喜子 (試験)32年4月登録 兵庫県士族 明治3年10月生
浅草区地方今戸町14 p226/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/226
[069 高野 直]
高野直子 (試験)34年5月登録 富山県士族 明治13年8月生
神田区駿河台鈴木町2 高田方 p218/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/218
[077 篠田 せい]
篠田せい (試験)33年11月登録 新潟県平民 明治9年1月生
本郷区駒込浅嘉町75 p215/507
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833368/215

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-04

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-04

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [003 高橋 瑞] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【東京姓名録】編纂人兼発行人 瀬川甚太郎
明治33年10月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/258
医士之部 p67/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/67
[003 高橋 瑞]
高橋瑞 日本橋区元大工町9 p80/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/80
[007 丸茂 むね(深萱)]
深萱ム子 京橋区新富町6-5 p84/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/84
[009 間宮 八重]
間宮八重 本郷区駒込東片町22 p104/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/104
[027 吉岡 弥生(鷲山)]
鷲山弥生 麹町区飯田町9 p70/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/70
[030 吉田 賢]
吉田賢 京橋区銀座3-21 p82/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/82
[37 赤尾 鶴(天田)]
天田ツル 神田区鍛冶町4 p73/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/73
[039 高田 もと]
高田茂登 浅草区福井町1-17 p109/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/109
[047 鈴木 ケイ]
?鈴木 銈 牛込区市ヶ谷田町22 p94/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/94
[066 大槻 とき]
大槻登喜 浅草区地方今戸町107 p109/266
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779946/109

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-03

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-03

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [001 荻野 吟子] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【帝国医籍宝鑑】南江堂書店 明治31年8月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/409
[001 荻野 吟子]  東京府下谷区西黒門町22番地 p72/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/72
[002 生澤 クノ]  埼玉県入間郡川越町 p102/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/102
[003 高橋 瑞]   東京府日本橋区元大工町9番地 p63/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/63
[004 本多 セン]  静岡県田方郡中村 p125/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/125
[006 武生 房策]  福井県南条郡宅良村古本 p148/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/148
[007 深萱 ム子]  (岐阜県)東京下谷 丸茂学士方 p131/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/131
[008 飯島 リウ]  山梨県北巨摩郡津金村 p127/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/127
[009 間宮 八重子] 東京府本郷区東片町26番地 p72/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/72
[010 村山 巌]   岐阜県不破郡今須村 p130/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/130
(村上 巌)   岐阜県
[014 水沼 ナミ]  栃木県宇都宮町 p113/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/113
[015 右田 アサ]  島根県楯縫郡東福村 p154/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/154
[017 丸橋 ミツ]  静岡県富士郡吉原町 p125/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/125
[018 柏木 千代]  神奈川県足柄下郡小田原新玉町 p90/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/90
[019 菱川 ヤス]  神奈川県横浜市 p89/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/89
[020 井上 アイ]  埼玉県北埼玉郡大宮村 p103/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/103
[022 大丸 古宇]  神奈川県南多摩郡山田村 p90/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/90
[024 日野 歌]   宮城県仙台市宮町 p137/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/137
[027 鷲山 弥生]  東京府麹町区飯田町4丁目 p67/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/67
[028 村岡 亨]   愛知県葉栗郡浅井村 p122/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/122
[029 大村 ノブ子] 東京府赤坂区丹後町1番地 p69/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/69
[030 吉田 ギン]  東京府京橋区銀座3丁目21番地東仲道 p65/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/65
[030 吉田 ケン]  群馬県多野郡里見村 p105/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/105
[031 岡部 ツギ]  福井県金沢市高岡町 p148/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/148
[032 中村 徑]   岡山県和気郡西片上村 p157/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/157
[033 中原 蓬]   山口県佐波郡下宇野村 p162/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/162
[036 福井 シゲ]  岡山県 p157/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/157
[037 天田 ツル]  福島県北会津郡若松新種町 p140/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/140
[041 乾 ヤエノ]  島根県島根郡西川津村 p154/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/154

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-02

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-02

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [001 荻野 吟子] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【日本医籍】内務省衛生局 忠愛社 明治22年8月8日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/241
[001 荻野 吟子]  東京府下谷区上野西黒門町 p14/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/14
[002 生澤 クノ]  埼玉県入間郡川越町 p55/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/55
[003 高橋 瑞]   東京府日本橋区元大工町 p8/246
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780081/8

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-01

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪書籍別・資料≫-01

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [001 荻野 吟子] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

【東京府内区郡分医師住所一覧】英蘭堂支店 明治18年12月25日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779964/52
[001 荻野 吟子] 住所 本郷区湯島三組町84番地 受験地名・東京府 p33/57
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779964/33

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部

小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部

叔父:小川清久(母 小野文子の弟)
大正12年(1923)3月29日生
平成8年(1996)12月25日歿 73歳

生誕:支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎
   大連市山縣通205番地 海関官舎
   大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
   大連高等商業学校 アイスホッケー部

昭和28年(1953) 中国より、引き揚げ。
同船の団長(足立道五郎先生)
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福徳相互銀行 アイスホッケー部
読売新聞 朝刊
昭和31年(1956)2月23日

大阪ク、福徳(相互)で決勝
兵庫ク、神崎の善戦及ばず

関西実業団氷上ホッケー 第八日
読売杯争奪、第二回関西実業団アイスホッケー第八日は
二十二日準決勝、
大阪クラブ―兵庫クラブ(朝七時半開始=大阪リンク)
福徳相互銀行―神崎製紙(夜九時半開始=梅田リンク)
の二試合が行われ、大阪クラブ、福徳相互銀行が
兵庫クラブ、神崎製紙を破って決勝に進出。
昨年と同じ顔合せで決勝戦が行われることになった。
準決勝
大阪ク 6(1-1)3 兵庫ク
      (2-1)
      (3-1)

田原   FW  三木
富永修  FW  中西
脇田   FW  西脇
富田   FW  阿部
富永保  FW  米崎
太田   FW  中田
今西   FW  芝
荒尾   DF  山口
野口   DF
槌田   DF  藤田
三井   GK  大前

福徳  5(1-2)4 神崎製紙
相互    (3-1)
銀行    (1-1)

小川   FW  長井
福元   FW  山本敬
水倉   FW  荻野
真名野  FW  三原
多田   FW  能村
山口   FW  田中
     FW  伊藤
木村   DF  山本章
水沼   DF  川村
石川   GK  卜田

きょう(23日)の試合
三位決定戦
兵庫クラブ―神崎製紙
決勝
大阪クラブ―福徳相互銀行
午後6時30分、8時
大阪リンク

大阪クラブ、優勢か
全日本級の餌打(法政出)が故障欠場して
強力DF陣の一角が崩れ、兵庫に苦戦した大阪クは
決勝では田原、富永修、脇田の第一FWをフルに使って
防御ラインの欠陥を補強し、
立上りに大量得点を狙う強硬策に出ようが、
これに対する福徳は試合運びのうまさ、
チームのコンビネーション・プレーでは定評があり、
大阪クの猛攻を巧みにそらし、
対神崎戦でみせた相手の間隙をつく巧妙な五人攻撃で
出過ぎる大阪クの背後をつけば
試合はかなり面白いものとなろう(田村昭三郎)

読売新聞 朝刊
昭和31年(1956)2月24日

決勝 引分け再試合
関西実業団氷上ホッケー
読売杯争奪第二回関西実業団アイスホッケー選手権大会
最終日は二十三日午後六時三十分から大阪リンクで
決勝戦 大阪クラブ―福徳相互銀行
三位決定戦 兵庫クラブ―神崎製紙の二試合が行われた。
三位決定戦は接戦のすえ延長戦に持ちこまれたが、
勝負がつかず、
結局兵庫クの抽選勝ちとなった。
決勝は予想をくつがえし
福徳が果敢な闘志で前回の優勝チーム
大阪クラブにリードを奪う快調のすべり出しを見せたが、
第三ピリオド大阪ク必死の反撃で延長にもちこまれ
結局勝敗決せず、後日再試合を行うことになった。
なお決勝戦に先立ち第一回優勝の大阪クラブに
読売新聞社寄贈のレプリカが贈られた。
決勝戦
福徳 7(4-2)7 大阪ク
相互   (3-1)
銀行   (0-4)
     (0-0)

水倉  FW  田原
福元  FW  富永修
小川  FW  脇田
    FW  富永保
    FW  富田
    FW  太田
    FW  高野
    FW  佐々木
水沼  DF  野口
木村  DF  荒尾
石川  GK  上田
    GK  三井
[交代](大阪)FW=今西、DF=槌田、
=引分け再試合
<評>
決勝戦はスピードと迫力にみちた好試合だった。
豊富な陣容を誇る大阪クは最初から
FWの持駒をフルに使って激しく動き、
一挙に勝敗をきめようとしたが、
福徳は木村、水沼の強力DFが
ガッチリとゴール前を固め侵入を許さず、
機をみて水倉、福元、小川のFWが
見事なコンビネーションで相手ゾーンをかきまわし、
ブルーライン上からの当りの強い
ロング・シュートを再三放って
強引な五人攻撃を敢行、
これが奏功して第一ピリオド4―2と
主導権を奪う好調な立上り。
第二ピリオドも福徳の猛攻はさらに鋭さを増し、
大阪クのパスを殆んどカットし
あざやかなフォーメーション・プレーで着々加点、
7―3と大きくひきはなしたが
第三ピリオド大阪クは
福徳の反則退場の好機を掴んで懸命に追いこみ、
六人攻撃を強行。
終了23秒前DF荒尾が叩きこんで延長戦となった。
しかしその後は双方とも疲れが目立ち
ついに引分け、再試合となった。
福徳としては八分通り勝っている試合を逸したわけだが、
それにしてもこの日の福徳の闘志はすばらしく、
最後まで交代を行わない捨身の6人が、
大阪クの14人を圧倒した奮戦ぶりは賞賛のほかない。
(田村昭三郎)
三位決定戦
兵庫ク 3(2-0)3 神崎製紙
      (1-2)
      (0-1)
      (0-0)

三木   FW  長井
中西   FW  山本啓
西脇   FW  荻野
藤沢   FW  三原
中田   FW  能村
米崎   FW  河村
阿部   FW
山口   DF  山本章
藤田   DF  伊藤
沢山   DF
芝    DF
大前   GK  卜田
※ 小川清久 記
第2回関西実業団アイスホッケー選手権大会
福徳のメンバーの中、
FW福元は戦前の明大のキャプテン
小川は大連高商OB,
DF木村は明大のキャプテン、
水沼は同志社大のキャプテン、
水倉だけが昭和29年(1954)卒関学大のキャプテン。
準決勝迄は速成のメンバーも使ったが、
決勝では使えず、
FW・DFともオールラウンドプレイヤーで死闘。
決勝の第3ランドはやっと動いているというところ、
それにしても、
あと23秒で同点にされた時はガックリ来た。
延長のラウンドは精神力で動いていたのだろうが
0点に抑えたのは立派。
引分けは、
もう動けない福徳のメンバーに対する同情?で、
再試合はせず、準優勝となった。
私は33才だった。
この大会の結果、それまで同好会だったものが、
銀行のアイスホッケー部となり、
翌年には関大や大商大の選手、
翌々年には明治大等の関東の選手が入り、
福徳が優勝するようになった。
私は、昭和34年(1959)36才で退部した。

1-小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部
2-小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部
3-小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部
〔画像:クリックで拡大〕※ 小川清久 記
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後藤英輔:ネット資料

後藤英輔:ネット資料

※ 公正取引委員会委員などを歴任した後藤英輔氏(東京宿毛会会長)
[第六回梓立祭]
平成20年3月9日、名誉市民 奥島先生をはじめとする早稲田大学の皆様、
コマツの総務部長、冨山房 坂本社長ご夫妻のご臨席を賜り
梓立祭を宿毛文教センターにて執り行いました。
今回は、本願寺の最高責任者である執行長を務め、
関東大震災で多くの被災民を救うなどした後藤環爾(1871~1937)に注目し
小中学生に作文絵画を募集したところ676点の応募がありました。
小学生作文の部最優秀賞の栄喜小学校の河原君が
「環爾のように粘り強く工夫と努力を重ね、
正しいと信じた事を行動に移す人になりたい」
と力強く発表してくれました。
また、環爾の二男で公正取引委員会委員などを歴任した
後藤英輔氏(東京宿毛会会長)には
「小野梓と清宝寺元住職後藤環爾」と題した
梓立祭にふさわしい記念講演をしていただき誠にありがとうございました。
http://www.gallery.ne.jp/~okutan/080309.html

[公正取引委員会]
(こうせいとりひきいいんかい、
英訳名:Fair Trade Commission)は、日本の行政機関の一つ。
内閣府の外局として、内閣総理大臣の所轄の下に設置される、合議制の行政委員会。
略称は、公取委(こうとりい)だが、口頭表現においてはこうとりともいう。
[後藤英輔]
任命年月日等
1977年6月24日~1982年6月23日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E5%8F%96%E5%BC%95%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

※ 邦子(夫は後藤英輔〈元公正取引委員、後藤環爾(西本願寺執行長)の息子[4])
[岸田 文雄]
(きしだ ふみお、1957年(昭和32年)7月29日 – )は、日本の政治家。
自由民主党所属の衆議院議員(6期)。自由民主党国会対策委員長(第52代)。
第1次小泉内閣で文部科学副大臣、安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣
(沖縄及び北方対策・国民生活・再チャレンジ・科学技術政策・規制改革担当)、
福田康夫内閣で内閣府特命担当大臣
(沖縄及び北方対策・科学技術政策・国民生活・規制改革担当)を務めた。
家族・親族 [編集]
祖父・岸田正記(実業家、政治家)
父・岸田文武(官僚、政治家)
叔母
玲子(夫は官僚、政治家宮澤弘〈元広島県知事、参議院議員、宮澤喜一元首相の弟〉[3])
邦子(夫は後藤英輔〈元公正取引委員、後藤環爾(西本願寺執行長)の息子[4])
叔父・岸田俊輔(官僚、銀行家・元広島銀行会長[3])
従兄・宮澤洋一(官僚、政治家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E6%96%87%E9%9B%84

[後藤 環爾]
(ごとう かんじ、明治4年4月1日〈1871年5月19日〉 - 1936年2月23日)は
日本の従軍僧、学校創設者。西本願寺執行長。号は素雲。
生涯 [編集]
1871年(明治4年)4月1日幡多郡宿毛村(現在の宿毛市)清宝寺に生まれた。
1899年(明治32年)東京仏教大学校を卒業後、帰郷して父の補佐する。
また林有造に師事した。
1902年(明治35年)京都本山に勤務。
日露戦争には第三軍の従軍僧として出征した。
その後、東京築地本願寺別院に勤務。
1923年(大正12年)9月1日東京大震災に際して難民の休息所、簡易診察所を
多数開設し社会奉仕活動を行った。
1926年(大正15年)6月同別院輪番になり、
藤原銀次郎らの援助により伊藤博圧の設計による新様式の築地本願寺を再建した。
また千代田高女(武蔵野女子大学の前身)や武蔵野女子学園を創設、
また盲人教育、少年保護、保育所、簡易宿泊所やあそか病院などを設立し活躍した。
1929年(昭和4年)9月から1931年(昭和6年)11月の間、本山執行長になる。
またハワイや北米の開教総長となり海外布教も行った。
1936年(昭和11年)2月23日没。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E7%92%B0%E7%88%BE

あそか病院開院式(前列中央に大角眞八院長、大谷総裁、後藤環爾氏)
写真の裏書によると昭和6年4月26日とあり、
創立記念日から半年を経過して式典を行ったと推測される。
(写真提供/後藤英輔氏)
http://www.asokakai.or.jp/honbu/rekisi2.html

社団法人 青少年交友協会
〒171-0014 東京都豊島区池袋3-30-8 みらい館大明305号
TEL: 03-5391-1901 FAX: 03-5391-1902
協 会 役 員
平成23年4月1日現在
顧 問 後藤 英輔 (社)全国公正取引協議会連合会顧問
http://www.din.or.jp/~kouyuu/yakuin.html

『後藤英輔:浜口庫之助の思い出 p28-33』

『後藤英輔:浜口庫之助の思い出 p28-33』

庫ちゃんはたった二つ違いの兄弟分だが、
今振りかえって見ると大先輩のような感じで
私に得難い貴重な思い出を沢山のこしてくれた。
亡くなって十年近くなるのでヒット曲だけは
今でもひとり歩きして歌われているが、
「浜口庫之助」の名は忘れかけている。
―略―
庫ちゃんは大正六年神戸で
宿毛出身者で実業界の立志伝中の一人の裕福な家庭に生まれた。
七人兄弟姉妹の下から二番の子で、
ハイカラな洋館の家の応接間には当時珍しいグランドピアノが置かれて
家族全員で楽器を弾いて合奏しあうような音楽一家の中で育った。
彼は文字通りゼロ才から音楽教育をうけて大きくなったので
五つの頃から楽譜が読めたそうだ。
―略―
東京府立四中(現在の戸山高校)卒業後、
早稲田の建築科に入学したが中退し、
音楽でかせいだり、一時神戸製鋼で工員生活したりしたが
遅くなって青山学院に入り直した。
戦争中はインドネシアのコーヒー栽培会社で働いていたが、
音楽の才と芸が身を助けてそちらの面で活躍していたそうだ。
―略―
またお父さんが帝国ホテルの社長だった犬丸一郎さんや
その仲間とジャズバンドを結成して
ホテル、進駐軍のクラブ等で大いにかせぎまくっていた。
その後彼は、にわかに華やかな歌手、演奏家の活動をやめて
音楽の道をもう一度一からやり直して出直そうと大決心した。
昭和三十一年コロンビアの専属の作曲家として再出発した。

私の勤め先である公取も
その当時内幸町の古色蒼然たる第二大蔵ビルで
コロンビア本社と同居しており、
私の部屋はその宣伝部とすぐ隣り合わせだった。

戦後彼とは、始め東京宿毛会で会って再会が始まったが、
それ以来附き合いは頻繁となり身近なものとなった。
その上彼は自由で公正な民主的経済社会づくりを目指す独禁法、
公取に興味をもって私の仕事のこともよく理解してくれた。

そんなことからも二人の交友は
芸能界と役人社会という全くちがった世界だったが
深く親しくなっていった。
お互いの持つ異質な友人関係はやがて
いもづるのようにもつれ合って
彼のヒット曲にちなんだ「サクランボ会」という
当時政官財芸能界で活躍している大小さまざまの人達が群れ集る会が生まれた。
帝国ホテルで犬丸さんの肝入りで役人の吉国一郎、二郎兄弟等が中心となって
何の意味も目的もなく、飲んで食べて語って歌って楽しく遊ぶ会が続いた。
興がのれば彼は自らギターを弾き低い絶妙な浜庫調で
お弟子さん達とともに歌ってくれたものだった。
そんな折、彼が歌った歌のいくつかにも
私には色んな思い出がのこっている。
―略―
「鉛筆が一本」
毎日新聞をやめて自分の新聞を作った大森実さん、文芸春秋の田川博一さん、
そして庫ちゃんと四人でゴルフをしたあとある酒場に集まった夜のことだった。
大森さんの若い部下がベトナムの戦争の取材に行き、
戦場で地雷を踏んで死んだことを涙ぐんで話していた。
庫ちゃんは黙って聞いていたが
やって来た演歌師からギターを借りて軽く奏でながら低い声で
この曲を考え考え歌い始めた。
それは赤と白との戦のなかにエンピツ一本を武器に飛びこんで行った
ジャーナリストの心を見事にあらわしていた。
あの時の状景が今も目に耳にのこっている。

「夜霧よ今夜も有難う」
何時だったか山中湖のゴルフ場で
私の友人で当時山梨県警本部長の丸山昂さんと
庫ちゃんと三人でゴルフをしていた。
後ろから二回もボールを打ち込んで来る失礼なプレーヤーがいた。
注意しようとして見たらなんと石原裕次郎だ。
スキーで足を折り、大分良くなってリハビリでゴルフを始めたという。

途中から一緒にプレーをする道々
彼は庫ちゃんに
「骨折で長い間仕事ができなかったため税金がガボッときて参ってしまった。
先生、何とか良い曲をつくってくれませんか」とたのんでいた。
「税金で困っているんじゃ他人事ではない。何とか考えよう」
と彼もいっていた。

大分経ってある時、狸穴の彼のマンションにいったら
庫ちゃんはピアノ弾きながら
「ゴルフの時たのまれたのはこの歌だよ」と、
この「夜霧よ今夜も有難う」をきかせてくれた。
その時
「裕次郎は一寸音痴のところがあるからこのくらいの曲がいいんだ」
と云った彼の言葉が何故か印象に残っている。

あとでこの曲の他に「粋な別れ」もこの時一緒に
裕次郎の税金のためにつくったんだということをきいた。
これもヒットした。
―略―
その後庫ちゃんは長い独身生活にふん切りをつけて
二七才も違う若い女優の渚真弓さんと結婚した。
私は妙な縁で仲人をつとめたが
これは彼は多分年の違いが照れくさかったのだろうと思った。

二人は新婚旅行に両方の里帰りをした。

宿毛に来た時高知から車で七時間以上もかかったので
真弓さんは日本にまだこんな地の果てのような処があるのかしらと
自分の故郷の寒い雪の秋田を見直していた。
しかし片島の国民宿舎の前にあったロッジに泊まって始めて
真弓さんは宿毛の海山川の自然の美しさと
新鮮な魚のおいしさに都会では得られない
そして雪国の秋田とは全くちがう
温かい南国の良さを知ったようだった。
―略―
二月五日、私は、その昔二人の縁結びの仲人をした同じ富士見町教会で
今度は彼の葬儀委員長をせざるをえなくなった。

「庫ちゃんはソユーズのあとを追って天国にいった。
ソユーズはやがて地球に戻って秋山記者も地上に生還するでしょう。
だが庫ちゃんはもう戻って来ない。
しかし彼がのこした四千の歌は今もそして
これからも長く歌われ続けられるでしょう。
この歌と共に彼は私達の心に生きつづけるだろう」

会葬して下さった皆さんに私はこういって御挨拶をした。
彼との縁は宿毛、中学校、仲人、葬儀委員長そして歌と心。
私にとっては彼とは今でも切っても切れない仏縁で結ばれている。
(ごとう えいすけ 全国公正取引協議会連合会副会長)
[土佐すくも人]第15号(1999年版) 平成11年4月9日発行
非売品
編集・発行 三元社
〒165-0027 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員  伊賀三省・後藤英輔・兵頭武郎・津野輔猷・加藤剛清・小野信哉
印刷    株式会社アイガー

大森実と「エンピツが一本」
<< 作成日時 : 2010/03/28 05:52 >>
Kita, WHO?
1948年大阪生まれ。
38年勤務した新聞社を2010年6月退職。
趣味は渓流釣り、映画、音楽(クラシック、特にモーツアルト)鑑賞。
58歳から漢字書道を始め、2010年11月、北海書人社認定の師範。
号は景泉。孫娘2人。

キタの手元に一冊の本があります。
「エンピツ一本」(講談社刊) 大森実70歳の著作。
―略―
なお、浜口庫之助作詞、作曲、坂本九歌の「えんぴつが一本」は
不遇の時代にいる大森を励ますためにハマクラが作ったとされています。

上記著作「エンピツ一本」上を買ったまま、きちんと読まず、
下も買っていないのはなぜだろう。
上をいまあらためて読み始めています。

若いころは、大先輩の能書きを読むより、
自分のやっていることで精一杯だったのかもしれません。
もっと謙虚に先輩の足跡を参考にしていたら、
もう少し違った記者生活をおくったのかもしれません。
もう後の祭りです。
http://makanangin.at.webry.info/201003/article_43.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

小野文子:略歴

小野文子:略歴

大正10年(1921) 6月5日生
昭和51年(1976)5月16日歿  55歳

父  小川清秀(小川ジョセフ)小川常是夫
   明治25年(1892)11月16日生
   昭和27年(1952)2月2日歿  60歳

母  小川梅
   明治26年(1893)12月5日生
   昭和44年(1969)3月16日歿 76歳

夫  小野又一
   大正5年(1916)7月11日生
   昭和47年(1972)1月31日歿 56歳

長女 小野玲子
   昭和?年
   昭和21年(1946)6月2日歿  0歳?

長男 小野一雄
   昭和22年(1947)3月10日生

二男 小野雄二
   昭和24年(1949)9月30日生

本籍 長崎県長崎市酒屋町30番地
本籍 高知県宿毛市宿毛2600番地

大正10年(1921)6月5日生
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎

昭和5年(1930)~
大連市山縣通205番地 海関官舎

昭和9年(1934)~
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19

昭和18年(1943)3月6日 小野又一と婚姻
中国 四平街?

昭和21年(1946)秋頃 中国 コロ島より引揚げ
京都市北区出雲路俵町4

昭和23年(1948)頃~
京都市東山区清水5丁目

昭和32年(1957)4月より前~
京都市伏見区深草正覚町9番地

学歴
大連 常盤小学校   昭和2年(1927)~昭和8年(1933)
大連 弥生高等女学校 昭和8年(1933)~昭和13年(1938)
京都女子高等専門学校 昭和13年(1938)~昭和16年(1941)
家事科 第七回卒業(現 京都女子大学)

昭和48年(1973)~昭和50年(1975)
ノートルダム女学院 寄宿舎 副舎監

葬儀は、シスター・メリーキャサリン
(ノートルダム女学院中高校長)の御配慮で、
ノートルダム修道院で行われた。
昭和51年(1976)5月16日歿

[通夜の祈り]
聖 歌   典礼聖歌集 204(1・2)
神のことば ローマ人への手紙 14章 7~8節
黙 祷   (しばらく静かに祈りましょう)
詩篇唱和  教会の祈り P.1287 第3唱和
黙 祷
聖 歌   典礼聖歌集 198(3)
詩篇唱和  教会の祈り P.1291 詩篇86
黙 祷
聖 歌   典礼聖歌集 206(2・5)
共同祈願
聖 歌   典礼聖歌集 172(全部)

主よ、小野文子さまに
   永遠のやすらぎをお与え下さい。
[通夜の祈り]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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