[ホッケーの歴史:明治時代]《明治37年》-02

[ホッケーの歴史:明治時代]《明治37年》-02

《明治37年》
【新式女子遊戯法】理論実際
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860210/1
[P2/129]
テニスやホッケーの道具を手にした学生の写真
【新式女子遊戯法】p2
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860210/2
明治37年7月10日印刷
明治37年7月20日発行
著 者 高橋忠次郎
    東京市下谷区眞島町一番地
著 者 酒詰謙之助
    東京市赤坂区福舎町一番地
発行者 榊原友吉
    東京市日本橋区鉄砲町三番地
印刷者 遠藤銓吉
    東京市京橋区岡崎町二丁目二十五番地
印刷所 六合舎
    東京市京橋区岡崎町二丁目二十五番地
発行所 榊原文盛堂
    東京市日本橋区鉄砲町三番地
売捌所 各府県書肆
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860210/123
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[ホッケーの歴史:明治時代]《明治37年》-01

[ホッケーの歴史:明治時代]《明治37年》-01

《明治37年》
【各種学校運動会競争遊戯全集】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/1
[P96-102/129]
【各種学校運動会競争遊戯全集】p96
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/96
【各種学校運動会競争遊戯全集】p97
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/97
【各種学校運動会競争遊戯全集】p98
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/98
【各種学校運動会競争遊戯全集】p99
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/99
【各種学校運動会競争遊戯全集】p100
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/100
【各種学校運動会競争遊戯全集】p101
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/101
【各種学校運動会競争遊戯全集】p102
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/102
明治37年3月13日印刷
明治37年3月16日発行
校閲  教育資料研究会
著作者 高木菊次郎
    東京市日本橋区通旅籠町十一番地
発行兼印刷者 学海指針社
代表者 前川一郎
発行所 株式会社集英堂
    東京市日本橋区通旅籠町十一番地
関西地方売捌所 合資会社積文社
        大阪市東区南本町四丁目
印刷所     開文舎
        東京市神田区柳原川岸十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859863/121
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[ホッケーの歴史:明治時代]《明治36年》

[ホッケーの歴史:明治時代]《明治36年》

《明治36年》
【日本之体育】
日本体育会編纂 東京 育英舎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/1
1 ホッキー用具 1 Hockey 写真 p99/229
【日本之体育】p99
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/99

第八 ホッケー (Hockey)
此の運動法は現時英国に於て、尤も盛に行るる、遊戯法の一にして、
頗る活発なるものなるに係はらず、
又一方よりは乱暴の恐なきものなれば
男子の遊戯としても、亦女子の運動にも至極面白味ありと云うべきなり。
由来此の運動法は其の方法に於て
彼の「フート、ボール」の源をなせるものなるだけ、
敵味方相混合乱戦するところなど興味鮮からざるなり。 P137-142/229
【日本之体育】p137
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/137
【日本之体育】p138
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/138
【日本之体育】p139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/139
【日本之体育】p140
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/140
【日本之体育】p141
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/141
【日本之体育】p142
参考書 本会編纂 『新撰遊戯法』
[Hockey and Lacrossc] by Stanley Christophorson,etc. (oval series)
P142/229
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/142
明治36年4月13日印刷
明治36年4月16日発行
著作者    日本体育会  代表者 高島平三郎
発行兼印刷者 阪上半七   東京市日本橋区本石町十軒店六番地
発行所    育英舎    東京市日本橋区本石町十軒店六番地
大売捌所   吉岡寶文館  大阪市東区備後町四丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860434/225

《明治36年》
【新撰遊戯法】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/1
[P64-68/133]
【新撰遊戯法】p64
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/64
【新撰遊戯法】p65
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/65
【新撰遊戯法】p66
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/66
【新撰遊戯法】p67
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/67
【新撰遊戯法】p68
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/68
明治36年6月6日印刷
明治36年6月9日発行
著作者  日本体育会
右代表者 高島平三郎
発行兼印刷者 阪上半七
       東京市日本橋区本石町十軒店六番地
発行所    育英会
       東京市日本橋区本石町十軒店六番地
関西大売捌  吉岡平助
       大阪市東区備後町四丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860251/129
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[ホッケーの歴史:明治時代]《明治35年》

[ホッケーの歴史:明治時代]《明治35年》

《明治35年》
【実験普通遊戯法】[第2冊]下巻
著者 女子高等師範学校・日本体育会体操学校 教師 高橋忠次郎
発行 榊原文盛堂
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860014/1
[P58-70/94]
第四章 ホッケー (HOCKEY)
ホッケーはフート、ボールの元祖にして
英国に於て最も盛に行はるる運動法なり。
即ち、Scotland(スコットランド)のShlnty(シンテー)と
Ireland(アイルランド)のHurley(ハーレー)とは異名同技なり。
本邦に於ては横浜なる運動場及び
同所根岸なる競馬場に於て時々行ふことあり。
予、一昨年の十一月中高命を奉じ
横浜なるレーデース倶楽部に至りて調査を初め、
爾来週一月三の通学にて漸く其競技法の要領を覚ることを得たり。
即ち左に記述せる方法は主として同倶楽部に於ける競技法にして、
予が調査に係るものなり。P 58/94
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860014/58
E 演技細則一括
(一)「ゴール」を侵さんには必ず一回は敵の「ストライキング、
サークル」内に「ボール」を打ち込み、
更に「ゴール」に打ち込みたるにあらざれば有効ならず。
去る明治32年ごろまでは
技場の何れより打ち込みても有効として演技したれども、
其後再三再四英国の水兵上陸して競技し、
遂に現時の如く其「サークル」内に於て打ち入れたるにあらざれば
有効にあらずと規定したる由なり。
(初学者には旧則を採用する方興味あり) P70/94
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860014/70
明治35年2月20日印刷
明治35年2月25日発行
著作者 高橋忠次郎 東京市神田区裏神保町三番地
発行者 榊原友吉  東京市日本橋区鉄砲町三番地
印刷者 長谷川兵吉 東京市日本橋区馬喰町二丁目十四番地
印刷所 信弘舎   東京市日本橋区馬喰町二丁目十四番地
六盟館図書発行所  榊原文盛堂 東京市日本橋区鉄砲町三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860014/92

《明治35年》
【ホッケー術】日本体育会教師
高見沢宗蔵 鳥飼英次郎 合著
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860529/1
[P1-41/41]
一 本編載する所のホッケーは、今より十五六年前英国に於いて、
一定の競技規則を設けられたるものにして、
其の流行の隆盛なること響の応ずるが如く遊技界を風靡したり。
今や仏国の遊技界に流行しつつあり。
而して漸次我運動界に紹介せられ、既に試みつつありて、
活発にして粗暴に流れず、其危険なきを以て、之を男女に共通せり。
二 本編載する所の遊技に関する方法等は我国に於いて、
未だ書籍として世に公にせられたるもの無し。是運動界の欠点なり。
故に之を輯めて本編を編述したるものとす。p3
明治三十五年十月 編者 識 P4/41
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860529/4
明治35年9月30日印刷
明治35年10月22日発行
発行者 小川寅松
    東京市京橋区南紺屋町十八番地
発行者 加島虎吉
    東京市日本橋区住吉町弐番地
印刷所 福岡印刷部
    東京市京橋区元数寄屋町四丁目弐番地
印刷者 赤田末吉
    東京市京橋区元数寄屋町四丁目弐番地
発売所 尚榮堂書店
    東京市京橋区南紺屋町十八番地
発売所 至誠堂
    東京市日本橋区住吉町弐番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860529/34
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[ホッケーの歴史:明治時代]《明治18-34年》

[ホッケーの歴史:明治時代]《明治18-34年》

《明治18年》
【西洋戸外遊戯法】 
大学教授 寺尾壽 校閲 下村泰大 編輯 泰盛館蔵版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860313/1
凡例
此書は[ストレンジ]氏著[アウト、ドーア、ゲーム]
(戸外遊戯)と題せる書を骨子とし傍ら
泰西の戸外遊戯を記述せる諸書を参酌折衷して抄訳緝録せしものなり。 P5/57
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860313/5
第二編 弄球遊戯 p15/57
[ホッキー](撃球の一種)
[ホッキー]或は[シンテー]又[ハーリング]など称す。
甚だ愉快なる遊戯にして英国に於て普く行わるる所のものなり。
其法最も遊戯に長じたる者二人を撰抜して組長となす。
然る后ち、此二人組長迭に一人つつ
己れの味方となるべき者を撰取し師ひて以て左右に分る。
茲に於て両軍甫めて判す。
乃ち各人皆堅牢の棒一個を携え演習の用意をなす。
棒は其の形、頭部曲鈎して斜角をなす。
(我国大工の用ふる手斧の柄に似たり)
故に斜に之を把持すれば其曲部地面に平付す。
而して此遊戯の主眼とする所は此棒を以て球を撃弾して
敵方の標柱を通過せしむるにあり。
p16-17/57
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860313/16
明治18年2月7日版権免許
明治18年3月出版
編輯兼出版人 下村泰大 埼玉県平民 東京京橋区加賀町三番地寄留
発売所    博聞社  東京銀座四丁目一番地
丸善書店 東京新橋通り三丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860313/52

《明治19年》
【実地体育法】[第2冊]前編・巻之2
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860023/1
打球遊戯第一種 P16-18/30
此遊戯は数多の生徒をして同時に演習を行せ得べきものにして、
先ず衆生徒を赤白の二組に平分し、
例ば赤を東となすときは白を西とし、
三四十間相離れて両組の前面凡そ三間の距離に各二本の杭を樹て、
之を赤白各組の軍門とす。而?、
各生徒皆手に図の如き一端の曲りたる木杖又は竹杖を携え又
各組より一人の指揮者を撰抜し演習中は各生徒、
其指揮に従い、各自の軍門前に整列すべし。
然る後、判者護謨製の小球(外面を革にて造りたるものか、
又は手鞠にて代用するも妨げなし)一個を両軍門の中間に置き
「始め」の令を下す?は両組共に疾走して球に聚り之を
己の杖にて打ち敵の軍門に入るるを以て目的とすべし。
注意一
小球一個を用ゆるの換りに赤白二個を用ふるも可なり。
然る?は白組は赤球を敵の軍門に入れ、
而?敵より白球を入るるを防ぎ、赤組に在りては正に之と相反すべし。
注意二
此戯は女生に行ふを得ざるものなり。
 前編 巻之2】p16
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860023/16
明治十九年九月四日版権免許  明治十九年九月二十五日出版
編輯者 横井琢磨 岡山県士族 備前国岡山区岡山四番町六十一番屋敷
岡山県岡山学校蔵版     [第6冊]奥付
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860027/51

《明治21年》
【小学生徒戸外遊戯法】明治21年9月29日出版
渡邊盈作先生 校閲 有川貞清先生著作
京都育英書房 正宝堂発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860090/1
明治21年9月 京都府師範学校教諭 渡邊盈作 識 P5/92
発行者 福井源次郎 京都府平民 京都府下京区第六組三条通寺町東十三番戸
著作者 有川貞清  鹿児島県士族 京都府久世郡富野村三百八十四番戸寄留
印刷者 瀬戸清次郎 大阪府下西区江ノ子嶋上町壱番屋敷
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860090/85
第五十八 ホッケー P51-52/92
【小学生徒戸外遊戯法】p51
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860090/51

《明治22年》
【西洋遊戯全書】家庭学校
仙郷学人 霞城山人 太華山人 合訳 少年園蔵版 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860314/1
注意
一 此書は独逸ワク子ル氏の著に係る「童子の遊戯」と題せる書を
訳せしものにて原書載?る所の遊戯は五百種?余れりと
雖も多くは本邦古来の遊戯と相同しきもの或は相類?ものなれば之を略せり。 P2/146
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860314/2
(126) (打毬)
蘇国(スコットランド)の「ゴルフ」と云ふ毬戯は前と相似たり、
然れとも此戯に在ては毬杖(さじ)を用ふ。
毬杖は三尺より四尺余に至るも木杖にて、上端は曲れり、
(我邦の茶匕(ちゃさじ)の形の如し)。
即ち此を以て毬を打ち又毬を防ぐなり。他は前戯と異なるなし。P55/146
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860314/55
明治22年3月29日印刷
明治22年4月2日出版
著作者 中川重麗   神田区西紅梅町十三番地寄留
発行者 山縣 順   府下北豊島郡上駒込村十九番地
印刷者 山口米吉   芝区桜川町三番地
発行所 少年園出版部 府下北豊島郡上駒込村十九番地
大売捌所
博文堂    京橋区三十間堀二丁目
良明堂    京橋区三十間堀二丁目
吉岡書籍店  神田区南乗物町
東海堂    神田区柄木町
石井鉤三郎  大阪東区備後町四丁目
杉本甚助   京都三條寺町西入
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860314/141

《明治28年》
【新撰遊戯全書】前野關一郎 編纂 熊谷久栄堂蔵版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/861518/1
凡例
本書は方今、欧米諸国に於て行はるる諸遊戯及ひ本邦固有の競技等に就き、
勉めて我小学・中学・師範の各学校生徒に適するものを撰択蒐集せるものなり。 P5/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/861518/5
第四十六 「ホッキー」
此の遊戯は総演習者を甲乙の二組に別ち各組には一人ずつ組長をおくべし。
各演習者は手に圖(図)の如き先の屈りたる打球棒を一本ずつ携ふ。
其棒は先の方を稍太くなし置くべし。
以上述ぶる処の規則に背き、或は棒を以て人を打ち、
総て乱暴をなしたる者は、速に其組より放逐すべし。
演習中は総て組長の命に従ひ、決して之に背くべからず。 P56-58/113
【新撰遊戯全書】p57
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/861518/57
明治28年3月20日印刷
明治28年4月7日発行
著作者 前野關一郎  神戸市葺合村千百十六番屋敷
発行者 熊谷幸介   神戸市元町七丁目二十三番屋敷
発行所 熊谷久栄堂  神戸市相生橋東
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/861518/100

《明治34年》
【学校用ホッケー】
美満津商店体操部編
【学校用ホッケー】p3
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859877/3
先年美満津商店主人、予か寓居に来りて問ふて曰く、
ローンテニス以外に簡単にして、面白き婦女子に適する戸外遊技なきやと。
予は英国にて盛んに行はるるホッケーなるものこれ至極適当なれと答えて
且つ其説明をも與へ置たるに近日に至りて主人また来り
其談話によりて外国より見本を取寄せ、
これが製造に従事したるに己に完全なるもの製造し得たれば、
此技を広く世に紹介せんため是非に其説明を一編となせよと乞ふて止まず。
予固辞すれども主人の熱心終に勝つ能はず
漸くその見聞せる所を集めて一編としこれを主人に贈る。
以てこの技を知るの一助と為る?得ば編者の幸これに過ぎず。  編者 識す
明治三十四年十月 P4-5/23
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859877/4
編者一日横浜に下り用便に疲労したる足を曳摺り偶、
居留地外国人運動場の傍を過ぐる時に陰雲天を蔽ひ六花将さに落ちんとして
寒風膚を刺す計らざり嬉々たる笑声の運動場に起らんとは元来外人は・・・ P5/23
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859877/5
第七条 遊戯者の数は一方十三人或は十五人づつとするを通例とす。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859877/8
明治34年11月4日印刷
明治34年11月8日発行
著 者 美満津商店体操部 代表者 伊東卓夫 東京市本郷区五丁目十番地
発行者 伊東卓夫 東京市本郷区五丁目十番地
印刷者 戸上義章 東京市牛込区市ヶ谷加賀町一丁目十二番地
印刷所 株式会社秀英舎第一工場 東京市牛込区市ヶ谷加賀町一丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859877/18
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小野一雄《母方》曽祖父~母

小野一雄《母方》曽祖父~母

[曽祖父 ジョージ・ノット(スペルはGeorge NottまたはKnottと思われる)
[曽祖父 Yoshiiwa Notuto]
正確な名前は分からない。
生 ?
歿 明治34年(1901)4月27日
イギリス人
朝鮮 元山税関長?

[曾祖母 小川エン]48歳
生 慶応1年(1865)11月11日(新暦 12月28日)
歿 大正2年(1913)4月14日
長崎県長崎市十善寺郷242番戸
長崎県長崎市十善寺郷70番戸 中ノ平4

[祖父 小川清秀・ジョセフ(常是夫)]60歳
生 明治25年(1892)11月16日
歿 昭和27年(1952)2月2日
大正8年(1919)6月4日 許可ニ因リ其名[ジョセフ]ヲ[清秀]ト変更届 同日受付
大正9年(1920)8月2日 [永井梅]ト婚姻届
長崎県長崎市酒屋町30番地 (生誕)
朝鮮 元山 (元山小学校 入学)
長崎市 (海星学校 転校)
朝鮮 元山 (英米煙草会社 元山出張所 就職) [日本人物情報大系]満州編13巻
朝鮮 元山 (英米煙草会社 入社)
佐世保 (佐世保重砲隊 入営) (佐世保重砲兵大隊 入隊)
中国 上海 (中国税関 上海)
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎 (中国税関 営口)
中国 青島 (中国税関 青島)
中国 海南島 (中国税関 海南島)
中国 大連市山縣通205番地 海関官舎 (中国税関 大連)
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
福岡県福岡市鳥飼町4丁目301番地
京都市左京区下鴨松の木町47番地

[祖母 小川(永井)梅]76歳
生 明治26年(1893)12月5日
歿 昭和44年(1969)3月16日

[母 小野(小川)文子]55歳
生 大正10年(1921)6月5日
歿 昭和51年(1976)5月16日
大連 常磐小学校
大連 弥生高等女学校
京都女子高等専門学校
長崎県長崎市酒屋町30番地
支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎
大連市山縣通205番地 海関官舎
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
満洲 四平街
京都市北区出雲路俵町4
京都市東山区清水5丁目
京都市伏見区深草正覚町9番地

小野一雄《父方》曽祖父~父

小野一雄《父方》曽祖父~父

[曾祖父 小野 梓]34歳
生 嘉永5年(1852)2月20日(新暦)3月10日
歿 明治19年(1886)1月11日
早稲田大学の建学者といえば、誰もが大隈重信の名を挙げるでしょう。
こうした大隈の理想を現実のものとしていくについて、
小野梓(1852-1886)の存在を忘れることはできません。
小野は大隈のもと、立憲改進党を結成し、早稲田大学の創立を支え、
また自由主義・民主主義の論説を多数執筆しました。
早稲田ウィークリー
小野梓の開校演説-創立記念コラム-
17 OCTOBER 2017

学生部長 政治経済学術院教授 齊藤 泰治(さいとう・たいじ)

[曾祖母 小野利遠(おの りお)]60歳
生 嘉永6年(183)6月6日(新暦)7月11日
歿 大正2年(1913)11月15日
小野義真の妹

[祖父 松村仙造(真澄・大本の名前)]48歳
生 明治13年(1880)7月19日
歿 昭和3年(1928)3月3日
島根県簸川郡直江村大字直江60番屋敷
島根県簸川郡直江村大字下直江1096番地
兵庫県武庫郡御影町之内郡家町字下リ196番地
兵庫県神戸市元町4丁目 (有価証券仲買 売買)
京都府何鹿郡綾部町大字本宮村小字上野107番地
(京都府綾部市上野町上野107番地)

[祖母 松村(小野) 墨]69歳
生 明治11年(1878)10月18日
歿 昭和22年(1947)2月14日
小野梓の二女
東京府北豊島郡南千住大字地方橋場
高知県幡多郡宿毛村大字宿毛町50番屋敷
高知県幡多郡山奈村大字山田116番屋敷
兵庫県武庫郡御影町之内郡家町字下リ196番地
京都府何鹿郡綾部町大字本宮村小字上野107番地
(京都府綾部市上野町上野107番地)
京都府舞鶴市字中田無番地

[養祖母 小野 安]83歳
生 明治16年(1883)9月12日
歿 昭和41年(1966)4月1日
小野梓の三女
女医 医術開業試験 合格 第89号
東京府北豊島郡南千住大字地方橋場
高知県幡多郡宿毛村大字宿毛町50番屋敷
高知県宿毛市宿毛2600番地
兵庫県神戸市三宮町1
満洲 四平街
京都市東山区清水5丁目
京都市伏見区深草正覚町9番地

[父 小野(松村)又一]56歳
生 大正5年(1916)7月11日
歿 昭和47年(1972)1月31日
京都帝国大学 工学部 機械工学科 昭和14年(1939)卒業
満州飛行機製造株式会社
島根県簸川郡直江村大字下直江1096番地
高知県宿毛市宿毛2600番地
兵庫県武庫郡御影町之内郡家町字下リ196番地
京都府何鹿郡綾部町大字本宮村小字上野107番地
(京都府綾部市上野町上野107番地)
兵庫県武庫郡御影町
満州国 四平省 四平街
京都市北区出雲路俵町4
京都市東山区清水5丁目
京都市伏見区深草正覚町9番地

[弟 小野雄二]
生 昭和24年(1949)9月30日
「台湾便り―オフィス小野」
業務活動案内
◆富田(FUKUTA)電機(股)有限公司 日本事務所
台湾のACモータ製造会社の日本窓口をしています。
◆台湾関連貿易支援
言語等、海外取引には多少の障害があります。
取引がスムーズに行くようなサポートをいたします。
※その他台湾企業とのサポートもしています。
◆中国語ボランティア観光ガイド
 中国人、台湾人の京都観光をサポートします。
 京都西部SGGクラブ登録。
住所:京都市右京区嵯峨野秋街道町25-2-403
「経歴」
京都工芸繊維大学卒業後、
伊奈製陶(現INAX。愛知県常滑)入社,
退職後、ガラス計測器製造会社(京都)、
公文教育研究会(20年勤続。
そのうち4年半台湾公文出向)、
パソコン教室独立開業(台北)、学習塾(大阪)、
産業機器商社(京都)。
現在に至る
語学:中国語日常会話、台湾語片言、
スポーツ:バスケット(中高6年間)

小野梓《留客斎日記》:《小野潜蔵》《寺子屋・留客斎》

小野梓《留客斎日記》:《小野潜蔵》《寺子屋・留客斎》

《留客斎日記》
[小野梓全集]「第五巻」付別冊
昭和57年3月31日発行
編集者 早稲田大学大学史編集所
発行者 早稲田大学
    東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所 早稲田大学出版部
    東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所
《留客斎日記》 p329~

《寺子屋・留客斎》《小野潜蔵》
【日本教育史資料】[第9冊]〔9〕私塾寺小屋表 下,文武諸家小伝
附録(2帙)旧幕府聖堂釈奠図(4枚) 学校図(13枚)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809562/1
明治25年9月18日印刷
明治25年9月21日出版
(不発売)
文部大臣官房報告課
印刷者 曲田 成
    東京市京橋区築地二丁目十七番地
印刷所 東京築地活版製造所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809562/278
高知県・私塾・寺小屋 p154/284
名称 《留客斎》 学科 読書・習字
高知領 宿毛村
開業 慶応三年 廃業 明治五年 教師 男一 生徒 男一八
調査年代 明治3年
身分 平民 習字師氏名 《小野潜蔵》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809562/154
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』より

《小野潜蔵》
宿毛市史【近世編‐教育‐藩政時代の教育】
宿毛における郷学校
―略―
藩立日新館
その後、明治2年の藩政改革により日新館のすべてを藩へ寄附した。
藩は翌3年2月藩立日新館として再開し教師を次のとおり任命している。
 準大得業生(俸給十五石)酒井三治
 中得業生(同十二石)山本元治、《小野潜蔵》
 小得業生(同九石)近藤範斎
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/076001.html

《小野潜蔵》
宿毛市史【近世編‐教育‐藩政時代の教育】
宿毛の教師
―略―
句読役立田春江は機勢隊では立田強一郎と名乗っている。
立田安衛義信の子でのち浪人して小野生駒、小野義真と改名した。
中村進一郎は重遠といい明治になって軍人となった。
―略―
《小野潜蔵》については一切不明である。
この時代には姓名ともに自由に変更したので、誰の変名であるのかも不明である。
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/077201.html

追記 平成24年(2012)4月11日

立田敬二様
有難うございます。

〔小野潜蔵〕小野梓《留客斎日記》:《小野潜蔵》《寺子屋・留客斎》
[我が家の航跡:立田敬二回想録]
平成二十四年(二〇一二)年四月五日発行
著者・発行者 立田敬二
       〒788-0013
       宿毛市片島4-60
制 作    高知新聞企業出版調査部
装 丁    森岡さわ
印刷所    弘文印刷株式会社

《小野・立田家系図》
小野潜蔵
虎之助⇒潜蔵
   ⇒実之助
節 吉⇒実之助(養子)
   ⇒作馬
   ⇒梓
善 平⇒梓  (養子)

梓  ⇒墨 ⇒ 又一
   ⇒安 ⇒ 又一(養子)
又一 ⇒一雄
    妻・喜代子
又一 ⇒雄二
1-[我が家の航跡:立田敬二回想録]
2-[我が家の航跡:立田敬二回想録]

《小川清秀 大連税関監視官 大連市光風台五三》

《小川清秀 大連税関監視官 大連市光風台五三》

[満洲国 大連税関]監視官 薦任三等一級 勲五位 小川清秀
《小川清秀 大連税関監視官》

[昭和9年12月1日現在]
【満洲国官吏録】康徳元年12月1日現在(昭和9年)
国務院総務庁編纂,満州国総務庁人事処 明文社(発売), 1935
康徳2年(昭和10年)5月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454458/1
職官表 (本表中「1四五〇」ハ表示一級月俸四五〇圓ヲ表ハス)p12/176
税 関 監視官 薦任官 四等一級 290圓         p25/176
財政部 大連税関                    p85/176
税関長 簡任一等 1,000圓     福本順三郎       p85/176
監視官 薦任四等一級 普蘭店分関長 小川清秀      p86/176
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454458/86

[昭和10年12月1日現在]
【満洲国官吏録】康徳2年12月1日現在(昭和10年)
国務院総務庁編纂,国務院総務庁人事処 明文社(発売), 1936
康徳3年(昭和11年)4月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454365/1
職官表 (本表中「1四五〇」ハ表示一級月俸四五〇圓ヲ表ハス)p12/238
税 関 監視官 薦任官 四等一級 290圓         p27/238
財政部 大連税関                    p108/238
税関長 簡任一等 1,000圓     福本順三郎       p108/238
監視官 薦任四等一級 小川清秀             p108/238
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454365/108

[昭和12年4月1日現在]
【満洲国官吏録】康徳4年4月1日現在(昭和12年)
〔満洲国〕国務院総務庁人事処編纂,〔国務院総務庁人事処〕, 1937.4
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454723/1
康徳4年(昭和12年)4月1日発行
職官表 (本表中「1四五〇」ハ表示一級月俸四五〇圓ヲ表ハス)p15/330
税 関 監視官 薦任官 三等一級 315圓         p32-33/330
財政部 大連税関                    p156/330
税関長 簡任一等 1,000圓 勲二位 福本順三郎       p156/330
監視官 薦任三等一級    勲五位 小川清秀      p156/330
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454723/156

[小川清秀 大連税関監視官、大連市光風台五三]

【在満日満人名録】〔昭和11~12年〕大連:満洲日日新聞社・『満洲年鑑』附録
満洲日日新聞社 昭和11年10月20日発行          p71/157
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445679/1
小川 秀清(誤植) 大連税関監視官、大連市光風台五三     p19/157
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445679/19

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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《小川常是夫(ジョセフ)・小川清彦・小川清秀》海関三等鈐子手

《小川常是夫(ジョセフ)・小川清彦・小川清秀》海関三等鈐子手

[支那税関・中華民国・海関]海関三等鈐子手

《小川常是夫》p9/31 p26/31
[大正5年12月末日 現在]
『単行書・支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 階層 】国立公文書館>内閣>単行書>〔1673-1729〕>単行書
『支那傭聘本邦人人名表(大正五年十二月末日現在)』
【 レファレンスコード 】 A04017265400 【 画像数 】 31
『支那傭聘本邦人人名表(大正5年12月末日現在)』p3/31
支那傭聘本邦人人名表 外務省政務局 大正6年6月印刷
江蘇省(35人)p8/31
小川常是夫 所在地 上海 俸給 海関両75両 職名 海関三等鈐子手
司掌事項 巡視 契約期限 自大正5年12月 原籍 長崎県p9/31
附録 支那税関在勤本邦人調査表
(1916年6月1日支那海関職員録及在外公館報告ニ依ル)
(大正5年12月末現在)  p21/31
外班(Out-door)(145人) p23/31
小川常是夫 職名 三等鈐子手 俸給 海関両80両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年12月 p26/31

《小川常是夫》p8/12
[大正6年12月末日 現在]
附録 【 階層 】外務省外交史料館>調書>政務局>政務局>
『支那傭聘本邦人人名表 大正6年12月現在』
【 レファレンスコード 】B02130232900【 年代域 】1918年【 画像数 】12
附録 支那税関在勤本邦人調査表
(1917年6月1日支那海関職員録及在外公館報告ニ依ル)(大正6年12月末現在) p1/12
外班(Out-door)(162人) p3/12
小川常是夫 職名 三等鈐子手 俸給 海関両90両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年12月 p8/12

《小川常是夫》p13/34 p31/34
[大正7年12月末日 現在]
『単行書・支那傭聘本邦人人名表(大正七年十二月末日現在)・正』
【 階層 】国立公文書館>内閣>単行書>〔1673-1729〕>単行書
支那傭聘本邦人人名表(大正七年十二月末日現在)・正
【 レファレンスコード 】 A04017265600 【 画像数 】 34
支那傭聘本邦人人名表(正)外務省政務局 大正8年6月印刷
支那傭聘本邦人人名表(大正7年12月末日現在)p4/34
江蘇省(59人)p12/34
小川常是夫 所在地 上海 俸給 海関両90両 職名 海関三等鈐子手
司掌事項 一般事務 契約期限 自大正6年12月 原籍 長崎県 p13/34
附録 支那税関在勤本邦人調査表(大正7年12月末現在)p25/34
外班(Out-door)(162人) p27/34
小川常是夫 職名 三等鈐子手 俸給 海関両90両 在勤地 上海
就職年月 自大正5年12月 p31/34
《小川常是夫(ジョセフ)》
小川清秀 梅
婚姻 大正9年(1920)8月2日

《小川清彦》p3/9
[昭和5年12月末日 現在]
『中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関』
【 階層 】外務省外交史料館>調書>調書>亜細亜局>
中華民国傭聘外国人人名録 昭和5年12月末現在/亜細亜局調書 第三輯ノ六
【 レファレンスコード 】 B02130075900 【 年代域 】 1930年 【 画像数 】 9
大連 p2/9
小川清彦 所在地 大連 原籍 長崎県 俸給 海関両 275両
職名 監察員 司掌事項 監視事務 p3/9

《小川清秀》p3/9
[昭和6年12月末日 現在]
『中華民国傭聘本邦人人名録/三、海関』
【 階層 】外務省外交史料館>調書>調書>亜細亜局>
中華民国傭聘外国人人名録 昭和6年12月末現在/亜細亜局調書 第三輯ノ七
【 レファレンスコード 】 B02130077800 【 年代域 】 1931年 【 画像数 】 9
大連 p2/9
小川清秀 所在地 大連 原籍 長崎県 俸給 275両
職名 監察員 司掌事項 監視事務 p3/9

『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より
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