桑原深造:大江卓[土佐すくも人][小野梓傳]

桑原深造:大江卓[土佐すくも人][小野梓傳]

[土佐すくも人]第5号(1988年版)昭和63年10月21日発行
非売品
編集・発行 東京宿毛事務局
〒165 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員  伊賀三省・依岡顯知・吉良慎平・後藤英輔
      兵頭武郎・津野輔猷・加藤剛清・小野信哉
印刷    誠宏印刷株式会社

幕末宿毛の学者 p42-46
南嶺の周辺
酒井南嶺曾孫からの書簡
酒井俊雄
―略―
南嶺の妻貞は、中村市楠島に住む郷士、桑原九郎の娘でして、
弟に桑原政篤(楠島住)桑原深蔵(宿毛機勢隊員)がいました。
南嶺歿後は、貞親子三人は楠島の政篤の所で世話になり、
その後、弟・深蔵を頼って大阪へ行ったと聞いております。
桑原深蔵はその頃、毎日新聞社設立にも参加して、
財をなし京都嵐山に別荘を二つも持つ程でした。
たしか、大江卓さんから、本山と言う人物が新聞に情熱を燃やしているので
使ってみてはと深蔵に紹介があり、毎日に入社されたそうです。
この本山さんが、やがて、毎日新聞を背負って立つ程になり、
朝日の村山か毎日の本山かと言はれた毎日新聞社の本山社長とききました。
深蔵は姉貞に、大阪長柄に、酒井家の墓地を買ってくれました。
今その墓地には酒井と金子の墓が並んであります。
酒井の墓には貞・土佐(南嶺の娘早世)それに私の父清の分骨及び
南嶺の歯と髪が入って居ます。
深蔵も知人の請け判のため、家屋敷、別荘も手放し没落致しました。
その為、孫娘千代も学業を断念いたしました。
その千代が、或る日偶然、大阪御堂筋にて本山社長と会い
何んでも相談に乗ると申され、千代は写真の技術を習いたいと申しますと、
それならば社の写真部で習得したらという事で、
毎日の写真部に入って腕をみがいたとのことです。
―略―
昭和六十三年二月八日
左 桑原深造 右 大江卓
左 桑原深造 右 大江卓

[小野梓傳]
第三図版 少年兵小野梓(右方、凱旋の際京都で撮影か)p28-29
昭和10年11月20日発行
著者 西村眞次
発行所 冨山房
左 桑原深造(※小野一雄) 右 小野梓
左 桑原深造(※小野一雄) 右 小野梓
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須知競馬場[丹波町誌]

須知競馬場[丹波町誌]

[丹波町誌]
昭和60年10月15日 発行
編集 丹波町誌編さん委員会
  (株)ミマスプランニングサービス
発行 丹波町役場
   山崎高明
印刷 野崎印刷紙業株式会社

五 幻の地方鉄道(須知―殿田)p409
鉄道開通後、客足が落ち、さびれて来た当地方の振興をはかって、
色々な施策がとられた。
その経過をまとめてみる。
大正 二年
改元記念に竹野村桑苗二〇〇本植込。
大正 二年
京都競馬を須知町蒲生野に誘致。
社団法人京都競馬倶楽部に、
大正二年八月より一九年八月まで一七年間、
使用料一ヵ年一〇〇円にて貸与する。(須知町)
春・秋二回の興業一〇年間。
馬券がないため観客少なし
大正一二年 秋の競馬中止となる。
大正一三年 須知競馬場移転(淀へ)について折衝の結果、
金千円を受領し、やむなく解約する。(須知町)
―略―
元競馬場(蒲生)写真[丹波町誌]
元競馬場(蒲生)写真[丹波町誌]

京都・須知競馬場(京都府)
1913(大2)年~1923(大12)年
京都市下京区の島原競馬場にてスタートした京都競馬であるが
火災により競馬施設を焼失、財源が乏しく土地貸借期限も迫っていたこともあり
1913(大2)年:
競馬場を京都府船井郡須知町(現:京丹波町)に移転し再開する
須知といえば繁華街からは一変して、山と緑に囲まれた静かな町である
年2回の補助金競馬を開催したが
補助金競馬は群集の興味を集め辛かった
1923(大12)年:競馬法が成立し馬券が公認されると
交通の便が悪い当地より
宇治川、桂川に囲まれ緑豊かで
売り上げの見込める淀(現:京都市伏見区)への移転を決めた
京都府船井郡須知町
http://www2.ttcn.ne.jp/kuro/history/keiba%20cyuo/018%20kyoto2/top.htm

京都(淀)競馬場
京都市下京区島原
京都府船井郡京丹波町須知
京都市伏見区葭島渡島町
京都競馬場沿革
―略―
大正2(1913)年11月 現京都府船井郡京丹波町須知に移転、初開催
―略―
大正2年 京都府船井郡京丹波町須知に移転
「絵葉書」二枚あり。
京都競馬場第一作業場
(須知船越発行)
京都競馬倶楽部須知競馬場の図 (未収集)
(須知船越発行)
http://homepage2.nifty.com/keibastamp/newpage56.html

[須知町安井航空研究所][開場記念写真帖]大正十一年十一月

[須知町安井航空研究所]
[開塲記念寫眞帖]大正十一年十一月
 須知青年團發行 山家山内撮影

1[開場記念写真帖]
2[開場記念写真帖]
今回 城陽市在住の森川康雄氏より
桜梅園 山内勇氏を通じ
大正11年発行の安井飛行場開場時の写真集(別途添付)の
寄贈を受けたので報告致しますと共に
別紙のとおり礼状を送付することと致します。
礼状と共に町政要覧・観光マップを同封予定。
<寄贈者>
城陽市寺田宮ノ谷29の32
森川康雄氏(社会福祉法人 うめの木福祉会 城陽作業所 勤務)
※以前 警察官をされていたお父さんの勤務の関係で
    丹波町に住いされていたことがある。
3[開場記念写真帖]
丹波中央公民館図書室
4[開場記念写真帖]
5[開場記念写真帖]
6[開場記念写真帖]
7[開場記念写真帖]
8[開場記念写真帖]
9[開場記念写真帖]
10[開場記念写真帖]
11[開場記念写真帖]
12[開場記念写真帖]
13[開場記念写真帖]
14[開場記念写真帖]
15[開場記念写真帖]
16[開場記念写真帖]
17[開場記念写真帖]
18[開場記念写真帖]
19[開場記念写真帖]
京丹波町中央公民館図書室 所蔵

[安井荘次郎]
墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去
明治26年(1893)9月22日生
昭和3年(1928)10月30日歿 35歳
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年04月15日 04:28 ◆須知町安井航空研究所 安井荘次郎
〔画像拡大版〕[須知町安井航空研究所][開場記念写真帖]大正11年11月
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<愛国飛行場・大本教婦人会>《安井荘次郎》[丹波町誌]

<愛国飛行場・大本教婦人会>《安井荘次郎》[丹波町誌]

[丹波町誌]
昭和60年10月15日 発行
編集 丹波町誌編さん委員会
  (株)ミマスプランニングサービス
発行 丹波町役場
   山崎高明
印刷 野崎印刷紙業株式会社

大正一一年 曽根に民間飛行場開設 p410

六 愛国飛行場 p414-415
昭和八年九月六日、大阪毎日新聞に左のような記事が掲載された。
「亀岡の大本教関係婦人会が、約五万坪の愛国飛行場を、
綾部・亀岡附近に設け、完成後これを陸軍に献納するから、
その場所の選定をしてほしいと申し出た。
京都師団としては、丹波地方に飛行場設置を希望しているので早速、
候補地の選定に乗り出した。」
須知町では、大本教婦人会とも連絡をとり各方面の情報を集め、
京都師団へ請願書を提出した。
その要旨左の通り

「当須知町ハ、綾部・亀岡ニ接セズト雖モ其ノ中間ニアリ、
先ニ民間飛行場ノ開設セラレタル所ナリ。
大正一〇年、京都出身ノ民間飛行士
故安井荘次郎氏ノ選定要望ニヨリ、
荒地ヲ開キ無償貸与セシモノナリ、
航空研究所ノ開設、練習生ノ養成、宣伝飛行ニアタリ、
其間、八日市陸軍飛行隊ノ演習ニモ使用セラレタリ。
ソノ位置ハ須知町曽根、院内ニアリ、旧山陰道ニ沿ヒ、
三〇万坪の一大高原盆地ニシテ、
其中央ニ三万坪ヲ拓キ飛行場ニアテシモノナリ。
安井氏ハ先年、御大典記念飛行ニ参加シ、当町ヘ帰路、
機体ニ故障ヲ生ジ墜落横死ヲ遂ゲラレ、
飛行場ハ閉鎖サレテ今日ニイタレリ。
今回、愛国飛行場献納ノ美挙ヲ聞キ、
献納者ト協議ノ上、充分ニ御便宜ヲ計ルベク、
過去、現在ノ事情ヲ述ベテ、御高配ヲ願フモノナリ。
須知町長 田端長久郎
京都第一六師団長閣下」
このことについては、町会にもはかり、一部用地買収も進めたが、
色々と経過があって、遂に愛国飛行場の実現を見ることはなかった。
わが国が中国と戦争を始めた昭和一二年の秋、
再び飛行場設置の話がもちあがった。
鈴木陸軍中将・塩原民二らが代表する大日本航空義会は、
陸軍飛行場設置を計画しており、
須知町は国会の斡旋により、陸軍飛行場用地として
曽根の安井飛行場跡地を陸軍省へ献納することにした。
須知町議会記録に
町有地ヲ陸軍飛行場用地ニ寄附ノ件
本町字曽根地内ノ町有地参万坪ヲ、
同地ニ陸軍飛行場設置ヲ条件トシテ無償寄附セントス
昭和十三年九月八日
須知町長 高谷安平
とあり、この議案は、飛行場設置の場合は
附近の土地(蒲生野競馬場跡地附近)も
無償貸与することを了解のもとに議決された。
しかし、この議案もまた実現するに至らなかったのである。
元安井飛行場(曽根院内幸野)
元安井飛行場(曽根院内幸野)

坂本龍馬の短刀:公文菊僊:中島知矩平

坂本龍馬の短刀:公文菊僊:中島知矩平

[土佐すくも人]第5号(1988年版)昭和63年10月21日発行
非売品
編集・発行 東京宿毛事務局
〒165 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員  伊賀三省・依岡顯知・吉良慎平・後藤英輔
      兵頭武郎・津野輔猷・加藤剛清・小野信哉
印刷    誠宏印刷株式会社

「短刀の由来」弘中敦子 p39-41
長兄酒井清の話によれば、
母知恵がすでに亡くなっていた後だった昭和六年の事である。
京都妙心寺近く花園に住む兄の家を、突然見知らぬ二人の紳士が訪づれた。
一人は画家の公文菊僊氏、
一人は中島航空機製作所長の中島知矩平氏であった。
二人共著名な人である。
「お宅に坂本龍馬の短刀があるはずだが、
その刀をさした龍馬の像をかきたいので一年間お借し願いたい」という事である。
兄は二人の人柄にひかれて快諾した。
丁度一年経ってから二人が揃って来訪しその短刀を兄に返すと共に、
龍馬の立ち姿を描いた掛軸大の一幅の画を兄に贈ったのである。
その画像の中の龍馬の腰にはまさしくこの短刀がさされていたのであった。
この画は今も時々歴史館の展示などで見かける事があるが、
他の龍馬の立ち姿の画像と違って、公文菊僊の署名の外に、
中島知矩平の細字の賛があるのですぐ判別出来るのである。
尺九寸五分、小豆色の螺鈿の短刀は第二虎徹の作、
兄が目釘を抜いて確認したと語っていた。
この美しい短刀は、私の母方の祖父酒井三治南嶺が
坂本龍馬から貰ったものと云い伝えられ、
母知恵が護刀として持っていたものである。
明治の終り頃まで生存していた南嶺の妻貞及び貞の弟桑原深造の話では、
「南嶺は龍馬と親しく又龍馬の先生でもあったので、
龍馬が脱藩の時に南嶺に贈ったのだ」という。
また、深造の孫千代も、深造の後妻の澄が昭和十年まで生きていたので
始終その話を聞かされていたと私に語っていた。
だが龍馬と南嶺との関係を書いた文献は何一つ残っていないので
証明する事が出来ないのである。
しかし不思議に思えるのは何故公文菊僊が兄の家を訪づれたのであろうか。
公文菊僊と云えば土佐の郷土史家平尾道雄の著「龍馬のすべて」50頁に
「晩年龍馬の画像をほとんどすべて専門にかいていた
公文菊僊の話によると氏は龍馬をかくためにつねに古老をたずねて
龍馬の日常やその習性を調べたそうである。」という一節があるが、
公文氏は誰かにこの短刀の所在を教えられて兄を訪ねたのに相違あるまい。
しかもそれは的確な情報だったと思えるのである。
兄が二人の二度の訪問の折にそのあたりの事情をたずねて居れば
すべての謎がとけたであろうと残念である。
大正十四年十一月二六日母が急死してから
酒井の兄の手に渡り久しく見る機会がなかった。
酒井家では戦後この短刀の所持許可の手続きを怠っていた為、
世間に知られる事を厭がったのである。
興味本意に世間の噂になる事のわずらわしさもあったであろう。
或る人の好意によりこの短刀の写真を手にする事が出来たが、
この様な事情で公表する事が出来ないのが残念である。
しかし昔から刀には魂があるという。
この短刀も陽の目を見たがっているのではなかろうか。
母の鎮魂の為にもこの様な名剣が死蔵される事なく世に出る事を祈ってやまない。
それでこそこの短刀も新しい生命の息吹きを得てよみがえるのである。
(ひろなか・あつこ福井在住)
龍馬から贈られた短刀 p40
龍馬から贈られた短刀 p40
<坂本龍馬像>公文菊僊画 p41
<坂本龍馬像>公文菊僊画 p41

[土佐すくも人]第24号(2008年版) 平成20年4月19日発行
非売品
編集・発行 三元社
〒165-0027 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員  後藤英輔・兵頭武郎・津野輔猷・西田英毅
      伊賀朗氏・千谷克昭・小野信哉
印刷    株式会社アイガー
<訃報>p68
「弘中敦子さん」
幕末宿毛の学者、酒井南嶺のひ孫さんで福井市に住んでおられた、
弘中敦子さんが、九十九歳のご高齢で、昨年十一月に老衰されましたと、
東京宿毛会の上村美絵子さんからご連絡を頂きました。
長男の弘中征史さんに連絡し確認できましたので、お知らせ致します。
弘中さんは昭和六十三年十月に『酒井南嶺伝』を出版されました。
この出版は私と津野君と二人で福井にお伺いした時に
すでに原稿が出来ていることを知り
出版のお手伝いをさせていただき、
発行所は東京宿毛会になっています。
弘中さんは、この出版物が出来た頃、
二回にわたり東京宿毛会にご出席下さいました。
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[安井荘次郎]墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去

[安井荘次郎]墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去
明治26年(1893)9月22日生
昭和3年(1928)10月30日歿 35歳

【朝日年鑑】[第2冊]大正16年
本邦民間飛行操縦練習所 p165/407
安井航空機研究所 京都府須知町 安井荘次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/165
民間飛行機操縦士一覧(大正15年8月10日現在) p172-173/407
陸上機二等 p172/407
安井荘次郎 明治26年9月22日生 原籍 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/172
大正15年10月25日印刷
大正15年11月1日発行
定価 金八十銭(?税金十銭)
著作、発行兼印刷者 一花健蔵
          大阪市北区中之島三丁目三番地
印刷所       大阪朝日新聞発行所
          大阪市北区中之島三丁目三番地
発行所       株式会社朝日新聞社
          大阪市北区中之島三丁目三番地
発売所       大阪朝日新聞社
          東京朝日新聞社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/404
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
[安井荘次郎]やすい-そうじろう
?-1928 大正-昭和時代前期の飛行家。
京都西陣の人。
大正6年(1917)大阪子供博覧会で飛行機を購入し,
岐阜の各務原(かがみがはら)飛行場で独習し二等飛行士となる。
大正12年(1923)の関東大震災では各務原-大阪間の郵便飛行をおこなった。
のち京都府船井郡須知(しゅうち)町(丹波町)に飛行場をつくり後進を指導した。
墜落事故により昭和3年(1928)10月30日死去。
http://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E4%BA%95%E8%8D%98%E6%AC%A1%E9%83%8E

12・・・日本航空界の黎明期(2)
手作り飛行機に傾倒した方は上述した他にも数多くいます。
調査出来た人々を列記して見
ますと、次のようになりました。
*日野熊蔵氏。代々木での初飛行成功で有名ですが、手作り機にも何度か挑戦しました。
*伊賀氏広氏。男爵、伊賀式1号、伊賀式舞鶴号を試作、飛行に至らず。
*滋野清武氏。男爵、万国飛行免状取得、滋野「わか鳥」号を試作。
*高左右隆之氏。高左右式4号複葉機を自作、国内・満州・沖縄を飛行。
*白戸栄之助氏。白戸式旭号などを製作、各地で公開飛行。
*田村敬一氏。*星野米三氏。*稲垣知足氏。*小川三郎氏。*一森義憲氏。
*藤原延氏。*粟津実氏。*福長朝雄氏。*福長四郎氏。
*安井荘次郎氏。
以上の他にも表面に出なかったスポンサー・操縦者・設計者・助手などが多数いた筈です。
(2006年1月25日記)
http://homepage2.nifty.com/nakagen29/12.htm

《民間飛行機並操縦士数》
【逓信一覧】
[第4冊]第33囘(大正13年調)
民間飛行機並操縦士数 p57/109
大正13年11月末現在
《飛行機》
種   別 甲種 乙種 丙種 甲種丁種 合計
陸上飛行機 二二 一九  二    五 四八
水上飛行機 一二  二         一四
合   計 三四 二一  二    五 六二
《操縦士》
種      別 一等操縦士 二等操縦士 三等操縦士   合計
陸上飛行機操縦士    二九    四〇    七三  一四二
水上飛行機操縦士    一〇    一二     四   二六
合      計    三九    五二    七七  一六八
備考 同一人ニシテ水陸二種ノ免状ヲ有スルモノ九名ヲ含ム
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975825/57
大正14年1月25日印刷
大正14年1月31日発行
逓信大臣官房文書課
印刷者 吉廣虎雄
    東京市本郷区駒込神明町一九九番地
印刷所 太陽印刷株式会社東京支店
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975825/107

【逓信一覧】
[第5冊]第34囘(大正14年調)
民間飛行機並操縦士数 p62/117
大正14年11月末現在
《飛行機》
種   別 甲種 乙種 丙種 甲種丁種 合計
陸上飛行機 二九  九  三   一三 五四
水上飛行機 一五  二         一七
合   計 四四 一一  三   一三 七一
《操縦士》
種      別 一等操縦士 二等操縦士 三等操縦士   合計
陸上飛行機操縦士    四七    四一    八一  一六九
水上飛行機操縦士    一五    一四     五   三四
合      計    六二    五五    八六  二〇三
備考 同一人ニシテ水陸二種ノ免状ヲ有スルモノ八名ヲ含ム
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975826/62
大正15年1月4日印刷
大正15年1月12日発行
逓信省官房文書課
印刷者 中野鍈太郎
    東京市芝区愛宕町三丁目二番地
印刷所 東洋印刷株式会社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/975826/114
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[安井荘次郎][国立国会図書館サーチ]

[飛行] 2(3)
タイトル 飛行
出版地  東京
出版社  帝国飛行協会雑誌発行所
出版年  1921-03
巻 次  2(3)
製作者 国立国会図書館
出版年月日等 1921-03
目 次
口 繪/(0008.jp2)
航空船の用途と其の價値/p2~9(0011.jp2)
航空機沿革考 / 寺家村和介/p10~13(0015.jp2)
英米の飛行郵便 / 小田部胤康/p14~17(0017.jp2)
世界二三流國航空界槪觀 / 北尾龜男/p18~23(0019.jp2)
戰捷分讓品獨逸飛行機に對する意見 /
井上武三郞 ; 磯部鉄吉 ; 星野米藏 ;
尾崎行輝 ; 川上親孝 ; 高左右隆之 ; 玉井照高 ;
安井莊次郞 ; 福長朝雄 ; 謝文達 ; 滋野淸武 ; 茂呂五六/p24~27(0022.jp2)
支那の飛行界たより / 星野米藏/p28~28(0024.jp2)
飛行機用發動機故障の硏究 / 森川三郞/p29~31(0024.jp2)
長崎靑森間無着陸飛行詳說 / 加藤正美/p32~32(0026.jp2)
佛蘭西飛行界(その四) / 長岡外史/p33~36(0026.jp2)
空中の法律(その三) / 堂本貞一/p37~39(0028.jp2)
安全第一 參宮旅客輸送に就て / 尾崎行輝/p40~42(0030.jp2)
飛行場巡禮 來賓室と揮發油庫 / K・K生/p45~48(0032.jp2)
飛行雜詠 / 久能司/p49~49(0034.jp2)
航空機操縱生は斯くして選拔したり / 岡楢之助/p50~51(0035.jp2)
簡短で興味深き懸賞飛行家筆蹟競へ/p44~44(0032.jp2)
懸賞募集 航空界婦女列傳/p70~70(0045.jp2)
特別讀物/p53~68
帝國飛行協會第二回懸賞飛行競技大會規程
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000112163-00

[飛行] 2(9)
タイトル 飛行
出版地  東京
出版社 帝国飛行協会雑誌発行所
出版年 1921-09
巻 次 2(9)
製作者 国立国会図書館
出版年月日等 1921-09
目 次
萬事休す矣――口繪/(0008.jp2)
現代優秀の水上航空機――口繪/(0009.jp2)
民間飛行界の中堅安井莊次郞氏――口繪/(0010.jp2)
新航空官制に就て / 寺家村和介/p2~4(0011.jp2)
空中郵便實行促進策 / 磯部鉄吉/p5~(0012.jp2)
昨年の萬國航空界回顧 / KI生/p6~(0013.jp2)
盛なる哉英國の航空貿易 / 關凱郞/p8~(0014.jp2)
航空に必要なる一般智識 / 山本順平/(0014.jp2)
空界片々――(歐米最近の情勢) / 朔北生/p26(0015.jp2)
空中の法律(六) / 堂本貞一/p27~30(0018.jp2)
耐波性の立場より見たる水上飛行機浮舟の形 / S・K・Y/(0021.jp2)
模型飛行機の硏究(3) / 加藤正世/p36(0020.jp2)
支那最初の郵便飛行に搭乘して / 古野伊之助/p37~38(0021.jp2)
一週忌追悼/p39~46(0022.jp2)
尾島にゐた頃 / かわはら生/p47~50(0026.jp2)
大正初頭の飛行界 / 帝國飛行協會/p51~53(0028.jp2)
太刀洗から / 谷甚吉/p54~54(0030.jp2)
飛行場巡禮 梅雨霽の追濱 / 北尾龜男/p55~57(0030.jp2)
懸賞飛行士筆蹟競べ得點發表/p58~59(0032.jp2)
帝國飛行協會記事/p67~69(0036.jp2)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000583180-00
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[安井荘次郎][民間飛行機操縦士・陸上二等]

[安井荘次郎]    [民間飛行機操縦士・陸上二等]
[安井航空機研究所][本邦民間飛行機操縦術練習所]

【航空資料】[第1冊]第1号
大正13年3月 航空局
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984166/3
大正12年中操縦士各月飛行有無調査表 p100/104
安井荘次郎 等級2
三月 四月 六月~十一月 ※ 飛行の月度(小野一雄)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/984166/100

【航空要覧】[第1冊]大正14年11月
逓信省航空局
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978567/2
本邦民間飛行機操縦術練習所 p7-8/50
(大正14年10月調)
安井航空機研究所 京都府須知町 安井荘次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978567/8

【報知年鑑】[第1冊]大正14年
民間飛行機操縦術練習所 p174/429
安井航空機研究所 京都府須知町 安井壮一郎 ※安井荘次郎(小野一雄)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976132/174
民間飛行機操縦士    p175/429
(大正13年8月1日調)
安井荘次郎 年齢32 陸上二等 本籍 京都
兵頭 精  年齢26 陸上三等 本籍 愛媛
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976132/175
大正13年10月2日印刷
大正13年10月5日発行
定価 金八十銭
編集人    報知新聞調査部
       東京市麹町区有楽町二丁目一番地
右代表者   生駒粂蔵
発行兼印刷人 広瀬?六
       東京市麹町区有楽町二丁目一番地
印刷所    報知社印刷所
       東京市麹町区有楽町二丁目一番地
発行所    報知新聞社出版部
       東京市麹町区有楽町二丁目一番地
       振替 東京四二〇六五番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976132/426

【報知年鑑】[第2冊]大正15年
本邦民間飛行場調(大正14年8月調) p183/493
安井荘次郎 陸上
京都府船井郡須知町字院内曽根及高原の1部(院内野原)
面積 204,038坪 現在地均せる場所 40,000坪
民間飛行機操縦術練習所(大正14年8月1日調)  p183/493
安井航空機研究所 京都府須知町 安井荘次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976133/183
民間飛行機操縦士     p183-184/493
(大正14年8月8日調)
安井荘次郎 年齢33   陸上二等 本籍 京都 p184/493
兵頭 精    年齢27 陸上三等 本籍 愛媛 p184/493
木部シゲノ  年齢23 陸上三等 本籍 福岡 p184/493
今井小まつ 年齢28 陸上三等 本籍 京都 p184/493
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976133/184
大正14年9月10日印刷
大正14年9月15日発行
定価 金壱圓
編輯者    報知新聞調査部
       東京市麹町区有楽町2丁目1番地
右代表者   生駒粂蔵
発行兼印刷者 廣瀬?六
       東京市麹町区有楽町2丁目1番地
印刷所    三秀舎
       東京市神田区美土代町2丁目1番地
発行所    報知新聞社出版部
       東京市麹町区有楽町2丁目1番地
       振替 42065番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976133/489

【報知年鑑】[第3冊]大正16年
本邦民間飛行場調 (大正15年8月調) p225/530
安井荘次郎 陸上
京都府船井郡須知町字院内曽根及高原の1部 面積 40,000坪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976134/225
民間飛行機操縦術練習所(大正15年8月調)  p226/530
安井航空機研究所 京都府須知町 安井荘次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976134/226
民間飛行機操縦士     p226-227/530
大正15年8月調
安井荘次郎 年齢34 陸上二等 本籍 京都 p226/530
兵頭 精    年齢28 陸上三等 本籍 愛媛 p226/530
木部シゲノ  年齢34 陸上三等 本籍 福岡 p227/530  年齢24の誤り。
今井小まつ 年齢29 陸上三等 本籍 京都 p227/530
前田あさの 年齢22 陸上三等 本籍 奈良 p227/530
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976134/226
大正15年9月10日印刷
大正15年9月15日発行
定価 金壱圓
編輯人    報知新聞調査部
代表者    生駒粂蔵
発行兼印刷人 報知新聞社出版部
代表者    川畑玄二
発行所    報知新聞社出版部
       東京市麹町区有楽町2丁目1番地
       振替 42065番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976134/520

【朝日年鑑】[第2冊]大正16年
本邦民間飛行操縦練習所 p165/407
安井航空機研究所 京都府須知町 安井荘次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/165
民間飛行機操縦士一覧(大正15年8月10日現在) p172-173/407
陸上機二等 p172/407
安井荘次郎 明治26年9月22日生 原籍 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/172
陸上機三等 p173/407
木部シゲノ 明治36年11月12日生 原籍 福岡
兵頭 精   明治32年4月6日生  原籍 愛媛
今井小まつ 明治31年8月13日生 原籍 京都
前田あさの 明治38年11月1日生  原籍 奈良
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/173
大正15年10月25日印刷
大正15年11月1日発行
定価 金八十銭(?税金十銭)
著作、発行兼印刷者 一花健蔵
          大阪市北区中之島三丁目三番地
印刷所       大阪朝日新聞発行所
          大阪市北区中之島三丁目三番地
発行所       株式会社朝日新聞社
          大阪市北区中之島三丁目三番地
発売所       大阪朝日新聞社
          東京朝日新聞社
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976131/404

【官費・私費陸海軍航空兵・少年航空兵・民間飛行士志願案内】
私費で飛行家となるには p37/68
安井航空研究所(京都府下須知町)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027368/37
昭和5年8月2日印刷
昭和5年8月5日発行
発行所 三光堂書店
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027368/64

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

<一見西洋人の様な安井荘次郎飛行士:安井飛行場:須知農学校>

<一見西洋人の様な安井荘次郎飛行士:安井飛行場:須知農学校>

須知農学校:京都第一中学校生を迎へて
(昭和2年7月25日~8月7日)

【我等の田園生活. 1927刊】
【我等の田園生活】
須知附近略図 p3/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/3
安井(飛行場)p3
安井(飛行場)p3/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/3
―略―
是れらのほか特別に安井飛行場や
貯水池等を見せて貰って得る所が多かった。
ただ鮎狩の行はれなかったことは残念に思った。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/12
この際、身体の弱くて水泳登山等に堪へないものも奮って参加されたい。 p15/113
場所 京都府船井郡高原村府立 須知農学校
期日 自七月二十五日 至八月七日(二週間)
宿舎 須知農学校寄宿舎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/15
作業実績表 p18-19/113
八月四日
安井飛行場見学(紀念撮影)
八月五日
琴瀧貯水池工事見学(紀念撮影)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/18
八月四日(第十一日) p33/113
朝の作業は精米と筵編みと草取りであった。
八時半より安井飛行場に向って出発。
山を二つ越して、朝の光のあふれてゐる高原に着いた。
右手の大きい建物は格納庫である。
格納庫に入ると銀色の大きな飛行機が四臺ある。
僕は今まで飛行機を手近に見た事がなかったので大変面白く思った。
なかなか精密にできてゐる事も知って興がった。
其のうちに眼の玉の青い、鼻筋の通った、
一見西洋人の様な安井飛行士が見えて、
飛行機を出し機体を点検したのち、
茶色の飛行帽を着けて飛行機にのられた。(大浦)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/33
「コンター。」
「コンター。」
機上の操縦者と翼の下にゐる助手の間に
こんな合図の声がしばらく繰り返されて、
いくたびかプロペラーは助手の手でくるくると廻されたが、
瞬間、バッバッバッバッと大変な響をたてゝ回転しはじめた。
機体の背後にある草は巻き起る烈しい風に薙ぎ伏せられて
頭を地にすりつけてしまった。
耳も聾せんばかりのエンジンの響とプロペラーの音の中に、
驚異をまじへた人々の歓声が起った。
たちまちプロペラーの音が高くなると、機体は後ろに動き出したが、
はるかに向きを東に変へて滑走するや、はやふわりと浮んでゐた。(猪狩)
数分の後、機体は霰のやうな拍手の音に迎へられて着陸した。
それからくわしい飛行機の話を聞いた。
帰りには町長からこゝの開場式の写真帳を各々もらった。(佐々川)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/34
そして飛行場の話や飛行機の墜落した話などしてくれた。 p71/113
その時彼は、飛行機に五分間乗せて貰へば、
その料金が十圓とか十五圓だとかそれでも決して高くない、
寧ろ損な位だなどと大いに力説した。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/71
中島君 p77/113
お手紙ありがたう。
そちらの様子がよくわかりました。
この前書くことを忘れましたが當地にはまた
民間飛行士安井氏の研究所があります。
今朝そこを参観したところです。
色々な型の飛行機が六臺かありました。
安井氏が實演してくれましたが第一その軽装に驚きました。
猿股とシャツでそれに腹巻をしてゐるだけです。
もっとも飛行帽は被られました。
しかし僕は夏でも冬服を着けて
裏に猫か狐の毛のついた飛行服でも着るものだとばかり思ってゐましたから。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/77
須知行 p84/113
職員 今田哲夫
安井飛行場に赴く。途上
草山の朝(あした)はなべて露ふかしたまたま見つる撫子の花
飛行場にて
プロペラのいよよ高鳴り風立つやしりへ一面の草なびきふし
高原の夏草原の朝風にそよらに揚る飛行機一つ
中空を輪にとぶしばし飛行機は翼むけたり杉原の上に
エンジンの音を停めて飛行機はおりてぞきたる翼たひらに
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/84
昭和3年1月10日印刷
昭和3年1月15日発行
(非売品)
発行者代表 山根好國
印刷者   早崎鶴之助
      京都市夷川通川端東入
印刷所   弘文堂印刷部
      京都市夷川通川端東入
発行所   京都府立 京都第一中学校田園生活團
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/112

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

春蘭

春蘭
1-春蘭
2-春蘭
3-春蘭
春蘭が初めて咲きました。
感激です。
小野喜代子

須知農学校:京都第一中学校生を迎へて【我等の田園生活. 1927刊】

須知農学校:京都第一中学校生を迎へて
(昭和2年7月25日~8月7日)


【我等の田園生活. 1927刊】
【我等の田園生活】
須知附近略図 p3/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/3
田園生活の回想(之れを序に代へる)p10/113
五乙 内海義夫
「自然」それは純真を尚ぶ青年の修道院だ。
「田園」それは都会の塵を洗ふ若人の桃源だ。
自然の懐に抱かれた田園の生活。
それこそ我等都会に住む学生の憧憬の的であった。
我が京都第一中学が此の夏企てた田園生活は、
自然の生活の中から労働と直感に依って、
生ける教訓を得るのが目的であったと思ふ。
十四日の間は短くはあったが、黄塵の巷を去って自然に帰り、土に親しみ、
神秘の囁きに耳を傾けることが出来たのであった。
抑も須知農学校は、山陰線下山駅から西に入る事一里半、
海抜六百尺の高地にあって、
周囲十数町の間は、殆ど人家を見ないといふ脱俗境だ。
寮の窓からはまぢかに青々とした菜園や、
實もたわゝな桃、梨の畑が見えて、
そのかなたには山を背に林が連って居る。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/11
―略―
是れらのほか特別に安井飛行場や
貯水池等を見せて貰って得る所が多かった。
ただ鮎狩の行はれなかったことは残念に思った。
農学校では僕等を指導するために、
休暇中にも拘らずその三年の生徒十人許りを當てゝおかれた。
其三年生諸君が八月一日から五日迄だったか、
毎晩赤い提灯をかゝげて附近の農村を巡回し、
農村振興歌を歌ひ太鼓を敲いて農民に講演をして歩かれた。
その帰りが大抵十二時頃だったのに、
翌朝はまた五時から僕等の指導に立たれたのは、
誠に感謝に堪へないことであった。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/12
この際、身体の弱くて水泳登山等に堪へないものも奮って参加されたい。 p15/113
場所 京都府船井郡高原村府立 須知農学校
期日 自七月二十五日 至八月七日(二週間)
宿舎 須知農学校寄宿舎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/15
作業実績表 p18-19/113
八月四日
安井飛行場見学(紀念撮影)
八月五日
琴瀧貯水池工事見学(紀念撮影)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/18
八月四日(第十一日) p33/113
朝の作業は精米と筵編みと草取りであった。
八時半より安井飛行場に向って出発。
山を二つ越して、朝の光のあふれてゐる高原に着いた。
右手の大きい建物は格納庫である。
格納庫に入ると銀色の大きな飛行機が四臺ある。
僕は今まで飛行機を手近に見た事がなかったので大変面白く思った。
なかなか精密にできてゐる事も知って興がった。
其のうちに眼の玉の青い、鼻筋の通った、
一見西洋人の様な安井飛行士が見えて、
飛行機を出し機体を点検したのち、
茶色の飛行帽を着けて飛行機にのられた。(大浦)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/33
「コンター。」
「コンター。」
機上の操縦者と翼の下にゐる助手の間に
こんな合図の声がしばらく繰り返されて、
いくたびかプロペラーは助手の手でくるくると廻されたが、
瞬間、バッバッバッバッと大変な響をたてゝ回転しはじめた。
機体の背後にある草は巻き起る烈しい風に薙ぎ伏せられて
頭を地にすりつけてしまった。
耳も聾せんばかりのエンジンの響とプロペラーの音の中に、
驚異をまじへた人々の歓声が起った。
たちまちプロペラーの音が高くなると、機体は後ろに動き出したが、
はるかに向きを東に変へて滑走するや、はやふわりと浮んでゐた。(猪狩)
数分の後、機体は霰のやうな拍手の音に迎へられて着陸した。
それからくわしい飛行機の話を聞いた。
帰りには町長からこゝの開場式の写真帳を各々もらった。(佐々川)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/34
※ 町長からこゝの開場式の写真帳
 [須知町安井航空研究所][開塲記念寫眞帖]
  大正十一年十一月 須知青年團發行 山家山内撮影


八月五日(第十二日) p34-36/113
九時からは須知町の一大計画である大貯水池工事場へ行った。
三四十町はあったろう。
途中土地の名勝なる琴瀧を見たが華厳滝より大きいさうだ。
しかし水量ではとても及ぶまい。(沓水)
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/35
そして飛行場の話や飛行機の墜落した話などしてくれた。 p71/113
その時彼は、飛行機に五分間乗せて貰へば、
その料金が十圓とか十五圓だとかそれでも決して高くない、
寧ろ損な位だなどと大いに力説した。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/71
須知便り p72/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/72
三乙 天野信雄 p73/113
やっと須知の農学校に参りました。
駅から荷物だけ自動車で運んで貰って一里許りを川に沿って参りました。
学校は私達の学校の比ではなく、それはそれは立派なものです。
小高い平原の上に建ってゐて周囲は山です。
其の間人家などありません。
此れ等の山は全部学校のださうで、時々狐や猪が飛び出るとききました。
此の邊は一帯が京都などより六百尺も高いのです。
学校に着くと山本校長から農学校長並びにその諸先生方に紹介せられました。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/73
三乙 森 勇治 p75-76/113
お手紙有難く受取りました。
今日は報告的な事をやめて偶感をちょっとのべます。
此所で一番深く感じた事は當高の先生方や生徒諸君の親切といふ事です。
先生方は僕等の要求といふ要求は総べて容れて下さった。
いやそれ以上に色々と便宜を計って下さいました。
そして生徒諸君には何を言っても直ぐに「有難う」と言はれます。
何とやさしい言葉でせう。
何と友愛のこもった言葉でせう。
都会人の如き口先だけのお世辞百萬言よりもはるかに深みのある言葉です。
「有難う」といふ言葉は簡単ですが中には言ひつくせない
こまかい友情とか友愛とか言ふものが含まれて居ります。
何故かうあの人たちは親切なんでせう。
その親切は僕等が一中生だからといふ形式的のものでは決してないようです。
決してさうではありません。
かのいやしむべき義理(然し或る場合に於いては此れも大切です)
といふ様なものから全く離脱してゐるものです。
云はば全然情愛そのものです。
僕はかう思ひます。
あの人たちは自然といふ大きな懐に抱かれて日を送っています。
自然を相手として働いてゐます。
自然は義理といふものを持ち合わせてをりません。
憎しみとか怨みとか妬みと言ふ様な事は少しもありません。
唯惠みます育みます。
すべては自然にそむいて生きて行く事は出来ません。
しかるに都会の人は、やゝもすれば自然にそむきがちです。
そしてあまりに慾といふものに固まり利に走ります。
その結果は冷やかな灰のやうな心が出来上ります。
併し田園の人たちは自然とくらします。
だから知らず識らず自然に化せられて、
そして温かな「人間」となるのです。
今日で十日になります。
十日や二十日位では決して充分に自然を味ひ得られないと
おっしゃるかも知れません。
しかし僕はたしかに自然を味得したと信じます。
僕は今まで労働といふものに対しても
何の敬意も何の興味も充分には持ってゐませんでした。
併しほんとうに「自然」を知って初めて労働の真価がわかったやうです。
それの辛苦と喜悦とがわかりました。
これらはいつしか僕の「人間」に変化を與へたと言っても
決して大げさではないと思ってをります。
詳しい事は帰ってからゆっくりと語りませう。
もうすぐに寝る時間です。
さようなら
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/75
中島君 p77/113
お手紙ありがたう。
そちらの様子がよくわかりました。
この前書くことを忘れましたが當地にはまた
民間飛行士安井氏の研究所があります。
今朝そこを参観したところです。
色々な型の飛行機が六臺かありました。
安井氏が實演してくれましたが第一その軽装に驚きました。
猿股とシャツでそれに腹巻をしてゐるだけです。
もっとも飛行帽は被られました。
しかし僕は夏でも冬服を着けて
裏に猫か狐の毛のついた飛行服でも着るものだとばかり思ってゐましたから。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/77
田園生活雑詠 職員 竹中信雄 p83/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/83
須知行 p84/113
職員 今田哲夫
安井飛行場に赴く。途上
草山の朝(あした)はなべて露ふかしたまたま見つる撫子の花
飛行場にて
プロペラのいよよ高鳴り風立つやしりへ一面の草なびきふし
高原の夏草原の朝風にそよらに揚る飛行機一つ
中空を輪にとぶしばし飛行機は翼むけたり杉原の上に
エンジンの音を停めて飛行機はおりてぞきたる翼たひらに
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/84
一中生を迎へて 須知農学校 三谷 林 p86/113
しかし気合のかかって居る林先生の掛声に励まされて諸君が元気に働かれ、・・・
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/86
所感 須知農学校 田端源太郎 p87/113
林先生御指図の下に農道の整理、寄宿舎の掃除、炊事まで汗をしぼって
活動された事は一同實に驚き入りました。
幸ひ皆さんの御助力で農場の作物も牛も豚も鶏も一層の活力を出しました。
諸君の御健康を祝福し併せて厚く感謝致します。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/87
思出づるまゝに    須知農学校 谷中福四郎 p87/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/87
お相手をして     須知農学校 館山 清  p89/113
所感         卒業生   稲田素臣  p89/113
団体生活に対する感想 卒業生   井上栄次  p89/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/89
田園清論     職員 中川生   p90/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/90
田園生活を顧みて 職員 林 禮次郎 p92/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/92
所感の一二    職員 三谷友三郎 p93/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/93
田園生活に対して 職員 金井千仭  p94/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/94
同行同心     職員 山根好國  p95/113
場所がよかった。
林先生が熱心であった。
農学校の諸先生方並に生徒達が親切であった。
本校の生徒諸子が真面目であった。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/95
昭和3年1月10日印刷
昭和3年1月15日発行
(非売品)
発行者代表 山根好國
印刷者   早崎鶴之助
      京都市夷川通川端東入
印刷所   弘文堂印刷部
      京都市夷川通川端東入
発行所   京都府立 京都第一中学校田園生活團
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030690/112

【中等教育諸学校職員録】昭和2年5月現在(第24版)
[府立 須知農学校]p168/621
船井郡高原村
明治四一年四月
本科 一年1 五七
   二年1 五一
   三年1 四四
専修科  1  八
加藤惠造  校長、修、簿、農総、
欠員    化、農化、
福井義介  教練、
加藤岩治  数、英、林、
田端源太郎 博、栽培、農工、習、
館山 清  数、法、経、畜、
高木治郎  物、地、蠶、
谷中福四郎 英、栽培、
大橋勉孝  国、漢、地、歴、
吉田幸吉  書記、
吉田九一郎 剣、
世木信重  體、
西村牧太郎 助手、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/168
[府立 京都第一中学校]p158/621
京都市吉田近衛町
明治二六年四月
本科 一年 4 二三二
   二年 4 二〇八
   三年 4 二一二
   四年 4 一九九
   五年 3 一五三
補習科   2 一三八
山本安之助 校長、修、漢、
山根好國  数、
金井千仭  地、博、
三谷友三郎 英、
林 禮次郎 英、
中川兼治郎 国、漢、習、
竹中信雄  国、漢、
今田哲夫  漢、
壽岳文章  英、
中川與之助 法、経、
―略―
高野秀太郎 教練(配属将校)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/158
昭和2年8月29日印刷
昭和2年9月1日発行
(非売品)
編纂兼発行者 中等教科書協会
       東京市神田区小川町四十番地
右代表者   坂本嘉治馬
印刷者    綾部喜久二
       東京市神田区雉子町三十四番地
印刷所    宮本印刷所
       東京市神田区雉子町三十四番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/617

【中等教育諸学校職員録】昭和4年5月現在(第26版)
東京 中等教科書協会
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448058/3
[府立 須知農学校]p194/708
船井郡高原村
明治四一年四月
本科 一年1 五三
   二年1 五三
   三年1 五四
専修科  1  一
北口慶蔵  校長、修、法、経、
三谷 林  化、農化、実習、
加藤岩治  数、英、林業、実習、
田端源太郎 博、栽培、農工、実習、
西田治郎  物、地、蠶業、実習、
谷中福四郎 英、栽培、実習、
岡田性恭  国、漢、地、歴、
岡崎太郎  数、農総、実習、
吉田幸吉  書記、
吉田九一郎 剣、
山内卓二  體、
堀川忠間  助手、
助川啓爾  教練(配属将校)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448058/194

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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