桑原深造:大江卓[土佐すくも人][小野梓傳]
[土佐すくも人]第5号(1988年版)昭和63年10月21日発行
非売品
編集・発行 東京宿毛事務局
〒165 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員 伊賀三省・依岡顯知・吉良慎平・後藤英輔
兵頭武郎・津野輔猷・加藤剛清・小野信哉
印刷 誠宏印刷株式会社
幕末宿毛の学者 p42-46
南嶺の周辺
酒井南嶺曾孫からの書簡
酒井俊雄
―略―
南嶺の妻貞は、中村市楠島に住む郷士、桑原九郎の娘でして、
弟に桑原政篤(楠島住)桑原深蔵(宿毛機勢隊員)がいました。
南嶺歿後は、貞親子三人は楠島の政篤の所で世話になり、
その後、弟・深蔵を頼って大阪へ行ったと聞いております。
桑原深蔵はその頃、毎日新聞社設立にも参加して、
財をなし京都嵐山に別荘を二つも持つ程でした。
たしか、大江卓さんから、本山と言う人物が新聞に情熱を燃やしているので
使ってみてはと深蔵に紹介があり、毎日に入社されたそうです。
この本山さんが、やがて、毎日新聞を背負って立つ程になり、
朝日の村山か毎日の本山かと言はれた毎日新聞社の本山社長とききました。
深蔵は姉貞に、大阪長柄に、酒井家の墓地を買ってくれました。
今その墓地には酒井と金子の墓が並んであります。
酒井の墓には貞・土佐(南嶺の娘早世)それに私の父清の分骨及び
南嶺の歯と髪が入って居ます。
深蔵も知人の請け判のため、家屋敷、別荘も手放し没落致しました。
その為、孫娘千代も学業を断念いたしました。
その千代が、或る日偶然、大阪御堂筋にて本山社長と会い
何んでも相談に乗ると申され、千代は写真の技術を習いたいと申しますと、
それならば社の写真部で習得したらという事で、
毎日の写真部に入って腕をみがいたとのことです。
―略―
昭和六十三年二月八日

[小野梓傳]
第三図版 少年兵小野梓(右方、凱旋の際京都で撮影か)p28-29
昭和10年11月20日発行
著者 西村眞次
発行所 冨山房

[土佐すくも人]第5号(1988年版)昭和63年10月21日発行
非売品
編集・発行 東京宿毛事務局
〒165 東京都中野区野方1-56-2
津野輔猷方
編集委員 伊賀三省・依岡顯知・吉良慎平・後藤英輔
兵頭武郎・津野輔猷・加藤剛清・小野信哉
印刷 誠宏印刷株式会社
幕末宿毛の学者 p42-46
南嶺の周辺
酒井南嶺曾孫からの書簡
酒井俊雄
―略―
南嶺の妻貞は、中村市楠島に住む郷士、桑原九郎の娘でして、
弟に桑原政篤(楠島住)桑原深蔵(宿毛機勢隊員)がいました。
南嶺歿後は、貞親子三人は楠島の政篤の所で世話になり、
その後、弟・深蔵を頼って大阪へ行ったと聞いております。
桑原深蔵はその頃、毎日新聞社設立にも参加して、
財をなし京都嵐山に別荘を二つも持つ程でした。
たしか、大江卓さんから、本山と言う人物が新聞に情熱を燃やしているので
使ってみてはと深蔵に紹介があり、毎日に入社されたそうです。
この本山さんが、やがて、毎日新聞を背負って立つ程になり、
朝日の村山か毎日の本山かと言はれた毎日新聞社の本山社長とききました。
深蔵は姉貞に、大阪長柄に、酒井家の墓地を買ってくれました。
今その墓地には酒井と金子の墓が並んであります。
酒井の墓には貞・土佐(南嶺の娘早世)それに私の父清の分骨及び
南嶺の歯と髪が入って居ます。
深蔵も知人の請け判のため、家屋敷、別荘も手放し没落致しました。
その為、孫娘千代も学業を断念いたしました。
その千代が、或る日偶然、大阪御堂筋にて本山社長と会い
何んでも相談に乗ると申され、千代は写真の技術を習いたいと申しますと、
それならば社の写真部で習得したらという事で、
毎日の写真部に入って腕をみがいたとのことです。
―略―
昭和六十三年二月八日

左 桑原深造 右 大江卓
[小野梓傳]
第三図版 少年兵小野梓(右方、凱旋の際京都で撮影か)p28-29
昭和10年11月20日発行
著者 西村眞次
発行所 冨山房

左 桑原深造(※小野一雄) 右 小野梓
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