[剛崎虎雄(コワザキ トラヲ)について]
剛崎虎雄の孫の河内一郎様から、コメントを頂きました。
blog[小野一雄のルーツ] ※下記参照
[國際運輸浦潮出張所]【在外本邦実業者調. (上卷)】昭和12年
(コメント)2017/01/20(金) 03:28
剛崎虎雄の孫ですが、
祖父は昭和21年満州から帰還中
コロ島の波止場で中共軍に連行されたまま
消息不明となりました、
最後をご存知でしたら教えてください。
銃殺されたと聞いては居りますが
どの様な形で最後を何処で迎えたか知りたいのですが
宜しくお願い致します。
河内一郎。
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mail 送信日時2017/01/20(金)5:36
河内一郎様
コメント、有難うございます。
剛崎虎雄を、グーグルで検索すると、
下記ブログに記載がありました。
中国共産党の暴虐(帰れなかった日本人)
2015-06-23 10:47:05
テーマ:非道!中国共産党の悪行
昭和20年9月29日、日本遺送民会 関係者
全員乗車予定の最終列車がハルピン駅を発車する直前、
30~40名の有力者が公安局(中共側)に逮捕され....
同年の10月5日
10数名の者が人民裁判により文化戦犯となり、
ハルピン西郊の西陽河で銃殺に処せられた。
氏名の確認された者は次のとおり....
剛崎虎雄....
野本謙次....
上田熊生....
佐賀常次郎....
.............
以上、ビッグコミックオリジナル
2015年7月5日号 「フイチン再見」 より
(7月25日号と書いていました。訂正します)
―略―
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mail 送信日時2017/01/20(金)10:40
追伸、熊本出身の祖父剛崎虎雄は
私が五歳まで満州ハルビンで一緒に暮らしましたが、
父が軍医で南方に出征しておりました事もあって
父替わりとして非常に厳しい祖父でした、
しかし一方で現地の中国人と非常に優しく
中国語もロシア語も堪能で
上下の区別なく何千人もの親しい中国人がおりました、
中国の為に苦難と努力で
ウィンウィンの関係を重視して働いてきたと聞いています、
祖父の為
足跡を少しでも世の中に伝えたいと思って投稿致しました。
河内一郎。
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mail 送信日時2017/01/20(金)19:00
追追伸、剛崎虎雄はコワザキ トラヲと読みます、
読みにくいので通称ゴウザキ トラヲと
呼ぶ方が居られたようです、
宜しくお願い致します。
又細かい事ですが、
私の記憶ではその日は良い天気で
日が燦々と照りつける日でした、
私達帰還者が百人位集まって居る処へ
兵隊が来て名前を確認しました、
名前を偽って逃れた方々も居られましたが、
祖父とその長男の私の叔父章ニは
名前を堂々と名乗り連行され、
後に叔父は何故かシベリアへ送られ
四、五年後に日本に帰って参りました、
私達も帰還中は大変な思いを致しましたが、
私は祖父や叔父を誇りに思って生きて来ました、
兎に角戦争と言うものは実に悲惨な残酷な事事を興します、
絶対に戦争は避けなければなりません、
此は一番伝えたい事でもあります。
宜しくお願い致します。
河内一郎。
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※blog[小野一雄のルーツ]2017年1月31日をもって
BLOGari(ZAQ動画を含む)が終了。
ライブドア ブログに移行。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[國際運輸浦潮出張所]【在外本邦実業者調. (上卷)】昭和12年
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[ハルピンにおける邦人遭難事件概況]
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[ハルピンにおける邦人遭難事件概況]
一 昭和20年8月15日~二六 昭和21年4月26日
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《文化戦犯で邦人を銃殺:昭和20年10月5日》
《文化戦犯で邦人を銃殺:昭和20年10月5日》
「フイチン再見」第五十一話
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