《林 顯藏》滿鐡總裁室庶務課長
【大衆人事録. 第12版…外地・満州・支那・海外篇】昭和13年

【大衆人事録. 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・
外地・満州・支那・海外篇】昭和13年
《林 顯藏》 p841/879
 滿鐡總裁室庶務課長
 大連市伏見町一〇ノ三
 電話 三ノ一五九五
〔閲歷〕
滋賀縣小山久次郎 二男
明治廿年(1887)三月 滋賀縣彦根市に生れ
祖父 林正太郎の養子となる
明治三十七年(1904)
京都法政學校法科卒業 ※下記
大正二年(1913)
東京音樂學校本科及研究部卒業
大正七年(1918)
滿鐡に入り地方部兼人事課文書課兼地方課各勤務
社長室勤務滿鐡社長室文書課秘書係主任等歷勤す
〔家庭〕
妻  喜美 明治三三年(1900)
      鹿兒島縣 園田兼治 女
嗣子 正良 大正一〇年(1921)
長女 敏子 大正一三年(1924)
昭和十三年五月一日印刷
昭和十三年五月五日發行
正 價 金拾五圓
著作兼 猪野三郎
發行人 東京市澁谷區穩田一丁目九番地
印刷人 君島 潔
    東京市小石川區久堅町一〇八
印刷所 共同印刷株式會社
    東京市小石川區久堅町一〇八
發行所 帝國秘密探偵社
    國勢協會
    東京市日本橋區兩國五十番地
    電話 浪花(67)0973 5275
            5287 5288 5289
     振替口座 東京八五九三番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※《林 顯藏》明治三十七年(1904) 京都法政學校法科卒業

[立命館 史資料センター]
<学園史資料から>「京都法政大学」案内
2016年03月23日更新 学園史資料から
第4章  卒業生
 『京都法政大学一覧』編纂時までの卒業生は、
京都法政学校入学の第1期生(明治33年6月入学)および
第2期生(明治34年9月入学)であった。
 第1回の卒業生(明治36年7月卒業)は、
法律学科47名、政治学科10名の57名である。
第2回(明治37年7月卒業)は、
法律学科69名、行政学科6名、経済学科13名の88名であった。
 2年間で145名であるが、京都府の出身者が52名と約3分の1を占める。
 第1回の卒業生には、
法律学科に西村七兵衛、貫名彌太郎、永澤信之助などがいた。
西村は書林法蔵館の当主で、
卒業証書と京都法政学校当時の日記を残し
最初期の学生生活を今に伝えている。
貫名はのちに協議員となっているが、
5章の概況の項で述べる。永澤は在学生の項で述べた。
また第2回の卒業生には
法律学科に土井常太郎、経済学科に橋井孝三郎などがいた。
土井は昭和4年から7年まで理事を務めた。
橋井は大正6年から7年にかけて京都市会の副議長の職を務めたが、
『立命館学誌』第50号(大正11年3月)に初期の学生生活の様子を遺している。
 (2016年3月23日 立命館史資料センター 久保田謙次)
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京都法政学校(きょうとほうせいがっこう)は、
1900年(明治33年)に中川小十郎らによって創設された私立学校で、
現在の立命館大学(学校法人本部:京都市中京区)の前身。
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