[戰爭と放送]佛の敗因と放送の重要性
【ラジオ年鑑. 昭和17年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和17年】
 佛の敗因と放送の重要性   p22/340
放送事業の整備を閑却したこと、
放送の機能を國家目的のために
充分發揮し得なかつたこと、
これが空軍の整備を怠つたことと共に
フランス敗北の重要な要素であることを、
こゝに特記して置かねばならぬ。
 ―略―

 放送宣傳による作戰の展開  p22/340
ドイツが西部作戰を開始した當時、
ドイツの放送宣傳が如何にこれを援護してゐたか。
ドイツの當時の放送の動員ぶりは實に刮目に値する。
ヨーロッパに於ては中波の放送も他國に於て聽取されるため、
ドイツは短波局以外に中波局を動員して、
外國語のニユース放送を果敢に實施したのである。
 ―略―
昭和17年】p022
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和17年】p022

 占領地帶に於ける放送工作  p23/340
占領地帶に於ける放送工作は
破壊卽建設の總力戰でなければならぬが、
ドイツは占領地帶に於て如何に放送工作を行つたか。
ドイツは迅速果敢に放送の再建に努力して居り、
戰闘が一部で尚續けられてゐる間に放送局を占領、
破壊程度の少ない放送局から直ちに再建に着手し、
早いものは旬日を出でずして、
遅くとも一ケ月以内のうちに放送を開始してゐる。
 ―略―
昭和17年】p023
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和17年】p023

 宣傳中隊放送班の活動 p24/340
今次大戰に於ける放送の活躍として最も注目すべきは、
ズデーテン地方併合の頃から
ドイツが編成した宣傳中隊
プロパガンダ・コンパニーの
放送班の(PK)活動である。

宣傳中隊はドイツ國防軍司令部OKWに屬し、
その組織單位は部隊によつて異るが、
新聞通信班、寫眞班、放送班、映畫班を含む
新たな體制の戰時報道隊であつて、
何れも第一線にあつて報道の任務に從事すると共に
訓練をうけて兵士としての活動をも行ふものである。

而して作戰の開始されるや直ちに第一線に赴き、
戰線に於けるドイツ國防軍の活動を銃後に傳へてゐる。

ドイツ放送會社の
アナウンサーの八十パーセントと
技術員の三十パーセントは、
宣傳中隊の放送班として活躍を續けて居り、
或はハインケル爆撃機に搭乘して
ロンドン空爆の實況を放送し、
或はアフリカの砂漠に於ける
ドイツ空軍整備班の活躍を傳へ、
或はバルカン作戰に、
或は獨ソ戰線に縱横の活動をしてゐる。

現在戰爭に關する
ラジオ・ルポルタージユは約二萬
放送會館に蒐集されて居り、
その戰線に於ける錄音は、
直ちに空輸するか、
最寄りの放送局より中繼する等の方法により、
毎日戰線の狀態を銃後に傳へ、
歐洲新秩序の記錄者たる輝しき任務のため、
生命を賭して活躍してゐる。

このため自己の生命を祖國のために捧げた
ラジオ報道員も二三に止まらない。

又 全國放送監督官の要職にあつて
放送業務の一切を指導してゐる
ハダモフスキーも、
ポーランド戰線及び西部戰線に參加して居り、

宣傳省ラジオ部長兼ドイツ放送指令本部長たる
インゲマールーベールントも
戰線に赴いてゐる程である。

以てその活躍ぶりが分るであらう。

昭和17年】p024
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和17年】p024

昭和十七年 ラジオ年鑑
定價金一圓參拾錢
昭和十六年十二月二十五日印刷
昭和十六年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
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