【支那事変と思想戦】〔2/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年
【支那事変と思想戦】
支那事變と思想戰 p3/22
内閣情報部長 横溝光暉
(一)思想戰の意義
今回の講習會をお開きになるに付きまして、
私に出て「支那事變と思想戰」に關して
何かお話を申上げるやうにと云ふ
御依頼でありましたので、
暫く御靜聽を願ふことに致します。
昨年の夏、
今回の支那事變が勃發しまして間もないことであります、
八月五日の夜、
電波は妙な然し乍ら流暢な日本語の放送を傳へました。
それは南京放送局からの放送であつたのであります。
其放送はどんなことを言つたかと申しますると、
「今度日本語のニユースを始めますに當り
一言御挨拶を申上げます。
御承知の通り日本と支那とは
東洋に於ける二大民族國でありますが、
不幸にして支那は日本の爲に
危險の狀態に立至つたのであります。
皆樣は平常〈支日〉關係に付きましては、
細心の關心を持つて居られるのでありますが、
日本軍部の不正な報道に依つて往々にして
皆樣の正しい認識は誤られて來たのでありますが、
南京放送局では特に日本の皆樣に
時局の正しい認識を與へる爲に
今夜より日本語の放送を始めた次第であります。」
「正しい認識」どころか
大變なデマをやつて居るのです。
それから次に斯う云ふことを言つて居る。
「柳の下にいつも泥鰌は居ない、 p4/22
天津日本駐屯軍は事變勃發以來虎視耽々として
我が國の隙を狙つて居る、
天津地方の慘めさは今やその極に達してゐる。
諸君柳の下には何時も泥鰌は居ないぞ。」
斯う云ふ放送をやつて居るのであります。
まだありますが、
最後に、
「諸君は侵略を停止し正しき與論に從へ。
我々は日本語の放送を毎週火曜、
木曜の兩日
日本時間の午後八時二十分から三十分までとし
皆さんのお聞きになるラヂオの時間を割愛して頂きます。」
斯う云ふ放送をして居るのであります。
其後南京放送局が我が皇軍に依つて爆撃せられますると、
長沙に移り、
漢口に移つて今猶ほ斯樣な放送を續けて居ります。
尤も斯樣なことは日本の一般には知られて居りませぬ、
何となれば好奇心に驅られて
支那のデマ放送に誤られては困るからであります。
斯樣なことは申すまでもなく
支那の思想戰であります。
即ち自國に有利な内容を持つた放送を行ふのであります。
日本も昨年二月から支那に向つてニユース放送を行ひ、
大いに支那國民に働き掛けたのでありますが、
斯樣な放送に對して、
詰り隣國からの放送が
自國内に聽へないやうに妨害の電波を出す、
又隣國の宣傳放送を打消す樣な
内容を持つた放送を行ふと云ふやうなこと、
又國内の國論統一に努力すると云ふことは、
是は消極的な思想戰で、
思想戰に於ける防衞と言ふことが出來るのであります。
私は茲に思想戰と云ふ言葉を使ひましたが、
然らば思想戰とは何かと言ふことに付ては、
只今お手許に一枚のビラを差上げて置きました。
其處に書いて置きましたことは、
或は皆樣の中で御覽になつた方があらうかと思ひますが、
曾て大阪で内閣情報部が主催となつて
思想展覽會を開きました。
又京都では京都府廳が主催となり
内閣情報部が後援で思想展覽會を開きましたが、
其際思想戰の解釋を簡單に書きましたのが、
お手許に差上げましたビラでございます、
私は斯う書いて置きました。
「思想戰とは相手方を我が意思に歸一せしめんが爲
行はれる武器無き戰ひである。」
―略―
「戰時に於ては相手方に我が正義の存する所を傳へ、
我が威力を識らしめて其の戰意を喪ひ
遂に我に歸一するに至らしむる。」
是には戰場思想戰と對敵國内思想戰の二つがある。
「又第三者の態度を、我に有利に導き、
以て戰爭目的達成の爲に寄與せしむる手段である。」
―略―
―略― p6/22
以上は戰時に關する思想戰でありますが、
平時に於ても思想戰は盛に行はれるのであります。
「平時に於ては我が理想や信念を彼に傳へて、
我に歸一し、同一の理想實現に嚮はしむる手段である。」
―略―
昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
角 安次郎
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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