【支那事変と思想戦】〔3/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年
【支那事変と思想戦】
(二)思想戰と宣傳 p8-9/22
思想戰の戰闘手段として最も大きなものは
何と申しましても宣傳であります。
それ故思想戰即宣傳戰のやうに思はれて居ります。
世界大戰に於ける英吉利の對敵宣傳部長
ノースクリフ卿の活躍は思想戰史の上に
今猶赫々として輝いて居るのであります。
宣傳と云ふものは非常に威力があるものであります。
併しながらどうも宣傳と云ふものゝ本義が
一般に誤まられて居るやうであります。
何故ならば宣傳と云ふと何だか針小棒大に傳へるのが
其精神であるやうに思はれて居るのであります。
私は全くさうぢやないと思ふのです。
そこで日本では宣傳と云ふ用語を避けて
或は「啓發」と言つたり、
或は「普及」と言つたり、
或は「普傳」と云ふやうな言葉を使ふ人もありますが、
私共は「啓發宣傳」と云ふ言葉を
法令に於ても用ひて居るのであります。
宣傳の本義は茲に書いて置きましたが、
『「宣傳」とは思想戰の中の一手段である、
「或る目的達成の爲に
正しい事をそのまゝに普く傳へて
共鳴と理解を求める。」
それが宣傳の本義である。』
―略―
獨逸のルーデンドルフ將軍も
宣傳が戰爭に對して決定的な作用をなすものだと
主張して居ります。
又 ヒツトラー總統は、
其著書の「我が闘爭」の中で
斯う云ふことを言つて居る。
「宣傳が英國に於ては
第一級の武器として利用されたに反し、
我が國に於ては、
失業政治家の飯の種としてか、
或はせいぜい内氣な英雄達の部屋代稼ぎとして
利用されたに過ぎなかつた。
結局われに於てはその效果は零に等しかつたのだ」
と世界大戰に於ける英國と獨逸の宣傳を比較して
體驗を物語つてゐるのであります。
―略―
(三)宣傳の武器としてのラヂオ p9-11/22
―略―
昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
角 安次郎
擧つて国防 揃つてラヂオ
ラヂオ普及運動
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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