【支那事変と思想戦】〔7/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(七)行動に依る思想戰 p18-19/22
それからもう一つ、
私はビラなどのポスターだの、
放送だの色々思想戰に於ける
あの手此の手に付てお話をしたのでありますが、
全然口を利かない思想戰
行動に依る思想戰と私は名づけて居りますが、
一寸申上げたい。

唯 ビラ、ポスター、
或はラヂオ、蓄音機、映畫、演劇、
大道具、小道具が思想戰の宣傳にあるが、
行動それ自身が大いなる宣傳をする、
是は「沈黙の宣傳」と言つたならば
言葉として如何かと思ひますが、
所謂至誠天に通ずと云ふか、
行動に依る思想戰と云ふのを
熟々感じて居るのであります。

是は此間支那に行つた時に話を聽いて
非常に感動しあのであります。

爾來受賣をして居るのでありますが、
是は方々に行つてお話したので
或はお聽になつた方があるかも知れませぬが
二つ話がある、

一つは日本の一婦人の話でありますが、
北支の汽車の中で汚い支那人の男やもめが
赤ん坊を抱いて乘つて居たのですが、
連れて居た赤ん坊が火の付くやうに泣いて
どうにも仕樣がなく閉口して居た、

傍に居る人達は皆やかましいので苦い顔をして居る、
中にはチエツと云ふやうな譯で、
出て行けと言はんばかりの態度を示して居る、
併しだませどすかせど子供は泣き止まない、

見るに見兼ねた一人の日本婦人が
突如として立上つて乳房を出して、
其汚い支那人の赤ん坊を抱いて乳を呑ませた、

其赤ん坊は病氣をして居るかどうかは分りませぬが、
そんな事を考へずに進んで乳房をふくませた、
正直なもので其赤ん坊は直ぐ泣き止んで
一生懸命乳を呑んで居たが、
其裡スヤスヤ寝入りました、

其汚い支那人は感激して感謝の意を表した、
所が其時の言葉が實に味ふべきで、
何と言つて禮を述べたかと言ふと
「私は貴女を日本人とは思ひませぬ。」
日本人と云ふものは惨酷な人だとばつかり思つて居る、

私は貴女を日本人とは思はないと言つた
此支那人の言葉は實際味ふべきものと思ひます。

さうして此一婦人は
此支那人の今までの考へを轉向させて、
日本人は親切な者であると云ふ
非常な原動力を與へたのでありまして、
私は之を行動に依る思想戰だと、
斯う評して居るのであります。

もう一つは兵隊さんの話、
第二師團だと云ふことですが、
戰爭では戰場の跡片付けと云ふ仕事がある、
即ち敵の遺棄屍體を取片付ける、
幾人かの兵隊さんが苦力を使つて居ましたが、
丁度本年の巖寒のことであるが
屍體が凍付いてあがらない、
そこで兵隊さん
自ら手を下して鄭重に運んだ、
其運ぶ時に自ら頭の方を持つて
苦力が足を持つて穴の中に入れ、
靜かに土をかけて懇ろに葬つた。

苦力はポケツトから煙草を出して火をつけて
お線香の代りにたてたさうです。

其後で苦力が兵隊さんの所に水を持つて來て
「どうぞ手を洗つて下さい、
 今の屍體に毒がついて居たかも知れないから…」
斯う言つて出した、

兵隊さんは
「有難う」
と言つて手を洗ひましたが、
毒がついて居るかも解らない屍體を少しも厭な顔をせず
兵隊さん自ら手を下して、
而も懇ろに葬つて呉れた其情け深い行動を見て、
其處で働いて居た苦力が非常に感動をした。

是は沈黙の宣傳で效果も甚だ大きい。
此話は先達て支那に行つた時の土産話であります。
太原の特務機關長から直接聽いた話で
非常に私も感動致したのであります。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p18
〔画像〕【支那事変と思想戦】p18

【支那事変と思想戦】p19
〔画像〕【支那事変と思想戦】p19

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎

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