《庄林熊次郎》[平和の礎]瑞穂町遺族会:昭和58年

[平和の礎]瑞穂町
[平和の礎]瑞穂町:表紙
〔画像〕[平和の礎]瑞穂町:表紙

《庄林熊次郎》
位階勲等
 陸軍歩兵一等卒
 勲八等功七級
生年月日   明治一四年八月二八日
出生地    京都府船井郡桧山村字中台
住 所    京都府船井郡瑞穂町字中台
遺族と続柄  父 富之助 母 ぬい
現在の世帯主 庄林 寛  戦没者との続柄 甥の長男
軍戦歴
明治三四年一二月一日
現役兵として歩兵第二十聯隊へ入隊
明治三七年四月一六日
動員令
明治三七年一〇月一一日
清国三塊石山に於て戦死

◎伯父の手紙から  庄林 勲(甥)
日露戦争という遠い昔を偲び祖母が、
父が大切に保存して来た金鵄勲章や軍隊手帖、
そして戦いの余暇に書かれたらしい伯父が、
父を早く亡くしての出征で、
郷家に残した家族を案じる手紙、
そして又戦死した当時の
苦戦と勇戦奮闘の有様を知らせて頂いた
上官からの手紙、
又 村葬の時の沢山な弔辞を開いて
七十数年の昔を推測してみた。

戦争というものが如何に残虐非情なものか
次の伯父が戦場から送って来た手紙の一部に
次のようなことが書かれているのを読めば
痛恨きわまりない気持である。

〇月〇日より急行軍でもって前の地点を出発した。
戦争の様子は別に知らされませんが、
未だ今日になっても内地からの手紙は一通も来ません。

小生も是から大戦争に何度加わるか知りません故に、
とても無事に帰りますとは思いませんから、
も早 亡き者とおあきらめ下さい。

別に申上げ度い事もありませんが、
命のある限りは便りも出来る限りする積りです。

私の戦死した後は弟も三・四年もすれば成長しますので、
それを力にして我が家の相続をお願い申し上げます。

然しこれを決して御気にして下さいませんよう、
もしもの事が有ってからでは
手紙は書けませんから
今の内に申上げます。

次に戦死したなれば出発の前に送りました
時計は弟にやって下さい。
御依頼申し上げます。

そして伯父はやはり壮烈な戦死を遂げたのです。
この伯父の戦地からの便りが、
戦いに散っていった兵士の姿であり
心であろうと思う。
[平和の礎]瑞穂町:庄林熊次郎p1
〔画像〕[平和の礎]瑞穂町:庄林熊次郎p1

 平和の礎
発行日 昭和五十八年二月二十一日
発 行 瑞穂町遺族会
編 集 瑞穂町遺族会顕彰録編集委員会
編集人 上田重太郎
印 刷 株式会社 北星社
[平和の礎]瑞穂町:奥付
〔画像〕[平和の礎]瑞穂町:奥付
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