「蘆原生」は小野梓の筆号
[明治前期演劇論史]松本伸子 著
演劇出版社
伸子さんは、二十年来かわらぬ畏友である。
相知って間もなく、その学才と人柄に敬服した私は、
何かにつけて協力を仰ぐようになった。
ことに古い新聞記事の調査、蒐集、整理――
当時数少い図書館学者として多忙の身をいとわず、
この報われざる仕事に献身してくれること数年、
何千枚かの資料が山と積まれた。・・・・・・
これが、はからずも彼女の近代演劇史への関心をかき立て、
早大大学院入学となり、やがてこの本に結実したのだという。
とすると、なんだか私が果せずにいたものを、
伸子さんがはるかに立派な形で成就して下さったような気がして、
無量の感なきを得ない。
明眸皓歯。卓抜な語学、明晰な頭脳、奔放な行動力。
しかも故団十郎ファンの歌舞伎通で、坂東・神崎の舞の上手。
それこそ比較演劇研究にうってつけの伸子さんだ。
ほんとうに、おめでとう!
つぎの御仕事を待っています。
河竹登志夫
松本伸子さんは、慶応から早稲田の大学院に来られて、
昭和三十九年に、小生に提出された修士論文が本書の誕生となったわけで、
その縁で、お喜びの言葉を述べさせて頂く事になりました。
―略―
郡司正勝
※ 明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)
こういうシェークスピア紹介の段階を経ていよいよ
坪内逍遥の『該撤(シーサル)奇談』
が登場するのだが、東洋館発行のこの翻訳書については読売新聞、
明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)が
「日本始めて訳書あり」という一文で絶賛している。
彼によると今までに出版された翻訳書は
「其訳たる大概ね杜撰にして殆んど読むに堪へず」であり、
「詳かに訳書を吟味し之を其原書に照し見れば」
「皆な是れ似せものにして真に原書の意を写したる訳書にあらざるなり」
という程度のものであったのだが、
この『該撤奇談』はまさに翻訳という仕事に一つの時代を劃するだけの偉大な書であるという。
セクスピヤー氏著作の高名なるは世の既に知る所にして、
其書の解し難きは英米人と雖も、之れが註釈を待て始めて其意を明かにする程なり。
故に之を反訳して其微妙なる味ひを写し出すは実に難事中の一難事と申して可なり。
然るに坪内君の熱心なる、この難役の原書を訳し
而も訳書の痕跡を止めず殆んど
坪内君自身の著作かと思はしむるまでに反訳せしは実に吾人を感服せしめるに足る。
※ 原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生
もちろん逍遙の翻訳は素晴らしいものであるに違いないが、
原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生も、
言語の知識はもとより文学上の感覚にもすぐれたものを
持っていたと言えるのではないだろうか。 p272-273
昭和四十九年九月三十日発行
著者 松本伸子
発行 演劇出版社
東京千代田区神田神保町二の一
振替 東京六〇〇二
(261)二八〇六
制作 株式会社 千修(せん しゅう)
※ 結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。
[早稲田大学史記要]第十二巻
昭和54年3月31日発行
頒布価格 三五〇円
発行者 清水 司
早稲田大学大学史編集所
印刷者 宇野 政雄
株式会社 早稲田大学印刷所
発行所 早稲田大学大学史編集所
東京都新宿区西早稲田1-6-1
〒160
(第一二巻 通号第一六号)
小野梓と『読売新聞』
―「読売雑譚」欄所載の著作について―
阿部恒久
二 筆号の確定 p145
―略―
このような観点から前記十一の筆号の論文をみていくと、
結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。
「蘆原生」の初出は八四年(明治17年)六月六日付の
「日本始めて訳書あり」という論文である。
これは小野梓自ら経営する東洋館書店から発兌された
シェイクスピア原作・坪内雄蔵訳『該撤奇談・自由太刀余波鋭鋒』をとりあげ、
その翻訳のすばらしさを揚言したもので、
このことからも、いかにも小野梓の著作らしきを思わせるに足りる。
だが、より決定的なのは、
八五年(明治18年)二月二八日付の蘆原生稿「工芸の衰微」である。
「留客斎日記」同年二月念一日条の全文は、
「陰不可出、此日新紙載農商務省報告、云本邦之工芸、遂次衰頽、
乃筆『工芸之衰微』載之於雑譚」
(坂本起一氏寄託・国立国会図書館蔵「小野梓文書」所収の原本による)とある。
これは、「蘆原生」が小野梓の筆号であることの確証といえるであろう。 p147-148
【自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談】
タイトル : 自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談
タイトルよみ : ジユウ ノ タチ ナゴリ ノ キレアジ シ-ザ- キダン
責任表示 : 沙士比阿(シェ-クスピア)著,坪内逍遥訳
出版事項 : 東京:東洋館,明17.5
明治16年10月3日版権免許
明治17年5月出版
著者並出版人 坪内雄蔵
愛知県士族
東京小石川区表町四十五番地
画工 渡邊省亭
東京浅草区小島町二十一番地
発兌書肆 東洋館書店
東京神田区小川町十番地
売捌 丸家善七
東京日本橋区通三丁目十四番地
売捌 叢書閣
東京京橋区南伝馬町一丁目十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/177
[明治前期演劇論史]松本伸子 著
演劇出版社
伸子さんは、二十年来かわらぬ畏友である。
相知って間もなく、その学才と人柄に敬服した私は、
何かにつけて協力を仰ぐようになった。
ことに古い新聞記事の調査、蒐集、整理――
当時数少い図書館学者として多忙の身をいとわず、
この報われざる仕事に献身してくれること数年、
何千枚かの資料が山と積まれた。・・・・・・
これが、はからずも彼女の近代演劇史への関心をかき立て、
早大大学院入学となり、やがてこの本に結実したのだという。
とすると、なんだか私が果せずにいたものを、
伸子さんがはるかに立派な形で成就して下さったような気がして、
無量の感なきを得ない。
明眸皓歯。卓抜な語学、明晰な頭脳、奔放な行動力。
しかも故団十郎ファンの歌舞伎通で、坂東・神崎の舞の上手。
それこそ比較演劇研究にうってつけの伸子さんだ。
ほんとうに、おめでとう!
つぎの御仕事を待っています。
河竹登志夫
松本伸子さんは、慶応から早稲田の大学院に来られて、
昭和三十九年に、小生に提出された修士論文が本書の誕生となったわけで、
その縁で、お喜びの言葉を述べさせて頂く事になりました。
―略―
郡司正勝
※ 明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)
こういうシェークスピア紹介の段階を経ていよいよ
坪内逍遥の『該撤(シーサル)奇談』
が登場するのだが、東洋館発行のこの翻訳書については読売新聞、
明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)が
「日本始めて訳書あり」という一文で絶賛している。
彼によると今までに出版された翻訳書は
「其訳たる大概ね杜撰にして殆んど読むに堪へず」であり、
「詳かに訳書を吟味し之を其原書に照し見れば」
「皆な是れ似せものにして真に原書の意を写したる訳書にあらざるなり」
という程度のものであったのだが、
この『該撤奇談』はまさに翻訳という仕事に一つの時代を劃するだけの偉大な書であるという。
セクスピヤー氏著作の高名なるは世の既に知る所にして、
其書の解し難きは英米人と雖も、之れが註釈を待て始めて其意を明かにする程なり。
故に之を反訳して其微妙なる味ひを写し出すは実に難事中の一難事と申して可なり。
然るに坪内君の熱心なる、この難役の原書を訳し
而も訳書の痕跡を止めず殆んど
坪内君自身の著作かと思はしむるまでに反訳せしは実に吾人を感服せしめるに足る。
※ 原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生
もちろん逍遙の翻訳は素晴らしいものであるに違いないが、
原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生も、
言語の知識はもとより文学上の感覚にもすぐれたものを
持っていたと言えるのではないだろうか。 p272-273
明治前期演劇史
定価 二千円昭和四十九年九月三十日発行
著者 松本伸子
発行 演劇出版社
東京千代田区神田神保町二の一
振替 東京六〇〇二
(261)二八〇六
制作 株式会社 千修(せん しゅう)
※ 結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。
[早稲田大学史記要]第十二巻
昭和54年3月31日発行
頒布価格 三五〇円
発行者 清水 司
早稲田大学大学史編集所
印刷者 宇野 政雄
株式会社 早稲田大学印刷所
発行所 早稲田大学大学史編集所
東京都新宿区西早稲田1-6-1
〒160
(第一二巻 通号第一六号)
小野梓と『読売新聞』
―「読売雑譚」欄所載の著作について―
阿部恒久
二 筆号の確定 p145
―略―
このような観点から前記十一の筆号の論文をみていくと、
結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。
「蘆原生」の初出は八四年(明治17年)六月六日付の
「日本始めて訳書あり」という論文である。
これは小野梓自ら経営する東洋館書店から発兌された
シェイクスピア原作・坪内雄蔵訳『該撤奇談・自由太刀余波鋭鋒』をとりあげ、
その翻訳のすばらしさを揚言したもので、
このことからも、いかにも小野梓の著作らしきを思わせるに足りる。
だが、より決定的なのは、
八五年(明治18年)二月二八日付の蘆原生稿「工芸の衰微」である。
「留客斎日記」同年二月念一日条の全文は、
「陰不可出、此日新紙載農商務省報告、云本邦之工芸、遂次衰頽、
乃筆『工芸之衰微』載之於雑譚」
(坂本起一氏寄託・国立国会図書館蔵「小野梓文書」所収の原本による)とある。
これは、「蘆原生」が小野梓の筆号であることの確証といえるであろう。 p147-148
【自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談】
タイトル : 自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談
タイトルよみ : ジユウ ノ タチ ナゴリ ノ キレアジ シ-ザ- キダン
責任表示 : 沙士比阿(シェ-クスピア)著,坪内逍遥訳
出版事項 : 東京:東洋館,明17.5
表紙 p1/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/1小野梓の印章 ①留客斎 p2/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/2p3/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/3明治16年10月3日版権免許
明治17年5月出版
著者並出版人 坪内雄蔵
愛知県士族
東京小石川区表町四十五番地
画工 渡邊省亭
東京浅草区小島町二十一番地
発兌書肆 東洋館書店
東京神田区小川町十番地
売捌 丸家善七
東京日本橋区通三丁目十四番地
売捌 叢書閣
東京京橋区南伝馬町一丁目十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/177
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』