2012年02月

「蘆原生」は小野梓の筆号

「蘆原生」は小野梓の筆号

[明治前期演劇論史]松本伸子 著
演劇出版社
伸子さんは、二十年来かわらぬ畏友である。
相知って間もなく、その学才と人柄に敬服した私は、
何かにつけて協力を仰ぐようになった。
ことに古い新聞記事の調査、蒐集、整理――
当時数少い図書館学者として多忙の身をいとわず、
この報われざる仕事に献身してくれること数年、
何千枚かの資料が山と積まれた。・・・・・・
これが、はからずも彼女の近代演劇史への関心をかき立て、
早大大学院入学となり、やがてこの本に結実したのだという。
とすると、なんだか私が果せずにいたものを、
伸子さんがはるかに立派な形で成就して下さったような気がして、
無量の感なきを得ない。
明眸皓歯。卓抜な語学、明晰な頭脳、奔放な行動力。
しかも故団十郎ファンの歌舞伎通で、坂東・神崎の舞の上手。
それこそ比較演劇研究にうってつけの伸子さんだ。
ほんとうに、おめでとう!
つぎの御仕事を待っています。
河竹登志夫

松本伸子さんは、慶応から早稲田の大学院に来られて、
昭和三十九年に、小生に提出された修士論文が本書の誕生となったわけで、
その縁で、お喜びの言葉を述べさせて頂く事になりました。
―略―
郡司正勝

※ 明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)

こういうシェークスピア紹介の段階を経ていよいよ
坪内逍遥の『該撤(シーサル)奇談』
が登場するのだが、東洋館発行のこの翻訳書については読売新聞、
明治十七年(1884)六月六日付で蘆原生(藤田鳴鶴)が
「日本始めて訳書あり」という一文で絶賛している。
彼によると今までに出版された翻訳書は
「其訳たる大概ね杜撰にして殆んど読むに堪へず」であり、
「詳かに訳書を吟味し之を其原書に照し見れば」
「皆な是れ似せものにして真に原書の意を写したる訳書にあらざるなり」
という程度のものであったのだが、
この『該撤奇談』はまさに翻訳という仕事に一つの時代を劃するだけの偉大な書であるという。

セクスピヤー氏著作の高名なるは世の既に知る所にして、
其書の解し難きは英米人と雖も、之れが註釈を待て始めて其意を明かにする程なり。
故に之を反訳して其微妙なる味ひを写し出すは実に難事中の一難事と申して可なり。
然るに坪内君の熱心なる、この難役の原書を訳し
而も訳書の痕跡を止めず殆んど
坪内君自身の著作かと思はしむるまでに反訳せしは実に吾人を感服せしめるに足る。

※ 原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生

もちろん逍遙の翻訳は素晴らしいものであるに違いないが、
原書と照らして逍遙の仕事の優秀さを認めた蘆原生も、
言語の知識はもとより文学上の感覚にもすぐれたものを
持っていたと言えるのではないだろうか。 p272-273
01-「蘆原生」は小野梓の筆号
明治前期演劇史
定価 二千円
昭和四十九年九月三十日発行
著者 松本伸子
発行 演劇出版社
   東京千代田区神田神保町二の一
   振替 東京六〇〇二
   (261)二八〇六
制作 株式会社 千修(せん しゅう)

※ 結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。

[早稲田大学史記要]第十二巻
昭和54年3月31日発行
頒布価格 三五〇円
発行者 清水 司
    早稲田大学大学史編集所
印刷者 宇野 政雄
    株式会社 早稲田大学印刷所
発行所 早稲田大学大学史編集所
    東京都新宿区西早稲田1-6-1
    〒160
(第一二巻 通号第一六号)

小野梓と『読売新聞』
―「読売雑譚」欄所載の著作について―
阿部恒久

二 筆号の確定 p145
―略―
このような観点から前記十一の筆号の論文をみていくと、
結論として、「蘆原生」と「?大山人」が小野梓のものとみなしうる。
「蘆原生」の初出は八四年(明治17年)六月六日付の
「日本始めて訳書あり」という論文である。
これは小野梓自ら経営する東洋館書店から発兌された
シェイクスピア原作・坪内雄蔵訳『該撤奇談・自由太刀余波鋭鋒』をとりあげ、
その翻訳のすばらしさを揚言したもので、
このことからも、いかにも小野梓の著作らしきを思わせるに足りる。
だが、より決定的なのは、
八五年(明治18年)二月二八日付の蘆原生稿「工芸の衰微」である。
「留客斎日記」同年二月念一日条の全文は、
「陰不可出、此日新紙載農商務省報告、云本邦之工芸、遂次衰頽、
乃筆『工芸之衰微』載之於雑譚」
(坂本起一氏寄託・国立国会図書館蔵「小野梓文書」所収の原本による)とある。
これは、「蘆原生」が小野梓の筆号であることの確証といえるであろう。 p147-148

【自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談】
タイトル : 自由太刀余波鋭鋒 該撒奇談
タイトルよみ : ジユウ ノ タチ ナゴリ ノ キレアジ シ-ザ- キダン
責任表示 : 沙士比阿(シェ-クスピア)著,坪内逍遥訳
出版事項 : 東京:東洋館,明17.5
02-「蘆原生」は小野梓の筆号
表紙 p1/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/1
03-「蘆原生」は小野梓の筆号
小野梓の印章 ①留客斎 p2/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/2
04-「蘆原生」は小野梓の筆号
p3/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/3
明治16年10月3日版権免許
明治17年5月出版
著者並出版人 坪内雄蔵
愛知県士族
       東京小石川区表町四十五番地
画工     渡邊省亭
       東京浅草区小島町二十一番地
発兌書肆   東洋館書店
       東京神田区小川町十番地
売捌     丸家善七
       東京日本橋区通三丁目十四番地
売捌     叢書閣
       東京京橋区南伝馬町一丁目十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896935/177

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

05-「蘆原生」は小野梓の筆号

【土佐名家系譜】宿毛大島 小野氏

【土佐名家系譜】
昭和17年1月10日印刷
昭和17年3月2日発行
定価 四圓五十銭
送料 拾四銭
著 者 寺石正路
    高知市南新町一六五
発行者 桑名薫延
    高知県教育会代表
    高知市丸ノ内二ノ三
印刷者 岡本専吉
    高知市枡形一二
印刷所 仁尾印刷所
    高知市枡形一二
発行所 高知県教育会
    高知市丸ノ内二ノ三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/468

二四五、宿毛大島 小野氏 p457-459/471
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/457

小野節吉――梓
妻助野(嘉乃従姉)
長門風土記、野史、宿毛小野義種祖先系図、小野梓。
宿毛小野氏人才多し左に記す。

小野義眞
小野義眞通称恭一郎、宿毛の人、伊予国老に仕へ大庄屋を勤む、
維新後大蔵省に入り?で三菱会社を助け、晩に日本鉄道会社社長となる、
国家経済を助け功績多し、明治三十八年五月九日歿す、年六十七。

小野梓、号東洋
明治元年北越従軍す、五年官命英国に留学す、二年に及び憲法法律の学を修む、
後元老院会計検査院を経て、大隈伯の改進党を佑け、早稲田大学校の基礎を築く、
明治十九年一月十一日歿す、年三十五、著書国憲汎論あり。
小野梓、土佐偉人伝。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/459
01-【土佐名家系譜】宿毛大島 小野氏
p457/471
02-【土佐名家系譜】宿毛大島 小野氏
p458/471
03-【土佐名家系譜】宿毛大島 小野氏
p459/471

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

【鍼灸医術開業法】一名・鍼灸医術概論 山崎良斎著

【鍼灸医術開業法】一名・鍼灸医術概論
山崎良斎著
大阪:日本医書,昭和5
山崎,良斎(1890-1940)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107463/2
01-【鍼灸医術開業法】
02-【鍼灸医術開業法】
五 青地博士等の研究 p43/125
大正十四年青地正皓氏(灸の研究に依る医学博士)は
「灸の血球並に血清に及ぼす影響、附灸の本態に就て」と題して
京都医大に於て専ら血清学方面から研究された業績を発表された。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107463/43
診療時間 p122/125
午前八時ヨリ十二時マデ
午後六時ヨリ九時マデ
日曜祭日午前中
宅診担任 山崎悠紀子
往診担任 山崎良斎
山崎鍼灸療院
大阪市港区九条茨住吉西門
勝手ながら診療時間中は一般面会は御断り申上ます
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107463/122
大正14年3月10日印刷
大正14年3月20日発行
大正14年11月1日再版印刷
大正14年11月10日再版発行
昭和3年7月20日三版印刷
昭和3年8月1日三版発行
昭和5年3月1日第四版印刷
昭和5年3月10日第四版発行
鍼灸医術開業法
定価 金弐圓
著作兼発行人 山崎直文
       大阪市港区九条北通一丁目十二番地
印刷者    瀬戸清次郎
       大阪市西区靭下通十一丁目十一番地
印刷所    一成舎印刷所
       大阪市西区靭下通十一丁目十一番地
発行所    日本医書株式会社
       大阪市港区九条北通一丁目拾二番地
大売捌所   南江堂書店
       東京市本郷区春木町三丁目
       南江堂京都支店
       京都市中京区寺町通御池南
       丸善株式会社大阪支店
       大阪市東区博労町四丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107463/124

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


青地医院 〒605-0855
京都府京都市東山区東大路松原上る辰巳町111

小野一雄 小学校4年生迄。
居住 京都市東山区清水5丁目

[小野清五郎と小野義種]

[小野清五郎と小野義種]

[小野清五郎]

DSpace at Waseda University: 国債法大略 [書写資料] / 小野清五郎
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/9384 - キャッシュ
Title: 国債法大略 [書写資料] / 小野清五郎. Issue Date:
Type: Book. textversion: none. Appears in Collections: Okuma Shigenobu Collection
(早稲田大学図書館所蔵大隈重信関係資料) ...
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/9384

職員録・明治二年二月・官員録改
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治2年> 職員録・明治二年二月・官員録改
【 レファレンスコード 】A09054270900
【 年代域 】明治2年2月【 画像数 】50
小野清五郎 記載なし

職員録・明治二年三月・官員録改新
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治2年> 職員録・明治二年三月・官員録改新
【 レファレンスコード 】A09054271100
【 年代域 】明治2年3月【 画像数 】75
議事取調局 書記 小野清五郎 p35/75

職員録・明治二年四月・官員録全改新
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治2年> 職員録・明治二年四月・官員録全改新
【 レファレンスコード 】A09054271300
【 年代域 】明治2年4月【 画像数 】75
議事取調局 書記 小野清五郎 p36/75

職員録・明治二年五月・官員録全改
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治2年> 職員録・明治二年五月・官員録全改
【 レファレンスコード 】A09054271500
【 年代域 】明治2年5月【 画像数 】60
議政官 史官 小野清五郎 p4/60 
公議? 出仕 小野清五郎    p5/60

職員録・明治二年五月・官員録改(上)
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治2年> 職員録・明治二年五月・官員録改(上)
【 レファレンスコード 】A09054271700
【 画像数 】50
議事取調局 書記 小野清五郎 p35/50

『国立公文書館・アジア歴史センター』より

[ツルガ 小野義種]【掌中官員録】

堤防ニ桑樹植付ニ関スル建言書 [書写資料] / 小野義種 - DSpace at ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/11517 - キャッシュ
- dspace.wul.waseda.ac.jp の結果をすべてブロック
Title: 堤防ニ桑樹植付ニ関スル建言書 [書写資料] / 小野義種.
Issue Date: 1873. Type: Book. textversion: none. Appears in Collections:
Okuma Shigenobu Collection(早稲田大学図書館所蔵大隈重信関係資料) ...
小野義種 明治6年12月
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/11517

職員録・明治七年六月~十二月・太政官職員録改
【 階層 】 国立公文書館> 内閣> 官員録・職員録> 昭和46年度総理府移管
官員録・職員録> 明治7年> 職員録・明治七年六月~十二月・太政官職員録改
【 レファレンスコード 】A09054283400
【 年代域 】明治7年6月【 画像数 】33
小野義種 p6/33

『国立公文書館・アジア歴史センター』より

【掌中官員録】[第1冊]明治8年
明治8年?月改正 西村組出版局
正院 ?田町 2月20日改 p5/172
十一等出仕    p6/172
ツルガ 小野義種  p7/172
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993586/7

【掌中官員録】[第2冊]明治8年7月
明治8年7月改正 西村組出版局
正院 ?田町 7月2日改 p6/184
十一等出仕    p8/184
ツルガ 小野義種  p8/184
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993587/8

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[小野義種というのは恐らく小野梓の親戚の人じゃないか。]

[サトウは「私の書記の小野」とか、「公使館の書記小野清五郎」と書いているんですが、
恐らくそれとこの小野義種は同一人物じゃないかなと思っております。]

科学研究費成果報告書「日本近代史料情報機関設立の総括的かつ細目に関する研究」
(基盤研究(B)(1)、平成 13・14 年度、代表者伊藤隆、課題番号:13490012)
10.島 善高
しま・よしたか 早稲田大学社会科学部教授
日 時 :2001年12月17日
出席者 :伊藤隆 梶田明宏 小池聖一 西川誠 伊藤光一 赤川博昭 千葉功
黒澤良 大久保文彦 清水唯一朗 冨坂賢 東中野多聞 鹿島晶子
西藤要子 高橋初恵
島 そうですね。
  峰家の文書はまだ伊万里市の市史編纂室に寄託されているだけで、
  ご子孫の方に私が直接電話をしましたところ、
  「それなら早稲田に寄贈しましょうか」と おっしゃいましたが、
  そのあとすぐ、伊万里市史編纂室の方では、
  「これは郷土の史料として残したい」と言われ、
  いままだ駆け引きの最中でありまして、寄贈先はまだ決まっておりません。
  アーネスト・サトウの手紙でありますけども、
  小野義種という名前が登場いたします。
  この小野義種というのは恐らく小野梓の親戚の人じゃないか。
  その人の就職をアーネスト・サトウが大隈重信に依頼したものだろうと思います。
  大隈文書のなかにも、これと関連して、
  小野義種の手紙がありまして、
  アーネスト・サトウから取りなしを聞いたという旨の手紙があります。
  それから、『一外交官の見た明治維新』の下巻のなかに、アーネスト・サトウは
  「私の書記の小野」とか、
  「公使館の書記小野清五郎」と書いているんですが、
  恐らくそれとこの小野義種は同一人物じゃないかなと思っております。
  いろいろ調べてみると、おもしろいかもしれません。
  ということで、これもよろしいでしょうか。
  1時間ちょっとぐらいで、終わりそうです。
  もう少しゆっくり喋ったほうがよかったですね。p339
http://kins.jp/pdf/42sima.pdf

[アーネスト・サトウが、自分の「師匠」として小野義種(小野梓の従兄弟)]

早稲田社会科学総合研究 第7巻第1号(2006年7月)
資料紹介
峯源次郎旧蔵・大隈重信関係欧文文書
島善高 重松優*
 (二)外交官 p47
外交関係欧文資料は、食事の招待など儀礼的な書翰が中心である。
大隈が外務大臣となったのは明治21年であるから、
当然ながらこの時期の資料は、「二里町出家資料」中には存在しない。
アーネスト・サトウが、自分の「師匠」として小野義種(小野梓の従兄弟)を紹介し、
その就職を依頼した大隈宛書翰(シー19-12-1)、
明治14年目政変直後に香港への外遊を誘われた大隈が、
それを謝絶した香港総督宛の書翰下書(シー19-1-3)などは、実に興味深い。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/10060/1/40139_7_1.pdf

【維新日本外交秘録】ア-ネスト・サトウ著 維新史料編纂事務局訳編
維新史料編纂事務局 昭和13年3月20日発行
第三十六章 東京に於ける最後の滯在、母國への出發         p311/316
其席へ公使館の書記小野清五郎とミットフォードの語学教師長澤、・・・。 p311/316
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041871/311
(1869年)2月24日(明治2年1月14日)予は、
ベニンスラ・オリエンタル汽船会社のオッタワ号・・・に乗船して横浜を出発した。 p313/316
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041871/313

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[不破與四郎・東久世通暉・三好退蔵・大関増勤・瀬谷小次郎]

[不破與四郎・東久世通暉・三好退蔵・大関増勤・瀬谷小次郎]

太政官日誌 明治六年第七十八号

海外留学生去二月以往帰朝ノ者学業試験ノ顛末別紙ノ通開申仕候也 p5-9/10

明治六年五月三十一日
別紙
英国留学  石川県貫属士族 不破與四郎 當五月 二十一歳八ケ月
右四年一ケ月留学五月五日満期帰朝ニ付学業試験候処右顛末別紙ノ通有之候事
〔同試験表〕
算術 九時半ヨリ十二時ニ至リ
問題八 答 正キ者 一ツ 不正ナル者六ツ 難應者一ツ
代数学 時間前ニ同シ  
問題十二 答 正キ者 三ツ 不正ナル者六ツ 難應者三ツ
右ノ通有之英語ニ於テモ発音不宜会話モ隨テ拙ク候
其佗学術試験可到処下調不到テハ問題ニ應シ難キニ付一ケ月猶豫ノ儀申出候事

明治六年五月三十一日

獨国留学 東京府貫属華族 東久世通暉 當 二十三歳
右一年十一ケ月間留学三月十一日帰朝候処学業未熟試験難受旨申出候事

私費留学生
英国留学 宮崎県貫属士族 三好退蔵 當五月 二十八歳一ケ月
右八ケ月間留学三月十二日帰朝候処学業未熟試験難受旨申出候事


米国留学 東京府貫属華族  大関増勤  當五月 二十一歳五ケ月

仝    宇都宮県貫属士族 瀬谷小次郎 當五月 二十五歳一ケ月
右十ケ月間留学四月二十七日同断
明治六年五月三十一日
太政官日誌明治6年第78号 C07040157500
『国立公文書館・アジア歴史センター』より

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《瀬谷小次郎》
[安藤小次郎君 畧傳]
【栃木県人物編】明治28年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2599574.html


木口幸男家所蔵書籍:世木澤藤三郎氏について:第一回

木口幸男家所蔵書籍:世木澤藤三郎氏について:第一回

※表題変更
変更前:三階病棟321号室 木口幸男さん
変更日:平成26年(2014)11月22日(土)

明治国際医療大学付属病院
南丹市日吉町

三階病棟321号室 木口幸男さん

関ヶ原の戦い(1600)の頃から
胡麻郷(現 京都府南丹市日吉町上胡麻タニ8番地)に居住の旧家、
木口家の御主人、木口幸男さん。

2月10日~24日迄、同室で、
日吉町始め南丹市・京丹波町・北海道旭川市・満洲等、
多岐に渡り、色々な事を教えて頂きました。
大変、勉強になりました。
有難うございます。

木口家に残る多数の、貴重な文書・書籍の中、
世木澤藤三郎氏の書籍をお借りしました。
北海道旭川市に関する資料に基づき、
『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』で調べました。

[世木澤 藤三郎]

【旭川町地番号及地主名簿】
明治43年4月27日発行
発行所 振武堂三澤書店
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763014/45
一 本書ノ地主名ハ明治43年4月1日ノ現在ナリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763014/2
二条通十八丁目 p19/48
左5号
世木澤 藤三郎 一、四八七地番 二ノ十八、左五
二条通十八丁目
左6号
世木澤 藤三郎 四九七地番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763014/19

【旭川商工一斑】大正11年
旭川商業会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958657/2
工場(職工二十人以上使用工場)p8/17
工場名  世木澤豆撰工場
所在地  宮下通九丁目
創  立 大正四年
機関種類 電動機
台数   一
馬力数  三、五
職工 男 五
職工 女 八三
計    八八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958657/8

【北海道職業別電話名簿】大正12年版
大正12年8月30日印刷
大正12年8月31日発行
発行所 北日本商工社
    札幌市一条西九丁目十五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925435/252
世木澤藤松郎酒造店 醸造業 p165/255
特・長 七〇 宮下一二、右一
二一〇  三、一八、右三
二五〇  宮下一二、左一
一〇一二 一、一一、右七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925435/165
世木澤精米株式会社 会社員 p166/255
七〇一 三、一七、右七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925435/166

【実業之旭川】
大正14年11月25日発行
発行所 旭川商業会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921874/110
旭川商業会議所役員 p62/156
常議員 世木澤 藤三郎
議員及特別議員 二十三番 酒造及農産商 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921874/62
特別議員 七番 弁護士 別府賢吉 p63/156
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921874/63
広告 p118/156
登鶴 銘酒
醸造元 世木澤酒造店
旭川市三条通十八丁目
電話 七〇番 二一〇番
振替 小樽四九九四番
木口幸男家所蔵書籍-1-1

【旭川商工会議所統計年報】昭和2年
昭和3年9月15日発行
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463892/70
旭川商工会議所議員(昭和三年四月末現在)p69/72
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463892/69

【旭川商工会議所統計年報】昭和3年
昭和4年11月18日発行
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463900/70
旭川商工会議所議員(昭和四年八月末現在)p68/72
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463900/68

【旭川商工会議所統計年報】昭和4年
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463905/2
旭川商工会議所議員(昭和五年八月末現在)p77/81
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463905/77

【旭川商工会議所統計年報】昭和5年
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463911/3
旭川商工会議所議員(昭和六年八月現在)p83/88
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463911/83

【旭川商工会議所統計年報】昭和10年
昭和11年10月10日発行
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440360/92
旭川商工会議所顧問(昭和十一年九月十五日現在)p91/95
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440360/91

【旭川商工会議所統計年報】昭和11年
昭和13年4月30日発行
発行所 旭川商工会議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440364/89
旭川商工会議所顧問(昭和十二年九月十五日現在)p88/91
職業 酒造業
氏名 世木澤 藤三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440364/88

【郷土産業調査】第1輯
昭和9年3月15日発行
発行所 北海道庁立旭川商業学校
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030635/93
第二節 旭川市酒造業 p75/94
超えて大正元年には藤田長三郎氏、
大正三年世木澤藤三郎氏、四年には野崎小三郎氏工場を設けて開業し、
大正八年には浅川浩氏社長となり新旭川に旭川酒造株式会社が創設された。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030635/75
醸造場名 世木澤酒造場  p76/94
経営者  世木澤 藤三郎
所在地  三条通十八丁目
創業年月 大正三年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030635/76
第五章 旭川酒の品位と銘柄 p77/94
而してこれ等優良酒の銘柄は各工場の製品を通じて、
現在約十に及ぶか其代表的銘柄は次の通である。
[世木澤] 登鶴 千代の澤 登亀 銀の友
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030635/77

【旭川市要覧及職業別優良商店案内】
昭和10年8月20日発行
発行所 北日本日日事業部
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100644/37
『登鶴』優等清酒 p34/38
[世木澤吟醸] 旭川市
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100644/34

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《世木澤藤三郎:母 いま=木口太郎右衞門 二女》
【人事興信録. 6版】大正10年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659895.html


『吉田八重野』船井郡・口丹・中丹 女医 第1号

『吉田八重野』
日本の女医(医術開業試験合格)第236号(第240号)
京都府の女医 第5号
船井郡・口丹・中丹 女医 第1号
胡麻郷村保野田(現 京都府南丹市日吉町保野田)

『吉田八重野』p850/1332
胡麻郷村保野田
内児産婦科 吉田医院
明治19年8月24日生
明治44年日本医専卒
登30413号
後東京愛国婦人会育児院小児科一ケ年
杏雲堂医院内科一ケ年
神戸市鳥越病院産婦科等勤務
大正3年現地開業 村医 校医
趣味 育児法研究
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/850
【日本医籍録】
大正14年8月5日印刷
大正14年8月10日第一版発行
発行所 医事時論社
    東京市小石川区関口町109番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/1330

『吉田八重野』p685/1228
胡麻郷村保ノ田
明治19年8月24日生
明治44年試験及第
登30413号
日本医学校卒業後
愛国婦人会育児院産婦人科ニ勤務一ケ年勤務後
神戸市鳥越病院産婦科ニ勤務
大正3年現地ニ開業
戸主会顧問
基督教矯風会支部長
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071099/685
【日本医籍録】[第151冊]昭和15年版
昭和16年1月10日第15版発行
発行所 医事時論社
    東京市世田谷区代田二丁目681番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071099/1225

『吉田八重野』p8
日本医 大正元年八月 登録
日本女医五十年史之内
先輩女医名簿(草稿)
(初代ヨリ女子医専指定以前)
多川澄 調
[日本女医会雑誌]第80号
昭和12年8月30日発行
編輯者 多川澄子
    東京市芝区白金三光町二七三
発行者 杉田鶴子
    東京市本郷区本郷二丁目三ノ六
印刷者 谷本 正
    東京市芝区愛宕町二丁目一四
発行所 日本女医会雑誌発行所
    東京市本郷区本郷二丁目三ノ六
※ 京都府立医科大学付属図書館の原本からコピー。

《明治時代 京都府の女医》

第90号(第93号) 河村悦子 合格明治35年10月 登録明治36年11月
          ※医籍番号16753号 木通屋町四条下ル錫屋町 p844/1332

第100号(第103号)上羽しま 合格明治36年5月
          ※医籍番号17804号 新舞鶴町 濱      p856/1332

第103号(第106号)合田成尾 合格明治37年5月
          ※医籍番号18615号 上京区 麩屋町二絛南入 p842/1332

第133号(第137号)正井スミ(中山)登録明治40年4月
          ※医籍番号22050号 北白川下池田町99   p841/1332

第236号(第240号)吉田八重野 登録大正1年8月
          ※医籍番号30413号 胡麻郷村保野田    p850/1332

[日本女医会雑誌]第80号
昭和12年8月30日発行

(第51号) 新海 登美(とみ)
(第58号) 松本 たい
(第88号) 安達 みち
(第113号)山内 ヨネ
上記4名
[日本女医会雑誌]第80号 :記載なし。
[日本杏林要覧][日本医籍録]:記載あり。

※【日本医籍録】
大正14年8月5日印刷
大正14年8月10日第一版発行
発行所 医事時論社
    東京市小石川区関口町109番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/1330

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


第000号 [日本女医会雑誌]第80号より
括弧内(第000号)小野一雄 調

明治国際医療大学付属病院―退院

明治国際医療大学付属病院
南丹市日吉町

本日(平成24年2月24日)、退院しました。

泌尿器科
中尾 昌宏 先生
山本 浩介 先生

手術室
看護師さん。

三階病棟
看護師の皆様

看護助手の皆様

本当に有難うございました。
感謝いたします。

明治国際医療大学付属病院―入院

明治国際医療大学付属病院
南丹市日吉町

本日(平成24年2月10日)から、1ヶ月程度、検査の為、入院します。
ブログは、退院後、再開します。

[我が家の猫]
近所の方が、生まれてすぐに捨てられていた子猫を、
自分の家は、犬は良いが、猫は駄目なので、
育てて欲しいと、連れて来られました。
その時、我が家には、チチワが八匹いました。
01-[我が家の猫]
02-[我が家の猫]
03-[我が家の猫]
04-[我が家の猫]
05-[我が家の猫]
06-[我が家の猫]
07-[我が家の猫]
[我が家の猫]
ミー子 雌 14歳9カ月
平成9年5月11日生
両親とも不明
08-[我が家の猫]
[我が家の猫]
キティ 雌 13歳9か月
平成10年5月10日生
母 ミー子
父 近所のシャム猫
09-[我が家の猫]
10-[我が家の猫]

チワワ
11-[我が家の猫]
12-[我が家の猫]
13-[我が家の猫]
14-[我が家の猫]
15-[我が家の猫]
初代チワワ
16-[我が家の猫]
17-[我が家の猫]
18-[我が家の猫]

[養蠶で猫も出世]明治5年8月
【新聞集成明治編年史】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/794/

《大久保麑山(徑三・經三・逕三・逕造)先生と師弟達》

《大久保麑山(徑三・經三・逕三・逕造)先生と師弟達》

【大分県紳士録】
明治37年(1904)5月2日印刷
明治37年(1904)5月5日発行
発行兼著作者 大悟法雄太郎
       大分県下毛郡大幡村239番地
印刷者    石川金太郎
       東京市京橋区西紺屋町267番地
印刷所    株式会社秀英舎
       東京市京橋区西紺屋町267番地
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/446

[伊藤田金治君]下毛郡三保村住 安政5年(1858) 2月生 p117/457
幼年の頃君は中津町の儒者有馬先生に就て数年間漢学を修め
後更に仝地の河野武造氏並に
大久保先生に就て専ら漢学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/117

[大江鵬翼君]下毛郡中津町住 明治2年(1869) 11月生 p136/457
幼年の頃地方の儒者白石、大久保の諸先生に就て漢学を修め後
中津市学校に入りて普通学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/136

[梅津春五郎君]下毛郡中津町住 慶応元年(1865) 11月生 p171/457
幼にして地方の碩儒橋本監巌、大久保經三の諸先生に就て漢学を修め
長ずるに及び大分県公立中津中学校に入りて普通学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/171

[深水民次郎君]下毛郡深秣村住 元治元年(1864) 4月生  p188/457
明治十年より中津市学校に入りて翻訳書算術等を攻修し
十二年より更に仝地大久保麑山、橋本将多を始め
大分町小川含章の諸先生に就て和漢学詩文等の教授を受く
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/188

[荒金由二君]下毛郡中津町住 慶応3年(1867) 3月生 p192/457
明治14年小学校を卒業し
翌15年より中津町片端なる佐々木清氏に就て医学を修め
傍ら大久保先生の私塾に通勤して漢学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/192

[平田吉胤君]下毛郡城井村住 慶応2年(1866) 7月生 p215/457
明治11年碩儒園田朝弼氏の設立に係れる
宇佐郡駅館村大字法鏡寺学半舎に入りて修業すること二ヶ年
転じて下毛郡中津町大久保徑三先生の門に遊び
後更に西国東郡草地村涵養舎に入り
鴛海量容先生に就て数年間漢学を修業す
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/215

[板塲三七郎君]宇佐郡津房村住 元治元年(1864) 6月生 p223/457
十一二才の頃より十五六才の頃迄中津町養成校に於て普通学を修め
十五六才の頃より十七八才の頃迄
仝町白石、大久保両先生の私塾を始め
日出町帆足先生の私塾に・・・
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/223

[布津紋吉君]宇佐郡天津村住 文久3年(1863) 7月生 p296/457
十五才の時より十七才の時迄
中津町大久保先生に就て漢学を修め
十八才の時更に岡山に赴き
平松淡海先生の私塾に入りて同じく漢学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/296

[北信太郎君]宇佐郡駅館村住 慶応3年(1867) 1月生 p318/457
幼年の頃地方の儒者園田、大久保の諸先生に就て漢学を修め
後更に宇佐郡立中学校に入りて普通学を修む
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/318

【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

[大井憲太郎]年譜 p454
万延元年(一八六〇)十八歳
名を大輔と改め、三月、中津藩儒者大久保蔵之助に、入門、儒学を学ぶ。
[明治文学全集12]「大井憲太郎・植木枝盛・馬場辰猪・小野梓 集」
 筑摩書房 昭和四十八年三月三十日発行

《大久保麑山先生》和田豊治:[豊前人物志]昭和十四年三月二十五日發行
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/409/

大久保慶藏先生:布津紋吉翁【宇佐郡人物大鑑】上巻:大正12年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/454/

布津紋吉翁[長男・布津純一:東京帝国大学][二男・布津立一:早稲田大学]
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/455/

大久保徑三先生:平田吉胤【下毛郡史】大正元年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/462/

《平田吉胤:豊前銀行株式會社 取締役》
【人事興信録. 7版】大正14年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1903/
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