2012年04月

《視覚障害者として伝えたいこと》山内幸恵

[かけはし]人推協だより 第9号 平成24年4月
京丹波町人権啓発推進協議会

《視覚障害者として伝えたいこと》 p4-5
山内幸恵(やまうち さちえ)さん


今回は機会をいただきましたので、
視覚に障害がある者の一人として
私の日常や思いをつづってみました。

<光を失った>
私は現在四十歳です。
父が建具の仕事をしていて喘息に罹り、
その薬の注射が原因で
私は先天性の弱視で生まれました。
右〇・〇三で
左が光覚(光が見えるか見えないか分かる程度の視力です)
で生まれました。
生後七ヶ月の時に
「天井に廻るオルゴールを見ずに笑っているな~目が悪いんやな~」
と感じたそうです。
三歳くらいの時に先天性弱視と診断されました。
当時の医学では治せないとも言われました。
両親も相当ショックだったと思います。
二十一歳で左目の視力を白内障で失い、失明しました。
その後は、残った右目に気が行きすぎて
痛みが走ることがありました。
医者からもらった点眼薬もズキズキして
吐きそうになったこともあります。
とうとう三十三歳のとき緑内障で右目も失明しました。

<視覚障害者のできる仕事>
光を失って七年がたちました。
見えないということは、他の障害の方に助けていただかんなんし、
生活面でもハンデが大きいし、仕事にも就きにくいです。
見えないということは、本当にハンデが大きいです。
その分、世の中へ訴える運動もがんばってせんなんです。
でも、視覚障害者協会の活動を「行事が多い」と言う人がいますが、
私たち当事者が集まって住みよい社会にしていくために考えていく
良い場だと思っていますし、みんな積極的にかかわってほしい。

南丹障害者就業・生活支援センターでも
なかなか仕事が見つかりません。
視覚障害者の仕事を一生懸命探してほしいです。
見えないということは通勤もできませんので、
自宅での内職、按摩マッサージ、指圧鍼灸の開業、邦楽塾等、
家で出来る仕事がありがたいです。
でも、今、按摩業は誰でも開業されてますので競争相手が増えています。
なかなかお客が来てくれないとも聞きます。

視覚障害のある方でも活躍されています。
大手化粧品メーカー資生堂で視覚障害を持った女性が働いています。
見えないとお化粧をするのも難しいですが、
この方は無料でお化粧の仕方を講習してくださりました。
化粧水、乳液に貼るシールをもらいましたが、
このシールには点字が書いてありました。
印刷物を音声で読んでくれる会社
アメリアに全盲の女性が働いているそうです。
大阪では点字で保健師の試験を受けられるようになったと知りました。
ほかにも、保育士をされている方のことも聞きました。
ピアノで歌ったり絵本読んだり相談にのったりのお仕事なのでしょうね。
栃木YMCAでも全盲の方が幼稚園の教諭をされています。

<外出のこと>
外出は見えなかったら手引きが必要です。
家族も都合が悪かったら連れて行ってくれません。
ガイドヘルパーセンターもそれぞれ決まりがあって費用も違います。

京都府視覚障害者協会のガイドヘルパーは
一ヶ月に通院、買い物、役場、冠婚葬祭、イベント、社会参加、
全部入れて五十時間が限度です。
それを超えると、時給二千円を払わないといけません。

利用時間は、午前七時から午後十時までです。
午前七時に出て行ったのでは間に合わない行事もあります。
このほか、施設の入場料や参加料は
自分とガイドヘルパーの分を全部払わないといけません。
これでは一泊旅行なんてとても行けません。
ですから、ガイドヘルパー経験のあるボランティアを
お世話になったりするのが現状です。
経験とお気持ちのある方を探すほかないのです。
こういう経費が無料にならないかな、
と心から思います。

<情報を得ること>
刊行物や本を家族に読んでもらおうと思ったら色々気を遣います。
テレビをみてくつろいでいる時間に
「今、かまへんか?」と相手の気持ちを考えながら頼まないといけません。
この四月から町のお知らせ版を朗読していただけることになりました。

ケーブルテレビの文字放送も音声放送にしていただきたいです。

郵便番号を調べる時に郵便局に電話したら
親切に宛先の郵便番号を引いて下さいました。

点字の時刻表はわかりやすいので
JRの時刻表を作ろうと思って電話したら
こちらでも読んでくださいました。

電化製品にはボタン一つひとつに音声か点字を打ってほしいです。

例えば、テレビのチャンネルが今何チャンネルなのかわからないのです。

南丹病院でも、
薬の処方箋や副作用を音声か点字でわかるようにしてほしいです。
お風呂で使うシャンプーは種類がわからない。
冷蔵庫のジャムも味が何なのかわからない。
絆創膏やお酒などもメーカーが知りたくても
わからないとか色々思います。

生活協同組合の注文書は毎週録音したものを送ってくださいます。
毎週、間に合うように十人ほどで分担して
録音してくださっているのだそうです。
これは全盲の七十歳代の女性が訴え続けてこられた成果だそうです。

ほかに、二一七ページもある本を女性ボランティア六人で分担し
四ケ月近くかかって録音し送っていただいたこともあります。
点字の本を製作するには一年かかると聞かされました。
点字には漢字がありません。

印刷物を音声で読める機械が開発されましたが、
機械の声は聞き取りにくいですし、
漢字をうまく読んでくれません。

本なら、文章、図、グラフ、表を分けて読んでくれません。
行事予定なら縦に読むので、先に日付を全部読んでから
あとで行事を読みます。
わかりにくいです。

これからはデイジー(デジタル録音図書の標準規格。または機器を差す)で
片面五十五時間録音出来る機械が開発されました。
おかげで、いったん教科書や辞書を録音してもらったら、
学校と家にデイジーの機械を持ってさえいれば
教科書も細かく分けて聞けるし、
辞書も「サ行」ならサ行をさっと引いて
聞くことができるようになります。
デイジーは軽くて持ち運びが便利ですので
勉強しやすくなったと思いました。

お金も見分けにくいです。
五円と五十円の違いがわかりません。

紙幣は左下に印があるけど薄いのでわかりにくい。
千円、五千円、一万円の順に長く作られています。

地震が多いですね。
京丹波町では民生児童委員さんが連絡先を書くようにしたり
消防署、警察、医療機関の電話番号を書いてあるものを
「手元に持っていてください」と渡されています。

東日本大震災で、視覚障害の方に地震の様子を聞いていたら、
初めは軽く揺れて、あとからものすごく揺れて、
外は真っ赤だったとおっしゃっていました。
その方は、ガラスでケガをされましたが、
民生委員さんが「○○子さん、いますか?」
と助けに来られて無事に避難されました。

そのあと「自衛隊の人にいっしょにいてもらいましょうか?」
と言っていただいて安心されたそうです。

本当に大きな出来事でしたね。
私の場合、揺れてきたらどうしようかと思います。
だから、お風呂に入る時は水着を着て入っています。
裸で逃げ出すわけにはいきませんから。
見えなかったら一人で避難できません。
靴を部屋に用意しています。
家族や民生委員さん、消防団、社会福祉協議会、保健福祉課の方々に
助けていただくしかないのです。

<伝えたいこと>
以上です。
もっといっぱい伝えたい、
知っていただきたいことがあります。
でも、点字を書く紙が硬いので肩が凝るし
一点一点打つのでたいへん時間がかかります。

視覚障害者が住みよい世の中に
していただきたいとの思いで書きました。
みなさん読んでいただき
ありがとうございました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《人権国際交流》
~ALTメリンダさんの場合~
―略―
このようにインターネットを活用すれば、・・・。
―略―

〔編集後記〕
―略―
今号では、地元の視覚障害のある
山内幸恵さんに日々の生活で思っていることを
綴っていただきました。
全部は掲載できませんでしたが、
山内さんを通して視覚障害者の皆さんの思いが
いっぱいつまっていると思います。

―略―
京丹波町人権啓発推進協議会
広報啓発専門部会
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伊藤正雄【大正区々政概要】[檜山村誌]

伊藤正雄【大正区々政概要】[檜山村誌]

伊藤正雄氏(楯雄氏の弟・耕作氏の兄):大阪八坂神社宮司

【大正区々政概要】
《八坂神社 社掌 伊藤正雄》p48/101
神社
村社「八坂神社」三軒家町三丁目
社掌 伊藤正雄
創祀 寛永二年(1625)
祭神 素盞嗚尊 應神天皇 仁徳天皇 菅原道眞公


村社「八坂神社」三軒家濱通三丁目
社掌 山口親臣
創祀 正保四年(1647)九月
祭神 健速素盞嗚尊
【大正区々政概要】p48
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459208/48

《大正区司法保護委員 伊藤正雄》p79/101
大正区司法保護委員会
事務所 大正区役所
伊藤正雄 三軒家町三丁目一七・一八
     電話 泉 四六二四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459208/79
《少年教護委員会 伊藤正雄》p79-80/101
少年教護委員会
事務所 大正区役所
伊藤正雄 三軒家町三丁目一七
電話 泉 四六二四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459208/80
神社神職 p97/101
村社「八坂神社」三軒家町三丁目
社掌 伊藤正雄
電話 泉 四六二四

【大正区々政概要】p97
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459208/97
昭和16年(1941)3月31日印刷
昭和16年(1941)4月20日発行
(非売品)
編輯兼発行人 梶 榮
       大阪府三島郡豊川村大字道祖本1017番地
印刷人    下市治信
       大阪市港区八雲町一丁目七番地
印刷所    同盟印刷有限会社
       大阪市港区八雲町一丁目七番地
発行所    大阪市大正区役所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459208/98

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※ 村社「八坂神社」三軒家町三丁目
※ 社掌 伊藤正雄
※ 創祀 寛永二年
※ 祭神 素盞嗚尊 應神天皇 仁徳天皇 菅原道眞公
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大阪市大正区三軒家東6-14-12(平成24年1月6日)

八阪神社(下之宮) -大阪市大正区三軒家東-
2017年06月01日 15:55
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
伊藤楯雄:[檜山村誌]
明治十年(1877)十一月、
桧山村字中台で熊太郎氏の長男として出生される。
―略―
尚、

弟の正雄氏(耕作氏の兄)は軍人として中佐となられ、
従五位に叙せられ、除隊後、大阪八坂神社宮司として活躍された。

この人には和泉式部についての著述が残されている。

二ノ宮神社入口の一対の狛犬は、正雄氏と耕作氏が
昭和十年(1935)十月寄進されたものと記されている。

http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240136.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
伊藤耕作:[檜山村誌]
故 伊藤耕作氏 p842-843
明治二十一年(1888)二月十二日、
熊太郎氏の四男として字中台に生れる。
長兄等が郷土を出て活躍されていた故伊藤家をつぎ、
地区の人々の懸案であった岩谷池の工事をはじめ、
地域の産業発展のために貢献された。
―略―
[檜山村誌]
平成五年(1993)四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
    桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
(非売品)
※ 現 京都府船井郡京丹波町 瑞穂地区
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240137.html

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改訂:平成29年12月15日
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伊藤耕作:[檜山村誌]

伊藤耕作:[檜山村誌]

[檜山村誌]
平成五年四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
    桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
(非売品)
※ 現 京都府船井郡京丹波町 瑞穂地区

伊藤耕作
故 伊藤耕作氏 p842-843
明治二十一年(1888)二月十二日、熊太郎氏の四男として字中台に生れる。
長兄等が郷土を出て活躍されていた故伊藤家をつぎ、
地区の人々の懸案であった岩谷池の工事をはじめ、
地域の産業発展のために貢献された。
大正十三年十二月、桧山村助役となり、
昭和二年任期満了により一旦退職。
翌三年三月選ばれて村長に就任される。
資性温厚謹直、爾来再選を重ね、三期十二年間、
昭和十五年三月まで村発展のため尽粋される。
其の他村会議員や郡会議員にも挙げられ、
或は産業組合理事、村農会長、養蚕実行組合長をも歴任し村民の信頼厚く、
昭和九年其の施設経営共に見るべきものありとて本府より表彰を受け、
更に昭和十三年四月十六日、
自治制発布五十周年記念に優良町村として表彰され、
全国六十九町村功労者代表として
内務大臣より表彰状並に記念品を拝受された。
之は氏の献身的努力に負う所多く、
昭和十四年二月十一日、京都府知事より優良町村長として
左記の通り表彰状を受けられた。
 記
表彰状
多年公共ノ事二竭シ其ノ功績見ルベキモノ尠カラズ仍テ市町村
及市町村吏員表彰規程二依リ銀杯一組ヲ授与シ茲二之ヲ表彰ス
今後一層其ノ実蹟ヲ挙ゲンコトヲ望ム
京都府知事 鈴木敬一
・昭和九年及び昭和十三年村長当時の
府表彰、国表彰の内容・写真等桧山村政の項に記している。

【優良町村及自治功労者事績概要】
京都府船井郡檜山村 p36/137
一 概況
本村は京都府船井郡の西部に位し、面積一・六〇九方里、
戸数四百五十一戸、人口二千百十七人にして
村民の大部分は農業に従事し、副業として養蠶及林業を営んで居る。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268489/36
昭和14年9月1日印刷
昭和14年9月5日発行
非売品
編輯兼発行者 松村茂夫
       東京市芝区西久保巴町三十五番地
印刷者    杉田彌太郎
       東京市麹町区五丁目二番地
発行所    全国町村長会
       東京市芝区西久保巴町三五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268489/133

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

伊藤楯雄:[檜山村誌]

伊藤楯雄:[檜山村誌]

[檜山村誌]
平成五年四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
    桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
(非売品)
※ 現 京都府船井郡京丹波町 瑞穂地区

伊藤楯雄氏 p418
明治十年十一月、桧山村字中台で熊太郎氏の長男として出生される。
早稲田大学に入学し、法律学科を修得し、
明治三十五年、判検事登用第一回試験に合格し、司法官試補を命ぜられた。
彦根、大阪の各裁判所に奉職して、
明治三十六年九月、大阪区裁判所検事代理を勤め、
同三十八年四月、判事に任ぜられた。
同四十三年七月、大阪控訴院判事となり、
大正六年二月検事に任ぜられて、名古屋地方裁判所に転じ、
同年六月名古屋控訴院検事に補せられた。
大正六年六月十六日、愛知県下御油の旅舎にて歿せられる。
享年四十一才であった。
特旨を以て従五位勲六等に追叙された。
余りにも早い逝去で、尚長らえておられたら
一段と大きい功績を残されたことと惜まれる。
尚、弟の正雄氏(耕作氏の兄)は軍人として中佐となられ、
従五位に叙せられ、除隊後、大阪八坂神社宮司として活躍された。
この人には和泉式部についての著述が残されている。
二ノ宮神社入口の一対の狛犬は、正雄氏と耕作氏が
昭和十年十月寄進されたものと記されている。


伊藤楯雄 京都 和歌山地方裁判所 判事【早稲田大学校友会会員名簿】

【早稲田大学校友会会員名簿】[第1冊]大正4年11月調
邦語法律科  p51/189
明治34年得業  p56/189
伊藤楯雄 京都 和歌山地方裁判所 判事 p56/189
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910566/56

【早稲田大学校友会会員名簿】[第2冊]大正14年11月調
邦語法律科  p116/517
明治34年度得業 p120/517
伊藤楯雄  p120/517
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910567/120

【会員名簿】早稲田大学校友会 昭和3年11月
邦語法律科  p124/424
明治34年度 卒業 p127/424
伊藤楯雄  p127/424
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083557/127

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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伊藤楯雄 判事 検事【職員録】

【職員録】[第31冊]明治36年(甲)
大津地方裁判所    滋賀県大津市四ノ宮      p245/459
彦根区裁判所(支部) 滋賀県犬上郡彦根町大字金亀
判 事 司法官試補 (年1200) 伊藤楯雄      p245/459
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779784/245

【職員録】[第33冊]明治37年(甲)
大阪区裁判所   大阪市西区土佐堀通4丁目    p162/365
検事局 司法官試補 検事代理 (年1200)伊藤楯雄 p163/365
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779786/163

【職員録】[第35冊]明治38年(甲)
和歌山地方裁判所 和歌山県和歌山市2番丁  p182/376
判 事 七等十一級 従七 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779788/182

【職員録】[第37冊]明治39年(甲)
和歌山地方裁判所 和歌山県和歌山市2番丁  p243/447
判 事 七等十一級 従七 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779790/243

【職員録】[第39冊]明治40年(甲)
大阪地方裁判所  大阪市北区若松町     p240/470
判 事 七等十級 従七 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779792/240
大阪区裁判所   大阪市西区土佐堀通4丁目 p241/470
判 事 (兼)     伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779792/241

【職員録】[第41冊]明治41年(甲)
大阪地方裁判所  大阪市北区若松町      p241/499
判 事 六等九級 正七 伊藤楯雄
大阪区裁判所   大阪市西区土佐堀通4丁目 p241/499
判 事 (兼)     伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779794/241

【職員録】[第43冊]明治42年(甲)
大阪地方裁判所  大阪市北区若松町      p276/516
判 事 六等九級 正七 伊藤楯雄
大阪区裁判所   大阪市西区土佐堀通4丁目 p276/516
判 事 (兼)     伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779796/276

【職員録】[第45冊]明治43年(甲)
大阪地方裁判所  大阪市北区若松町      p271/522
判 事 六等八級 正七 伊藤楯雄
大阪区裁判所   大阪市西区土佐堀通4丁目 p271/522
判 事 (兼)     伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779798/271

【職員録】[第47冊]明治44年(甲)
大阪控訴院 大阪市北区           p261/586
判 事 五等七級 従六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779800/261

【職員録】[第49冊]明治45年(甲)
大阪控訴院 大阪市北区           p263/610
判 事 五等七級 従六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779802/263

【職員録】[第1冊]大正2年甲
大阪控訴院 大阪市北区           p288/627
判 事 五等七級 従六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927656/288

【職員録】[第3冊]大正3年甲
大阪控訴院 大阪市北区           p327/679
判 事 五等七級 従六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927658/327

【職員録】[第5冊]大正4年甲
和歌山地方裁判所 和歌山市2番丁      p348/693
判 事 五等六級 従六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927660/348

【職員録】[第7冊]大正5年甲
和歌山地方裁判所 和歌山市2番丁      p357/718
判 事 五等六級 正六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927662/357

【職員録】[第9冊]大正6年甲
名古屋地方裁判所 名古屋市西区南外堀町   p367/720
検事局 検事 (兼)        伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927664/367
名古屋区裁判所  名古屋市西区南外堀町   p367-368/720
検事局 検事 五等六級 正六 勲六 伊藤楯雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927664/368

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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海軍技手門繁雄外八名任官並官等陞叙ノ件○
判事伊藤楯雄任官、特許局審査官保科貞兼任、子爵保科正昭外一名任官、
領事天野恭太郎官等陞叙
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000003040451

元福島県技師山上正夫○
山林事務官補谷口三之助○
検事伊藤楯雄○
台湾総督府通信事務官補鈴木金之介賞与ノ件
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000258018

故検事伊藤楯雄位階追陞ノ件
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000337813

『国立公文書館・デジタルアーカイブ』より

元福島県技師山上正夫○山林事務官補谷口三之助○検事伊藤楯雄
○台湾総督府通信事務官補鈴木金之介同上(鉄道院参事補笠井好人
○副司税官湯本礼太郎外一名賞与ノ件)ノ件
レファレンスコード A04018117500

故検事伊藤楯雄位階追陞ノ件
レファレンスコード A11112600200

『国立公文書館・アジア歴史センター』より
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小野又一中尉:陸軍技術将校

小野又一中尉:陸軍技術将校

大正5年(1916)7月11日生
昭和14年(1939)3月
    京都帝国大学 工学部 機械工学科 卒業
    満洲飛行機製造株式会社 入社
昭和17年(1942) 陸軍技術将校 中尉
昭和18年(1943)3月6日 小野又一(小川)文子 婚姻届
昭和21年(1946) 秋頃 コロ島より 山口県仙崎港 引き揚げ
昭和47年(1972)1月31日歿 56歳

京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様
昭和十七年前期の隊長の部下四班
渡辺軍曹の内務に席のありました一兵卒です
座隊中は種々お世話様でした
―略―
(昭和46年(1971))
九月五日
東京都板橋区前野町六の六三番地
田中平四郎
(旧姓 荒井)
〒174
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238670.html

陸軍技術将校:勅令案:昭和14年8月18日
陸軍技術将校たるへき各兵科将校の補充及現役期間の
臨時特例に規定する技術候補生等給与に関する件
レファレンスコード [C01001710300]
勅令案 p3/16
昭和十四年八月十八日
内閣総理大臣
陸軍大臣
勅令第五百九十五号
技術候補生 p13/16
技術候補生ト軍医候補生トノ修業期間比較表 p14/16
技術候補生
二月(軍曹)
二月(見習士官・曹長)
二年(現役将校)
軍医候補生
一月(軍曹)
一月(見習士官・曹長)
二年(現役将校)
技術候補生ト軍医候補生トノ共通点 p15/16
一 身分ハ生徒
二 進級順序ハ同様・軍曹→曹長(見習士官)→将校
三 任官資格ハ学士(大学卒業者)ハ中尉・
其ノ他(専門学校卒業者)ハ少尉
四 必 現役期間ハ二年
『国立公文書館・アジア歴史センター』より


[Wikipedia][技術部]陸軍技術中尉
航技将兵は定色の山型胸章に加え、
襟部に航技を示す鳥の翼を象った航技特別章を着用してこれを区別し
(九八式軍衣期。後述昭和19年の兵技との一本化に於いて廃止)、
三式軍衣期は航空胸章を着用した。
昭和19年8月10日に、階級上の兵技・航技の分類を改め単に
「陸軍技術中将」から「陸軍技術二等兵」とした
(昭和19年7月10日勅令第448号)。
1-小野又一中尉:陸軍技術将校
小野又一 中尉
2-小野又一中尉:陸軍技術将校
昭和18年(1943)3月6日 小野又一(小川)文子 婚姻届
3-小野又一中尉:陸軍技術将校
満洲 四平?
4-小野又一中尉:陸軍技術将校
満洲 四平?
 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年03月25日 05:14 陸軍技術将校
[小野又一の兵籍簿]高知県地域福祉政策課援護調査
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[田中平四郎様:小野又一]

[田中平四郎様:小野又一]
612
京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様
寫眞在中
東京都板橋区前野町六の六三
田中平四郎
(昭和46年(1971))八月六日
※ 九月六日の誤記
拝啓
私わ 昭和十七年前期の隊長の部下四班
渡辺軍曹の内務に席のありました一兵卒です
座隊中は種々お世話様でした
辻本さんからお聞でしょうが
先月 東京で戦友会があり 楽しい一日を語り合い
今后共互に残る余生を楽しく送る事を誓ひ
何かの機会にまた会う日を約束 実現致したいと思って居ります
先日 三原さんが小野様に寫眞をお送り致したとの事 聞き
私も何枚かありますが小野様の寫ってるのを複寫致しましたので
お送りさせて戴きました
せめて四平の思ひ出の一端となりますれば幸甚と思ひます
辻本様にも送らせてもらいました
何れの機会にお会ひ出来ます事を心待ちに致して居ります
お体にわ呉々も御?愛の程
お祈り申し上げます
乱筆乱文にて失礼申上げます
敬具
九月五日
東京都板橋区前野町六の六三番地
田中平四郎
(旧姓 荒井)
〒174
1[田中平四郎様:小野又一]
2[田中平四郎様:小野又一]
3[田中平四郎様:小野又一]
4[田中平四郎様:小野又一]
5[田中平四郎様:小野又一]
前列 左から四人目 小野又一 中尉
6[田中平四郎様:小野又一]
後列 右から七人目 小野又一 その前 小野安子
7[田中平四郎様:小野又一]
右から二人目 小野又一 中尉

[辻本繁孝様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238668.html

[三原栄様:小野又一]

[三原栄様:小野又一]

612
京都市伏見区深草正覚町9
小野又一様

東京都板橋区向原2-32-1
三原 栄

拝啓
暑さ益々きびしい折柄
中隊長殿には日々お元気でお過ごしのことと思ひます
在満中は一方ならぬ御世話に相成り
厚くお礼申し上げます
扨 辻本さんより既にお聞きでしょうが
今月十五日靖国神社にて部隊長始め八十数名が懐しき対面をしました
すぐにわかった人 なかなか思ひ出せない人
話をしている内にだんだんと四平当時が浮び
明け方近くまで語り合いました
でも皆の話のおちつく先は自然と隊長殿の話になり
お顔の見えなかったのが一番の心残りでした
次回には是非 御出席下さるよう御願ひ致します
又 辻本さんよりお聞きしましたが
当時の写真数あるなかで隊長の入っているのは
残念ながら僅か一枚しかありません
たった一枚で申訳ありませんが
四平時代の思ひ出にと同封致しました
何卒お受取り下さるようお願ひ致します
残暑きびしき折
御身体御自愛祈ります
次回には是非お目にかゝりたいと思ひます
草々
(昭和46年(1971))八月二十三日
1[三原栄様:小野又一]
2[三原栄様:小野又一]
3[三原栄様:小野又一]
4[三原栄様:小野又一]
5[三原栄様:小野又一]
6[三原栄様:小野又一]
前列 左から三人目 隊長(小野又一 中尉)
7[三原栄様:小野又一]

[辻本繁孝様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238668.html

[田中平四郎様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238670.html

[辻本繁孝様:小野又一]

[辻本繁孝様:小野又一]

612
京都市伏見区深草正覚町九
小野又一様
640
和歌山市鳴神二四八の五〇
(昭和46年(1971))八月十七日
拝啓 前略
八月十五日 東京の靖国神社に正午集合
西村大佐以下約90名
本部の平識中尉、佐藤??、田染、羯磨両氏の世話人を含めて
記念写真・神社参拝後、日傷会館?夕食と会食、
昔の若かりし頃に戻り大いにハッスルして参りました
一作時代に撮りました寫眞(小野隊長、と年次別に撮り)を
古く成って居りますが持参して見せて下さいまして
小野さんの本日の欠席をおしむ人々が、
次回は出席するとの事で納得して下さいました、
其の夜は同所に東京在住の方々を除く
部隊長以下宿泊
夜のふけるのも忘れ話しに花が咲き
押切軍曹の相不変の、話し振りに大いに笑い愉快に過して参り
次回会合を約し十六日夕方自宅に帰りましたのです
何れ又詳い事は拝?の節に
御身大切に
奥様によろしくお伝え下さい
草々
1[辻本繁孝様:小野又一]
2[辻本繁孝様:小野又一]

[三原栄様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238669.html

[田中平四郎様:小野又一]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2238670.html


[小野安(安子)]明治39年(1906)頃:九州大学医学部聴講生

[小野安(安子)]明治39年(1906)頃:九州大学医学部聴講生

《小野安子 福岡大學小児科》『日本女医会雑誌』大正8 (1919)年7 月発行

小野安子 談
昔、九州大学だけが女性の聴講生を受け入れていた。

※ 明治39 年(1906) 頃 福岡大学で聴講生(小野一雄 調)
[小野安(安子)] 《女医への道》-01
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2162960.html
※ 九州大学大学文書館 折田悦郎教授に調べて貰いましたが、
  正式な記録は残っていなかった。 平成21年(2009)10月8日
  もし、記録が残っていたら、日本で女性・第一号の聴講生です。
※ 福岡大学
 [(正式名)京都帝国大学福岡医科大学 (現)九州大学医学部]
※ 当時、女性に大学入学は認可されていなかった。

【日本人物情報大系】第6巻
[女性録編①]
復刻 株式会社皓星社 1999年7月15日発行
『大正九年 婦人年鑑』(佐藤順造・内田茂文共編)1920年
出版元 日本婦人通信社 大正九年七月二十日 三版発行
日本女医会 p477-481
牛込区北山伏町一二 女医 前田園子方 電話 番町一九一二
会員
大正八年七月発行『日本女医界雑誌』の報する処によれば、
会員数約四百五十名あり。
右雑誌は本郷湯島新花町三九。
其社より発行し居れるが、女医杉田鶴子女史発行人にして
芝区白金三光町二七三 女医多川澄子女史編輯人なり。
会員氏名左の如し。
但し、※印は住所不明にして◎印は現に東京に於て開業中の女医なり。
 ―略―
1《小野安子 福岡大學小児科》『日本女医会雑誌』
《小野安子  福岡大學小児科》
 ―略―
2《小野安子 福岡大學小児科》『日本女医会雑誌』
《久納たか子 福岡大學小児科》
《山川初子  大阪府(大阪医科大学)》
 ―略―
3《小野安子 福岡大學小児科》『日本女医会雑誌』
《哲翁たまよ 東京帝国大學医学部産婦人科》
 ―略―
4-《小野安子 福岡大學小児科》『日本女医会雑誌』
《関きよ子  宮城県(東北大学眼科)》
 ―略―

《小野安子  福岡大學小児科》
[小野安]明治36年1月及第 高知平民 明治16年生 宿毛町五〇
『日本杏林要覧』(p623/976)(原本p1140)
日本杏林社 明治42年(1909)12月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/623

[小野安]本山村岡本 明治16年9月12日生
高知県出身 試験及第 明治36年《医籍番号016626》
『日本医籍録』(p909/1332)(原本・兵庫県p29)
     医事時論社 大正14年(1925)8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/909

《久納たか子 福岡大學小児科》
      『日本医籍録』記載なし

《山川初子  大阪府(大阪医科大学)》
[山川初子] 野崎町大阪キリスト教女子青年会寄宿舎
       明治30年10月11日生
       試験及第大正8年《医籍番号43372》
      『日本医籍録』(p869/1332)(原本・大阪府p22)
医事時論社 大正14年(1925)8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/869

《哲翁たまよ 東京帝国大學医学部産婦人科》
[哲翁たまよ]産婦人科 哲翁病院 明治21年1月21日生
大正7年東京女子医専卒《医籍番号044623》
後至誠堂病院及東大医院ニテ産婦人科研究大正10年現地開業 趣味音楽
『日本医籍録』(p1151/1332)(原本・長崎県p15) 
医事時論社 大正14年(1925)8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/1151

《関きよ子  宮城県(東北大学眼科)》
[関きよ]  元柳町30
       関眼科医院 明治30年1月13日生
       大正7年試験及第《医籍番号43309》
       自大正7年至大正11年東北大眼科教室勤務
       大正11年開業
      『日本医籍録』(p618/1332)(原本・宮城県p9)
 医事時論社 大正14年(1925)8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/618

≪小野雄二 談≫
小野安(日本で89番目の女医)
【祖母から聞いた逸話】
◆医術開業試験会場での出来事
試験開始前、試験官より「質問は一切受け付けない」と注意。
試験開始後、祖母は、「質問」と挙手質問した。
試験官も間違いを認めたとのこと。
◆刃傷沙汰での出来事
医師免許を取得し、宿毛に帰ったある日、刃傷沙汰があり、
殺人事件があったそうです。
医者を呼べということになり、医者の数も少なかったのでしょう。
祖母に声がかかったとのことです。
現場に赴いた祖母を警官が見て、「この小娘が・・・」と。
祖母は、死体に近づき、死体に片足を載せ、
包丁を引き抜いたということがあったそうです。
◆「小野医院」開業の出来事
報知新聞の記者であった松村謙三氏(のち衆議院議員)が
取材に来られたそうです。

≪女子教育≫
主な旧制大学、女子高等教育機関の設立時期と
旧制大学の女子学生の受け入れ状況
西 暦( 和 暦 )年 出来事
1886年(明治19年) 東京帝大設立
1897年(明治30年) 京都帝大設立
1900年(明治33年) 東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)設立
1901年(明治34年) 最初の旧制女子専門学校として日本女子大学校が開学
1907年(明治40年) 東北帝大設立
1908年(明治41年) 奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)設立
1911年(明治44年) 九州帝大設立
1912年(明治45年) 東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)開学
1913年(大正2年) 東北帝国大学 3名
        (東京女高師2名、日本女子大学校1名)の女子学生が入学
1916年(大正5年) 聖心女子学院高等専門学校(現聖心女子大学)開学
1916年(大正5年) 男子の旧制専門学校である東洋大学に女子学生が入学
1918年(大正7年) 旧制専門学校として東京女子大学が開学
1918年(大正7年) 北海道帝大農科大学
        女子学生を全科目履修選科生として受け入れる
1919年(大正8年) 大学令制定。
        帝国大学以外の大学も認められるようになる。
        府立大阪医科大学を設置
1920年(大正9年) 東京帝大 女性の聴講生を受け入れる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%95%99%E8%82%B2

≪九州大学≫
福岡県福岡市東区箱崎6丁目10-1に本部を置く日本の国立大学である。
年表 [編集]
1867年(慶応3年) - 福岡藩が賛生館を設立。
1903年(明治36年)4月1日 - 京都帝国大学医科大学が
             京都帝国大学京都医科大学と
             京都帝国大学福岡医科大学に分割され、
             後者が福岡に設置された(授業開始は9月16日)。
1911年(明治44年)
1月1日 - 九州帝国大学創立。分科大学として工科大学を設置。
4月1日 - 京都帝国大学福岡医科大学が九州帝国大学に移管。
1919年(大正8年) - 帝国大学令が改正され、
          各分科大学は医学部、工学部になり農学部を設置。
1924年(大正13年) - 法文学部を設置、2名の女子学生を受け入れ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A6

※ 参考資料
旧制大学における女性受講者の受容とその展開
戦前大学教育の一側面
富士原 雅 弘 (日本大学大学院)
http://www.nuedu-db.on.arena.ne.jp/pdf/032/32-r-006.pdf

≪松村謙三≫
松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年1月24日 - 1971年8月21日)は、
富山県福光町(現在の南砺市)出身の日本の政党政治家。
衆議院議員選挙に通算13回当選し、厚生大臣・農林大臣・文部大臣を歴任した。
従二位勲一等旭日桐花大綬章。
明治39年(1906):早稲田大学政治経済学部卒業、報知新聞社に入社。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9D%91%E8%AC%99%E4%B8%89

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪個人別・資料≫-01

[明治時代の女医:250名(246+4)]:≪個人別・資料≫-01

[明治時代の女医:250名]p1/11~p11/11
《001-荻野吟子~246-青山はぎを+4名》

※ [001 荻野 吟子] 数字は合格順位
[日本女医会雑誌]第80号 昭和12年8月30日発行を参照。

[001 荻野 吟子(志方)]
【東京女子高等師範学校一覧】[第1冊]明治25-28年
明治12年7月卒業(小学師範学科)
医術開業 志方ぎん 埼玉 p42/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/42
明治12年7月卒業(小学師範学科)(18人)
志方ぎん 埼玉 p121/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/121
女子高等師範学校 明治27年7月20日発行 p136/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/136

【東京女子高等師範学校】[第12冊]明治45-46年
明治12年7月卒業(小学師範学科)(18人)
非役 荻野 志方ぎん 埼玉 p121/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813130/121
東京女子高等師範学校 大正1年10月5日発行 p166/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813130/166

[008 飯島 リウ(設楽)]
【甲斐繁昌記】明治36年6月3日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764958/159
設楽りう 履信堂 小児科・婦人科・内科 甲府市錦町 p68/164
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764958/68
設楽りう 予約者人名 p151/164
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764958/151

[017 丸橋 ミツ(藤田)]
【東京女子高等師範学校一覧】[第1冊]明治25-28年
明治13年7月卒業(小学師範学科)
丸橋みつ 静岡 p44/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/44
明治12年7月卒業(小学師範学科)(18人)
明治13年7月卒業(小学師範学科)(15人)
丸橋みつ 静岡 p122/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/122
女子高等師範学校 明治27年7月20日発行 p136/139
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/136

【東京女子高等師範学校】[第12冊]明治45-46年
明治13年7月卒業(小学師範学科)(15人)
非役(在北京)丸橋 藤田みつ 静岡 p122/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813130/122
東京女子高等師範学校 大正1年10月5日発行 p166/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813130/166

[024 加藤 みね(中野)]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
加藤ミネ 土佐堀1056 大阪 西、京町堀4-7地 p17/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/17

[030 吉田 賢]
【京橋繁昌記】京橋協会 大正1年11月27日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946509/131
吉田けん 東京市京橋区 銀座3-21  試験及第 p58/132
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946509/58

[031 横瀬 ツキ(岡部)]
【茨城県医師会会誌】茨城県医師会 大正3年5月6日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/909435/48
横瀬ツギ 新治郡石岡町 p41/49
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/909435/41

[037 赤尾 鶴(天田)]
【京橋繁昌記】京橋協会 大正1年11月27日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946509/131
赤尾ツル 東京市京橋区 南新堀1-11 試験及第 p59/132
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946509/59

[048 小川 とし(若山)]
【浅草繁昌記】実力社 明治43年12月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/212
小川とし 東京市浅草区 象潟町二 試験及第 p60/250
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/60
小川医院 内科小児科 小川元亮 婦人科 小川とし
浅草象潟町二番地 電話下谷1539番 広告・写真あり p81/250
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/81
小川医院 内科及小児科は院長小川元亮氏これに当り、
婦人科には女医として令名ある小川とし子女史これを担任し、
共に世の重寄をうけつつあり、所在は象潟町二番地。  p211/250
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/211

[062 大槻 とき]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
大槻とき 産婦人科医 元町2546 神戸 北長狭通6-53 p405/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/405

[076 沖本 幸]
【現在の鎌倉】通友社 明治45年7月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763801/96
沖本幸 女医 神奈川県鎌倉郡鎌倉町 腰越津村 p79/101
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763801/79

[087 幣原 節]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
幣原節 女医 御影289 御影、城の前1440 p515/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/515

[091 村上 琴子]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
村上 琴 北914 大阪 北、堂島、船大工、19地 p19/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/19

[092 福井 榮子]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
福井 榮 北2254 大阪 北、東梅田、315地 p20/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/20

[098 大政 稲野]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
大政稲野 大政医院 三宮1396 神戸 布引2-3 p405/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/405

[100 上羽 しま]
【京都府加佐郡商工人名録】餘部実業協会 明治45年6月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779544/78
上羽志満 女医 新舞鶴町二条八島 p37/83
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779544/37

[113 橘 薫]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
橘 薫子 東1471 大阪市 東、常盤、1-13地 p18/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/18

[153 林 うめゑ(桑原)]
【仙台市案内】明治44年10月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763362/69
桑原梅枝 小児科 桑原医院 東四番丁二 p21/72
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763362/21
天精堂医院 仙台市東四番丁 電話465番
院主 桑原東岸 内外科・皮膚・梅毒科・催眠術療法
女医 桑原梅枝 内科・小児科
(入院随時)施薬救療開始
(貧困者にして施薬を望まるる方は
其市町村長又は区長の証明書を持参せらるべし) p44/72
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763362/44

[166 森川 しづへ(高浦)]
【浅草繁昌記】実力社 明治43年12月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/212
高浦しづへ 松清町57 試験及第 p60/250
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763562/60

[184 杉原 コマス]
【営業別電話名簿】十字屋出版部 大正10年12月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/572
杉原小マス 西2916 大阪 西、九条中1-108地  p22/574
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950542/22

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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