[かけはし]人推協だより 第9号 平成24年4月
京丹波町人権啓発推進協議会
《視覚障害者として伝えたいこと》 p4-5
山内幸恵(やまうち さちえ)さん
今回は機会をいただきましたので、
視覚に障害がある者の一人として
私の日常や思いをつづってみました。
<光を失った>
私は現在四十歳です。
父が建具の仕事をしていて喘息に罹り、
その薬の注射が原因で
私は先天性の弱視で生まれました。
右〇・〇三で
左が光覚(光が見えるか見えないか分かる程度の視力です)
で生まれました。
生後七ヶ月の時に
「天井に廻るオルゴールを見ずに笑っているな~目が悪いんやな~」
と感じたそうです。
三歳くらいの時に先天性弱視と診断されました。
当時の医学では治せないとも言われました。
両親も相当ショックだったと思います。
二十一歳で左目の視力を白内障で失い、失明しました。
その後は、残った右目に気が行きすぎて
痛みが走ることがありました。
医者からもらった点眼薬もズキズキして
吐きそうになったこともあります。
とうとう三十三歳のとき緑内障で右目も失明しました。
<視覚障害者のできる仕事>
光を失って七年がたちました。
見えないということは、他の障害の方に助けていただかんなんし、
生活面でもハンデが大きいし、仕事にも就きにくいです。
見えないということは、本当にハンデが大きいです。
その分、世の中へ訴える運動もがんばってせんなんです。
でも、視覚障害者協会の活動を「行事が多い」と言う人がいますが、
私たち当事者が集まって住みよい社会にしていくために考えていく
良い場だと思っていますし、みんな積極的にかかわってほしい。
南丹障害者就業・生活支援センターでも
なかなか仕事が見つかりません。
視覚障害者の仕事を一生懸命探してほしいです。
見えないということは通勤もできませんので、
自宅での内職、按摩マッサージ、指圧鍼灸の開業、邦楽塾等、
家で出来る仕事がありがたいです。
でも、今、按摩業は誰でも開業されてますので競争相手が増えています。
なかなかお客が来てくれないとも聞きます。
視覚障害のある方でも活躍されています。
大手化粧品メーカー資生堂で視覚障害を持った女性が働いています。
見えないとお化粧をするのも難しいですが、
この方は無料でお化粧の仕方を講習してくださりました。
化粧水、乳液に貼るシールをもらいましたが、
このシールには点字が書いてありました。
印刷物を音声で読んでくれる会社
アメリアに全盲の女性が働いているそうです。
大阪では点字で保健師の試験を受けられるようになったと知りました。
ほかにも、保育士をされている方のことも聞きました。
ピアノで歌ったり絵本読んだり相談にのったりのお仕事なのでしょうね。
栃木YMCAでも全盲の方が幼稚園の教諭をされています。
<外出のこと>
外出は見えなかったら手引きが必要です。
家族も都合が悪かったら連れて行ってくれません。
ガイドヘルパーセンターもそれぞれ決まりがあって費用も違います。
京都府視覚障害者協会のガイドヘルパーは
一ヶ月に通院、買い物、役場、冠婚葬祭、イベント、社会参加、
全部入れて五十時間が限度です。
それを超えると、時給二千円を払わないといけません。
利用時間は、午前七時から午後十時までです。
午前七時に出て行ったのでは間に合わない行事もあります。
このほか、施設の入場料や参加料は
自分とガイドヘルパーの分を全部払わないといけません。
これでは一泊旅行なんてとても行けません。
ですから、ガイドヘルパー経験のあるボランティアを
お世話になったりするのが現状です。
経験とお気持ちのある方を探すほかないのです。
こういう経費が無料にならないかな、
と心から思います。
<情報を得ること>
刊行物や本を家族に読んでもらおうと思ったら色々気を遣います。
テレビをみてくつろいでいる時間に
「今、かまへんか?」と相手の気持ちを考えながら頼まないといけません。
この四月から町のお知らせ版を朗読していただけることになりました。
ケーブルテレビの文字放送も音声放送にしていただきたいです。
郵便番号を調べる時に郵便局に電話したら
親切に宛先の郵便番号を引いて下さいました。
点字の時刻表はわかりやすいので
JRの時刻表を作ろうと思って電話したら
こちらでも読んでくださいました。
電化製品にはボタン一つひとつに音声か点字を打ってほしいです。
例えば、テレビのチャンネルが今何チャンネルなのかわからないのです。
南丹病院でも、
薬の処方箋や副作用を音声か点字でわかるようにしてほしいです。
お風呂で使うシャンプーは種類がわからない。
冷蔵庫のジャムも味が何なのかわからない。
絆創膏やお酒などもメーカーが知りたくても
わからないとか色々思います。
生活協同組合の注文書は毎週録音したものを送ってくださいます。
毎週、間に合うように十人ほどで分担して
録音してくださっているのだそうです。
これは全盲の七十歳代の女性が訴え続けてこられた成果だそうです。
ほかに、二一七ページもある本を女性ボランティア六人で分担し
四ケ月近くかかって録音し送っていただいたこともあります。
点字の本を製作するには一年かかると聞かされました。
点字には漢字がありません。
印刷物を音声で読める機械が開発されましたが、
機械の声は聞き取りにくいですし、
漢字をうまく読んでくれません。
本なら、文章、図、グラフ、表を分けて読んでくれません。
行事予定なら縦に読むので、先に日付を全部読んでから
あとで行事を読みます。
わかりにくいです。
これからはデイジー(デジタル録音図書の標準規格。または機器を差す)で
片面五十五時間録音出来る機械が開発されました。
おかげで、いったん教科書や辞書を録音してもらったら、
学校と家にデイジーの機械を持ってさえいれば
教科書も細かく分けて聞けるし、
辞書も「サ行」ならサ行をさっと引いて
聞くことができるようになります。
デイジーは軽くて持ち運びが便利ですので
勉強しやすくなったと思いました。
お金も見分けにくいです。
五円と五十円の違いがわかりません。
紙幣は左下に印があるけど薄いのでわかりにくい。
千円、五千円、一万円の順に長く作られています。
地震が多いですね。
京丹波町では民生児童委員さんが連絡先を書くようにしたり
消防署、警察、医療機関の電話番号を書いてあるものを
「手元に持っていてください」と渡されています。
東日本大震災で、視覚障害の方に地震の様子を聞いていたら、
初めは軽く揺れて、あとからものすごく揺れて、
外は真っ赤だったとおっしゃっていました。
その方は、ガラスでケガをされましたが、
民生委員さんが「○○子さん、いますか?」
と助けに来られて無事に避難されました。
そのあと「自衛隊の人にいっしょにいてもらいましょうか?」
と言っていただいて安心されたそうです。
本当に大きな出来事でしたね。
私の場合、揺れてきたらどうしようかと思います。
だから、お風呂に入る時は水着を着て入っています。
裸で逃げ出すわけにはいきませんから。
見えなかったら一人で避難できません。
靴を部屋に用意しています。
家族や民生委員さん、消防団、社会福祉協議会、保健福祉課の方々に
助けていただくしかないのです。
<伝えたいこと>
以上です。
もっといっぱい伝えたい、
知っていただきたいことがあります。
でも、点字を書く紙が硬いので肩が凝るし
一点一点打つのでたいへん時間がかかります。
視覚障害者が住みよい世の中に
していただきたいとの思いで書きました。
みなさん読んでいただき
ありがとうございました。
―略―
このようにインターネットを活用すれば、・・・。
―略―
〔編集後記〕
―略―
今号では、地元の視覚障害のある
山内幸恵さんに日々の生活で思っていることを
綴っていただきました。
全部は掲載できませんでしたが、
山内さんを通して視覚障害者の皆さんの思いが
いっぱいつまっていると思います。
―略―
京丹波町人権啓発推進協議会
広報啓発専門部会
京丹波町人権啓発推進協議会
《視覚障害者として伝えたいこと》 p4-5
山内幸恵(やまうち さちえ)さん
今回は機会をいただきましたので、
視覚に障害がある者の一人として
私の日常や思いをつづってみました。
<光を失った>
私は現在四十歳です。
父が建具の仕事をしていて喘息に罹り、
その薬の注射が原因で
私は先天性の弱視で生まれました。
右〇・〇三で
左が光覚(光が見えるか見えないか分かる程度の視力です)
で生まれました。
生後七ヶ月の時に
「天井に廻るオルゴールを見ずに笑っているな~目が悪いんやな~」
と感じたそうです。
三歳くらいの時に先天性弱視と診断されました。
当時の医学では治せないとも言われました。
両親も相当ショックだったと思います。
二十一歳で左目の視力を白内障で失い、失明しました。
その後は、残った右目に気が行きすぎて
痛みが走ることがありました。
医者からもらった点眼薬もズキズキして
吐きそうになったこともあります。
とうとう三十三歳のとき緑内障で右目も失明しました。
<視覚障害者のできる仕事>
光を失って七年がたちました。
見えないということは、他の障害の方に助けていただかんなんし、
生活面でもハンデが大きいし、仕事にも就きにくいです。
見えないということは、本当にハンデが大きいです。
その分、世の中へ訴える運動もがんばってせんなんです。
でも、視覚障害者協会の活動を「行事が多い」と言う人がいますが、
私たち当事者が集まって住みよい社会にしていくために考えていく
良い場だと思っていますし、みんな積極的にかかわってほしい。
南丹障害者就業・生活支援センターでも
なかなか仕事が見つかりません。
視覚障害者の仕事を一生懸命探してほしいです。
見えないということは通勤もできませんので、
自宅での内職、按摩マッサージ、指圧鍼灸の開業、邦楽塾等、
家で出来る仕事がありがたいです。
でも、今、按摩業は誰でも開業されてますので競争相手が増えています。
なかなかお客が来てくれないとも聞きます。
視覚障害のある方でも活躍されています。
大手化粧品メーカー資生堂で視覚障害を持った女性が働いています。
見えないとお化粧をするのも難しいですが、
この方は無料でお化粧の仕方を講習してくださりました。
化粧水、乳液に貼るシールをもらいましたが、
このシールには点字が書いてありました。
印刷物を音声で読んでくれる会社
アメリアに全盲の女性が働いているそうです。
大阪では点字で保健師の試験を受けられるようになったと知りました。
ほかにも、保育士をされている方のことも聞きました。
ピアノで歌ったり絵本読んだり相談にのったりのお仕事なのでしょうね。
栃木YMCAでも全盲の方が幼稚園の教諭をされています。
<外出のこと>
外出は見えなかったら手引きが必要です。
家族も都合が悪かったら連れて行ってくれません。
ガイドヘルパーセンターもそれぞれ決まりがあって費用も違います。
京都府視覚障害者協会のガイドヘルパーは
一ヶ月に通院、買い物、役場、冠婚葬祭、イベント、社会参加、
全部入れて五十時間が限度です。
それを超えると、時給二千円を払わないといけません。
利用時間は、午前七時から午後十時までです。
午前七時に出て行ったのでは間に合わない行事もあります。
このほか、施設の入場料や参加料は
自分とガイドヘルパーの分を全部払わないといけません。
これでは一泊旅行なんてとても行けません。
ですから、ガイドヘルパー経験のあるボランティアを
お世話になったりするのが現状です。
経験とお気持ちのある方を探すほかないのです。
こういう経費が無料にならないかな、
と心から思います。
<情報を得ること>
刊行物や本を家族に読んでもらおうと思ったら色々気を遣います。
テレビをみてくつろいでいる時間に
「今、かまへんか?」と相手の気持ちを考えながら頼まないといけません。
この四月から町のお知らせ版を朗読していただけることになりました。
ケーブルテレビの文字放送も音声放送にしていただきたいです。
郵便番号を調べる時に郵便局に電話したら
親切に宛先の郵便番号を引いて下さいました。
点字の時刻表はわかりやすいので
JRの時刻表を作ろうと思って電話したら
こちらでも読んでくださいました。
電化製品にはボタン一つひとつに音声か点字を打ってほしいです。
例えば、テレビのチャンネルが今何チャンネルなのかわからないのです。
南丹病院でも、
薬の処方箋や副作用を音声か点字でわかるようにしてほしいです。
お風呂で使うシャンプーは種類がわからない。
冷蔵庫のジャムも味が何なのかわからない。
絆創膏やお酒などもメーカーが知りたくても
わからないとか色々思います。
生活協同組合の注文書は毎週録音したものを送ってくださいます。
毎週、間に合うように十人ほどで分担して
録音してくださっているのだそうです。
これは全盲の七十歳代の女性が訴え続けてこられた成果だそうです。
ほかに、二一七ページもある本を女性ボランティア六人で分担し
四ケ月近くかかって録音し送っていただいたこともあります。
点字の本を製作するには一年かかると聞かされました。
点字には漢字がありません。
印刷物を音声で読める機械が開発されましたが、
機械の声は聞き取りにくいですし、
漢字をうまく読んでくれません。
本なら、文章、図、グラフ、表を分けて読んでくれません。
行事予定なら縦に読むので、先に日付を全部読んでから
あとで行事を読みます。
わかりにくいです。
これからはデイジー(デジタル録音図書の標準規格。または機器を差す)で
片面五十五時間録音出来る機械が開発されました。
おかげで、いったん教科書や辞書を録音してもらったら、
学校と家にデイジーの機械を持ってさえいれば
教科書も細かく分けて聞けるし、
辞書も「サ行」ならサ行をさっと引いて
聞くことができるようになります。
デイジーは軽くて持ち運びが便利ですので
勉強しやすくなったと思いました。
お金も見分けにくいです。
五円と五十円の違いがわかりません。
紙幣は左下に印があるけど薄いのでわかりにくい。
千円、五千円、一万円の順に長く作られています。
地震が多いですね。
京丹波町では民生児童委員さんが連絡先を書くようにしたり
消防署、警察、医療機関の電話番号を書いてあるものを
「手元に持っていてください」と渡されています。
東日本大震災で、視覚障害の方に地震の様子を聞いていたら、
初めは軽く揺れて、あとからものすごく揺れて、
外は真っ赤だったとおっしゃっていました。
その方は、ガラスでケガをされましたが、
民生委員さんが「○○子さん、いますか?」
と助けに来られて無事に避難されました。
そのあと「自衛隊の人にいっしょにいてもらいましょうか?」
と言っていただいて安心されたそうです。
本当に大きな出来事でしたね。
私の場合、揺れてきたらどうしようかと思います。
だから、お風呂に入る時は水着を着て入っています。
裸で逃げ出すわけにはいきませんから。
見えなかったら一人で避難できません。
靴を部屋に用意しています。
家族や民生委員さん、消防団、社会福祉協議会、保健福祉課の方々に
助けていただくしかないのです。
<伝えたいこと>
以上です。
もっといっぱい伝えたい、
知っていただきたいことがあります。
でも、点字を書く紙が硬いので肩が凝るし
一点一点打つのでたいへん時間がかかります。
視覚障害者が住みよい世の中に
していただきたいとの思いで書きました。
みなさん読んでいただき
ありがとうございました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《人権国際交流》
~ALTメリンダさんの場合~―略―
このようにインターネットを活用すれば、・・・。
―略―
〔編集後記〕
―略―
今号では、地元の視覚障害のある
山内幸恵さんに日々の生活で思っていることを
綴っていただきました。
全部は掲載できませんでしたが、
山内さんを通して視覚障害者の皆さんの思いが
いっぱいつまっていると思います。
―略―
京丹波町人権啓発推進協議会
広報啓発専門部会
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇