2012年08月

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.006

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.006
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》 No.006 p29

052(001)『貞澄』01-1
号 三毛門傳右衛門
天正八寅年生  (天正8年庚辰:1580年1月27日)
 寅年ならば、
 天正六寅年   (天正6年戊寅:1578年2月17日)
 天正十八寅年  (天正18年庚寅:1590年2月5日)
寛文十戌正月十九日卒  (寛文10年庚戌:1670年3月10日)
歳八十一
始 為 大庄屋 是 本家 高祖也
文政十二丑 迄 百五拾年  (文政12年己丑:1829年2月4日)
※ 150年→250年
※ 天正8年:1580年
※ 文政12年:1829年

053(005)『助佐衛門』03-1
貞澄 二男
別 起 家 始 為 子共 役
号 三毛門助佐衛門 後 蟄居 于 下河底邑
不 知 墳墓 所在
故 卒 歳月 不詳
是 予 家 高祖也

054『婦』 03-2
助佐衛門 妻 生所 不詳
元禄十年丑二月廿七日卒  (元禄10年丁丑:1697年3月19日)
諡 知西
文政十二丑 (文政12年己丑:1829年2月4日)
迄 百三十三年

055『清七』23-1
助佐衛門 嫡子 為 子共 役
萬治三庚子年生  (1660年2月11日)
寛保元酉九月十七日卒  (寛保1年辛酉:1741年10月26日)
歳八十二
法名 順教
文政十二丑  (文政12年己丑:1829年2月4日)
迄 八十九年

056『婦』23-2
清七 妻
明和三丙戌年四月廿三日卒  (1766年5月31日)
諡 妙阿名満

057『布右衛門』24-1
清七 嫡子 受 譲 為 子共 役
正徳三巳年生  (正徳3年癸巳:1713年1月26日)
安永七戌十一月八日卒  (安永7年戊戌:1778年12月26日)
歳六十六
諡 順慶
幼名 金十郎

058『婦』24-2
布右衛門 妻
名 志加
鬼木邑 長義兵衛 女
元文四未年  (元文4年己未:1739年2月8日)
十八歳 而 嫁
寛政八辰十月十八日卒  (寛政8年丙辰:1796年11月17日)
歳七十三
諡 妙秀

《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

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《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.005

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.005
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》 No.005 p27

044『男』 16-1
文化十二乙亥十二月十五日生 (1816年1月13日)
名 雜
天保十一子四月  (天保11年庚子:1840年5月2日)
田川郡 赤池邑 加治仁兵衛 養 為 子
改 勝兵衛

045『男』 17-1
文政元年戊寅五月朔日生  (1818年6月4日)
名 登
同(文政)二年己卯六月九日卒  (1819年7月30日)
諡 智光童士

046『男』 18-1
文政四庚辰七月→文政三庚辰七月の誤記。
文政三庚辰七月 (文政4年辛巳:1821年7月29日)
名 登
同(文政)辛巳七月五日卒  (文政4年辛巳:1821年8月2日)
諡 蓮生童士

047『女』
文政十二己丑十二月廿八日生  (1830年1月22日)
名 千歳
天保六乙未六月八日卒  (1835年7月3日)
諡 妙雅
年七歳

048『男』 19-1
天保二辛卯七月十八日生  (1831年8月25日)
名 一

049『男』 20-1
天保四癸巳七月十八日生  (1833年9月1日)
名 吉之助

050『男』 21-1
天保七申年生  (天保7年丙申:1836年2月17日)
名 金八
同(天保)十三年丙寅  (天保13年壬寅:1842年2月10日)
蘭齋 養 為 子

051『男』 22-1
天保十亥年生  (天保10年己亥:1839年2月14日)
名 方朔

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《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》 No.004 p22

032『元良』11-1
下毛郡 落合邑 産也
屬 中津候 典科 大江文明 學 醫 為 業 
寛政 中 (寛政1-13年:寛政7年:1795年2月19日)
栄澄 為 養子 嗣家
文化八辛未八月  (1811年9月18日)
蒙 命 為 三毛門手永 子共役
改名 圓平 奉仕 十有餘年也
文政四辛巳  (1821年2月3日)
宇嶋 新港 造営 到仕
号 蘭齊 隠居 于
宇嶋 再 醫 為 業 矣
同(文政)十一戊子十二月十二日卒 (1829年1月17日)
諡 法海信士
時 歳五十一

033『婦』 10-2
栄澄 女
安永七戊戌年生  (1778年1月28日)
名 麗 為 元良 妻

034『女』
安永九庚子年生  (1780年2月5日)
名 絲
仲津郡 大庄屋 元永甚左衛門 為 養 帰 復 嫁
築城郡 横濱邑 角田昌左衛門 妻
文化甲戌二月四日卒  (文化11年甲戌:1814年3月25日)

035『女』
寛政十一己未年生  (1799年2月5日)
名 喜久 嫁
同郡 八屋村 庄屋 源右衛門 妻

036『女』
享和二壬戌二月生  (1802年2月3日)
名 孝 因 疾病 改 曰 梅

037『男』 12-1
文化元甲子四月十二日生  (1804年5月21日)
名 豊
同(文化)二乙丑七月廿三日卒  (1805年8月17日)
諡 蓮乗童士

038『 』(郷太郎)13-1
号 三毛門丹左衛門
文化三丙寅五月六日生  (1806年6月22日)
童 名 雄 冠 日 郷太郎
受 父之譲 奉仕

039『婦』 13-2
同郡友枝村 末松玄洞 女 奥野
文化八辛未年生  (1811年1月25日)

040『董英』14-1
文化戊辰二月二日生  (文化5年戊辰:1808年2月27日)
童名 雅隋 父 從 于 宇嶋 受 譲 醫 為 業父卒
而 後 復 号 蘭齋

041『女』
文化八辛未二月生  (1811年2月23日)
名 初瀬 嫁
中津府 代屋七右衛門 妻

042『女』
文化九壬申十一月生  (1812年12月4日)
名 忍

043『男』 15-1
天保十三寅年生  (天保十三壬寅:1842年2月10日)
名 叔治

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[下西友枝村 末松玄洞 醫術出精]
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2559918.html

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.003

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.003
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》 No.003 p20

026『栄懐』08-1
宝暦十二壬午年生  (1762年1月25日)
童名 幾之助 冠日 義平太 後 改 貞之
天明七 初夏 出奔  (天明7年丁未:1787年2月18日)

027『婦』 08-2
栄懐 妻 豊後 列 日田 豆田町 舛屋利左衛門 女
名 稲 栄懐 去 而 後 還 于 日田

028『知義』09-1
栄懐 弟
宝暦十三癸未年生  (1763年2月13日)
童名 朋吉 小倉臣 齊藤喜左衛門 為 養子
徑 于 十有余年 還 又
寛政四子年  (寛政4年壬子:1792年1月24日)
豊後 列 杵築領 羽田方邑 彌右衛門 為 養士

029『女』
明和五戊子年生  (1768年2月18日)
名 今 笄 改 八重 嫁
善正寺 住持 栄巌 妻

030『男』 10-1
明香(明和)七寅元旦出生  (明和7年庚寅:1770年1月27日)
名 吉之助
同年(明和7年)十二月廿二日卒  (1771年2月6日)
諡 照頓童士

031『女』
安永五申年生  (安永5年丙申:1776年2月19日)
同(安永)二酉九月廿六日卒  (1773年11月10日)
歳二
諡 妙喜童女

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《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.002

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.002
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》 No.002 p14

010『高豐』05-1 
号 三毛門常右衛門
宝永二甲酉年生 而  (宝永2年乙酉:1705年1月25日)
童字 日吉之助 冠日 直七 官 禄 及
家土 共 受
父之譲 ?勉 数十年
安永九庚子八月朔日卒  (1780年8月30日)
号(諡) 扇啓信士

011『婦』 05-2-1
高豐 妻 大村幸右衛門 姉 嫁 後 不徑年
享保十七子(壬子)十月廿九日卒  (1732年12月16日)
故 無子
諡 妙惠信女

012『後婦』05-2-2
善正寺住持 自然 姉
正徳五乙未年生  (1715年2月4日)
名 菊
宝暦五乙亥十二月十一日卒  (1756年1月12日)
歳四十一
諡 妙淪信女

013『女』 05-4-1
享保十九甲寅年生  (1734年2月4日)
名 峯 嫁 同郡 大庄屋 久路土次郎兵衛 妻
安永六酉七月朔日卒 (安永6年丁酉:1777年8月3日)
歳 四十四
諡 貞意信女

014『女』 05-4-2
元文元丙辰十一月生  (1736年12月2日)
名 伊豫
同月晦日卒  (1736年12月31日)
諡 妙照童女

015『栄澄』06-1
号 三毛門仙内
元文三戊午年生  (1738年2月19日)
童 字 幾之助
冠 呼 義平太
始 名 曰 規通 後 改 栄澄
奉仕二十有四年 臻
天明七丁未  (1787年2月18日)
初夏 罹 讒諛之謀 所
没収 家居 自家 徒刑 半歳
許 見 免 帰 舊里
改名 誠道軒佽澄
寛政七卯十月  (寛政7年乙卯:1795年11月12日)
為 隣家 焼失
翌辰年 再建一宇  (寛政8年丙辰:1796年2月9日)
同 亦 午歳 官下吏 齢六十一  (寛政10年戊午:1798年2月16日)
文化丁忍十一月十五日卒  (文化14年丁丑:1817年12月22日)
歳八十
諡 雁門信士

016『婦』 06-2
下河底邑 醫 高野梅菴 女
寛保元年辛酉年生  (1741年4月12日)
名 米 嫁 曰 道 梅菴 本
築城郡 高塚邑 産也
故 ?高豊 従兄 弟也
寛政元己酉年十月廿四日卒  (1789年12月10日)
歳四十九
諡 妙道信女

017(059)『蕃義』07-1
栄澄 弟 号 三毛門兵藏 後 改 嘉藏
同苗 布右衛門 為 養子 勤 子共
天明元丑年閏五月二日卒  (1781年5月24日)
歳四十二
諡 順了信士

018『女』
寛保二壬戌年生  (1742年2月5日)
名 浦 始 嫁 倉府 後 嫁 四日市驛
醫 渡邉壽省 妻
明和七寅年五月六日卒  (1770年5月30日)
歳二十九
諡 妙慶信女

019『女』
延享元甲子年生  (1744年4月3日)
名 市 嫁 改 文嚮 嫁
下毛郡蠣瀬邑
醫 大江忠菴 妻 没後
嫁 中津府 濱屋半左衛門 妻
文化六□十一月廿六日卒  (文化6年己巳:1810年1月1日)
歳 六十六
諡 妙了信女

020『女』
延享二乙丑年生  (1745年2月1日)
名 冬 嫁
津府 若狭屋 善左衛門 妻

021『女』
寛延元戊辰年生  (1748年8月5日)
名 町 同郡 大庄屋 嫁
岸井忠左衛門 妻
文化二丑三月廿九日卒  (1805年4月28日)
年六十四
諡 妙證信女

022『女』
寶暦元辛未年生  (1751年12月14日)
名 結 嫁
椎田驛 村屋良吉 妻
安永六年酉二月十五日卒  (安永6年丁酉:1777年2月15日)
歳二十六
諡 妙詠信女

023『女』
宝暦三癸酉年生  (1753年2月3日)
名 奥 陸
同(宝暦)五乙亥七月十七日卒  (1755年8月24日)
諡 妙蓮童女

024『女』
宝暦五乙亥年生  (1755年2月11日)
名 貞 嫁
小祝浦 光専寺 住持 祐誓 妻

025『女』
宝暦十庚辰年生  (1760年2月17日)
名 久
同(宝暦)十一年辛巳十月十三日卒  (1761年11月9日)
歳二
諡 妙誓童女

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《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.001

《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.001
福岡県上毛郡三毛門
福岡県築上郡三毛門
福岡県豊前市三毛門

《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

[系図作成]別府義方(一九郎)
正式の系図:10mもある長い巻物。
それを別府義方(一九郎)が覚書風の系図として作成。

[系図の流れ]敬称略
別府義方→別府又十郎→別府敏治→別府萬壽人→別府祐六→別府祐弘

別府義方(一九郎・別府又十郎の父)
      
別府又十郎 弘化4年12月19日生(1848年1月24日)
      昭和3年(1928)2月1日 卒

別府敏治 (別府又十郎の二男)
      明治10年(1877)3月3日生

別府萬壽人(別府又十郎の二男・敏治の二男)
      明治43年(1910)3月9日生

別府祐六 (別府又十郎の六男)
      明治28年(1895)7月25日生

別府祐弘 (別府祐六の長男)
      昭和11年(1936)9月1日生

《別府家系図》 No.001 p10

001『貞澄』01-1
号 三毛門傳右衛門
始 官 大荘屋 禄食 五十石
奉仕 數十年
寛文十戌正月十九日卒  (寛文10年庚戌:1670年3月10日)
歳八十一
諡 西順信士

002『婦』 01-2
生所 不詳
寛文九酉正月十六日卒  (寛文9年乙酉:1669年2月16日)
歳七十五
諡 妙鏡信女

003『高貞』02-1
貞澄 長子 再 号 三毛門傳右衛門 官 禄
?家土共 受 父之譲 在官 數十年
元禄四年未十二月二十一日卒  (元禄4年辛未:1692年2月7日)
歳四十五
諡 浄專信士

004『婦』 02-2
高貞 妻
築城郡 高塚邑 之 産
今也 其 子孫 亡矣
享保八卯十二月二十八日卒  (享保8年癸卯:1724年1月23日)
歳七十
諡 妙意信女

005『三毛門助左衛門』03-1
貞澄二男 貞常 稚 而 受 父之譲 因 為 輔吏?
後 係 咎 蟄居 于 下河底邑 是
子共 役 権 輿也
其 子孫 世々 繼 嗣 矣

006『女』 02-4
高貞 長女 嫁
中津 宇佐郡 敷田邑 大庄屋 荻原利右衛門 妻
今也 其 子孫 謂 荻原彌三兵衛
官 仕 中津候

007『貞常』04-1
号 三毛門平兵衛 歳十二 而 喪 於 父 便 因
父之遺緒 官 仕 矣
翌年 為 賊 所 焼 家
此時 家書 資財 悉 煨燼
享保十六亥二月二十八日卒  (享保16年辛亥:1731年4月4日)
歳五十三
諡 教誓信士

008『婦』 04-2
貞常 妻 中津府之産
名 峯
今 者 其 子孫 亡矣
宝暦五乙亥十二月五日卒  (1756年1月6日)
歳七十一
諡 妙甫信女

009『女』 04-4-1
嫁 仲津郡 大庄屋 元永五郎兵衛 妻
貞常 長女 也

《別府家系図》別府祐弘様 所蔵

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<別府義方(一九郎)作成の別府家系図:第一頁>
[嘉永二己酉四十七歳ナリ]
※嘉永2己酉年(1849年1月24日)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2559916.html

[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』昭和8年~昭和18年:No.6-10

[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』昭和8年~昭和18年:No.6-10

[尾上志げ乃] 妻:小野喜代子の母
[森 志げ乃] 父:森 宇蔵
       母:森 イト

大正9年(1920)7月19日 生
兵庫県出石郡高橋村 薬王寺
現 在  兵庫県豊岡市但東町薬王寺
http://goo.gl/maps/pM3fx

[尾上志げ乃]
昭和8年(1933)  入社
新綾部製糸
神栄製糸
計9年間
昭和18年(1943) 退社

《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
《現住所 京都府与謝郡与謝野町三河内》
1《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
06-新綾部製糸・運動会
  後列 中央 右側 和服姿・帽子
  [森 宇蔵]尾上志げ乃(旧姓:森)の父
2《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
07-新綾部製糸・海水浴
  後列 左から六人目[尾上志げ乃(ワンピース姿)]
3《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
08-新綾部製糸・皇軍将士武運長久祈願記念
  前から六列目 左から二人目 [尾上志げ乃]
4《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
09-新綾部製糸・国威宣揚武運長久祈修
  前から二列目 左端 [尾上志げ乃]
5《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
10-新綾部製糸・武運長久-鳥居前
  前から二列目 左端 [尾上志げ乃]

丹の国・綾部 第六話 「蚕都をきづいた人々」
ここで、昭和十年頃の綾部の迎えた黄金期を記したい。
それは郡是をはじめとする
養蚕と製糸の農工一体の隆盛を誇った蚕都綾部と
皇道大本の全盛を迎えた宗都綾部の両者が、
見事に一致して開花しその満を得た時代であった。
 文献によると当時、人口は年々増加が著しく、
その十ケ年間に実に四十六%の躍進的増加をなし、
尚発展の途上にあり。
”優良町の選に入り名誉の自治旗を授与さる。
小都市にはまれな下水道の完備をはじめ、
数々の都市設備、病院、教育研究機関が完備す。
幾多の新聞、雑誌の刊行が行なわれ、
広く各地に蚕糸業の指導啓発に寄与す。
工業、商業、住宅に雄大な都市計画あり、
綾部の将来やまさに刮目に値すべし”等の記録が見える。
 郡是は今や世界を市場に、大きく発展をとげつつあった。
又神栄製糸系の中心工場であった新綾部製糸などをはじめとする
繊維工業の発展をうたい、
大本は大正の法難事件など幾多の紆余曲折を経過してなお、
その度に教勢いよいよ振い、全国に千数百の支別院、支部を擁し、
大本運動の海外進出を実行に移していた時代。
綾部の花柳界である月見町には五十有余の芸子で賑い、
並松の料亭、紫水に浮ぶ川舟に遊ぶお大尽は日夜絶えず、
綾部銀座と呼ばれた西町商店街は当時としては希な、
アーケードが完備し、百貨店あり、名店あり、札貨で鶴亀の飾り物を作り、
それを盗られぬよう日夜商工会の青年団が張番したとか、
三丹の購買客を商都綾部に引き寄せていた時代であった。
 まさしく、大古より脈々と流れて来た
綾部ナショナリズムの市民意識の高揚が、
豊かな綾部の自然、産業、精神宗教を背景に燃え上った黄金期、
昭和十年代であった。
http://www.nbcayabe.com/kaiki/gunze.htm

[松村守一]【人事興信録】昭和3年~昭和23年

[松村守一]
【人事興信録】昭和3年~昭和23年

【人事興信録】第8版(昭和3年)
[松村守一] p1488/1788
第一銀行(株)函館支店長
島根県在籍
妻 ヒサ 明二六、三生
      宮崎、士、佐田家年 妹
男 正一 大六、二生
君は島根県人松村康重の三男にして
明治十七年十二月を以て生れ
大正十二年分れて一家を創立す
明治四十年神戸高等商業学校を卒業し
第一銀行に入り現時
函館支店長たり
家族は尚
長女 孝子(大三、一〇生)
三男 守夫(大八、一生)
四男 勇一(大一二、八生)
二女 禎子(大一四、九生)
函館、末廣町一一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124/1488

【人事興信録】10版(昭和9年) 下卷
[松村守一] p593/902
川崎造船所(株)  代表取締役
川崎汽船(株)   監査役
島根県在籍
妻 ヒサ 明二六、三生
     宮崎、士、佐田家年 妹
     県立西崎高女出身
男 正一 大六、二生
女 孝子 大三、一〇生、
君は島根県人松村康重の三男にして
明治十七年十二月を以て生れ
大正十二年分れて一家を創立す
明治四十年神戸高等商業学校を卒業し
第一銀行に入り函館支店長を経て神戸支店長となる
現時
前記各会社の重役たり
家族は尚
三男 守夫(大八、一生)
四男 勇一(大一二、八生)
二女 禎子(大一四、九生)
五男 健一(昭三、三生)あり
A三六八
神戸市神戸区中山手通七ノ九二
電話 元町三四七八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078694/593

【人事興信録】第11版(昭和12年) 下
[松村守一] p876/1289
川崎造船所(株)  取締役
川崎汽船(株)   監査役
神港ビル(株)   監査役
川崎車両(株)   監査役
静狩金山(株)   監査役
島根県在籍
妻 ヒサ 明二六、三生
     宮崎、士、佐田家年 妹
     県立西崎高女出身
男 正一 大六、二生
     神戸商業大学在学
女 孝子 大三、一〇生、
     県立神戸高女出身
島根県松村康重の三男にして
明治十七年十二月出生し
大正十二年分家す
明治四十年神戸高商を卒業し
第一銀行に入り函館支店長を経て神戸支店長となる
現時 川崎造船所取締役たる外
前記各会社の重役たり
趣味 相撲 柔道 野球
宗教 日蓮宗
家族 尚ほ
三男 守夫(大八、一生)
四男 勇一(大一二、八生)
二女 禎子(大一四、九生)
五男 健一(昭三、三生)
所税 一四九八
神戸市神戸区中山手通七ノ九二
電話 元町三四七八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072938/876

【人事興信録】第13版(昭和16年) 下
[松村守一] p667/1000
川崎重工業(株)  専務取締役
川崎造船所(株)  取締役
川崎航空機工業(株)監査役
川崎汽船(株)   監査役
神港ビル(株)   監査役
川崎車両(株)   監査役
静狩金山(株)   監査役
島根県在籍
妻 ヒサ  明二六、三生  明治26年3月24日生
     宮崎、士、佐田家年 妹 佐田家親二女
     県立西崎高女出身
男 正一 大六、二生
     從七位、海軍主計中尉、艦政本部勤務、
     神戸商業大学出身
男 守夫 大八、一生
     石原産業海運会社勤務、
     神戸高商出身
女 禎子 大十四、九生、
     神戸山手高女在学
島根県松村康重の三男にして
明治十七年十二月出生し
大正十二年分家す
明治四十年神戸高商を卒業し
第一銀行に入り函館支店長を経て神戸支店長となる
現時 川崎重工業会社専務取締役たる外
前記各会社の重役たり
趣味 相撲 柔道 野球
宗教 日蓮宗
家族 尚ほ
四男 勇一(大一二、八生、高知高校在学)
五男 健一(昭三、三生)あり
長女 孝子(大三、一〇生、県立神戸高女出身)は
   川崎航空機工業会社技師 小川氏に嫁す
三〇四二五
神戸市神戸区中山手通七ノ九二
電話 元町三四七八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070514/667

【人事興信録】第15版 下
 昭和二十三年九月一日 第十五版 発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123783/289
[松村守一] p191/294
川崎??????監査
島根出身
明治十七年十二月 康重の三男に生れた
明治四十年神戸高商を卒業し
今日に至る
妻 久子(明二六、三生、佐田家年 妹 宮崎高女出身
以下、印刷不鮮明の為、略。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123783/191

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


『除籍謄本』
本籍地 島根県簸川郡直江村大字下直江千九拾六番地
前戸主 松村康重
戸 主 松村仙造 
    父 松村康重 母 トク 二男
出 生 明治拾参年七月拾九日
    京都府何鹿郡綾部町大字本宮村小字上野百七番地ニ転籍 届出
    大正拾五年九月貳拾八日 綾部町長 四方豊蔵 受附
    同年拾月壹日 送付 全戸 除籍
    法務大臣の命により昭和五拾壱年拾弐月拾日再製
妻   松村 墨(スミ)
    父 小野梓 母 坂本利遠 二女
出 生 明治拾壹年拾月拾八日
    明治四拾年壹月貳拾参日
    高知県幡多郡宿毛町五拾番屋敷
    坂本 鼎 養女 婚姻届出 同日受附 入籍
弟   松村守一
    父 松村康重 母 トク 三男
出 生 明治拾七年拾貳月拾参日
    直江村大字下直江千九拾六番地ニ分家 届出
    大正拾貳年拾壹月参拾日 受附 除籍
弟 妻 松村ヒサ
    父 佐田家親 母 佐田ミヲ 二女
出 生 明治貳拾六年参月貳拾四日
    明治四拾参年拾貳月拾五日
    宮崎県宮崎郡宮崎町大字上別府村貳百拾壹番戸?壹
    佐田家年 妹 婚姻届 同日受附 入籍 代理
    大正拾貳年拾壹月参拾日 夫 守一 分家ニ付キ除籍
甥   松村忠一
    父 松村守一 母 ヒサ 長男
出 生 明治四拾五年七月壹日
    明治四拾五年七月六日 寄留地
    兵庫県武庫郡西ノ宮町字田中千九百参拾壹番地
    出生届 発送 同月八日 受附
    大正四年八月貳拾日 午後拾壹時
    北海道札幌区山鼻町四百貳拾九番地ニ於テ死亡
    同居者 松村守一 届出
    同月貳拾五日 札幌区長 阿部守文
    受附 同月参拾日 送付
姪   松村孝子(たかこ)
    父 松村守一 母 ヒサ 長女
出 生 大正参年拾月拾日
    大正参年拾月拾参日 出生届 同日 受附
    大正拾貳年拾壹月参拾日 父 守一 分家ニ付キ共ニ除籍
甥   松村正一
    父 松村守一 母 ヒサ 二男
出 生 大正六年貳月拾五日
    兵庫県武庫郡御影町ノ内御影字柳八百七拾貳番地ニ於テ出生
    父 松村守一 届出 大正六年貳月拾参日
    御影町長 水野征夫 受附 同月貳拾五日 送付 入籍
    大正拾貳年拾壹月参拾日 父 守一 分家ニ付キ共ニ除籍
甥   松村守夫
    父 松村守一 母 ヒサ 三男
出 生 大正八年壹月参日
    兵庫県武庫郡御影町ノ内御影字柳八百七拾貳番地ニ於テ出生
    父 松村守一 届出 大正八年壹月七日
    御影町長 水野征夫 受附 同月九日 送付 入籍
    大正拾貳年拾壹月参拾日 父 守一 分家ニ付キ共ニ除籍
甥   松村勇一
    父 松村守一 母 ヒサ 四男
出 生 大正拾貳年八月拾四日
    朝鮮慶尚南道 釜山府 常盤町貳番地ニ於テ出生
    父 松村守一 届出 大正拾壹年八月拾八日 受附 入籍
    大正拾貳年拾壹月参拾日 父 守一 分家ニ付キ共ニ除籍
この謄本は、除籍の原本と相違ないことを認証する。
平成十八年一月十日
島根県簸川郡斐川町長
本田恭一

《松村守一》松村仙造(真澄)の実弟―01
[神戸高等商業学校]
明治36年 予科第一部 入学 大邊弘 松村守一
明治37年 本科 第1年   大邊弘 松村守一
明治40年 本科 第3年   大邊弘 
明治40年 卒業(第1回)  松村守一
明治41年 卒業(第2回)  大邊弘
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2219223.html

《松村守一》松村仙造(真澄)の実弟―02
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2219224.html

《松村守一》松村仙造(真澄)の実弟―03
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2219225.html

《松村守一》
第一銀行(株)神戸支店 支配人
【職業別商工調査録. 昭和5年3月】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/924/

《松村守一》
川崎重工業株式会社 専務取締役 等
【日本全國銀行會社録:第50回】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/925/

《松村守一》
 第一銀行(株)神戸支店 支配人
【全国銀行総覧 : 附・為替取組要覧・現代人事録. 昭和4年度】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/971/

《松村守一》
【大衆人事録. 第12版 近畿・中国・四国・九州篇】昭和13年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/972/

《佐田家年君》
[株式会社 台湾銀行 理事]
【大正人名辞典】大正6年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/973/

《佐田家年》
東京帝国大学 法律学科(英吉利法兼修)
明治二十七年七月卒業
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/974/

[高知縣]《佐田家親:四等属》
【改正官員録. 明治16年6月】
  ~
【改正官員録. 明治17年下9月】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1197/

[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』昭和8年~昭和18年:No.1-5

[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』昭和8年~昭和18年:No.1-5

[尾上志げ乃] 妻:小野喜代子の母
[森 志げ乃] 父:森 宇蔵
        母:森 イト
大正9年(1920)7月19日 生
兵庫県出石郡高橋村 薬王寺
変更年月日 1889(M22).4.1
都道府県 兵庫県
変更種別 新設/村制
郡名等  出石郡
自治体名 高橋村
変更対象自治体名/変更内容
出石郡  薬王寺村, 大河内村, 久畑村, 後村, 東中村,
     小坂村, 佐田村, 栗尾村, 平田村, 正法寺村
     市制町村制施行時前の町村情報
http://upd.uub.jp/upd/updind.cgi?N=18566
現 在  兵庫県豊岡市但東町薬王寺
http://goo.gl/maps/pM3fx

[尾上志げ乃]
昭和1年(1926)
久畑尋常小学校 入学
昭和8年(1933)
久畑高等小学校 一年で中退
 ※ 高等小学校
   1907年(明治40年)に尋常小学校が6年間、
   高等小学校が2年間となった。
   公立の高等小学校は任意設置であり、
   義務教育ではないため、授業料を徴収していた[1]。
昭和8年(1933)
新綾部製糸   入社
神栄製糸
計9年間
昭和18年(1943)
神栄製糸 退職30日後、
結婚式を挙げた。23歳

《写 真 尾上志げ乃 所蔵》
《現住所 京都府与謝郡与謝野町三河内》
1[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』
01-新綾部製糸・工場-作業中
2[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』
02-新綾部製糸・女子寮前-集合写真
 前から四列目 右端 尾上志げ乃
3[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』
03-新綾部製糸・女子寮前-集合写真
4[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』
04-新綾部製糸・女子寮前-集合写真
 最後列 右から二人目 尾上志げ乃
5[尾上志げ乃]『新綾部製糸・神栄製糸』
05-新綾部製糸・工場煙突

古絵葉書「蚕都 綾部」新綾部製糸株式会社 ---2006/03/04/Sat
綾部の町は古くから製糸業の盛んな町で、
郡是製糸の会社が出来てからさらに盛んになりました。
この会社は、新たに設立したもののようです。
http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-10.html

古絵葉書・新綾部製糸株式会社 ---2010/03/22/Mon
新綾部製糸株式会社は、
昭和3年に前年経営難に陥った綾部製糸株式会社を
神栄製糸株式会社の傘下に置くことで再スタートした製糸会社で、
綾部製糸の工場・従業員をそっくり引き継いだため、
再び同じ場所・同じメンバーで創業しました。
この絵葉書は、新綾部製糸株式会社の本館。
新たに新築されたものと思われます。
近代的な大きいビルで、当時の人の目を引いたことでしょう。
こちらは、寄宿舎と思われる建物。
綾部製糸時代の寄宿舎をそのまま引き継いでいるようです。
新綾部製糸株式会社は昭和15年に吸収元の
神栄製糸株式会社の名前に変更されたため、
綾部の名前は消えることとなりました。
http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-437.html

古絵葉書・綾部製糸会社工場之景 ---2010/03/22/Mon
綾部製糸は大正2年に設立した製糸会社で、
すでに綾部で創業していた郡是製糸とともに
綾部での主力企業となりました。
綾部製糸は、昭和2年の金融恐慌の影響を受け経営難に陥り、
神栄製糸の傘下へ。
「新綾部製糸株式会社」として再スタートしますが、
昭和15年に「神栄製糸」となり、
綾部製糸の名前はなくなりました。
http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-entry-436.html

<神栄株式会社>
神栄のあゆみ
1925年(大正14年)6月 社名を神栄生絲株式会社に変更。
1928年(昭和3年)5月  製糸業に進出。
1929年(昭和4年)6月  対米生糸輸出の拠点として
            ニューヨーク支店を設置。
http://www.shinyei.co.jp/what/history/index.html

《小野義真:小松島八洲園》地図[明治38年~昭和26年]

《小野義真:小松島八洲園》地図[明治38年~昭和26年]

[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地]
 合計 9,026坪 (宅地7,690坪 田1,336坪)
[現在 東京都墨田区堤通1-19]

明治22年(1889)5月1日 直前 合併後 南葛飾郡 寺島村 
大正9年(1920)10月1日        南葛飾郡 寺島村
大正12年(1923)8月15日        南葛飾郡 寺島町
昭和7年(1932)10月1日        東京市  寺島町
昭和20年(1945)10月1日        東京市  向島区(隅田町)
昭和22年(1947)3月15日        東京都  墨田区 
昭和35年(1960)10月1日        東京都  墨田区
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/03kanto/13_tokyo1.htm#katusika

【東京府南葛飾郡全図】明治38年4月25日発行
東京府南葛飾郡役所
[小松島八洲園跡] p8/18
[橋場渡の右・水神祠・木母寺・白鬚停車場]
1【東京府南葛飾郡全図】明治38年

【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年11月25日発行
東京逓信管理局 逓信協会
[小松島???・橋場渡] p5/10
1【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年

【東京市及接続郡部地籍地図】[下卷]大正1年(1912)11月7日発行
東京市区調査会
寺島村大字寺島字堤外北部 p523/531
[小松島庭園][カブトビール東京工場建築地]
自 二八一五  至 二八四七
自 二八三四  至 二八七〇
【東京市及接続郡部地籍地図】[下卷]大正1年

【東京復興計画大地図】附・新地図並一覧表
大正13年5月10日発行
帝国地方行政学会 東京府荏原郡平塚村戸越505番地

[白鬚神社・百花園・白鬚渡・今戸渡・竹屋渡・
 小松邸・言問・長命寺・牛島社]     p85-86/101
図中白抜道路ハ計画路線ヲ示ス
東京復興計画大地図(六千分ノ一)第35図(向島)共42図
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966763/85

[小松島八洲園跡]            p87-88/101
[白鬚橋・水神渡・隅田川神社・水神森・
 梅若神社・天野工場・荒川堤]
[大日本紡績会社橋場工場・日本石油会社隅田川油槽所]
[地方橋場・石浜神社・真先神社・
 千住瓦斯製造所・玉姫町・染縬会社]
図中白抜道路ハ計画路線ヲ示ス
東京復興計画大地図(六千分ノ一)第36図(南千住)共42図
2【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年

【東京市火災動態地図】大正13年9月1日発行
編輯及発行者 文部省震災予防調査
[小松島八洲園跡]p27-29/61
[白鬚橋の右]
3【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年

【東京府南葛飾郡隅田町寺島町吾嬬町全図】番地界入
小林又七 昭和6年9月5日発行
[小松島八洲園跡]p6/14
4【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年

【東京都区分地圖帖】昭和26年1月5日発行
日本地図株式会社
[小松島八洲園跡]p20/62
[墨田区寺島町3丁目39]?
5【東京府南葛飾郡隅田村寺嶋村吾嬬村】明治44年

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


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社長 小野義真:[日本鉄道株式会社]【日本諸会社登記録】
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《八洲園 小松島 小松園 墨田園 隅田園 小松島園 小松嶋の遊園》
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《小野義真:小松島八州園》[南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外]
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