《小野義真:小松島八州園》[南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外]
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地 ※1 ※2]
合計 9,026坪 (宅地7,690坪 田1,336坪)
[現在 東京都墨田区堤通1-19]
明治22年(1889)5月1日 直前 合併後 南葛飾郡 寺島村
大正9年(1920)10月1日 南葛飾郡 寺島村
大正12年(1923)8月15日 南葛飾郡 寺島町
昭和7年(1932)10月1日 東京市 寺島町
昭和20年(1945)10月1日 東京市 向島区(隅田町)
昭和22年(1947)3月15日 東京都 墨田区
昭和35年(1960)10月1日 東京都 墨田区
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/03kanto/13_tokyo1.htm#katusika
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地 ※1 ※2]
【土地概評価】南葛飾郡寺島村 大正10年3月調
[寺島村] p3-4/17
当村は本所区向島須崎町の北に連る隅田川左岸にして北に隅田村あり。
東は吾嬬と接続し東西十丁南北十五丁余にして
総面積約六十町歩あり之れを分ちて七大字二十字となす。
地勢は平坦にして変化なく西に隅田川、東に曳舟通あり。
中央を南北に貫く鉄道東武線ありて、大略当村を東西に二分せり。
今其二方面に分ちて発展の状況を見るに、
一 東武線以西の隅田川沿岸方面。
此の方面は隅田川に臨み浅草区橋場町と相対する所にて
本所区向島須崎町と共に向島の名を以て桜花の名所として
普く其の名を知られたる処にして
今や往昔の面影を止めずと雖も
今尚其付近には一種独特の風情の漂へるものあり。
一部は江東に於ける住宅地として目され
堤外の大倉別荘を始め堤内の小倉邸、岡田邸其他幾多の大邸宅あり。
また一部は隅田川に水運の便あるに依り工場地なるに適し
(但し堤外は目下河川法の制限を蒙りて諸種の建設に自由ならざるの不便あり)
堤外の隅田川工業及び堤内の三共製薬其他の工場亦少からず。
次に其南部即ち本所区向島須崎町と接続する処には花柳営業地域ありて
当町中其発展の歴史最も古く且人家最も稠密せり。
其他中央の地蔵坂付近(白鬚渡場付近)
北部の大正道路筋(白鬚橋より玉の井に至る)等之に次ぐ。
然れども此の方面は地辺鄙にして
隅田川上に白鬚橋白鬚渡及び巡航船ありて
浅草区橋場町と通じ東南隅に東武線曳舟駅あるの外
未だ交通の便備はらざるを以て
充分なる発展を遂ぐるに至らず、今尚田地を存す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/3
大字、寺島 p5/17
当村の大部分を占め、
他の大字は何れも吾嬬町及び隅田村との
境界附近に点在する小地域のみなり。
分ちて十二字となす。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/5
字、堤外 p14/17
寺島村大字寺島字堤外 二七四一~二九六〇番地
(大倉別荘以北白鬚橋付近に至る堤外全部にて別荘地、
工場地及び料理店地域あり)
評価 最高六〇圓 最低二〇圓 内譯
(一) 二七四一~二八一〇番地
(白鬚橋以北 隅田川製鉄工場付近)
(イ)二七九〇~二八〇一、二八〇五~二八〇八番地
(白鬚橋付近の主なる通筋)三〇~三五圓
(ロ)其他 二〇~二五圓
(二) 二八一一~二八七〇番地 ※1
(小松島遊園地跡、西北端に小松島汽船発着所あり)二〇~二五圓
(三) 二八七一~二九二九番地
(白鬚神社の西に當り隅田川工業会社其他貯炭場、
工場及び料理店の所在地南端に白鬚の渡船場あり)三五~四〇圓
(四) 二九三一~二九四三番地
(白鬚渡船場以南の大倉別荘付近にて、
長月、雲水、隅田家等の料理店あり)
(イ) 宅地 五〇~六〇圓
(ロ) 其他 三〇~四〇圓
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/14
大正十一年三月十一日印刷
大正十一年三月十三日発行
発行所 東京興信所
東京市日本橋区坂本町四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/16
【東京市及接続郡部地籍台帳】[第2冊]明治45年(1912)4月25日発行
南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外
二八一〇~二八七〇番地
京橋区銀座三ノ九
加富登麦酒株式会社 p670/694
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/670
南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外 p670-671/694
所有者氏名 地 番 地目 宅地・坪 田・反
加富登麦酒 二八一〇 田 〇・五〇〇 ※2
加富登麦酒 二八一一ノ一 田 二・〇〇〇
加富登麦酒 二八一一ノ二 宅地 三〇
三菱合資会社 二八一二 宅地 一五四
石川庄吉 二八一三 宅地 五五
石川辰次郎 二八一四 宅地 四〇
加富登麦酒 二八一五 外 四二筆 宅地 五、九七五
加富登麦酒 二八三五~二八四六 田 〇・六二一
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ二 田 〇・二五五
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ三 田 〇・三二七
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ四 田 〇・七二四
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ五 田 〇・〇一九
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ六 宅地 一、三六七
加富登麦酒 二八三三~二八四六 宅地 六九
合計 9,026坪 (宅地7,690坪 田1,336坪)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/670
( 田 4.446反 × 991.74平方メートル = )
( 4,409.276 ÷ 3.3 = 1,336坪 )
<明治時代に1尺=(10/33)メートルと定められたので、>
<そこから1反=約991.74平方メートル=約9.9174アールとなる。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D
明治四十五年四月二十二日印刷
明治四十五年四月二十五日発行
発行者 東京市区調査会
東京市麹町区土手三番町三十四番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/683
【東京市及接続郡部地籍地図】[下卷]大正1年(1912)11月7日発行
自 二八一五 至 二八四七
自 二八三四 至 二八七〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/523
大正元年十月三十日印刷
大正元年十一月七日発行
発行者 東京市区調査会
東京市麹町区土手三番町三十四番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/530
[現在 東京都墨田区堤通1-19]
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地]
『小松島八洲美人の賑ひ』
楊斎延一 すみだ郷土文化資料館所蔵
小松島八州園は、現在の白髭橋の東岸、
墨田区堤通1-19 付近にあった庭園です。
明治11 年(1878)に日本鉄道会社社長小野義真が
この地を埋め立てて別荘としたもので、
明治17 年から一般にも公開されていた。
庭の築山にのぼると関東八州を見晴らす眺望だったことから、
八洲園と号し、
またその庭園は奥州松島の景色をうつしたという意味から、
小松島と名づけられたという。
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http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2219897.html
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176426.html
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2289556.html
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地 ※1 ※2]
合計 9,026坪 (宅地7,690坪 田1,336坪)
[現在 東京都墨田区堤通1-19]
明治22年(1889)5月1日 直前 合併後 南葛飾郡 寺島村
大正9年(1920)10月1日 南葛飾郡 寺島村
大正12年(1923)8月15日 南葛飾郡 寺島町
昭和7年(1932)10月1日 東京市 寺島町
昭和20年(1945)10月1日 東京市 向島区(隅田町)
昭和22年(1947)3月15日 東京都 墨田区
昭和35年(1960)10月1日 東京都 墨田区
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/03kanto/13_tokyo1.htm#katusika
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地 ※1 ※2]
【土地概評価】南葛飾郡寺島村 大正10年3月調
[寺島村] p3-4/17
当村は本所区向島須崎町の北に連る隅田川左岸にして北に隅田村あり。
東は吾嬬と接続し東西十丁南北十五丁余にして
総面積約六十町歩あり之れを分ちて七大字二十字となす。
地勢は平坦にして変化なく西に隅田川、東に曳舟通あり。
中央を南北に貫く鉄道東武線ありて、大略当村を東西に二分せり。
今其二方面に分ちて発展の状況を見るに、
一 東武線以西の隅田川沿岸方面。
此の方面は隅田川に臨み浅草区橋場町と相対する所にて
本所区向島須崎町と共に向島の名を以て桜花の名所として
普く其の名を知られたる処にして
今や往昔の面影を止めずと雖も
今尚其付近には一種独特の風情の漂へるものあり。
一部は江東に於ける住宅地として目され
堤外の大倉別荘を始め堤内の小倉邸、岡田邸其他幾多の大邸宅あり。
また一部は隅田川に水運の便あるに依り工場地なるに適し
(但し堤外は目下河川法の制限を蒙りて諸種の建設に自由ならざるの不便あり)
堤外の隅田川工業及び堤内の三共製薬其他の工場亦少からず。
次に其南部即ち本所区向島須崎町と接続する処には花柳営業地域ありて
当町中其発展の歴史最も古く且人家最も稠密せり。
其他中央の地蔵坂付近(白鬚渡場付近)
北部の大正道路筋(白鬚橋より玉の井に至る)等之に次ぐ。
然れども此の方面は地辺鄙にして
隅田川上に白鬚橋白鬚渡及び巡航船ありて
浅草区橋場町と通じ東南隅に東武線曳舟駅あるの外
未だ交通の便備はらざるを以て
充分なる発展を遂ぐるに至らず、今尚田地を存す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/3
大字、寺島 p5/17
当村の大部分を占め、
他の大字は何れも吾嬬町及び隅田村との
境界附近に点在する小地域のみなり。
分ちて十二字となす。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/5
字、堤外 p14/17
寺島村大字寺島字堤外 二七四一~二九六〇番地
(大倉別荘以北白鬚橋付近に至る堤外全部にて別荘地、
工場地及び料理店地域あり)
評価 最高六〇圓 最低二〇圓 内譯
(一) 二七四一~二八一〇番地
(白鬚橋以北 隅田川製鉄工場付近)
(イ)二七九〇~二八〇一、二八〇五~二八〇八番地
(白鬚橋付近の主なる通筋)三〇~三五圓
(ロ)其他 二〇~二五圓
(二) 二八一一~二八七〇番地 ※1
(小松島遊園地跡、西北端に小松島汽船発着所あり)二〇~二五圓
(三) 二八七一~二九二九番地
(白鬚神社の西に當り隅田川工業会社其他貯炭場、
工場及び料理店の所在地南端に白鬚の渡船場あり)三五~四〇圓
(四) 二九三一~二九四三番地
(白鬚渡船場以南の大倉別荘付近にて、
長月、雲水、隅田家等の料理店あり)
(イ) 宅地 五〇~六〇圓
(ロ) 其他 三〇~四〇圓
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/14
大正十一年三月十一日印刷
大正十一年三月十三日発行
発行所 東京興信所
東京市日本橋区坂本町四十三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921590/16
【東京市及接続郡部地籍台帳】[第2冊]明治45年(1912)4月25日発行
南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外
二八一〇~二八七〇番地
京橋区銀座三ノ九
加富登麦酒株式会社 p670/694
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/670
南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外 p670-671/694
所有者氏名 地 番 地目 宅地・坪 田・反
加富登麦酒 二八一〇 田 〇・五〇〇 ※2
加富登麦酒 二八一一ノ一 田 二・〇〇〇
加富登麦酒 二八一一ノ二 宅地 三〇
三菱合資会社 二八一二 宅地 一五四
石川庄吉 二八一三 宅地 五五
石川辰次郎 二八一四 宅地 四〇
加富登麦酒 二八一五 外 四二筆 宅地 五、九七五
加富登麦酒 二八三五~二八四六 田 〇・六二一
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ二 田 〇・二五五
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ三 田 〇・三二七
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ四 田 〇・七二四
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ五 田 〇・〇一九
加富登麦酒 二八三三~二八四六ノ六 宅地 一、三六七
加富登麦酒 二八三三~二八四六 宅地 六九
合計 9,026坪 (宅地7,690坪 田1,336坪)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/670
( 田 4.446反 × 991.74平方メートル = )
( 4,409.276 ÷ 3.3 = 1,336坪 )
<明治時代に1尺=(10/33)メートルと定められたので、>
<そこから1反=約991.74平方メートル=約9.9174アールとなる。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D
明治四十五年四月二十二日印刷
明治四十五年四月二十五日発行
発行者 東京市区調査会
東京市麹町区土手三番町三十四番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934/683
【東京市及接続郡部地籍地図】[下卷]大正1年(1912)11月7日発行
寺島村大字寺島字堤外北部 p523/531
[小松島庭園][カブトビール東京工場建築地]自 二八一五 至 二八四七
自 二八三四 至 二八七〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/523
大正元年十月三十日印刷
大正元年十一月七日発行
発行者 東京市区調査会
東京市麹町区土手三番町三十四番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/530
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[現在 東京都墨田区堤通1-19]
[当時 南葛飾郡寺島村大字寺島字堤外2810-2870番地]
『小松島八洲美人の賑ひ』
楊斎延一 すみだ郷土文化資料館所蔵
小松島八州園は、現在の白髭橋の東岸、
墨田区堤通1-19 付近にあった庭園です。
明治11 年(1878)に日本鉄道会社社長小野義真が
この地を埋め立てて別荘としたもので、
明治17 年から一般にも公開されていた。
庭の築山にのぼると関東八州を見晴らす眺望だったことから、
八洲園と号し、
またその庭園は奥州松島の景色をうつしたという意味から、
小松島と名づけられたという。
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