[医師免状:第1号~20号]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目 受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内科 京都 一 京都 赤澤駿哉 p46/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
産科 京都 二 京都 佐々木道逸 p49/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/49
内外科 大阪 三 舊名東 菅 煥齋 p58/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/58
歯科 東京 四 舊小倉 小幡英之助 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
内外科 京都 五 舊筑摩 清水眞三 p54/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/54
内外科 大坂 六 愛媛 鎌田義二 p22/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/22
内外科 東京 七 舊熊谷 畑 秀夫 p12/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/12
眼科 東京 八 三重 寺尾繁成 p46/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
内外科 大阪 九 鳥取 大谷謙齋 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
内外科 大阪 一〇 大阪 浦谷義春 p35/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/35
内外科 大阪 一一 福岡 大屋玄的 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
眼科 大阪 一二 舊三潴 喜多村良介 p51/74 ※一二 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/51
内外科 岩手 一二 岩手 阿部靖之助 p47/74 ※一二 重複
※追記 前回記載漏れ 詳細は別稿:平成24年11月3日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/47
内外科 大坂 一三 舊名東 村上俊平 p34/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/34
内外科 大阪 一四 山口 藤本精一 p42/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/42
内外科 長崎 一五 長崎 池田研一 p8/74 ※一五 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/8
内外科 静岡 一五 静岡 岡谷良瑞 p19/74 ※一五 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/19
内外科 舊三潴 一六 舊三潴 副島貞藏 p30/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/30
内外科 舊三潴 一七 舊三潴 山下主一 p38/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/38
内外科 愛知 一八 岐阜 中川謙三 p33/74 ※一八 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/33
内外科 舊三潴 一八 舊三潴 秋吉斟吾 p46/74 ※一八 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
内外科 舊三潴 一九 舊三潴 光吉文龍 p53/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/53
内外科 舊三潴 二〇 舊三潴 大浦五郎 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
明治十五年五月三十日御届
明治十五年六月 出版
定價 二十五銭
編輯人 横井 寛
愛知縣士族
北豊島郡龍泉町四番地
出板人 島村利助
東京府平民
日本橋區馬喰町貮丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/69
[大谷謙齋]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
内外科 大阪 九 鳥取 大谷謙齋 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
[大谷謙齋]
【大日本医会報告】第1回
大日本醫會會員名簿 p69/99
附 中央部及地方部役員名簿
明治二十六年十二月三十一日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/69
中央部役員(明治廿六年十一月撰定) p70/99
―略―
地方部役員(地方部順次ハ設立順ニ依ル) p70/99
大坂地方部 p71/99
大坂市東區淡路町一丁目三十八番屋敷
理事長 吉田顯三
理事 高安道太郎
宇野良造
山中篤衞
小林圓太郎
評議員 井上平造
劉 小一郎
緒方維準
小幡 彌
大谷謙齋
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/71
大坂府 二百三十一名 p76/99
大坂地方部會員
大谷謙齋 西區京町堀通一丁目 p76/99
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/76
[医学博士 大谷遷の健康指南]
《「内外科医開業免許候事」という免状を得、
医籍登録番号は7番であった。》
明治期の大阪の医師 大谷謙斎 (2011年8月31日)
―略―
先般、大阪市西区でご開業の大谷遷氏宅から
「大日本医会大阪地方部会員氏名表」
(明治26年7月11日調)なる
1枚ものが出てきたという話をきいた。
そこには同氏の曽祖父・大谷謙斎など
231名(うち市部208、郡部23名)の姓名が並んでおり、
中に緒方惟準、緒方拙斎、吉田顕三、清野勇、高安道純、
松尾 耕三、山田俊郷、薄怒一ら
当時またはのちの大阪リーダーたちの名がみえる。
大日本医会は、この明治26年3月に池田謙斎らによって
東京で創始されたばかり。
当時すでに大谷謙斎は50歳、
西区京町堀で名の通った開業医として安定した生活を送っていた。
大谷謙斎(1842~1908)は鳥取県の出身、
―略―
これより先、明治9年に内務郷大久保利通になる
「内外科医開業免許候事」という免状を得、
医籍登録番号は7番であった。
―略―
大谷謙斎の実家は鳥取県東伯郡浦町浦安で
「鷹勇」という銘酒を造っている、大谷酒造である。
そちらにも墓があるが、高野山奥の院の御供所のすぐ前、
有栖川家の墓の後ろに、大谷多聞が謙斎のために建てた。
http://rokkomcinfo.web.fc2.com/ohtani.html
[近代医療のあけぼの:幕末・明治の医事制度]
著者:青柳精一
思文閣出版
一方、東京・大阪・京都の三府で実施された
医術開業試験に合格して
医師免許第一号となったのは、
京都府の赤沢駿哉(内科、京都で受験)で、
第二号も同じく京都府の佐々木道逸(産科、京都で受験)で、
第三号は大阪府の菅煥斉(内科、大阪で受験)であった。
このとき小幡英之助は歯科試験を希望したため、
特別にえらんだ試験委員によって試験がおこなわれ、
合格したものの免状は一般医師と同じものが下付された(第四号)。 p276
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
科目 受験地名 免状番号 府県名 姓 名
内科 京都 一 京都 赤澤駿哉 p46/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
産科 京都 二 京都 佐々木道逸 p49/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/49
内外科 大阪 三 舊名東 菅 煥齋 p58/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/58
歯科 東京 四 舊小倉 小幡英之助 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
内外科 京都 五 舊筑摩 清水眞三 p54/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/54
内外科 大坂 六 愛媛 鎌田義二 p22/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/22
内外科 東京 七 舊熊谷 畑 秀夫 p12/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/12
眼科 東京 八 三重 寺尾繁成 p46/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
内外科 大阪 九 鳥取 大谷謙齋 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
内外科 大阪 一〇 大阪 浦谷義春 p35/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/35
内外科 大阪 一一 福岡 大屋玄的 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
眼科 大阪 一二 舊三潴 喜多村良介 p51/74 ※一二 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/51
内外科 岩手 一二 岩手 阿部靖之助 p47/74 ※一二 重複
※追記 前回記載漏れ 詳細は別稿:平成24年11月3日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/47
内外科 大坂 一三 舊名東 村上俊平 p34/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/34
内外科 大阪 一四 山口 藤本精一 p42/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/42
内外科 長崎 一五 長崎 池田研一 p8/74 ※一五 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/8
内外科 静岡 一五 静岡 岡谷良瑞 p19/74 ※一五 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/19
内外科 舊三潴 一六 舊三潴 副島貞藏 p30/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/30
内外科 舊三潴 一七 舊三潴 山下主一 p38/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/38
内外科 愛知 一八 岐阜 中川謙三 p33/74 ※一八 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/33
内外科 舊三潴 一八 舊三潴 秋吉斟吾 p46/74 ※一八 重複
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/46
内外科 舊三潴 一九 舊三潴 光吉文龍 p53/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/53
内外科 舊三潴 二〇 舊三潴 大浦五郎 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
明治十五年五月三十日御届
明治十五年六月 出版
定價 二十五銭
編輯人 横井 寛
愛知縣士族
北豊島郡龍泉町四番地
出板人 島村利助
東京府平民
日本橋區馬喰町貮丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/69
[大谷謙齋]
【内務省免許全国医師薬舗産婆一覧】明治15年6月出版
内外科 大阪 九 鳥取 大谷謙齋 p17/74
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779826/17
[大谷謙齋]
【大日本医会報告】第1回
大日本醫會會員名簿 p69/99
附 中央部及地方部役員名簿
明治二十六年十二月三十一日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/69
中央部役員(明治廿六年十一月撰定) p70/99
―略―
地方部役員(地方部順次ハ設立順ニ依ル) p70/99
大坂地方部 p71/99
大坂市東區淡路町一丁目三十八番屋敷
理事長 吉田顯三
理事 高安道太郎
宇野良造
山中篤衞
小林圓太郎
評議員 井上平造
劉 小一郎
緒方維準
小幡 彌
大谷謙齋
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/71
大坂府 二百三十一名 p76/99
大坂地方部會員
大谷謙齋 西區京町堀通一丁目 p76/99
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833289/76
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[医学博士 大谷遷の健康指南]
《「内外科医開業免許候事」という免状を得、
医籍登録番号は7番であった。》
明治期の大阪の医師 大谷謙斎 (2011年8月31日)
―略―
先般、大阪市西区でご開業の大谷遷氏宅から
「大日本医会大阪地方部会員氏名表」
(明治26年7月11日調)なる
1枚ものが出てきたという話をきいた。
そこには同氏の曽祖父・大谷謙斎など
231名(うち市部208、郡部23名)の姓名が並んでおり、
中に緒方惟準、緒方拙斎、吉田顕三、清野勇、高安道純、
松尾 耕三、山田俊郷、薄怒一ら
当時またはのちの大阪リーダーたちの名がみえる。
大日本医会は、この明治26年3月に池田謙斎らによって
東京で創始されたばかり。
当時すでに大谷謙斎は50歳、
西区京町堀で名の通った開業医として安定した生活を送っていた。
大谷謙斎(1842~1908)は鳥取県の出身、
―略―
これより先、明治9年に内務郷大久保利通になる
「内外科医開業免許候事」という免状を得、
医籍登録番号は7番であった。
―略―
大谷謙斎の実家は鳥取県東伯郡浦町浦安で
「鷹勇」という銘酒を造っている、大谷酒造である。
そちらにも墓があるが、高野山奥の院の御供所のすぐ前、
有栖川家の墓の後ろに、大谷多聞が謙斎のために建てた。
http://rokkomcinfo.web.fc2.com/ohtani.html
[近代医療のあけぼの:幕末・明治の医事制度]
著者:青柳精一
思文閣出版
一方、東京・大阪・京都の三府で実施された
医術開業試験に合格して
医師免許第一号となったのは、
京都府の赤沢駿哉(内科、京都で受験)で、
第二号も同じく京都府の佐々木道逸(産科、京都で受験)で、
第三号は大阪府の菅煥斉(内科、大阪で受験)であった。
このとき小幡英之助は歯科試験を希望したため、
特別にえらんだ試験委員によって試験がおこなわれ、
合格したものの免状は一般医師と同じものが下付された(第四号)。 p276