[下西友枝村 末松玄洞 醫術出精]
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年
《末松玄銅》
『大河内傳次郎』著者 富士正晴
中央公論社
大辺耕斎=シン(末松玄銅六女:明治21年(1888)死亡) ※末松玄洞
(大河内傳次郎の祖母)
《末松玄洞貞 (初代玄洞)》
《末松玄洞貞親(二代目玄洞)》
『実録 大河内伝次郎』著者 池永 敬
ライオンズマガジン社
平成2年5月10日発行
大辺 ユキ 西友枝・末松玄洞 貞 長女 p65
(初代玄洞)
慶應四年八月二十三日
※慶應4年8月23日(1868年10月8日) 歿
大辺 シン 西友枝・末松玄洞 貞親 五女
(二代目玄洞)
明治二十一年十月九日 p65
※明治21年(1888)10月9日 歿
《末松玄洞》 ※(初代玄洞):小野一雄
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
039『婦』 13-2
同郡友枝村 末松玄洞 女 奥野
文化八辛未年生 (1811年1月25日)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291489.html
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年3月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/431
一一 明治四年 豊津縣 町家 帯刀之者 言上書 p335/434
本書表紙に「五郡并町家帯刀之者言上書、未十一月 民事課」とあり。
※明治4年辛未11月(1871年12月12日)
明治四年豊津縣民事課にて、
田川、京都、仲津、築城、上毛、
五郡の各手永大庄屋に命じて、
帯刀の資格者調を書出さしめしものにして、
企救郡の缺げたるは、
當時企救郡は日田縣の管下に属せしを以てなり。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/335
上毛郡 友枝手永 p354/434
下西友枝村 末松玄洞 醫術出精、嘉永四年十二月 苗字帯刀 p354/434
※嘉永4年12月(1851年12月23日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/354
中央公論社
昭和54年1月20日再版
大辺耕斎=シン(末松玄銅六女:明治21年(1888)死亡) p9
※末松玄洞
(大河内傳次郎の祖母)
また、晋の母シンは福岡県上毛郡西友枝村の
末松玄銅六女であるが、 ※末松玄洞
まことに大辺耕斎なる者に嫁すのに適しいような
父の名前といわねばならない。
医者か儒者であろうと思っていたが、
儒者だということである。 p12
――――――――――
『実録 大河内伝次郎』著者 池永 敬
ライオンズマガジン社
平成2年5月10日発行
大辺家の一覧表を、
富士正晴著「大河内傳次郎」(中央公論社)を参考にしながら、作ってみよう。
大辺耕斎(医者)
大辺シン(儒者・末松貞親、号・二代目玄銅の五女) p36
※末松玄洞
以上の墓塔調査と生田重倫が執筆した
「生田氏姻戚系譜考」の“大辺耕斎家”系譜から
大辺家の略系図をつくってみた。
(正直以下は没年月日を記入、渡辺信幸調べ) p63
大辺 杏寿 正綱(医)天保十一年三月一日
※天保11年3月1日(1840年4月3日) 歿
= p65
大辺 ユキ 西友枝・末松玄洞 貞 長女
(初代玄洞)
慶應四年八月二十三日
※慶應4年8月23日(1868年10月8日) 歿
大辺 正次 杏庵 耕斎(養子)(医)
中津藩 瀬川三太夫頼利 二男
慶應元年二月十六日
※慶應1年2月16日(1865年3月13日) 歿
= p65
大辺 シン 西友枝・末松玄洞 貞親 五女
(二代目玄洞)
明治二十一年十月九日
※明治21年(1888)10月9日 歿
大辺 晋 正隆(医) 明治四十年(1907)五月十日 歿 六十歳
= p65
大辺 アキ 大久保逕三 教之 四女
昭和十一年(1936)一月三十日 歿
――――――――――
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
038『 』(郷太郎)13-1
号 三毛門丹左衛門
文化三丙寅五月六日生 (1806年6月22日)生
童 名 雄 冠 日 郷太郎
受 父之譲 奉仕
039『婦』 13-2
同郡友枝村 末松玄洞 女 奥野
文化八辛未年生 (1811年1月25日)生
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291489.html
――――――――――
《末松 偕一郎》
《末松玄洞の三男》
[広報 豊教だより]第90号
平成22年 (2010)9月1日発行
発行所 豊前市教育委員会
《末松 偕一郎》
明治八年(1875)六月一八日、
築上郡友枝村東上の医師
末松玄洞の三男として生まれる。
―略―
http://www.city.buzen.lg.jp/gakkou/documents/houkyoudayori90.pdf
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年
《末松玄銅》
『大河内傳次郎』著者 富士正晴
中央公論社
大辺耕斎=シン(末松玄銅六女:明治21年(1888)死亡) ※末松玄洞
(大河内傳次郎の祖母)
《末松玄洞貞 (初代玄洞)》
《末松玄洞貞親(二代目玄洞)》
『実録 大河内伝次郎』著者 池永 敬
ライオンズマガジン社
平成2年5月10日発行
大辺 ユキ 西友枝・末松玄洞 貞 長女 p65
(初代玄洞)
慶應四年八月二十三日
※慶應4年8月23日(1868年10月8日) 歿
大辺 シン 西友枝・末松玄洞 貞親 五女
(二代目玄洞)
明治二十一年十月九日 p65
※明治21年(1888)10月9日 歿
《末松玄洞》 ※(初代玄洞):小野一雄
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
039『婦』 13-2
同郡友枝村 末松玄洞 女 奥野
文化八辛未年生 (1811年1月25日)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291489.html
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年3月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/431
一一 明治四年 豊津縣 町家 帯刀之者 言上書 p335/434
本書表紙に「五郡并町家帯刀之者言上書、未十一月 民事課」とあり。
※明治4年辛未11月(1871年12月12日)
明治四年豊津縣民事課にて、
田川、京都、仲津、築城、上毛、
五郡の各手永大庄屋に命じて、
帯刀の資格者調を書出さしめしものにして、
企救郡の缺げたるは、
當時企救郡は日田縣の管下に属せしを以てなり。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/335
上毛郡 友枝手永 p354/434
下西友枝村 末松玄洞 醫術出精、嘉永四年十二月 苗字帯刀 p354/434
※嘉永4年12月(1851年12月23日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/354
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
中央公論社
昭和54年1月20日再版
大辺耕斎=シン(末松玄銅六女:明治21年(1888)死亡) p9
※末松玄洞
(大河内傳次郎の祖母)
また、晋の母シンは福岡県上毛郡西友枝村の
末松玄銅六女であるが、 ※末松玄洞
まことに大辺耕斎なる者に嫁すのに適しいような
父の名前といわねばならない。
医者か儒者であろうと思っていたが、
儒者だということである。 p12
――――――――――
『実録 大河内伝次郎』著者 池永 敬
ライオンズマガジン社
平成2年5月10日発行
大辺家の一覧表を、
富士正晴著「大河内傳次郎」(中央公論社)を参考にしながら、作ってみよう。
大辺耕斎(医者)
大辺シン(儒者・末松貞親、号・二代目玄銅の五女) p36
※末松玄洞
以上の墓塔調査と生田重倫が執筆した
「生田氏姻戚系譜考」の“大辺耕斎家”系譜から
大辺家の略系図をつくってみた。
(正直以下は没年月日を記入、渡辺信幸調べ) p63
大辺 杏寿 正綱(医)天保十一年三月一日
※天保11年3月1日(1840年4月3日) 歿
= p65
大辺 ユキ 西友枝・末松玄洞 貞 長女
(初代玄洞)
慶應四年八月二十三日
※慶應4年8月23日(1868年10月8日) 歿
大辺 正次 杏庵 耕斎(養子)(医)
中津藩 瀬川三太夫頼利 二男
慶應元年二月十六日
※慶應1年2月16日(1865年3月13日) 歿
= p65
大辺 シン 西友枝・末松玄洞 貞親 五女
(二代目玄洞)
明治二十一年十月九日
※明治21年(1888)10月9日 歿
大辺 晋 正隆(医) 明治四十年(1907)五月十日 歿 六十歳
= p65
大辺 アキ 大久保逕三 教之 四女
昭和十一年(1936)一月三十日 歿
――――――――――
《別府家系図:福岡県豊前市三毛門 大庄屋》 No.004
038『 』(郷太郎)13-1
号 三毛門丹左衛門
文化三丙寅五月六日生 (1806年6月22日)生
童 名 雄 冠 日 郷太郎
受 父之譲 奉仕
039『婦』 13-2
同郡友枝村 末松玄洞 女 奥野
文化八辛未年生 (1811年1月25日)生
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2291489.html
――――――――――
《末松 偕一郎》
《末松玄洞の三男》
[広報 豊教だより]第90号
平成22年 (2010)9月1日発行
発行所 豊前市教育委員会
《末松 偕一郎》
明治八年(1875)六月一八日、
築上郡友枝村東上の医師
末松玄洞の三男として生まれる。
―略―
http://www.city.buzen.lg.jp/gakkou/documents/houkyoudayori90.pdf