2013年08月

《小川清秀》[私立海星中學校]【長崎案内】大正3年

《小川清秀》
[私立海星中學校]
【長崎案内】大正3年

【長崎案内】大正3年4月1日発行
[私立海星中學校]  p75/134
大浦東山手の最も高燥なる地にあり
社團法人マリヤ會の管理に屬するも
宗教的儀式に何等關係なき
純然たる中學校にして

創立日淺く
現在三學年まであるのみなるも
其前身に遡れば古き歷史を有す

卽ち
明治二十五年一月
佛國人ジ、バルツ氏
浪ノ平に英佛獨語を敎授せしが


外浦町に移轉し

仝二十八年
現在の所に移り
組織を變更して
海星學校及仝小學部と稱し
小、中學の敎科を設けしが

仝三十六年四月に
甲種商業學校と改め
亞いで小學部を廢止せり

仝四十四年四月
中學校令に據り
中學校を併置し

仝四十五年八月
徴兵令に依る特典を得たり
生徒定員四百名とす

茲に該校の内容の一斑を紹介せん

敎師  本邦人 十二名  外國人 七名

學科  前述の通り
    純然たる中學校なれば
    授業學科時間等
    公立中學等と一の異ることなきも
    二學年以上は毎週三時間宛
    佛語を増加するのみにして
    宗敎事項を課す等の事は少しもなし

寄宿舎 校内に寄宿舎あり
    舎監は外國人にして且
    外國敎師は皆校内に起居する故
    常に相接する故
    會話の熟達に便なるのみならず
    諸作法を知るを得

試驗  平常点に重きを置き
    各科共一週毎に採点し
    各自に注意を加ふることゝせり

入學  他と別に異りたる点なく
    尋常小學校卒業せしものにて
    可なるも
    年齢十五歳以上のものは
    許可せざることあるべし。
         (堀川氏寄稿)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/75
〔写真〕  p122/134
[永田洋服店]
Y.NAGATA,&.CO.
HIGH TAILOR
Sakayamachi. Nagasaki.
TELE No,1183.
長崎市酒屋町
電話 一一八三番
振替 福岡 四二一四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/122
大正三年三月十五日印刷
大正三年四月一日發行
編纂者 中村三郎
    長崎市出來大工町十一番地
發行者 宮本茂三郎
    長崎市本石灰町四十七番地
印刷者 松添政治
    長崎市堀町二十番地
印刷所 長崎帳簿製造所
    長崎市堀町二十番地
發行所 宮本書店
    長崎市本石灰町四十七番地
    電話 一〇八七番
    振替 福岡 三七四八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/132

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 
《小川清秀》

[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630083.html

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【長崎県実業案内】明治42年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630085.html

《小川清秀》[私立海星商業學校]【長崎県実業案内】明治42年

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【長崎県実業案内】明治42年

【長崎県実業案内】明治42年9月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801554/87
[私立 海星商業學校]  p64/92
長崎市東山手に在り
甲種程度の實業學校にして
明治三十六年(1903)の創立に係り
獨逸人「フランソア、ルシユ」の設立する所にして
明治四十二年度(1909)
經費壹萬四百餘圓なり
修業年限 四箇年豫科 二箇年本科
卒業者を出すこと
五十八名
現在 職員校長以下二十名
此の内 外國人 九名
生徒 本科 豫科を通じて三百四十名あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801554/64

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630083.html

《小川清秀》[私立海星商業學校]【九州視察報告】明治43年

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

【九州視察報告】明治43年12月13日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/192
◎私立海星商業學校  p107/197
 ◎學則 及 現況一班

本校は明治二十五年(1892)の創設に係り
三十六年(1903)學則を變更して
甲種程度となし

豫科二年本科四年たり

生徒定員は五百名にして
現在三百名を算し

教師は本邦十名

外國人十名
内 葡萄牙(ポルトガル)人 一名
  佛(フランス)人    一名
  獨(ドイツ)人     二名
  米(アメリカ)人    二名なり

校長フランサワルーシユー氏は
アルサスローレンスの人
年齢三十歳を出てず
三十四年(1901)本邦に航し
暫く東都に教鞭を執り

三十八年(1905)本校の副校長となり

四十一年(1908)四月
前校長エミリエンペーレン氏の後を禀けて
校長となり
本校の聲譽益々高し
盖し氏は清新快活にして
兼ねて學德あり
眞に好個の青年紳士たり

本校の經費は四十一年度(1908)に於て
一萬七百圓を算し
總て佛國私立マリヤ教育會の經營に係り

校舎は五層の煉瓦建より成り
設備完全なり

本校は英佛獨語を重んじ

卒業生は多く海外貿易に從事す

又 附屬小學校 及 幼稚園ありと
雖も四十二年度(1909)を以て
廢止せん事を期する者の如く

本校生徒中
英米獨佛と兒童を始め
清韓の兒童も亦少なからず

其他 混血兒も亦多し

尚ほ本年度入學生は
豫科百二十三名にして
此 應募者百四十五名

本科三十七名にして
此 應募者八十名を算せり

 ◎本校施設の一班
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/107

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[海星学園]
学校法人 海星学園 海星中学校・海星高等學校
長崎県長崎市東山手町5番3号
沿 革
明治25年 長崎市南山手に海星学校創立
      初代校長はマリア会員のジャック・バルツ
明治28年 現在の東山手5番3号に移転
明治44年 海星中学校になる
 ―略―
http://www.kaisei-ngs.ed.jp/gakuen-shokai/kyokun-enkaku/

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]

[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]

[備考:元山公立小學校ノ略沿革]  p11/38
明治十三年(1880)ノ開港ニ後ルルヿ五年
即 明治十八年(1885)ニ於テ
當本願寺説教所
主任僧《石川馨》ナル者
二三有志者ノ助力ニ頼リ
寺内ノ倉庫中ニ
数人ノ子弟ヲ集メテ
讀書習字ヲ教授ス

其状況宛然旧時ノ寺子屋ノ如シ
而シテ《石川》拮据?勉

翌年(1886)ニ至リ時ノ居留民総代等ト謀リ
寺内ノ一室ヲ教場ニ充ツルニ及ヒテ
其規模稍々見ルヘキニ至レリ
是當港ニ於ル
普通學教育所ノ権輿ナリトス

爾来年ト共ニ程度ヲ進メ

明治二十一年(1888)春三月
始メテ校舎ヲ新築シ   p12/38
公立小學校ノ名ヲ附スルニ至リタリ

當時ヲ回想スレバ
五六ノ志士が斯道ニ盡瘁シタルヿノ
大ニ称揚スヘキ者アルヲ覺フ

後又年ヲ経ルト共ニ學ビノ徒
大ニ増加シ校舎弥々狭隘ヲ告ケ
茲ニ更ニ地ヲ卜シ

現時ノ校舎
明治三十一年(1898)十一月
新築成ル
是レ沿革ノ概略ナリ

教則 并 規則
教則及規則 年ト共ニ陳腐ニ属ス
追テ訂正添削ノ見込ミナリ

就學児童
別項掲クル如ク
當港居留民子弟
別ニ督責スルニ非ラサレモ
一人トシテ不就學者ナシ

剰(あまつさ)ヘ
齢外サヘ五人アリ
是何地ニモ見サル所ナリ

教科
現時ニシテモ訓導モ不足ナリ
將来員ヲ増シテ
英語科ヲ加フルノ見込ミナリ

図書器械具
不完全ニモ目下
差支フル所ナシ
去リ乍ラ漸次訂正改良ノモノヲ備フル見込ナリ

韓語科
當港ニ在留セル子弟
十五六才以上ニ達スル者ハ
概ニ商賣上ノ問答及
日常ノ會話ヲ辨スルヲ得
是 征清ノ役ニ不完全ナガラモ
多数ノ通辨人ヲ出シ得タル所ナリトス

然シ凡 多クハ耳聞口?ノ速成ナルガ故ニ
其言語謬卑近
固ヨリ
格ニ合スル者ニ非ラズ
極メテ平易ナル事柄ト?
凡 彼ノ文法ニ依リテ書翰ヲ認メ得ル者   p13/38
寥々晨星ト一般ナリ

我 韓語夜學校ノ現況ハ
寂寥見ルニ?ルナント?モ
期スル所ハ真正?韓語韓學ヲ
練習セシムルニ在リ

唯 恨ムラクト父兄ノ徒
目前ノ小成ニ安ンシテ
子弟ノ教ユルノ志シ乏シク

且 費用ノ支ヘサル者アルガ為メニ
教科書ノ如キモ太甚シク
不完全ナルノ一事也
[尋常小學科 教科用 図書表]      p14/38
 ―略―
[高等小學科 教科用 図書表]      p14/38
 ―略―
[尋常小學科 教科 課程表]       p15/38
 ―略―
[高等小學科 教科 課程表]       p16/38
 ―略―
[元山公立小學校 教則]         p17/38
 (明治廿九年六月 訂正)
 ―略―
 第五章 學年 及 休業         p28/38
第廿八條 學年ハ毎年四月一日ニ始リ
     翌年三月三十一日ニ終ル
第廿九條 休業定日 左ノ如シ
     大祭祝日
     但 一月一日、紀元節、天長節ニハ
     之ニ相當スル儀式ヲ擧行スヘシ
     日曜日
     居留地紀念日(五月廿三日)
     夏季(七月廿五日ヨリ  八月十五日マテ)
     冬季(十二月廿六日ヨリ 翌年一月七日マテ)
     証書授與式前 三日以内
     學年試験後  五日間
第三十條 ―略―

 第六章 入退學             p29/38

第三十五條 外國人ニシテ入學ヲ望ムトキハ
      居留地 日本人一名ヲ保証人トシ
      當港 日本領事ノ認可状ヲ添ヘ願出ツベシ
〔写真:校舎〕              p30/38

[公立小學校 授業料 徴収規則]     p34/38
第一條   小學校授業料ハ
      高等尋常幼稚ノ三科ニ分チ
      各 左ノ額ヲ徴収ス
      一 高等科 毎月 金 参拾銭
      一 尋常科 毎月 金 貳拾銭
      一 幼稚科 毎月 金 拾五銭
第二條    ―略―
[小學校長 及 教員 職務 及 服務 規則] p35/38
第一條    ―略―
[學務委員 規則]              p37/38
       ―略―
10.元山港公立小学校ノ為メ
   教育ニ関スル勅語製本一部拝戴之義
   居留民総代ヨリ出願之件 附全学校形状
   同三十二年二月
階層
外務省外交史料館>外務省記録>3門 通商>
10類 宗教、教育及学芸>2項 教育>
在外国各日本居留地共立学校関係雑件 第一巻
【 レファレンスコード 】B12081904000
【 年代域 】明治32年【 画像数 】38
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630080.html

《小川清秀》
[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630081.html

《小川清秀》[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]

《小川清秀》
[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html
[明治三十二年二月 元山港公立小學校ノ為メ…] p1/38
[教育勅語御下付請求ノ件]           p2/38
當 元山港公立小學校ハ開港ノ當時
設立シタルモノニ有之候處
 ―略―
明治三十二年一月二十六日
  三十二年二月廿二日記録課受
    在韓國元山港 日本領事館

     在元山
        二等領事 小川盛重
  外務次官 都筑馨六殿

[元山公立小學校]       p9-/38
一 創立 明治廿一年三月
一 教則 追テ訂正見込
一 校長及職員 職務及服務規則
一 學務委員規則
   前 三項 別冊ノ通リ
一 居留地内 戸数 三百五拾戸
       明治三十二年三月末調
一 人口 一千三百二拾七人
       明治三十二年三月末調
一 學齢児童数 九拾八人 内 男 五十六人 女 四十二人 現在
一 就學児童数 九拾八人 内 男 五十六人 女 四十二人 現在
    内譯
  尋常科   七拾二人 内 男  四十人 女 三十二人 現在
        一學年    男  十五人 女  十四人
        二學年    男   九人 女   七人
        三學年    男   五人 女  十四人
        四學年    男  十一人 女   四人
        二ヶ級ニ編制ス
  高等科   三拾一人 内 男 二十一人 内 學齢外  五人
               女   十人        現在
        一學年    男   四人 女   六人
        二學年    男   八人 女   一人
        三學年    男   五人 女   三人
        四學年    男   四人 女   〇人
        一ヶ級ニ編制ス
  幼稚科   三拾六人 内 男  十七人 女  十九人 現在
        一組ニ編制
一 明治三十二年三月 卒業生
  尋常科   拾一人    男   六人 女   五人
  高等科    六人    男   三人 内二人
                      長崎及山口縣商業學校ヘ入學
               女   三人 内一人
                      熊本縣女學校ヘ入學ノ目的
一 職員     五人  内 男   三人 女   二人
  學校長    一人  訓導ヨリ兼任
  訓導     三人  内 男   二人 女   一人   p10/38
    各小學校 本科正教員 地方免許状ヲ有ス
  教員     二人  内 男   一人 尋常科準教員免許状
               女   一人 裁縫専科教員免許状
  小使     一人    男
一 職員月俸
  三拾五圓 學校長
  二拾二圓 二人 内 男 訓導 一人
            女 訓導 一人
   二拾圓      男 教員 一人
   拾三圓    裁縫専科教員 一人
   九圓五拾銭      小使 一人
一 韓語科 夜間教授
  生徒 十五人(男子ノミ)
  學齢外ノ者ニシテ商家ノ雇人多数ヲ含ム
  授業料 一ヶ月 五拾銭
  教員  一人(男 雇 韓國人)
  月俸  拾圓
一 授業及保育料 収入豫算 上半期
  (三十二年四月一日ヨリ仝九月三十日マデ)
  百八拾三圓
一 常経費支出豫算 上半期
  (三十二年四月一日ヨリ仝九月三十日マデ)
   常経費支出豫算「九百貳拾六圓五拾五銭」脱漏
一 校舎 一棟 明治三十一年十二月落成(新築)
  ヿ形ニテ木造平屋建 総坪数  百三拾七坪
         敷地 総坪数 八百六拾二坪二合五勺
             内 運動場 六百坪
  教室   四ヶ室   内 裁縫室 一室
  幼稚保育室 一室
  事務室   一室
  應接所   一室     p11/38
  小使室   一室
  器械具室  一室
一 教科用圖書 別表記載セル教授ニ要スルモノ完備
一 教授参考用圖書 十二種類 三百十四冊
一 教授器械    十三種類 六百〇六点
一 教授器具   三十一種類 百四十八点
一 幼稚科恩物 別表記載セル保育ニ要スルモノ完備
一 校舎 新築費 総額 五千五百円
右 経費支出
  一千七百円 學校基本財産ヨリ
    三百円 居留民寄附金
  三千五百円 居留地債
    但 三十一年ヨリ十ヶ年間
10.元山港公立小学校ノ為メ
   教育ニ関スル勅語製本一部拝戴之義
   居留民総代ヨリ出願之件 附全学校形状
   同三十二年二月
階層
外務省外交史料館>外務省記録>3門 通商>
10類 宗教、教育及学芸>2項 教育>
在外国各日本居留地共立学校関係雑件 第一巻
【 レファレンスコード 】B12081904000
【 年代域 】明治32年【 画像数 】38
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より


《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630080.html

[元山に於る日本少年敎育の景況]【朝鮮児童画談】明治24年9月

[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月

【朝鮮児童画談】明治24年9月
[朝鮮兒童畫談]               p1/30
 凡 例。
此書は、
本年六月二十日附の、 ※明治24年(1891)6月20日
朝鮮國元山津在留
内藤盛治氏の通信に據り、
修正増補して成れるものなり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/1
 ―略―
明治辛卯八月中浣。  ※明治24年(1891)8月 p2/30
  著者識。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/2
[朝鮮兒童畫談]               p4/30
  研堂 著。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/4
元山津は、                  p5/30
江原、黄海、平安、京畿諸道より、
商品の輻湊する所にして、
我國との交易場と定めたる新港となす、

京城との電信線も架設しあり、
從て商業も一層活發なり、
亦日本人の家屋軒を連ぬ。

山口・長崎兩縣人
最も多し。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/5
[元山に於る日本少年敎育の景況]       p25-27/30
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/25
當地は、始め本願寺出張の僧侶の、       p25/30
二三名の子弟に讀書習字等を敎授せしが、
抑も敎育の始めにて、
其後追々人口の繁殖するに隨ひ、
漸く子弟の數を增し、

ただ寺院の一室のみにては、          p26/30
到底狭きを告げ、
遂に學校を新築するの議起り、

明治二十一年十月、     ※明治21年(1888)10月
全く落成を見るに至れり。

即ち現今の
元山共立小學校これなり。

敷地は廣からざれども、
生徒の運動場などは餘りあり。

校舎は三十坪の建屋にて、
西洋造りなり。

敎室は少なきも、
結構頗る當を得て、
内地の小學にも劣らざる建築と覺ゆ。

殊に敎育器械の如きも、
充分に備はり居り、
風琴體操器具等も、
疾(と)くより備付て實施し、
敎育上更に欠點なきものゝ如し。

其敎科書課程等は、
從來長崎縣に準し、
土地の情況を斟酌して敎授せしが、

尚昨年五月より  ※明治23年(1890)5月
百事に改良を加へ、
學校規則をも編輯し、
領事の認可を經て、              p27/30
目下實施なし居れり。

即ち尋常科には、
修身、體操、讀書、習字、圖畫、作文、算術、唱歌の八科、

高等科には、
尚地理、歴史、理科等を加へしなり。

學業大に進歩し居れども、
只女子のために
裁縫科の設けなきは、
少しく惜む所なり。

生徒は四十三名、
最高級は高等科三年生にして、
毎年三月に省級試驗あり。

敎員は總て二名にて、

來年度には、
校舎の増築をもなすの筈なりといふ。

但し、
英語
韓語等は、
別に相應の學會ありて、
韓語尤も盛んなり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/27
明治二十四年九月 十日印刷
明治二十四年九月十一日出版
著 者 石井民司
    東京市日本橋區濱町二丁目十四番地
發行者 高橋省三
    東京市神田區錦町二丁目五番地
印刷者 三井駒治
    東京市京橋區弓町二十四番地
    耕文社
發行所 學齢舘
    東京市神田區錦町二丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851191/28

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《小川清秀》[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
[職 業]
明治四十四年(1911)三月 英米煙草會社ニ入社
大正元年(1912)十二月  佐世保重砲隊ニ入營
同 四年(1915)十二月  上海 中國海関ニ採用サレ
昭和七年(1932)八月迄  上海・營口・青島・海南島・
            大連・各税関ニ勤務ス
昭和七年(1932)八月   一等副監察長ニ任命
同   (1932)八月   大連税関接収後 残留
同 十二年(1937)七月  薦任官三等事務官 退職
同 十三年(1938)十月  於 大連 貸家業ヲ營ム
同二十二年(1947)二月  終戰ニヨリ大連ヨリ引揚
同二十二年(1947)四月  九州地區 軍政本部 管理人トシテ勤務
            現在ニ至ル
右之通相違無之候也
昭和二十二年(1947)十一月
            小川清秀

※自筆<履歴書>より:小野一雄
1自筆<履歴書>より:小野一雄
2自筆<履歴書>より:小野一雄

母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
[George Nott または Knott]  正確な名前は不明。
[Yoshiiwa Notuto] 小川清久(母の弟)家の過去帳に記載。
[ジョージさん・元山(韓国)税関長] 
母(小野文子)が話していた。小野雄二(弟) 談
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240144.html

母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―02
《歿 場所:元山(現 北朝鮮)?》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240145.html

《學校長:高 良二》 [大阪英語学校]明治11年9月-11年12月

《學校長:高 良二》
【[大阪英語学校]第十学年第一期校表. 明治11年9月-11年12月】

【[大阪英語学校]第十学年第一期校表. 明治11年9月-11年12月】
   第二章 職員 明治十一年九月一日調査  p5/21
 學校長
明治八年十月廿二日囑任    《高 良二》 高知
 敎員
明治十年九月三日 囑任 訓導 《堤 從正》 東京
同           同  《小川?吉》 愛知 ※?=金+冉
                ※小川ゼン吉・小川セン吉
同           同  《甘糟鷲郎》 山形
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812599/5
―略―
 外國敎員                  p6/21
(明治十一年八月一日ヨリ)
(同 十三年七月三十一日マテ)結約 《アイザック、イートン》  英國

(明治十一年九月十日ヨリ)
(同 十三年七月三十一日マテ)結約 《ゼー、サンマルス》    英國

(明治十一年一月廿一日ヨリ)
(同 十二年一月二十日マテ) 結約 《シ、エチ、エチ、ウォルフ》米國

(明治十一年九月一日ヨリ)
(同 十二年七月三十一日マテ)結約 《ヂ、ゼ、ペンニー》    英國
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812599/6
   第三章 生徒現数 明治十一年九月一日調査  p7/21
 上等第一級
濱田健次郎 大坂    中野賀充  長崎
雀部 饒  岡山    大島邦太郎 長崎
 計 四人

 上等第二級
加藤彰廉  愛媛    中川恆次郎 大坂
進 經太  山口    吉田經太郎 栃木
佐藤政太郎 大坂
 計 五人

 上等第三級
長谷川末治 長崎    小牧增次郎 大坂
秦 政吉  兵庫    野田鉄之助 長崎
松浦三次郎 兵庫
 計 五人

 上等第四級   ―略―  計 十一人
 上等第五級   ―略―  計 十八人
 上等第六級   ―略―  計 十四人
 下等第一級   ―略―  計 十五人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812599/7
 下等第二級   ―略―  計 廿一人  p9/21
 下等第三級   ―略―  計 廿二人
 下等第四級   ―略―  計 廿七人
 下等第五級   ―略―  計 十九人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812599/9
 下等第六級 甲 ―略―  計 廿一人  p10/21
 下等第六級 乙 ―略―  計 十六人
 下等第六級 丙 ―略―  計 十二人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812599/10

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[京都大学百年史 資料編3 5-1 - 京都大学電子図書館]
第5編  年表
[1875(明治8)年]
2.23 大阪英語学校、校名改称に伴い改正した学則を伺出。3月31日認可。
4.- 大阪英語学校、構内旧理学所と薬園地を内務省大阪司薬場へ引き渡し。
6.24 大阪英語学校、普通科卒業生を対象とした専修科設置を上申。
    12月24日再上申。
9.- 大阪英語学校、授業手伝生制度を導入。
10.10 文部省督学局九等出仕高橋是清、大阪英語学校長に就任。
10.14 文部省八等出仕高良二、大阪英語学校長に就任。
11.29 同志社英学校開校。
1912.2.14 同志社大学設立。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/chronology/5-1.html

[Wikipedia]
大阪英語学校 (旧制)
大阪英語学校(おおさかえいごがっこう)は
、1873年(明治6年)に、
大阪府に設置された官立外国語学校である。
概要[編集]
1873年(明治6年)2月「開明学校」(かいめいがっこう)として設立され、
1874年12月、大阪英語学校と改称された。
中等教育相当の機関で、第三高等学校の前身である。

[Wikipedia]
第三高等学校 (旧制)
旧制第三高等学校(きゅうせいだいさんこうとうがっこう)は、
京都市に所在した旧制高等学校。略称は「三高」。
現在の京都大学の前身の一つである。
1894年に第三高等中学校(1886年設立)を母体として発足し、
初代校長は折田彦市。

[Wikipedia]
京都大学

《樂耳王堂》[京都府與謝郡四辻]【全国ラヂオ商取引便覧. 大正15年度】

《樂耳王堂》
[京都府與謝郡四辻]
【全国ラヂオ商取引便覧. 大正15年度】

【全国ラヂオ商取引便覧. 大正15年度】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020107/14
[大阪放送局管内 近縣之部]    p65/127
《樂耳王堂》 京都府與謝郡四辻  p67/127
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020107/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』



[現:京丹波町 酒類 醤油業]【帝国酒類醤油業興信録. 下巻】大正6年

[現:京丹波町 酒類 醤油業]
【帝国酒類醤油業興信録. 下巻】大正6年

【帝国酒類醤油業興信録. 下巻】
 大正6年7月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954695/177
帝國酒類醤油業興信録 附號表   p2/180
帝國酒醤油新報社 興信所
●造石高附號
 △ハ酒類
 ▲ハ醤油
 イ 五拾石以内
 ロ 百 石以内
 ハ 貳百石以内
 ニ 參百石以内
 ホ 四百石以内
 ヘ 五百石以内
 ト 千 石以内
   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954695/2
[船井郡]  p66/180
清酒醸造 △ヘ 《岩崎久左衛門》 須知町須知  ※旧:丹波町
清酒醸造 △ニ 《安井福治郎》  須知町安井  ※旧:丹波町
清酒醸造 △ホ 《森本安兵衛》  須知町須知  ※旧:丹波町
醤油醸造 ▲ロ 《岩崎瀧三郎》  須知町須知  ※旧:丹波町
醤油醸造 ▲イ 《谷 辰之助》  須知町須知  ※旧:丹波町
清酒醸造 △ホ 《太田榮之助》  檜山村橋爪  ※旧:瑞穂町
醤油醸造 ▲イ 《近藤敏雄》   檜山村橋爪  ※旧:瑞穂町
清酒醸造 △ニ 《大西秀吉》   高原村富田  ※旧:丹波町
醤油醸造 ▲イ 《隅山勇之助》  高原村下山  ※旧:丹波町
清酒醸造 △ハ 《前林庄八》   上和知村市場 ※旧:和知町
清酒醸造 △ハ 《梅原善九郎》  上和知村粟野 ※旧:和知町
清酒醸造 △ハ 《北村三治》   三ノ宮村質志 ※旧:瑞穂町
清酒醸造 △ハ 《輕尾傳右衛門》 梅田村東又  ※旧:瑞穂町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954695/66

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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