2014年05月

《酒井南嶺君墓表:中村敬宇・明治17年4月》『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《酒井南嶺君墓表:中村敬宇・明治17年4月》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年

<留客斎日記>

1884(明治17)年4月    p495
26日 聴河野父君之訃、     ※河野父:河野好通(河野敏鎌の父)
    行弔之、且賻(おくる)供物。
    到東洋館処事。      ※東洋館:東京神田区小川町10番地
    筆財政論。        ※「日本財政論」
    接前島之書。       ※前島:前島密
    寄書敬宇老人       ※敬宇:中村正直(敬宇)
    促南嶺先師墓表之作文。  ※「酒井南嶺君墓表」
    老人答以書。       ※老人:中村正直(敬宇)
    夜筆財政論。       ※「日本財政論」

1884(明治17)年5月    p497
26日 到東洋館処事。      ※東洋館:東京神田区小川町10番地
    筆条約改正論。      ※「条約改正論」
    訪中村敬宇翁、      ※中村敬宇:中村正直
    促南嶺翁墓表之筆作。   ※「酒井南嶺君墓表」
    到学校。         ※学校:東京専門学校
    還東洋館処事。      ※東洋館:東京神田区小川町10番地
    筆改正論。        ※「条約改正論」

1884(明治17)年6月    p498
 9日 到東洋館処事。      ※東洋館:東京神田区小川町10番地
    接敬宇翁書。       ※敬宇:中村正直(敬宇)
    送致南嶺翁墓表之文也。  ※「酒井南嶺君墓表」
    午後訪雉橋老話事、    ※雉橋老:大隈重信
    且議条約改正論之当否。  ※「条約改正論」
    晩間訪小修、       ※小修:小野修一郎
    視墓表。         ※「酒井南嶺君墓表」
    夜校改正論。       ※「条約改正論」

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所


東洋館:東京神田区小川町10番地

【民法之骨. 上篇】
 明治十七年十二月二十四日出板
 著述并出板人 小野 梓
        東京府平民
        東京神田區錦町三丁目五番地
 發兌書肆   東洋館書店
        東京神田區小川町十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/792113/127

【敬宇文集. 巻4】明治36年4月
 中村正直 著
「酒井南嶺君墓表」 p60-61/70
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893602/60

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《友景 保樣》「国際香りのばら新品種コンクール」平成25年<銀賞:カプリッチョ>

《友景 保樣》
「国際香りのばら新品種コンクール」第7回
 平成25年<銀賞:カプリッチョ>
<銀賞:カプリッチョ>
作出者:友景 保
撮 影:小野喜代子

バラ専門情報サイト
New Roses Web
2014.5.3
あなたのお気に入りの“香りのバラ”は?
「国際香りのばら新品種コンクール」
 第7回入賞品種を一挙公開!
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<銀賞>カプリッチョ
作出者:友景 保(日本)
力強いバラの香りにさわやかな柑橘の香りと
アップル・ペアー・アプリコットのような
グリーンフルーツの香りが
バランスよく調和した香り
http://newroses.sankei.co.jp/news/grow/article/140502/grw0001-n1.html

《友景 保樣》
「国際香りのばら新品種コンクール」第5回
 金賞「ミ・セレッソ」
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/374/

《友景 保様》
 銀賞「カプリッチョ」
「国際香りのばら新品種コンクール」第7回
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1902/

《大江太:大江卓の長男》【現代人名辞典】明治45年『土佐すくも人』第10号

《大江太:大江卓の長男》
【現代人名辞典】明治45年
『土佐すくも人』第10号

【現代人名辞典】明治45年
 明治45年6月27日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/1020
《大江 太》君  p284/1027
君は印刷業者なり、
高知縣士族
大江卓氏の長男にして、
明治二年を以て生る、
夙に木版術を研究し、
製版印刷の業を營む
(麻布區笄町九四)
(電話 芝四〇)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/284

【慶応義塾出身名流列伝】
《大江 太氏》 印刷業  p126/536
 東京市麻布區笄町九四
 (明治二年生)
大江太
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777715/126

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


『土佐すくも人』第10号(1993年版)<東京宿毛会>

[宿毛の大江卓]橋田庫欣 p39-66
 ―略―
今日は大江卓の直系の
ひ孫の方がお出で下さっています。
三人姉妹ですが、
真ん中の方は
文部大臣や衆議院議長をなさった
坂田道太さんの奥様で、
御夫妻で来てくれるはずでしたが
ヨーロッパへ行くことになりましたので来られません。
そのお姉さまとお妹様が来てくれていますので
御紹介いたします。 p39

〔大江卓の家系〕  p41
大江弘(明治三年改姓)⇒
大江卓⇒
大江太⇒
大江恒吉⇒
多慈子・
三知世(坂田道太夫人)・
幸子
〔大江卓の家系〕 

特に南嶺にはその塾で徹底的に漢学を習いました。
大江は後に
「酒井南嶺にいちばん可愛がってもらったのは
 わたしと小野梓だった」
といっています。
塾では漢詩についても特別な教育を受けました。
だから大江卓も小野梓も多くの漢詩を作っています。 p41

土佐宿毛人 第10号(1993年版)
平成5年10月22日発行
土佐すくも人発行所
東京都中野区野方1-56-2
三元社

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377314.html

[平野恵一]
2006/07/25
9 大江卓の人生
 ―略―
明治十一年、国事犯として盛岡に向かう折り、
福沢諭吉に養育を託した
長男・太は長じて印刷業を起こし、
恒吉という長男にその業を継がせる。
恒吉は二女をもうけた。 ※三女
その下の娘・三知世は、
熊本第二区選出で、厚生大臣、文部大臣、
防衛庁長官、衆議院議長を歴任した
坂田道太元議長の令夫人である。
坂田道太元議長は議員引退に当たって、
よくみられた世襲議員をつくらず、
政界美談として世間から賞賛され、
有終の美を飾ったことは記憶に新しいところであるが、
その姿と大江卓とが重なるように感じるのは、
私一人であろうか。(おわり)
 ―略―
http://hirakei.no-blog.jp/hirakei/2006/07/post_3c79.html

《大江卓書翰「大隈重信宛」》【大隈重信関係文書】第一~第二

《大江卓書翰「大隈重信宛」》
【大隈重信関係文書】第一~第二

【大隈重信関係文書. 第一】昭和7年10月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920421/291
 二四二 大江卓書翰「大隈重信宛」 p248-249/294
     明治五年二月二十八日
     ―略―
 二月廿八日 大江卓造(神奈川縣參事)
  大隈公隈下
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920421/248
 二九四 大江卓書翰「大隈重信宛」 p291/294
     明治五年
     ―略―
         卓(神奈川縣權令)
  大隈様
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920421/291

【大隈重信関係文書. 第二】昭和8年8月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920430/251
 三五八 大江卓書翰「大隈重信宛」 p112-113/254
     明治六年十月十七日
     ―略―
     第十月十七日夜 大江卓(神奈川縣令)
  大隈公閣下
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920430/112
 三六七 大江卓書翰「大隈重信宛」 p120-121/254
     明治六年十二月七日
     ―略―
     第十二月七日  大江卓 拜
  大隈公閣下
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920430/120
 三六八 大江卓書翰「大隈重信宛」 p121/254
     明治六年十二月十日
     ―略―
     第十二月十日  大江卓
  大隈公閣下
       御直展
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920430/121

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》 『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年

<留客斎日記>

1884(明治17)年9月      p506-507
5日 到東洋館処事。
   筆之骨。            ※之骨:「民法之骨」
   此日聞清仏又開講話之議。
   接大江暹之訃。         ※大江暹

6日 到東洋館処事。
   午後会大江之喪。        ※大江:大江暹
   元為望美塾同窓之友。     ※暹:大江暹:下記参照

7日 到東洋館処事。         p507
   午後訪大江卓弔其喪。      ※大江卓
   夜筆之骨。           ※之骨:「民法之骨」
   接稠松兄之書。         ※稠松:小野稠松(小野梓の兄)

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所


<暹元為望美塾同窓之友>  ※暹:大江暹

『酒井南嶺伝』 p81
[望美楼開塾]
 一 望美楼新築
 南嶺はここで塾生を教育した。
 塾生の名は大江卓の書簡によって知ることができる。
※大江暹の名は記載が無い。
1<暹元為望美塾同窓之友> 
『酒井南嶺伝』 p82
門弟中にては、
小生ならびに小野梓は最も信任を受けたり。
およそ門弟中にて小生程
先生の墨跡を所持いたし居る者は
これ有るまじく候。
もし御遺筆これ無く候わば、
一幅差し上げ候てもよろしく候。
慶應元年、大江卓十九歳、小野梓十四歳だった。
大江はよく愛されて
南嶺の書幅を多く頂戴したのであろう。
2<暹元為望美塾同窓之友> 
『酒井南嶺伝』昭和63年発行
昭和63年10月10日印刷
昭和63年10月21日発行
著 者 小山松勝一郎
    弘中敦子
発行所 東京宿毛会
    東京都中野区野方1-56-2
印刷・製本 誠宏印刷株式会社

《土佐宿毛の教育者 酒井南嶺》
『酒井南嶺伝』昭和63年発行
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377292.html



《大江暹:共存同衆:明治9年(1876)5月13日》『小野梓全集 第五巻』

《大江暹:共存同衆:明治9年(1876)5月13日》
『小野梓全集 第五巻』

『小野梓全集 第五巻』昭和57年
Ⅰ  共存同衆             p3
八 〔演説者・会頭・書記輪番決定公告〕 p23
   一昨十三日 第二土曜日
   習演の初会に於て、
   新定の条例に照し
   演説者・会頭幷に書記輪番の鬮(くじ)を引行ひ、
   左の通り一決せり。
   依て周(あまね)く之を衆中に布告す。
     五月

   演説者輪番 毎回四名宛 但し在外之衆員は数へず
第一回 矢島作良  広瀬進一  小野 梓  岩崎弥之助
第弐回 高原弘造  児玉淳一良 戸波親信  万里小路通房
第三回 大江 暹  内藤類二良 松平信正  青江 秀
第四回 谷口一蔵  鈴木福三  横尾平太  岩崎小二良
   (溪口一蔵)
第五回 福原芳山  大内青巒  吉井茂則  岩野基将
                     (石野基将)
   会頭輪番 順序如左
吉井茂則 大江 暹 高原弘造 岩崎小二良 万里小路通房
     ―略―
   書記輪番 毎回二名宛  p24
第一回 溪口一蔵 鈴木福三
第三回 青江 秀 岩崎弥之助
(ママ)
第三回 大江 暹 岩崎小二良
第四回 横尾平太 岩野基将(石野基将)
第五回 戸波親信 矢島作良
     ―略―
(赤松尚爾氏蔵 一八七六年五月一五日筆)
       ※明治9年(1876)5月15日

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

《大江暹:大蔵省》
【官員録】明治8年11月~明治10年6月
【英国会社類編】明治10年11月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377298.html

《小野梓:大江卓宛書翰:明治17年(1884)5月11日》
『小野梓全集 第五巻』
六〇 大江卓宛書翰「一八八四(明治一七)年」五月一一日 p277-278
   本月五日付之尊書に接候。 ※①
   爾来絶て欠起座候処幽窓御健全之旨何より大慶之事に存候。
   ―略―
   過日は御舎弟を以て
   該著之下巻指出候様被仰越、
   細仔拝承致候。
   ※御舎弟:大江暹
   ※該著:「国憲汎論」⇒上巻・中巻は贈呈済
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377307.html

《小野梓:大江卓宛書翰「解題」中村尚美》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377309.html

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377314.html

《小野梓:大江卓来訪・明治17年8月31日》『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:大江卓来訪・明治17年8月31日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年
<留客斎日記>
1884(明治17)年8月    p505

31日 到東洋館終日鞅掌。    p506
    大江卓来訪。        ※大江卓
    妹罹病。         ※錬:小野れん(小野梓の妹)
    医曰、或恐肺患也。
    急請池田来診。       ※池田:池田謙齋
    蓋以緒方不在京也。     ※緒方:緒方惟準
    池田来診曰、勿憂、非肺炎。 ※池田:池田謙齋
    心初安。
昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

※緒方:緒方惟準
 『小野梓全集 第五巻』「小野梓全集 別冊」
 人名索引〔日本人〕 緒方惟準(緒方、療医)⑤506等 p6

※池田:池田謙齋
 『小野梓全集 第五巻』「小野梓全集 別冊」
 人名索引〔日本人〕 池田 ⑤506等 p3
※小野安子(祖母)が、
 明治天皇の侍医の往診があったと話していた。小野一雄

《緒方惟準》
《池田謙齋》
【改正官員録. 明治17年上9月】
○陸軍省 永田町壹丁目壹番地 p63/260
○軍醫本部 p70/260
長  陸軍軍醫總監
   正五位 勳二等 《松本 順》 静岡
       牛込馬場下町三十五番地
次長 軍醫監 兼 薬剤監
   從五位 勳四等 《緒方惟準》 大阪
       猿楽町貳丁目五番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779336/70
同部 御用掛 一等侍醫 陸軍軍醫
   正五位 勳三等 《池田謙齋》 東京
   東京大學教授   駿河臺北甲賀町九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779336/71
○文部省 竹平町壹番地  p156/260
陸軍軍醫監 一等侍醫
   正五位 勳三等 《池田謙齋》 東京 p157/260
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779336/157
○東京大學  p159/260
 東京大學 總理心得勤務
   正五位     《池田謙齋》 長崎
            住所前ニ出
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779336/159
○宮内省 赤坂皇居内  p239/260
一等侍醫 陸軍軍醫監  p242/260
   正五位     《池田謙齋》 東京
            住所前ニ出
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779336/242

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大江卓=假出獄:明治17年8月15日横濱着》
【新聞集成明治編年史. 第五卷】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377306.html

《小野梓:林有造還京・明治17年8月21日》『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:林有造還京・明治17年8月21日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

小野梓全集 第五巻』昭和57年

<留客斎日記>
1884(明治17)年8月    p505
21日 熱又至。
    此日有報曰、
    林有造還京。            ※林有造
    乃訪之於通俊之寓、         ※通俊:岩村通俊
    与挙盞(さかずき)賀其無恙出獄。
    有造実為高知獄之首謀。       ※有造:林有造
    曏(さきに)与大江共囚於岩手之獄。 ※大江:大江卓
    至是天子詔減其罪、         ※天子:明治天皇
    仮許出獄。
    対話移漏。
    午夜還家。

30日 到東洋館処事。  p506
    午後訪有造、            ※有造:林有造
    談話移漏。
    夜初更還家。

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

《大江卓=假出獄:明治17年8月15日横濱着》
【新聞集成明治編年史. 第五卷】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377306.html

《小野梓:大江卓・明治17年8月16日午後》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377310.html

《小野梓:大江卓・明治17年8月16日午後》『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:大江卓・明治17年8月16日午後》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年
<留客斎日記>
1884(明治17)年8月    p505
16日 訪早稲田老話事。     ※早稲田老:大隈重信
    到東洋館処事。
    午後訪大江卓。      ※大江卓
    賀其仮出獄也。
    与高知之獄受罪於法庭、 ※卓:大江卓
    囚岩手之獄。
    頃日有命、
    允(ゆるす)其出獄。
    途上与岩小会、      ※岩小:岩崎小二郎
    且歩且話、
    約再会而去。
昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

《大江卓・明治17年8月29日?假出獄》
【大江卓君之略伝】明治23年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377305.html

《大江卓=假出獄:明治17年8月15日横濱着》
【新聞集成明治編年史. 第五卷】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377306.html

《小野梓:大江卓来訪・明治17年8月31日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377312.html

《小野梓:大江卓宛書翰「解題」中村尚美》『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:大江卓宛書翰「解題」中村尚美》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年
 書 翰  p197
六〇 大江卓宛書翰「一八八四(明治一七)年」五月一一日 p277-278
   本月五日付之尊書に接候。
   爾来絶て欠起座候処幽窓御健全之旨何より大慶之事に存候。
   ―略―  ※別稿に記載

「解 題」 中村尚美 p557
六〇 大江卓宛書翰「一八八四(明治一七)年」五月一一日 p633-634
同郷の先輩大江小野は『国憲汎論』中巻を贈った。
これにたいして大江から賞賛の挨拶があり、
さらに下巻の無心、
大江の「利己新説」執筆の参考書依頼、
『国憲汎論』にスペンサーの学説を引用しなかったことへの
批判などに答えた書翰である。
ときに大江は、
一八七七年(明治10年)八月の挙兵陰謀の罪によって逮捕され、
禁獄十年の判決をうけて
林有造らとともに岩手監獄に入獄中であった。
このとき、
小野大江らとの間に連絡係をつとめたのが
の弟のであった。
なお大江卓は八四年(明治17年)六月に仮出獄し、 ※明治17年(1884)6月
八五年(明治18年)八月に放免された。

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

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