2015年01月

[西崗子露店市場:阿片小賣所]【大連市に於ける…昭和10年7月調査】

[西崗子露店市場:阿片小賣所]
【大連市に於ける…昭和10年7月調査】

【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】
(三)西崗子露店市場        p53/70
  公共施設            p54/70
1 活動寫眞常設館 一棟
2 浴場      一棟
3 阿片小賣所   一棟
4 學房      一戸
5 醫院      一戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/54
[西崗市露店市場區劃圖(其の一)] p56/70
活動寫眞常設館
民衆浴場
阿片小賣所
料理店
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/56
[西崗市露店市場區劃圖(其の二)] p57/70
寄席1~4
露店市場醫院
露店市場學房
事務所
應接室
[西崗市露店市場區劃圖(其の三)] p57/70
木材市場
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/57
昭和十一年六月十八日印刷
昭和十一年六月二十二日發行
著作兼發行人 長永義正
       大連市敷島町八十二番地
印刷人    吾妻力松
       大連市東公園町三十一番地
印刷所    滿洲日日新聞社印刷所
       大連市東公園町三十一番地
發行所    大連商工會議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/68

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[關東廳措定 阿片 小賣人組合]【帝国商工信用録:昭和10年度版 [満洲版]】

[關東廳措定 阿片 小賣人組合]
【帝国商工信用録:昭和10年度版 [満洲版]】

【帝国商工信用録:分冊. 昭和10年度版 [満洲版]】
阿片       p19/235
關東廳措定
[阿片 小賣人組合]
    組合長  《藍 少齊》
    副組合長 《王 乃貞》
    副組合長 《林 壽先》
    大連市浪速町二ノ七〇
    特許 阿片小賣人組合
    設  大正十三年
    電  長三四八三
    銀双聚福錢莊
《宋 茂郷》 大連市平順街四二  營七七  ※營:営業税
《周 土元》 大連市番爐礁四區六 營一六一
《周 英甲》 大連市小平島五區五 營七〇
《趙 開國》 大連市平和街三〇  營一五四
《姜 連城》 大連市同仁街一〇  營一二九
《姜 成業》 大連市萬歳街九二  營七七
《李 君明》 大連市大龍街五七  營三二五
《李 初代》 大連市萬歳街一五七 營一八五
《呉 春霖》 大連市福德街三〇  營二七三
《鄭 雲富》 大連市東郷町六八  營八〇

《馬 子生》 大連市平和街四二  營四五
《程 義順》 大連市西崗街七九  營一四三
《薛 振祥》 大連市同仁街二   營二三八
《徐  海》 大連市萬歳街二五五 營一五四
《沈 万同》 大連市西崗街一六三 營一二九
《郭 秀峯》 大連市平和街二二  營一七五
《連  組》 大連市橋立町八   營二三一

《范 永才》 大連市得勝街六九  營四一三
《江 富堂》 大連市平和街五〇  營一七一
《于 光煒》 大連市大龍街九   營一一九
《趙 開甲》 大連市平和街三四  營二二四
《孫 震東》 大連市同仁街一二  營二〇六
《孫 聘二》 大連市得勝街二四  營一八五
《孫 仲三》 大連市元町一一七  營一一〇
《孫 竹淸》 大連市西崗街一〇三 營三一
《王 松泉》 大連市西崗街四三  營三二九

《太史圓五》 大連市萬歳街二二一 營一二二
《王 繼周》 大連市北大山通五  營四二
《王 友仁》 大連市王陽街一一二 營三〇八
《王 榮棠》 大連市監部通六九  營二一〇
《鹿 香亭》 大連市平和街四三  營三一八
《黄 姜氏》 大連市近江町一三四 營一一二
《孫 培椿》 大連市千代田町五  營一四〇
《趙 樹楷》 大連市松林町二九  營一四〇
《呂 徐氏》 大連市千代田町二二 營一〇八
《蘇 貴亭》 大連市敷島町一八  營一七五
《李 廷春》 大連市監部通五五  營二〇六
《高 振榮》 大連市東山町四ノ一 營一五四
《張 林■》 大連市奥町七五   營二一〇 ※■:金+金
《劉 詳致》 大連市對馬町五四  營一四三
《孫 德彰》 大連市浪速町一七  營二二四
《趙 永淸》 大連市常陸町五六  營一二六

《魏 長發》 大連市愛宕町一二  營一四〇
《寗 學堂》 大連市浪速町二八  營一七五
《王 乃貞》 大連市東郷町八二  營一七八
《孫 承文》 大連市伊勢町九八  營一六四
《張 愼菴》 大連市千代田町六  營二八三
《菫 德盛》 大連市浪速町五四  營五四
《王 宣三》 大連市東郷町八四  營二五九
《張  氏》 大連市浪速町一八  營一八五
《呉 趙氏》 大連市奥町四〇   營一九九
《裴 文化》 大連市千代田町六  營二一七
《畢 春浦》 大連市東郷町九四  營二一三
《林 壽先》 大連市監部通九一  營一一六九
《周 維璞》 大連市愛宕町一四  營三五五
《崔 豁亭》 大連市奉公街六六  營二八三
《藍 少齊》 大連市福德街四   營四〇二
《勝 連喜》 大連市若狹町八九  營一二九
《趙 得■》 大連市千代田町二九 營一三三 ※■:王+義
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106469/19
昭和九年十二月二十日印刷
昭和十年 一月 一日發行
帝國商工信用錄
 分冊 定價 金 六圓
編輯兼發行者 藤江福吉
       大阪市北區東野田町六丁目四五
印刷者    八尋甲太郎
       福岡市東警固町切通シ
印刷所    帝國商工會印刷部
       福岡市東警固町切通シ
發行所    帝國商工會
       大阪市北區東野田町六丁目四五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106469/234

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[大連市連鎖商店街各業種配置圖]【大連市に於ける…昭和10年7月調査】

[大連市連鎖商店街各業種配置圖]
【大連市に於ける…昭和10年7月調査】

【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】
[連鎖商店街營業種類別]      p51/70
時計・貴金屬・寫眞機・眼鏡類販売 p52/70
時計店 二 寫眞機店 二 眼鏡店 一 寶石店 一
寫眞店 三
[連鎖商店街各業種配置圖]    p52/70
※詳細図:印刷不鮮明
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/52
昭和十一年六月十八日印刷
昭和十一年六月二十二日發行
著作兼發行人 長永義正
       大連市敷島町八十二番地
印刷人    吾妻力松
       大連市東公園町三十一番地
印刷所    滿洲日日新聞社印刷所
       大連市東公園町三十一番地
發行所    大連商工會議所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114191/68

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月30日(金)
《三船德造:寫眞撮影:大連市》
【帝国商工信用録:分冊. 昭和10年度版 [満洲版]】
◎寫眞撮影            p15-16/235
《三船德造》 大連市連鎖街銀座通 p16/235
       營 一九 ※營:営業税
《樋口忠七》 大連市連鎖街常盤町通
       營 三八
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660125.html

《三船德造:寫眞撮影:大連市》【帝国商工信用録:昭和10年度版 [満洲版]】

《三船德造:寫眞撮影:大連市》
【帝国商工信用録:分冊. 昭和10年度版 [満洲版]】

【帝国商工信用録:分冊. 昭和10年度版 [満洲版]】
◎寫眞機・材料フイルム      p15/235
《樋口忠七》 大連市連鎖街常盤町通
       營 五〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106469/15
◎寫眞撮影           p15-16/235
《三船德造》 大連市連鎖街銀座通 p16/235
       營 一九 ※營:営業税
《樋口忠七》 大連市連鎖街常盤町通
       營 三八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106469/16
昭和九年十二月二十日印刷
昭和十年 一月 一日發行
帝國商工信用錄
 分冊 定價 金 六圓
編輯兼發行者 藤江福吉
       大阪市北區東野田町六丁目四五
印刷者    八尋甲太郎
       福岡市東警固町切通シ
印刷所    帝國商工會印刷部
       福岡市東警固町切通シ
發行所    帝國商工會
       大阪市北區東野田町六丁目四五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106469/234

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[倉敷舊券番][倉敷同盟券番]【倉敷興信録】大正8年

[倉敷舊券番][倉敷同盟券番]【倉敷興信録】大正8年

【倉敷興信録】大正8年9月26日発行
[株式會社 倉敷舊券番] p101/105
倉敷榮町にある舊券番は
大正七年五月一日
資本金壹萬圓を以て起り

專務取締役を岩井久藏、
取締役を吉田槌太郎、松尾龜吉、
監査役を加藤辰五郎、三宅竹松の諸氏と為し

常務幹事としては重に中野操太郎君執務し
事務主任として藤原淸次郎君を以て宛て
漸次發展を遂げ

今春從來の旭町より
榮町に移轉せるものなるが、

現在の藝妓は、
小種、政次、小勝、やんちやとん子、
於榮、於多福、 ※於:変体仮名
よし彌、愛香、照葉、
笑代、玉彌、桃太郎、勝璋、かほる、
金彌、小奴、染次、
等其他數名にして

殆んど六時以降は箱切の如き盛况を示し居れり
是一は倉敷町の發展を示すものにして
花柳界の盛衰も亦一笑事に看過し可らざるなり。

[株式會社 倉敷同盟券番] p101/105
倉敷榮町にある俗に新券番と稱する
株式會社倉敷同盟券番は
大正六年一月の創立に係り

重役は木村米吉、佐々木源太郎、
松尾宇八、福森正太郎の四名にして

藝妓は取締格玉吉を初めとし
小萬、壽美惠、力彌、蔦吉、
二葉、小三、ぼたん、つぼみ、
金八、長吉、笑、小そめ、
新駒、一鶴、〆子、八千代、
玉奴、千代丸、豆蝶、
等其他數名の美形揃ひにして
殆んど夜毎日毎に箱切の盛况を呈し

舊券番と何れ劣らぬ繁昌を來し居れるが
近々資本金を增加し更に發展すべき計畫なれば

過般の雇仲居券番の創立と共に
倉敷花柳界は益々擴張を來すべきもの也。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910561/101
大正八年九月十五日印刷
大正八年九月廿六日發行
定價 金 五圓也
著作兼發行人 梶谷福一
       岡山縣都窪郡倉敷町貮百七拾番地
印刷人    平松 博
       岡山縣都窪郡倉敷町貮百七拾番地
印刷所    倉敷印刷合資會社
       岡山縣都窪郡倉敷町貮百七拾番地
發行所    中國評論社
       岡山縣都窪郡倉敷町貮百七拾番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910561/102

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『京丹波 味夢の里』[ROOF GATE株式会社]平成25年6月19日から

『京丹波 味夢の里』
[ROOF GATE株式会社]平成25年6月19日から

『京丹波 味夢の里』維持管理・運営業務委託契約
契 約 期 間  平成25年6月19日から
       平成42年3月31日まで
契約の相手方 ROOF GATE株式会社

[京丹波町議会議員 山崎裕二 議員活動誌 ブログ版]
『京都縦貫道 全線開通延期』
 ―略―
京丹波町は全線開通と同時に
道の駅「京丹波 味夢の里」のオープンを予定していた。
町長は「オープンが遅れれば運営する事業者への引き渡しも延びる。
その間は町が直営することになるので、新たな予算が必要になる」と懸念。
 ―略―
引き渡しが延びたら 町直営という話やそれにともない、
新たな予算が必要との懸念らしいですが、寝耳に水の心境です。
この点からも困惑しています。
http://blog.goo.ne.jp/yamasaki-kyotambachougi/e/123dbcdf3f8a3f03897896ed76561ff9

『京丹波町』
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業の落札結果について
[最終更新日:2013年3月29日]
落札結果を公表します。
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=2060
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業の落札結果について
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2060/rakusatsukekka.pdf

『京丹波町』
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業の事業者選定結果について
[最終更新日:2013年4月10日]
事業者選定結果を公表します。
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=2079
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業
事業者選定結果
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2079/senteikekka.pdf
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業
審査講評
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2079/sinsakouhyou.pdf

『京丹波町』
(仮称)ハイウェイテラス・京たんば整備事業に係る契約の締結について
[最終更新日:2013年6月20日]
事業者と契約を締結しました。
 京丹波町では、丹波PA(仮称)と一体的な地域振興拠点として
「(仮称)ハイウェイテラス・京たんば」整備事業を進めており、
地域振興施設の設計、建設および維持管理・運営については、
民間事業者に一括して発注するDBO方式により実施します。
この度、事業を実施する民間事業者と
京丹波町地域振興拠点施設整備事業に係る
契約を締結しましたので、公表します。
契約の締結について
pdf 契約内容 (ファイル名:keiyaku.pdf サイズ:84.01 KB)
京丹波町地域振興拠点施設整備事業に係る契約の締結について
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=2231

[京丹波町地域振興拠点施設整備事業に係る契約の締結について]
平成25年6月19日
京 丹 波 町
平成25年6月19日付けで、下記のとおり契約を締結しました。
1 基本契約
有 効 期 間 平成25年6月19日から平成42年3月31日まで
契約の相手方
サンダイコー株式会社
株式会社高松伸建築設計事務所
吉村建設工業株式会社
株式会社村井建設
近代ビル管理株式会社 京都支社
溝口建設株式会社
ROOF GATE株式会社

2 設計建設工事請負契約
履 行 期 間 平成25年6月19日から平成27年3月31日まで
契 約 金 額 784,350,000円
契約の相手方
吉村・村井・高松伸特定設計建設工事共同企業体
代表者   吉村建設工業株式会社
代表取締役 吉村 良一

3 維持管理・運営業務委託契約
契 約 期 間  平成25年6月19日から平成42年3月31日まで
契約の相手方 ROOF GATE株式会社

http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2231/keiyaku.pdf

『京丹波町』
「道の駅」の名称決定について
[最終更新日:2014年3月19日]
「道の駅」の名称を
『京丹波 味夢の里』(きょうたんば あじむのさと)に決定しました。
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=2487

[一般国道478号京都縦貫自動車道における]
[道の駅「京丹波 味夢の里」の整備について]
《原田 聡》
 京丹波町 土木建築課 開発プロジェクト推進室
(〒622-0292京都府船井郡京丹波町蒲生八ツ谷62番地6)
 ―略―
〔DBO方式〕 リスク 各契約書の定めた分担に基づく p3/6
〔工事完了、引き渡し〕
 建設工事完了後に町による完成検査を実施し、
 検査合格後、町に引き渡す。

http://www.kkr.mlit.go.jp/plan/happyou/thesises/2014/pdf01/09.pdf

[厚生省:引揚援護庁]【官公庁職員抄録. [昭和27年11月20日編]】

[厚生省:引揚援護庁]【官公庁職員抄録. [昭和27年11月20日編]】

【官公庁職員抄録. [昭和27年11月20日編]】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351262/2
[厚生省] p15/31
 千代田区霞ヶ関二丁目
 銀座(57)五七〇一~九
大臣           山縣勝見
政務次官         越智 茂
事務次官         宮崎太一
秘書官          福岡勝郎
◎引揚援護庁
 千代田区霞ヶ関二丁目
 銀座(57)五七〇一~九
長官           木村忠二郎
次長           田邊繁雄
●長官官房
総務課長         畠中順一
●援護局
局長 事務取扱      田邊繁雄
 引揚課長        山本淺太郎
 援護課長        大崎 康
 整理第一課長(兼)    田中義男
 整理第二課長(兼)    村岡達志
 審査第一課長(兼)    山田義次
 審査第二課長(兼)    武富重文
 審査第三課長(兼)    小林哲二郎
 審査第四課長(兼)    森下陸一
 審査第五課長(兼)    井上義弘
●復員局
局長 事務取扱      田邊繁雄
 庶務課長        松浦 淸
復員業務部長 事務取扱  美山要藏
 復員課長        板垣 徹
 業務課長        井上義弘
 復員相談所長      白井正辰
経理部長         白井 勳
 資料整理課長 事務取扱 服部卓四郎
 法務調査課長      井上忠男
 整理課長        田中義男
 審査第一課長      山田義次
 審査第二課長      武富重文
 審査第三課長      小林哲二郎
第二復員局 残務処理部長 初見盈五郎
 庶務課長 事務取扱   初見盈五郎
 復員業務課長      中島親孝
 審査課長        森下陸一
 経理課長        村岡達志
 資料課長        永石正孝
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351262/15

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[朝鮮への救済計画完了]【アンラ. 1947年】外務省總務局経済課

[朝鮮への救済計画完了]【アンラ. 1947年】外務省總務局経済課

【アンラ. 1947年】昭和22年
アンラ(一九四七年) p1/59
外務省總務局経済課
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272598/1
(七)朝鮮      p56/59
[朝鮮への救済計画完了]
在京城アンラ代表
アリユター・マクドナードは
四七年七月三十日  ※昭和22年(1947)7月30日
朝鮮援助のための小規模の
アンラ緊急計画が完了したと
次のように発表した。

朝鮮は経済状態を改善するため
約百万ドルの供給を受けた。

朝鮮は戦禍がすくなかつたから
他國にくらべて援助額はすくなかつた。

なお朝鮮は米國陸軍省より
南鮮救済復興のため
九千百万ドル以上の物資を直接に供給された。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272598/56

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『翻訳練習帳 「解放日記」を読む』
[解放日記] 1946年 8月 22日
米軍「借款」が嬉しくて小躍りする李承晩
http://acrossthetext.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

[Wikipedia]
[連合国救済復興機関]
連合国救済復興機関
(れんごうこくきゅうさいふっこうきかん、
United Nations Relief and Rehabilitation Administration)とは、
第二次世界大戦中に枢軸国による侵略を受けた
諸国に対する救済援助を目的として、
1943年に設立された機関である。
略称はUNRRA(アンラ)。
加盟国は約37億ドルを活動資金として負担し、
その7割以上をアメリカ合衆国が拠出したが、
援助物資の横領や贈収賄が横行して批判を浴びた。
また、東欧諸国への援助が多く実施されたことに
米国が反対したことから、
1947年に大半の活動を終了した。
以後、救済復興事業は国際難民機関 (IRO) 、
食糧農業機関 (FAO) 、国際児童緊急基金 (UNICEF) などの
国連機関に継承された。
 ―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E6%95%91%E6%B8%88%E5%BE%A9%E8%88%88%E6%A9%9F%E9%96%A2

《馬 和》【支那年鑑. 第2囘】大正6年【現代国際人名辞典】昭和12年

《馬 和》(字 君武)
【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《馬君武》(名は和)
【現代国際人名辞典】昭和12年

[京都帝國大學 理工科大學 入学 明治36年]
【京都帝国大学一覧】

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《馬 和》(メ ワ)[Ma He] p539-540/593
字 君武
年齢 三十六
廣西省 桂林人(現住 上海)

光緒二十七年(明治三十四年:1901)
日本ニ留學シ、

京都帝國大學工科ニ入學卒業ス
次テ獨逸ニ留學スルコト五年
工學博士ノ學位ヲ得テ歸國ス、

第一革命ニ際
廣西省代表トシテ南京ニ來リ努力スル所アリ、
次テ南北統一スルヤ參議院議員トシテ
國民黨議員ノ重鎭タリキ、

民國二年春 ※中華民国2年:大正2年(1913)
孫文の正式ニ日本訪問ノ際隨行シ、
當時熱心ニ日支産業同盟ヲ提唱セシモ、
第二革命起ルニ及ヒ
郷里廣西ニ至リ事ヲ起サントセシモ果サス、

香港ヨリ日本ニ亡命シ、
更ニ獨逸ニ至リ居ルコト三年
民國五年五月中旬 ※中華民国5年:大正5年(1916)
伯林(ベルリン)ヲ發シ
丁抹(デンマーク)ヨリ米國ニ至リ、
日本ヲ經テ
黄興ト共ニ歸國セリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/539
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

【現代国際人名辞典】昭和12年5月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114985/214
《馬君武》(名は和)[Ma Chun-wu] 名[Ho] p30/217
廣西大學校長、
廣東省桂林人、
一八八一年生、 ※明治14年(1881)
京都帝大工科卒業後
獨逸に留學工學博士を得。
孫文に從つて北上し
北京工業大學校長となり
次いで司法總長、敎育總長等に擧げられたが
一九三〇年以來 ※昭和5年(1930)
廣西大學校長たり、
各方面の著書多し。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114985/30

《馬 和》 京都帝國大學 理工科大學
      入学 明治36年
      卒業 記載なし
【京都帝国大学一覧. 明治37-38年】
 第五 理工科大學學生 p38/163
理工科大學 學生姓名  p45/163
 外國學生
三十六年入學
《馬 和》 淸國
三十七年入學
《アンビカ、チヤラン》 印度
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812692/45

【京都帝国大学一覧. 明治38-39年】
 第五 理工科大學學生 p40/175
理工科大學 學生姓名  p49/175
 外國學生
三十六年入學
《馬 和》 淸國
三十七年入學
《アンビカ、チヤラン》 印度
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812693/49

【京都帝国大学一覧. 明治39-40年】
 第六 理工科大學學生  p50/206
理工科大學 學生姓名   p59/206
 外國學生
三十七年入學
《アンビカ、チヤラン》  印度
三十九年入學
《ゼー、ピー、サバント》 印度
《ブイ、ゼー、ゴーガン》 印度
《ピー、シー、ボース》  印度
 第四章 各分科大學卒業 p59/206
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812694/59
 工學士 p68-78/206
《馬 和》 記載なし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812694/78

【京都帝国大学一覧. 明治40-41年】
理工科大學 學生姓名   p157/226
 外國學生
《ゼー、ビー、サパント》 印度
《ブイ、ゼー、ゴーカン》 印度
《ピー、シー、ボース》  印度
四十年入學
《嚴 恩機》 淸國
《張 景光》 淸國
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812695/157
 第十四章 各分科大學卒業 p158/226
 工學士          p171-183/226
 外國人          p183/226
明治四十年七月卒業
《アンビカ、チヤラン》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812695/183

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《朱 熙》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《朱 熙》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《朱 熙》(シユ キ)
[Chu His] p563/593
字 琛甫(漢人)
年齢 三十七
湖南省人(現 蘇州)

陸軍敎育ヲ日本ニ受ケ
日本語ニ通ス

歸國後
前四十五標敎練官トナリ、
轉シテ四十五標營管トナリ
蘇州獨立ヲ宣布スルヤ、
四十五標々統
「劉之潔」ノ後任トシテ標統トナリ、
「程」前都督ニ從ヒ南京攻撃ノ任ニ當リ、
頗ル勳功ヲ顯ハシタリ、

其後協統トナリ
壽州ニ駐屯セシカ
歸蘇
第三師師長ニ昇進シ陸軍中將トナリ、
帝制發生ノ際ハ男爵ヲ授ケラレ、
大正五年(1916)四月
江蔭呉江
相繼テ獨立シ
蘇州モ亦不穏ノ狀ヲ呈シ、
先ノ「段」道尹兼鎭守使
當地ヲ去リタルハ
蘇常鎭守使ヲ兼任スルニ至レリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/563
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月18日(日)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第七期:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第七期 五十五名           p702-703/740
 (明治四十一年十二月 光緒三十四年
 ※明治41年=光緒34年(1908)
歩兵科
命令退學 湖南常德府  《朱  凞》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524014.html

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