2015年05月

《山内卓郎》[東洋産業株式會社 社長]【名古屋工場要覧. 昭和17年度版】

《山内卓郎》
[東洋産業株式會社 社長]
 名古屋市中區廣小路通二丁目十一番地
【名古屋工場要覧. 昭和17年度版】

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年05月23日(土)
[報道戰士も九段へ]
【新聞の話】朝日新聞 中部本社:昭和16年
昭和十六年十月八日印刷 発行
「新聞の話」[非賣品]
編輯 印刷 発行人  山川宗一
發行所   朝日新聞 中部本社
      名古屋市中區廣小路通二丁目十一番地
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660371.html

《山内卓郎》[東洋産業株式會社 社長]

【名古屋工場要覧. 昭和17年度版】
東洋産業株式會社 p10/79
社長 山内卓郎
セメント、鑛業、海運
本社    名古屋市中區廣小路通二丁目十一番地
      電話 代表 本局②五一四一番
東京事務所 東京市京橋區銀座西三丁目一番地
      電話 京橋(65)三六一〇番
仝分室   東京市日本橋區茅場町二丁目十三番地 塚本ビル
      電話 茅場(66)一四四三番
支店出張所 台北、高尾、那覇
工場    愛知縣渥美郡田原
      愛知縣碧海郡高濱
鑛業所   沖縄縣八重山郡西表島
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052261/10

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 下】
 昭和14年10月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072991/1108
《山内卓郎》 p953/1113
三河セメント(株)社長
東海セメント(株)社長
東海商事(株)社長
東海石油(株)社長
南海汽船(株)社長
立山鑛業(株)社長
昭和礦業(株)社長
南海炭礦(株)社長
山田屋本店(株)社長
愛知縣在籍
 妻 まき 明治三八年一二月生
      愛知 小島和四郎 二女
      椙山高女 出身
山内家は四代 百年の間
代々 醤油醸造を營む
先代 山内元平は本業の傍ら
三河セメント會社社長たり
氏は其長男にして
明治三十一年四月出生
昭和四年 家督を相續す
曾て 慶應義塾理財科に學び
昭和四年
三河セメント會社 專務取締役となり
昭和八年 社長となる
昭和九年 同社の增資を斷行し
昭和十年 東海セメント・昭和礦業
昭和十一年 南海炭礦 各會社を創立し
現時 前記 諸會社の社長たり
趣味 運動・音樂
宗敎 眞宗大谷派
家族 尚ほ 二女 ルリ子(昭和九年八月生)あり
所税 一三一三二
名古屋市東區白壁町二ノ一一
電話 東 三二二七
參照 小島和四郎の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072991/953

【人事興信録. 第13版 下】昭和16年10月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127104/994
《山内卓郎》 p827/1002
 ―略―
昭和四年
三河セメント會社 專務取締役となり
昭和八年 社長となり
昭和十五年五月
東洋産業會社と改稱す
 ―略―
東京市澁谷區南平臺町五一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127104/827

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『◇竹富補足』
以下は『西表炭坑概史』より、
西表西部の炭礦の歴史を抜萃・改変したもの。
昭和11年 名古屋の資産家・山内卓郎、南海炭鉱を設立。採掘開始
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/47.Okinawa/Taketomi_@coal%20mine.html


《山内卓郎》
参議院議員選挙結果(第17回以前) 愛知
第1回(1947年4月)
当選 竹中 七郎  52 無所属 新  102023 (1)
当選 山田 佐一  61 自由  新  92543 (1)
当選 山内 卓郎  49 無所属 新  88558 (1)
補当 佐伯 卯四郎 56 無所属 新  87872 (1)
補当 草葉 隆円  52 自由  新  87356 (1)
補当 栗山 良夫  38 無所属 新  83742 (1)
 ―略―
http://politics.free-active.com/document/hoc/hoc43/hoc4323.htm

[パル判事:勧告:起訴事実⇒無実・免除]【極東国際軍事裁判所判決】

[パル判事:勧告:起訴事実⇒無実・免除]
【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第1023頁-1219頁)】

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第1023頁-1219頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711563/5
    第七部  p186/198
 勸告 [E-1226]
以上述べてきた理由に基いて、
本官は、各被告はすべて
起訴狀中の各起訴事實全部につき
無罪と決定されなければならず、

またこれらの起訴事實の全部から
免除されるべきであると
強く主張しようとするものである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711563/186
[E-1235]
『時が、熱狂と、偏見をやわらげた曉には、  p195/198
 また理性が、虚偽からその假面を剥ぎとつた曉には、
 そのときこそ、
 正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
 過去の賞罰の多くに、
 その所を變えることを要求するであらう。』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711563/195

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[戦闘命令第一号:昭和16年11月28日][合衆国海軍中将 W・F・ハルゼ-]

[戦闘命令第一号:昭和16年11月28日]
[合衆国海軍中将 W・F・ハルゼ-]

U・S・S
合衆国軍艦エンタ-プライズ
洋上にて
一九四一年十一月二十八日 ※昭和16年(1941)11月28日

戦闘命令第一号
一 「エンタ-プライズ」は現在、戦争条件下で行動中である。
二 昼夜を問わず、いかなる時でも、
  我々は即時戦闘に対して準備を整えなければならない。
三 敵性潜水艦と遭遇するかも知れない。
四 戦闘配備で立直時、特別警戒と見張りについている、
  あらゆる士官および乗組員の重要性が
  総員によって十分認識されなければならない。
五 とくに見張り員、砲塔に配備中の者および甲板立直の者全員にとって、
  指定された任務を迅速に遂行する上でのたった一人の失敗が、
  多数の人命の損失さらには艦の損失を招くかも知れない。
六 艦長は、起こり得るあらゆる緊急事態に、
  総員が十分に対応してくれるものと確信している。
七 試練の場におかれた時、
  総員は冷静さを保持し、落ち着き、
  かつ「戦う」ことは、我が海軍の良き伝統の一部である。
八 いまや断固とした精神と勇気が必要とされる。

  艦長 合衆国海軍大佐
     G・D・マ-リ
承認・一九四一年十一月二十八日
航空戦闘部隊司令官
合衆国海軍中将 W・F・ハルゼ-

『キル・ジャップス!』(ブル・ハルゼ-提督の太平洋海戦史)
 E・B・ポッタ-著 秋山信雄 訳
 一九九一年九月二十三日発行 光人社
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[ハル国務長官の覚書]【極東国際軍事裁判所判決. 印度代表パル判事判決書】

ハル国務長官の覚書
極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第819頁-1022頁)】

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第819頁-1022頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711550/5

現代の歷史家でさえも p145/216 [E-963][E-964]
次のように考えることができたのである。
すなわち
『今次の戰爭について言えば
 眞珠灣攻撃の直前に
 米國々務省が日本政府に送つたものと
 同じような通牒を受取つた場合、
 モナコ王國やルクセンブルグ大公國でさえも
 合衆國に對して
 戈をとつて起ち上つたであらう。』 ※戈:原本〔才〕

現代の米國歷史家は次のように述べている。
すなわち
『…………、日本の歷史、制度と日本人の心理について
 なんら深い知識を持たなくても
 一九四一年(※昭和16年)十一月二十六日の覺書について
 他の二つの結論を下すことができた。

 第一に日本の内閣は、たとい
 「自由主義的」な内閣であらうと、
 また
 「反動的」なそれであらうと、
 内閣の卽時倒壊の危險もしくは
 それ以上の危險を冒すことなしには、
 その覺書の規定するところを交渉妥結の基礎として
 受諾することはできなかつたであらう。

 第二に米國々務省の高官、
 特に極東問題擔當の部局の高官は
 すべて右の覺書が作製されている時に、
 日本政府が「太平洋の平和維持を目的」とする
 會談再開のプログラムとしては、
 この覺書をとうてい受諾しないであらうということを
 感知していたに相違ないのである。

 同時にまた
 ローズヴエルト大統領ハル國務長官
 東京(の日本政府)はこの覺書の條項を受諾するだらうとか、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711550/145
 またこの文書を日本に交付することが
 戰爭の序幕になることはあるまいと
 一九四一年(※昭和16年)十一月二十六日(の遅きに至つて)
 考えるほど
 日本の事情にうとかつたとは
 とうてい考えられないことである。』

ローズヴエルト大統領とハル國務長官は
右の覺書に含まれた提案を
日本側が受諾しないものと思ひこんでいたので、
日本側の回答を待つことなく
右の文書が日本側代表に手交された
その翌日
米國の前哨地帯の諸指揮官に對して
戰爭の警告を發することを
認可したのであつた。  ※別稿に記載

ロバート報告書は、
米國前哨指揮官らが
十一月二十七日には
すでに開戰の日が迫つているとの
警告を入手していたと明言している。

このハル覺書を吟味すると同文書は
「暫定的取極」の日本の提案を
絶對的に拒否していることがわかる。

右の覺書は、
米國がかような「暫定的取極」に到達するための方法として、
多年外交上認められている方法に從うことを
敢えて選ばなかつたことを明らかにしている。

右文書は爭點を第一義的な、
そして不可欠の條項に限定していなかつた。

それは覺書の内容を決定するにあたつて、
その當時より少し前に行われた
日本軍の南進行動に
その主眼をおこうとはしなかつた。

この南進については、
それが南方地域の英國及びオランダ兩國の屬領並びに
ヒリツピンに脅威を與えたと言うことができたであらう。

それは日本が軍隊を南方から撤退させることによつて
先に述べた脅威の原因を除く用意のあることを
すでに申し入れていた點を無視していたのである。

合衆國政府が日本に對して   [E-965]
戰爭の威嚇を匂わせることにより、
また戰爭に導く危險のあるものとして
米國當局によくわかつていたところの
經濟的壓迫を加えることによつて、

これほど徹底した全面的な
日本軍の中國撤退を要求したことは、
右覺書以前の日米交渉の全期間を通じて
一度もなかつた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711550/146

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


【極東国際軍事裁判所判決. 印度代表パル判事判決書】〔第1冊-第13冊〕

【極東国際軍事裁判所判決. 印度代表パル判事判決書】
〔第1冊-第13冊〕(第1頁-1219頁)

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第1頁-338頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711506/5

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第339頁-572頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711521/5

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第573頁-818頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711538/5

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第819頁-1022頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711550/5

【極東国際軍事裁判所判決. 〔第1冊-第13冊〕
印度代表パル判事判決書(第1023頁-1219頁)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711563/5

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[Wikipedia]
[ラダ・ビノード・パール]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

《下村宏》[昭和16年11月26日のハル・ノート]【決戦期の日本】昭和19年

下村宏
[昭和16年11月26日のハル・ノート]
【決戦期の日本】昭和19年

【決戦期の日本】昭和19年
[十一月二十六日のハル・ノート]  p15-16/91

昭和十六年の十一月二十六日、
アメリカ政府より「ハル・ノート」が渡された。

その要旨は、
日本は重慶の政權を認めて、
これに對抗するものに手を出すな、
いはば南京政府を、
經濟的にも政治的にも軍事的にも
これを支援することを止めてしまへ、

また、
これから太平洋その他で
アメリカがドイツその他と戰を交へても、
お前は手を出すな、

言葉を換へれば
日獨伊の樞軸同盟條約は破つてしまへ、

さらに民國その他へ派遣してある
軍隊は撤兵せよといふ、

萬人ともにうなづけない、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/15
全然出來ない相談、

いはば最後の通牒を寄越し、
それで嫌なら戰をするか、

すれば一息に潰してしまふ、
お前を抹殺してしまふといふ
「ハル・ノート」を差しつけたのである。

アメリカはじりじりと
經濟的にわれらの首をしめつづけた。

年額二百五、六十萬トンに上つた
屑鐡の輸出を禁止した。

工作機械もニツケルも
航空揮發油も銅も、
つぎつぎに禁輸した。

つひに
十六年の七月には
資金凍結により全面的禁輸を斷行し、
我國の軍需資材のますます
窮迫すべきにつけ込み、
次第に無理難題を吹きかけ、
つひに
十一月の
「ハル・ノート」を差しつけた。

さすがに、
アメリカの有識階級も後日になつて、
この「ハル・ノート」を知り、
これでは日本のハワイ空襲を責めることは
できないといふのであつた。

かくの如くにして
相次ぐ經濟斷交以來、
隱忍に隱忍を重ねし日本帝國も、
つひに已むなく起つこととなつたのは、
宣戰の大詔を拜察しても明白である。

 1 ハル・ノートの内容 p16/91
   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/16
  著者紹介  p89/91
 下村 宏 氏
海南と號す。
和歌山市出身、
明治三十一年 東大法科卒、法學博士、
元貯金局長、台灣總督府民政長官、
朝日新聞副社長たり。
現在
貴族院議員、
大政翼賛會總務、
翼賛政治會總務、
日本放送協會會長。
著書 六十餘部あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/89
日本出版會 承認番號う一八〇〇三五
(五〇〇〇部)
昭和十九年九月十五日初版印刷
昭和十九年九月二十日初版發行
定價 停   一圓 二十錢
特別行爲税相當額   六錢
合計(賣價) 一圓二十六錢
著者  下村 宏
發行者 山本地榮
    朝日新聞社
    東京都麹町區有樂町二丁目三番地
印刷者 長谷川隆士
    帝都印刷株式會社
    東京都板橋區板橋町三ノ六四番地
發行所 朝日新聞社
    東京都麹町區有樂町二丁目三番地
    日本出版會會員番號一〇一五〇三番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京都神田區淡路町二丁目九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/90

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[Wikipedia]
[ハル・ノート]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88

[Wikipedia]
[ラダ・ビノード・パール]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

《下村宏》[昭和19年2月:下村海南 識]【決戦期の日本】昭和19年

下村宏
[昭和19年2月:下村海南 識]
【決戦期の日本】昭和19年

【決戦期の日本】昭和19年
     序       p4-5/91
大東亞戰は決戰段階に入つた。
五百億圓を超ゆる未宗曾有の大豫算は、
十九年春の帝國議會に提案せられ、
衆議院を通過して
二月七日貴族院の議事日程に上るや、
私は原案に對して賛成演説を述べることとなつた。

本書の主文はその演説の要旨であるが、
論旨は單純なる豫算の賛成演説でない。

今や帝國興亡の岐るゝ大東亞戰、
東亞十億の民族を鐡鎖より斷ちきりて
解放せらるべき大東亞戰、
更に全世界を通じて
眞の平和を確保すべき大東亞戰に對し、
世間の認識は未だ徹底してゐない。

我等日本國民といはず、
大東亞の民族は、
更に更に力のかぎりを盡すべきである。

歐洲の現況にひきくらべても、
私は不平や愚痴どころか、
ただただ感謝感激あるばかりである。

從つてこの機會に、
大東亞戰勃發に至りし根本理念を述べ、
議會を通じて、
一億國民はもとより、
東亞十億の民族へ、
更に全世界の大衆へうつたへたのであつた。

私は當時
屡々この演説を廣く
世上に流布すべしとの勸告をうけたが、
しかし、
その内容はあまりにも廣きにすぎ、
しかも、
わづか三十五分間の演説に切りつめたのであるから、
このまゝでは簡に失しすぎる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/4
爲にその論旨を的確に立證すべく、
身邊多事の際、
不十分ながら數字と事實を列擧し、
それぞれ注釋を添へて
この一篇にまとめあげたのである。

されども紙數に限りあり、
わが力足らず、
資料とても全きを保しかねる。

しかも、
世界の形勢は時時刻刻に變轉して
止まるところを知らない。

立論の根柢には少しの動きもないが、
本書は昭和十九年二月末日に
筆を止めしものとして看過されたい。
 昭和十九年二月
         下村海南 識
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/5
  著者紹介  p89/91
 下村 宏 氏
海南と號す。
和歌山市出身、
明治三十一年 東大法科卒、法學博士、
元貯金局長、台灣總督府民政長官、
朝日新聞副社長たり。
現在
貴族院議員、
大政翼賛會總務、
翼賛政治會總務、
日本放送協會會長。
著書 六十餘部あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/89
日本出版會 承認番號う一八〇〇三五
(五〇〇〇部)
昭和十九年九月十五日初版印刷
昭和十九年九月二十日初版發行
定價 停   一圓 二十錢
特別行爲税相當額   六錢
合計(賣價) 一圓二十六錢
著者  下村 宏
發行者 山本地榮
    朝日新聞社
    東京都麹町區有樂町二丁目三番地
印刷者 長谷川隆士
    帝都印刷株式會社
    東京都板橋區板橋町三ノ六四番地
發行所 朝日新聞社
    東京都麹町區有樂町二丁目三番地
    日本出版會會員番號一〇一五〇三番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京都神田區淡路町二丁目九番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271039/90

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《信夫韓一郎》[名古屋支社:整理部次長]【朝日新聞社社員写真帖】昭和4年・9年・14年

信夫韓一郎
[名古屋支社:整理部次長]
【朝日新聞社社員写真帖】昭和4年・9年・14年

【朝日新聞社社員写真帖:創立五十年記念】昭和4年
[大阪朝日新聞社] p5/94
[京城通信局]   p26/94
信夫韓一郎     p26/94 ※
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/26
[專屬通信員]   p30/94
名古屋 山川宗一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/30
昭和四年五月五日印刷
昭和四年五月十日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 大道弘雄
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          同
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/93

【朝日新聞社社員写真帖】昭和9年
[大阪朝日新聞社] p4/95
整理部       p9-10/95
信夫韓一郎     p9/95  ※
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/9
[名古屋通信局]  p25-26/95
山川宗一      p26/95
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/26
昭和九年一月二十五日印刷
昭和九年一月二十九日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 大道弘雄
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/93

【朝日新聞社社員写真帖:大阪朝日新聞創刊六十周年記念】昭和14年
[名古屋支社]    p42/88
支社長(重役待遇)  木村豐二郎
[編輯局]
 局長        永川俊美
 局?務(部長待遇) 岡見 齊
 庶務主任      山川宗一
[整理部]
 部長        下井宏之
 次長        山本地榮
 次長        信夫韓一郎 ※
           ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/42
[寫眞部]      p60-61/88
 部長        前田繁一  p60/88
 次長        北川謙二
           靑谷 浩  p61/88
           大久保末吉
           森安金雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/61
昭和十四年一月二十三日印刷
昭和十四年一月二十八日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 樋口正德
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/86

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[朝日新聞]≪徹底討論≫OBが語る
<なぜ朝日の偏向報道はやまないのか>
『月刊正論』2008年11月号
稲垣 武(元「週刊朝日」副編集長)/
本郷美則(元朝日新聞研修所長)/
聞き手 石川瑞穂(元産経新聞論説委員)
    ―略―
本郷 そう言えば、信夫さんは大阪整理育ちで、
   この人は政界とまったくつきあわず、
   財界ともつきあわなかった。
   わずかにつきあいがあったのは文人墨客ですよ。
   石川達三だとか井上靖池島信平とかね。
   みんなゴルフ仲間だな。
   ある意味で正しい。
   戦後では、この人の時代が
   朝日が商売のジャーナリズムとしては
   一番繁栄してますよ。
    ―略―
http://ironna.jp/article/515

《発行人:山川宗一》[大阪朝日新聞]【愛知県新聞総観. 昭和14年版】

《発行人:山川宗一》
[大阪朝日新聞]
[東京朝日新聞號外]
【愛知県新聞総観. 昭和14年版】

【愛知県新聞総観. 昭和14年版】昭和13年
◎名古屋市  p9/76
 日刊 有保證金
題號      大阪朝日新聞   p10/76
創刊年月日   昭和十年十一月二十五日
發行所所在地  中區廣小路通り二ノ一一
社長      上野精一
發行人     山川宗一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1090570/10
 週刊 有保證金
題號      東京朝日新聞號外 p11/76
創刊年月日   昭和十年十一月二十五日
發行所所在地  中區廣小路通り二ノ一一
社長又ハ發行人 山川宗一
發行回數    月六回
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1090570/11
愛知縣新聞總觀  定價 金 壹圓
昭和十三年十二月 十日印刷
昭和十三年十二月十五日發行
著作兼發行者 龜谷桐男
       名古屋市東區金作町四丁目三番地
印刷者    高橋通平
       名古屋市中區南呉服町二丁目二一
印刷所    合資會社 高橋成弘社
       名古屋市中區南呉服町二丁目二一
       電話 中③ 〇〇三八番 二〇三八番
發行所    愛知縣新聞總觀社
       名古屋市東區金作町四丁目三番地
       電話 東④ 一九五七番
       振替口座 名古屋 一九三三三番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1090570/71

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《山川宗一》[名古屋支社:編輯局庶務主任]【朝日新聞社社員写真帖】昭和4年・9年・14年

《山川宗一》
[名古屋支社:編輯局庶務主任]
【朝日新聞社社員写真帖】昭和4年・9年・14年

【朝日新聞社社員写真帖:創立五十年記念】昭和4年
[大阪朝日新聞社] p5/94
[京城通信局]   p26/94
信夫韓一郎     p26/94
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/26
[專屬通信員]   p30/94
名古屋 山川宗一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/30
昭和四年五月五日印刷
昭和四年五月十日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 大道弘雄
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          同
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112058/93

【朝日新聞社社員写真帖】昭和9年
[大阪朝日新聞社] p4/95
整理部       p9-10/95
信夫韓一郎     p9/95
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/9
[名古屋通信局]  p25-26/95
山川宗一      p26/95
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/26
昭和九年一月二十五日印刷
昭和九年一月二十九日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 大道弘雄
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112170/93

【朝日新聞社社員写真帖:大阪朝日新聞創刊六十周年記念】昭和14年
[名古屋支社]    p42/88
支社長(重役待遇)  木村豐二郎
[編輯局]
 局長        永川俊美
 局?務(部長待遇) 岡見 齊
 庶務主任      山川宗一
[整理部]
 部長        下井宏之
 次長        山本地榮
 次長        信夫韓一郎
           ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/42
[寫眞部]      p60-61/88
 部長        前田繁一  p60/88
 次長        北川謙二
           靑谷 浩  p61/88
           大久保末吉
           森安金雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/61
昭和十四年一月二十三日印刷
昭和十四年一月二十八日發行
(非賣品)
編輯兼發行兼印刷者 樋口正德
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
印刷所       大阪朝日新聞發行所
          大阪市北區中之島三丁目三番地
          株式會社 朝日新聞社
發行所       株式會社 朝日新聞社
          大阪市北區中之島三丁目三番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112190/86

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[Fujisan.co.jp]
Journalism(ジャーナリズム)
発売日:2009/02/10
一冊定価:720.0円
出版社: 朝日新聞社ジャーナリスト学校
1.…いて榎本朗は
「工場は青谷(浩)さんたちが設計したと思う」と証言した。
事業を始めてから実際に工場が本格稼働するまでには、
様々な準備作業が必要だったはずである。
工場の設計と社屋の改築、工場設備の設営...
2.…れていた。
山川宗一、青谷浩、大久保末吉、森安金雄、
楠田和幸、林廣瀬、満田一夫、鈴木光晴。
いずれも総局地下の工場を支えたメンバーだった。
8人のうち、朝日新聞社の従業員である6人は全員、同日付で「依...
http://www.fujisan.co.jp/zasshi-kensaku.asp?sid=243647&q=%90%C2%92J

[Fujisan.co.jp]
Journalism(ジャーナリズム)
発売日:2009/04/10
一冊定価:720.0円
出版社: 朝日新聞社ジャーナリスト学校
1.…屋工場の現場責任者、青谷浩だった。
青谷の肩書きを前田は「名古屋工場の技師長
(現在・朝日新聞大阪本社の写真製版部長)」と記し、
報告書は「原文のまま」であると注記していた。
「現在名古屋地区に残る航空…
http://www.fujisan.co.jp/zasshi-kensaku.asp?sid=243651&q=%90%C2%92J

[朝日新聞社の軍需生産 護国第4476工場を追う]
[(1)名古屋本社"社史"に「航空工場」の文字]
 塩倉 裕
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016325056

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ