2015年06月

〔小野一雄:小野雄二〕≪氷の上ヲ走?ホヲカケタ アイスボート≫コメントより

〔小野一雄:小野雄二〕
≪氷の上ヲ走?ホヲカケタ アイスボート≫コメントより

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月09日(金)
≪氷の上ヲ走? ホヲカケタ アイスボート≫
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2224074.html

2014年07月07日(月) 09:40 by 小野雄二
中国税関の待遇はよかったのでしょうね。
こんな話を聞きました。
(おじいさんのこと)
今でいうリフレッシュ休暇ですが、
期間について、2つの選択があったそうです。
半年か一年と聞きました。
世界一周旅行できるのではと、
またその費用を賄えるだけの収入があったのでしょう。

2014年07月07日(月) 09:54 by 小野一雄
[小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:
 平成4年(1992)6月5日]
この家は満鉄本社の設計課長の設計になり、
昭和9年に父が建てたものです。
 家の裏門と勝手口は煉瓦で
 ふさがれてしまってました。
 裏に続いて建てられていた貸家14軒
 (当時、満鉄や三井物産等の課長クラスが入っていましたが)
 はそのまま健在でしたが、
 いずれも一戸に二所帯が住んでいるようでした。
1915年(大正4年)中国税関に入り、
上海・営口・青島・海南島で勤務し、
昭和5年(1930年)大連税関に転勤、
翌年(昭和6年)が満州事変、
昭和7年に満州国が成立して、
大連税関が満州国に接収された時に、
退職した時の退職金等で建てた家と貸家だったのでした。
鎭魂!
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350941.html

2014年07月07日(月) 13:17 by 小野雄二
2007年、念願の大連へ行きました。
見かけは無愛想なタクシーの運転手でしたが、
住所を手がかりに、民主街の家を見つけてくれました。
インターフォーンもなかったので、
大声で住人に呼びかけてくれ、
やっと思いで、家に入ることができました。
叔父が訪れたときは、幼稚園だったそうですが、
その時は普通の住居として使っているようでした。
玄関にはビール瓶が・・・。
家の近くまで開発の手が伸びていました。
今は、どうなっているのでしょうか?
帰国後、大連から来た人に家の場所/写真を見せたら、
3000萬人民元位はするかな?
って言っていました。

2014年07月07日(月) 14:14 by 小野一雄
3,000萬人民元
3,000萬 × 16円 =48,000万円
平成26年(2014)7月7日 14時08分現在
中国元  1.
日本円 16.455488

2014年07月08日(火) 11:09 by 小野雄二
人民元レート、今、16円になっているのですね。
こんな人民元高では、中国も輸出が大変。
これでは、中国経済も大変。

2014年07月08日(火) 13:23 by 小野一雄
平成26年(2014)7月8日 13:21
1人民元 =
16.4131365 円
https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%83%20%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〔小野一雄:小野雄二〕[母方の曽祖父:イギリス人]コメントより

〔小野一雄:小野雄二〕
[母方の曽祖父:イギリス人]コメントより

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月03日(木)
母方の曽祖父:イギリス人[ジョージ・ノット?]―01
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240144.html

2014年06月28日(土) 10:04 by 小野雄二
小さな頃、母方の曽祖父のことは知りませんでした。
祖父の写真は見たとき、
「何だか外人みたい」という感想でした。
高校生位の時?
母が曽祖父の写真を見せてくれ、
イギリス人だったことを教えてくれました。
やっと祖父が外人みたいだった理由が判明しました。
戦時中は、イギリス人の血を引いていたので、
肩身の狭い思いをしたこともあるそうです。
でも、満州にいたので、まだましだったかも?
内地(日本)だったらどうだったでしょうか?

2014年06月28日(土) 10:46 by 小野一雄
《祖父の写真》
《小川清秀 大連税関監視官 大連市光風台五三》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2182947.html

2014年06月28日(土) 11:47 by 小野一雄
安井病院(京都民医連第二中央病院)に、
末期の乳癌で入院中の母(小野文子)を見舞いに、
昭和50年頃、
福岡から、祖父(小川清秀)の妹(溝口サン)さんが、
来られた時に、私も、始めて曽祖父の事を知りました。

安井病院の副院長が、足立道五郎先生で、
父(小野又一)と、神戸一中、第三高等学校、京都大学と同級。
安井病院に、昭和47年8月~昭和51年5月の間、
母は入退院、手術も多数回、
足立先生、諸先生、看護婦の皆様に、
お世話になりました。
父も、昭和47年1月8日、
ノートルダム女学院の新年会が行われた、
体育館の和室で、くも膜下出血で倒れ、
亡くなる、1月31日迄、安井病院に入院、
お世話になりました。
足立道五郎先生:平成23年(2011)10月歿》

2014年06月28日(土) 14:33 by 小野雄二
足立先生には、私の結婚式の主賓挨拶をお願いしました。
家内は当時堀川病院に勤務しており、
主賓は近藤先生という医師でした。
私の主賓が安井病院長の足立先生とは知らずに
出席された近藤先生は、
当日そのことを知りびっくりされたそうです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〔小野一雄:小野雄二〕[小野梓先生七十年記念祭 演劇]コメントより

〔小野一雄:小野雄二〕
[小野梓先生七十年記念祭 演劇]コメントより

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年05月07日(月)
[小野梓先生七十年記念祭 演劇]
《小野梓》野澤英一 作
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2240149.html

2014年07月05日(土) 10:57 by 小野雄二
金子堅太郎が訪れた。
 金子は伊藤博文の内意をうけて
 小野に駐米特命全權公使の依頼に來たのである。」
この件は、梓の健康の理由で頓挫したのでしょうか?

2014年07月05日(土) 12:58 by 小野一雄
小野梓大隈重信から、引き離す為です。

小野梓「留客斎日記」
[伊藤博文滞欧憲法調査の考察]瀧井一博 著
明治14年の政変によって大隈重信とともに
前年の10月政府を追われていた小野梓が、
この日伊藤と同じ船で渡航する友人の見送りのために
その場に居合わせていたのである。
後述するが小野と伊藤の渡欧の間には少なからぬ因縁があった。
その小野の姿を認めたとき,
伊藤の胸中には何が去来したであろうか。
小野は日記でただ次のように記すのみである。p41

「此日伊藤参議卜船上ニテ会フ。
 参議慇懃礼ヲ為シ,握手シテ別レヲ告グ。
 余未ダ其故ヲ解スル能ハズ〔原文漢文〕12)。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2267451.html

2014年07月05日(土) 13:02 by 小野一雄
駐米特命全權公使は、名誉職で、
仕事はありません。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[小野雄二:柴田和志][京都陸軍墓地(京都府)]昭和39年秋

[小野雄二:柴田和志]
[京都陸軍墓地(京都府)]昭和39年秋


チャーボと二人。
でも、誰が撮った?
写真を見たら、加藤、チャーボと私の三人で行ったようだ。
1[小野雄二:柴田和志]
2[小野雄二:柴田和志]
柴田和志 深草中学校 二年生 昭和41年(1966)3月 卒業
小野雄二 深草中学校 三年生 昭和40年(1965)3月 卒業

[京都陸軍墓地(京都府)]
所在地 京都府京都市伏見区深草石峰寺山町45  深草墓苑
http://oukanokizuna.web.fc2.com/gunjinbochi/sanpai-kyoto-fukakusa.html
3[小野雄二:柴田和志]
加藤伸二 深草中学校 三年生 昭和40年(1965)3月 卒業
小野雄二 深草中学校 三年生 昭和40年(1965)3月 卒業

[伏見稲荷大社]
http://inari.jp/
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
4[小野雄二:柴田和志]
〔写真〕ステファニー・ルーミスと/1970年頃
『チャー坊遺稿集』
『1950~1994』
二〇〇二年一二月一八日 初版発行
著 者 柴田和志
発行者 土井尚道
発行所 株式会社 飛鳥新社
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]
2013年03月02日(土)
《ステファニー*アメリカの涙》
<チャー坊(“村八分”)の生と死>

http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/858/
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[昭和元禄 アングラポップ]
1970年 第3回 日本ロック・フェスティバル
成毛のピアノで村八分のチャー坊が歌ってるのも写ってる。
写真4枚目上段左の
外人女性の横で ※ステファニー?:小野一雄
天を仰いでいるのも柴田さんの様な…⁈
https://twitter.com/BlackXjs/status/611330502742519809
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
柴田和志:Staphanie(ステファニー)LPレコード
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2166879.html

blog[小野一雄のルーツ]
2014年06月03日(火)
[村八分:あッ!]昭和46年(1971):昭和48年(1973)
 柴田和志 年譜   p312
 1963-1965  中学生時代(13歳―15歳)
 ※昭和38年―40年 深草中学校
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1866/

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月04日(土)
[柴田和志:深草中学校バスケットボール部]
写真
柴田和志  (当時 深草中学校 二年生)
小野雄二  (当時 深草中学校 三年生)
三浦卓先生 (当時 深草中学校 バスケットボール部 顧問)
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2166878.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月19日(土)
柴田和志《さよならカズー》〔第二稿〕
〈せめて参りに東丸〉[東丸神社]

写真 左から
後列 三輪 森? 木下 金谷信 久保田清 島幸隆
   柴田和志(いずれも二年生)三浦卓先生
前列 小野雄二 青山俊夫
   加藤伸二 上谷光博 武田(いずれも三年生)
大阪市 阿倍野体育館 昭和39年(1964)9月6日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350944.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年06月17日 14:38 ◆柴田和志 小野雄二
[小野雄二:柴田和志]
[伏見稲荷大社・京都陸軍墓地・深草中学校]昭和39年秋
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《水島均:水島六兵衛》【官員録. 明治9年4月】~【官員録. 明治11年7月】

《水島均:水島六兵衛》
【官員録. 明治9年4月】~【官員録. 明治11年7月】

【官員録. 明治9年4月】
小倉縣 p161/171
權中属 水島 均
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779241/161

【官員録. 明治9年5月】
福岡縣  p156/165
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779242/156

【官員録. 明治9年6月】
福岡縣  p156/165
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779243/156

【官員録. 明治9年8月】
福岡縣  p160/170
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779244/160

【官員録. 明治9年9月】
福岡縣  p173/183
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779245/173

【官員録. 明治9年10月】
福岡縣  p174/186
十等出仕 水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779246/174

【官員録. 明治9年11月】
福岡縣 p177/184
中属  水島 均 フクオカ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779247/177

【官員録. 明治9年12月】
福岡縣 p184/195
權中属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779248/184

【官員録. 明治10年3月】
福岡縣 p155/164
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/155
十等属 磯村鴛二 ヲホイタ p156/164
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/156

【官員録. 明治10年4月】
福岡縣 p183/193
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779250/183
十等属 磯村鴛二 ヲホイタ p184/193
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779250/184

【官員録. 明治10年5月】
福岡縣 p187/197
六等属 水島 均 ヲホイタ
十等属 磯村鴛二 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779251/187

【官員録. 明治10年6月】
福岡縣 p186/195
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/186
十等属 磯村鴛二 ヲホイタ p186/195
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/186
大分縣 p187/195
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779252/187

《水島均》 ※別稿に記載
 明治10年7月 中津支廳長に轉ず。
 【官員録. 明治10年11月】から記載あり。
 明治10年10月26日 父 急病にて逝去。
 【官員録. 明治11年7月】迄記載あり。

【官員録. 明治10年8月】
大分縣 p193/201
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779253/193

【官員録. 明治10年9月】
大分縣 p193/202
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779254/193

【官員録. 明治10年10月】
大分縣 p186/194
二等属 馬淵淸純 フクオカ
五等属 堀兼元脩 オカヤマ
六等属 桑原深造 カウチ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779255/186

【官員録. 明治10年11月】
大分縣 p205/213
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779256/205

【官員録. 明治10年12月】
大分縣 p207/215
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779257/207

【官員録. 明治11年1月】
大分縣 p209/215
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779258/209

【官員録. 明治11年2月】
大分縣 p209/215
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779259/209

【官員録. 明治11年3月】
大分縣 p211/219
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779260/211

【明治官員録. 明治11年3月】
大分縣 p219/228
六等属 水島 均 オオイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825755/219

【明治官員録. 明治11年4月】
大分縣 p220/228
六等属 水島 均 オオイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825756/220

【官員録. 明治11年5月】
大分縣 p214/222
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779261/214

【官員録. 明治11年6月】
大分縣 p211/218
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779262/211

【官員録. 明治11年7月】
大分縣 p210/218
六等属 水島 均 ヲホイタ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779263/210

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月26日(金)
[水島均:水島六兵衛⇒水島銕也の父]
【水島銕也先生傳】昭和15年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660425.html

[水島均:水島六兵衛⇒水島銕也の父]【水島銕也先生傳】昭和15年

[水島均:水島六兵衛⇒水島銕也の父]
【水島銕也先生傳】昭和15年

[水島均:水島六兵衛]
明治 9年 1月    小倉縣 警部
明治 9年12月    福岡縣小倉支廳長
明治10年 3月31日 増田宋太郎 中津支廳焼打
明治10年 7月    中津支廳長
明治10年 9月24日 増田宋太郎 城山に戰歿
明治10年10月26日 急病にて逝去

【水島銕也先生傳】昭和15年9月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1910417/181
明治九年 一月 父 小倉縣 警部に任ぜらる。 p178/184
        先生は中津岡本家に預けられ、
        片端小學校に通學。
    十二月 父 更に福岡縣小倉支廳長に轉ず。
明治十年 三月 叔父增田宋太郎氏 中津に兵を擧げ、薩軍に合流、
        九月二十四日 城山に戰歿。
     七月 父 中津支廳長に轉ず。
        十月二十六日 父 急病にて逝去。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1910417/178

磯村豊太郎傳】昭和17年6月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886014/245
ところが  p30-31/248
明治十三年三月三十一日 ※明治13年⇒10年:誤植
恰も月明の夜、
蹶起した一隊は首途の血祭りにと、
舊城内松御殿の中津支廳焼打を敢行した。
忽ちにして廳舎は火の海となつて紅㷔天に冲し、
支廳長馬淵淸純は町外の錆矢堂迄逃げのびたが斬殺された。
髭と渾名された次席の堀兼も島田水道口の邸で斬殺された。
猛威を振ふ隊士の中には
軍用金の調達に名を籍つて
町家に押入るものもあつた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886014/30
その頃、翁の實父は福岡縣廳の役人として赴任していた、
   ※磯村鴛二:磯村豊太郎の父
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886014/31

【西南戦史. 第3編】明治26年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2390750/2
 第十四 中津ノ波動 p34/67
增田宋太郎ノ爆裂的運動。=增田黨ノ敗走
 ―略―
(明治10年)
三月三十一日午後三時、
腹心刎頸ノ士ト櫻町ニ會シ、
急ニ同志六十一人ヲ集メ。
午后十一時、
俄ニ起テ警察署及ヒ小區役場ヲ襲ヒ、
銃器若干ヲ略奪シ、
衆ヲ率井テ舊城ノ追手口ニ至リ、
分チテ三隊ト爲シ、
一ハ縣吏堀兼某ノ寓ヲ襲ヒテ之ヲ殺シ、
一ハ支廳長馬淵某ノ邸ヲ襲ヒテ之ヲ殺シ、
一ハ支廳ヲ犯シテ之ヲ火キ、宿直吏ヲ殺シ、
其若干ノ黨人、市街ヲ横行シ、富商豪家ニ逼リ、
之ヲ恐嚇シテ貨幣ヲ奪ヒ、
四月一日、午前四時、其衆ヲ収集シ、
馬淵ノ首ヲ梟シ、
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2390750/34
[增田宋太郎小傳] p61-67/67
(明治10年)
其黨人ト共ニ
中津支廳ヲ襲撃し、大分ニ入リ
四月五日、二重嶺ノ薩軍ニ合シ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2390750/62

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[明六社と共存同衆]【日本新英傑伝:列伝体明治史】大正1年

[明六社と共存同衆]
【日本新英傑伝:列伝体明治史】大正1年

【日本新英傑伝:列伝体明治史】
 大正1年9月10日発兌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/289

中村正直》     p187-195/304

明六社共存同衆] p193/304
明治六年(1873)森有禮唱首となり、
明六社を組織するや、
君も〔中村正直〕亦一員に加はり、
學業を研磨しぬ、
當時の明六社は實に新思想皷吹の源泉にして、
議論風發、
新興の氣欝勃の點は
共存同衆と共に並び稱せられき、

共存同衆とは
小野梓大内靑巒菊地大麓
井上良一江木高遠馬場辰猪
外山正一矢野文雄等を以て
組織せられたるものにして、
明六社と同じく演説を試みたりき、
頃日

大内靑巒當時の狀を語りて曰く。

明治六年(1873)
西村茂樹津田眞道福澤諭吉、中村正直など云ふ、
當時の學者達が明六社と云ふのを起した、

自分は今でこそ年は取つて居るが
當時はマダ若く(知れたことだが)
其の明六社へは入らぬかと勸められた、

ところが自分等の若い仲間にも、
それぞれ黨派といふものではないが、
常に往來した友人がある。

其の中の餓鬼大將小野梓が、
中々強情な奴で
『ナニあんな老ぼれの仲間には入ることはない、
 我々は別にやらうぢやあないか』
といふので、
彼の共存同衆といふ會が出來た、

處が明六社にせよ、
會の中では銘々演説の樣な事を
少しづつやつては居たが、
まだ公開の演説をやつた事はなかつた、

共存同衆の中でも、
菊地大麓などは西洋から戻つて來て、
まだ碌に日本語が使へないといふ始末、

當時有力な法學者であつた
井上良一の如きは、
西洋に長く居つて日本語を忘れて居る、
最初の二三分時間は、
德利の中から味噌を出す樣に、
ヤツトの事で少しづつ何か言つて居たが、
五分間も經つ中には、
モウ英語許になつてしまうと云ふ有樣であつた。

處がそこに西洋で雄辯學を習ふて歸つたといふ
江木高遠が入つて來て、
そいつは中々能くしゃべる、
それから其男を先鋒として
馬場辰猪、外山正一、矢野文雄などと
盛んに演説會をやつたものである、
是が公衆を集めて演説會といふものを開いた
我國での初めである。

と、共存同衆は固年少氣鋭の士の集合にして、
明六社の壘を摩するに足らずと雖、
覇氣横溢、
新日本男兒の石心鐡膓
欽す可きものあるなり、
吾人は茲に明六社の對比として特に附記す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946479/193

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[KGUR関西学院大学リポジトリ]
『幕末・明治ロンドン日本人留学生と日本学生会:共存同衆への道』
Inoue, Takutoshi, 井上, 琢智
経済学論究, 58(1): 37-55
2004-06-20
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/249/1/KJ00004124396.pdf

〔加藤てる〕[モルガンお雪の姪]『私の見た人』吉屋信子

〔加藤てる〕
[モルガンお雪の姪]
『私の見た人』吉屋信子

『私の見た人』吉屋信子
[モルガンお雪] p40-43
 うわさの女
 ―略―
祇園の加藤楼(彼女の長姉経営)で会見ときまって、
花束を抱えてカメランマン氏と同行、
そこの二階座敷で待つと、
ほどなくふすまが少し開きかけたが、
たちまちピシャリと閉ざされてしんかんとした。

やがて彼女のめいの〔おてる〕さんが
〔加藤てる〕
※〔加藤てる〕昭和43年(1968)頃
 撮影場所 京都市北区出雲路俵町4
      坂本恭啓 邸

気の毒そうに出て来て、
「写真の人が来やはりましてはな、
 会えまへん。
 写真撮られるの
 しんどい言やはりますが」

……万事休してカメラ氏を階下に追放、
私ひとりになると彼女が現れてくれた。
パリジェンヌ好みの黒い服の姿に銀髪、
ふちなし眼鏡、
顔立ちはかつて京美人のおもかげが残っていた。
 ―略―
追記 「うわさの女」を執筆、
   掲載が三月二十一日(昭和三十八年)
   その二カ月後の五月十九日の新聞夕刊は、
   モルガン・ユキさんの逝去を伝えた。
   数奇なる経歴を持つ彼女は
   紫野門前町の棲居でそのながかりし
   老後の余生を終わったのだった。

2010年9月7日印刷
2010年9月17日発行
発行所 株式会社みすず書房
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改定版
2012年03月17日(土)
[墓参り 衣笠墓苑]
テレジア
ユキ モルガン
1881年(明治14年)11月7日生
1904年(明治37年)ジョージデニソン
          モルガンと結婚
1963年(昭和38年)5月18日帰天
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2176731.html

《高橋博親:高橋正修の父》《高橋金十郎》[神田鍛冶町十一番地]

《高橋博親:高橋正修の父》
《高橋金十郎》
[神田鍛冶町十一番地]

[国文学研究資料館]
書誌データ
認定書名  改正/西国立志編
認定著者名 中村正直 訳
所蔵者名  神戸大学附属図書館・住田文庫
出版年時  明治10年2月
発行人   七書屋蔵板
補記 内容
背革装。革は緑色。痛みあり。
以下、奥付
訳者  中村正直  第四大区三小区小石川江戸川町甲十七番地
出板人 木平愛二  第四大区三小区小石川江戸川町乙十七番地
同   高橋金十郎 第一大区十一小区神田鍛冶町十一番地
同   高橋博親  同所
同   青山清吉  第四大区三小区小石川大門町廿一番地
同   稲田佐兵衛 第一大区六小区日本橋通二丁目十九番地
同   福田仙蔵  第一大区十一小区通新石町二十番地
同   稲田源吉  第一大区六小区日本橋通二丁目十八番地

改正/西国立志編 原名 自助論 - 近代書誌・近代画像データベース
base1.nijl.ac.jp/.../KDSSearch.cgi?...
見返し右上部・裏見返し左上部に「名山」の朱方円印。
また巻末遊び紙裏右下部に判読できない朱方円印。
【本文関連】. 【奥付】. 出版免許年時, 明治9.10.24版権免許.
出版人, 木村愛二・高橋金十郎・高橋博親・
青山清吉・稲田佐兵衛・福田仙蔵・稲田源吉 ..
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【愛敬余唱】明治9年4月
著者  大槻磐渓 (清崇) 編
出版者 珊瑚閣
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/27
東京  大槻愛古 編次
    中邨敬宇 校刻
神田鍛冶町 珊瑚閣發兌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/2
明治九年四月出板
編者  大槻磐翁
    東京本所相生町三丁目拾番地
出板人 高橋金十郎
    東京神田鍛冶町拾壹番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/27

【敬宇文集. 上巻】明治13年1月
明治十三年一月
中村正直 撰
柳澤信太 編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893605/1
【敬宇文集. 下巻】明治13年1月
明治十三年一月九日板權免許
著述人 中村正直
    静岡縣士族
    東京 小石川 江戸川町十八番地
編次者 柳澤信太
    東京府平民
    東京 西江戸川町二十一番地
出板人 高橋金十郎
    静岡縣士族
    東京 神田鍛冶丁十一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893606/63

【京浜実業家名鑑】明治40年12月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/429
高橋金十郎君  p185/434
小石川區江戸川町十八番地
君は慶應三年(1867)
江戸川の畔幽遼閑雅の地に呱々の聲を揚ぐ
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/185

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月23日(火)
《中村正修:養父 中村正直》
【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660421.html

《中村正修:養父 中村正直》【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

《中村正修:養父 中村正直
【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/663
《中村正修》 歯科醫 p353-354/670
 養母 てつ 天保八年一月生:1837年2月
       ※中村正直夫人
 妻  たか 安政五年九月生:1858年10月
       養父 中村正直 長女 ※原本:中村正道
 男  正一 明治二十七年(1894)四月生
君は安政二年九月十八日を以て生れ ※1855年10月28日
東京府士族 高橋博親の三男なり
故中村敬宇の婿養子となる
曾て米國に留學し
歯科醫術を研究し
「ドクトル」の稱號を受けて歸朝し
明治二十年(1887)四月
家督を相續す
市内有數の歯科醫なり
(東京市小石川區江戸町一八)
(電話 番町八八五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/354

[著者 故 中村敬宇:相續者 中村正修]

【敬宇文集. 巻6】明治36年4月
明治三十六年四月二十日印刷
明治三十六年四月三十日發行
著者    故 中村敬宇
相續者     中村正修
發行兼印刷者  吉川半七
        東京市京橋區南傳馬町一丁目十二番地
印刷所     吉川印刷工場
        東京市京橋區柳町五番地
發行所     吉川弘文館
        東京市京橋區南傳馬町一丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893604/65

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


Philadelphia Dental College の卒業証書について
ci.nii.ac.jp/naid/110007158638
松本晉一 著 - 2007
中村正修(旧名一吉)の
Philadelphia Dental Collegeの卒業証書内容を確認した.
証書にはK, Nakamuraと記名があり,
旧名一吉(かずよし)のイニシャルである.
証書サイズは縦64.5cm,横54cmで,1891年1月26日付けで
ラテン語で書かれてある.証書中央には ...
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007158638

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月23日(火)
《高橋博親:高橋正修の父》
《高橋金十郎》
[神田鍛冶町十一番地]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660422.html

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ