2015年06月

《相馬りく:旧姓 佐久間》【東京女子高等師範学校一覧】明治25年~39年

《相馬りく:旧姓 佐久間》
【東京女子高等師範学校一覧】明治25年~39年

《相馬りく:相馬陸》歿年:明治38年(1905)~39年(1906)

【東京女子高等師範学校一覧. 明治25-28年】
明治25年~26年 p1/139
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p42/139
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/42
明治27年~28年 p57/139
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p120/139
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/120

【東京女子高等師範学校一覧. 明治31-33年】
明治31年~32年
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p77/190
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813120/77
明治32年~33年
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p167/190
相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813120/167

【東京女子高等師範学校一覧. 明治33-35年】
明治33年~34年
 五 小學師範學科卒業 p87/202
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813121/87
明治34年~35年
 五 小學師範學科卒業 p189/202
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813121/189

【東京女子高等師範学校一覧. 明治35-37年】
明治35年~36年
 五 小學師範學科卒業 p121/292
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813122/121
明治36年~37年
 五 小學師範學科卒業 p277/292
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813122/277

【東京女子高等師範学校一覧. 明治37,38年】
明治37年~38年
 五 小學師範學科卒業 p188/205
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813123/188

【東京女子高等師範学校一覧. 明治38,39年】
 明治38年4月~明治39年3月
 六 小學師範學科卒業 p184/196
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813124/184
明治38年9月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813124/192

【東京女子高等師範学校一覧. 明治39,40年】
 明治39年4月~明治40年3月
 第九章 卒業生 p163/217
 (明治39年6月末調 9月始訂正)
 五 小學師範學科卒業 p196/217
明治十二年二月卒業(十五人)
死亡 佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813125/196
明治39年10月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813125/214

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》
[相馬永胤 妻]
『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660419.html

《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》[相馬永胤 妻]『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著

《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》
相馬永胤 妻]
『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著

『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著
このころの相馬で言えば、 ※相馬永胤 p417-418
伊豆仁科の佐久間利三郎の長女
陸と見合をしている。
陸は十六歳前後のころ
上京して同人社を主宰する
中村正直宅に住みこみ、
やがて、その養女になった。

同人社はそのころ東京では
慶應義塾とならび称されるほど、
塾生の多い私塾だった。
中村はイギリス留学中に読んで感銘を受けた
スマイルズ著「セルフ・ヘルプ」を、
帰国後、翻訳し、
「西国立志編」と題して刊行したことでも知られる。
「西国立志編」は多くの青少年の心をとらえ、
その影響力は福沢諭吉
「学問のすゝめ」に匹敵すると言われた。

陸は東京女子師範学校に進み、
前年明治十二年(1879)に優等で卒業している。
才媛と周囲が認める存在だった。

相馬はすすめる人があって、
〔明治13年(1880)〕
五月三十日に陸と見合している。

じつは目賀田、田尻らの同志は知っていたが、
  ※目賀田種太郎田尻稲次郎
相馬はいったん帰国した明治七年(1874)に見合して
結婚を約した許婚者がいた。
アメリカにもどってからも文通は続いていたが、
帰国してから両家の事情もあって婚約を解消している。

そのこともあって、
相馬は見合するまではあまり乗気ではなかったが、
陸とあってみてひと目で気に入っている。

陸のほうにも異存はなく、
話はトントン拍子に進み、
六月に入ってほどなく婚約指輪が交わされ、
結納がとり行われた。
挙式は七月吉日になる。

著者   志茂田景樹
初版印刷 2008年10月20日
初版発行 2008年10月30日
編集協力 専修大学 専修大学育友会
発行所  河出書房新社
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[専修大学]
創立130周年記念映画
「学校をつくろう」-そのとき、若者たちは未来を見た-
2010年9月16日に創立130周年を迎える専修大学
※創立:明治13年(1880)9月16日
http://www.senshu-u.ac.jp/univguide/publicity/130movie
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blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html


《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》【中村正直伝:自助的人物典型】

中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】

【中村正直伝:自助的人物典型】石井研堂 著 明治40年2月
先生、一女子あり、たか子といふ。
夫人の甥を養ひて之れに娶す
嗣子正修氏(幼名一吉)これなり。 ※高橋正修:別稿に記載
一養女あり、りく子といひ、    ※相馬りく相馬陸):別稿に記載
相馬永胤氏に嫁す。
正修氏、
曾て米國に遊びて歯科を學び、
ドクトル號を得て歸朝す。
今醫名都下に鳴り、
齲者齵者義齒者、 ※齲(むしば)
常に堂に滿ち、
其の治を得るを榮とせり。
眞に積善の家に餘慶あるものか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/62
 第三十九章 先生の令夫人 p90-91/104
先生の夫人
高橋鐡子(法律上、故ありて金子姓を稱せしとあり)は、
貞淑の婦德を備へられたる一佳人なりし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/90
明治三十九年六月九日
享年七十一にて没せられ、…。
三十九年(1906) 午 六月九日 夫人テツ子 卒
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/95
明治四十年二月十二日印刷
明治四十年二月十五日發行
定價  金 四拾錢
著者  石井民司
發行者 村上俊藏
    東京市本郷區弓町壹丁目八番地
印刷者 飯村辰之助
    東京市麹町區飯田町六丁目十七番地
印刷所 株式會社 秀英舎 第一工場
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發行所 成功雜誌社
    東京市本郷區弓町一丁目八番地
    本社 振替貯金 二二〇九番
       電話 下谷二三七一番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/98

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[宮内省:御歌所]【職員録. 明治30年(甲)】

[宮内省:御歌所]【職員録. 明治30年(甲)】

【職員録. 明治30年(甲)】
 明治30年12月16日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/370
[宮内省]  宮城内 p27/375
●御歌所       p35/375
長  二等  高崎正風  樞密顧問官
寄人
(勅任待遇) 本居豐穎  東宮侍講
(奏任待遇) 黒川眞頼  東京帝國大學文科大學敎授
(奏任待遇) 阪 正臣  華族女學校敎授
(奏任待遇) 中村秋香  從七
             本郷、駒込西片、一〇
(奏任待遇) 小出 粲  非職宮内屬
             小、小日向水道堀、一、七五
參候
 侍從    西四辻公業
 正三、伯  松浦 詮  淺、向柳原、二、一
 從二、伯  西三條公允 麹、富士見、一、三〇
 從二、伯  冷泉爲紀  在京都
 侍從    綾小路有良
 掌典    竹屋光昭
 掌典    前田利鬯
 正四、子  水野忠敬  麹、下、二番、四七
 從三    長谷信成  牛、市ケ谷藥王寺前、五六
 掌典    宮地嚴夫
 御歌所錄事 植松有經  小、小日向水道端、二、四一
錄事
 三等    植松有經  正八、勳八
 四等    大口鯛二
 五等    鎌田正夫
 五等    千葉胤明
 六等    菊間義淸  勲八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/35

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《中村第三》[父 中村秋香:兄 中村春二]【人事興信録. 5版】大正7年

《中村第三》
[父 中村秋香:兄 中村春二
【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年9月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/1369
《中村第三》 p711/1374
 内田商事株式會社 取締役
 靜岡縣士族
 妻 穟 明治二二年(1889)七月生
     東京府人 新倉■太郎 三女
君は成蹊學園長 中村春二の弟にして
明治十五年(1882)十月二十五日を以て生る
明治三十七年(1904)
東京高等商業學校を出で直ちに
三井物産會社に入る後ち轉じて
堺セルロイド株式會社
臺灣製糖株式會社等に勤務し
現時
内田商事株式會社 取締役たり
家族は尚
二女 喜瀨子 明治四五年(1912)一〇月生
二男 剛   大正 三年(1914) 九月生
あり
兵庫、武庫、御影町
參照=中村春二の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/711

【人事興信録. 6版】大正10年6月15日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/1243
《中村第三》 p618/1245
 内田商事(株)取締
 靜岡縣士族
 妻 穟  明治二二年(1889)七月生
 男 剛  大正 三年(1914)九月生
 兄 春二 明治一〇年(1877)三月生
      現戸主
君は靜岡縣士族 中村春二 弟
明治十五年(1882)十月生
明治三十七年(1904)
東京高等商業學校 卒業
三井物産會社員
堺セルロイド株式會社員
臺灣製糖株式會社員等 就任
家族は尚
二女 喜瀨子 明治四五年(1912)一〇月生
三女 信子  大正 五年(1916) 八月生
あり
兵庫、武庫、御影町城之前
電話 蘆屋二七一
參照=中村春二の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/618

【人事興信録. 7版】大正14年8月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704004/1467
《中村第三》 p719/1469
 南國産業(株) 專務取締役
 宮崎工務所(株)專務取締役
 靜岡縣士族
 妻 穟 明治二二年(1889)七月生
 男 剛 大正 三年(1914)九月生
君は故 宮内省 御歌所 寄人 中村秋香の三男にして
故 成蹊學園長 中村春二の弟なり
明治十五年(1882)十月を以て生る
明治三十七年(1904)
東京高等商業學校を卒業し
目下前記諸會社の重役たり
大正七年(1874)外遊して
一時米國紐育に在住せり
嘗て
内田商事會社 取締役

大阪琺瑯會社 監査役たり
家族は尚
二女 喜瀨子 明治四五年(1912)一〇月生
三女 信子  大正 五年(1916) 八月生
四女 美濤子 大正一二年(1923) 八月生
あり
東京市外高田町上り屋敷三六三一
電話 長 牛込二〇五六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704004/719

【東京高等商業学校一覧. 明治37-38年】
明治三十七年卒業  p79/133
《中村第三》 靜岡 p80/133
小坂順造》 長野 日本銀行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813080/80

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《中村春二》[父 中村秋香:弟 中村第三]【人事興信録. 4版】大正4年

中村春二
[父 中村秋香:弟 中村第三]
【人事興信録. 4版】大正4年

【人事興信録. 4版】大正4年1月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995/1040
《中村春二》 p509/1041
 私立成蹊實務學校長
 私立成蹊中學校長
 靜岡縣士族
 妻 小波 明治一八年(1885)一〇月生
      神奈川、士族、小藤亨三 二女
 男 秋一 明治四一年(1908)一〇月生
君は靜岡縣士族 中村秋香の二男にして
明治十年(1877)三月三十一日を以て生れ
明治四十三年(1910)一月
家督を相續す
明治三十六年(1903)
東京帝國大學國文學科を卒業して
文學士の稱號を得
曹洞宗第一中學林
曹洞宗大學林
法政大學高等師範學校附屬中學等に
講師となりて次て
私立麹町高等中學校敎頭となり
明治四十四年(1911)
獨力
私立成蹊實務學校を設立
更に
大正二年(1913)
成蹊中學校を設立し
共に校長として之を經營せり
家族は前記の外
長女 みさ 明治三七年(1904)一二月生
次男 浩  明治四三年(1910) 一月生
三男 崇  明治四四年(1911)一〇月生
二女 篤  大正 二年(1913) 五月生
あり
東京、北豐島、巣鴨邨池袋一二〇一
電話 番町二〇九九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995/509

【人事興信録. 5版】大正7年9月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/1369
《中村春二》 p708/1374
 成蹊學園長
 靜岡縣士族
 妻 小波 明治一八年(1885)一〇月生
      神奈川、士族、小藤亨三 二女
 男 秋一 明治四一年(1908)一〇月生
 女 みさ 明治三七年(1904)一二月生
 弟 第三 明治一五年(1882)一〇月生
 甥 民一 明治二一年(1888) 五月生
      亡兄 東一 長男
      東京高等工業學校 出身
      關東酸曹株式會社 技師
君は靜岡縣士族 中村秋香の二男にして
明治十年(1877)三月三十一日を以て生れ
 ―略―
明治四十五年(1912)
獨力
私立成蹊實務學校を設立し其後
成蹊中學校
成蹊小學校
成蹊實業專門學校
成蹊女學校を增設し
五校を總括して
財團法人成蹊學園の名の下に
之が園長たり
家族は前記の外
次男 浩 明治四三年(1610) 一月生
三男 崇 明治四四年(1911)一〇月生
二女 篤 大正 二年(1913) 五月生
四男 正 大正 三年(1914) 八月生
五男 彰 大正 五年(1916) 四月生
あり
東京、北豐島、巣鴨村池袋一二〇
電話 小石川一〇〇九
參照=中村第三の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/708

【人事興信録. 6版】大正10年6月15日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/1243
《中村春二》 p616/1245
 成蹊學園長
 靜岡縣士族
 妻 小波 明治一八年(1885)一〇月生
      神奈川、士族、小藤亨三 二女
 男 秋一 明治四一年(1908)一〇月生
 女 みさ 明治三七年(1904)一二月生
 弟 第三 明治一五年(1882)一〇月生
君は靜岡縣士族 中村秋香の二男
明治十年(1877)三月三十一日生
明治三十六年(1903)
東京帝國大學文科大學國文學科 卒業
曹洞宗第一中學林
曹洞宗大學林
法政大學
高等師範學校附屬中學
各講師
私立麹町高等女學校 敎授等に歷任

獨力
私立成蹊實務學校
成蹊中學校
成蹊小學校
成蹊實業專門學校
成蹊女學校を設け
五校を總括して
財團法人成蹊學園の名の下に
之が園長たり
家族は尚
二男 浩  明治四三年(1910) 一月生
三男 崇  明治四四年(1911)一〇月生
二女 篤  大正 二年(1913) 五月生
四男 正  大正 三年(1914) 八月生
五男 彰  大正 五年(1916) 四月生
三女 友  大正 七年(1918) 三月生
六男 文雄 大正 九年(1920) 三月生
あり
甥  民一 明治二一年(1888) 五月生
      亡兄 東一 長男は分家せり
東京、北豐島、巣鴨村池袋一二〇
電話 小石川一〇〇九
參照=中村第三の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/616

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《中村秋香》[中村春二・中村第三の父]【人事興信録. 2版(明41.6刊)】

中村秋香
中村春二・中村第三の父]
【人事興信録. 2版(明41.6刊)】

【人事興信録. 2版(明41.6刊)】明治41年6月18日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779811/1022
《中村秋香》 p412/1027
 正七位勳六等
 宮内省 御歌所 寄人
 舊 靜岡藩士
 妻  きよ  弘化元年十二月生 ※1845年1月
        靜岡縣平民 鈴木香峰 二女
 男  春二  明治 十年(1877)三月生
 婦  小波  明治十八年(1885)十月生
        男 春二 妻
        神奈川縣士族 小藤亨三 三女
 男  第三  明治十五年(1882)十月生
 養子 きよし 明治十七年(1884)四月生
        靜岡縣士族 三宅德■ 三女
君は靜岡縣士族
中村錄翁の長男にして
天保十二年九月二十九日を以て生る ※1841年11月12日
年十五 松木直秀の門に入りて歌學を習ひ
傍ら
漢學を戸塚積齋に學べり

妙玄寺義門の門人
因幡の正音法師に従て語學を質す
年二十二歳
駿府明進舘に入りて後     ※駿府明進舘⇒駿府明新館
幕府學問所吟味の大試に應じて及第し
擢んでられて明進舘助敎と為る ※駿府明進舘⇒駿府明新館
明治四年(1871)
藩命により名古屋藩に仕へ
廢藩に際し愛知縣に出仕し
明治六年(1873)以降
敎部・内務・文部・各省に歷仕し後
大學に轉じ更に
東京高等女學校幹事より
同校敎諭と為り
女子高等師範學校・第一高等學校敎授と為り
明治二十六年(1893)之を辭す
明治三十年(1897)
御歌所寄人仰付られ
現に其職に在り
家族は前記の外
孫 民一 明治二十一年(1888)五月生 亡 長男 東一 長男
孫 みさ 明治三十七年(1904)十月生   二男 春二 長女
あり
東京市本郷區駒込富士前町五五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779811/412

【職員録. 明治30年(甲)】
[宮内省] 宮城内 p27/375
御歌所       p35/375
《中村秋香》 奏任待遇 從七
 本郷、駒込西片、一〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779774/35

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《儒士:野本武藏》【中津歴史】明治24年12月

《儒士:野本武藏》【中津歴史】明治24年12月

【中津歴史】廣池千九郎編述
[天保子歳ノ改革:天保11年庚子(1840)〕 p142/251

儒士野本武藏ノ陰然之ヲ助クルアリ
而シテ其同志ノ士
天能三藏・小幡篤藏・島津祐太郎等
皆偉能賢才ノ資ヲ以テ政府ノ要路ニ立チ
之ヲ採用スルニ會ス
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766710/142
明治廿四年十二月十日印刷
明治廿四年十二月十四日出版
定價 金 壹圓
編輯兼發行者 廣池千九郎
       大分縣平民
       大分縣下毛郡鶴居村百五十一番地
印刷者    自由館印刷 擔當人
       門田虎彦
       福岡縣士族
       大分縣下毛郡中津町百六番地 第二戸寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766710/246

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《野本武藏》野本雪巖の子 野本白巌(眞城)
《天能三藏》
《小幡篤藏》小幡篤次郎小幡甚三郎の父
《島津祐太郎》

blog[小野一雄のルーツ]
2014年04月10日(木)
《大久保麑山の父:大久保教直=教連》
[慶応義塾後期鉄砲洲時代の意義]河北展生
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1726/

[川崎造船所 専務取締役 松村守一]【興亜日本の事業家】昭和14年

[川崎造船所 専務取締役 松村守一]
【興亜日本の事業家】昭和14年

【興亜日本の事業家】昭和14年
本邦造船界一方の雄 p23/98
株式會社  川崎造船所
專務取締役 松村守一氏

川崎造船、川崎汽船、川崎車輌
その他の重役として、
天性非凡の經營的才腕をふるひ、
時局産業界の花形として、
多大の貢献をなしつゝある
松村守一氏は、
島根縣の人
松村康重氏の三男にして、
明治四十年の神戸高商出身である。

第一銀行にはいつた氏は、
漸次に頭角をあらはして重用せられ、
神戸副支配人から各支店支配人に榮進
その卓越した金融手腕を謳はれたものであるが、
のち、當社に移り頭書の如く、
確固不動の地位を築くに至つたのである。

當社は、明治二十九年(1896)十月、
二百萬圓の資本を以て創立せられた
本邦造船界の古豪にして、
明治三十五年(1902)四百萬圓に、
明治三十九年(1906)一千萬圓に
大正五年(1916)二千萬圓に、
大正八年(1919)四千五百萬圓に、
大正十年九千萬圓にと
增資に次ぐ增資を以てして、
發展向上の一途を辿つて來たのであるが、
のち、悲境に沈淪することあり、

昭和七年(1932)十一月、
五株を一株に合併して、
一千八百萬圓に減資して普通株とした。

昭和八年(1933)一月、
六千二百萬圓を優先株として增資し、
八千萬圓の尨大なる資本のもとに、
着々業績をあげ、
その造船臺數七臺、
造船能力十五萬噸に達し、

又製鈑工場の能力は、
厚鈑十五萬瓲、
薄鈑二十萬瓲、
鑄鋼及鐡一萬五千瓲、
鋼塊三萬瓲、
鍛鋼一萬瓲、
鋼板用平鋼二十五萬瓲、
同製鋼四十五萬瓲に上る規模を
誇つてゐるのである。
(以上何れも事變直前の
 昭和十二年(1937)五月現在能力)

時局以來、當社艦船工場は、
軍需用は勿論のこと、
民間船舶をも含めて
文字通りの大繁忙を極めてをり、

またその子會社たる
川崎航空機の大躍進を遂げて、
兩々相俟つて時局に多大の貢献を
なしつゝあるのである。

而して、事業の興廢は、
もとより時の力によること大であるが、
また、これを運營する
いはゆる經營者の才腕如何によること大である。

當社が、この時局に際して、
かくも目醒ましい活躍をなし、
時局の要求に缺くるところ
なからしめつゝあるのは、
一に經營の重衝に當る
重役諸公の傑れた手腕によるのである。

わが松村專務の經營手腕の卓越したることについては、
世上に定評があり、
こゝに繰り返していふまでもないが、
その胸中には烈々たる愛國の熱情が燃えてゐるのであり、
當社の社是たる造船報國の赤誠のもとに、
只管業務の發展向上につとめてゐるのである。

氏は人となり圓滿にして重厚、
敎養のきはめて高き人格者である。

財界の某巨頭は、氏を評して、
「商才士魂の典型的事業家である」
といつたといふが、まさに適評である。

これはもとより
天性の才質の傑れたるによるもので
あることはいふまでもないが、
玉も磨かざれば光りを放たざるが如く、
この天稟の才質が、
かく迄に發揮されるに至つたのは、
一に、氏の不斷の努力修養のたまものに
ほかならないのである。

氏は、後身の指導誘掖と
いふことについても
一家の見識を持ち、
有用の人材と見れば、
ことが眞價を發揚せしめる爲に
如何なる助力をも惜しまないが、
彼らを導くにあたつても
つねに努力修養の必要なるを説き、
いたづらに他力依存に陥ることを
いましめてゐる。

氏にしてこの言あり
まことに味ひ深き言である。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278794/23
昭和十四年二月二十三日印刷
昭和十四年二月二十六日發行
定價 五圓
編纂兼發行人 中村睦男
       東京市日本橋區茅場町二ノ十三
印刷人    濱野東峯
       東京市澁谷區代々木初臺町五四二
印刷所    濱野印刷所
       東京市澁谷區代々木初臺町五四二
發行所    中央經濟情報社
       東京市日本橋區茅場町二ノ十三
       電話 茅場町(66)
          一四四三番 一四四四番 一六九七番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278794/95

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[上山浦路:三田千枝]【女優総まくり】大正6年【女子学習院一覧. 大正9年 乙】

[上山浦路:三田千枝]
【女優総まくり】大正6年
【女子学習院一覧. 大正9年 乙】

【女優総まくり】紅鳥生 著:大正6年
[上山浦路] p20-21/119
…△身が納まれば藝が立たず△…
うら寂れた新派劇が昔し
壯士芝居と威張つてゐた時代には、
壯士役者と云へば
舊俳優の下廻りも居れば、
また土方や出前持まで居つたものだが、
その頃の新聞はそれをスツパ抜いて
喜んでゐたものである。

それと同じやうに
近代の女優にも色んな上りがある、

不見轉は勿論
高淫までも混つてゐるのが多いが、
かう云ふ連中は百人が百人すべて
某女學校出身だといふのが大流行、
本人もまた得意になつて
學校出身といふ顔をしてゐる。

而し浦路ばかりは本當に
學習院女學部の出身で、
學校にゐた頃から仲々の秀才であつた。

處がどうした機(はづみ)か
新しい劇團の傑物
上山草人の妻になつた。

妻は夫を助けるといふ
修身論から出たわけでもあるまいが、
夫の草人は元犬養毅の娘に失戀して自暴になり、
一座の衣川孔雀に關係したり、
兎角素行の納らない事甚しいのにも係らず、

女房の浦路はちつとも嫉妬らしい言を云はずに、
大切に三人の子供を育てながら、
舞臺にも勵み、
家政を助けて草人に盡してゐるのは、
斯界でも誰知らぬ者もない関心な話、
これほどの高德淑女だが、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906845/20
舞臺に立つと
藝がそれまでに及ばないのは
全く以てこの優(ひと)の爲に
惜しまざるを得ない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906845/21
大正五年四月廿三日印刷
大正五年四月廿六日發行
大正六年四月 六日再版
定價  金四拾五錢
著作者 山本喜市郎
發行者 宮澤由三郎
    東京市神田五軒町二十番地
印刷者 日下主計
    東京市京橋區松屋町二ノ六
印刷所 高野印刷所
    東京市京橋區松屋町二ノ六
發行所 光洋社書店
    東京市神田五軒町
    振替 東京四六八一番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906845/116

【女子学習院一覧. 大正9年 乙】
 第三 卒業生
 華族女學校高等中學科卒業生 p32/64
明治三十八年(1905)七月卒業  p34/64
三田千枝
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941393/34

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[Wikipedia]
[山川浦路]
山川 浦路(やまかわ うらじ、
1885年11月15日 - 1947年11月30日)は、
日本の女優である。
ハリウッドのサイレント映画で活躍した俳優の上山草人の妻。
本名、三田千枝。
来歴[編集]
出生から女優修行[編集]
1885年、東京の市ヶ谷で、
帝大出の鉱物学者の父、三田守一と、
元芸者の母小松との間の
長女、千枝として生まれる。
愛日小学校から華族女学校(のちの女子学習院)へ進学。
在学中に早稲田大学の学生、上山草人と知り合う。
170cm近い大柄の美人だった[1]。
 ―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E6%B5%A6%E8%B7%AF
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