2015年07月

[桔梗家 小淸:るり子の實姉]【東京芸妓名鑑】大正12年

[桔梗家 小淸:るり子の實姉]
【東京芸妓名鑑】大正12年

【東京芸妓名鑑】
◎本書は大正十一年十二月末日現在を調査せしもの也。
大正十一年十二月
ボルド製造元
大倉仁三郎商店 廣告部識
東京市日本橋區龜島河岸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/916604/2

[向島秋葉の部] p142/217
桔梗家 小淸
    とん子
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/916604/142

[日本橋の部]  p205/217
花遊   p205/217
小むら  p205/217
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/916604/205

[新橋煉瓦の部] p167/217
松の家 かね
    榮子
   △その子
    電話 銀座五八三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/916604/167

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年07月31日(金)
[日本橋蔦大野 るり子]
【あの女この女】大正9年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2714/

[蔦大野:抱主家號]【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】大正2年

[蔦大野:抱主家號]
【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】大正2年

【日本橋繁昌記:一名・日本橋区沿革史】
藝名  本名   住所    抱主家號
小むら 村松ゑい 數寄屋町五 蔦大野 p97/155
淸香  高村さん 同     同
花吉  島田キミ 同     同
花遊  吉田八重 同     同
繁花  中村てつ 同     同
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/97

大正貮年八月十二日印刷
大正貮年八月十五日發行
定價 金貮圓也
編輯兼發行人 宇井善八
       東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
印刷人    吉野貞治
       東京市小石川區久堅町一〇八番地
印刷所    精美堂
       東京市小石川區久堅町一〇八番地
發行所    日本橋協會
       東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951231/140

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年07月31日(金)
[日本橋蔦大野 るり子]
【あの女この女】大正9年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2714/

[日本橋蔦大野 るり子]【あの女この女】大正9年

[日本橋蔦大野 るり子]
【あの女この女】大正9年

【あの女この女】大正9年

[日本橋蔦大野るり子] p38-41/131

文壇の鬼才谷崎潤一郎氏の妻君の令妹が、
るり子と名乘つて
日本橋蔦大野から出現した事は
一部の人の記憶に殘つてゐるであろう。

此のるり子が今年の五月の末から
お座敷に姿を見せなくなつた。
  に就いて、
某文學士の許に嫁入りするのだと噂される。

又曰く
新橋松の家から現はれるやうになると、
其のいづれなるかを知らず、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/38
と雖も未だ用事をつけて居る事になつて居て、
廢業はして居ない。
されば、
こゝに變りものゝ藝妓の一人として記す。
豈不當なりとせんや。

るり子芳紀十八才、
大いに灰殻也矣。

『君學校は何處?早稻田?帝大?』と
るり子を招いたお座敷に於て
『今晩は』の次に尋問に及ばれたお客がある。

佐藤春夫が……
久米正雄が……
芥川龍之介が……と
文壇お歷々の小説家の名を
無雜作に並べてお客を煙に撒いたのは
彼の女るり子である。

其の煙に噎返つた御一人に藝術の神
永井荷風先生も居らせられる。

實に彼の女なるもの、
芝白金の香蘭女學校の出身なりと聞く。

向島秋葉に桔梗家の姐さんとして
小淸と名乘る藝妓あり、    ※別稿に記載
これが此のるり子の實姉、
こゝに兩親も共に住んで、
女學生が藝妓となる事も
蛇の道から蛇の道へ歩いて行く樣なもので、
前記の蔦大野から現はれたのであつた。

然し縁あつて潤一郎氏を
義兄に持つ樣になつてから
新思潮の連中には御懇意を願つて、
天晴れ人生を語り得べくも、
荷風氏を前に於て
『永井荷風と云ふ人を知つてるか』
との質問に對して
『知らない』
と答へた程の文學通であつた。

よく新橋の田中屋、
芳龍なぞに遠出して、
文學者連の席に侍つた
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/39
と云ふ。
従つて去年の十月お披露目して以來、
珍らしいもの好きの粹人に招かれて
滿更閑を見せなかつたらしい。

彼の女よく歌劇を唄ふ、
三味線は長唄を習つただけは彈けもしたが、
るり子を知つて招く程の客に、
彼の女より、
古來吾が大日本の藝妓に備はつた
これ等の藝を聽かうとする者は
無いと云つて差閊へあるまい。

而して、
此女と一座した他の藝妓は、
彼の女の文學談に足を痺らすのみか、
平の座敷以上の苦勞(?)する若い妓なぞは、
彼女から攻撃される。

つまり解り早いとこ、
水轉の非難である。
鼻の低い女が『獅子鼻』と
他人に嘲けられるは當然だとしても
決して心好いものではない。

こゝに於て若い妓等の或る者は泣いて
姐さんなる人に訴へ、
かくて子供の喧嘩に親が出る不始末を
蔦大野の内儀は二三度受けた。

兎に角るり子は灰殻な女である。
而して本人の公言するところによれば、
ヴアージンである。
かくて彼の女の生意氣の難は
棒引きせられねばなるまい。

話は改まるが、
るり子の家は前記の向島、
兄は向島の券番の勤めて、
も一人は雁鍋に板前をして居ると聞く。
上州の産。
質素な面も賢實な藝の熱心な
日本橋藝者の交つては、
場違ひの感なき能はずであらう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/40

噂の一つの如く
新橋へでも出れば、
前借も、
此所の五百圓より倍位ゐは出すべく、
お客種もお誂へが比較的多いから
よかろうと思ふと
さる通人の言だが、
三年の年期を僅か半年足らずで
用事をつけたまゝにして、
前借は三拾圓位ゐの
月賦拂ひにしてくれないかと、
さる人から申し込んで來たとやらだから、
大方他の噂の一つが實現されるかも知れない。

若しさうだとすると、
今度神樂坂へでも出たら
拜顔の榮を得ようと心組んでゐた
友人に氣の毒の樣な氣もすると云ふもの。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/41

大正九年六月廿八日印刷
大正九年七月十一日發行
定價 金六十五錢
郵税 金  六錢
編者     柳 春吉
       伽藍洞
編輯兼發行者 加藤仁八
       東京市神田區花房町三番地
印刷者    大森小象
       東京市下谷區西黒門町二十番地
印刷所    博秀社
       東京市下谷區西黒門町二十番地
發行所    共成會出版部
       東京市神田區花房町三番地
       電話 下谷 一四六六番
       振替 東京三九〇六五番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906712/128

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《砂田重政:高周波》【旧政党人はどうするか:議員翼賛聯盟の生れるまで】昭和16年

《砂田重政:高周波》
【旧政党人はどうするか:議員翼賛聯盟の生れるまで】昭和16年

【旧政党人はどうするか:議員翼賛聯盟の生れるまで】

[新黨への夢醒めず]    p6/35
今日、政黨と自ら稱へ、
政治結社の届出をなしてゐるものは
大日本生産黨(黨首 吉田益三)か
東方會(會長 中野正剛)
國粹大衆黨(總裁 笹川良一)
立憲養正會(總裁 田中澤二)
など三四に過ぎない。

久しい間國民にその名を親しまれた
政友會や民政黨、
或は社會大衆黨、
國民同盟といふやうな舊政黨は、
新體制運動の展開のために、
昨年の春から夏にかけて、
悉く解散してしまつた。

短かくても十數年、
長いものは
わが國立憲制度の創設以前から存在して
五十餘年の歷史を有するものも、
齊しく解散してしまつたのである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437721/6

[久原派の人々]      p25-27/35
同じこの派に屬するものでも p26/35
砂田重政は、
獨自の行動をとつている。
例の高周波で相當の資力も蓄へたので、

敢へて宇垣大將との因綠に據らずとも、
大臣を射止めることは
さほど困難でないとして、
昨年末あたりの
翼賛會議会局の調査部長の椅子を背景に、
しきりに動いてゐた模様であつた
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437721/26

昭和十六年九月十三日印刷
昭和十六年九月十六日發行
定價  二十錢
著者  佐藤京之輔
發行者 兒玉 勳
    東京市神田區神保町一ノ二二
印刷者 柿崎林之助
    東京市神田區三崎町二ノ九
發行所 興亞書林
    東京市神田區神保町一ノ二二
    電話 神田(25)四〇番
    振替 東京八七四七番
配給元 日本出版配給株式會社
    東京市神田區淡路町二ノ九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437721/34

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
《砂田重政》
[日本高周波重工業株式會社:相談役]
【ポケツト会社職員録. 昭和18年版(第8回)】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2453/

[日本共産黨中央部員公判概況]【日本共産党中央部員公判概況. 上巻】昭和7年

[日本共産黨中央部員公判概況]
【日本共産党中央部員公判概況. 上巻】昭和7年

【日本共産党中央部員公判概況. 上巻】
 昭和七年三月
 日本共産黨中央部員公判概況
  東京地方裁判所
  治安維持法違反事件公判に於ける
  所謂代表陳述
        司法省刑事局思想部
 〔昭和9年2月11日〕
  江木 翼殿寄贈
 立憲民政黨政務調査館圖書之印
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445649/5

 [公判準備手像續概況] p10-11/253
日時 昭和六年(1931)五月二十八日
場所 東京地方裁判所陪審第一號法廷
裁判所の構成
 裁判長   宮城 實
 陪席判事  西久保良行
 同     尾後貫莊太郎
 同     城 富次
 書記    丹内喜代壽
 同     高井澄男
 檢事    平田 勲
 同     戸澤重雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445649/10
 辯護人   山崎今朝彌 神道寛次  上村 進  布施辰治
       角田守平  谷邨直雄  牧野充安  高橋 武
       阿河準一  細田綱吉  後藤眞二  山根 篤
       大森詮夫  馬場愿治  河合 篤  中村高一
       松岡松平
 出頭被告人 佐野 學  北浦千太郎 福本和夫  丹野セツ
       杉浦啓一  小西茂國  西 雅雄  德田球一
       唐澤淸八  志賀義雄  片山峰登  國領五一郎
       宮原省久  中尾勝男  岸本茂雄  松尾直義
       齋藤久雄  今野健夫  相馬一郎  河田賢治
       (以上勾留)
       水野成夫  湊 七良  菊田善五郎 河合悦三
       是枝恭二  金澤一馬  門屋 博  村尾隆男
       南 喜一  水野秀夫  入江正二  喜入虎太郎

       平井 直  荒畑勝三
       (以上不勾留)
 不出頭被告人(病氣其他の事由により不出頭)
       野坂參弎  中野尚夫  内垣安造  中村義明
       淺野 晃
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445649/11

【日本共産党中央部員公判概況. 下巻】
 昭和七年五月 司法省刑事局
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445658/1

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《平田 勲》[日本人の人生觀]【日本精神と少年保護】昭和14年

《平田 勲》
[日本人の人生觀]
【日本精神と少年保護】昭和14年

【日本精神と少年保護】昭和14年
『日本精神と少年保護』 p3/25
 文學博士 紀平正美
 ―略―

『日本人の人生觀』   p19-24/25
 滿洲國最高檢察廳次長
 前 東京保護觀察所長
   平田 勲

[私の場合]      p19/25
私は東京保護觀察所長を致して居りますと同時に、
他方に於て檢事の仕事を致して居たのでありますが、
思想犯保護の仕事と檢察の仕事とは、
究極に於いて同一の精神に
立脚すべきものであると考へて居ります。

更に、
これは或は奇異に感ぜられるかも知れませんけれども、
支那事變の本當の精神も亦究極に於いては、
司法保護の精神、
或は檢察の精神と、
全く同一のものであると確信致して居ります。

卽ち、
これらの精神は、
畢竟いづれも日本精神に歸着するものと信じます。

私はこゝに、
思想犯保護の精神について
お話することになつて居るのでありますが、
それについて先づ、
私自身の人生觀の問題について申述べたいと思ひます。

實は、私自身と致しましては、
先頃まで、
人生觀の問題に就て
全く何も考へたことはなかつたのであります。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098949/19

一たい私は何の爲に生きて居るのか、
私といふ者はどういふものであるか、
斯樣な問題については、
凡そ五十年の間、
殆ど何等考へることなく、
先頃までは過ごして參つたのであります。

と申しますのは、
私は司法官の家庭に生れまして、
しかも一人息子でありましたので、
非常に可愛がられて育ちました。

親の命ずるまゝに
小學、中學、高等學校、大學と參りまして、
何の苦しみなしに、
するすると大學を卒業致しました。

私共の時代は、
大學を卒業致しますと、
すぐに無試驗で司法官に採つて戴けた時代でした。

さういふ關係で私は目をつぶつて居て、
司法官になつてしまつたのであります。

所謂親の七光で、
その後も私自身は實力がないにも拘らず
親のお陰で、實力以上に買はれまして、
到頭東京からあまり出もしないで、
そのまゝ大審院檢事にまでなると
いふような生活を送つて參りました。

從つて人生の問題といふものに就いて
考へたことがありません。
尤も、
斯ういふ生活だから
人生の問題を考へないでも
いゝといふことには
ならないと思ひますけれども、
全く考えへたことがないのであります。

只今の學生諸君は、
學生生活時代から
既に人生の問題に就いて考へさせられる色々な材料、
客觀的事情があると思ひますが、
私の時代にはそれがなかつたのであります。

私自身の生活から申しましても、
當時の客觀的事情と申しますか、
社會的事情から申しましても、
學校は平和な樂園でございまして、
ノートを執つて居りさへすれば、
それで學校は卒業出來るといふ、
未だ社會生活の狂亂怒濤といふものは、
學校には全然及んで居らなかつたのでありまして、
就職に悩むどころか
親が司法官であつた爲に、
幸ひして司法官にして戴いて、
さうして實力以上の待遇を受ける。

斯ういふことでありましたから、
人生の問題などは考へたことがない。

つまり一方から見ますと、
非常に幸福な生活だと見られるかも知れませんが、
他方から言ひますと、
非常に不幸な人間だらうと思ひます。

さうして五十になりまして漸く――
大變お恥しい次第でありますが
人生の問題について
初めて目を開くに至つたのであります。

[轉向學生の人生觀] p20/25
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098949/20

[世界のための日本] p22/25
 ―略―

[眞の日本人]    p23/25
 ―略―

本文         p24/25
 本會主催、
 國民精神總動員體制下
 少年保護事業講習會に於いて、
 「思想犯保護の精神」と題して行はれたる
 講話の一部である。
 文責在記者。

昭和十四年四月四日印刷
昭和十四年四月八日發行
定價 金十五錢
編輯兼發行人 鵜澤 忠
印刷人    横尾留治
       東京市神田區錦町一丁目十四番地
印刷所    松華堂印刷部
發行所    財團法人 日本少年保護協會
       東京市澁谷區千駄ヶ谷四丁目六五八
       電話 四谷 八一六〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098949/24

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《平田 勲》【東京帝国大学一覧】明治43年~大正4年

《平田 勲》
【東京帝国大学一覧】明治43年~大正4年

《平田 勲》
東京帝国大学 法律学科 イギリス法
入学 明治43年(1910)9月
卒業 大正 4年(1915)5月

【東京帝国大学一覧. 明治43-44年】
法律學科        p237/419
 第一回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ
《平田 勲》 東京士族 p241/419
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813186/241

【東京帝国大学一覧. 明治44-45年】
法律學科        p246/434
 第二回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ
《平田 勲》 東京士族 p248/434
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813187/248

【東京帝国大学一覧. 從大正元年 至大正2年】
法律學科        p245/434
 第二回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ
《平田 勲》 東京士族 p248/434
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940163/248

【東京帝国大学一覧. 從大正2年 至大正3年】
法律學科        p247/444
 第三回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ
《平田 勲》 東京士族 p249/444
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940164/249

【東京帝国大学一覧. 從大正3年 至大正4年】
法律學科   p245/447
 第四回受験生
英吉利法ヲ兼修スルモノ
《平田 勲》 東京士族
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940165/245

【東京帝国大学一覧. 從大正4年 至大正5年】
法律學科(英吉利法兼修) p284/460
 大正四年五月卒業    p288/460
《平田 勲》 東京    p289/460
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940166/289

【帝国大学出身録】大正11年
《平田 勲》 p651/872
 東京市麻布區霞町二二
君は東京市に原籍を有し
大正四年
東大法科大學英法科を卒業し

靜岡地方裁判所に入り
次で
東京區裁判所檢事局に轉じ
以て今日に至る
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970710/651

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《平田 勲》[満洲 最高検察庁]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

《平田 勲》
[満洲 最高検察庁]
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 康徳七年九月三十日現在
※康徳7年:昭和昭和15年(1940)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/4
[滿洲國政府機關] p7/73
最高檢察廳     p11/73 ※原本:量高檢察廳
次長 《平田 勳》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663/11

【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】
※康徳9年・民国31年:昭和17年
 昭和16年12月 5日印刷
 昭和16年12月12日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451327/766
[滿洲國官廳] p28/791
最高檢察廳   p74/791
 新京安民廣場
次長 《平田 勳》 生・明治二一年
          東京府
          學・東大法科卒
          入・康徳五年
          住・新京中央通 大和ホテル(異)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451327/74
異動追補表     p766/791
《平田 勳》 免官 p772/791
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451327/791

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《平田 勲》[司法省 大審院:検事局]【職員録. 昭和11年1月1日現在】

《平田 勲》
[司法省 大審院:検事局]
【職員録. 昭和11年1月1日現在】

【職員録. 昭和11年1月1日現在】
[司法省]  p94/257
◎大審院   p94/257
●檢事局   p94/257
 檢事
《平田 勲》 p94/257
淀橋、十二社三〇〇
電話 四谷五〇三五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452201/94

【職員録. 昭和11年7月1日現在】
[司法省]  p208/783
◎大審院   p208/783
●檢事局   p209/783
 檢事
《平田 勲》 p209/783
淀橋、十二社三〇〇
電話 四谷五〇三五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452239/209

【職員録. 昭和12年7月1日現在】
[司法省]  p172/774
◎大審院   p172/774
●檢事局   p173/774
 檢事
《平田 勲》 p173/774
淀橋、十二社三〇〇
電話 四谷五〇三五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452275/173

【職員録. 昭和13年1月1日現在】
[司法省]  p57/234
◎大審院   p57/234
●檢事局   p57/234
 檢事
《平田 勲》 p57/234
淀橋、十二社三〇〇
電話 四谷五〇三五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452287/57

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《平田 勲》【人事興信録】9版(昭和6年)~第13版(昭和16年) 下

《平田 勲》
【人事興信録】9版(昭和6年)~第13版(昭和16年) 下

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《平田 勲》 p1301/1760
從五位勳六等
檢事
東京地方裁判所檢事兼同區裁判所檢事
東京府士族
 養母 ミネ 慶應元年一一月生  ※1865年12月
       東京士族
       吉田孝太郎 姉
 妻  喜壽 明治三二年 六月生 ※1899年
       男爵 富岡明雄 叔母
 男  芳明 大正 八年一二月生 ※1919年
靜岡縣人 相磯千賀吉の弟にして
明治二十一年(1888)六月を以て生れ
平田小三郎の養子となり
明治四十四年(1911)家督を相續す
大正四年(1915)
東京帝國大學法科大學英法科を卒業し
檢事に任じ
東京地方兼同區
靜岡區兼同地方東京區兼同地方各裁判所檢事を歷補
歐米各國へ出張し
昭和三年(1928)
現職に補せらる
家族は尚
 長女 幾代 大正一〇年(1921)一二月生
 二女 桃代 大正一二年(1923) 三月生
 二男 次郎 大正一四年(1925)一〇月生
 三女 君代 昭和 二年(1927) 七月生
あり
東京市外淀橋町角筈二七五
電話 四谷 五〇三五
参照 男爵 富岡明雄
   ※高橋臻※安滿欽一※渡邊澤次郎の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/1301
富岡明雄  p1080/1760
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/1080
高橋臻   p965/1760
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/965
安滿欽一  p1595/1760
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/1595
渡邊澤次郎 p1745/1760
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/1745

【人事興信録. 10版(昭和9年) 下】
《平田 勲》 p432/904
正五位勳五等
檢事 東京地方裁判所檢事
東京府士族
 養母 ミネ 慶應元年一一月生  ※1865年12月
       東京士族
       吉田孝太郎 姉
 妻  喜壽 明治三二年 六月生 ※1899年
       男爵 富岡明雄 叔母
 男  芳明 大正 八年一二月生 ※1919年
靜岡縣人 相磯千賀吉の弟にして
明治二十一年(1888)六月を以て生れ
平田小三郎の養子となり
明治四十四年(1911)家督を相續す
大正四年(1915)
東京帝國大學法科大學英法科を卒業し
檢事に任じ
東京地方兼同區
靜岡區兼同地方東京區兼同地方各裁判所檢事を歷補
歐米各國へ出張を命ぜられ
歸朝後
東京地方裁判所兼同區裁判所檢事を經て
現時
東京地方裁判所檢事たり
家族は尚
 長女 幾代 大正一〇年(1921)一二月生
 二女 桃代 大正一二年(1923) 三月生
 二男 次郎 大正一四年(1925)一〇月生
 三女 君代 昭和 二年(1927) 七月生
あり
東京市淀橋區十二社二七五
電話 四谷 五〇三五
参照=男爵 富岡明雄※高橋臻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127128/432

【人事興信録. 第11版(昭和12年) 下】
《平田 勲》 p656/1289
正五位勳四等
檢事 大審院檢事
東京府士族
 養母 ミネ 慶應元年一一月生  ※1865年12月
       東京士族
       吉田孝太郎 姉
 妻  喜壽 明治三二年 六月生 ※1899年
       男爵 富岡明雄 叔母
 男  芳明 大正 八年一二月生 ※1919年
 女  幾代 大正一〇年一二月生 ※1921年
 女  桃代 大正一二年 三月生 ※1923年
靜岡縣人 相磯千賀吉の弟にして
明治二十一年(1888)六月出生
平田小三郎の養子となり
明治四十四年(1911)家督を相續す
大正四年(1915)
東京帝大法科英法科を卒業し
檢事に任じ
東京地方兼同區
靜岡區兼同地方東京區各裁判所檢事を歷補し
東京地方兼同區裁判所檢事を經て
昭和十年(1935)十二月
大審院檢事に補せられ
曩に
歐米各國に出張を命ぜらる
家族 尚ほ
   二男 次郎 大正一四年(1925)一〇月生
   三女 君代 昭和 二年(1926) 七月生
あり
留守宅 東京市淀橋區十二社二七五
    電話 四谷五〇三五
参照 男爵 富岡明雄の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072938/656

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 下】
《平田 勲》 p620/1113
正五位勳四等
滿洲最高檢察廳 次長
東京府士族
 養母 ミネ 慶應元年一一月生  ※1865年12月
       東京士族
       吉田孝太郎 姉
 妻  喜壽 明治三二年 六月生 ※1899年
       男爵 富岡明雄 叔母
 男  芳明 大正 八年一二月生 ※1919年
 女  幾代 大正一〇年一二月生 ※1921年
 女  桃代 大正一二年 三月生 ※1923年
靜岡縣 相磯千賀吉の弟にして
明治二十一年(1888)六月出生
平田小三郎の養子となり
明治四十四年(1911)家督を相續す
大正四年(1915)
東京帝大法科を卒業し
檢事に任じ
東京地方兼同區
靜岡區同區兼同地方各裁判所檢事を歷補し
東京地方兼同區裁判所檢事を經て
昭和十年(1935)十二月
大審院檢事に補せられ
東京保護檢察所長を兼ね
昭和十三年(1938)七月退職となり
滿洲國檢察官に任ぜられ
高等檢察廳次長に補せらる
曩に
歐米各國に出張を命ぜらる
家族 尚ほ
   二男 次郎 大正一四年一〇月生
   三女 君代 昭和 二年 七月生
あり
留守宅 東京市淀橋區十二社一二〇〇
    電話 淀橋一七五
新京大和ホテル
電話 三ノ三五三三
参照 男爵 富岡明雄の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072991/620

【人事興信録. 第13版(昭和16年) 下】
《平田 勲》 p500/1000
正五位勳四等
滿洲國檢察官
最高檢察廳 次長
東京府士族
 養母 ミネ 慶應元年一一月生  ※1865年12月
       東京士族
       吉田孝太郎 姉
 妻  喜壽 明治三二年 六月生 ※1899年
       男爵 富岡明雄 叔母
 男  芳明 大正 八年一二月生 ※1919年
       慶大 法科 在學
 女  幾代 大正一〇年一二月生 ※1921年
       關東高女 出身
 女  桃代 大正一二年 三月生 ※1923年
靜岡縣 相磯千賀吉の弟にして
明治二十一年(1888)六月出生し

平田小三郎の養子となり
明治四十四年(1911)家督を相續す
大正四年(1915)
東京帝大法科を卒業し
檢事に任じ
東京地方兼同區
靜岡區同地方各裁判所檢事を歷補し
東京地方兼同區裁判所檢事を經て
昭和十年(1935)十二月
大審院檢事に補せられ
東京保護檢察所長を兼ね
昭和十三年(1938)七月退職し
滿洲國檢察官に任ぜられ
最高檢察廳次長に補せらる
曩に
歐米各國に出張を命ぜらる
家族 尚ほ
   二男 次郎 大正一四年(1925)一〇月生
         明星中學 在學
   三女 君代 昭和 二年(1927) 七月生
         關東高女 在學
あり
新京特別市 大和ホテル
電話 三ノ三五三三
留守宅 東京市世田谷區船橋町五一一
参照  男爵 富岡明雄
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070514/500

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