2015年08月

《片山龜子》【婦人宝鑑. 大正12年度】

《片山龜子》
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《片山龜子》 p318/340
慶應元年六月生。 ※1865年7月
高知縣人 山川幸喜の二女。
醫學博士 片山國嘉氏に嫁し
二男二女を擧ぐ。
大日本婦人衛生會、
婦人修養倶樂部、
花の日會評議員。
愛國婦人會評議員兼本郷幹事、
精神病者慈善救治會、
婦人共立育兒會幹事。
本郷婦人會商議員。
本郷區西片町一〇。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/318

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[精神医学]
特集呉秀三先生の生誕100年を記念して
呉先生と救治会
 ―略―
片山国嘉夫人片山亀子氏などを説いて,
精神病者慈善救治会を組織されたわけであります。
この名称は後に精神病者救治会となり,
さらに救治会となりましたが,
その理由については,後で申しあげます
http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1405200864

blog[小野一雄のルーツ]
2013年09月08日(日)
《山川幸喜》
《大崎淳吉:履歴書》
【日本医籍】明治22年8月
《山川幸喜》 p9/246
東京府 京橋區元數寄屋町二丁目
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1294/

[山川幸喜(やまかわこうき)]
 天保3年~明治44年9月19日(1832-1911)
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/yamakawaKouki.htm

[借金の親玉は東本願寺]《法主(二十二世)大谷光瑩》『葦原雅亮集』葦原浩二編

[借金の親玉は東本願寺]
《法主(二十二世)大谷光瑩》
『葦原雅亮集』葦原浩二編

『葦原雅亮集』葦原浩二編
福翁こぼれ話 p88-107
~故葦原雅亮師の談話から~
 伊藤正男
2 宗教について p94-95
中上川彦次郎さん(福沢の姉の子)が三井銀行に入つて、
〔明治二十四年(1891)〕
それまでの銀行の放漫な貸付けを改め、
焦げつき債権の整理に着手した時、
借金の親玉は東本願寺で、
その額は百万円にのぼつてゐた。
中上川さんは容赦なくその取立てをやつたので、
時の法主(二十二世)大谷光瑩さんは閉口して、
てつきりこれは福沢先生の指し金だと思ひ、
先生に哀訴嘆願した。

その時
先生(福沢諭吉)は戒めて、
「大体今の坊主は、生活が贅沢すぎる。
 借金で食へなくなつたら、
 生活を切詰めて、粥でも食へ。
 粥も食へなくなつたら、餓死するがいい。
 無一物が坊主の本色ではないか。
 第一借金といつても、
 お前さんのものではなく、
 東本願寺のものだ。
 お前さんは自分で働いてゐるわけではないから、
 一文も自分の身についた金はないはずだ」と、
散々にあぶらを絞つた。

光瑩さん(大正一二年歿:72)といふ人は、
例の句仏上人
(二十三世法主光演。昭和一八年歿:67)
の父であるが、
中々の発展家で、子供が多かつた。

一体に東本願寺の法主は、
西本願寺の光尊光瑞父子に比べると、
軟派の方であつた。

先生は早くから光瑩さんの息子二人
(句仏の弟たち。英磨と温磨)を
慶應義塾に預かつて、
世話してゐたが、
これらの息子を
自分と一緒に風呂を入れてやりながら、
教へられた。

「見ろ、この湯にはお前たちの
 垢や脂が浮いてゐるだらう。
 北国地方に行くと、
 お前たちの入つた風呂の湯を
 有難がつて飲む信者がゐるが、
 不衛生きはまることだ。
 風呂に入つたあとは、
 必ずすぐ栓を抜いて、
 湯を流してしまへ」と。

先生の死後も、
光瑩さんの末の方の子どもが塾に来てゐたが、
これは不良で、
舎監の私は手を焼いたものだ。
 ※舎監:葦原雅亮

 注 明治二十一年(1888)九月、
   大谷光瑩が慶應在学中の息子
   英磨(後の瑩誠)の教育について感謝した
   福沢あての礼状が残つてゐる。
   (全集二十一、三七〇)

平成二年三月十五日印刷
平成二年三月二十日発行
編集・発行 葦原浩二
      熊本県天草郡五和町下内野
      浄土真宗 円教寺
      電話 〇九六九 三三 〇一〇〇番
      制作 海潮社(代表 吉永忠志)
      熊本県本渡市本渡町一七六五の三
      電話 〇九六九 二三 〇三二三番
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【慶応義塾総覧. 大正4年】
大正參年五月 p106/131
大學部文學科文學卒業
(追加試驗)(一)
大谷瑩琇 京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940252/106

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年03月11日(水)
《大谷光瑩:妻妾・子供》
【人事興信録】初版:明治36年~6版:大正10年・等
 三男     瑩誠 明治11年(1878)11月生 母 恒子
     婦  朝子 明治22年(1889)11月生
           三男 瑩誠 妻
           侯爵 廣幡忠隆 妹

 十男  庶子 瑩琇 明治20年(1887)11月生 母 春榮
     婦  貞子 明治23年(1890)12月生
           庶子 瑩琇 妻
           亡 養弟 勝道 長女
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2446/

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月07日(金)
[佛敵 中上川の功德]
【半世紀財界側面誌】昭和7年
[佛敵 中上川の功德]    p128/250
中上川の固定貸整理が
如何に手きびしいものであつたかは
本願寺に對する百萬圓の回収が
最も雄辯に之を語つてゐる。
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2733/
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《恩田 和:恩田和子》[新聞記者]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《恩田 和:恩田和子》
[新聞記者]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《恩田 和》 p317-318/340
新聞記者
明治二十四年(1891)五月二十五日
茨城縣眞壁郡黒子村に生る。
日本女子大學文學科出身。
曾て讀賣新聞記者として敏腕を謳はれ、
現に大阪朝日新聞記者。
現住所、
大阪市 大阪朝日新聞社内
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/317

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[お嬢さん、空を飛ぶ: 草創期の飛行機を巡る物語]
著者: 松村由利子
飛行機に搭乗した
恩田和子が読売新聞記者だったのも、
偶然ではない。

《尾崎みどり》[小説家]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《尾崎みどり》
[小説家]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《尾崎みどり》 p317/340
小説家。
明治二十六年(1893)
島根縣に生る。
松江高等女學校を卒業。
曾て新聞記者たりしことがある。
島崎藤村氏に師事して、
『颱風』『松林』等の作あり。
現住所、
松江市寺町四丁目。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/317

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《小口みち子》[美容術師]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《小口みち子》
[美容術師]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《小口みち子》 p316-317/340
美容術師。
明治十六年(1883)二月、
兵庫縣總社町に生る。
師範學校附屬敎員養成所出身。
和歌、俳句、活花に堪能。
女敎員、女店員等より
美術研究に轉じ、
現在美容術研究所を經營す。
化粧法に關する著書數種、
又婦人問題に關する論文がある。
小口忠氏夫人。
現住所、
東京芝公園十四號の十四。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/316

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
《小口 忠》 p413/1037
 小口美容研究所
 化粧品商
 東京府士族
 繼母 ゆき 慶應元年七月生 ※1865年8月
       兵庫、伊月豐次郎 妹
 妻  みち 明治三六年(1903)二月生、
       ※明治一六年(1883):誤植
       兵庫、寺本貫治 妹
 男  達也 大正六年(1917)五月生
 女  靜子 大正四年(1915)三月生
君は東京府士族 小口淸の長男にして
明治十一年(1878)十二月一日を以て生れ
大正六年(1917)家督を相續す
化粧品商を營み
小口美容研究所を經營す
家族は尚
 二男 正也 大正八年(1919)五月生あり
東京市澁谷區原宿三ノ二一四
電話 靑山 五九二九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078620/413

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[大河内傅次郎の結婚式]<京都錦小路西洞院 丹栄>【京都商工人名録】昭和9年

[大河内傅次郎の結婚式]
<京都錦小路西洞院 丹栄>
【京都商工人名録】昭和9年

【京都商工人名録. 昭和9年版】
 昭和9年1月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118666/250

料理飲食店       p44/265
 ●料理 及 仕出辨當 p45/265
住所  京都 中、錦小路油小路東
    ※西洞院の一筋西の通りが油小路
商號  丹榮
氏名  阪本タカ
電話  本 四七七
収益税 二五一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118666/45

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月24日(月)
[大河内傳次郎の青春]
<別府祐弘>
『土佐すくも人』第30号(2014年版)
「昭和七年(1932)五月一九日、
 京都錦小路西洞院 丹栄で
 芽出度く大辺・平田ご両家の結婚式が挙行された、
 新郎新婦はその日新婚旅行に出発した。
 …(後略)…」
(御園京平編著『畫譜大河内傅次郎』「年表」
 立命館大学図書館 昭和五一年(1976)九月 186頁)
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2760/

《岡崎茂登惠》[女醫]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《岡崎茂登惠》
[女醫]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《岡崎茂登惠》 p316/340
女醫。
明治二十五年(1892)一月十三日
岡山縣吉備郡富山村延原に生る。
東京女子醫學專門學校出身。
現住所、
東京府荏原郡品川町大字南品川宿一一八。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/316

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《坂本牛松》【日本紳士録. 44版(昭和15年)】【日本紳士録. 47版】昭和19年

《坂本牛松》【日本紳士録. 44版(昭和15年)】【日本紳士録. 47版】昭和19年

【日本紳士録. 44版(昭和15年)】
 昭和15年5月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/1133
《坂本 牛松》 p594/1138
京都市  右京、常盤山下町
●所得税 一六六
▲電話  嵯 六〇九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/594

【日本紳士録. 47版】昭和19年
《坂本 牛松》 p437/610
三營商會(株)社長
大阪計器(株)取締役
京都市 上京、出雲路俵町
●四七五
▲上一五七〇

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《田中伊三次》【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

《田中伊三次》
【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

【日本紳士録. 44版(昭和15年)】
 昭和15年5月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/1133

田中伊三次》 p598/1138
辯護士
京都市 上京、河原町丸太町上
▲電話 上 3四六七八

《田中英一》  p598/1138
號 岸雅夫
映畫 撮影技師
京都市 左京、南禪寺草川町
●所得税 一六三三

《田中 潔》  598/1138
府立 舞鶴中學校 敎諭
舞鶴市引土 同校内

《田中九三》  p598/1138
府立 第二高女 敎諭
京都市 上京、等持院西町四五

《田中末雄》  p598/1138
田中商事(株)社長
向島船渠(株)取締
京都市 上京、岡崎南御所町三五
▲電話 上 3一五〇九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/598

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大野木秀次郎》【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】

《大野木秀次郎》
【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】

【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070509/7

《大野木秀次郎》 p396/976
 洛東織物工場(株)社長
 泊紡績(株)監査役
 京都府在籍
 妻 きみ 明治三八年(1905)一〇月生
      田中久次郎 二女
      京都華頂高女 出身
 男 繁一 大正一二年(1923)九月生
京都府 大野木繁太郎の二男にして
明治二十八年(1895)十一月出生
大正十二年(1923)分家す
現時前記各會社の重役たり
家族 尚ほ
   長女 育子 昭和一一年(1936)九月生
   二女 惠子 昭和一五年(1935)一月生
京都市東山區山科竹堂ノ前五五ノ一
電話 上 五九六〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070509/396

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月23日(日)
《大野木秀次郎》
【日本紳士録. 44版(昭和15年)】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ