2015年08月

《大野木秀次郎》【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

《大野木秀次郎》
【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

【日本紳士録. 44版(昭和15年)】
 昭和15年5月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/1133

大野木秀次郎》 p584/1138
泊紡績(株)監査
タイヤベルト生地
京都市 東山 山科、竹鼻堂ノ前町
●所得税   五一八二
×營業収益税 七七六
▲電話  山 一九八 上3五九六〇

《大野木萬次郎》 p584/1138
綿布製造
京都市 東山 山科、四ノ宮神田、一
●所得税   八六六四
×營業収益税 一〇三六
▲電話  上3二八五九

《大野木 茂》 p584/1138
織物業
京都市 東山 山科、竹鼻竹ノ街道町
●所得税 一五五
▲電話  山 一七七

《大羽鹿次郎》 p584/1138
醫博、醫師
京都市 伏見、深草正覺、二七
●所得税 五八七
▲電話  祇6三六二五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/584

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月23日(日)
《大野木秀次郎》
【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《大邊 男:大河内傳次郎》【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

《大邊 男:大河内傳次郎》
【日本紳士録. 44版(昭和15年)】

【日本紳士録. 44版(昭和15年)】
 昭和15年5月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/1133

《大邊 男》 p584/1138
藝名 大河内傳次郎
映畫俳優
京都市 右京、嵯峨、北造路町
●所得税 五三一五
▲電話  嵯峨 三六〇(2)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127298/584

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《藤山一郎:本名 增永丈夫》【東京音楽学校一覧】大正14年~昭和8年

《藤山一郎:本名 增永丈夫》
【東京音楽学校一覧】大正14年~昭和8年

[Wikipedia]
《藤山 一郎》
1911年(明治44年)4月8日 - 1993年(平成5年)8月21日)は、
日本の歌手・声楽家・作曲家・指揮者である。
本名は増永 丈夫(ますなが たけお)
東京音楽学校時代[編集]
慶應義塾普通部を卒業後の1929年(昭和4年)4月、
当時日本で唯一の官立の音楽専門学校であった
東京音楽学校予科声楽部(後の東京藝術大学音楽学部)に入学。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E

【東京音楽学校】
[選科] 大正十四年(1925)九月現在
     大正十五年(1926)七月現在
     昭和 二年(1927)七月現在
     昭和 三年(1928)七月現在
[豫科] 昭和 四年(1929)九月現在
[本科] 昭和 五年(1930)十月現在
     昭和 六年(1931)十月現在
     昭和 七年(1932)十月現在
     昭和 八年(1933)三月卒業

【東京音楽学校一覧. 自大正14年至15年】
 第十三 生徒(大正十四年九月現在)p44/68
[選科]   p47/68
 唱歌 男子 p47/68
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生 p48/68
大正十七年七月 ヴ 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941216/48
 ヴアイオリン 男子        p51/68
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生
大正十七年七月 唱 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941216/51

【東京音楽学校一覧. 自大正15年至16年】
 第十三 生徒(大正十五年七月現在) p44/101
[選科]   p47/101
 唱歌 男子 p47-48/101
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生
大正十七年七月 ヴ 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941217/48
 ヴアイオリン 男子        p51/101
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生
大正十七年七月 唱 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941217/51

【東京音楽学校一覧. 従昭和2年至昭和3年】
 第十三 生徒(昭和二年七月現在) p45/108
[選科]   p48/108
 唱歌 男子 p48/108
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生
昭和三年三月 ヴ 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448329/48
 ヴアイオリン 男子 p51-52/108
試驗を終了スベキ期限 第一回受驗生
昭和三年七月 唱 增永丈夫(藤山一郎) 東京 p52/108
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448329/52

【東京音楽学校・第四臨時教員養成所一覧. 昭和3至4年】
 第十四 生徒(昭和三年七月現在) p48/94
[選科]p52/94
 唱歌 p52/94
試驗を終了スベキ期限 第二回受驗生
昭和五年三月 ヴ 增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448340/52
 ヴアイオリン 男子 p54-55/94
試驗を終了スベキ期限 第二回受驗生
昭和三年七月 唱 增永丈夫(藤山一郎) 東京 p55/94
※昭和五年の誤植
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448340/55

【東京音楽学校・第四臨時教員養成所一覧. 昭和4至5年】
 第十四 生徒(昭和四年九月現在) p62/116
[豫科] 聲樂志望ノ者 男子    p65/116
增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448346/65

【東京音楽学校・第四臨時教員養成所一覧. 昭和5至6年】
 第十四 生徒(昭和五年十月一日現在) p79/143
[本科] 聲樂部 男子         p80/143
 第一學年ノ課程ヲ修ムル者
增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448332/80

【東京音楽学校・第四臨時教員養成所一覧. 昭和6至7年】
 第十四 生徒(昭和六年十月一日現在) p85/150
[本科] 聲樂部 男子         p86/150
 第二學年ノ課程ヲ修ムル者
增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448338/86

【東京音楽学校一覧. 自昭和7年至昭和8年】
 第十四 生徒(昭和七年十月十一日現在) p89/143
[本科] 聲樂部 男子   p89-90/143
 第三學年ノ課程ヲ修ムル者 p90/143
增永丈夫(藤山一郎) 東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448333/90

【東京音楽学校一覧. 自昭和8年至昭和9年】
 第十四 卒業生及修了生  p96/131
 昭和八年三月卒業
[本科] 聲樂部
バリトン 增永丈夫(藤山一郎) 東京
ソプラノ 稻見靜子       茨城
ソプラノ 土岐妙子       東京
ソプラノ 中村淑子       三重
ソプラノ 長門美保       東京
ソプラノ 河野不二       山口
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448337/96

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月20日(木)
《藤山一郎:本名 增永丈夫》
【レコード音楽技芸家銘鑑. 昭和15年版】
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2754/

《藤山一郎:本名 增永丈夫》【レコード音楽技芸家銘鑑. 昭和15年版】

《藤山一郎:本名 增永丈夫》
【レコード音楽技芸家銘鑑. 昭和15年版】

【レコード音楽技芸家銘鑑. 昭和15年版】
藤山一郎》  p76/273
 目黒區中目黒四ノ一五二七
本名 增永丈夫、
日本橋生れの江戸ツ子。
慶應幼稚舎普通部を經て
上野東京音樂學校
聲樂科本科出身。
レコード歌手として
既に十年もの間、
第一線に活躍しつゝ
しかも日と共に益々人氣を高めてゐる。

はじめコロンビアより
「丘を越えて」
「酒は涙か溜息か」
などで賣り出して後
テイチクに轉じ、
昨年四月復歸し、
以來
「上海夜曲」
「明るい月夜」
などでヒツトしてゐる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/76

東京音樂學校] p211/273
 下谷區上野公園内
 (電話 下谷五五六三番)
 分敎場 神田區駿河臺二ノ九
 (電話 神田三五一五番)
我國唯一の文部省直轄、官立の專門學校、
明治十二年創立、
文部省音樂取調掛の名稱で本郷に置かれ、
明治十八年
音樂取調所と改稱、
明治二十年
東京音樂學校と改稱、
明治二十三年に上野に移轉す。
豫科(一年修了) 本科(三年修了)
 聲樂科、器樂科、作曲科の三科に分つ。
甲種師範科(三年修了)中等敎員を養成す。
乙種師範科(一年修了)小學敎員養成、目下募集せず。
邦樂科  (三年修了)能樂、筝曲、長唄に分る。
研究科  (三年修了)卒業者の研究機關。
選科   午後又は夜間音樂の實習のみをなす。
校長   乘杉嘉壽。
敎授 (ピアノ) 萩原英一・小倉末子・高折宮次・貫名美名彦
         田中規矩士・川上きよ・福井直俊・宇佐美ため
   (聲樂)  澤崎定之・長坂好子・田中宣子
   (提琴)  川上淳
   (チエロ) 平井保三
   (オルガン)眞篠俊雄
   (作曲)  遠藤宏
助敎授 橋本國彦・下總皖一・細川碧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/211

昭和十五年十月 十日印刷
昭和十五年十月十五日發行
   (定價 金 參圓)
編纂者    島田芳文
       東京市牛込區市谷本村町二
印刷兼發行者 渡邊錦造
       東京市牛込區市谷本村町二
印刷所    レコード世界社印刷部
       東京市牛込區市谷本村町二
發行所    レコード世界社
       東京市牛込區市谷本村町二
       電話 牛込(34)四八四一番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/247

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月21日(金)
《藤山一郎:本名 增永丈夫》
【東京音楽学校一覧】大正14年~昭和8年
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2755/

[昭和11年:第6回卒業生:52名]【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和11年:第6回卒業生:52名]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

【京都府立園部中学校十年史】
昭和十一年三月四日 第六回卒業證書授與式 p60/102
[第六回卒業生]
秋田 淸   秋田宗之助  芦田 潔
荒木德太郎  泉 芳郎   泉 義雄
伊藤 鼎   井原秀雄   今西淺五郎
今西三郎   江本誠一   神内滋也
龜尾 赫   川勝四郎   木戸 亨
小島一夫   齋藤有義   齋藤光市
笹岡 訊   楳木 茂   鹽田 巌
曾我五郎   高向吉衞   高屋日出雄
竹井 功   竹内正吾   田中重禧
谷村喜代司  内藤忠愛   中川甚右衞門
中田寛次   中西 淸   中山敏武
西尾賢一   西田多門   西田雅男
西村秀雄   羽田喜久男  林 寛治
人見數夫   平田茂馬   福島吉樹
古田 寧   前田幸雄   松永 滋
松本潤次郎  馬淵義男   三輪繁次
森 美智夫  山崎勝造   山本光敬
渡邊 昇
計 五十二名(内一種生十五名、二種生三十七名)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/60

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/99

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月13日(木)
[教育方針]
[校歌:寮歌]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和10年:第5回卒業生:64名]【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和10年:第5回卒業生:64名]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

【京都府立園部中学校十年史】
昭和十年三月四日 第五回卒業證書授與式 p55/102
[第五回卒業生]
淺田義男   安立義寛   石田収吉
石原 雄   磯部廣文   今井邦雄
井上 薫   宇野正次   梅田一郎
大石 榮   大石正孝   太田 隆
阜 秀天   片野 宏   桂 茂實
岸 格    北尾一巳   北村四郎
黒川博之   近藤生    近藤 實
酒井春次   澤田 潔   鹽田亮三
釋 昇龍   曾我孝典   薗田三郎
高田哲郎   高畑實次   高畑二郎
高屋孝之   高屋秀夫   高屋眞三次
田中貞一郎  田中友雄   谷 茂
谷垣 正   種島龜男   戸川利一
中川 恂   並川行夫   西山耕道
畑 忠男   畑 廣章   原 勝一
原田 昭   樋口和雄   松田 弘
松見巳之吉  松本金吾   前川武三
前田利雄   實 茂良   村上暉正
森 慶三   森 重雄   森 傳治郎
森 俊雄   森 英夫   矢野耕次
山田周二   山村三治   米田重雄
渡邊文夫   計 六十四名
八木達男(第五回卒業生ト同級、
     第四學年ヨリ上級學校入學者)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/55

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/99

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年08月13日(木)
[教育方針]
[校歌:寮歌]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和9年:第4回卒業生:61名]【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和9年:第4回卒業生:61名]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

【京都府立園部中学校十年史】
昭和九年三月四日 第四回卒業證書授與式 p50/102
[第四回卒業生]
麻田吉實   石田辰次郎  石橋三好
市谷光之助  岩崎兆民   上野忠一
奥村敬太郎  大宅辰雄   大島喜郎
大坪 勇   大坪 守   尾池忠男
數井良平   片山市太郎  片山一夫
勝山重夫   川勝瀨平?  川勝睦美
日下部榮一  黄 鴻麟   小池廣一
胡 振明   下西隆郎   白山眞瑞
進士達雄   關野和士   田口孝行
田中五夫   田中 出   田中信夫
谷垣丹治   塚脇幹雄   塚脇陽太郎
都留昌人   内藤 茂   中西 桂
中西賢吉   長澤龍一   長田幸二
永田庸夫   西田重一   西田幸生
西田良一   西村惠治   西村甚吾
畑中善作   東野悠基夫  人見丈夫
廣瀬和夫   廣瀬五郎   福島治郎
細見利三   前田四郎   松村久太郎
松本健太郎  松岡和夫   村井 純
森 慶造   八木正美   矢野 勇
山根正己   計 六十一名
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/50

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/99

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年08月13日(木)
[教育方針]
[校歌:寮歌]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和8年:第3回卒業生:64名]【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

[昭和8年:第3回卒業生:64名]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

【京都府立園部中学校十年史】
昭和八年三月四日 第三回卒業證書授與式 p44/102
[第三回卒業生]
天草健二   磯部克次郎  伊藤一郎
伊藤活雄   今井由雄   大石禮次郎
太田達夫   大槻利二   片山作二
片山富雄   梶村文雄   川勝隆太郎
川邊正平   河原林二郎  上村誠一
岸本 巍   北井鹿十郎  桐 生一
小寺研次   小畠敏夫   小林正雄
佐々江一郎  鹽瀨英一   淸水一郎
薗田太郎   園田正雄   高屋三郎
瀧村良夫   宅間 治   竹内眞次郎
竹内睦裕   谷口友三郎  谷田 昇
中條祿展   近澤正敬   筒井 澄
中川照廣   長澤信雄   中西鋼二
中山通成   西垣 昌   西田賢次郎
西野 久   波瀬眞澄   羽野侃次郎
原田正一   樋口八郎   人見喜八郎
人見四郎   廣瀬二郎   福井正雄
福岡恭二   福岡正二   法貴寛一郎
松谷 始   松本郁三   森田幸一
安威廣忠   山村英夫   湯淺定雄
湯淺幸雄   湯口善三郎  吉田省三
吉田大桂司  計 六十四名
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/44

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457201/99

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年08月13日(木)
[教育方針]
[校歌:寮歌]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

《鈴木利明議員》『須知高等学校の現状と対応』②[平成27年6月京丹波町議会]

《鈴木利明議員》
『須知高等学校の現状と対応』②
[平成27年6月京丹波町議会]

[平成27年第2回京丹波町議会定例会(第2号)]
 平成27年 6月 3日(水)
 開 議 午 前 9 時 0 0 分

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月18日(火)
《鈴木利明議員》
『須知高等学校の現状と対応』①
[平成27年6月京丹波町議会]
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2748/

○9番(鈴木利明君) p52/67
須知高等学校の特色は、学校創設以来、
何といいましても農業教育にあります。

平成6年の農業高校の再編に伴いまして、
農業学科、農業畜産科が廃止され今日に至っております。
平成25年の1月に、
府立高校における農業教育のあり方についてとする提言が、
京都府産業教育審議会よりなされました。

この中で、南丹地域の今後の農業教育のあり方、
方向性について重要な記述がございます。
すなわち、 p53/67
類似する学科の再編整備や生徒のニーズに応じた
学科編成について検討するとともに、
府の農業教育の中核校の役割を整理し、
機能を充実させるなど、
それぞれの学校や学科の特色が明確となるよう、
そのあり方を検討する必要があると書いております。

いずれにしましても、
この提言に沿った再編が今日以降実施されることだと、
私は考えております。

須知高校の伝統ある農業教育を学ぶためには、
府への要請を含めて
強力なバックアップが行政にも求められます。
微妙な問題もありますので、
町長のお考えの範囲で結構でございますので、
町長のご所見があればお伺いしたいと思います。

○議長(野口久之君)
寺尾町長。

○町長(寺尾豊爾君)
現在、京都府教育委員会において、
府立高校が特色化を推進しております。
生徒の個性や能力を最大限に伸ばす教育実践に
取り組まれているということであります。

また、平成25年1月、京都府産業教育審議会から、
農業教育のあり方について、
新たな時代に応えた農業教育、
特に6次産業化をキーワードに答申が出されました。

審議段階におきまして、
審議会の農業教育に関する専門部会から
6次産業化と地域連携のモデルケースとして、
須知高校と地元京丹波町との取り組みについて、
意見を求められまして、
当時の産業振興課長が出席し、
事例発表などを行ったこともございます。

須知高校は、京都府農牧学校以来
140年の歴史を受け継ぐ学校であります。
全国にも誇るべき学校であると認識いたしております。

また、須知高校は、
京丹波町を支える人材育成の場でもあります。
食や農に特化した食品科学科は
本町のまちづくりにとっても大切な学科であります。
そのため、須知高校はさらに充実した学校となるよう、
機会を捉え、
京都府や京都府教育委員会に要望を重ねてきました。

京都府の高校改革において、
須知高校がさらに重要な役割を果たす学校として、
存続させるためには、
須知高校関係者はもとより、
広く町民の皆さんに
須知高校への誇りを持っていただき、
何としても存続させるという
私たちの高校、
我が町の高校としての意識を高めていくことも
大切であると考えております。

町といたしましては、
引き続き全力を挙げて取り組みを進めまして、
京都府、あるいは京都府教育委員会へ
要望していく予定をしております。

何にしましても、
須知高校が再編の対象になって
廃止されるってなことは、
私らの常識では考えられません。

まず、そういうことは考えてないんですが、
さっきの大学入試のための1つの考え方ですね、
こういうことも1つだとは思います。

私も、教育というもんは、専門じゃないんで、
須知高校を守るためにも、
そういうことについては、意見述べたことはないんです。

気張ってやってくれはることを全部賛成で、
気張ってやってほしいなという思いでおります。 p54/67

何にしても、
鈴木議員さんとこうして議論さしとってもらって、
感じることは、
議員さんとも要望活動等一緒にするわけですが、
まず、職員をそれなりにねぎらっていただいて、
あるいは励ましていただくということは、
ときにはお叱りもあるんですが、
お褒めをいただく、
そして大きく期待していただく、
ともに行動していただいてることに、
改めて敬意をあらわしておきたいと、そんな思いです。

要望活動等、本当に一緒にさせてもらって、
議員さんと、心強く思っております。

須知高校は断固守るというんか、
守れるだろうという認識でおります。
これからも一緒に頑張りたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
以上です。
○議長(野口久之君)
鈴木君。

○9番(鈴木利明君)
町長から力強いお話をいただきまして、うれしく思います。
また、資料を頂戴いたしましたこと、厚く御礼申し上げます。
私の母校でもあります須知高等学校が、
力強い前進をすることを期待しまして、
私の質問を終わります。
ありがとうございました。

○議長(野口久之君)
これで、鈴木利明君の一般質問を終わります。
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2181/270603kaigi.pdf

『京丹波町議会議員 山崎裕二 議員活動誌 ブログ版』
[平成27年第2回定例会 一般質問の議事録がアップロードされました]
2015-08-16 16:42:53 | 定例会─一般質問
http://blog.goo.ne.jp/yamasaki-kyotambachougi/e/8494cbfa8d99a7f77c4f96bf4cdb7408

《鈴木利明議員》『須知高等学校の現状と対応』①[平成27年6月京丹波町議会]

《鈴木利明議員》
『須知高等学校の現状と対応』①
[平成27年6月京丹波町議会]

[平成27年第2回京丹波町議会定例会(第2号)]
 平成27年 6月 3日(水)
 開 議 午 前 9 時 0 0 分

○9番(鈴木利明君)  p50/67
 ―略―
次に、須知高等学校の現状と対応について質問をいたします。

ご案内のとおり、須知高等学校は、京都府の所管でございます。
しかし、多くの町民の子弟が学ぶ地域になくてはならない
中等教育機関でありますが、
現状は危機的な状況にあるという認識を、私はいたしております。

お手元の資料を見てもらったらよろしいように、

この4月、町内3中学校の卒業生のうち、
須知高校に進学したのは、
およそその3分の1にすぎません。
3分の2の生徒の皆さんは、
遠くても経費がかかっても他の学校に進んでおられます。
このような現況は、まさに危機的な状況でございまして、
この結果、必然的に定員を割る状況が長く続いております。

このような状況は、
一朝一夕にでき上がってものではございませんで、
長い間にこのようになったんだというふうに思います。
この現状を打破するためには、
町民の皆さん、父兄の皆さんに、 p51/67
いま一度この現状を認識いただくことが、
まず第一だというふうに思います。

2つには、一にも二にも、三にも四にも五にも、
須知高等学校の学力水準のアップの
懸命な努力を学校に強く要請するものであります。
これが基本であります。

3つ目には、町民の皆さん、父兄の皆さんと、
学校すなわち、須知高等学校、さらには町行政、
この三者が一体となって須知高校を
地元中学生の受け皿校に再生しなければなりません。

これが、今まさに至上の命題であると、
この観点から質問をいたしたいと思います。

言うまでもなく、
須知高等学校は、
明治9年、今から139年前に
米国人ウィード先生によって、
京都府農牧学校として開校されました。

近代日本の黎明期に開かれた
札幌農学、東京駒場農学校とともに
並び称される近代農業教育の発祥の地であり、
この古い歴史を今に脈々と伝えるのが
伝統ある須知高等学校であります。

それでは、次に須知高等学校の現状について
説明をいたしたいと思います。

まず、資料を見ていただければおわかりのように、
平成27年4月の入学者数、
普通科40人、定員60人、定員不足20人
という数字でございます。
食品科学科は34人で定員を6名割っております。

ご案内のとおり、
普通科の定員をこの4月から
従来の80人から60人に減じられました。
普通科の入学状況を見てもらってもよろしいように
73人、57人、それから40人と、
年々減少しているのが現状であります。
これは、少子化と相まってのことでも
あろうかと思いますけれども、
減少をいたしております。

もう1つ、上段の表をごらんください。
平成27年3月、中学卒業生の須知高校への進学状況を
一覧表にしたものでございまして、
町内3中学校の合計146名の卒業生のうち、
須知高等学校に入ったのは55人、37.7%でございます。

特に、和知は少ないですが、
これはJRが走っておりますので、
そういう物理的なことも踏まえて
やむを得んなという状況もあります。

いずれにしても、卒業生146名、
町内3中学校の卒業生146名のうち
55名しか須知高校に入っていない。
ほかは、91名は他校に遠くても、
経費がかかっても進んでおると。

この数字を見て、
私もびっくりをいたしたところでございます。
町長のご所見を、
表を見られて感想がありましたら、
お伺いいたします。

○議長(野口久之君)
寺尾町長。

○町長(寺尾豊爾君)
鈴木議員さんがいろいろ資料も提供していただいて、
見させてもらって、
これが現実だなというふうに、
まず受け止めております。
そこから須知高校をしっかり存続させるための
いろいろな活動をしていかんなんというふうに、
改めて思っている次第です。
以上です。

○議長(野口久之君) p52/67
鈴木君。

○9番(鈴木利明君)
なぜ、このような状況になったのか、
理由は私は簡単だと思います。

生徒たちが、あるいは父兄の皆さんが、
須知高校に入ったのでは、
自分の希望する学校に進学できないと
思っていらっしゃるからであります。

すなわち、学力水準の低下が最大の理由であります。

平成以降、近隣他校が学力アップを至上命題として、
いろいろな改革を試みて参られました。

特進クラスの設置とか、中高一貫制度などでありますが、
須知高校はやっと平成26年4月に
特進SAコースが定員10名でスタートしました。
うれしい限りでございます。

資料にも書いておりますように、
4年制の大学の合格状況を見ていただきますと、
平成27年には、国立大学に3名合格してくれました。
防衛大学に1年浪人の方がいらっしゃいますので
実質4名であります。

久しぶりに同志社にも受かったということで、
喜びの声を聞いております。
成果も順次出かけてきた現状にうれしく思っております。

いずれにいたしましても、
学校は着実に成果を上げること、
このことが地元中学生の受け皿校に再生する
唯一の道であるということでございます。

定員割れの続く状況は、
クラブ活動も低調になりまして、
校内の活力を失ってまいります。

ついては、現在、町施策として
通学バス代を半額補助しております。
平成26年度は34人が利用していますけれども、
私も若干は問題もありますので、
定着するまで当面全額補助にしてはどうか
というふうに考えたところでございますけれども、
町長のお考えがございましたらお聞かせください。

○議長(野口久之君)
寺尾町長。

○町長(寺尾豊爾君)
現時点では、現在の半額助成を継続していきたい
というふうに考えております。
以上です。

○議長(野口久之君) 鈴木君。
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000002/2181/270603kaigi.pdf

blog[小野一雄のルーツ]
2012年04月09日(月)
<一見西洋人の様な安井荘次郎飛行士:安井飛行場:須知農学校>
須知農学校:京都第一中学校生を迎へて
(昭和2年7月25日~8月7日)
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/271/

blog[小野一雄のルーツ]
2015年08月18日(火)
《鈴木利明議員》
『須知高等学校の現状と対応』②
[平成27年6月京丹波町議会]
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/2749/
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