2016年01月

[臺灣總督 小林躋造:高雄州高雄市新南群島ノ區域]【官報】昭和14年4月18日

[臺灣總督 小林躋造:高雄州高雄市新南群島ノ區域]
【官報】昭和14年4月18日

【官報. 1939年04月18日】
[官報] 昭和十四年四月十八日 火曜日 p1/17
     第三千六百八十三號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/1
◎臺灣總督府告示第百二十二號 p5/17
昭和十四年府令第三十一號ニ依ル
高雄州高雄市新南群島ノ區域等左ノ如シ
 昭和十四年三月三十日
   臺灣總督 小林躋造
一、新南群島ハ左ノ地點ヲ逐次結ブ區域内ノ全島嶼ヲ謂フ
     北緯    東經
  地點 十二度   百十七度
  地點 九度三十分 百十七度
  地點 八度    百十六度
  地點 七度    百十四度
  地點 七度    百十一度三十分
  地點 九度    百十一度三十分
  地點 十二度   百十四度
二、新南群島中ニ於ケル主ナル島嶼ノ名稱左ノ如シ
  北二子島 南二子島 西靑島 三角島 中子島
  龜甲島  南洋島  長島  北子島 南子島
  飛鳥島  西鳥島  丸島
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/5

【官報. 1939年06月30日】昭和14年
◎臺灣總督府告示第百五十四號 p4/50
高雄州高雄市新南群島ニハ當分ノ内
臺灣鑛業規則第十六條第一號ノ規定ニ依リ
鑛業ノ出願ヲ許可セズ
 昭和十四年四月二十五日
   臺灣總督 小林躋造
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960238/4

『新南群島』
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E6%96%B0%E5%8D%97%E7%BE%A4%E5%B3%B6&viewRestricted=0

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

<産経ニュース 2016.1.26 12:05>
[中国強弁の「南沙諸島」は日本の領土だった 終戦まで実効支配]
 論説委員・榊原智
南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島が、
元は日本の領土だったことをご存じですか。
南シナ海問題をめぐる背景知識の一つとして紹介したいと思います。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n1.html
1952(昭和27)年4月発効の
サンフランシスコ平和条約第2条のf項に
こうあります。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、
権原及び請求権を放棄する」
ここでいう新南群島が南沙諸島を指すのです。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n2.html
ラサ島燐礦会社は、政府に領土編入を陳情しましたが、
外務省がぼやぼやしていたのか領有宣言をしていなかったのです。
大阪毎日、東京日日の両新聞社(現毎日新聞社)はこのとき、
新南群島へ探検隊を派遣し、日本の領土だと大々的に報じています。
 結局、1939(昭和14)年に平沼騏一郎内閣が日本の領有を宣言し、
台湾の高雄市に組み込みました。
日本の主張は正当であり、
1945(昭和20)年の敗戦まで日本は実効支配をしています。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n3.html

《松方義雄》【人事興信録】〔第13版下・昭和16年〕〔第14版下・昭和18年〕

《松方義雄》
【人事興信録. 第13版 下】昭和16年
【人事興信録. 第14版 下】昭和18年

【人事興信録. 第13版 下】昭和16年
《松方義雄》 p648/1002
 大同生命保險(株)横濱支店長
 東京府士族
 父 正雄 明治 元年 五月生 ※1868年
      現戸主(別項登載)
 妻 久子 明治四〇年(1907)一一月生
      東京 佐久間貞男 妹
 男 淸  昭和 三年(1928) 三月生
東京府士族 松方正雄の長男
松方正作・松方幸次郎・松方五郎・
松方正熊・松方義三・松方義輔の甥にして
明治三十三年(1900)二月出生す
大正十二年(1923)
東京帝大商業科を卒業し
大同生命保險會社に入り
現時横濱支店長たり
家族 尚ほ
 二男 康  昭和 八年(1933) 三月生
(東京市大森區田園調布三ノ六〇)
(電話 田園調布 三五五五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127104/648

【人事興信録. 第14版 下】昭和18年
《松方義雄》 p625/1019
 大同生命保險(株)東京支店長
 東京府士族
 妻 久子 明治四〇年(1907)一一月生
      東京 佐久間貞男 妹
 男 淸  昭和 三年(1928) 三月生
東京府 松方正雄の長男にして
明治三十三年(1900)二月出生す
大正十二年(1923)
東大商科を卒業し
大同生命横濱支店長を經て
現職に就く
家族 尚ほ
 二男 康  昭和 八年(1933) 三月生
 弟  三雄 大正 三年(1914) 三月生
あり
 妹  富子 明治三六年(1903) 八月生
       中上川小六郎に嫁し
 弟  鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
 弟妻 みつ 明治四〇年(1907)一二月生
は分家す
(東京市大森區田園調布三ノ六〇)
(電話 田園調布 三五五五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455/625
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《松方正雄》【人事興信録】〔第12版(昭和14年)下〕〔第13版下・昭和16年〕

《松方正雄》
【人事興信録. 第12版(昭和14年) 下】
【人事興信録. 第13版 下】昭和16年

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 下】
松方正雄》 p776/1113
 忠南金馬鑛業(株)社長
 大福海上火災保険(株)取締役
 大阪瓦斯(株)監査役
 堺瓦斯(株)監査役
 日本スピンドル製造所(株)監査役
 東洋木材防腐(株)監査役
 日本放送協會評議員
 東京府士族
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
       大同生命保險會社員
       經濟學士
 婦  久子 明治四〇年(1907)一一月生
       長男 義雄 妻
       東京 佐久間貞男 妹
 男  三雄 大正 三年(1914) 三月生
       生母 兵庫 和田きん
 ―略―
家族は尚
 孫  淸  昭和 三年(1928)三月生
       長男 義雄 長男
 孫  康  昭和 八年(1933)三月生
       長男 義雄 二男
 あり
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
       三輪田高女出身
       東京府人 中上川次郎吉 弟 小六郎に嫁し
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
       學習院出身
 同妻 みつ 明治四〇年(1907)一二月生
       大阪 林尚五郎 孫
 と共に分家す
(兵庫縣川邊郡小濱村米谷木戸一一)
(電話 寳塚 一二六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072991/776

【人事興信録. 第13版 下】昭和16年
《松方正雄》 p648/1002
 大福海上火災保険(株)取締役
 大阪瓦斯(株)監査役
 堺瓦斯(株)監査役
 東洋木材防腐(株)監査役
 日本放送協會評議員
 東京府士族
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月(別項登載)
 男  三雄 大正 三年(1914) 三月生
       生母 兵庫 和田きん
 ―略―
家族
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
       三輪田高女出身
       東京府 中上川次郎吉 弟 小六郎に嫁し
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
       學習院出身
 同妻 みつ 明治四〇年(1907)一二月生
       大阪 林尚五郎 孫
 と共に分家す
(兵庫縣川邊郡小濱村米谷木戸一一)
(電話 寳塚 一二一)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127104/648
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《松方正雄》【人事興信録】〔10版(昭和9年)下〕〔第11版(昭和12年)下〕

《松方正雄:庶子 三雄 大正3年3月生》
【人事興信録. 10版(昭和9年) 下】
【人事興信録. 第11版(昭和12年) 下】

【人事興信録. 10版(昭和9年) 下】
《松方正雄》 p572/904
 大福海上火災保険(株)取締役
 豐川鐡道(株)取締役
 加島信託(株)取締役
 川崎造船(株)監査役
 大阪瓦斯(株)監査役
 堺瓦斯(株)監査役
 日本放送協會關西支部理事長
 東京府士族
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
       大同生命保險會社員
       經濟學士
 婦  久子 明治四〇年(1907)一一月生
       長男 義雄 妻
       東京 佐久間貞男 妹
 庶子 三雄 大正 三年(1914) 三月生
       生母 兵庫 和田きん
君は故公爵松方正義の四男にして
松方巖・松方正作・松方幸次郎の弟
松方五郎・松方乙彦・松方正熊・松方義輔の兄なり
明治元年五月七日を以て生れ ※1868年6月26日
從兄松方勇助の家督を相續す
幼にして米國に留學し
ペンシルヴエニア大學卒業後
實業視察の爲め英國に遊び
歸朝後
浪速銀行常務取締役に擧げられ
次いで頭取に就任す
大正九年(1920)
同行の十五銀行と合併するや
其の取締役となる
現時
大福海上火災保險取締役を始とし
豐川鐡道・加島信託・川崎造船・大阪瓦斯・堺瓦斯
諸會社の重役にして
日本放送協會關西支部理事長たり
家族は尚
 孫  淸  昭和 三年(1928)三月生
       長男 義雄 長男
 孫  康  昭和 八年(1933)三月生
       長男 義雄 二男
 あり
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
       三輪田高女出身
       東京府人 中上川次郎吉 弟 小六郎に嫁し
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
       學習院出身
 同妻 みつ 明治四〇年(1907)一二月生
       大阪 林尚五郎 孫
 と共に分家せり
A二四五九 ※A:所得税
(兵庫縣川邊郡小濱村米谷木戸一一)
(電話 寳塚 一二六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127128/572

【人事興信録. 第11版(昭和12年) 下】
《松方正雄》 p851/1289
 忠南金馬鑛業(株)社長
 大福海上火災保険(株)取締役
 豐川鐡道(株)取締役
 加島信託(株)取締役
 大阪瓦斯(株)監査役
 堺瓦斯(株)監査役
 日本スピンドル製造所(株)監査役
 日本放送協會理事
 東京府士族
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
       大同生命保險會社員
       經濟學士
 婦  久子 明治四〇年(1907)一一月生
       長男 義雄 妻
       東京 佐久間貞男 妹
 男  三雄 大正 三年(1914) 三月生
       生母 兵庫 和田きん
故公爵松方正義の四男にして
松方巖・松方正作・松方幸次郎の弟
松方五郎・松方乙彦・松方正熊・松方義輔の兄なり
明治元年五月出生 ※1868年6月
從兄松方勇助の家督を相續す
幼にして米國に留學し
ペンシルヴエニア大學卒業し後
實業視察の爲英國に遊び
歸朝後
浪速銀行常務取締役に擧げられ
次で頭取に就任す
大正九年(1920)
同行の十五銀行と合併するや
其の取締役となり
現時
忠南金馬鑛業會社長たる外
前記各會社の重役にして
日本放送協會理事たり
家族は尚
 孫  淸  昭和 三年(1928)三月生
       長男 義雄 長男
 孫  康  昭和 八年(1933)三月生
       長男 義雄 二男
 あり
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
       三輪田高女出身
       東京府人 中上川次郎吉 弟 小六郎に嫁し
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
       學習院出身
 同妻 みつ 明治四〇年(1907)一二月生
       大阪 林尚五郎 孫
 と共に分家す
所得税 二四五九
(兵庫縣川邊郡小濱村米谷木戸一一)
(電話 寳塚 一二六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072938/851
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《松方正雄》【人事興信録】2版(明治41年)~4版(大正4年)

《松方正雄》
【人事興信録. 2版(明41.6刊)】
【人事興信録. 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
【人事興信録. 4版】大正4年

【人事興信録. 2版(明41.6刊)】
《松方正雄》 p537/1027
 株式會社浪速銀行取締役
 東京府士族
 妻  ます 明治十三年(1880) 四月生
       鹿兒島士族 河原要人 長女 ※河原要一
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
君は侯爵松方正義の四男にして
明治元年五月七日を以て生る ※1868年6月26日
明治十一年(1878)五月
從兄松方勇助の家督を相續す
方今
株式會社浪速銀行の取締役たり
家族は前記の外
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
(東京市芝區三田一ノ二八)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779811/537

【人事興信録. 3版(明44.4刊)く之部―す之部】
《松方正雄》 p169/793
 株式會社浪速銀行取締役
 東京府士族
 妻  マス 明治十三年(1880) 四月生
       海軍中將 河原要一 長女
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
君は侯爵松方正義の四男にして
明治元年五月七日を以て生る ※1868年6月26日
夙に實業界に身を投じ現に
株式會社浪速銀行の取締役たり
家族は前記の外
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
 あり
(大阪、南、天王寺、南川堀一四九八)
(電話 長南 七〇七)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779813/169

【人事興信録. 4版】大正4年
《松方正雄》 p683684/1041
 株式會社浪速銀行頭取
 共同火災保險株式會社取締役
 豐川鐡道株式會社監査役
 東京府士族
 男  義雄 明治三三年(1900) 二月生
 ―略―
 長女 富子 明治三六年(1903) 八月生
 二男 鐡雄 明治三八年(1905) 三月生
 あり
(神戸、下山手通五ノ九五ノ一)
(電話 本局 四四八六)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995/683
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《松方正義》【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

《松方正義》【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
松方正義》 p454/670
 正二位勳一等侯爵
 舊鹿兒島藩士
 妻 滿左子 弘化二年三月生 ※1845年4月
 男 五郎  明治四年四月生 ※1871年5月
 同 七彦  明治十三年(1880) 一月生 ※乙彦
 同 正熊  明治十四年(1881)十二月生
 同 義輔  明治十六年(1883) 九月生
 女 つる子 明治十一年(1878) 九月生
當家は代々舊鹿兒島藩士にて
君は松方善藏の第四子なり
天保六年二月廿五日を以て ※1835年3月23日
鹿兒島に生る
幼名を金次郎と云ひ後
助左衞門と改む
 ―略―
家族は前記の外
 男     文久 二年 四月生  ※1862年4月
 其妻 保子  明治 五年 三月生  ※1872年4月
        長與稱吉 妹
 男  正作  文久 三年十一月生  ※1863年12月
 其妻 繁子  明治 八年 八月生  ※1875年8月
        男爵 岩崎彌之助 女
 男  幸次郎 慶應 元年十二月生  ※1866年1月
 其妻 好子  明治 二年 四月生  ※1869年5月
        子爵 九鬼隆輝 姉
 男  金次郎 明治十九年 一月生  ※1886年1月
 女  梅子  明治二十五年十二月生 ※1892年12月
あり
 女  千代子 明治 二年 八月生  ※1869年9月
        滋賀縣士族 武笠淸太郎
 女  廣子  明治 七年 五月生  ※1874年5月
        鹿兒島縣士族 日本勸業銀行理事 川上直之助
 女  光子  明治十四年 一月生  ※1881年1月
        大阪府平民 從七位 松本重太郎
           養子 松本松藏=松本枩蔵
に嫁せり
(東京市芝區三田一ノ二八)
(電話 新橋 四一五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/454
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《白洲長平:白洲文平の弟》【人事興信録. 6版】大正10年

《白洲長平:白洲文平の弟》
【人事興信録. 6版】大正10年

【人事興信録. 5版】大正7年
《白洲長平》 p1259/1374
 大阪株式取引所仲買人
 兵庫縣平民
 妻 はま 明治一五年(1882)八月生
      愛知 平民 服部一俊 長女
君は兵庫縣平民 白洲退藏の三男にして
明治六年(1873)八月五日を以て生れ
明治三十九年(1906)四月
分れて一家を創立す
明治二十六年(1893)
京都同志社を出で
現時
大阪株式取引所仲買人にして
直接國税四千二百二十餘圓を納む
家族は前記の外
 長女 起佐子 大正二年(1913)一二月生
(大阪、東、北濱二ノ八七)
(電話 長 本局二三五二)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/1259

【人事興信録. 6版】大正10年
《白洲文平》 p1135/1245
 ※別稿に記載
《白洲長平》 p1135/1245
 大阪株式取引所仲買人
 兵庫縣平民
 妻 はま 明治一五年(1882)八月生
      愛知 平民 服部一俊 長女
 男 秀平 大正七年(1918)七月生
君は兵庫縣士族 白洲文平 弟 分家
明治六年(1873)八月生
明治二十六年(1893)
京都同志社卒業
大阪株式取引所仲買人たり
家族は尚
 長女 起佐子 大正二年(1913)一二月生
(大阪、東、北濱二ノ八七)
(電話 長 本局二二五二)
參照=白洲文平の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/1135

【同志社校友会便覧. 昭和3年用】
《白洲長平》二六普 p81/187
大阪株式取引所取引員 M.A, Ph.D.
神戸市 オリエンタル ホテル内
《松風俊一》大九入
松風工業株式會社重役
京都市淸水坂二丁目一四
《松風憲二》大十入
松風工業株式會社重役
京都市淸水坂二丁目一四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457864/81
明治二十六年卒業生 p111/187
普通學校(四十六名)
《白洲長平》
入會者(五名)
《川本恂藏》  死亡
元良勇次郎》 死亡
中島力造》  死亡
小野英二郎
德富猪一郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457864/111
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]
2016年01月25日(月)
[明治12年~17年卒業生]
【同志社校友会便覧. 昭和3年用】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2625578.html

《白洲文平:庶子・演子 大正4年8月生》【人事興信録. 6版】大正10年

《白洲文平:庶子・演子 大正4年8月生》
【人事興信録. 6版】大正10年

【人事興信録. 6版】大正10年
《白洲文平》 p1135/1245
 棉花綿絲商
 兵庫縣士族
 妻 よし  明治 七年(1874) 八月生
       神奈川 平民 原由藏 養子
 男 尚藏  明治三〇年(1897) 二月生
 男 次郎  明治三五年(1902) 二月生
 女 枝子  明治三二年(1899) 八月生
 女 福子  明治三七年(1904) 五月生
 弟 十平  明治一〇年(1877)一一月生
 妹 すゑ  明治一六年(1883)一二月生
君は兵庫縣士族 白洲退藏 長男
明治二年四月生 ※1869年5月
棉花綿絲商を營む
家族は尚
 三女  三子 明治四四年(1911) 七月生
 庶子女 演子 大正 四年(1915) 八月生
        生母 大阪 平民 高木ムメ
 妹   八重 明治 八年(1875)一一月生は
        京都府平民 小崎成章に嫁し
 弟   純平 明治三年九月生は分家せり ※1870年9月
(大阪、北、中ノ島二ノ五六)
(電話 長 本局二一二七)
參照=小崎成章、白洲長平の項
《白洲長平》※別稿に記載 p1135/1245
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/1135

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《白洲文平》 p835/1760
 兵庫縣多額納税者
 大阪三品取引所取引員
 綿糸商
 兵庫縣士族
 妻  よし 明治 七年(1874) 八月生
       神奈川 原由藏 妹
 男  尚藏 明治三〇年(1897) 二月生
 男  次郎 明治三五年(1902)二月生
 婦  正子 明治四三年(1910) 一月生
       二男 次郎 妻
       伯爵 樺山愛輔 二女
 女  三子 明治四四年(1911) 七月生
 庶子 演子 大正 四年(1915) 八月生
       生母 大阪 高木ムメ
君は舊攝津國三田藩家老白洲退藏の長男にして
明治二年四月を以て生れ ※1869年5月
明治二十四年(1891)家督を相續す
綿糸商を營み
傍ら大阪三品取引所取引員にして
直接國税一萬二千百三十六圓を納め
縣下の多額納税者たり
將棋に趣味を有す
家族は尚
 妹  すゑ 明治一六年(1883)一二月生
あり
 二女 福子 明治三七年(1904) 五月生
       神戸女學院出身
       兵庫縣人 上西龜之助 長男 五郎に嫁し
 弟  長平 明治 六年(1873) 八月生
       分家せり
(兵庫、川邊、伊丹町)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/835

【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
《白洲文平》 p946/1037
 農園及牧場主
 兵庫縣士族
 妻  よし 明治 七年(1874) 八月生
       神奈川 原由藏 妹
 男  尚藏 明治三〇年(1897) 二月生
       英國 劍橋大學出身
 男  次郎 明治三五年(1902)二月生
       セール商會勤務
       英國 劍橋大學出身
 婦  正子 明治四三年(1910) 一月生
       二男 次郎 妻
       伯爵 樺山愛輔 二女
 女  三子 明治四四年(1911) 七月生
       聖心女學院出身
 庶子 演子 大正 四年(1915) 八月生
       生母 大阪 高木ムメ
君は舊攝津國三田藩家老白洲退藏の長男にして
明治二年四月を以て生れ ※1869年5月
明治二十四年(1891)家督を相續す
綿糸商を營みしが
現時
佐賀縣に農園及牧場を經營し
曩に大阪三品取引所取引員たり
將棋に趣味を有す
家族は尚
 妹  すゑ 明治一六年(1883)一二月生
あり
 二女 福子 明治三七年(1904) 五月生
       神戸女學院出身
       兵庫縣人 上西龜之助 長男 五郎に嫁し
 弟  長平 明治 六年(1873) 八月生
       分家せり
(兵庫縣川邊郡伊丹町北村二五六)
(電話 六七)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078620/946

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《小崎成章》【第七高等学校造士館一覧】明治34年・明治37年

《小崎成章》【第七高等学校造士館一覧】明治34年・明治37年

第七高等学校造士館一覧. 明治34-35,35-36年】
   第六章 職員          p50-52/145
英語 從七位 《小崎成章》 京都平民 p51/145
   マスター、オブ、アーツ
   バツチエラー、オブ、テオロジー
   (米國ハーバード大學)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812931/51
   第七章 生徒          p52-55/145
 大學豫科
  第一部第一年級甲組 三十三人   p52/145
東郷茂德》  鹿兒島 士族
石黒忠篤》  東京  華族
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812931/52

【第七高等学校造士館一覧. 明治36-37,37-38年】
[第七高等學校造士館一覽]※落丁      p79/160
 自明治三十七年 至明治三十八年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812932/79
   第六章 職員             p126-/160
英語 正七位    《小崎成章》 京都平民 p51/145
   マスター、オブ、アーツ
   バツチエラー、オブ、テオロジー
   (米國ハーバード大學)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812932/126
獨語 從七位文學士 《片山正雄》 山口士族 p127/160
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812932/127
   第八章 卒業生            p140-142/160
 明治三十七年七月大學豫科第一回卒業生
   第一部法科(三十三名)
在法科大學(東京) 《石黒忠篤》  東京  華族
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812932/140
   第一部文科(十名)          p141/160
在文科大學(東京) 《東郷茂德》  鹿兒島 士族
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812932/141

【官報. 1901年09月11日】明治34年
●敍任及辭令 p2/9
○明治三十四年九月十日
 七級俸下賜
 第七高等學校造士館敎授 《小崎成章》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948758/2

【官報. 1918年05月15日】大正7年
●敍任及辭令 p4-5/18
○大正七年五月十四日
 五級俸下賜
 第七高等學校造士館敎授 《小崎成章》 p5/18
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953846/5
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[公益社団法人]
 心理学の歴史
みてみて実感! 心理学史 -第5回-
サトウタツヤ
立命館大学文学部心理学科助教授。
<ハーバード大学の心理学実験,ミュンスターバーグ,日本人>
■写真:ハーバード大学で心理学実験をする学生たち
 (1893年頃)明治26年頃
「日本で調べてもらうしかない!」というわけで,
荒川歩・立命館大学人間科学研究所研究支援員にメール。
小崎成章という人物ではないかと推定できました。
http://www.psych.or.jp/interest/mm-05.html

[立教大学キリスト教学会]
2014年7月10日
星野靖二「小崎成章の日本宗教・キリスト教論」
※小崎弘道の実弟である
小崎成章の明治中期頃の日本宗教・キリスト教論について、
ハーバード大学神学部在学中の論説などを中心に報告
https://www.facebook.com/permalink.php?id=1430430207211809&story_fbid=1456829534571876

《小崎成章:第七高等學校造士館教授》【人事興信録】大正7年・大正10年

《小崎成章:第七高等學校造士館教授》
【人事興信録】大正7年・大正10年

【人事興信録. 5版】大正7年
《小崎成章》 p1024/1374
 從五位勳六等
 第七高等學校造士館教授
 京都府平民
 妻 八重  明治 八年(1875)一一月生
       兵庫 士族 白洲退藏 二女
 男 章一郎 明治二八年(1895) 三月生
 女 幸子  明治三〇年(1897)一一月生
君は京都府の人
小崎治郎左衞門の三男にして
元治元年二月二十四日を以て生れ ※1864年3月31日
明治二十七年(1894)一月分家して一家を創立す
夙に京都同志社を卒業し
明治十九年(1886)歐米に渡り
神學英文學政治經濟地文天文學等を學び

ケンブリツヂ、ハーバード兩大學に入り
哲學宗教倫理學を修め
バツチヱラー、オブ、テオロヂー及び
マスター、オブ、アーツ等の學位を授けられ
留學七ケ年にして
明治二十六年(1893)十月歸朝
明治三十四年(1901)九月
第七高等學校造士館教授に任ぜられ
現に其任にあり
(鹿兒島、姶良、重富村)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/1024

【人事興信録. 6版】大正10年
《小崎成章》 p908/1245
 正五位勳六等
 第七高等學校造士館教授
 京都府平民
 妻 八重  明治 八年(1875)一一月生
       兵庫 士族 白洲文平 妹
 男 章一郎 明治二八年(1895) 三月生
 女 幸子  明治三〇年(1897)一一月生
君は京都府士族
小崎次郎右衞門の三男 分家
元治元年二月生 ※1864年3月
京都同志社、ケンブリツヂ、ハーバード各大學卒業
明治三十四年(1901)
第七高等學校造士館教授に任ぜらる
(鹿兒島、姶良、重富村)
參照=白洲文平、※白洲長平の項
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/908
《白洲文平》 p1135/1245 ※別稿に記載
《白洲長平》 p1135/1245 ※別稿に記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704027/1135
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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