[臺灣總督 小林躋造:高雄州高雄市新南群島ノ區域]
【官報】昭和14年4月18日
【官報. 1939年04月18日】
[官報] 昭和十四年四月十八日 火曜日 p1/17
第三千六百八十三號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/1
◎臺灣總督府告示第百二十二號 p5/17
昭和十四年府令第三十一號ニ依ル
高雄州高雄市新南群島ノ區域等左ノ如シ
昭和十四年三月三十日
臺灣總督 小林躋造
一、新南群島ハ左ノ地點ヲ逐次結ブ區域内ノ全島嶼ヲ謂フ
北緯 東經
地點 十二度 百十七度
地點 九度三十分 百十七度
地點 八度 百十六度
地點 七度 百十四度
地點 七度 百十一度三十分
地點 九度 百十一度三十分
地點 十二度 百十四度
二、新南群島中ニ於ケル主ナル島嶼ノ名稱左ノ如シ
北二子島 南二子島 西靑島 三角島 中子島
龜甲島 南洋島 長島 北子島 南子島
飛鳥島 西鳥島 丸島
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/5
【官報. 1939年06月30日】昭和14年
◎臺灣總督府告示第百五十四號 p4/50
高雄州高雄市新南群島ニハ當分ノ内
臺灣鑛業規則第十六條第一號ノ規定ニ依リ
鑛業ノ出願ヲ許可セズ
昭和十四年四月二十五日
臺灣總督 小林躋造
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960238/4
『新南群島』
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E6%96%B0%E5%8D%97%E7%BE%A4%E5%B3%B6&viewRestricted=0
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
<産経ニュース 2016.1.26 12:05>
[中国強弁の「南沙諸島」は日本の領土だった 終戦まで実効支配]
論説委員・榊原智
南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島が、
元は日本の領土だったことをご存じですか。
南シナ海問題をめぐる背景知識の一つとして紹介したいと思います。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n1.html
1952(昭和27)年4月発効の
サンフランシスコ平和条約第2条のf項に
こうあります。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、
権原及び請求権を放棄する」
ここでいう新南群島が南沙諸島を指すのです。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n2.html
ラサ島燐礦会社は、政府に領土編入を陳情しましたが、
外務省がぼやぼやしていたのか領有宣言をしていなかったのです。
大阪毎日、東京日日の両新聞社(現毎日新聞社)はこのとき、
新南群島へ探検隊を派遣し、日本の領土だと大々的に報じています。
結局、1939(昭和14)年に平沼騏一郎内閣が日本の領有を宣言し、
台湾の高雄市に組み込みました。
日本の主張は正当であり、
1945(昭和20)年の敗戦まで日本は実効支配をしています。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n3.html
【官報】昭和14年4月18日
【官報. 1939年04月18日】
[官報] 昭和十四年四月十八日 火曜日 p1/17
第三千六百八十三號
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/1
◎臺灣總督府告示第百二十二號 p5/17
昭和十四年府令第三十一號ニ依ル
高雄州高雄市新南群島ノ區域等左ノ如シ
昭和十四年三月三十日
臺灣總督 小林躋造
一、新南群島ハ左ノ地點ヲ逐次結ブ區域内ノ全島嶼ヲ謂フ
北緯 東經
地點 十二度 百十七度
地點 九度三十分 百十七度
地點 八度 百十六度
地點 七度 百十四度
地點 七度 百十一度三十分
地點 九度 百十一度三十分
地點 十二度 百十四度
二、新南群島中ニ於ケル主ナル島嶼ノ名稱左ノ如シ
北二子島 南二子島 西靑島 三角島 中子島
龜甲島 南洋島 長島 北子島 南子島
飛鳥島 西鳥島 丸島
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960177/5
【官報. 1939年06月30日】昭和14年
◎臺灣總督府告示第百五十四號 p4/50
高雄州高雄市新南群島ニハ當分ノ内
臺灣鑛業規則第十六條第一號ノ規定ニ依リ
鑛業ノ出願ヲ許可セズ
昭和十四年四月二十五日
臺灣總督 小林躋造
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960238/4
『新南群島』
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E6%96%B0%E5%8D%97%E7%BE%A4%E5%B3%B6&viewRestricted=0
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
<産経ニュース 2016.1.26 12:05>
[中国強弁の「南沙諸島」は日本の領土だった 終戦まで実効支配]
論説委員・榊原智
南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島が、
元は日本の領土だったことをご存じですか。
南シナ海問題をめぐる背景知識の一つとして紹介したいと思います。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n1.html
1952(昭和27)年4月発効の
サンフランシスコ平和条約第2条のf項に
こうあります。
「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、
権原及び請求権を放棄する」
ここでいう新南群島が南沙諸島を指すのです。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n2.html
ラサ島燐礦会社は、政府に領土編入を陳情しましたが、
外務省がぼやぼやしていたのか領有宣言をしていなかったのです。
大阪毎日、東京日日の両新聞社(現毎日新聞社)はこのとき、
新南群島へ探検隊を派遣し、日本の領土だと大々的に報じています。
結局、1939(昭和14)年に平沼騏一郎内閣が日本の領有を宣言し、
台湾の高雄市に組み込みました。
日本の主張は正当であり、
1945(昭和20)年の敗戦まで日本は実効支配をしています。
http://www.sankei.com/politics/news/160126/plt1601260020-n3.html