2016年04月
大連市内の写真:小川清久(叔父)から:平成4年(1992)
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年01月17日09:32
小川清久(叔父)から小野一雄への手紙:平成4年(1992)6月5日
一雄君
ごぶさたしましたが、元気な声を聴いて安心しました。
(平成4年)5月23日から5日間
大連へ行き念願の写真をとって来ました。
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350941.html
《奥島孝一》[攝津製絲株式會社:監査役]
【日本全国諸会社役員録. 第31回】大正12年
【日本全国諸会社役員録. 第31回】
大正12年10月10歩発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936469/931
攝津製絲株式會社 p771/934
愛媛縣 西宇和郡八幡濱町
設立 大正九年五月
資本金 貮百萬圓
一株 五拾圓
拂込高 五拾萬圓
取締役 攝津靜雄 西宇和郡雙岩村
取締役 攝津盛德 東宇和郡宇和町
取締役 吉元一三九 東宇和郡宇和町
取締役 末光千代太郎 東宇和郡宇和町
取締役 芳我吉右衞門 喜多郡内子町
取締役 菅 正意 北宇和郡好藤村
取締役 永井貞市 伊豫郡北山崎村
取締役 越智武則 伊豫郡下灘村
取締役 三好愛治郎 西宇和郡三瓶町
取締役 菊池淸太郎 西宇和郡三瓶町
監査役 菊池又八郎 西宇和郡三瓶町
監査役 村上 孟 西宇和郡雙岩村
監査役 本多眞喜雄 東宇和郡宇和町
監査役 奥島孝一 北宇和郡日吉村 ※
監査役 閏木彦市 伊豫郡下灘村
下灘支店 伊豫郡下灘村
宇和町支店 東宇和郡宇和町
旭支店 北宇和郡旭村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936469/771
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年03月22日(日)
《奥島孝一:北宇和郡日吉村》
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】大正12年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660227.html
【日本全国諸会社役員録. 第31回】大正12年
【日本全国諸会社役員録. 第31回】
大正12年10月10歩発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936469/931
攝津製絲株式會社 p771/934
愛媛縣 西宇和郡八幡濱町
設立 大正九年五月
資本金 貮百萬圓
一株 五拾圓
拂込高 五拾萬圓
取締役 攝津靜雄 西宇和郡雙岩村
取締役 攝津盛德 東宇和郡宇和町
取締役 吉元一三九 東宇和郡宇和町
取締役 末光千代太郎 東宇和郡宇和町
取締役 芳我吉右衞門 喜多郡内子町
取締役 菅 正意 北宇和郡好藤村
取締役 永井貞市 伊豫郡北山崎村
取締役 越智武則 伊豫郡下灘村
取締役 三好愛治郎 西宇和郡三瓶町
取締役 菊池淸太郎 西宇和郡三瓶町
監査役 菊池又八郎 西宇和郡三瓶町
監査役 村上 孟 西宇和郡雙岩村
監査役 本多眞喜雄 東宇和郡宇和町
監査役 奥島孝一 北宇和郡日吉村 ※
監査役 閏木彦市 伊豫郡下灘村
下灘支店 伊豫郡下灘村
宇和町支店 東宇和郡宇和町
旭支店 北宇和郡旭村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936469/771
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年03月22日(日)
《奥島孝一:北宇和郡日吉村》
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】大正12年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660227.html
《奥島孝一:北宇和郡日吉村》
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】大正12年
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】
《奥島孝一》 p175-176/246
淸酒醸造業
北宇和郡日吉村大字上鍵山甲三八番地
明治一八年(1885)二月一〇月生
母 リノ 慶應元年三月一五日生 ※1865年4月10日
妻 光惠 明治二六年(1893) 八月二〇日生
長女 喜子 大正 二年(1913) 四月 八日生
長男 家隆 大正 四年(1915) 二月 七日生
弟 盛惠 明治二二年(1889)一〇月一三日生
二女 波惠 大正 六年(1917) 二月 六日生
婦 峰野 明治三一年(1898) 四月 七日生
盛惠 妻
姪 滿壽美 大正 八年(1919) 一月一七日生
盛惠 長女
三女 千鶴子 大正 八年(1919) 五月一六日生
甥 仁太郎 大正一〇年(1921) 七月 七日生
二男 家壽 大正一〇年(1921) 八月 九日生
君は日吉村奥島純吉の三男にして
大正四年(1915)七月二十四日戸主となり
淸酒玉笹を醸造す、
大正六年(1917)三月
南北宇和酒類品評會に一等賞を授與せられたり、
亡父純吉は二十年の久しき區長たり、
君は其後を繼ぎ
明治三十七年(1904)區長となり、
大正七年(1918)一月
村會議員となり學務委員、
學校建設委員を兼ねたり、
大正元年(1912)より六年(1917)まで
南北宇和酒造組合評議員、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/175
西宇和郡八幡濱町
摂津製糸會社の監査役たり、
兄秋田某は東京士官學校を卒業
歩兵大尉にて目下大阪にあり
實業界に活躍す、
弟盛惠は陸軍歩兵大尉にて
善通寺四十三聯隊の在り、
弟壽賀夫は宇和島中學校に學び
本郡?村摂津製糸會社支店長たり、
二男喜儀は宇和島中學校卒業
東宇和郡高川村に分家せり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/176
大正十二年十一月廿五日印刷
大正十二年十一月三十日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 宮内保之進
愛媛縣温泉郡道後村大字石手五百參拾七番地
印刷者 關 定
愛媛縣松山市萱町一丁目六十九番地
印刷所 關 和洋紙店 印刷部
愛媛縣松山市萱町一丁目六十八番地
發行所 株式會社 海南新聞社
愛媛縣松山市南堀端町十七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/244
【愛媛県商工人名録】大正4年
營業税 納税額 調査表 p201/310
北宇和郡 p201/310
◇日吉村 p207/310
四七、六六〇 奥嶋純吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910255/207
大正四年六月十五日印刷
大正四年六月廿五日發行
正價 金 壹圓五拾錢
編纂兼發行社 德永惣右衛門
愛媛縣商工會長
愛媛縣周桑郡石根村大字大頭五百二番地
印刷者 岡野音彌
愛媛縣松山市榎町拾壹番戸
印刷所 合名會社 松山向陽社
愛媛縣松山市榎町拾壹番戸
發行所 愛媛縣商工會
愛媛縣松山市出淵町壹丁目六十八番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910255/306
【愛媛県実業興信録】昭和4年
◇日吉村之部 p323/394
酒造 一四三、六一 奥島孝一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026999/323
昭和四年八月二日印刷
昭和四年八月七日發行
非賣品 實費 五圓
發行人兼編輯人 田内虎吉
宇和島市中町十三番地
印刷人 仲野政五郎
松山市木屋町五丁目五十三番地
印刷所 仲野和洋紙店 印刷部
松山市木屋町五丁目五十三番地
發行所 愛媛實業興信所
宇和島市中町十三番地
製本所 門戸製本所
松山市唐人町二丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026999/384
《奥島孝康》
略歴[編集]
1939年 愛媛県北宇和郡鬼北町(旧日吉村)生まれ
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月09日(木)
[小野梓先生 122回忌法要・パーティー会場]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2200283.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年03月22日(日)
《奥島孝一》[攝津製絲株式會社:監査役]
【日本全国諸会社役員録. 第31回】大正12年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660228.html
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】大正12年
【愛媛県人物名鑑. 第3輯】
《奥島孝一》 p175-176/246
淸酒醸造業
北宇和郡日吉村大字上鍵山甲三八番地
明治一八年(1885)二月一〇月生
母 リノ 慶應元年三月一五日生 ※1865年4月10日
妻 光惠 明治二六年(1893) 八月二〇日生
長女 喜子 大正 二年(1913) 四月 八日生
長男 家隆 大正 四年(1915) 二月 七日生
弟 盛惠 明治二二年(1889)一〇月一三日生
二女 波惠 大正 六年(1917) 二月 六日生
婦 峰野 明治三一年(1898) 四月 七日生
盛惠 妻
姪 滿壽美 大正 八年(1919) 一月一七日生
盛惠 長女
三女 千鶴子 大正 八年(1919) 五月一六日生
甥 仁太郎 大正一〇年(1921) 七月 七日生
二男 家壽 大正一〇年(1921) 八月 九日生
君は日吉村奥島純吉の三男にして
大正四年(1915)七月二十四日戸主となり
淸酒玉笹を醸造す、
大正六年(1917)三月
南北宇和酒類品評會に一等賞を授與せられたり、
亡父純吉は二十年の久しき區長たり、
君は其後を繼ぎ
明治三十七年(1904)區長となり、
大正七年(1918)一月
村會議員となり學務委員、
學校建設委員を兼ねたり、
大正元年(1912)より六年(1917)まで
南北宇和酒造組合評議員、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/175
西宇和郡八幡濱町
摂津製糸會社の監査役たり、
兄秋田某は東京士官學校を卒業
歩兵大尉にて目下大阪にあり
實業界に活躍す、
弟盛惠は陸軍歩兵大尉にて
善通寺四十三聯隊の在り、
弟壽賀夫は宇和島中學校に學び
本郡?村摂津製糸會社支店長たり、
二男喜儀は宇和島中學校卒業
東宇和郡高川村に分家せり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/176
大正十二年十一月廿五日印刷
大正十二年十一月三十日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 宮内保之進
愛媛縣温泉郡道後村大字石手五百參拾七番地
印刷者 關 定
愛媛縣松山市萱町一丁目六十九番地
印刷所 關 和洋紙店 印刷部
愛媛縣松山市萱町一丁目六十八番地
發行所 株式會社 海南新聞社
愛媛縣松山市南堀端町十七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918063/244
【愛媛県商工人名録】大正4年
營業税 納税額 調査表 p201/310
北宇和郡 p201/310
◇日吉村 p207/310
四七、六六〇 奥嶋純吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910255/207
大正四年六月十五日印刷
大正四年六月廿五日發行
正價 金 壹圓五拾錢
編纂兼發行社 德永惣右衛門
愛媛縣商工會長
愛媛縣周桑郡石根村大字大頭五百二番地
印刷者 岡野音彌
愛媛縣松山市榎町拾壹番戸
印刷所 合名會社 松山向陽社
愛媛縣松山市榎町拾壹番戸
發行所 愛媛縣商工會
愛媛縣松山市出淵町壹丁目六十八番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910255/306
【愛媛県実業興信録】昭和4年
◇日吉村之部 p323/394
酒造 一四三、六一 奥島孝一
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026999/323
昭和四年八月二日印刷
昭和四年八月七日發行
非賣品 實費 五圓
發行人兼編輯人 田内虎吉
宇和島市中町十三番地
印刷人 仲野政五郎
松山市木屋町五丁目五十三番地
印刷所 仲野和洋紙店 印刷部
松山市木屋町五丁目五十三番地
發行所 愛媛實業興信所
宇和島市中町十三番地
製本所 門戸製本所
松山市唐人町二丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026999/384
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
《奥島孝康》
略歴[編集]
1939年 愛媛県北宇和郡鬼北町(旧日吉村)生まれ
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月09日(木)
[小野梓先生 122回忌法要・パーティー会場]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2200283.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年03月22日(日)
《奥島孝一》[攝津製絲株式會社:監査役]
【日本全国諸会社役員録. 第31回】大正12年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660228.html
[關西神農聯合會:評議員]4/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
常任理事
理 事
准理事
※別稿に記載
評議員 p41-43/49
組合名 氏名 組合名 氏名
今西組 淸水鹿太郎氏 博勞組 山下勝二郎氏
今西組 硲 孫右衛門氏 博勞八人組 酒井丹二氏
早野會 山本藤太郎氏 二三得商會 北野捨次郎氏
早野會 大島得治氏 二三得商會 大谷庄一郎氏
豊能郡神農會 豊州松之助氏 二三得商會 土屋德松氏
豊能郡神農會 加茂卯之助氏 二三得商會 長谷川喜之助氏
床重組 辰巳留司氏 大正會 岡野菊三郎氏
竹博組 橋本榮五郎氏 難波幾組 中西仲次郎氏
竹博組 阿部豐藏氏 上村組 松倉增太郎氏
竹博組 小坂甚平氏 大地組 乾 奈良造氏
河内北神農會 西口勇次郎氏 呉綾會 佐野宅輔氏
河内北神農會 植田友吉氏 八尾由組 北村末吉氏
河内北神農會 鷲尾安吉氏 八尾由組 若原恒次氏
河内北神農會 吉富龜吉氏 八尾由組 吉田芳松氏
河内北神農會 寺西米吉氏 丸○組 長谷川彌太郎氏
河内北神農會 立川平治郎氏 丸○組 森脇茂吉氏
河内東會 北谷增次郎氏 甲田組 石井信一氏
河内東會 松倉米次郎氏 甲田組 鈴木卯之吉氏
龜井組 北島忠四郎氏 向上會 大木哲次郎氏
龜井組 竹川利之氏 向上會 松田庄次郎氏
竹ノ内組 有井博治氏 向上會 若林米次郎氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
譽田講神社 瓦谷茂三郎氏 飴源組 村上淸次郎氏 p42/49
譽田講神社 角田市太郎氏 三尺組 三浦伊三郎氏
譽田講神社 岩城安次郎氏 三尺組 藤平喜平氏
譽田講神社 岩田彌三郎氏 堺譽田組 澤 金三郎氏
譽田講神社 植村 一氏 佐々木會 中村萬次郎氏
譽田講神社 北野定吉氏 北松下組 安達勘六氏
譽田講神社 吉田吉造氏 北松下組 花谷文四郎氏
譽田講神社 森脇國松氏 宮川會本部 吉田岩太郎氏
永代組 田中甚太郎氏 宮川會本部 林 要氏
永代組 山添光藏氏 宮川會本部 前山房晴
寺田組 吉川美佐尾氏 宮川會本部 田中和一氏
寺田組 小籔信太郎氏 宮川會本部 姫田重太郎氏
傳安組 綛野音吉氏 宮川會本部 北岡伊之吉氏
傳安組 淺野音次郎氏 宮川會本部 高橋德太郎氏
傳安組 竹田庄三郎氏 宮川會本部 中谷元治氏
傳安組 松田菊太郎氏 宮川會本部 長峰都鬼雄
傳安組 赤坂庄藏氏 宮川會福由組 福中熊治郎氏
傳安組 西河德助氏 眞友會 大阪粂次郎氏
宮川會大宮組 瀬尾梶太郎氏 東泉北組 吉田寅吉氏
宮川會井上組 山下役太郎氏 誠明會 木本喜造氏
宮川會道伴組 小倉卓三氏 誠明會 横山作次氏
南松下組 谷川至聲氏 誠明會 森 利吉氏
南松下組 佐藤銀之助氏 誠明會 林 民之助氏
三島郡神農會 貴田增太郎氏 誠明會 杉谷嘉三郎氏
三島郡神農會 横井錠吉氏 誠明會 稻原宗一氏
三島郡神農會 伊藤米吉氏 誠明會 野里鶴松氏
三島郡神農會 鹿田幾智氏 誠明會 辻岡兼吉氏
島本組 遊佐留四郎氏 關矢組 中川伊藏氏
澁屋組 永瀬太郎氏 關矢組 吉田信藏氏
澁屋組 牧野博藏氏 關矢組 池田淸太郎氏
澁屋組 茨木伊右衛門氏 關矢組 西原次郎氏
澁屋組 脇田喜代治氏 關矢組 楠見惣十郎氏
澁利組 石原久七氏 關矢組 正垣太郎氏
正友會 數寶光之助 關矢組 中岡謙一氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/42
正友會 上甲 晟 懇親社道明寺組 野中健三郎氏 p43/49
正友會 蟬丸常吉氏 百舌鳥八幡組 吉井政一氏
盛代組 秋田彌三郎氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/43
斯くて關西神農聯合會は着々仕事を爲しつゝあるのだが、
創立に際して特に感謝せねばならぬ事は
會長及両會長の努力は勿論であるけれども、
當時創立委員に選ばれて約半歳の間東奔西走、
寝食を忘れて一致團結に骨を折られた人々の努力である。
中でも
吉田組長 吉田廣吉氏を中心に、
義弟 宮川會總裁 宮川楠三氏、
傳安組長 藤原市太郎氏、
澁屋組長 加藤幾造氏、
寺田組長 寺田末吉氏、
丸○組長 安田松之輔氏、
早野會長 早野龜次郎氏、
三島郡神農會長 福原丑松氏、
誠明會長 山本元造氏、
八尾由組長 高岡庄太郎氏、
永代組長 岩本甚吉氏や
關矢組代表者の前塚、谷輪氏等は
涙ぐましい程の努力を拂はれたものである。
併しこれのみではない。
之等の人々が表面活動するのを
裏面から援護された人がある。
私達はその人の功蹟を又忘れてはならぬ。
誰であらうそれは
大阪府會議員
中谷庄之助氏と
三木通三氏とである。
特に中谷氏は大阪五十四組の團結や
公認の認可を受ける爲には
影の形に添ふ如く援護されたものである。
私は茲に筆を擱くに際して
之等の人々に衷心より感謝すると倶に
關西神農聯合會の健全な發達を
望んで止まぬものである。 (終り)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/43
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
[關西神農聯合會の發會式]1/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660304.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年04月17日(金)
[關西神農聯合會]2/4
『大阪府下のテキヤの組合54組』
『組合員約4万人』昭和4年11月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660305.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年04月17日(金)
[關西神農聯合會:常任理事~准理事]3/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660306.html
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
常任理事
理 事
准理事
※別稿に記載
評議員 p41-43/49
組合名 氏名 組合名 氏名
今西組 淸水鹿太郎氏 博勞組 山下勝二郎氏
今西組 硲 孫右衛門氏 博勞八人組 酒井丹二氏
早野會 山本藤太郎氏 二三得商會 北野捨次郎氏
早野會 大島得治氏 二三得商會 大谷庄一郎氏
豊能郡神農會 豊州松之助氏 二三得商會 土屋德松氏
豊能郡神農會 加茂卯之助氏 二三得商會 長谷川喜之助氏
床重組 辰巳留司氏 大正會 岡野菊三郎氏
竹博組 橋本榮五郎氏 難波幾組 中西仲次郎氏
竹博組 阿部豐藏氏 上村組 松倉增太郎氏
竹博組 小坂甚平氏 大地組 乾 奈良造氏
河内北神農會 西口勇次郎氏 呉綾會 佐野宅輔氏
河内北神農會 植田友吉氏 八尾由組 北村末吉氏
河内北神農會 鷲尾安吉氏 八尾由組 若原恒次氏
河内北神農會 吉富龜吉氏 八尾由組 吉田芳松氏
河内北神農會 寺西米吉氏 丸○組 長谷川彌太郎氏
河内北神農會 立川平治郎氏 丸○組 森脇茂吉氏
河内東會 北谷增次郎氏 甲田組 石井信一氏
河内東會 松倉米次郎氏 甲田組 鈴木卯之吉氏
龜井組 北島忠四郎氏 向上會 大木哲次郎氏
龜井組 竹川利之氏 向上會 松田庄次郎氏
竹ノ内組 有井博治氏 向上會 若林米次郎氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
譽田講神社 瓦谷茂三郎氏 飴源組 村上淸次郎氏 p42/49
譽田講神社 角田市太郎氏 三尺組 三浦伊三郎氏
譽田講神社 岩城安次郎氏 三尺組 藤平喜平氏
譽田講神社 岩田彌三郎氏 堺譽田組 澤 金三郎氏
譽田講神社 植村 一氏 佐々木會 中村萬次郎氏
譽田講神社 北野定吉氏 北松下組 安達勘六氏
譽田講神社 吉田吉造氏 北松下組 花谷文四郎氏
譽田講神社 森脇國松氏 宮川會本部 吉田岩太郎氏
永代組 田中甚太郎氏 宮川會本部 林 要氏
永代組 山添光藏氏 宮川會本部 前山房晴
寺田組 吉川美佐尾氏 宮川會本部 田中和一氏
寺田組 小籔信太郎氏 宮川會本部 姫田重太郎氏
傳安組 綛野音吉氏 宮川會本部 北岡伊之吉氏
傳安組 淺野音次郎氏 宮川會本部 高橋德太郎氏
傳安組 竹田庄三郎氏 宮川會本部 中谷元治氏
傳安組 松田菊太郎氏 宮川會本部 長峰都鬼雄
傳安組 赤坂庄藏氏 宮川會福由組 福中熊治郎氏
傳安組 西河德助氏 眞友會 大阪粂次郎氏
宮川會大宮組 瀬尾梶太郎氏 東泉北組 吉田寅吉氏
宮川會井上組 山下役太郎氏 誠明會 木本喜造氏
宮川會道伴組 小倉卓三氏 誠明會 横山作次氏
南松下組 谷川至聲氏 誠明會 森 利吉氏
南松下組 佐藤銀之助氏 誠明會 林 民之助氏
三島郡神農會 貴田增太郎氏 誠明會 杉谷嘉三郎氏
三島郡神農會 横井錠吉氏 誠明會 稻原宗一氏
三島郡神農會 伊藤米吉氏 誠明會 野里鶴松氏
三島郡神農會 鹿田幾智氏 誠明會 辻岡兼吉氏
島本組 遊佐留四郎氏 關矢組 中川伊藏氏
澁屋組 永瀬太郎氏 關矢組 吉田信藏氏
澁屋組 牧野博藏氏 關矢組 池田淸太郎氏
澁屋組 茨木伊右衛門氏 關矢組 西原次郎氏
澁屋組 脇田喜代治氏 關矢組 楠見惣十郎氏
澁利組 石原久七氏 關矢組 正垣太郎氏
正友會 數寶光之助 關矢組 中岡謙一氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/42
正友會 上甲 晟 懇親社道明寺組 野中健三郎氏 p43/49
正友會 蟬丸常吉氏 百舌鳥八幡組 吉井政一氏
盛代組 秋田彌三郎氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/43
斯くて關西神農聯合會は着々仕事を爲しつゝあるのだが、
創立に際して特に感謝せねばならぬ事は
會長及両會長の努力は勿論であるけれども、
當時創立委員に選ばれて約半歳の間東奔西走、
寝食を忘れて一致團結に骨を折られた人々の努力である。
中でも
吉田組長 吉田廣吉氏を中心に、
義弟 宮川會總裁 宮川楠三氏、
傳安組長 藤原市太郎氏、
澁屋組長 加藤幾造氏、
寺田組長 寺田末吉氏、
丸○組長 安田松之輔氏、
早野會長 早野龜次郎氏、
三島郡神農會長 福原丑松氏、
誠明會長 山本元造氏、
八尾由組長 高岡庄太郎氏、
永代組長 岩本甚吉氏や
關矢組代表者の前塚、谷輪氏等は
涙ぐましい程の努力を拂はれたものである。
併しこれのみではない。
之等の人々が表面活動するのを
裏面から援護された人がある。
私達はその人の功蹟を又忘れてはならぬ。
誰であらうそれは
大阪府會議員
中谷庄之助氏と
三木通三氏とである。
特に中谷氏は大阪五十四組の團結や
公認の認可を受ける爲には
影の形に添ふ如く援護されたものである。
私は茲に筆を擱くに際して
之等の人々に衷心より感謝すると倶に
關西神農聯合會の健全な發達を
望んで止まぬものである。 (終り)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/43
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[關西神農聯合會の發會式]1/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660304.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年04月17日(金)
[關西神農聯合會]2/4
『大阪府下のテキヤの組合54組』
『組合員約4万人』昭和4年11月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660305.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年04月17日(金)
[關西神農聯合會:常任理事~准理事]3/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660306.html
[關西神農聯合會:常任理事~准理事]3/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
常任理事 p40-41/49
今西組長 辻野淸八氏 早野會長 早野龜次郎氏
竹博組長 山田禮次郎氏 龜井組長 山上實三郎氏
河内北神農會長 小林喜太郎氏 吉田組長 吉田廣吉氏
竹ノ内組長 大村泰作氏 八尾由組長 高岡庄太郎氏
丸○組長 安田松之輔氏 譽田講神社總長 鹽野織部氏
永代組長 岩本甚吉氏 寺田組長 寺田末吉氏
傳安組長 藤原市太郎氏 三尺組長 村内捨吉氏
宮川會總裁 宮川楠三氏 宮川會福由組長 村下由松氏
三島郡神農會長 福原丑松氏 澁屋組長 加藤幾造氏
澁利組長 村田藤吉氏 正友會長 正井左右氏
眞友會長 中谷松次郎氏 誠明會長 山本元造氏
關矢組長 高野重吉氏 (以上 二十三名)
理 事
博勞組長 中谷八十太郎氏 博勞八人組長 延澤政太郎氏
橋本組長 橋本駒吉氏 二三得商會長 大塚次郎橘氏
豊能郡神農會長 森田市之助氏 床重組長 田中信貞氏
河内東會長 松本小治郎氏 改良組長 京谷寅吉氏
ヿ米組長 富田米三郎氏 大正會長 池田寅松氏
難波幾組長 吉岡幾三郎氏 上村組長 多田米太郎氏
鬼氣龍組長 淺井榮次郎氏 大地組長 島村宗吉氏
呉綾會長 杉本一郎氏 山崎組長 郡司三郎氏
甲田組長 横田市太郎氏 向上會長 野田恒市氏
飴源組長 堀井安次郎氏 堺譽田組長 竹内乙次郎氏
阪本組長 吉田貞雄氏 佐々木會長 柴谷平吉氏
北松下組長 關 福松氏 宮川會福由組長 村下由松氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/40
宮川會神崎組長 神崎熊太郎氏 宮川會大宮組長 岡崎善吉氏
宮川會井上組長 井上幸次郎氏 宮川會道伴組長 的場藤太郎氏
南松下組長 丹羽萬吉氏 三島郡神農會長 福原丑松氏
島本組長 島本堯司氏 東泉北組長 八百岩吉氏
盛代組長 三俣先太郎氏 懇親社道明寺組長 松下國松氏
庚信會長 中元才太郎氏 百舌鳥八幡組長 川端安松氏
准理事
關矢組代表者 前塚嘉太郎氏 百舌鳥八幡組長 矢野辰次郎氏
關矢組代表者 谷輪勝太郎氏 吉田組 十河正之氏
評議員
※別稿に記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
常任理事 p40-41/49
今西組長 辻野淸八氏 早野會長 早野龜次郎氏
竹博組長 山田禮次郎氏 龜井組長 山上實三郎氏
河内北神農會長 小林喜太郎氏 吉田組長 吉田廣吉氏
竹ノ内組長 大村泰作氏 八尾由組長 高岡庄太郎氏
丸○組長 安田松之輔氏 譽田講神社總長 鹽野織部氏
永代組長 岩本甚吉氏 寺田組長 寺田末吉氏
傳安組長 藤原市太郎氏 三尺組長 村内捨吉氏
宮川會總裁 宮川楠三氏 宮川會福由組長 村下由松氏
三島郡神農會長 福原丑松氏 澁屋組長 加藤幾造氏
澁利組長 村田藤吉氏 正友會長 正井左右氏
眞友會長 中谷松次郎氏 誠明會長 山本元造氏
關矢組長 高野重吉氏 (以上 二十三名)
理 事
博勞組長 中谷八十太郎氏 博勞八人組長 延澤政太郎氏
橋本組長 橋本駒吉氏 二三得商會長 大塚次郎橘氏
豊能郡神農會長 森田市之助氏 床重組長 田中信貞氏
河内東會長 松本小治郎氏 改良組長 京谷寅吉氏
ヿ米組長 富田米三郎氏 大正會長 池田寅松氏
難波幾組長 吉岡幾三郎氏 上村組長 多田米太郎氏
鬼氣龍組長 淺井榮次郎氏 大地組長 島村宗吉氏
呉綾會長 杉本一郎氏 山崎組長 郡司三郎氏
甲田組長 横田市太郎氏 向上會長 野田恒市氏
飴源組長 堀井安次郎氏 堺譽田組長 竹内乙次郎氏
阪本組長 吉田貞雄氏 佐々木會長 柴谷平吉氏
北松下組長 關 福松氏 宮川會福由組長 村下由松氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/40
宮川會神崎組長 神崎熊太郎氏 宮川會大宮組長 岡崎善吉氏
宮川會井上組長 井上幸次郎氏 宮川會道伴組長 的場藤太郎氏
南松下組長 丹羽萬吉氏 三島郡神農會長 福原丑松氏
島本組長 島本堯司氏 東泉北組長 八百岩吉氏
盛代組長 三俣先太郎氏 懇親社道明寺組長 松下國松氏
庚信會長 中元才太郎氏 百舌鳥八幡組長 川端安松氏
准理事
關矢組代表者 前塚嘉太郎氏 百舌鳥八幡組長 矢野辰次郎氏
關矢組代表者 谷輪勝太郎氏 吉田組 十河正之氏
評議員
※別稿に記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[關西神農聯合會]2/4
『大阪府下のテキヤの組合54組』
『組合員約4万人』昭和4年11月
[關西神農聯合會の發會式]
日時:昭和四年(1929)十一月五日
場所:大阪市北區中之島中央公會堂
來賓:大坂府知事《柴田善三郎》を初め六百餘
大阪府知事が公認
知事が双手を擧げて賛意を表して呉れた
参加:テキヤの組合五十四組
組合員約四万人
[關西神農聯合會:名づけ親]
大阪府 警察部長《藏原惟人》
※藏原惟人=藏原敏捷
『關西神農聯合會』と銘名して呉れた。
【職員録. 昭和5年1月1日現在】
大阪府 大阪市東區大手前之町 p156/225
知 事 一等一級 從四勳三 《柴田善三郎》
警察部 書記官
三等三級 從五勳五 部長 《藏原敏捷》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447777/156
[關西神農聯合會]
會 長:前 大阪府北河内郡長《野村壽三郎》
副會長:前 大阪府警視 《岡田虎之助》
前 大阪府警視 《大内山金之進》
【職員録. 大正8年】
新町警察署 大阪市西區立賣堀北通三丁目 p441/641
署長 警視 《大内山金之進》
警部 《砂子若松》
富田林警察署 南河内郡富田林町 p441/641
警部 署長 《岡田乕之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986601/441
北河内郡役所 北河内郡枚方町 p442/641
郡長 四等五級 正六勳五 《野村壽三郎》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986601/442
【職員録. 大正11年】
大阪府 大阪市江ノ子島上之町 p544/768
今宮警察署 西成郡今宮町 p545/768
署長 警視 《岡田虎之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986604/545
北河内郡役所 北河内郡枚方町 p547/768
郡長 四等三級 正六勳五 《野村壽三郎》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986604/547
【職員録. 昭和2年1月1日現在】
大阪府 大阪市東區大手前之町 p137/193
警察署
地方警視(署長)
島之内 六等七級 正七 《岡田虎之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447641/137
[柴田善三郎]
第22代大阪府知事(官選)
1929年(昭和4年)7月5日 - 1931年(昭和6年)12月18日 –
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%96%84%E4%B8%89%E9%83%8E
《藏原惟人=藏原敏捷》
[Wikipedia]
[和歌山県知事一覧]
第25代 知事
氏 名 蔵原敏捷(くらはら としかつ)
在職期間 昭和5年(1930)8月26日―昭和6年(1931)12月18日
出身地 熊本県
学職歴 大阪府警察部長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
[Wikipedia]
[蔵原敏捷]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E5%8E%9F%E6%95%8F%E6%8D%B7
新聞記事文庫 労働者保護(6-151)
大阪朝日新聞 1930.5.15(昭和5)
鐘紡の争議にも調停法を適用か
西尾氏蔵原警察部長に具陳
鐘紡は他人の容喙を許さぬと声明
データ作成:2006.4 神戸大学附属図書館
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00774008&TYPE=HTML_FILE&POS=1
『大阪府下のテキヤの組合54組』
『組合員約4万人』昭和4年11月
[關西神農聯合會の發會式]
日時:昭和四年(1929)十一月五日
場所:大阪市北區中之島中央公會堂
來賓:大坂府知事《柴田善三郎》を初め六百餘
大阪府知事が公認
知事が双手を擧げて賛意を表して呉れた
参加:テキヤの組合五十四組
組合員約四万人
[關西神農聯合會:名づけ親]
大阪府 警察部長《藏原惟人》
※藏原惟人=藏原敏捷
『關西神農聯合會』と銘名して呉れた。
【職員録. 昭和5年1月1日現在】
大阪府 大阪市東區大手前之町 p156/225
知 事 一等一級 從四勳三 《柴田善三郎》
警察部 書記官
三等三級 從五勳五 部長 《藏原敏捷》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447777/156
[關西神農聯合會]
會 長:前 大阪府北河内郡長《野村壽三郎》
副會長:前 大阪府警視 《岡田虎之助》
前 大阪府警視 《大内山金之進》
【職員録. 大正8年】
新町警察署 大阪市西區立賣堀北通三丁目 p441/641
署長 警視 《大内山金之進》
警部 《砂子若松》
富田林警察署 南河内郡富田林町 p441/641
警部 署長 《岡田乕之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986601/441
北河内郡役所 北河内郡枚方町 p442/641
郡長 四等五級 正六勳五 《野村壽三郎》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986601/442
【職員録. 大正11年】
大阪府 大阪市江ノ子島上之町 p544/768
今宮警察署 西成郡今宮町 p545/768
署長 警視 《岡田虎之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986604/545
北河内郡役所 北河内郡枚方町 p547/768
郡長 四等三級 正六勳五 《野村壽三郎》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986604/547
【職員録. 昭和2年1月1日現在】
大阪府 大阪市東區大手前之町 p137/193
警察署
地方警視(署長)
島之内 六等七級 正七 《岡田虎之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447641/137
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[柴田善三郎]
第22代大阪府知事(官選)
1929年(昭和4年)7月5日 - 1931年(昭和6年)12月18日 –
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%96%84%E4%B8%89%E9%83%8E
《藏原惟人=藏原敏捷》
[Wikipedia]
[和歌山県知事一覧]
第25代 知事
氏 名 蔵原敏捷(くらはら としかつ)
在職期間 昭和5年(1930)8月26日―昭和6年(1931)12月18日
出身地 熊本県
学職歴 大阪府警察部長
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
[Wikipedia]
[蔵原敏捷]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E5%8E%9F%E6%95%8F%E6%8D%B7
新聞記事文庫 労働者保護(6-151)
大阪朝日新聞 1930.5.15(昭和5)
鐘紡の争議にも調停法を適用か
西尾氏蔵原警察部長に具陳
鐘紡は他人の容喙を許さぬと声明
データ作成:2006.4 神戸大学附属図書館
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00774008&TYPE=HTML_FILE&POS=1
[關西神農聯合會の發會式]1/4
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
創立の經過……加盟組員……加入人員……
創立趣意書……常任理事……理事……評議員……功勞者……
時………昭和四年十一月五日
場所……大阪市北區中之島中央公會堂
關西神農聯合會の發會式は正午と言ふのに、
朝まだきから各組合の人々は
組合旗を先頭に陸續と中之島なる
中央公會堂を目指して集つて來た。
相會する者
四萬餘。
會場は文字通り立錐の地もなく埋まる。
入り切れない會員は中之島の廣場へ。
……中之島は神農さんを奉ずる人々で埋るの盛觀である。
この擧を旺んにする爲めに招かれた來賓は
大坂府知事
柴田善三郎閣下を初め六百餘。 ※柴田善三郎:別稿①
發會式に臨まれた柴田知事はその盛大さに驚嘆して
『中央公會堂が建てられて以來の壯觀と覺ゆ……』
と祝辞を述べられた程である。
此の發會式は新聞紙を通じて
全國津々浦々まで異樣なショックを與へた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/38
斯うして生れた關西神農聯合會とは
怎那(どんな)ものか………。
今迄は宛然(さながら)商人中の
ジプシーの如く思はれてゐた
香具師……露店商人……
世間の人々からは特別の眼をもつて觀られ、
異端視されてゐた香具師、
俗に言ふテキヤが時代に覺醒(めざ)めたのである。
小資本の露店商人として
現代の社會に生きて行かうと言ふ念願は
隨分永い間培はれて來た。
それが報いられたのである。
大阪府下にあるこのテキヤの組合
五十四組、
その組合に屬する組合員
約四万が打つて一丸となり
社會的進出を目論んだのだ。
『共同一致相補翼し、
營業上の弊害を矯正し、
相互の親睦を計り、
業界の向上發展を企圖する』
と言ふので
大阪府知事は双手を擧げて賛意を表して呉れた。
警察部長
藏原惟人氏は自ら名づけ親となつて
※藏原惟人=藏原敏捷:別稿①
『關西神農聯合會』と銘名して呉れた。
而も大阪府知事が公認して。
趣意書には斯う書いてある。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/39
會長に
前大阪府北河内郡長
野村壽三郎氏を戴き ※野村壽三郎:別稿①
副會長には
前大阪府警視
岡田虎之助氏、 ※岡田虎之助:別稿①
前大阪府警視
大内山金之進氏を戴いて ※大内山金之進:別稿①
十一月十九日託員選擧を行ひ
次の人々が當選、
茲に全く關西神農聯合會の陣容が出來たのである。
常任理事 p40-41/49
理事
准理事
※別稿に記載②
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/40
評議員 p41-43/49
※別稿に記載③
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
【神農の由耒:附・香具師虎之巻】昭和5年
[關西神農聯合會の内容] p38/49
創立の經過……加盟組員……加入人員……
創立趣意書……常任理事……理事……評議員……功勞者……
時………昭和四年十一月五日
場所……大阪市北區中之島中央公會堂
關西神農聯合會の發會式は正午と言ふのに、
朝まだきから各組合の人々は
組合旗を先頭に陸續と中之島なる
中央公會堂を目指して集つて來た。
相會する者
四萬餘。
會場は文字通り立錐の地もなく埋まる。
入り切れない會員は中之島の廣場へ。
……中之島は神農さんを奉ずる人々で埋るの盛觀である。
この擧を旺んにする爲めに招かれた來賓は
大坂府知事
柴田善三郎閣下を初め六百餘。 ※柴田善三郎:別稿①
發會式に臨まれた柴田知事はその盛大さに驚嘆して
『中央公會堂が建てられて以來の壯觀と覺ゆ……』
と祝辞を述べられた程である。
此の發會式は新聞紙を通じて
全國津々浦々まで異樣なショックを與へた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/38
斯うして生れた關西神農聯合會とは
怎那(どんな)ものか………。
今迄は宛然(さながら)商人中の
ジプシーの如く思はれてゐた
香具師……露店商人……
世間の人々からは特別の眼をもつて觀られ、
異端視されてゐた香具師、
俗に言ふテキヤが時代に覺醒(めざ)めたのである。
小資本の露店商人として
現代の社會に生きて行かうと言ふ念願は
隨分永い間培はれて來た。
それが報いられたのである。
大阪府下にあるこのテキヤの組合
五十四組、
その組合に屬する組合員
約四万が打つて一丸となり
社會的進出を目論んだのだ。
『共同一致相補翼し、
營業上の弊害を矯正し、
相互の親睦を計り、
業界の向上發展を企圖する』
と言ふので
大阪府知事は双手を擧げて賛意を表して呉れた。
警察部長
藏原惟人氏は自ら名づけ親となつて
※藏原惟人=藏原敏捷:別稿①
『關西神農聯合會』と銘名して呉れた。
而も大阪府知事が公認して。
趣意書には斯う書いてある。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/39
會長に
前大阪府北河内郡長
野村壽三郎氏を戴き ※野村壽三郎:別稿①
副會長には
前大阪府警視
岡田虎之助氏、 ※岡田虎之助:別稿①
前大阪府警視
大内山金之進氏を戴いて ※大内山金之進:別稿①
十一月十九日託員選擧を行ひ
次の人々が當選、
茲に全く關西神農聯合會の陣容が出來たのである。
常任理事 p40-41/49
理事
准理事
※別稿に記載②
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/40
評議員 p41-43/49
※別稿に記載③
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/41
昭和五年八月廿五日印刷
昭和五年九月 一日發行
定價 金六拾踐
装幀 小泉米吉
著作者 佐藤英彬
發行兼印刷者 秋田昌義
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
發行所 神農者
大阪市住吉區阿倍野筋八丁目六六
印刷所 北尾印刷所
大阪市東區玉造町四二二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461093/44
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[惑星親分 久原房之助]【現代親分乾分物語】昭和11年
【現代親分乾分物語】昭和11年
[惑星親分 久原房之助] p9-10/32
怪物久原房之助は、
鈴木喜三郎とは異つた意味の政界の大親分である。
彼は日本の政界には、その比を見ない大型の人物である。
「一國一黨が日本精神だ!」
などと言つて、
事務員みたいな政治家の度膽を抜くかと思へば、
「神武天皇しか尊敬に價する人物はない。」
などと、眞面目に設をなすところ、
少々狂氣じみてさへゐる。
彼は元來が事業家である。
明治二年(1869)山口縣に生れ、
藤田組の創業藤田傳三郎は、彼の叔父である。
明治二三年(1890)
慶應義塾卒業後森村組に入り、
二十二歳の時藤田組に轉じて、
小坂鑛山の經營にあたつた。
そこで七年間坑の中で、
坑夫の生活から叩き上げ、
後獨立して、鑛山及び製煉業を起し、
先づ日立鑛山に成功し、
久原鑛業會社を創立、
歐洲大戰に際して多大の富を得た實業家である。
事業家としての彼は、恐ろしいまでに度胸があつた。
久原商事が年一千萬近くの利益をあげてゐた當時、
ペルシヤに何百萬エーカーの土地を購入して、
阿片を作つたり、
近東方面へ、
盛んに貿易の手を擴げたりした。
事業家としてのみ終始したならば、
彼は尊敬すべき偉大な成功者であつたかもしれない。
しかし彼は「長州の血」を受けた野心家であつた。
先輩井上馨、山縣有朋、桂太郎等に利淑したのが、
そもそもの蹉鐡の第一歩だつた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/9
彼は政治的野望を抱いて、
友人田中義一に、莫大な政治資金を貢いで、政界へ乗り出した。
政友會内に、彼のバラ撒いた資金は、
前古未增有に莫大なものだつた。
それにも拘らず、乾分といふ程のものは少く、
僅に津雲國利位のものである。
久原は政治家としての生涯に入つたが、
本質的には依然として、商人だつた。
この點に彼が政治家としての
道德觀念の欠除を非難され、
乾分が出來得なかつた素因がある。
故森恪は、
「久原と絶交した。あの人は不道德だ!」
と、憤激したことがある。
侠客的氣質をもつ森としては、
當然なことと言はねばならない。
資金の提供のみ盡力して、
しかも尊敬されず、乾分も少い、
それが又日和見主義的な存在であるに至つては、
久原も亦、氣の毒な親分と言ふべきである。
久原は二・二六事件以後、鳴りをひそめて、
政界にも財界にも、顔出してゐない。
彼の身邊に關しては、種々なる噂がる。
しかし、その眞相は渾沌として、
容易に摑み得べくもない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/10
昭和十一年八月十六日印刷
昭和十一年八月十八日發行
〔定價 十錢〕
著者 藤原達策
發行者 角田 恒
東京市芝區三田四國町二六
印刷所 東亞書房印刷部
東京市牛込區山吹町二ノ五八
發行所 東亞書房
東京市芝區三田四國町二六
振替 東京八八三八〇番
電話 三田 三九八九番
鐡道各驛ホームスタンド 一手販賣
鐡道保養會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/31
【阿片密輸の容疑者が国務大臣:市井の奸商久原房之助】昭和4年
内務省 昭和4年3月8日
課長 土屋〔印〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207/2
〔寫眞ノ説明〕 p4/16
場所ハ芝區白金ノ久原氏邸
向ツテ左ヨリ
一 中山説太郎氏ノ秘書 佐々木氏
二 久原房之助氏
三 中山説太郎氏 當時
久原鑛業株式會社ノ專務取締役、
久原商事株式會社ノ監査役ニシテ
哈利洋行ヲ指揮シ
阿片密輸入ヲ爲シタル人
四 呉昌煤 上海ニ於ケル阿片密輸入商
五 住山忠治 哈利洋行ノ事務主任
中山説太郎、大村淸ノ命ヲ受ケ
阿片密輸入ノ爲メ上海ニテ働キタル人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207/4
【職員録. 昭和4年1月1日現在】
内務省 麹町區大手町一丁目 p32/199
◎警保局 圖書課長 土屋正三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447721/32
【現代親分乾分物語】昭和11年
[惑星親分 久原房之助] p9-10/32
怪物久原房之助は、
鈴木喜三郎とは異つた意味の政界の大親分である。
彼は日本の政界には、その比を見ない大型の人物である。
「一國一黨が日本精神だ!」
などと言つて、
事務員みたいな政治家の度膽を抜くかと思へば、
「神武天皇しか尊敬に價する人物はない。」
などと、眞面目に設をなすところ、
少々狂氣じみてさへゐる。
彼は元來が事業家である。
明治二年(1869)山口縣に生れ、
藤田組の創業藤田傳三郎は、彼の叔父である。
明治二三年(1890)
慶應義塾卒業後森村組に入り、
二十二歳の時藤田組に轉じて、
小坂鑛山の經營にあたつた。
そこで七年間坑の中で、
坑夫の生活から叩き上げ、
後獨立して、鑛山及び製煉業を起し、
先づ日立鑛山に成功し、
久原鑛業會社を創立、
歐洲大戰に際して多大の富を得た實業家である。
事業家としての彼は、恐ろしいまでに度胸があつた。
久原商事が年一千萬近くの利益をあげてゐた當時、
ペルシヤに何百萬エーカーの土地を購入して、
阿片を作つたり、
近東方面へ、
盛んに貿易の手を擴げたりした。
事業家としてのみ終始したならば、
彼は尊敬すべき偉大な成功者であつたかもしれない。
しかし彼は「長州の血」を受けた野心家であつた。
先輩井上馨、山縣有朋、桂太郎等に利淑したのが、
そもそもの蹉鐡の第一歩だつた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/9
彼は政治的野望を抱いて、
友人田中義一に、莫大な政治資金を貢いで、政界へ乗り出した。
政友會内に、彼のバラ撒いた資金は、
前古未增有に莫大なものだつた。
それにも拘らず、乾分といふ程のものは少く、
僅に津雲國利位のものである。
久原は政治家としての生涯に入つたが、
本質的には依然として、商人だつた。
この點に彼が政治家としての
道德觀念の欠除を非難され、
乾分が出來得なかつた素因がある。
故森恪は、
「久原と絶交した。あの人は不道德だ!」
と、憤激したことがある。
侠客的氣質をもつ森としては、
當然なことと言はねばならない。
資金の提供のみ盡力して、
しかも尊敬されず、乾分も少い、
それが又日和見主義的な存在であるに至つては、
久原も亦、氣の毒な親分と言ふべきである。
久原は二・二六事件以後、鳴りをひそめて、
政界にも財界にも、顔出してゐない。
彼の身邊に關しては、種々なる噂がる。
しかし、その眞相は渾沌として、
容易に摑み得べくもない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/10
昭和十一年八月十六日印刷
昭和十一年八月十八日發行
〔定價 十錢〕
著者 藤原達策
發行者 角田 恒
東京市芝區三田四國町二六
印刷所 東亞書房印刷部
東京市牛込區山吹町二ノ五八
發行所 東亞書房
東京市芝區三田四國町二六
振替 東京八八三八〇番
電話 三田 三九八九番
鐡道各驛ホームスタンド 一手販賣
鐡道保養會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445875/31
【阿片密輸の容疑者が国務大臣:市井の奸商久原房之助】昭和4年
内務省 昭和4年3月8日
課長 土屋〔印〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207/2
〔寫眞ノ説明〕 p4/16
場所ハ芝區白金ノ久原氏邸
向ツテ左ヨリ
一 中山説太郎氏ノ秘書 佐々木氏
二 久原房之助氏
三 中山説太郎氏 當時
久原鑛業株式會社ノ專務取締役、
久原商事株式會社ノ監査役ニシテ
哈利洋行ヲ指揮シ
阿片密輸入ヲ爲シタル人
四 呉昌煤 上海ニ於ケル阿片密輸入商
五 住山忠治 哈利洋行ノ事務主任
中山説太郎、大村淸ノ命ヲ受ケ
阿片密輸入ノ爲メ上海ニテ働キタル人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137207/4
【職員録. 昭和4年1月1日現在】
内務省 麹町區大手町一丁目 p32/199
◎警保局 圖書課長 土屋正三
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447721/32
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年07月22日08:23
1/5[大日本製藥會社の創立]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
明治十四年九月
《久原庄三郎》、《小室信夫》兩名の名義の下に
製藥會社創設並に國庫補助の件を上願し
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572304.html
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年07月22日08:57
4/5[大日本製藥會社]
「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572307.html
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