2016年05月

『在寮法科生懇話會:別府賢吉・松村仙造』第五高等学校[龍南會雜誌]86

『在寮法科生懇話會:別府賢吉・松村仙造』
第五高等学校[龍南會雜誌]86-64-104

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 86: 64-104
Issue date 1901-06-18
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5199
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5199/1/086-011.pdf

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『在寮法科生懇話會』 p18/42
本學年最終の懇話會は
六月三日午後八時から  ※明治34年(1901)6月3日
瑞邦舘で開かれた、
―略―

次は別府君の「偶感」、 ※別府賢吉
ジゴ聲張り揚げて
現社會の狀態を
痛憤したのはよかつたが
手足の活動が酔狂に類して居たのは
聽者の拍手を迎ゑたと同時に又た
其の笑を招いた。

―略―

次に出たのは
知名の松村和尚樣、   ※松村仙造
何か説敎でもなさるのかと
耳傾けて居たが、
幽靈の、
鬼の、
腕かぢりの、
脛かぢりので終つたには
少々閉口仕つた。

―略―

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[日本女医会雑誌]第33号〔6/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔6/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次
◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一
 新入會員・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六三
   女醫界の恩人弘田博士逝く・・・・・・・・・六六

 d33-22

女醫界の恩人

 東大名譽敎授弘田博士逝く P66

東大小兒科學會々頭醫學博士弘田長氏は、

先年腦溢血を發して以來健康勝れず、

病褥に親しまれてゐたが、

去る十一月廿七日  ※昭和3年(1928)11月27日

遂に養生不叶不歸の客となられた。

博士は女醫界の恩人で、

未だ大學で他科に女醫の研究を許さざる時に於て

夙に介補或は傍觀生として之を許し、

明治四十三年(1910)

婦人共立育兒會病院設立せらるゝや、

博士監督の下に女醫のみを採用し、

自由に診療及研究を遂げしめたのは、

女醫の發展の爲めに裨益する所が尠くなかつた。

上記の婦人共立育兒會病院は爾來引續き

女醫のみの手を以て營めれてゐる。

從つて博士の薫陶を受けた女醫は少なくない。

去る十一月三十日午後一時より  ※昭和3年(1928)11月30日

葬儀及告別式を行はれたが、

各宮殿下の御供物及竹田宮妃殿下の御代拜あり

醫界の巨星悉く集り、

非常に盛大なものであつた。

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※「京都府立医科大学附属図書館」所蔵の原本をコピー
  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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 【東京帝国大学一覧. 明治20-21年】
 醫學士    p124/161
明治十三年卒業 p125/161
弘田 長  高知
小金井良精 新潟
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813164/125
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 Wikipedia
弘田 長(ひろた つかさ)
1859714日(安政6615日) - 1928年(昭和3年)1127日)は、
日本の医師。東京大学小児学教室の初代教授。幼少時の昭和天皇の侍医を務めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E7%94%B0%E9%95%B7

 [弘田長先生略歴]
http://www.petitspoissons.com/ped/HirotaJ2.html

[父のこと 弘田 親輔]

父のことについては、没後に皆さまのお心づくしにより「遺影」が刊行され、

それに父のほとんどすべての全貌をつくされておりますので、

ここでは「遺影」に出ていないこと、

それは、父がどうして遠い土佐の田舎からはるばる東京へ出て

医学を修業するようになったか、

なぜ小児科への道を歩むようになったか、

というようなことについて申上げようと思います。

明治三年に時の政府から貢進生という制度が発令されました。

これは明治の新政府が中央集権をねらった政策であるともいわれておりますが、

それは全国から優秀な少年を選抜して東京に集め、

他日国家有用の材たらしめんとする意図のもとに、

今日の中学、高校、大学に当る八年制の課程を習得させる制度でありました。

その選抜方法は、五万石以下の藩から一人、

五万石以上の藩から二人、

十五万石以上の藩からは三人の少年を選定することになっておりました。

父の住む土佐藩は、もと遠州浜松の五万石の小藩でありましたが、

関ケ原の役の勲功によって一躍二十五万石の土佐の大藩に封ぜられましたので、

三人の少年を送る資格を持ち、

父はその三人の少年のなかに加えられて明治四年、

十三歳の時に上京致しました。

 ―略―

 全国から東京に集った少年たちは、

志望に従って東校(医)と南校(法)に分けられましたが、

始めから家業の医を志した父は、神田和泉橋の東校の寄宿舎に入寮しました。

父と時を同じゅうして

備前岡山の三十一万石の池田藩から三人の少年が送られてまいりましたが、

その少年の一人が後年の小金井良精先生でありまして、

小金井先生と父とは、この時から終生の交りを結んだわけであります。

なお、父と同じころに南校には、

小村寿太郎、鳩山和夫、穂積陳重、古市公威の諸氏がおられたもようです。

 ―略―

(この文章は昭和34年東大小児科70周年を記念して刊行された

「東大小児科の生い立ち」の中から転載したものです。)

http://www.petitspoissons.com/ped/HirotaJ3.html


 
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
20130623 05:44 ◆貢進舎生姓名簿
[貢進舎生姓名簿=310人]明治4年1月
【東京帝国大学五十年史. 上册】1/6
027 岡山藩    當間源二郎
028 岡山藩    岸本竹三郎
029 岡山藩    長尾峯太郎

030 高知藩    宮崎辰吉   ▲宮崎簡亮(辰吉)※①
031 高知藩    福岡鋼三郎           ※②
032 高知藩    北尾星一郎
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2551546.html

 

※①[宮崎簡亮(辰吉)]

新聞記事文庫 政治(6-016)

時事新報 1916.4.5-1916.4.16(大正5)

岩倉公献替録 (一〜九)

()

本日より紙上に連載せんとするは

故岩倉右大臣が政局に関与したる当時、

自ら手記したるもの或は人に命じて記録せしめたるものにして

明治の初期に於ける絶好の史料なり

只記録の数量に限あると共に各記録の脈絡を欠き読者をして

多少隔靴掻痒の感あらしむるは遺憾なれども

仔細に玩味するときは当時の事情を研究せんとするものの為めに

無上の裨益を与うべし

而して本記録を保存したるは右大臣の秘書たりし

故宮崎簡亮氏なり氏は高知県の人、

明治の初年土州藩の貢進生として大学南校れ入り

夙に校中の雋才を以て目せら卒に業後、

右大臣の知遇を受けて其秘書と為り

明治十五年即ち右大臣逝去の前年まで十数年間一日の如く

其公務を賛翼したりと云えば

下に掲ぐる諸記録も氏の筆に成りたるもの多かるべし

 ―略―

データ作成:2010.6 神戸大学附属図書館

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10087520&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

※②[福岡鋼三郎]

南国土佐へ来てみいや

会津若松西軍墓地 1 - 会津戦争で亡くなった土佐藩兵49名が眠る

2015-09-28 Mon | 幕末他藩| 龍馬関連番外編

土佐藩墓所の正面にある灯籠。

爲孝英兄建之

福岡鋼三郎孝廣

明治元年戊辰中冬

此処にゃ、土佐藩胡蝶隊に参加しちょった

土佐藩家老・福岡宮内孝成の次男・福岡友治郎も眠っちょり、

この灯籠は、一緒に参戦しちょった、

弟・福岡鋼三郎が建てたがじゃと思います。

http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-1876.html

 

[日本女医会雑誌]第33号〔5/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔5/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一

 新入會員・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六三

日本女醫會會員名簿

 イロハ順(*印は不明 ○印は評議員)

 d33-20

新入會員昭和三年度
東京女子醫學專門學校卒業生
P63

 d33-21

新入會員昭和三年度
東京女子醫學專門學校卒業生
P64-65

 d33-22

新入會員昭和三年度
東京女子醫學專門學校卒業生
P66

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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[日本女医会雑誌]第33号〔4/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔4/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一

日本女醫會會員名簿

 イロハ順(*印は不明 ○印は評議員)

 d33-16

P54-55 エ テ ア

 d33-17

P56-57 サ

 d33-18

P58-59 キ ユ ミ

 d33-19

P60-61 シ ヒ

 d33-20

P62-63 モ セ ス

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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[日本女医会雑誌]第33号〔3/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔3/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一

日本女醫會會員名簿

 イロハ順(*印は不明 ○印は評議員)

 d33-10

P42-43 タ

 d33-11

高須いま子 愛知縣幡豆郡一色村赤羽 p44
高須克弥の祖母“高須いま”
P44-45 ソ ツ

 d33-12

P46-47 ネ ナ ム

 d33-13

P48-49 ウ ノ ク ヤ

 d33-14

P50-51 マ

 d33-15

P52-53 ケ フ コ

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428

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[日本女医会雑誌]第33号〔2/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔2/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一

日本女醫會會員名簿

 イロハ順(*印は不明 ○印は評議員)

 d33-04

P31   イ

 d33-05

P32-33 ハ

 d33-06

P34-35 ニ ホ ト

 d33-07

小野安子  退
尾崎まさの 愛媛縣喜多郡滿穗村
P36-37 チ リ ヌ ヲ オ

 d33-08

岡見京子  東京府荏原郡下目黒二二
P38-39 ワ カ

 d33-09

P40-41 ヨ

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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[日本女医会雑誌]第33号〔1/6〕昭和3年12月30日発行

[日本女医会雑誌]第33号〔1/6〕昭和3年12月30日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第33号]昭和312p21

d33-01
 昭和三年十二月三十日發行

[日本女醫會雜誌]第三十三號

         日本女醫會

 d33-02

[日本女醫會雜誌]第三十三號 目次

◎口繪(汎太平洋婦人會議日本代表と吉岡會長)

◎學術

 粉乳の脂肪含量に就て・・・一

◎會報

 吉岡會長汎太平洋婦人會議歸朝歡迎會兼

       秋季例會・・・六

 汎太平洋婦人會議報告及視察談・・・吉岡彌生・・・八

 日本に於ける女子醫學敎育・・・・・吉岡彌生・・一四

 會員動靜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一九

 會費領収・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二〇

 會計報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二〇

 女醫會事務所日誌・・・・・・・・・・・・・・・二一

◎彙報・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二三

 文部省補助金受領者戸田邦子女史の光榮・・・・・二三

 至誠會の發展(低利資金申請通過)・・・・・・・二三

 帝國女子醫專新築落成・・・・・・・・・・・・・二三

 日本婦人聯合常置委員會・・・・・・・・・・・・二四

 東京聯合婦人會・・・・・・・・・・・・・・・・二四

 救世軍療養所の「コロニー制度實行」・・・・・・二五

 故服部けさ子女史追悼會・・・・・・・・・・・・二七

◎文藝

 御大典の日に・・・・・杉田鶴子・・・・・・・・二八

 俳句・・・・・・・・・みすず會同人・・・・・・二九

   海外醫事ゴシツプ             二九

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三一

 新入會員・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六三

   女醫界の恩人弘田博士逝く

 d33-03

汎太平洋婦人會議出席日本代表(圓内は同本會代表吉岡代表)

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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『如斯我觀:松村仙造君』第五高等学校[龍南會雜誌]83

『如斯我觀:松村仙造君』
第五高等学校[龍南會雜誌]83-71-90

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 83: 71-90
Issue date 1900-11-30
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5075
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5075/1/083-016.pdf

○演舌會         p6/21
天高うして澋氣滿つ、
原頭に武を學ぶも壯なるべく、
宏堂に辨を練るも快なり、
十一月廿一日     ※明治33年(1900)11月21日
例の如く瑞邦舘場裏、
吾士の抱懐を聞く、
概況左の如し、
 ―略―

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『如斯我觀』 松村仙造君 p7/21

如斯我觀とは何ぞや、
君の學生觀なり、

余は君の演舌中微睡に侵されて
華胥の夢に入らんとせし時、

俄然舘中の一角より聲あり、
曰く何ぞ坊主の説敎に似たると、

忽然頭を擧ぐれば
君將に壇を降らんとせり。

演舌に多少の滑稽は必要なり、
されど始終一貫
諧謔を弄するは
いかなるものなるや、

且君の言調圓滑なるも單調なり、

今少し活氣あるべし、
抑揚變化あるべし。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『熊本大学 五高記念館』

http://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

[You Tube]
熊本大学(旧第五高等学校) 寮歌「武夫原頭に」 .wmv 3:20
http://www.youtube.com/watch?v=QzESWC-gLJg

[You Tube]
五高寮歌「武夫原頭に草萌えて」 3:05
http://www.youtube.com/watch?v=o7O3LhcroDI

[日本女医会雑誌]第25号〔4/4〕大正14年12月28日発行

[日本女医会雑誌]第25号〔4/4〕大正14年12月28日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第25号]大正1412p17

 d25-18

P130-131 新人會員

 第十四回卒業(大正十四年十一月三日)

 ―略―

 以上 八十四名

 

 海外醫事

○愛蘭醫大に女學生(愛)

 今回愛蘭ダブリン市のキングス・クインス醫科大學は

 男女共學制度を採用し女子學生を許可する事になつた。

 數年前同國の勞働團體で婦人の會員を許可した時に

 相當に激しい反對があつたから

 今回も或は反對が出るかと懸念されてゐたが

 差當り反對する者はない

 此の先例に於て男女共學が成功せば

 其他の大學もどしどし女子醫學生を

 入學許可の方針であるさうだ。

○男女醫科大學合併(支那)

 山東基督敎醫科大學は最近

 一九二四年六月三十日までの報告を出した。

 それには北支女子醫科大學と同大學との合併に就て

 記載せられてある。

 此合併の結果は良好であつて

 男女共學は學校維持の上から見て經濟的であり又

 敎授の上から觀察して能率が高いと。

○醫學講義にラヂオ(獨)

 獨逸に於ては醫學連續講義に對する

 ラヂオ使用に必要なる設備は

 二、三ケ月の内に完成することになつた。

 伯林近郊ケニツヒスースターハウゼンに新しく

 二萬ワツトの放送局が設置せられ

 主として敎育上の用途に充てらるゝ筈である。

○五十九才の婦人が分娩(米)

 北米オハヨー州に於て

 千九百二十四年一ケ年間の出産婦人の統計總數

 十三萬六百十名中

 最少十二才 四名より 五十九才 一名迄あつたと。

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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[日本女医会雑誌]第25号〔3/4〕大正14年12月28日発行

[日本女医会雑誌]第25号〔3/4〕大正14年12月28日発行

PDF【日本女医会雑誌】[第25号]大正1412p17

[日本女醫會雜誌]第貮拾五號 目次

◎會員名簿・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇四

日本女醫會會員名簿

 イロハ順(*印は不明)

 d25-11

P116-117 ナ ム ウ

 d25-12

P118-119 ノ ク ヤ

 d25-13

P120-121 マ ケ フ

 d25-14

P122-123 コ エ テ ヤ

 d25-15

P124-125 サ キ

 d25-16

P126-127 ユ ミ シ

 d25-17

P128-129 ヒ モ セ ス

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  平成21(2009)10月 小野一雄
〔追加〕PDF:平成29428
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