[台湾の歴史]許文龍〔1/3〕プロフィール・序文:平成6年(1994)
[台湾の歴史] 許文龍
一九二八年二月二五日 台南市に生まれる。
戦前の台南高等工業附属工業学校、
及び戦後の省立台南高級工業学校機械科を卒業。
しばらく町工場で働くが、まもなく自立、
玩具、日用雑貨の製造を始め、台湾のトップに。
五九年 奇美実業公司を設立、アクリル板の製造を始めた。
六八年 保利化学公司を設立、スチレン樹脂を、
又 七六年にはABS樹脂の製造を始めた。
八五年 に両社が合併、この頃から急成長を遂げる。
九六年現在、同社はABS、AS
(自動車をはじめ、家電、コンピューター、電話器、
日用品にひろく使われる)
の製造では年産一二〇万屯の能力を有する。
世界一の規模を誇り、
第二位の米GE(年産能力 七六・三万屯)
を大きくリードしている。
因みに日本一〇社のトータルは七六万屯で、
これにも大きく差をつけている。
奇美の急成長の秘密はどこにあるかが
日本の石化業界の強い関心をひき、
いわゆる「奇美詣で」が相ついだ。
奇美の挙動を国内外の業界紙が争って取材、
化学工業日報や日本経済新聞の紙面を一再ならず賑わした。
ことに九四年三月二八日号の日経ビジネスに載った一文は、
大きい反響を呼んだ。
作者は教養人でもある。
荘子に傾倒し、
歴史、音楽、美術を愛し、
造詣も深い。
ことに釣りにかけては漁師はだしである。
一週間に出勤するのは二日だけ、
のこりは釣りをし、
バイオリンを弾き、
絵をかくのが日常生活。
p19 [序 文]
一九九三年の二月から八月にかけて、
私は社員教育講座で、
「奇美の発展史と私」をテーマに、十二回の講演を行った。
講演は一回が二時間であり、
本稿はそのうちの一回を整理したものである。
未来の台湾を背負って立つ若い世代は、
戦後の徹底した反日教育や、
行き過ぎた鄭成功の民族英雄論で、
歪められた史観を植えつけられた。
それを些かでも是正したい気持から、
私は敢えて台湾の歴史に触れたのである。
歴史を語るには程遠い私の知識であるが、
その真意を汲み取り頂ければ幸いである。
一九九四年三月 ※平成6年(1994)3月
許文龍 識す
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[台湾の歴史]許文龍〔2/3〕平成6年(1994)
[台湾の歴史]許文龍〔2/3〕平成6年(1994)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《奇美実業、董事長、許文龍》
*総統府国策顧問:講演会・平成10年
当日配られた資料を送付します。
当日配られた資料を送付します。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇