2017年02月

[愛宕山鐡道(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[愛宕山鐡道(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[愛宕山鐡道(株)] p969/1079
 京都市嵯峨天龍寺町
 電 話 嵯峨 三四五
 設 立 昭和二年八月
 資本金 二、〇〇〇、〇〇〇
 拂込濟 一、七〇〇、〇〇〇
社 長 藤安三之助 京都
取締役 羽室龜太郎 同
同   山本和七  同
同   小松美一郎 同
同   松島寛三郎 大阪
同   福井榮一  同
同   渡邉慶三  兵庫
監査役 石川芳次郎 京都
同   奥 主一郎 同
相談役 太田光凞  大阪
同   田中 博  京都
支配人 友田正一  同
運輸長 長岡正一  同
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[相生(名)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[相生(名)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[相生(名)] p969/1079
 大連市山縣通
 設 立 昭和四年六月
 資本金 四、〇〇〇、〇〇〇
代表  相生由太郎 大連
理事長 相生常三郎 同
理事  川邊謙司  同
同   谷口吉治  同
同   靑山覺五郎 同
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[亞細亞製粉(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[亞細亞製粉(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[亞細亞製粉(株)] p968-969/1079
 南滿洲開原
 設 立 大正八年一〇月
 資本金 一、〇〇〇、〇〇〇
 拂込濟   四二〇、〇〇〇
社 長 主 執中   開原
副社長 川島定兵衛  同
取締役 井上輝雄   大連
取締役 馬 秀升   開原
監査役 朱 玉齊   同
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[アマゾニア産業(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[アマゾニア産業(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[アマゾニア産業(株)] p968/1079
 麹町區内山下町一ノ一
 電 話 銀 五〇五七
 設 立 昭和一〇年九月
 資本金 一、〇〇〇、〇〇〇
 拂込濟   五〇〇、〇〇〇
社 長 上塚 司   東京 ※下記
取締役 福島喜三次  同
同   矢島富造   同
同   佐々田三郎  同
同   中島淸一郎  同
同   大志摩孫四郎 同
監査役 松田正之   同
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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南米移民の父:上塚周平
【第五高等学校一覧】【東京帝国大学一覧】
《アマゾン開拓の功労者で南米移民の父上塚周平氏・客死》
新聞記事文庫 移民および植民(21-126)
報知新聞 1935.7.9(昭和10)
[南米移民の父上塚氏客死]
アマゾン開拓の功労者で南米移民の父上塚周平氏は
去る六日正午ブラジルにおいて客死した旨
外務省その他関係者に通知があった
同氏は熊本県下益城郡杉上村の出身で
代議士上塚司氏の叔父に当り
 ―略―
【帝国大学出身名鑑】昭和7年
《上塚 弘》 p188-189/1005
正七、警視庁警視、交通課長
父 秀勝 慶應二生、現戸主
妻 環  明治二生、福岡県 藤井誠造 長女 府立第三高女卒
君は熊本県 上塚秀勝の長男
衆議院議員大蔵大臣秘書官 上塚司の甥
明治三十七年二月二十八日 同県に生る
大正十五年東京帝大法科を卒業
北海道庁に奉職次で千葉茨城各県警察部保安課長に歴任し
昭和七年現職に就く、宗教真宗
(東京市渋谷区千駄ヶ谷町五四九、電 青山六〇三)
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[アカシア木工(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[アカシア木工(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[アカシア木工(株)] p968/1079
 大阪市東區安土町二
 電 話 本 一五七四
 設 立 昭和一二年三月
 資本金 一、〇四〇、〇〇〇
 拂込濟   二九〇、〇〇〇
專 務 飯岡重之助 兵庫
取締役 林 安繁  兵庫
同   四方田 保 大阪
同   淸水揚之助 東京
同   山本寛次郎 島根
監査役 山本乙五郎 神戸 ※下記
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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<摂津硝子株式会社>【日本全国諸会社役員録】
【日本全国諸会社役員録】[第25回]大正6年7月10日発行
<摂津硝子株式会社>p509/1327
尼崎市竹谷新田村
設立 大正6年1月
資本金300,000円 一株50円 払込高75,000円
取締役(代表)乾 新三  神戸、湊町1
取締役    松村仙造  武庫郡御影町
取締役    山本乙五郎 神戸、中山手4
取締役    入江千太郎 神戸、葺合熊内橋6
取締役    濱口虎雄  尼崎、大物
取締役    戸田 實  神戸、山本2
監査役    乾 新治  神戸、湊町1
監査役    坂野源太郎 神戸、野崎3

<関西電気化学株式会社>【日本全国諸会社役員録】
【日本全国諸会社役員録】[第26回]大正7年8月10日発行
<関西電気化学株式会社> p757/1029
簸川郡知井宮村
設 立 大正6年8月
資本金500,000 一株50円 払込高125,000
取締役 高橋隆一   簸川郡稗原村
取締役 遠藤嘉右衛門 簸川郡今市町
取締役 江角常太郎  簸川郡出東村
取締役 松村仙造   兵庫県武庫郡御影町
取締役 山本乙五郎  神戸、山本4
取締役 山本福太郎  簸川郡知井宮村
監査役 山本藤助   大阪、南、安堂寺橋1
監査役 山田美治   簸川郡大津村
監査役 木村吉郎   大原郡大東町
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《愛國第一號機:昭和7年1月24日》【爆弾三勇士】昭和7年

《愛國第一號機:昭和7年1月24日》
【爆弾三勇士】昭和7年

【爆弾三勇士】昭和7年
[爆撃の一刹那] p107-114/121
(血湧き肉躍る愛國號の奮戦)

 一、晴れゆく霧 p107/121
『加藤大尉殿。霧が晴れましたぞ!』
格納庫の外で、八木中尉の若々しい聲が聞こえました。
愛國第一號の機體を綿密に檢査してゐた加藤大尉は、
油に汚れた手を拭き拭き外へ出て見ますと、
なるほど朝から深く垂れこめてゐた霧が次第に晴れわたり、
太陽のありかさへぼんやりと見えて來ました。
『よし、うまいぞ!』
物に動ぜぬ加藤大尉の顔にも、 p108/121
アリアリと嬉しさうな色が浮かびました。

時は昭和七年一月二十四日…。
この日わが愛國第一號機は、
打虎山西北方に於て
兵賊討伐中の室師團を援助せんがために、
羽がひの下に爆彈を抱いて、
今正に奉天の飛行場を出發しようとしてゐるのでした。

諸君は既に『愛國第一號機』のことに就いて
お聞きになつたことがありませう。
これこそ國民の愛國的熱情が
凝り固まつて出來上つたものです。

去る大正七年から昭和六年の末までに、
陸軍學藝技術奨勵費として
國民から陸軍へ寄附された金が、
積もりに積もつて約十七萬圓に達しました。
その金も單に金持ち連が出したのではありません。
その日の暮しにも追はれてゐるやうな人々が、
眞に國を思ふの赤心を以て、
苦しい中から寄附したものです。

從つて軍部に於ても、
なんとかしてこの金を生かして
使ひたいものと考へてゐる最中、
恰も滿洲事變が突發しましたので、
直ちにこの金をもつて優秀な爆撃機を作り、
これの『愛國第一號機』の名稱を與へたのでした。
從つて愛國號の機體の中には、
國民の熱い血潮がそのまゝ脈を打つて流れてゐる
と云つてもいゝでせう。

愛國第一號機は、全部金屬製で、
全體に草色のカムフラージが施されてゐます。
(カムフラージといふのは、迷彩を譯され、
 敵の目をごまかすために塗られた不規則な色どりです)

發動機は四百五十馬力のもが二基備へつけられ、
どちらか一基が故障を起こしても、
尚他の一基だけで飛行を續けることが出來ます。

愛國號の主なる役目は、
敵の陣地や軍隊に爆彈を投下するのですから、
左右の翼の下、及び胴體の下部に、
合計十六箇(四五〇キログラム)の爆彈を
抱いてゐます。 p109/121
この爆彈は操縦席にあるスヰツチ一つで、
左右いづれのものでも、
自由自在に落とせるやうになつてゐます。

又、愛國號は、前、後、下の三箇所に
機關銃を備へつけてゐますから、
たとひ敵の戰闘機に襲撃された場合でも、
十分に應戰することが出來るのでした。

空中戰を行ふについて最も必要なことは、
速度が早いといふことゝ、
上昇力(僅かな時間で高い所まで昇る力)が
強いといふことですが、
愛國號はこの點についても
申分のない優秀な飛行機なのでした。

愛國號は昭和七年の一月十二日に立川を出發し、
同十五日のお昼頃に奉天の飛行場に到着しましたが、
その翌々日の十七日には、
早くも彰武附近に於て
兵賊團に最初の爆撃を行ひ、
すばらしい初陣の手柄を立てたのでした。

そして、今日こそ
その第二回目の出陣の日なのでした。

 二、爆彈を積んで……
日は次第に高く上つて來ました。
飛行場の片隅に張られたテントの中から、
飛行服に身を固めた岩下中佐の姿があらはれました。
濃い眉の下には、いかにも軍人らしい鋭い眼が光つてゐます。

『加藤君、どうぢやな。機關(エンジン)の工合は?』
『ハイ、申し分ありません。
 霧もこの分なら十時過ぎには
 すつかり晴れてしまふだらうと思ひます。』
『爆彈は?』
『二十五キロのを十四個だけ積みました。』
『よし、では出發しよう。』 p110/121

寒い朝でありました。
格納庫の外へ引き出された愛國號は、
朝の冷たい空氣の中に双翼を伸ばせるだけ伸ばして、
悠然と深呼吸をしてゐるやうでありました。

指揮官たる岩下中佐は、
一番うしろの機關銃手の席に就き、
その直ぐ前には内地からはるばると
愛國號を輸送して來た加藤敏雄大尉が、
副操縦者として乘り組んでゐます。

大尉は陸軍第一の名飛行士……。
ことに戰闘機の操縦にかけては、
殆ど神のやうな技倆を持つた方です。
今回愛國號が成るに及んで、
まづ第一にその榮ある操縦者に選ばれたのを見ても、
その腕前の程がうかがえるでせう。

加藤大尉の前には、
關東軍飛行隊の八木中尉……
數多き飛行隊の勇士の中から、
愛國號の正操縦者として選ばれた方です。

又、機首の偵察席には、
八木中尉と同じく英氣潑溂たる川守田中尉が、
この日は爆撃係りとして、
爆彈投下機のスヰツチを受け持つてゐます。
3-愛国第一号 p110
(1)川守田中尉 爆撃係
(2)八木中尉  正操縦者〔関東軍飛行隊〕
(3)加藤大尉  副操縦者〔110〕
(4)岩下中佐  指揮官 機關銃手の席
 ×印 敵彈ヲ受ケタ所

午前十時二十分。
八木中尉の合圖につれて、 p111/121
愛國號はスルスルと滑走をはじめ、
やがてふわりと舞ひ上つたと思ふと、
たちまち西北の方に機首を向けて、
ちぎれちぎれに飛ぶ雲の間に姿を消してしまひました。

 三、壯絶!爆撃の一刹那 p111/121
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720587/111

 四、危ないかな! p114/121
 ―略―
その後愛國第一號は、
滿洲の空を縦横に飛翔して、
到るところで殊勳をたてましたが、
今は事變の一段落するに及び、
○○の飛行場にその機翼を休めてをります。
昭和七年三月二十八日印刷
昭和七年四月  十日發行
愛國美談叢書(1)
《爆彈三勇士》
◇定價金五十錢◇
(送料十錢)
著 者 久米元一
發行者 齋藤 保
    東京府瀧野川町中里一二七番地
印刷者 巧藝印刷所
    東京市京橋區西八丁堀一ノ四ノ四
發行所 合資會社 金の星社
    東京市本郷區根津片町五
    電話 下谷 三八五二番
    振替 東京三二六九二番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年

[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]
【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年

【満洲事変写真帖. 1932年版】
『國民の赤誠』 p24/32
 愛國號
大連飛行場着陸=第一號機・花輪を贈る・
愛國號の性能を聽取する市民
1-愛國號 p24-32
〔写真〕左 第一號機 右 第二號機
〔写真〕中央 花束を贈られている人達
※①より
愛国1号機の正操縦に航空本部の加藤俊雄大尉、 ※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
非賣品
昭和七年五月一日印刷
昭和七年五月十日發行
編著者 南滿洲鐡道株式會社 總務部庶務課
發行者 南滿洲鐡道株式會社
印刷者 細谷龜太郎
   大阪市浪速區惠美須町二丁目
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[陸軍愛國號献納機調査報告]
航空ファン2011年10月号
 その1「愛国1号、2号」※①下記
※①
[陸軍愛国号献納機調査報告]
 その1【愛国1号、2号】 横川裕一
昭和7年1月10日 命名式当日の愛国1号(左)2号 p2/4
胴体に「あいこく.1」と書いた愛国1号(ユンカースK37)
胴体に「あいこく  2」と書いた愛国2号(ドルニエ・メールクール)
愛国1号機の正操縦に航空本部の加藤俊雄大尉、 ※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
1/15 京城~平壌~奉天 p3/4
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[愛国第一・第二号機命名式:昭和7年1月10日]【我らの空軍】昭和7年

[愛国第一・第二号機 命名式:昭和7年1月10日]
【我らの空軍】昭和7年

【我らの空軍】
第八 愛國機の話 p65/77
(一)國民の赤誠遂に三十六機を獻納
(二)愛國號義勇飛行隊
2-愛国第一・第二号機命名式 p65
左 第一號機 右 第二號機
第一號機(ユンカー輕爆撃機)。
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
第二號機(ドルニヱ病院機)
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
二機は國民の赤誠によるものです。
※献納式場所 東京 代々木練兵場
我らの空軍 少年國防叢書Ⅲ
昭和七年七月 十日印刷
昭和七年七月十四日發行
我らの空軍
定價  金一圓
編著者 代表 木村諭吉
發行者    木村諭吉
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
印刷者    龜谷良一
       東京市本郷區眞砂町三六
印刷所    日東印刷株式會社
發行所    木村書房
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
       電話 京橋五九四一
       振替 東京二三九六〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年
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[思い出の写真帖]〔丹後②〕930614-7(完)

[思い出の写真帖]〔丹後②〕930614-7(完)
〔丹後②〕0614-k1
〔丹後②〕0614-k2
〔丹後②〕0614-k3
〔丹後②〕0614-k4
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平成5(1993)614
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[思い出の写真帖]〔丹後②〕930614-6

[思い出の写真帖]〔丹後②〕930614-6
〔丹後②〕0614-27
〔丹後②〕0614-28
〔丹後②〕0614-29
〔丹後②〕0614-30
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平成5(1993)614
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