2017年11月

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳(5/6)

<訳者あとがき 別府祐弘>
[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳:同文舘
訳者あとがき(初版~10版)189~192頁

PDF:[財務管理論](5-6)

<訳者あとがき 別府祐弘>
訳者は、著者のエズラ・ソロモン博士と懇談し、
短い時間ではあったが、
親しく教えを受ける機会を得た。
最後に同博士について簡単に御紹介して、
あとがきに代えたい。
〔略歴〕
1920年3月20日  ビルマのラングーン市に生れ、
        当年(1971年)51才である。
1940年     ラングーン大学を卒業し、文学士号を受ける。
        その後同大学で経済学担当教官として勤務中、
        第二次世界大戦が起り、
        家族とともにインドへ渡り、
        英国海軍志願兵予備隊ビルマ分隊に5年間従軍し、
        砲艦の艦長などを勤めた。
        大戦後、ビルマ政府の派遣で米国へ渡る。
1949年     シカゴ大学経営大学院の助手になる。
1950年     專攻を国際経済学から財務論に切り換え、
        シカゴ大学より財務論でPh.Dを授与され、
        ただちに同大学経営大学院、
        財務論担当助教授に就任する。
1952年6月3日  米国に帰化する。
1953年     U.S.Sennate Curreency and Banking Committee
        の委員となる(1959年まで)
1954年     シカゴ大学経営大学院、准教授となる。
1957年     シカゴ大学経営大学院教授に昇進する。
1961年     スタンフォード大学経営大学院、
        財務論担当教授に転じる。
1962年     同大学に国際マネジメント教育振興センターが
        設置されると同時に、
        その初代所長となり、
        在任中、外国の経営学部教職員の間から
        研修生を募るために広く各国を旅行し、
        その間イタリア、コロンビア、アルゼンチンなどの
        大学で客員教授を歴任した。
訳者あとがきp189
※クリックで拡大
〔画像〕訳者あとがきp189

そしてまた、国際貿易・国際通貨の分野で
各国の専門家と接触を保つようになった。
ソロモン博士によると、
財政政策よりもむしろ金融政策の活用を提唱する
経済学者ミルトン・フリードマンの本拠である
シカゴ大学との結びつきが、
博士の考え方に影響を与えたことを自認している。
しかし博士は、フリードマン派とよばれることを好まない。
1971年8月
米国大統領経済諮問委員(国際問題担当委員)となり、
出向の形でワシントンに在勤している。
(博士によれば、1973年まではスタンフォード大学に
もどれないだろうとのことである。)

大統領経済諮問委員に任命されるまでの1年半の間、
博士は、大統領の財政機構財政規則委員会委員を勤め、
2月に提出された経済諮問委員会の1971年度年次報告の作成に
コンサルタントとして協力した。
博士はまた、米国公認会計士協会の経済顧問、
Journal of Quantitative and Financial Analysis 誌と
英国のJournal of Business Finance 誌の編集委員であり、
American Economic Association, American Finance Association
のメンバーでもある。
訳者あとがきp190-191
※クリックで拡大
〔画像〕訳者あとがきp190-191

本訳書の筆をおくにあたって、
監修者古川栄一博士に心からお礼を申し上げます。
本書を拙いながらも訳出することができましたのは、
ひとえに学生時代以来の先生の御指導の賜であります。
また、多くの御指導を頂きました諸先生方、先輩、同僚、
後輩諸氏に厚く御礼申し上げます。

諸般の事情により、本書の原稿が大幅に遅れましたために、
大変御迷惑をおかけした同文舘出版株式会社、
中島朝彦専務取締役、吉川時男氏はじめ出版部の方々には
心からのお詫びを申し上げますとともに、
多大の御援助と忍耐強い御協力に深く感謝の意を表します。
1971年  湘南台にて  別府祐弘
訳者あとがきp192
※クリックで拡大
〔画像〕訳者あとがきp192
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳(4/6)

<コンピューター雑感 別府祐弘>
[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳:同文舘
平成13年12月25日 15版発行

PDF:[財務管理論](4-6)

 コンピューター雑感 p209-211

コンピューターは、
1940年代に米国ペンシルヴァニア大学の院生
(直後にIBM社副社長)によって發明され、
第2次世界大戦中に戦略計画の策定に援用されたことが引き金になって、
その後の驚異的な技術的発展と普及に導かれたことは、
周知のところである。

私とコンピューターとの出会いは、
今から40年近い大昔の院生1年目の秋のことであった。
当時日立製作所が一橋大学に大型コンピューターを寄付してくれ、
その講習会でコボルに取組まされて四苦八苦したのが、
懐かしく思い出される。

その時若気の至りで、講師の日立の社員に、
「こんな高価なものを寄付して、貴社は引合うのですか。
どんな原価計算をしているのですか」
という多少無礼な質問をしたものである。

それに対して彼は平然と答えた。
「原価計算なんてできるものではない。
とにかく国産コンピューター・メーカー6社
全てが真っ赤なのですから、
そしてこの状態が今後10年以上続くことは保証できます。
それにも拘わらず、われわれがこれを造り続けているのは、
もしそれを止めたら、
20年後に売れる製品が無くなってしまうからです。


コンピューターはその使われ方が重要なのであり、
どのような使い方がありうるのかを
大学で試して頂きたいのです。」

半信半疑で聞いていたこの言葉の意味を
その後嫌という程思い知らされたことになる。

1972~74年にスタンフォード大学で在外研究をしたが、
当時既に在外研究目的を
「コンピューター・シミュレーションによる財務計画の編成」
として申請せざるをえなかった程、
われわれの専門領域はその内容を、
コンピューターを前提としたものに激変させていたのである。
コンピューター雑感p209-50
※クリックで拡大
〔画像〕コンピューター雑感p209

しかし本場は想像以上であった。
ある夜パロアルトのW.シャープ教授
(資本資産評価理論で1990年ノーベル賞受賞)の家で、
研究室所属の院生を混えてパーティーをやっていたが、
10時を過ぎると皆そそくさと帰り仕度を始めた。
情報処理センターへ行くのだと云う。
何事かとついて行ってみると、
巨大なセンターが深夜に若者でゴッタ返しているではないか。
彼等が一番自由に使えるのは、
この時間から明け方にかけてだからと云うのである。
センターは文字通り、24時間フル回転していて、
これを抜きにして、
大学の研究教育活動のありえない実情を目の辺りにして、
驚嘆したものである。
 ―略―
別府祐弘「コンピューター雑感」
『成蹊大学 情報処理センターニュース』第35号、1998年11月。
コンピューター雑感p210-211-50
※クリックで拡大
〔画像〕コンピューター雑感p210-211
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳(3/6)

<〔付録〕財務管理論の進路 別府祐弘>
別府祐弘

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳:同文舘
平成13年12月25日 15版発行
[財務管理論]表紙-50
※クリックで拡大
〔画像〕[財務管理論]表紙

[E.ソロモン:財務管理論]平成13年 15版発行



〔付録〕財務管理論の進路 p189-208
    別府祐弘

〔付録〕財務管理論の進路 p189-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p189
〔付録〕財務管理論の進路 p190-191-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p190-191
〔付録〕財務管理論の進路 p192-193-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p192-193
〔付録〕財務管理論の進路 p194-195-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p194-195
〔付録〕財務管理論の進路 p196-197-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p196-197
〔付録〕財務管理論の進路 p198-199-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p198-199
〔付録〕財務管理論の進路 p200-201-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p200-201
〔付録〕財務管理論の進路 p202-203-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p202-203
〔付録〕財務管理論の進路 p204-205-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p204-205
〔付録〕財務管理論の進路 p206-207-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p206-207
〔付録〕財務管理論の進路 p208-50
※クリックで拡大
〔画像〕〔付録〕財務管理論の進路 p208
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳(2/6)

<序文 目次>
[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳:同文舘
平成13年12月25日 15版発行
PDF:[財務管理論](2-6)
[財務管理論]表紙-50
※クリックで拡大
〔画像〕[財務管理論]表紙

Ezra Solomon-20
※クリックで拡大
〔画像〕Dr.Ezra Solomon


序文 Ⅴ p5
序文 p5-50
※クリックで拡大
〔画像〕序文 p5
 序文 ⅵ-ⅶ p6-7
序文 p6-7-50
※クリックで拡大
〔画像〕序文 p6-7
 序文 ⅷ p8 目次 ⅸ p9
序文 p8 目次p9-50
※クリックで拡大
〔画像〕序文 p8 目次p9

 目次 ⅸ-ⅺ p9-11
目次 p10-11-50
※クリックで拡大
〔画像〕目次
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳(1/6)

<監修者序 古川栄一・Ezra Solomon(別府祐弘記す)>
[E.ソロモン:財務管理論]古川栄一 監修・別府祐弘 訳:同文舘
平成13年12月25日 15版発行
PDF:[財務管理論](1-6)
[財務管理論]表紙-50
※クリックで拡大
〔画像〕[財務管理論]表紙
Ezra Solomon-20
※クリックで拡大
〔画像〕Dr.Ezra Solomon

古川栄一先生 近影-2
※クリックで拡大
〔画像〕古川栄一先生 近影

 監修者序
企業財務にかんする経営学的研究は,
経営学の領域において,
すでに早くから着手されている.
その意味で,
企業財務は経営学にとっては古い問題領域であるが,
同時に,
それはまたきわめて新しい今日の研究課題に
なっているともいうことができる.
 ―略―
[財務管理論]監修者序-1-50
※クリックで拡大
〔画像〕[財務管理論]監修者序-1

現在アメリカ斯学界の第一人者として,
ソロモン(Ezra Solomon)教授をあげることができる.

そして,
その著“The Theory of  Financial Management,1963"は,
財務管理論の近代理論を代表する画期的な著作として,
一般にも承認されているものである.

ソロモン教授は,
本書によって企業財務にかんする新しい研究方法の展開とともに,
その研究内容として資本コスト論,
調達源泉の他人資本によるレバレッジ問題,
財務目標の設定と,
財務的意思決定における不確実性の問題,
財務的動態モデルの作成など,
従来の伝統理論には見られなかった,
多くの新しい問題提示を行たっている.

それによって,
最近における財務管理の活発な研究展開の
インパクトになっていることは,
内外にひろくみとめられているところである.

本書は,このソロモン教授の財務管理論の全邦訳である.

本書は,今日および明目の企業財務研究にたいして,
これまで未開拓の新しい多くの問題を体系的にとりあげており,
企業財務の近代理論の開拓的な意義をもっている基本書である.

それだけに本書の邦訳は,
その影響するところが大きく,
邦訳者には慎重な態度が要請される.
訳者は,このことを十二分に意識して,
長年月の期間を費して,本書の邦訳に従事されており,
その成果は十分に信頼し得るものと思っている.

訳者の別府祐弘氏は,
早稲田大学政治経済学部を卒業後,
一橋大学商学研究科に進学され,
同修士課程,同博士課程を修了後,
ただちに成蹊大学講師に就任され,
現在は同大学経済学部助教授として活躍されている,
春秋に富む新進の学者である.

早稲田大学政治経済学部在学中から,
引きつづいて一橋大学商学研究科博士課程の修了にいたるまで,
わたくしが指導する経営学研究室において,
長年月にわたって経営学の研究に精進されてきた篤学の士である.

その間,ドイツの経営経済学から出発し,
さらにアメリカの経営管理学の研究を通じて,
終始一貫して経営財務の計画理論にかんする研究に専念され,
その後もこの方面の研究の進化に努力されている学者である.

この訳者の経歴からみても,
さらに長い期間にわたって
わたくしが承知している同氏の誠実さと,
研究への情熱からいっても,
この難解な本書の邦訳は正確かつ信頼しうるものと考えている.

この邦訳書が,財務管理論の代表的,
基本的な近代理論の研究書として,
わが国におけるこの方面の研究に十分に役立てられ,
その展開に貢献するよう,
切に念願してやまない.
 昭和46年10月
   古川栄一

Ezra Solomon
○スタンフォード大学経営大学院名誉教授
○ニクソン大統領の大統領経済諮問委員として
 1971年にニクソン大統領に金とドルを切り離させ、
 変動相場制への移行とデリバティブ市場の急成長への
 引き金を引いた.→資本市場のグローバルな統合化
○レーガン大統領、ブッシュ大統領の二代にわたって
 財務長官の要職を勤め、
 いわゆるレーガノミックスの立役者として、
 ブラック・マンデーその他の危機から
 資本市場と金融システムを防衛した.
 そして本書の富最大化もしくは株価最大化の理論の考え方で
 アメリカ経済を見事に建直すことに成功した.
(別府祐弘記す)
[財務管理論]監修者序-2-50
※クリックで拡大
〔画像〕[財務管理論]監修者序-2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

市村昭三先生・村松司叙先生コメント;

市村昭三先生・村松司叙先生コメント;

〔橋畔随想〕[ノーベル経済学賞]別府祐弘:如水会々報 Jul 2017

市村昭三先生
残暑お見舞い申し上げます。
天候不順なこの夏をお元気で乗り越えられたましたご様子、
大慶に存じ上げます。

さてこの度は如水会会報7月号に寄稿させていただきました
橋畔随想にお目をとどめていただきました上、
身に余る励ましのお言葉を賜りまして
まことにありがとうございました。

『ソロモン財務管理論』「ノーベル経済学賞」(注3)の出版と
同年の1971年11月7日に、
ニクソン大統領経済諮問委員として
スタンフォード大学エツラ・ソロモン教授が
来日されたことから全ては始まりました。
Ezra Solomon-20
Dr.Ezra Solomon

「1972年度一杯ワシントンDCでお相手はできないが、
若手で優秀なシャープ教授を紹介するから来なさい」
との勧めにしたがって、
’72年度はシャープ、
’73年度はソロモンの下で在外研究をさせていただいたわけです。

その後シャープの助教だった
ロバート・リッツェンバーガーが
ウォートンで偉くなっていて私を招いてくれた結果
’89年度の在外研究が実現しました。

しかし9月新学期の新任者挨拶のその日から
サンディにシャープのビジネスのやり方を教えてほしいと声をかけられ
彼のプロジェクトに強引に引っ張りこまれて、
帰国時には極東はすべて任せるから
引き続き協力してほしいと頼まれてしまった次第です。

したがって私の生涯は、
この道に導いてくださった
故古川栄一教授と
故エツラ・ソロモン教授の
おかげと思い深謝しております。

古川栄一先生 近影-2
古川栄一先生 近影

前者については釈迦に説法ですので、
後者については主著の学術/教育面以外での大きな貢献として
次の2点があると思います。

1. ニクソン大統領の大統領経済諮問委員として
1971年に大統領に金とドルを切り離させ、
変動相場制への移行とデリバティブ市場の急成長への引き金を引いた。

その結果デリバティブの網が地球をすっぽりと覆い、
資本市場のグローバルな統合化を促進し、
プログラムトレーディングが24時間行われて、
リスクが一瞬にして地球を駆け巡る世界が到来した。

そしてそのことがまたその後のファイナンス論の飛躍的発展
(ノーベル賞受賞者続出)へと導いた。

2. レーガン大統領、ブッシュ大統領の2代にわたって
財務長官の要職を務め、
いわゆるレーガノミクスの立役者として、
ブラックマンデーその他の危機から
資本市場と金融システムを防衛した。

そしてその主著の富最大化もしくは
企業価値最大化理論の考え方で、
ベトナム戦争で弱体化した
アメリカ経済を見事に立て直すことに成功した。
(最終的な財務長官退任時に訪日され
日比谷での講演会の後二人で日比谷公園を散策しました。
そのとき彼がポツンと言いました。
「貴君は私の生涯の友だ。
私には30年も付き合っている友人なんて一人もいないから・・・」
感謝あるのみです。)

現在我が国ではこのレーガノミクスにあやかった
安倍晋三首相のアベノミクスの評価が問われている。

そこで我々は何よりもまずレーガノミクスの立役者・
エツラ・ソロモン財務長官の理論と実績に学ぶ必要があるのである。

その場合に注意しなければならないのは、
シカゴ育ちのソロモンをマネタリストのフリードマンを師と仰ぐ
合理的期待形成学派に位置付けて単純に理解してしまうことである。

彼自身がそういわれることを潔しとしない。
彼はむしろナイトの経済学の影響をより強く受けたとしている。

つまりファイナンスと同時に、
いやそれ以上に
成長経済の主役である企業の主体的な投資を含めた
総合管理の問題こそが肝要とする。

私はそのような考えで纏められたのが
主著の「ソロモン財務管理論」だと思います。

さらに現代では、
資本市場は必ず暴落などの欠陥があるという前提で
理論を組み立て直す必要がある。

そして「ノーベル経済学賞」の最後で取り上げた
サンディ(サンフォード・グロスマン)は、
株式市場は情報の効率で動くと考え、
情報の多寡や質、情報ショックの波及度などから
リスクを測り出そうと試みている。

いわば情報経済学とでもいえるもので、
より実体経済に切り込もうとしている。

最後に、数日前にいただいた
村松司叙先生からのお手紙に対するご返事を
同封させていただきます。

有難うございました。
残暑なお厳しき折からお体ご自愛下さい。


村松司叙先生
残暑お見舞い申し上げます。
傘寿記念にと寄稿させていただきました
橋畔随想にコメントを賜り有難うございました。

コメント1:「ダンツィーグはどんな人ですか」
お答え:「ノーベル経済学賞」(注2)の書物の見開きにあります
肖像写真を紹介させていただきました。

コメント2:「㊟1の3冊のどこにのっていますか」
お答え:原稿ではダンツィーグ(LP/OR)となっていたのですが、
会報の編集者にカッコ内を削除されてしまったため
分かりにくかったのかと思います。

3冊の拙稿は全てLP/ORです。

ダンツィーグ教授は
スタンフォード大学工学部OR学科の主任ですので
LP/ORは工学技術ですが、
これを経済分析に戦後いち早く取り入れて
大著をものにしたのが
ポール・サミュエルソンやロバート・ソロー等でした。

その場合LPの工学的中心概念である“プロセス”は、
経済学では生産関数(生産性)なのであり、
初めのうちは”LP生産関数“と呼ばれていたのですが、
レオンチーフの産業連関論の生産関数と同じであることが分かってきて
”レオンチーフ生産関数“と言われるようになったのです。

「ノーベル経済学賞」(注1)
第1冊の拙稿「経営計画とリニヤープログラミング」
から読んでいただけますとベターです。

経営学への体系的導入ということになりますと
どうしてもドイツということになります。

そこで拙稿はゲルト・ラスマンやホルスト・アルバッハ等を中心に、
ダンツィーグ(LP/OR)の経営学に導入された姿を描き出すことに
注力した次第です。

それにしてもラスマン、アルバッハともに
ドイツ経営学会の泰斗として大成されたものだと思います。

コメント3:「サンディとはどんな学者ですか」
お答え;「ノーベル経済学賞」(注4)の拙稿2の62頁を
「下記に」させていただきました。

お答えになっているかどうか解りませんが、取り急ぎ一筆。
残暑厳しき折からお体ご自愛下さい。
 コメント
PDF:グロスマン博士
0002

「2017/11/23追記」:
私が最近訪米した2014年に
グロスマン博士はQuantitative Financial Strategies社を閉め,
その後は大きな資産を、
大学や医学、音楽関係の団体を対象に寄付を行なっているようです。
Sanford Grossman Charitable Trustを2010頃に立ち上げ、
そこからメトロポリタンオペラ、リンカーンセンター、
カーネギーホールなどに寄付をしています。

もともとブルックリンの出身のようで、
現在は(推測として)NYに住んでいるのではと思います。
3つの学位は全てシカゴ大学で得たので、
比較的最近のニュースでは、
シカゴ大学に10ミリオンドルの寄付をしたニュースがありました。

アメリカ人の(とくに金融界で資産を得たユダヤ系)資産家は、
リタイア後は、
自分の興味のある文化、教育、医療団体に多額の寄付をする文化があります。
こういう人たちが文化を支えているようです。
グロスマン博士はまだ64歳と比較的若いです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[FINANCIAL OPTIMIZATION] Commentary YUKO BEPPU

[FINANCIAL OPTIMIZATION] Commentary YUKO BEPPU

FINANCIAL-表紙 FINANCIAL-裏表紙
※クリックで拡大
肖像写真 Dantzig Markowitz-20
Professor George B. Dantzig Professor Harry M. Markowitz

Comment on “Currency hedging
strategies for US investment in
Japan and Japanese investment in
the US”
YUKO BEPPU
FINANCIAL-p236-237-0

FINANCIAL-p238-239
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ケンブリッジ大学出版
ケンブリッジ大学出版
「創業400年世界最古の出版社・ケンブリッジユニバーシティプレス」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESSの門
 IMG_0328

CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS
新ヘッドクォーターオフィス
 IMG_0325

Graduate School of Business Stanford University
 IMG_0091

The Warton School of the University of Pennsylvania
 IMG_0110
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

〔橋畔随想〕[ノーベル経済学賞]別府祐弘:如水会々報 Jul 2017

〔橋畔随想〕[ノーベル経済学賞]別府祐弘:如水会々報 Jul 2017

〔橋畔随想〕
[ノーベル経済学賞]別府祐弘(41博商)
橋畔随想p1-2
〔画像〕橋畔随想p1/2
 画像をクリック 拡大画面が出ます
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
橋畔随想p2-2
(昭和41年一橋大学大学院商学研究科博士課程
 全単位取得・退学、成蹊大学名誉教授)
〔画像〕橋畔随想p2/2
 画像をクリック 拡大画面が出ます
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『滿洲國政府機關』⦿航空司⦿都邑計畫司【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

『滿洲國政府機關』[交通部]⦿航空司⦿都邑計畫司
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 滿洲職員錄
 康德八年 昭和十六年 滿洲年鑑附錄
(康德七年九月三十日現在)
※昭和15年9月30日現在
 但しその後判明せるものは補正す
『滿洲國政府機關』p7/73
 [交通部]   p14/73
⦿航空司     p14/73
司長代行職務   内海二朗
業務科長     北村 正
事務官      坂本邦麿
事務官(航務科長
代行職務)    小野彦馬
技 佐      出淵重雄
飛行場科長    伊地知綱彦
技 佐      羽中田參次
同        佐川治一
技佐(通信科長
代行職務)    松平初太郎
技 佐      養田重藏

⦿都邑計畫司   p14-15/73
司 長      范 培忠
技 正      中島時雄
管理科長     近藤吉登
事務官      西田弘生
計畫科長     佐藤九郎
技 佐      木村三郎
同        磯谷鐡麿
技 佐      菅原文哉
水道科長     林 ■枝
技 佐      山野善次
同        澤田利夫
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『滿洲國政府機關』⦿鐡路司⦿道路司⦿水路司【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

『滿洲國政府機關』[交通部]⦿鐡路司⦿道路司⦿水路司
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 滿洲職員錄
 康德八年 昭和十六年 滿洲年鑑附錄
(康德七年九月三十日現在)
※昭和15年9月30日現在
 但しその後判明せるものは補正す
『滿洲國政府機關』p7/73
 [交通部]   p14/73
⦿鐡路司     p14/73
司 長      松井退藏
鐡道科長     菊池善隆
事務官      奥村重直
技 佐      小山内了介
自動車科長
小運送科長    上田敦雄
事務官      平間林七
同        久米不可止
技 佐      畠山重信
事務官      北岡致格

⦿道路司     p14/73
司 長      町田義知
監理科長     日野春重
事務官      金原秀臣
直轄工事科長   寺師虎之助
技 佐(休職)  源川鹽一郎
技 佐      河田喜代司
同        高倉倉藏
同        瀬戸政章
同        長久程一郎
同        津田藤德
同        大島秀信
地方工事科長   黑田重治
技 佐      西澤美則
同        郭 承厚
同        守屋仙重
同        河田滿生
同        中田 正

⦿水路司     p14/73
司 長      坂上丈三郎
水運科長河川科長 阿部早苗
事務官      吉田啓治
同        焦 濾泉
技 佐      荷宮文次郎
同        關 正雄
同        中村 巖
事務官(休職)  大西茂一
調査科長     橘内德治
技 佐      福山眞三郎
同        山田三郎
工事科長     董 蔭靑
技 佐      相原廣治
同        孫 輔郷
土木試驗室業佐  瀬戸一郎
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ