2018年07月

藤本ビルブローカー銀行【大阪案内記:近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年

株式會社 藤本ビルブローカー銀行
藤本ビルブローカー證券株式會社(昭和8年1月1日より)
【大阪案内記:近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年

【大阪案内記 : 近畿陸軍特別大演習記念】昭和7年
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p122-123/134
     大阪市東區北濱五丁目三四
     電話本局 五九〇〇番 五九〇一番
          五九〇二番 五九〇三番
          五九〇四番 五九〇五番
           五三二番  五三三番
           五三四番
 創 立 明治三十九年十月十六日
 資本金 三百萬圓(全額拂込濟)
 重 役 會 長 谷村一太郎
   專務取締役 横田 義夫
   常   務 松葉 恭助  三輪小十郎
 取締役兼支配人 内村 保
   監 査 役 八木與三郎  柳 廣藏   桑原 虎治

 當行は明治三十九年十月十六日
資本金五十萬圓を以て創立され、
超えて四十年三月、一百萬圓に增資、
本邦唯一のビルブローカー銀行として、
特異の機能を發揮し、
漸次其營業殷賑を加ふることゝなり、
大正七年六月には、
現資本金三百萬圓に增資して今日に迨んでゐる。

 當行の營業主目は銀行部にあつては、
主としてコールマネー、コールコーン、
手形割引、預り金、諸貸出其の他銀行業務一般の取扱、
また證券部にありては、
有價證券の賣買引受及び募集取扱、
不動産賣買及び貸借の仲介その他一般證券業を取扱ひ、
此種金融機關としては、
其創業の古きと信用の博大なる點に於て、
夙に財界に重きを爲してゐる。

 輓近世界的の經濟界不况に災され、
如何なる事業と雖も、多少の難色あるを否まれないが、
別して當行の如き營業
内容を有するものは、
その陣容が大なれば、
大なる程それだけ打撃も亦大なるわけで、
期年營業不振の狀態に在るは深き同情に値する。

 而もこの不况の渦中に在つて、
敢然孤壘を殊守し
昨昭和六年上期迄は引續き株主配當を行ひ、
表面極めて平靜裡に營業を持續しつゝある一事は、
以て當行の基礎の手堅きと、
重役諸氏が手腕の凡ならざる左券なるべく、
我等の最も敬服に堪へざるところである。

 當行大阪本店の直屬機關として、
支店の業務を取扱ひつゝあるは、
東京、京都、名古屋等を首めとし、
横濱、神戸、金澤、福島、岡山、
廣島、門司、福岡の各都市に置かれ、
全國的に金融網を張り、
本店の活動と共に地方金融界、
證券界に貢献するところ頗る多きを見るは、
此年不况の財界に在つて尠からず人意を強ふするところである。

 猶、當社が何れは證券會社として、
新生命を開拓すべき事は、
久しく財界の話題であつたが、
愈々此程名稱變更に對する主務省の諒解を得たので、
明年一月一日より藤本ビルブローカー證券株式會社と改稱し、
宛然雞肋の觀ありし銀行業務を廢止する事となつた。
昭和七年十二月一日印刷
昭和七年十二月五日發行
著作兼 恒次 壽
發行人 大阪市東區岡山町三六二
印刷人 橋本正隆
    大阪市西區阿波座上通三丁目一五
印刷所 橋本兄成社
    大阪市西區阿波座上通三丁目一五
發行所 國勢協會
    大阪市東區岡山町三六二
    電 話  東  二四〇二番
    振替口座 大阪三七七一七番

【日本全国諸会社役員録. 第41回(昭和8年)】
藤本ビルブローカー證券株式會社 p356-357/978
(藤本ビルブローカー銀行變更)
 大阪市 東區北濱五丁目
設 立 明治三十九年十月
資本金 參百萬圓(拂込濟)
    ―略―

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松村仙造》[藤本ビルブローカー銀行 神戸出張所 主任心得 明治41・42年]【日本全国諸会社役員録. 明治41年】等

《松村仙造》京都帝国大学 法科大学 政治学科 明治39年7月卒業
[藤本ビルブローカー銀行 神戸出張所 主任心得 明治41・42年]
【日本全国諸会社役員録. 明治41年】等

渋沢社史データベース
大和証券(株)『大和証券百年史』(2003.05)
大和証券(株)『大和証券百年史』(2003.05)-1
明治42年(1909)
この頃、柳田栄、山根十吉、松村仙造、中西雅之など
元藤本ビルブローカー社員のビルブローカー開業相次ぐ
 藤本ビルブローカー銀行
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【日本全国諸会社役員録. 明治40年】
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p232/1053
大阪府 東區横堀一丁目
 電話 長 東 三三四  長 東一四三二
    長 東二四八九  長 東三六八一
    長 東二七九九
設 立     明治三十九年十月
營業ノ目的   銀行及代辨業
資本金     壹百萬圓
一 株     壹百圓
拂込高     四拾萬圓

取締役會長   藤本淸兵衞  ※別稿に記載
         南、天王寺南河堀

取締役兼手形部 植村由松
外勤部部長    同 上

取締役兼手形部 横田義夫   ※別稿に記載
内勤部部長    東、大手二

取締役兼    谷村一太郎  ※別稿記載 〔①〕 〔②〕 〔③〕
總務部長     京都、下京、堺町通四條下ル
信託部長

監査役兼    三宅國太郎
監査部長     南、北桃谷

監査役     竹下康之
         京都、上京、岡崎

◉東京支店   日本橋區南茅場町
        電話 長 浪花一九六七
             浪花一九〇七
  支配人   山根十吉
◉神戸出張所  神戸市西町
        電話 一一五二
  主 任   速水富治
◉京都出張所  下京區東洞院四條上ル
        電話 長一二二〇
  主任兼務  谷村一太郎
◉名古屋出張所 名古屋市傳馬町七丁目
        電話 長一二七八
  主 任   早川萬之助

【日本全国諸会社役員録. 明治41年】
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p231/1053
大阪府 東區横堀一丁目
 電話 長 東 三三四  長 東一四三二
    長 東二四八九  長 東三六八一
    長 東二七九九
設 立     明治三十九年十月
營業ノ目的   銀行及代辨業
資本金     壹百萬圓
一 株     壹百圓
拂込高     四拾萬圓
諸積立金    壹萬壹千五百圓
諸預リ金    四百壹萬七百六圓
利益配當    前期及前々期 年八分

取締役會長   藤本淸兵衞
         南、天王寺南河堀

取締役兼手形部 植村由松
外勤部部長    同 上

取締役兼手形部 横田義夫
内勤部部長    東、大手二

取締役兼    谷村一太郎
總務部長     京都、下京、堺町通四條下ル

監査役     竹下康之
         京都、上京、岡崎

信託部長    三宅國太郎

監査部長    堀江虎之助

◉東京支店   日本橋區南茅場町
        電話 長 浪花一九六七
             浪花一九〇七
  支配人   山根十吉
◉神戸出張所  神戸市西町
        電話 一一五二
  主任心得  松村仙造
◉京都出張所  下京區東洞院四條上ル
        電話 長一二二〇
  主任兼務  谷村一太郎
◉名古屋出張所 名古屋市傳馬町七丁目
        電話 長一二七八
  主 任   速水富治

【日本全国諸会社役員録. 明治42年】
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p243/1092
大阪府 東區横堀一丁目
 電話 長 東 三三四  長 東一四三二
    長 東三六八一  長 東二七九九
設 立     明治三十九年十月
資本金     壹百萬圓
一 株     壹百圓
拂込高     四拾萬圓
諸積立金    參萬壹千圓
利益配當    前期 年壹割 前々期 年八分

取締役會長   藤本淸兵衞
         南、天王寺南河堀

取締役兼手形部 植村由松
外勤部長     同 上

取締役兼手形部 横田義夫
内勤部長     東、大手二

取締役兼    谷村一太郎
總務部長     京都、下京、堺町通四條下ル

監査役     竹下康之
         京都、上京、岡崎町

信託部長    三宅國太郎

監査部長兼   堀江虎之助
總務部長代理

◉東京支店   日本橋區茅場町
        電話 長 浪花一九六七
             浪花一九〇七
  支配人   山根十吉
◉神戸出張所  神戸市西町
        電話 一一五二
  主任心得  松村仙造
◉京都出張所  下京區東洞院四條上ル
        電話 長一二二〇
  主任心得  島田三郎
◉名古屋出張所 名古屋市傳馬町七丁目
        電話 長一二七八
  主任心得  中西雅之

【日本全国諸会社役員録. 明治43年】
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p248/1125
大阪府  東區横堀一丁目
 電話  東 三三四  長 東一四三二
設 立  明治三十九年十月
資本金  壹百萬圓
一 株  壹百圓
拂込高  四拾萬圓
諸積立金 壹萬九千圓
利益配當 前々期 年壹割

會 長  柳 廣藏
      東、小橋東

取締役  横田義夫
      同、大手二

同    谷村一太郎
      京都、下京、蛸藥師河原町下ル

監査役  三宅國太郎
      奈良、春日野

◉東京支店   日本橋區茅場町
        電話 長 浪花一九六七

【日本全国諸会社役員録. 明治44年】
株式會社 藤本ビルブローカー銀行 p262/1198
大阪府  東區横堀一丁目
 電話  東 三三四  長 東一四三二
設 立  明治三十九年十月
資本金  壹百萬圓
一 株  壹百圓
拂込高  四拾萬圓
諸積立金 壹萬九千圓
諸預リ金 貮百八拾壹萬八千九百貮圓

會 長  平賀 敏
      南、天王寺烏ケ辻

取締役  横田義夫
      東、島町一

同    谷村一太郎
      京都、下京、蛸藥師下ル

監査役  八木與三郎
      東、南久太郎二

同    柳 廣藏
      同、北濱二

支配人  三輪小十郎
      西成郡勝間村

◉東京支店   日本橋區南茅場町
        電話 長 浪花一九六七
             浪花五四二七 浪花五七二六
  支配人   澁谷保太郎
         東京、赤坂、表町四
◉名古屋出張所 西區傳馬町六丁目
        電話 長二六九一
  支配人   吉田琢磨
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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木戸侯爵別邸分讓【官報. 1923年01月31日】大正12年

木戸侯爵別邸分讓【官報. 1923年01月31日】大正12年

【官報. 1923年01月31日】大正12年
木戸侯爵別邸分讓 p13/18
駒込の高臺 木戸侯爵別邸は
本郷丹後守が下屋敷として
造園の精を盡くし後
維新の元勳 木戸孝允の有に歸してより
往年の功臣多く此處に會して
維新の鴻業を策し
後年 老侯爵が忙中の小閑を
風流韻事に親しめる處にて
畏くも
明治天皇の行幸ありし事ある
由緒深き名園に御座候されば
壹萬坪の邸内 小丘あり 池泉あり 小祠あり
樹下二百坪に餘る名木あり
一木一石 悉く雅趣掬可きもの有之候
今回 本社に於て之れを名園の俤そのまゝ
百坪位より分割して
いづれも 三間道路に面接せしめ
下水を完全にし 閑雅にして
交通至便なる共樂的住宅地として分讓致候
價格は坪當り九十圓より
交通は市内電車 上富士前停留場より約壹町
省線 駒込驛より市内に向て 約二丁の近距離にして
明年中 省線電車 上野神田驛間 開通の上は
駒込驛より 僅々 二十分にて 東京驛に到達可致
周圍は有識階級の住宅多く 環境極めて安靜に御座候

 追而 京橋區銀座二の一
    東京土地住宅株式會社にても
    本社同樣 取扱致候間便宜
    御申込相成度候

 東京市外下落合(目白文化村)
  箱根土地株式會社
    電話番町 一八七九・二八七九
         二八八七・五四六七
 本郷區駒込神明町三〇九
   (市電上富士前 省電駒込驛 下車)
  箱根土地株式會社臨時出張所
    電話小石川 四八五七・五〇六一
p13【官報. 1923年01月31日】
〔画像〕p13【官報. 1923年01月31日】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《写真》稲荷小学校 昭和37年(1962)頃

《写真》稲荷小学校 昭和37年(1962)頃

稲荷小学校-昭和37年頃-50
〔画像〕クリックで拡大します。
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PDF-京丹波町太陽光発電施設の設置に関するガイドライン

PDF-京丹波町太陽光発電施設の設置に関するガイドライン

京丹波町太陽光発電施設の設置に関するガイドラインについて
[2017年10月3日]ID:4783
ガイドラインの目的
 京丹波町では、太陽光発電施設等の設置及び管理に関し、
災害の防止、良好な景観の形成、生活環境の保全、
また地域住民との合意形成等を図り、
安全・安心な地域社会を構築するため、ガイドラインを策定しました。
 なお、発電設備の出力が10KW以上または
設置区域が3,000平米以上の設置事業を行う設置者は、
届出が必要となります。

PDF-京丹波町太陽光発電施設の設置に関するガイドライン
附 則
(施行期日)
1 このガイドラインは、平成29年8月10日から施行し、
平成29年9月10日以後に着工する発電設備から適用する。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月10日 09:40 ◆京丹波町
<京丹波町>〔太陽光〕事業計画認定情報:2018年5月31日 時点
・経済産業省 資源エネルギー庁
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PDF:159ページ
資源エネルギー庁御中
平成29年度新エネルギー等の導入促進のための基礎調査
(太陽光発電に係る保守点検の普及動向等に関する調査)
最終報告書
2018年2月
株式会社三菱総合研究所
環境・エネルギー事業本部
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<追記>平成30年(2018)8月1日 09時10分
太陽電池発電設備に係る使用前自己確認制度について(一部改正)
平成29年 4 月
中部近畿産業保安監督部
近畿支部電力安全課
本年4月1日付けの電気事業法施行規則等の改正に伴い、
「使用前自己確認制度」
の届出対象範囲が以下のとおり変更となりました。
 ―略―
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京丹波町防災マップ[ページ番号・[No]地区名入り]

京丹波町防災マップ[ページ番号・[No]地区名入り]

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※[No]地区名を追記:小野一雄

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京丹波町防災マップ
※令和元年(2019)10月30日一部訂正:
京丹波町HP訂正されていた為。

地区別掲載ページ索引


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京丹波町防災ハザードマップ
[2018年5月15日]ID:272
http://www.town.kyotamba.kyoto.jp/0000000272.html
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東京高等女學校卒業證書授與式【官報】明治20年~23年

東京高等女學校卒業證書授與式【官報】明治20年~23年

※明治23年:東京高等女學校➡女子高等師範學校附屬高等女學校
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年
 第四章 女子師範學校附屬高等女學校 p56/154
一九 女子高等師範學校附屬
明治二十三年三月二十四日勅號第四十二號を以て
高等師範學校女子部を分離して、
女子高等師範學校となす旨公布せられ、
翌二十五日文部大臣は東京高等女學校
高等師範學校附屬幼稚園を
女子高等師範學校の附屬とし、
別に同校に附屬小學校を置くべき旨訓令せり。
其の文左の如し。
   女子高等師範學校
 東京高等女學校ヲ其校附屬高等女學校トシ、
 高等師範學校附屬幼稚園ヲ其校附屬幼稚園トシ、
 又其校ニ於テハ附屬小學ヲ置クベシ。
 但高等師範學校附屬小學校小學科女生徒ヲ其校ニ引移サシメ候條、
 其校附屬小學校ニ受繼ギ授業スベシ。
茲に於て、一旦分離したりし附屬高等女學校は、
再び故に復し、以て今日に至れるなり。
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【創立五十年】昭和7年
 第二章 東京女子師範學校附屬高等女學校 p51/154
一一 卒業生 p53/154
明治十八年(1885)七月二十九日、卒業式を擧行す。
此の時全科を卒業せる者六名、
之を當校最初の卒業生となす。  ※第一回(6名)
 第三章 東京高等女學校
〔写真〕現職員 p14/154
〔写真〕明治十八年本科卒業者  ※第一回(6名)
〔写真〕明治十九年本科卒業者  ※第二回
p14【創立五十年】昭和7年
〔画像〕p14【創立五十年】昭和7年
〔写真〕明治二十年本科卒業者  ※第三回(14名) p15/154
〔写真〕明治二十一年本科卒業者 ※第四回(12名+11名)
〔写真〕明治二十三年本科卒業者 ※第五回(12名+4名+3名)
〔写真〕明治二十四年本科卒業者
p15【創立五十年】昭和7年
〔画像〕p15【創立五十年】昭和7年
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【官報. 1887年07月09日】明治20年
◉東京高等女學校卒業證書授與式 ※第三回 p3/7
昨八日 文部省總務局所屬 東京高等女學校ニ於テ
卒業證書授與式ヲ施行セリ
當日午前十時 來賓及生徒等着席
第一 生徒ノ唱歌
第二 生徒 柳田てい ノ邦語作文朗讀
第三 生徒 岡本ゑい ノ邦語作文朗讀
第四 生徒 松本ゑい ノ英語作文朗讀アリ
次テ 文部省總務局長 辻新次
卒業生徒ニ卒業證書ヲ授與シ
更ニ祝詞ヲ述フ
其前後 生徒ノ唱歌アリ
午前十一時半 式 全ク畢ル
此日 卒業證書ヲ授與セル生徒姓名
左ノ如シ(文部省) (14名)
松本 ゑい
柳田 てい
岡本 ゑい
高塚 きよ
羽鳥 うめ
梅田 ゆう
前田 ■づ
太田 ふき
星名 りん
金井 うめ
西村 だい
今村 やす
伊東 みほ
菊池 ます

【官報. 1888年07月16日】明治21年
◉東京高等女學校卒業證書授與式 ※第四回 p3/7
東京高等女學校ニ於テハ去ル十二日午前九時
卒業證書授與式ヲ擧行シ
森文部大臣ノ演述、
生徒 大村はるよ ノ謝辭、
校長ノ演説等アリタリ
當日臨場セシ者ハ
森文部大臣、
山尾宮中顧問官、
辻文部次官、
山川高等師範學校長、
渡邊帝國大學總長、
其他 内外貴紳及學士等凡ソ三百名ニシテ
正午十二時 式畢リ
夫ヨリ別室ニ於テ
家事科生徒ノ製シタル西洋菓子ヲ以テ
來賓ニ供セリ
其授與式次第 左ノ如シ(文部省)
  全科卒業生姓名(12名)
長野縣士族  大村 てるよ
新潟縣士族  藤澤  うの
東京府士族  森   きみ
東京府平民  大塚  ゑつ
和歌山縣士族 大橋 もりゑ
靜岡縣士族  薗   かめ
東京府士族  瀨川  さく
石川縣士族  北川  よ志
熊本縣士族  白杉 みさほ
靜岡縣士族  大築  また
大阪府平民  安達  ぢう
新潟縣平民  星名  なか
  撰科卒業生姓名(いろは順)(11名)
岡山縣士族  石原 かずえ
東京府士族  石田  いう
靜岡縣士族  乙骨  まき
東京府士族  渡部  ■な
山口縣士族  片山  てる
三重縣士族  吉岡  志づ
東京府平民  棚橋  わか
東京府士族  山岡  志ん
和歌山縣士族 木村 志やう
東京府士族  菊名  かめ
東京府華族  平野  みつ

【官報. 1890年04月04日】明治23年
◉元東京高等女學校卒業證書授與式 ※第五回 p7/13
元東京高等女學校ニ於テ 去月二十九日
卒業證書授與式ヲ擧行セリ
當日 來賓凡ソ 三百餘名ニシテ
午後二時ヨリ 式ヲ始メ
第一 生徒一同ノ唱歌
第二 西たつ子 ノ邦語作文朗讀
第三 中村とね子 ノ「ピアノ」獨彈
第四 藤井じゆん子 ノ英語作文朗讀
第五 四年級一同ノ唱歌
第六 戸叶なか子 ノ家政ノ話
第七 北村とし子・橋本やう子 ノ「ピアノ」連彈
第八 宮崎ゑい子 ノ植物呼吸ノ話
第九 戸叶なか子 ノ「ピアノ」獨彈
第十 橋本やう子 ノ英語作文朗讀
第十一 宮崎ゑい子 ノピアノ」獨彈アリ
次ニ 校長 矢田部良吉 卒業生徒ニ證書ヲ授與ス
次テ 辻文部次官ノ演説
卒業生 北村とし子ノ謝辭
卒業生一同ノ英語唱歌アリテ 式 全ク終ル
卒業生徒ノ姓名 竝ニ 辻文部次官 及 校長ノ演説
卒業生 北村とし子ノ謝辭 左ノ如シ(文部省)
 本科卒業生(12名)
北村 とし子
宮崎 ゑい子
橋本 やう子
戸叶 なか子
西  たつ子
吉武 なつ子
藤井 じゆん子
增岡 としへ子
渡邊 しゆん子
横田 やう子
土岐 とくへ子
中村 とね子
 撰科卒業生(4名)
大島 ひさこ
安井 ■■江子
田邊 たつ子
西岡 とき子
 專修生ニシテ修業證書ヲ授與シタルモノ(3名)
柳田 てい子
西村 だい子
矢田部 じゆん子
 辻文部次官祝詞
  ―略―
 元東京高等女學校長 理學博士 矢田部良吉 演説
本日ハ本校第五回ノ卒業式ヲ擧行スルニ方リ
貴婦人紳士ノ來會ヲ忝クシ
本校教員卒業生一同ニ代リテ深ク之ヲ謝ス

今回卒業シタル人々ハ
昨年ノ七月ニ卒業スヘキナリシモ
一昨年九月規則ヲ改定シ
四箇年ノ課程ヲ五箇年ニ改メタルヲ以テ
本日卒業スル事ニナリタルナリ
故ニ昨年ハ卒業式ヲ行ハサリキ又

本日證書ヲ受ケタル人ニ三類アリテ
第一類ハ全科卒業ノ者
第二類ハ撰科卒業ノ者
第三類ハ專修科修業證書ヲ受クル者ナリ
其第一類第二類ハ別ニ説明ヲ要セサレトモ
第三類ハ今回ヲ以テ始トスレハ少シク説明セサルヲ得ス
本校ニ於テ專修生ト稱スルモノハ
卒業後尚ホ引續キ修學スル者ヲ云ヒ
其就學年限一箇年以上ニ達シタルモノニハ
修業證書ヲ授與ス
而シテ本日其證書ヲ受ケタルモノハ
卒業後二年乃至四年間修學シタルモノナリ

本邦ニ於テ女子ノ高等教育ハ近頃始マリタルモノナレハ
歐米ニ比シテ尚ホ■キハ言フヲ俟タス
現ニ本校ニ於テ施ス所ノ教育ハ
明治十九年文部省ヨリ達セラレタル
本校教導方要項ニ據リテ定メタルモノニシテ
男子ノ教育トハ固ヨリ其目的トスル所異ナリ
隨テ教フル所ノ學科ニモ異ナル所少カラサレトモ
概シテ言ヘハ
其程度ハ男子ノ中學ニ比シテ幾何カ簡易ナル所ナキニアラス

然レトモ卒業生竝ニ專修生ノ中ニハ
漢文又ハ本邦雅文ヲ能ク解シ能ク綴リ
且ツ能ク英文ヲ解スルノ力
男子中學ノ程度ニ頗ル優ルモノアルナリ
  ―略―
 卒業生 北村とし子 謝辭
  ―略―

【官報. 1890年03月28日】明治23年
◉附屬高等女學校 p5/16
今般東京高等女學校ヲ女子高等師範學校ノ
附屬高等女學校ト定メタリ(文部省)

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年

《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年

【創立五十年】昭和7年
右上・明治二十八年本科乙組卒業者
右下・明治二十九年本科卒業者(38名)  ※別稿に記載
左上・明治二十九年補習科卒業者(22名) ※別稿に記載
左下・明治三十年本科卒業者
p17【創立五十年】昭和7年-100
〔画像〕p17【創立五十年】昭和7年

 第四章 女子師範學校附屬高等女學校 p56/154
一九 女子高等師範學校附屬
明治二十三年三月二十四日勅號第四十二號を以て
高等師範學校女子部を分離して、
女子高等師範學校となす旨公布せられ、
翌二十五日文部大臣は東京高等女學校及
高等師範學校附屬幼稚園を
女子高等師範學校の附屬とし、
別に同校に附屬小學校を置くべき旨訓令せり。
其の文左の如し。
   女子高等師範學校
 東京高等女學校ヲ其校附屬高等女學校トシ、
 高等師範學校附屬幼稚園ヲ其校附屬幼稚園トシ、
 又其校ニ於テハ附屬小學ヲ置クベシ。
 但高等師範學校附屬小學校小學科女生徒ヲ其校ニ引移サシメ候條、
 其校附屬小學校ニ受繼ギ授業スベシ。
茲に於て、一旦分離したりし附屬高等女學校は、
再び故に復し、以て今日に至れるなり。

二三 入學資格及修業年限の變更 p57/154
從來當校の入學資格は高等小學校二箇年の課程を終りたる者、
若くは之に相當する學力を有する者にして、
修業年限五箇年なりしが、 ※《小野すみ》(舊規則)
明治二十六年三月之を改め、※《小野すみ》(新規則)
入學資格を四箇年の尋常小學卒業者、
若くは之と同等以上の敎育を受けたる者とし、
入學者の年齢を二年低下し、
修業年限を一箇年延長して六箇年となせり。
然るに三十二年三月再び之を改めて舊に復し、
爾來、變更することなく今日に及べり。

二四 專修科及補習科設置
明治二十六年三月專修科を設置す。
明治十八年四月專修科を設けたるが、
其の時の專修科は、
本科の學科課程中數科目を選擇專修せしめたるものなりしが、
今回設けたる專修科は、修業年限を二箇年とし、
高等女學校卒業者、
若くは之と同等以上の敎育ある者を入學せしめ、
稍々專門的知識を與へむとせるものなり。
然るに二十八年一月之を補習科と改稱す。
專修科は二箇年に至らずして改稱されたるを以て、
專修科卒業生なるものなし。
專修科及補習科の學科課程は第六章に掲ぐ。

 第十一章 職員 p112-120/154
八七 校長 p112/154
中村 正直 自明治二十三年三月 至同二十四年六月 女子師範學校長
細川潤次郎 自明治二十四年八月 至同二十七年三月 同
秋月新太郎 自明治二十七年三月 至同三十年十一月 同
※《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治24年4月入学 明治29年3月卒業

 第十二章 卒業生及生徒 p120/154
卒 業 年 度  本 科 補習科   計
明治二十九年三月  三八  二二  六〇
昭和七年十一月廿五日印刷
昭和七年十一月廿九日發行
(非賣品)
    東京女子高等師範學校
編輯兼   附屬高等女學校内
發行者 那須良利
印刷者 株式會社 秀英舎
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
印刷者 根本力三
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發行所 東京女子高等師範學校
    附屬高等女學校
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月04日 10:49 ◆小野梓 写真:小野梓・墨・安
写真[小野梓・墨・安]
[林譲治・坂本恭啓・坂本佳記][中西清二 前宿毛市長]
小野梓 墨 安[小野梓傳]
左 安 右 墨
〔画像〕小野梓 墨 安[小野梓傳]
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年06月01日 05:10 ◆小野梓 [小野梓君碑:中村正直譔]
[小野梓君碑:中村正直譔]「表紙拓刷は彩雲堂版」
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月23日 05:06 ◆小野梓《小野 すみ》 小野 墨・松村 墨
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年
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《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科 明治29年3月卒業【官報. 1896年03月26日】明治29年

《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校 本科
 明治24年4月入学⇒明治26年9月入学
 別稿に詳細記載(平成30年8月31日)
 明治29年3月卒業
【官報. 1896年03月26日】明治29年

《小野 すみ》小野 墨・松村 墨
父 小野 梓 母 小野利遠
夫 松村仙造(眞澄)
小野一雄・雄二の実祖母
生 明治11年(1878)10月18日
没 昭和22年(1947)2月14日 69才

【官報. 1896年03月26日】明治29年
◉女子高等師範學校卒業證書授與式 p4/10
 女子高等師範學校ニ於テ
 一昨二十四日 卒業證書授與式ヲ擧行セリ
 當日 來賓ハ西園寺文部大臣ヲ始メ
 凡ソ 三百餘人ニシテ
 式ノ次第等 左ノ如シ(文部省)
 一 午前九時三十分 生徒職員 式場ニ入ル
   一 唱歌
   二 卒業證書授與
   三 校長 告辭
 一 來賓職員生徒退場
   四 文部大臣 祝辭
   五 女子高等師範學科 卒業生 總代 謝辭
   六 附屬高等女學校 卒業生 總代 謝辭
   七 唱歌

  女子學校長 秋月新太郎 告辭
卒業生諸氏 本日ハ當校創立後 第六回ノ記念辰ニ屬セリ
茲ニ證書授與式ヲ擧ケ以テ諸氏カ
本校規定スル諸學科ノ業ヲ卒ヘタルヲ
證ス榮ナリト謂フヘシ
惟フニ諸氏カ多年螢雪ノ功ヲ積ミ以テ
今日ニ至リシハ猶ホ
草木ノ風霜ヲ凌キ得テ
茲ニ美麗ナル花ヲ開キタルカ如シ
花ノ草木ニ於ケル
■ヨリ美ニシテ賞スヘシ
然レトモ花アリテ實ナクンハ
未タ其眞ニ賞スヘキヲ知ラス
人モ亦 何ソ之ニ異ナランヤ
諸氏ハ今ヨリ此校ヲ去リテ
人ノ師ト爲リ 又 妻ト爲リ 又 母ト爲ル者ナリ
三ノ者 其何シタルヲ問ハス
均シク國家教育ノ一部ヲ負擔スルモノナレハ
責任 最モ大ナリスト
其責任ヲ盡シテ以テ國家教育ノ基本ヲ立ツルハ
則チ是レ善良ノ美果ヲ収ムルナリ
是レ完全ノ地位ニ達スルナリ
果シテ此ノ如クンハ
啻ニ諸氏ノ光榮ノミナラス
亦以テ本校ノ光榮ト爲スヘシ
諸氏其レ之ヲ勗メヨ

  西園寺文部大臣祝辭大意
本日ハ此名譽アル式場ニ臨ミ
諸君ノ卒業ヲ祝スルハ本大臣ノ欣喜スル所ナリ
諺ニ一國ノ文明ハ女子ノ品位如何ニ於テ之ヲトス
蓋シ女子ノ社會ニ於ケル家庭ノ教育ヨリ
郷黨ノ風俗ニ及ヒ牽テ
一國ノ汚隆ニ至ル
皆是レ女子ノ學問ニ根底セサルヲ得ス
今ヤ帝國ノ進歩ハ駸々トシテ
世界ノ視聽ヲ驚セリ
然ルニ獨リ女子教育ノ點ニ於テハ
未タ此隆運ニ伴フコト能ハサルモノアルニ似タリ
本大臣カ深ク憂フル所ニシテ
本校卒業生諸君ノ如キ
其人ニ向ヒテ屬望スルノ大ナル所以ナリ
諸君ハ今日多年ノ勉強ニ因リ
終ニ其目的ヲ達セラレタリ
本大臣ハ益々女德ヲ修メ勉強ノ果實ヲ實地ニ活用シ
以テ帝國ノ文明ヲ翼賛セラレンコトヲ望ム

  女子高等師範學科 卒業生 總代 中西てつ 謝辭
   ―略―

  高等女學校 卒業生 總代 島川たけ 謝辭
   ―略―

 女子高等師範學科 卒業生   ※下記:高等師範科卒業写真
  △ハ隨意科 外國語修了ノ者 ※19名
京都府平民  △中西  てつ
富山縣平民  △神通  せき
京都府士族  △關口 しづこ
福岡縣平民   津和崎 こう
德島縣士族  △片山  くみ
長野縣士族   澤   とも
新潟縣平民  △塚田  つぎ
栃木縣士族   丹羽 ちやう
滋賀縣士族  △中澤 しづ尾
長野縣士族   林  志やう
山梨縣平民  △小田切 浦乃
群馬縣士族   美濃部  樂
佐賀縣士族   糸山   伸
東京府平民  △種村  ゆき
福岡縣士族   味岡  はな
石川縣平民  △倉元  いの
福島縣士族   富樫   孝
香川縣士族   三宅  すゑ
愛媛縣士族   岡本   譽

 附屬高等女學校 補習科 卒業生 ※22名:別稿に卒業写真
靜岡縣士族   田口  ウタ
福井縣士族   宮崎  きさ
埼玉縣士族   上原  さえ
東京府士族   山高  しげ
兵庫縣士族   濱尾  とく
東京府平民   石川  まさ
山形縣士族   成田  よつ
東京府士族   北條  とし

靜岡縣士族   牧野  しづ
東京府士族   布施 しゆん
東京府平民   今村  とら
兵庫縣士族   齋藤 ゆきの
東京府平民   塚越 ひで子
東京府華族   成瀬 かをる
東京府平民   猪俣 みさを
東京府平民   林   ゑい

東京府士族   峯   千代
北海道士族   石川  いと
巖手縣平民   村井  よし
東京府平民   田口  のぶ
東京府平民   田中  みち
新潟縣平民   大矢  しさ

 同(附屬高等女學校) 本科 卒業生 ※38名:別稿に卒業写真
三重縣士族   島川  たけ
山口縣士族   大谷   鶴
神奈川縣平民  大熊  しう
東京府平民   今村   照
東京府士族   池田  敏子
茨城縣平民   寺西  とら
東京府士族   津田  秋子
東京府士族   柴山  てる
東京府平民   松野  せん
東京府平民   五十子のぶえ
茨木縣平民   田中  いよ
長野縣士族   草間   貞
東京府士族   野上  たか

高知縣士族   川久保 靜枝
東京府士族   神方   幸
高知縣士族   武市   治
東京府平民   岩出   鐸
茨城縣平民   菊池  さく
東京府平民   辻    信
東京府平民   井上   幹
山口縣士族   渡邊   春
東京府平民   原田  てい
北海道士族   金田  智惠
東京府平民   風間  あか
東京府華族   田中  よし
東京府士族   山縣  のふ

京都府士族   鴨脚   芳
靜岡縣華族   赤松  かつ
岡山縣士族   中澤  愛子
東京府士族   渡邊  むゐ?
德島縣平民   原田  英榮
東京府士族   神保   英
靜岡縣華族   黑田   文
東京府平民   小野  すみ
山口縣士族   高田   秀
大阪府平民   西尾   廣
東京府平民   枌谷  千代
東京府士族   石坂   留
p4【官報. 1896年03月26日】明治29年
〔画像〕p4【官報. 1896年03月26日】明治29年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【女子高等師範学校. 自明治35年4月至明治36年3月】
 高等師範學科卒業
 明治二十九年三月卒業(十九人) p110/138
澤   伊藤 とも   長野士
    糸山  伸   佐賀士
    小田切 浦乃  山梨平
    岡本  譽   愛媛士
    片山 くみ   德島士
中澤  神武 しづ尾  北海道平
林   吉武 しやう  東京士
富樫  竹内  孝   富山平
    塚田 つぎ   新潟平
津和崎 根岸 こう   群馬士
美濃部 根岸 らく   群馬士
味岡  栗本 はな   山形士
    倉元 いの   石川平
中西  矢作 てつ   沖縄平
丹羽  安藤 ちやう  栃木士
種村  佐藤 ゆき   宮城平
    三宅 すえ   香川士
    神通 せき   富山平
    關口 しづこ  京都平
 明治二十九年五月卒業(一人)
    長田 たづ   三重平
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[お茶の水女子大学 デジタルアーカイブズ]
 女高師の時代 明治23(1890)年~明治40(1907)年
明治29(1896)年
3月:高等師範科19名 ※下記:高等師範科卒業写真
5月:高等師範科1名
高等師範学科卒業生アルバム 明治23年~明治34年
  高等師範科卒業写真
高等師範科卒業生の卒業記念写真。
年月日:明治29(1896)年3月
場所:校舎(後の西校舎)玄関前
被写体:高等師範科卒業生
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年07月24日 05:30 ◆小野梓《小野 すみ 》小野 墨・松村 墨
《小野すみ》女子高等師範學校 附屬高等女學校
 明治二十九年本科卒業者【創立五十年】昭和7年
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《山内淑人・山内寛治郎の二男》純正化學科・明治45年7月卒業【京都帝国大学一覧】

《山内淑人・山内寛治郎の二男》
純正化學科・明治45年7月卒業
【京都帝国大学一覧】

【京都帝国大学一覧. 従大正元年 至大正2年】
 法學士 舊規定ニ依ルモノ
 明治三十九年七月卒業 p145/187
松村仙造   島根   p146/187 ※小野一雄・雄二の祖父
 明治四十一年七月卒業 p147/187
山内揆一   京都   p148/187 ※山内淑人の兄

 理學士
  純正化學科     p158/187
 明治三十四年七月卒業
岡田定次郎  廣島
河内山幸作  山口
 明治三十四年十月卒業
岸 喜鑑   石川
 明治三十六年七月卒業
加藤與五郎  愛知
 明治三十七年七月卒業
甲斐莊楠香  京都
 明治四十二年三月卒業
藤堂良譲   三重
福間建策   福岡
 明治四十二年七月卒業
西依六八   佐賀
吉本豐二   石川
上田兼二郎  京都
松宮 馨   京都
荒古勝之助  廣島
北脇市太郎  大阪
水戸開三   岐阜
 明治四十三年七月卒業
堀場信吉   京都
小林松助   京都
後藤隆次   岐阜
 明治四十三年十二月卒業
小玉新太郎  愛媛
 明治四十四年七月卒業
今津 明   山口
岡田徹平   岡山
 明治四十五年七月卒業
山内淑人   京都
水津嘉之一郎 島根

【会員氏名録. 昭和15年用】
山内淑人 京都 p286/326
京都大学 理學博士
理学部 化学科 明治四五年卒業
藤永田造船所
大阪府三島郡山田村大字山田下二二九一ノ一

【会員氏名録. 昭和18年用】
山内淑人 京都 p235/259
京都大学 理學博士
理学部 化学科 明治四五年卒業
藤永田造船所
大阪府三島郡山田村大字山田下二二九一ノ一

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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