2019年06月

[福富卯一郎(宿南卯一郎)]東京帝国大学 法学部 政治学科・卒業 明治41年7月【東京帝国大学一覧】

[福富卯一郎(宿南卯一郎)]
東京帝国大学 法学部 政治学科・卒業 明治41年7月
【東京帝国大学一覧】

第五高等学校 入学 1901年(明治34年)9月
       卒業 1904年(明治37年)7月
東京帝国大学 法学部 政治学科
       入学 1904年(明治37年)9月
       卒業 1908年(明治41年)7月

【東京帝国大学一覧. 明治37-38年】
法学部 政治学科
 第三回受験生  p212/343
木村鋭市  島根 ※下記
 第一回受験生  p213/343
福富卯一郎 兵庫 p214/343
後藤文夫  大分

【東京帝国大学一覧. 明治41-42年】
法学部 政治学科
明治四十一年七月卒業 p300/443
福富卯一郎 兵庫
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月28日 05:15 ◆満州・蒙古・中華民国
[森財政部顧問後任推薦ニ關スル件]
大藏省ニ於テハ宿南卯一郎(福富卯一郎)ヲ推薦:大正11年
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年03月04日 04:08 ◆松村仙造(眞澄) 宗教法人大本
[大本教近況ニ関スル件]高秘第636号:大正14年4月29日
  又 幹部 松村仙造ハ島根縣出身ナルカ
  現 亜細亜局長ハ同郷ノ親友ニシテ ※木村鋭市:別稿に記載
  且 同窓ノ関係ニアルヲ以テ ※東京帝國大学法科大学政治学科
  同人ヲ介シテ自分(王仁)ノ渡支解禁ニツキ
  尽力セシメ居レリ
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[福富卯一郎(宿南卯一郎)]第五高等学校卒業・明治37年7月【第五高等学校一覧】

[福富卯一郎(宿南卯一郎)]
第五高等学校卒業・明治37年7月【第五高等学校一覧】

第五高等学校 入学 1901年(明治34年)9月
       卒業 1904年(明治37年)7月
東京帝国大学 法学部 政治学科
       入学 1904年(明治37年)9月
       卒業 1908年(明治41年)7月

【第五高等学校一覧. 明治34-35年】
[第五高等學校一覽]自明治卅四年 至明治卅五年 p1/303
 ◉大學豫科生徒(三十四年九月末日調)  p51/303
  大學豫科第一部三年(法科)
松村仙藏  島根
  大學豫科第一部一年(乙組)      p56/303
福富卯一郎 兵庫
明治三十四年十二月二十日發行
編纂 第五高等學校

[第五高等學校一覽]自明治卅五年 至明治卅六年 p93/303
 ◉大學豫科生徒(明治三十六年九月末日調)   p152/303
  大學豫科第一部第二年(甲組)
福富卯一郎 兵庫
 大學豫科第十一回(明治三十五年七月)卒業  p182/303
   第一部(法科)
東京法科大學在學 松村仙藏  島根 平民
明治三十五年十二月二十日發行
編纂 第五高等學校

[第五高等學校一覽]自明治卅六年 至明治卅七年 p194/303
 ◉大學豫科生徒(明治三十六年九月末日調)   p249/303
  大學豫科第一部第三年甲組
福富卯一郎 兵庫
 大學豫科第十一回(明治三十五年七月)卒業   p282/303
   第一部(法科)
東京法科大學在學 松村仙藏  島根 平民
明治三十六年十二月廿五日發行
編纂 第五高等學校

【第五高等学校一覧. 明治38-39年】
[第五高等學校一覽]自明治卅八年 至明治卅九年 p1/131
 大學豫科第十一回(明治三十五年七月)卒業 p104/131
   第一部(法科)
東京法科大學在學 松村仙藏  島根 平民
 大學豫科第拾貮回(明治三十六年七月)卒業 p106/131
   第一部(法科)
京都法科大學在學 山崎達之輔 福岡 士族
東京法科大學在學 別府賢吉  福岡 平民
 大學豫科第十三回(明治三十七年七月)卒業 p109/131
   第一部(法科)
東京法科大學在學 福富卯一郎 兵庫 平民  p110/131
明治三十八年十二月二十日發行
編纂 第五高等學校

【第五高等学校一覧. 明治39,41年】
[第五高等學校一覽]自明治39年 至明治40年 p/218
第十一回明治三十五年七月(卒業) p82/218
 第一部(法科)
法學士 松村仙藏  島根 平民
第十三回明治三十七年七月(卒業) p87/218
 第一部(法科)
東京法科大學在學 福富卯一郎 兵庫 平民  p88/218
明治三十九年十二月二十日發行
編纂 第五高等學校

[第五高等學校一覽]自明治四十一年 至明治四十二年 p112/218
第十一回明治三十五年七月(卒業) p184/218
 第一部(法科)三十一人
法學士 松村仙藏  島根 平民
第十三回明治三十七年七月(卒業)百八十五人 p188/218
 第一部(法科)七十二人
法   福富卯一郎 兵庫 平民  p188/218
明治四十一年十二月二十日發行
編纂 第五高等學校
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月28日 05:15 ◆満州・蒙古・中華民国
[森財政部顧問後任推薦ニ關スル件]
大藏省ニ於テハ宿南卯一郎(福富卯一郎)ヲ推薦:大正11年
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[福富卯一郎(宿南卯一郎)][靑島守備軍司令部]民生部事務官【職員録. 大正10年】

[福富卯一郎(宿南卯一郎)]
[靑島守備軍司令部]民生部事務官【職員録. 大正10年】

第五高等学校 入学 1901年(明治34年)9月
       卒業 1904年(明治37年)7月
東京帝国大学 法学部 政治学科
       入学 1904年(明治37年)9月
       卒業 1908年(明治41年)7月

【職員録. 大正10年】
[外務省]      p102/813
大臣 内田康哉
次官 埴原正直
◉通商局       p103/813
局長 田中都吉
◉公使館       p104/813
○在支那國公使館
 特命全權公使 小幡酉吉

[大藏省]      p122/813
大臣 高橋是淸
次官 神野勝之助
○海外駐在官     p123/813
 支那駐在
大藏事務官 公森太郎
◉理財局       p123/813
局長    小野義一
支那政府應聘者    p151/813
專賣局參事兼大藏書記官 森 正一郎

[靑島守備軍司令部] p232/813
◉民生部  靑島   p233/813
民政長官 秋山雅之介
事務官  入澤重麿
     福富卯一郎
     内田 隆
     小柳牧衞
     早川 淸
     大磐誠三
     常陰庫二
     芳賀文三
◉靑島民生署  靑島治德通 p234/813
事務官  入澤重麿
     福富卯一郎
     前田慎吾
     小柳牧衞
     常陰庫二
     芳賀文三
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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2019年06月28日 05:15 ◆満州・蒙古・中華民国
[森財政部顧問後任推薦ニ關スル件]
大藏省ニ於テハ宿南卯一郎(福富卯一郎)ヲ推薦:大正11年
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[森財政部顧問後任推薦ニ關スル件]大藏省ニ於テハ宿南卯一郎(福富卯一郎)ヲ推薦:大正11年

[森財政部顧問後任推薦ニ關スル件]
大藏省ニ於テハ宿南卯一郎(福富卯一郎)ヲ推薦:大正11年

大正十一年一月十四日 p65/85
     大藏次官 
  外務次官代理 田中都吉殿
    財政部顧問後任推薦ニ關スル件
本件ニ關シ亞一機密第一八一號ヲ以テ御照會之趣了承
右後任者選定方ニ就テハ小幡公使ノ御意見等參納シ
今回左記ノ者適任ト認メ候ニ付推薦致候
就テハ傭聘條件等ハ總テ現顧問タル
森正一郎傭聘契約通リ継承スルコトニ致度ト存候間
小幡公使ヘ可然御通電方御取計有之度
別紙同人履歴相添ヘ此段回答・御依頼申越候也
        記
    靑島守備軍民政部事務官 シクナミ ウイチロウ
    兼特殊財産管理局事務官 宿 南  卯 一 郎
 追テ陸軍當該官廳ニ於テハ異存無之旨回答ヲ得居候間
 左樣御了知被下度爲念申添候也
B04010836700-65
〔画像〕B04010836700-65

族 籍  兵庫縣平民 p66/85
舊姓名  福富卯一郎
姓 名  宿南卯一郎  シクナミ ウイチロウ
生年月日 明治十五年(1882)一月廿七日
明治四十一年(1908)
  七月十一日 東京帝國大學法科大學政治學科卒業
 十一月廿七日 文官高等試験合格
 十二月廿六日 任 專賣局書記
        給 五級棒       大藏省
 同      專賣局製造部勤務ヲ命ス 同
 同      專賣局収納部兼務ヲ命ス 同
明治四十二年(1909)
  七月 二日 任 專賣局主事
  同     專賣局熊本製造所在勤ヲ命ス
  同     販賣課長ヲ命ス
明治四十四年(1911)
  三月廿三日 專賣局大阪製造所在勤ヲ命ス
  同     販賣課長ヲ命ス
大正  二年(1913)
  六月十三日 廣島專賣支局在勤ヲ命ス
  同     事業課長ヲ命ス
大正  三年(1914)
 十二月廿二日 淀橋專賣支局在勤ヲ命ス
  同     庶務課長ヲ命ス
大正  四年(1915)
  十月 二日 淀橋專賣支局長心得ヲ命ス
   (一部 略)
B04010836700-66
〔画像〕B04010836700-66

大正  四年(1915)  p67/85
  十月十二日 淀橋專賣支局長心得ヲ免ス
大正  五年(1916)
  五月廿二日 補 山形 專賣支局長
  九月廿五日 專賣局長官官房勤務ヲ命ス
  同     長官官房監理課勤務ヲ命ス
  十月 一日 任 青島守備軍民政部事務官
  同     財政部長ヲ命ス
大正  八年(1919)
  六月十八日 講和関係事務處理委員ヲ命ス
  九月廿五日 特殊財産管理事務所参事兼主事ヲ命ス
大正  九年(1920)
  八月十八日 勅令第二百七十三号ニ依リ 年俸四千七拾圓
  十月十八日 兼任特殊財産管理局事務官
大正十年(1921)
  二月十五日 財務部長兼青島民政署財務課長ヲ命ス
                 靑島守備軍司令部
   (一部 略)
B04010836700-67
〔画像〕B04010836700-67

  大正十一年一月廿六日 p68/85
受信人名 在支小幡公使  發信人名 内田大臣
件  名 財政部顧問 後任推薦ニ關スル件
     ―略―
B04010836700-68
〔画像〕B04010836700-68

  北京発 大正十一年二月六日 午后八、〇〇 p71/85
  本省着        七日 午前七、一〇
      内田外務大臣 小幡公使
亞細亞 第九五号
    亜一機密第一六号貴信ニ関シ
    四月十七日 ノ契約満期ヲ待フテ就職ノ契約ニ
    十五日 宿南ト財政次長トノ間ニ調印ヲ了セリ
    委細郵報
B04010836700-71
〔画像〕B04010836700-71

 官房 職甲第一四一号ノ二 p72/85
大正十一年二月二十日
     大藏次官 神野勝之助
 外務次官 代理 田中都吉殿
     照  會
      靑島守備軍民政部事務官
    (支那政府財政顧問候補者)宿南卯一郎
兼任大藏書記官
敍高等官三等
右ノ通二月二十日付發令相成候ニ付
小幡公使ヘ御電報方可然御取計被下度候也
B04010836700-72
〔画像〕B04010836700-72

平文 發電 大正十一年二月二十二日午後二時四十分 p73/85
   送電番號一三四四
主管 亞細亞局長  主任 亜細亜局第一課
件名 財政顧問ノ件
受信人名 在支 小幡公使  發信人名 内田大臣
第一〇七號
貴電 第九五号ニ関シ
宿南ニ対シ二月二十日附ヲ以テ
兼任大藏書記官敍高等官三等ノ發令アリタリ
B04010836700-73
〔画像〕B04010836700-73

亞細亞局 第一課 p74/85
 機密第四一號
   在支那
    特命全權公使 小幡酉吉
外務大臣伯爵 内田康哉殿 大正十一年拾月廿五日・・係接受
   財政顧問後任推薦ニ關スル件
本件ニ關シテハ一月廿六日附亞一機密第一六號貴信接到
且ツ貴信接到前 公森財務官ヨリ ※公森太郎(支那駐在)
大藏省ニ於テハ宿南卯一郎ヲ推薦シ
已ニ外務省ニ右移牒濟ノ旨
申出アリタルニ付 政界動揺ノ折柄
張弧ノ財政總長在任中ニ至急決定シ置クコトヲ必要ト認メ
不取敢同人ヲ財政總長ニ推薦シ同總長ノ更迭ヲ見ルヤモ雖測
一亘更迭ノ上ハ前任者ノ約束
往往後任者ニ反故紙視セラルルノ處モ有之
且ツハ貴信御申越ノ次第モアリタルニヨリ
此際兎モ角契約ヲ締結シ事體ヲ確實ニ致置クヲ得策ト認メ
急速宿南ヲ來京セシメ財政部ト種種交渉ノ上傭聘條件等ハ
總テ顧問ト同一トシ
(財政部側ノ希望及宿南ノ靑島殘務處置等ノ關係ヨリ
 宿南兩同意ノ上 宿南ノ就任期日ハノ契約期滿日タル
 四月十七日トセリ)
三月十五日該傭聘契約書ニ
財政次長ト宿南トノ間ニ調印ヲ了シタル次第ニ有之候
右往電第九五號補足旁此段報告申進候也
B04010836700-74
〔画像〕B04010836700-74
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レファレンスコード B04010836700
件名 支那改革借款一件/本邦人傭聘 第三巻 分割1
外務省外交史料館 戦前期外務省記録1門 政治7類 国際企業 1項借款
支那改革借款一件/本邦人傭聘 第三巻
【 画像数 】85  組織歴 外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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2019年06月29日 05:50 ◆満州・蒙古・中華民国
[福富卯一郎(宿南卯一郎)][靑島守備軍司令部]民生部事務官
【職員録. 大正10年】
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2019年06月30日 05:57 ◆満州・蒙古・中華民国
[福富卯一郎(宿南卯一郎)]第五高等学校卒業・明治37年7月
【第五高等学校一覧】
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2019年06月30日 06:01 ◆満州・蒙古・中華民国
[福富卯一郎(宿南卯一郎)]
東京帝国大学 法学部 政治学科・卒業 明治41年7月
【東京帝国大学一覧】
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『敎育機關』[哈爾濱醫科大學]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

『敎育機關』[哈爾濱醫科大學]
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 滿洲職員錄
 康德八年 昭和十六年 滿洲年鑑附錄
(康德七年九月三十日現在)
※昭和15年9月30日現在
 但しその後判明せるものは補正す
『敎育機關』    p25-27/73
[哈爾濱醫科大學] p26/73
學  長      植村秀一
衞生學       村上賢三
國民道德(訓育)  關  勉
外科學       森  巽
内科學       前原義男
眼科學       井幡淸一
皮膚泌尿器科學   小池藤太郎
小兒科學      國武保夫
産婦人科學     成田幾治
細菌學       蟹江善雄
齒科學       福島秀策
生理學       閻 德潤
病理學       正山 勝
耳鼻咽喉科學    堀内純一
醫化學       山崎三省
解剖學       戸井田 登
藥物學       郭 光武
醫事法制學     岩崎辻男
精神病學滿語    賈 連元
齒科學       戸塚善之助
配屬將校      村山與吉
内科學       朝比奈倭男
軍事敎練      白石秀男
外科學       張 柏岩
内科學       中西眞吉
齒科學       安利 剛
病理學       楠 國雄
日本語       新妻 晃
細菌學       辛  鈞
齒科學       茂田貫一
同         森 榮之助
同         大熊重彦
體 育       家村吉郎
調劑學       關  根
手術繃帶學     宮地忠雄
産科模型學     北村喜市
小兒科學      谷本 祖
診斷學       住田滿也
同         熊谷時男
物理學       辻垣眞三
露西亞語      中田 甫
滿洲語       羅 家佩
齒科學       小畑晃作
同         小林一郎
醫化學       森 信夫
病理學       岩崎義男
生理學       松瀨重一
解剖學       マレーエフスキー
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『敎育機關』[滿洲醫科大學]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

『敎育機關』[滿洲醫科大學]
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 滿洲職員錄
 康德八年 昭和十六年 滿洲年鑑附錄
(康德七年九月三十日現在)
※昭和15年9月30日現在
 但しその後判明せるものは補正す
『敎育機關』    p25-27/73
[滿洲醫科大學]  p25-26/73
學  長      守中 淸
幹  事      高野忠雄
學生監       堤 耕造
敎  授      松井太郎
醫院長敎授     船石晋一
專門部主事敎授   平山 遠
同         工藤喬三
同         高森時雄
同         橋本滿次
同         松本 彰
同         伏木卓也
同         北村直躬
同         二階堂一種
同         戸田 茂
敎務主事敎授    久保久雄
同         三浦運一
同         原  亨
同         北野政次
學生監敎授     稗田憲太郎
敎  授      柚木祥三郎
同         寺田文次郎
同         佐山光章
同         鈴木直吉
同         緒方維弘
同         田村幸雄
豫科主事      黑田源次
助敎授       岡西爲人
同         泉 正一
同         山根 齊
同         武井右馬之輔
同         佐々木統一郎
同         荒木 亨
同         林田 篤
同         廣木彦吉
同         荒井 章
同         近藤 武
同         久保道夫
同         山村博三
同         峰下銕雄
同         四宮安平
豫科敎授      駒越哲貞
同         福田八十楠
同         柏谷義三郎
同         松崎義雄
同         辻 忠治
同         伊藤多度作
同         田村 昇
同         井上作治
同         山崎正武
同         山口繁雄
同         長谷川和美
附屬藥學專門部主事 山下泰藏
經理科長      寶珠山一男
庶務科長      渡部 親
經理係長      大田武雄
用度係長      宮北勘市
學部係長      井上峰泰
豫科係長      山田正一郎
工務係長      生水愛三
賄 係長      池田照生
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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『敎育機關』[新京法政大學][新京醫科大學]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

『敎育機關』[新京法政大學][新京醫科大學]
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
 滿洲職員錄
 康德八年 昭和十六年 滿洲年鑑附錄
(康德七年九月三十日現在)
※昭和15年9月30日現在
 但しその後判明せるものは補正す
『敎育機關』    p25-27/73
[新京法政大學]  p25/73
學  長      田所耕耘
學長代理      筒井雪郎
敎  授      一條林治
同         中西仁三
同         矢野續藏
同         柚木 馨
同         玉井 茂
同         高橋貞三
同         村 敎三
同         松木太郎
同         田畑志良
學  監      神宮司 操
事務官       丸山常吉
助敎授       岩崎二郎
同         康 成九
同         中島太郎
同         岩井萬龜
同         谷口嘉六
同         根箭重男
同         泉 政吉
同         陳 國柱
同         黄 演准

[新京醫科大學]  p25/73
學  長      山口淸治
敎授學生科長    岡崎一武
同 敎務科長    伊藤亮一
事務官庶務科長   森田悌三
敎  授      橋本元文
同         瀧津久次郎
同         山本義男
同         橋本多計治
同         郭 松根
同         江上義男
同         耿 熙麟
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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「オリンパスOM-1」1970年代国宝級カメラCM:元弁士の【福地悟朗】[小野十五郎]

「オリンパスOM-1」1970年代国宝級カメラCM:
元弁士の【福地悟朗】[小野十五郎]

【福地悟朗】[小野十五郎]
No.6005 ★投稿者:CARAMELPAPA ★投稿日:2002/07/13/10:17
話、ちょっと違うようですが。
昔々、カメラのCMだったかな、
お寺の和尚さんが、
「ほんまやったら、うちの仏さんも、国宝なんやが」
とかなんとか言われるCM、
あの役者さんは関西の方でなく、
「東京弁指導」もされる方でしたね。

No.6018 ★投稿者:CARAMELPAPA ★投稿日:2002/07/14/09:33
オリンパスOM1のCM、元弁士の福地悟朗氏でした。
今でも、東京弁指導なんてあるのかな。
他の方言は見るけれど。
 福地悟朗「東京弁指導」
〔画像〕福地悟朗「東京弁指導」
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地球人スピリット・ジャーナル2.0
2017/03/18
「オリンパスOM-1」1970年代国宝級カメラCM
 やっぱり、あのコマーシャル、もう一回見たいなぁ、
と思ってはいたのだが 、
当ブログの「捨てられないもの」シリーズが、
人気記事ランキングに再登場したことで、またまた思い出した。
 今回もまたググってみて、ついに発見した!!
 [YouTube][カメラCM集 70年代中頃~90年代前半]
 34:50から30秒間。
※福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

 この動画、あまりに長いので、そのうち勝手に編集してしまおうかな、
と思ったが、まずは忘備録としてメモしておく。

「ほぅ、OM-1でんなぁ、小さいけどカッコよろしいな」
「この135mmは・・・、200!?」
「うちの仏さんも小さいけど、心がこもってはる!
ホンマ やったら、国宝なんやけどなぁ」
1-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕1-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

2-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕2-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

3-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕3-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

4-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕4-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

5-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕5-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

6-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕6-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

7-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕7-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」

8-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
〔画像〕8-福地悟朗「オリンパスOM1のCM」
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月15日 14:50 
◆小野義真 小野十三郎・小野十五郎[福地悟朗]
《おお活動大写真》[福地悟朗](本名・小野十五郎)

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年03月05日 10:21
 ◆小野義真 小野十三郎・小野十五郎[福地悟朗]
《小野十五郎〔福地悟朗〕》小野義真の二男
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[福地悟朗引退記念興行]昭和57年(1982)4月24日 高知「映画の歴史を見る会」委員会

[福地悟朗引退記念興行]昭和57年(1982)4月24日
 高知「映画の歴史を見る会」委員会

ああ、なつかしの活動大写真
去る1995年(平成7年)4月16日
「シネ・フェスタ高知」と題して
映画誕生100年記念の上映会が催された。
主催は高知市文化祭執行委員会。
 ―略―
1-ああ、なつかしの活動大写真
〔画像〕1-ああ、なつかしの活動大写真

 ―略―
ところで13年前「なつかしの活動大写真」という上映会があって、
それも活弁と生演奏がついていた。
当時のメモから拾い書してみる。・・・・
「弁士の方々の名調子、
楽団の生演奏と銀幕の俳優の動きがぴったりと合って、
それは素晴らしい活写会だった。
特に日本初公開の『チート』をこの日引退するという
福地悟朗氏が活弁したが、
映画もさることながら氏の美声、
役者ごとに声音を変えたその演技がよかった。」
 ―略―
2-ああ、なつかしの活動大写真
〔画像〕2-ああ、なつかしの活動大写真


[写真①]
なつかしの活動大写真
なつかしの活動写真がやって来た!
◆第10回『映画の歴史を見る会』
 福地悟朗引退記念興行
 ◉説明者◉ 福地悟朗氏/池俊行氏/羽鳥天来
 ◉選曲指揮者◉ 山本清一氏
 ◉演奏◉特別編成 サロンアンサンブル
 ◎於◎高知新聞放送会館RKCホール
■外題■思い出の映画集■大列車強盗■チャップリンの道具方
■暴君ネロ■鞍馬天狗■街の子■チート
昭和五十七年(1982)四月二十四日(土)昼夜二回
◆主催◆高知新聞社/RKC高知放送/高知「映画の歴史を見る会」委員会
◆後援◆高知市映画館協議会/高知キネ旬友の会
◆協賛◆名作フェスティバルの会

[写真②]
映画生誕100年記念 シネ・フェスタ高知
記念講演・上映会
開催日■1995.4.16(日)13:00~20:00 ※平成7年(1995)
会 場■高知県民文化ホール(オレンジ)
主 催■高知市文化祭・・委員会
3-ああ、なつかしの活動大写真
〔画像〕3-ああ、なつかしの活動大写真
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月15日 14:50 
◆小野義真 小野十三郎・小野十五郎[福地悟朗]
《おお活動大写真》[福地悟朗](本名・小野十五郎)

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2012年03月05日 10:21
 ◆小野義真 小野十三郎・小野十五郎[福地悟朗]
《小野十五郎〔福地悟朗〕》小野義真の二男
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[魯國海軍士官及商人淸國商人等 船川漂着本縣取扱始末・明治16年]【秋田沿革史大成. 下】明治30年

[魯國海軍士官及商人淸國商人等 船川漂着本縣取扱始末・明治16年]
【秋田沿革史大成. 下】明治30年

【秋田沿革史大成. 下】
魯國海軍士官及商人淸國商人等 船川漂着本縣取扱始末
左ニ錄シ外交上ノ然ルヘキヲ表ス   p337-338/531

明治十六年十一月十九日(西暦千八百八十三年)
魯國海軍士官アバサアレキセイ並ニ商人ガレツキイ及
淸國人等數名小船ニ乘込
縣下 南秋田郡船川灣内ニ漂流セリ
其外船ナルヲ認メ直チニ
同村役場員 警官並ニ有志者
艀船ヲ漕キ出シ之ヲ救助セントスルニ
該漂流人ハ外人ノミ言語不通
タメニ少シク狐疑ノ狀アリシカ

幸ニ魯國士官アバサアレキセイ氏
少シク日本語ニ通スルヲ以テ
之カ救護ノ所以ヲ覺知シ
一同上陸セリ
依テ士官ニ就キ漂流ノ顚末ヲ親ク聞クヲ得タリ

然ラハ士官其他共
浦鹽港ヨリ三十里斗リ隔リタル所ノ鑛山見物セントシテ
同港發程歸路
支那人ノ渡船便アルヲ以テ之ニ乘込
(陸路三十里餘ナルモ海路八九里ニ過キズ(日本里程))
航行ノ所 俄ニ風吹キ變リ
到底海岸ニ寄リ着クヲ得ス

止ムナク風ニ從ヒ漂泊スルコト七晝夜ナリ
此時ニ方リ水夫ナル支那人等
悉ク落膽少々モ水夫タルノ用ニ立タス

士官一人針路ヲ日本ニ取リ辛ウシテ
當港ニ漂着セリト
ソノ辛苦艱難實ニ可燐ノ極ナリ

然ルニ魯國士官タルノ實否ヲ知ル能ハサルノミカ
外人漂流取扱ノ準序不明ナルヲ以テ
役場戸長代理筆生 大山淸忠 直チニ夜白兼行ニテ
秋田縣廳ニ出頭シ該顚末ヲ報ス

而シテ魯人二名ハ
旅舎 籾山貞吉ニ宿泊セシメ
支那人モ各所ニ宿泊セシム

然ルニ翌二十日
新潟滊船會社ノ滊船 北洋丸 船川ニ入港
日和次第 函館ニ回航スト
士官之ヲ聞キ
頻リニ乘船ヲ企望ス

然ルニ其旅費ノ支辨ニ因シ
戸長ニ旅費金借受ケ方ヲ請求セルニ
縣廳ノ指揮ヲ得テ然ル后ニセントセシニ
士官ハ大ニ不快ノ狀アリ

故ニ戸長 藤井忠彦ハ澤木駒吉ニ其事實ヲ語ル
澤木氏ハ士官ノ旅宿ニ到リ
歸國ヲ急クノ理由ヲ聞クニ

冬季浦鹽港ノ結氷ヲ懸念スルニアルヲ以テ
其余儀ナキヲ愍察シ直チニ
旅費金百貮拾圓ヲ貸附シタリ
尚又歸途ヲ急クノ場合ナルヲ以テ
戸長ト圖リ縣廳ノ指揮ヲ俟タス
斷然此 北洋丸ヘ乘船セシムルニ決ス

士官 大ニ滿足ヲ表シ別抔ヲ舉ケテ
既ニ乘船セントスルニ際シ
縣官一等属 鳥海弘毅 通辨 森可次(秋田師範學校敎員)
出張暫時對話ノ末
士官アバサ及商人カレツキイ
二人 北洋丸ニ搭シ函館ニ向ヒ出帆ス
時ニ 十一月二十一日午後六時ナリシ

當時 澤木氏ノ厚志ニヨリ速ニ旅費ヲ貸附セル
實ニ外交上
大ハ日本ノ名舉
小ハ本縣 又 一身上ノ名聲ヲ
各國ニ聞知セシメタルモノニシテ
誠ニ好スヘキノ篤志者ト云フヘシ

後 彼國ヨリ勳賞等ヲ贈與セラル人名及
士官借用金ノ証書等 左ニ錄ス
(現金ハ翌年約定ノ如ク返濟セリ)

  漂流船乘組人員國氏名
 魯西亞國海軍士官     アバサアレキセイ
 同國商人         カレツキイ
 支那國人
  山東登洲府福山縣人貿易 孫元曉
              孫元堂
  同府海洋縣人醫生    干中和
  齋南府德洲人傭工    方全仁
  永平府樂亭縣人貿易   劉會昌
  登洲海洋縣人同     高 煥
  瀋陽人         王殿臣
  靑洲諸城縣人傭工    韓士林
  永平府換享縣人貿易   鄭靑雲
  山東昌府傭工      安玉福
  山東登府文登縣人貿易  張 儀
  瀋陽人傭工       劉文海
  山東菜洲府昌邑縣人傭工 孫魁點
  船戸住所不明      徐開科
              高振有
 漂流中死亡者
  永平府換亭縣人     干 隆
 右死亡者ノ爲 本縣知事 赤川戇助氏ハ其憐了ヲ察シ
 船川村嶺德院境内ニ石牌ヲ建設セラレ 其?魂ヲ吊ス

右人名ヲシテ(露國人ハ先ニ函館ニ渡航)
兩三日後ニ至リ郵船會社汽船ニテ函館ニ護送セリ
縣属 鳥海弘毅 人見寛吉等付添タリ
以テ同所ニ到着 夫ヨリ歸國ノ途ニ就カシム
又先キニ航行セル アバサノ一行ニモ面語セリト

  アバサ氏借用金約定書ノ譯文
 私ハ船川村澤木駒吉君ヨリ金百二十圓ヲ借用セシコトヲ述フ
 其借用セシ金額ハ東京露國公使館ヨリ秋田縣廳ヲ經テ
 澤木君ニ返濟スルコトヲ約束ス
   露西亞帝國士官 アバサアレキセイ

前項ノ如ク懇篤ナル救護ヲ受ケ滿足歸國セシニヨリ
露國政府ヨリ夫々賞賜アリ
其人名 左ノ如シ

    秋田縣下南秋田郡舟川村
        澤木駒吉
 露西亞國皇帝陛下ヨリ贈與シタル
 神聖スタニスラス勳章ノ綬ヲ以テ帶フル所ノ
 金製記章ヲ受領シ及佩用スルヲ允許ス
奉 勅 御印
  賞勳局總裁ノ印以下畧ス
    船川村役場員
        大山淸忠
 同文
    巡査 某
此外 縣書記官 樺山資雄 鳥海弘毅屬等モ夫々勳賞アリト云フ

淸國ヨリハ何ノ謝辭モナク
其無禮ナル又思フヘシ
明治三十一年十一月十五日印刷
同     十一月廿三日出版
全壹部定價 金貮圓五拾錢
編纂者   橋本宗彦 舊名 甚之亟
      秋田縣士族
      秋田縣土崎港町下酒田町八番地
發行人   橋本宗一
      秋田縣士族
      秋田縣土崎港町下酒田町八番地
印刷者   松本 讓
      秋田縣平民
      秋田縣秋田市保戸野北鐵砲町五番地
印刷所   秋田株式會社
      秋田縣秋田市茶町菊ノ丁十八番地
發兌元賣捌 橋本宗一
      秋田縣土崎港町下酒田町八番地
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【改正官員録. 明治16年11月】
秋田縣 p270/307
令    山口 從五位 赤川戇助
少書記官 麑嶋 正七位 樺山資雄
二等属  秋田     鳥海弘毅
八等属  秋田     人見寛吉

【秋田県職員録. 明治18年2月改正】
秋田縣職員錄 明治十八年二月改正 p4/50
令    從五位 赤川戇助  山口縣士族
少書記官 正七位 曾我部道夫 德嶋縣平民
収税長  從七位 鳥海弘毅  秋田縣士族
収税屬            p12/50
 十四等官相當月俸貮拾五圓
     地租係 後藤善二  秋田縣士族
     収納係 人見寛吉  秋田縣士族
南秋田郡           p18/50
町村戸長           p20/50
 船川村外四ヶ村 年給 百圓 p22/50
    準十七等 藤井忠彦
 增川村外六ヶ村 年給 百圓
    準十七等 大山淸忠
秋田中學校          p39-40/50
一等敎諭           p40/50
 月俸 六拾圓  森 可次  靑森縣士族
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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秋田のなかのロシア探訪
③ ロシア皇帝の勲章授与された男鹿市船川港の沢木駒吉 p5/6
『秋田沿革史大成』の著者橋本宗彦は、
「沢木氏ノ厚志二ヨリ速ニ旅費ヲ貸与セル、実ニ外交上、
大ハ日本ノ名誉、小ハ本県又ハ一身上ノ名声ヲ
各国二聞知セシメタルモノニシテ、誠ニ好スベキ」
「清国ヨリハ何ノ謝辞モナク、其無礼ナル又思フベシ」と書き、
ロシアの礼儀ただしさを評価し
清国の無礼を批判しています。
ロシア皇帝の勲章授与された沢木駒吉
〔画像〕ロシア皇帝の勲章授与された沢木駒吉
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秋田県の船絵馬について一所在調査報告一
③ロシア士官等漂着事件 p2/9
ロシア士官等漂着事件
〔画像〕ロシア士官等漂着事件
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