必死爆撃行に出撃の日の神風第一次特別攻撃機隊 敷島隊長 關大尉
[寫眞週報]第347号 昭和19年11月15日
[寫眞週報]情報局編輯
昭和19年(1944)十一月十五日・第三四七號
一機命中に 神州を護持す
あゝ 神風特別攻撃隊
忠烈 萬世に燦たり
必死爆撃行に出撃の日の
神風第一次特別攻撃機隊 敷島隊長 關大尉。
出撃の直前
『俺たちは爆撃隊員ではなく爆彈だ。いゝか、俺に續くのだ』と
關大尉は隊員を激勵したといふ
=十月二十五日 比島○○基地にて=
撮影 小野田報道班員
断じて遺烈に續かん
神風特別攻撃隊
海軍省公表(昭和十九年十月二十八日十五時)
神風特別攻撃隊敷島隊員に關し
聯合艦隊司令長官は左の通全軍に布告せり
布 告
戰闘○○○飛行隊分隊長
海軍大尉 關 行男
戰闘○○○飛行隊附
海軍一等飛行兵曹 中野盤雄
戰闘○○○飛行隊附
同 谷 暢夫
戰闘○○○飛行隊附
海軍飛行兵長 永峰 肇
戰闘○○○飛行隊附
海軍上等飛行兵 大黑 繁男
神風特別攻撃隊敷島隊員として
昭和十九年十月二十五日○○時
「スルアン」島の○○度○○浬に於て
中型航空母艦四隻を基幹とする敵艦隊の一群を捕捉するや、
必死必中の體當り攻撃を以て
航空母艦一隻撃沈、同一隻炎上撃破、
巡洋艦一隻轟沈の戰果を収め悠久の大義に殉ず。
忠烈萬世に燦たり。
仍つて茲に其の殊勳を認め全軍に布告す
昭和十九年十月二十八日
聯合艦隊司令長官 豐 田 副 武
《写真》大黑海軍上等飛行兵・永峰海軍飛行兵長・
谷海軍一等飛行兵曹・中野海軍一等飛行兵曹
《写真》敷島隊出撃!出撃直前に、松葉杖をつきつゝ、
隊員の手を一人づつしつかと握つて勵ます
司令=抱くは副長
※201空司令山本栄中佐 201空副長玉井浅一中佐:小野一雄
比島○○基地十月二十五日 小野田報道班員撮影
※報道班員の同盟通信記者 小野田政:小野一雄
〔画像〕A06031094100-2
神風特別攻撃機隊想像圖
敵空母に命中した僚機に續いて
まつしぐらに襲ひかゝる爆裝した特別攻撃機
松添 健 畫
〔画像〕A06031094100-3
編輯者 情報局 東京都麴町區霞ケ關一ノ二
印刷者 發行者 印刷局 東京都麴町區大手町
國民合唱
學徒勤勞の歌 文部省撰定
東京音樂學校 作詞 作曲
〔画像〕A06031094100-8
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レファレンスコード A06031094100
概要 件名 写真週報 347号
国立公文書館 内閣文庫
内閣情報局関係出版物
写真週報
【 画像数 】8【 種別 】写真
作成年月日 昭和19年11月15日
作成者 情報局
組織歴 内閣//情報局
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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―略―
同年(昭和19年)10月19日、
大西はマニラ艦隊司令部にクラーク空軍基地の
761空司令前田孝成大佐、飛行長庄司八郎少佐と、
マバラカット基地の201空司令山本栄中佐、
飛行長中島正少佐を呼び出し、
司令部内にて特攻の相談を行おうとしたが、
―略―
すれ違いとなった山本は、マニラ東部の二コルス基地に出向き、
中島の操縦する零戦の胴体に乗り込んで
マバラカット基地を目指したものの、
中島が操縦する零戦は発動機が故障し、
水田の中に不時着してしまった。
2人は通りかかった陸軍のトラックに救助されたが、
中島は顔面に軽傷を負っただけで済んだものの、
山本は左足を骨折していた[58]。
山本は再びマニラの司令部に戻ると、
軍医の応急手当を受けながらすぐに小田原俊彦参謀長に電話をし、
小田原から今日の大西の要件が特攻開始の打診で会ったことを聞くと、
「当隊は長官のご意見とまったく同一であるから、
マバラカットに残っている(玉井浅一)副長と
よくお打ち合わせくださるよう」と
大西に伝えて貰うよう依頼している[59]。
―略―
「神風特別攻撃隊敷島隊1045スルアン島の北東30浬にて
空母4隻を基幹とする敵機動部隊に対し奇襲に成功、
空母1に2機命中撃沈確実、
空母1に1機命中大火災、巡洋艦1に1機命中撃沈」[153]
※□201空司令山本栄中佐
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