2020年05月

《松風嘉定・四代目》叔父 榮助【人事興信録. 9版(昭和6年)】

《松風嘉定・四代目》叔父 榮助
【人事興信録. 9版(昭和6年)】
【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《松風嘉定》  p828/1760
 松風工業(株)取締役
 松風陶齒製造(株)取締役
 京都府在籍
 ※父 三代目嘉定
    井上延年の長男常太郎(明治3年生)
    明治23年二代目嘉定長女(ナカ)と結婚
    昭和3年1月肺炎のため逝去
 母  ナカ 明治 五年一一月生、
       祖父(父) 嘉響(二代目嘉定) 長女
 妻  美代 明治三一年一一月生、和歌山 内山惟一 長女
君は京都府人 先代(三代目)嘉定の長男にして 同憲二の兄なり
先代(三代目)嘉定 夙に實業界に入り
日本硬質陶器會社社長 其他諸會社の重役にして
京都商業會議所議員に推され
大正十四年
萬國勞働會議に際し
本邦資本家代表に擧げられ瑞西に渡航せり
君(四代目嘉定)は明治二十六年八月を以て生れ
昭和二年家督を相續し前名俊一を改め襲名す
現に前記各會社の重役たり
家族は尚
 長女 喜美 大正一〇年 一月生
 妹  峰  明治三九年 四月生あり
 叔父 榮助 明治一二年一一月生
 叔父 松藏 明治一九年 七月生
 叔母 ステ 明治二一年 四月生は各分家し
 姉  ハル 明治二四年 九月生は京都府 藤岡幸二に嫁せり
A 四七一
(京都、東山、清水二ノ二三九)
(電話 祇園二八四)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127126/828

【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
《松風嘉定》  p940/1037
 松風工業(株)取締役
 松風陶齒製造(株)取締役
 京都府在籍
 ※父 三代目嘉定
    井上延年の長男常太郎(明治3年生)
    明治23年二代目嘉定長女(ナカ)と結婚
    昭和3年1月肺炎のため逝去
 母  ナカ 明治 五年一一月生、
       祖父(父) 嘉響(二代目嘉定) 長女
 妻  美代 明治三一年一一月生、和歌山 内山惟一 長女
君は京都府人 先代(三代目)嘉定の長男にして 松風憲二の兄なり
先代(三代目)嘉定 夙に實業界に入り
日本硬質陶器會社社長 其他諸會社の重役にして
京都商業會議所議員に推され
大正十四年
萬國勞働會議に際し
本邦資本家代表に擧げられ瑞西に渡航せり
君(四代目嘉定)は明治二十六年八月を以て生れ
昭和二年家督を相續し前名俊一を改め襲名す
現に松風工業會社長にして
松風陶齒製造會社取締役たり
家族は尚
 長女 喜美 大正一〇年 一月生
 妹  峰  明治三九年 四月生あり
 叔父 榮助 明治一二年一一月生
 叔父 松藏 明治一九年 七月生
 叔母 ステ 明治二一年 四月生は各分家し
 姉  ハル 明治二四年 九月生は京都府 藤岡幸二に嫁せり
A 三八〇
(京都市東山區清水坂二ノ二三九)
(電話 祇園二八四)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078620/940

【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】
《松風嘉定》  p1149/1271
 松風工業(株)代表取締役
 松風陶齒製造(株)取締役
 京都府在籍
 ※父 三代目嘉定
    井上延年の長男常太郎(明治3年生)
    明治23年二代目嘉定長女(ナカ)と結婚
    昭和3年1月肺炎のため逝去
 母  ナカ 明治 五年一一月生、
       祖父(父) 嘉響(二代目嘉定) 長女
 妻  美代 明治三一年一一月生、和歌山 内山惟一 長女
 女  喜美 大正一〇年 一月生
京都府人 先代(三代目)嘉定の長男 同憲二の兄なり
先代(三代目)嘉定 夙に實業界に入り
日本硬質陶器會社 其他諸會社の重役にして
京都商業會議所議員に推され
大正十四年
萬國勞働會議に際し
本邦資本家代表に擧げられ瑞西に渡航す
氏(四代目嘉定)は明治二十六年八月出生
昭和二年家督を相續し前名俊一を改め襲名す
現時 松風工業會社代表取締役の外前記各會社の重役たり
家族 尚ほ
 妹  峰  明治三九年 四月生あり
 叔父 榮助 明治一二年一一月生
 叔父 松藏 明治一九年 七月生
 叔母 ステ 明治二一年 四月生は各分家し
 姉  ハル 明治二四年 九月生は京都府 藤岡幸二に嫁す
所得税 二九九
(京都市東山區清水坂二丁目)
(電話 祇園二八四)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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<広告>松風工業株式會社 京都市師團道路 松風橋【京都商工人名録. 大正15年改版】

<広告>松風工業株式會社 京都市師團道路 松風橋
【京都商工人名録. 大正15年改版】

【京都商工人名録. 大正15年改版】
松風工業株式會社  p42/283

電氣用磁気 化學用磁気 製造
碍子工場  京都市本町二ノ橋
碍子工場  京都市師團道路 松風橋
松風工業株式會社
  京都市本町二ノ橋
    電話下 長二三四番 三〇七番
支 店 名古屋市東區白壁町一丁目
支 店 大阪市北區堂島北二丁目大毎ビルヂング
出張所 東京市京橋區南傳馬町三丁目
代理店 門司・臺灣・横須賀・舞鶴・
    呉 ・大連・佐世保・靑島
 p42【京都商工人名録. 大正15年改版】
〔画像〕p42【京都商工人名録. 大正15年改版】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松風嘉定》瑞西國「ジュネーヴ」第七回國際労働總會・使用者代表委員ニ指名:大正14年3月25日

《松風嘉定》瑞西國「ジュネーヴ」第七回國際労働總會・
使用者代表委員ニ指名:大正14年3月25日

大正十四年三月二十四日起草
  主管 人事課長
     内申 大正十四年三月二十四日
     發表 大正十四年三月 廿五日
   内申案
       松風嘉定
瑞西國「ジュネーヴ」ニ於テ第七回國際労働總會開催ニ付
使用者代表委員ニ指名ス

       鈴木文治
瑞西國「ジュネーヴ」ニ於テ第七回國際労働總會開催ニ付
使用者代表委員ニ指名ス

右之通發令相成候様致度此段及内申候也
 B04122202400-3
〔画像〕B04122202400-3
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レファレンスコード B04122202400
件名    2.七回
【 画像数 】24
作成年月日 大正14年3月24日
作成者   人事課長
組織歴   外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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[京都倶楽部]外国関係団体組織ニ関スル件:都ホテル・大正13年3月19日

[京都倶楽部]外国関係団体組織ニ関スル件:都ホテル・大正13年3月19日

  主管欧米局 第二課
特外第九七号
  大正十三年三月二十五日 大正十三年四月五日記録係接受
    京都府知事 池松時和
 〔機密 受第1832號 13.3.29〕 情報部第二課
 内務大臣 水野錬太郎殿
 外務大臣 松井慶四郎殿
 指定庁府県長官殿

    外国関係団体組織ニ関スル件
左記ノ者発起人トナリ京都倶楽部ト称スル団体ヲ組織
シ各自ノ親睦並ニ智識ノ向上ヲ図ルト共ニ
外来名士トノ社交ニ供シ以テ
国民外交ノ一助タラントスル目的ニテ
之レガ実現ニ奔走中ノ処
本月十九日午後五時三十分市内都ホテルニ於テ
発起人会ヲ開催シ入会資格其他会則等ニ付協議ヲ遂ゲ
同十一時散会セリ
而シテ目下ノ処約二百名ニ達スル見込ニテ
来ル五月五日同ホテルニ於テ発会式挙行ノ予定ナリ
右及申(通)報候也
   記、
  発起人 田中 博
   〃  大澤徳太郎
   〃  松風嘉定
   〃  後川文藏
   〃  飯田政之助
   〃  稲垣恒吉
 B03041019600-2
〔画像〕B03041019600-2

  発起人 守屋孝藏
   〃  湯浅七左衛門
   〃  田邊 朔郎
   〃  河西三九郎
   〃  秋山愛三郎
         以上、
 B03041019600-3
〔画像〕B03041019600-3
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レファレンスコード B03041019600
件名    5.海外同盟神戸支部
作成年月日 
作成者   京都府知事 池松時和//兵庫県知事 平塚廣義
組織歴   外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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出願者 松風嘉定[海面埋築ニ関スル件]慶尚南道釜山府絶影島靑鶴洞地先:大正6年

出願者 松風嘉定[海面埋築ニ関スル件]慶尚南道釜山府絶影島靑鶴洞地先:大正6年

p22-29/54

鎭要港五號一四五ノ二  p22/54
  大正六年十一月九日
    鎭海要港部 司令官代理
     海軍大佐 伯爵 佐野常羽
   海軍大臣 加藤友三郎殿
     海面埋築ニ関スル件
本件ニ関シ別紙冩ノ通リ朝鮮総督府
政務総監ヨリ照會有之候ニ付當部ニ於テハ
差支ナキ㫖回答致候
右報告ス
    (別紙二葉添)  (終)
C08021039800-22
〔画像〕C08021039800-22

土第二五四五號  p23/54
  大正六年十一月三日
    朝鮮総督府 政務総監 山縣伊三郎
   鎭海要港部 司令官殿
        海面埋築ニ関スル件
一、位   置 慶尚南道釜山府絶影島靑鶴洞地先
一、埋築 面積 壹千六百貮拾八坪
一、目   的 工場敷地
一、着手 期限 許可ノ日ヨリ一ヶ月以内
一、竣工 期限 着手ノ日ヨリ三ヶ月以内
一、出 願 者 松風嘉定
一、出願者原籍 京都市下京區清水町二丁目十八番戸
C08021039800-23
〔画像〕C08021039800-23

一、出願者現住所 同上  p24/54
一、命令條件  官有水面埋立規則第十三條ニ依リ
        公益上必要アルトキハ何時ニテモ無償ニテ
        許可ヲ取消シ又ハ命令條件ヲ増減変更シ得ヘキ
        規程アリ
右ニ関シ貴官ノ御意見承知致度関係圖面添付
此段及照會候也
C08021039800-24
〔画像〕C08021039800-24

※図面あり:p26-29/54
[釜山絶影島北岸一部平面圖]
 縮尺三千六百分之一
 旧海軍貯炭場
《松風嘉定埋築出願》
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レファレンスコード C08021039800
件名 埋立3止(4)
【 画像数 】54
作成年月日 大正6年10月27日~
      大正6年11月20日(1917/10/27 - 1917/11/20)
作成者   朝鮮総督府政務総監山県伊三郎/
      /大湊要港部司令官代理 海軍大佐東条明次
組織歴   海軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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[影島区]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
影島区(ヨンドく)は大韓民国釜山広域市の南部に位置する区。
影島と附属の島からなる。
歴史
影島はかつては絶影島と称され、
日本統治時代には牧島(牧の島)とも呼ばれた。
「絶影島」の名は駿馬を意味するとも、
空島政策のため人影がなかったためとも説明される。
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松風嘉定氏と其事業【事業と人物】近藤乙吉(泥牛學人)大正6年

松風嘉定氏と其事業【事業と人物】近藤乙吉(泥牛學人)大正6年

【事業と人物】
松風嘉定氏と其事業  p87-89/155
  松風陶器合資會社=日本硬質陶器株式會社=
  松風機械部=大阪電機株式會社

 製陶界の巨頭
 p87【事業と人物】大正6年
〔画像〕p87【事業と人物】大正6年

 松風陶器合資會社
 p88【事業と人物】大正6年
〔画像〕p88【事業と人物】大正6年

 松風機械部
 大阪電機の救済
 p89【事業と人物】大正6年
〔画像〕p89【事業と人物】大正6年

大正六年八月廿八日印刷
大正六年九月 十日發行
著 者 近藤 乙吉
    大阪府下豐能郡池田町建石町二〇二五
發行人 玉木 源郎
    大阪市東區和泉町二丁目九番地
印刷人 岡本 省三
    大阪市東區農人町一丁目三十三番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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松風嘉定君【京都新人物百短評】京阪 萬朝社・大正1年(1912)

松風嘉定君【京都新人物百短評】京阪 萬朝社・大正1年(1912)

【京都新人物百短評】
  松風嘉定君  p81-82/117
創意新案の電氣陶磁器に依つて汎(あま)ねく併せて
獨占的利益を獲得したのは實に我が松風君である、

勿論子孫の爲め購(あがな)ふた祖先の遺産美田が
君が幾分今日の勝利を助け得たにしても
是は君あるに於て始めて爲(な)すを得たものだ、

即ち君が創意的天才と經營的能才は
無論此の偉大なる勝利の原因であるのだ。

今や君の事業は強固なる地盤の上に据へられ烈
風荒(すさ)むとも微産(みじん)動揺の憂は莫(な)い、

今稻荷(いなり)の片田舎に雌伏し
滿を持して敢(あへ)て放たず、

而も交際場裡より隱れて經營其職に倒れんとするは
君に於て始めて是得らるゝ美事だ、

我輩は京都實業界に君の如き人物の存在を心強く思ふ。

大正元年八月二十日印刷
大正元年九月十五日發行  定價金壹圓
著作者  京阪 萬朝社編輯部
     京都市河原町夷川上ル
右代表者 武藤 欽
     京都市河原町夷川上ル
印刷者  竹本 梅次郎
     京都市麩屋町二條上ル
印刷所  文 字 堂
     京都市麩屋町二條上ル
發行所  京阪 萬朝社營業部
     京都市河原町夷川上ル
     電話上二三六四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《松風嘉定等》地主姓名:京都市東山区清水二丁目【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

《松風嘉定等》地主姓名:京都市東山区清水二丁目
【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年8月
元組名   所    在   町 名  地圖頁 附錄頁
元廿一組 清水坂清水寺門前 清水二丁目 八七  二九八 p11/252
清水寺門前清水二丁目  p162-163/252
清水二丁目       p163/252
地番    地目  反別(坪・反) 地主姓名
二二〇   宅地   二四・九四  福島 巳子
二二一   宅地   三五・六一  福島 巳子
二二一ノ一 宅地   三三・七九  白勢 長衛(越後國北蒲原郡金塚村)
二二二   宅地   八五・三〇  石田 ユキ
二二三
二二四   宅地   四五・三五  岩月 ハマ
二二五   山林     ・三二八 田中 政吉
二二六   宅地   六五・〇二  岩月 ハル
二二七   宅地   七〇・一四  岩月 ハル
二二八   山林     ・一一一 清水寺
二二九   宅地   五三・七三  林 八兵衛
二三〇   宅地   四五・五八  吉野 フク

二三一   宅地   四三・五八  松風 常太郎(三代目嘉定)
二三二   宅地  一四六・八〇  吉野 フク
二三三   宅地   四二・七一  松風 嘉定(二代目嘉定・嘉響)
二三四   宅地   三九・四六  松風 榮助
二三五   宅地  一三三・〇九  松風 榮助
二三五ノ一 宅地   二七・四七  松風 元之助(三代目嘉定の義兄)
二三五ノ二 宅地   四九・四四  松風 榮助(三代目嘉定の義弟)
二三六   宅地   三九・一八  松風 榮助
二三七   宅地   九七・七九  松風 榮助
二三八   宅地   六三・九四  松風 榮助
二三九   宅地  一九四・二八  松風 嘉定
二四〇ノ一 宅地   四九・六一  松風 嘉定
二四〇ノ二 宅地   五二・一六  酒見 久吉

二四一   山林     ・五〇一 松風 榮助
二四二   宅地   八七・二五  鈴木 マス
二四三   宅地   二四・一一  古川 ヤナ
二四四ノ一 山林     ・七一九 吉野 フク
二四四ノ二~二四五 合地
      山林     ・七一八 松風 嘉定
二四六   宅地  一三二・一九  吉野 フク
二四七
二四八   宅地   一九・六五  眞福寺
二四九   宅地  二七四・四六  吉野 フク
二五〇ノ一 宅地  一三三・九三  森  善治
二五〇ノ二 宅地    六・二一  森  善治
二五一   宅地   四〇・〇二  森  善治

【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
87 (元二十二組)清水二町目 清水三町目
※赤枠が松風家の土地
二三五ノ一 宅地   四九・四四  松風 榮助
⇒誤記⇒
二三五ノ二 宅地   四九・四四  松風 榮助
 p89【京都市及接続町村地籍図. 第2】清水二丁目
〔画像〕p89【京都市及接続町村地籍図. 第2】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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松風の創業者 松風嘉定について
 美術陶磁器から人工陶歯まで
        今村 嘉宣
Ⅱ.松風家の系譜  p1/12
1.初代松風嘉定(しょうふう かじょう)
  〈僧より転じた製陶家〉
 尾張の国鳴海の出身で山科小栗栖の寺の住職をしながら
半僧半俗の托鉢生活をしていた。
筆墨の道にも長けた僧で、趣味で陶芸を学んでおり、学問は和漢に通じ、
美術品に対する鑑識の眼力は時流を抜く存在であった。
清水坂に移り嘉永元年(1848)ごろから製陶業を本業とする。
当時、磁器の多くは概ね中国より渡来のもので
原材料は国内で入手が難かったが、
初代は磁器の将来を見込んでその製造研究に傾倒した。
 「松風」家名の由来は諸説あるが、
清水寺御詠歌の「松風や音羽の瀧の清水を結ぶ心は涼しかるらん」
からとされている。

2.二代目松風嘉定(嘉響)  p2/12
〈清水における輸出磁器製造の嚆矢〉
 尾張国東春日井郡大泉村の山田家の出身。
天保13年(1842)に生まれる。
瀬戸で製陶を学び、三代目嘉定実父の井上延年と仲間であった。
経営の才能があり、慶応2年25才の時、
初代嘉定にその腕を見込まれ、養子として二代目となる。

Ⅲ.三代目松風嘉定〈窯業を近代工業化した先駆者〉
1.三代目嘉定の略歴
 明治3年(1871)に瀬戸の陶工井上延年の長男
常太郎として瀬戸に生まれる。
 明治11年(1879)常太郎8歳の折、
名古屋の博覧会に行幸の明治天皇の御前で国貞県令に選ばれ、
獅子の小面をお捻りにてご披露する。
山高信離ご説明「天上の石麒麟」と賞賛される(図5)。
陛下より御賞詞賜る。
瀬戸美術学校を卒業し、一時東京の井上良斎方に滞在する。
伏原有文に英語や漢文の指導を受ける。
明治21年 京都陶器株式会社に就職。
明治23年 二代目嘉定長女と結婚し三代目嘉定となる。
明治25年 京都陶磁器商工巽組合設立に尽力し設立する。
     先代より「松風亭」と号していたものを廃し「松風」と号する。
明治39年 松風陶器合資会社を設立する。社長就任。
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[南滿洲鐵道株式會社]〔33〕完:參與・監察役・待命【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

[南滿洲鐵道株式會社]〔33〕完
 參與・監察役・待命
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
[南滿洲鐵道株式會社] p50-60/73
(昭和十五年九月十五日現在)
 參 與        p60/73
參   與       田所 耕耘
同           中野 忠夫
同           古閑 正雄
同 東京在勤      坂本 直道
同           武田 胤雄
同           野中 時雄
同 (水運局)     桑原 利英
同 新京在勤      園田 一房
同 奉天在勤      上田 水足
同           田中  工
同           鹿野 千代槌
同           森田  進
同           小澤 宣義
同           野本 謙治
同           市川 健吉
同           田中 孝平
同           田邊 利男
同           古川 達四郎
同           趙 心 哲
同           塚本 良禎
同           箕作 新六
同           角田 不二男
 監察役
監   察       星野 龍男
同           山田  湊
 待 命
 ○總裁室
參   事       木原 二壯
副 參 事       三村 歡次
職   員       兒玉 富久
同           江崎 スエノ
 ○經理部
副 參 事       荒川  登
職   員       古谷 義太郎
 ○鐵道總局
參   事       日向  新
同           關口 藤吉
同           遠藤 万一郎
副 參 事       井上 一祐
同           岡田 善次郎
同           古井 兼松
同           説田 留吉
同           小野 芳雄
參   事       柴田 季太郎
副 參 事       豐島 新作
同           大澤 勝次
參   事       四方 辰次
同           千葉 千代吉
同           關 承 烈
同           山田 正二
同           齋藤 甚治
副 參 事       渡邊 周平
參   事       堀内 千代雄
副 參 事       杉本 政次郎
同           佐野 專太郎
參   事       喜田村 四郎
副 參 事       倉岡 周之助
參   事       小笠原 馨
副 參 事       田 文 炳
同           西尾 宇吉
同           齊藤  松
同           大橋 蔦治
同           渡部 文作
參   事       佐々木 善八
副 參 事       藤井 隆蔵
同           川西 信藏
同           片山 金太郎
同           京藤 治右衞門
同           池邊  淸
同           神田 末一
同           林  茂雄
同           山下 良武
同           小野 憲治
同           前川 鐵之進
同           尾上 由太郎
同           池内 眞澄
同           沖野 安造
同           酒井 熊太郎
副 參 事       只野 一正
同           松村 又一
參   事       林  節一
副 參 事       西村 和夫
同           福田  登
同           安食 長九郎
同           田畑 槌之助
同           川上  茂
同           小西 宗造
同           謝 廣 居
參   事       曾根  渉
副 參 事       山森 敷治
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[南滿洲鐵道株式會社]〔32〕新京支社・上海事務所【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

[南滿洲鐵道株式會社]〔32〕
 新京支社・上海事務所
【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
[南滿洲鐵道株式會社] p50-60/73
(昭和十五年九月十五日現在)
 新京支社       p59-60/73
支 社 長       平島 理事
次   長       神守 源一郎
調 査 役       福井 道二
職   員       秋山 隆太郎
同           橋詰 繁雄
  (内地特別派遣員)
東京在勤        增山 宗成
札幌在勤        吉川 忠雄
 ○庶務課
課   長       渡邊 雄二
庶務係主任       吉永 定一郎
秘書係主任       服部 虎雄
經理係主任       宮本 傳吉
弘報係主任       松本 信一
福祉係主任       小谷 澄之
住宅係主任       松尾 傳三郎
 ○業務課
課   長       渡邊 雄二
第一係主任       島貫 柳助
第二係主任       佐藤 長治
第三係主任       山田  勳
第四係主任       岡川 榮藏
 ○鐵道課
課   長       尾崎 久市
總務係主任       白井  卓
營業係主任       平井  弘
輸送係主任       小口 光男
自動車係主任      和田 道信
水運係主任       岡島 正義
輸送係主任       松實 不二夫
工務係主任       深町 新平
 ○調査室
主   事       安盛 松之助
調 査 役       安盛 松之助
第一係主任       松岡 瑞雄
第二係主任       二星 豐彦
第三係主任       甘粕 四郎
第四係主任       中楯 壽郎
第五係主任       夷石 隆壽
第六係主任       細見 健三
第七係主任       岡崎 次郎
第八係主任       原田 佑四郎
 ○新京用度事務所
所   長       缺   員
第一係主任       缺   員
第二係主任       缺   員
 ○北滿經濟調査所
所   長       安盛 松之助
庶務係主任       松岡 瑞雄
農業係主任       二星 豐彦
出納係主任       岡部 志津夫
資料係主任       篠崎 武雄
 上海事務所
所   長       伊藤 武雄
調 査 役       中川 喜久松
同           木村 賢太郎
同           天野 元之助
調査役 漢口在勤    小島 憲市
 ○庶務課
課   長       江間 江守
庶務係主任       曾田 正彦
文書係主任       菅野 大三九
經理係主任       仲尾 次彌善
渉外係主任       德岡  照
 ○調査室
主事 事務取扱     伊藤 武雄
幹   事       濱  正雄
業務係主任       三輪  武
第一資料係主任     大形 孝平
第二資料係主任     德岡  照
統計係主任       逸見 顯善
第二係主任       眞鍋 藤治
第三係主任       木村 賢太郎
第四係主任       長澤 武夫
第五係主任       内ケ崎 虔二郎
第六係主任       河田 學夫
第七係主任       山崎  進
第八係主任       前島 正道
第九係主任       林田 和夫
第十係主任       高岡 重利
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
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