私(元田肇)が小野梓君から法學會に入れ…:
日本新聞 [Nippon Shimbun], (São Paulo, Brazil)
昭和8年(1933)11月29日
Nippon Shinbun / 日本新聞 [Nippon Shimbun], (São Paulo, Brazil)
主に沖縄出身者によるグループが『南米新報』買収し、
『日本新聞』を1932年に創刊した。
社長は翁長助成、編集長には中西周甫が着任した。
翁長は日本の『ジャパンタイムス』や
『伯剌西爾時報』での仕事の経験があり、
二世が良きブラジル人となる教育を提唱、
日本よりブラジルを優先させた。
在ブラジル大使館とはしばしば異なる見解を示し、
独自路線を貫き、経営は苦しかった。
1941年外国語新聞の発行がブラジルで禁止され、廃刊した。
https://hojishinbun.hoover.org/?a=cl&cl=CL1&sp=nih&e=-------ja-10--1--img---------
日本新聞 一九三三年十一月二十九日 ※昭和8年
Nippon Shinbun, 1933.11.29:Page 3
靑年利用論 【上】
三太郎 生
―略―
政會の元老、元田肇氏は斯う昔を追懐してゐる。
「人間は、一寸したことで一生の運命に非常な差を生じますね。
私が小野梓君から法學會に入れと勸められたのを
斷つて行かなかつたために、
之に入つた同窓の友人達辯護の業務の上に於ても
以來階級を異にし萬事に反對の地位に立つやうになり、
小野君の世話をした代言人の連中は主として
今日の言葉で云ふブルジョア階級の代言人又は實業家となり、
それ等と反對に私はプロレタリアと云ふ階級。
大衆の代言人、主に貧乏人側の代言人になつた譯で、
最初の一寸しか違ひは後々には大變な違ひとなつて來るものです」
元田氏は帝大を出て直後の官界入りを自ら拒んで、
そしてこのやうな結果となつたのである。
〔画像〕nih_19331129_0003
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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