2020年10月

[大連西公園の一隅②]安藤テルと猛虎【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年

[大連西公園の一隅②]安藤テルと猛虎
【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年

【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年
 [大連西公園の一隅]  p58-62/148


 丁度、其時露國極東總督府の一室に、
嚴重にしまいこまれてあつた軍機密地圖が、
いつの間にやら粉失したと云ふ一大事件が勃發した。
 露國官憲は一生懸命になつて、
其軍機密地圖の行衞を捜索したけれでも、
少しの手がかりもない。
事件は益々迷宮に入らんとした時、
其嫌疑は當時飛ぶ鳥も落す樣な勢力のある、
露國極東總督アレキセーフ將軍の愛妾である、
安藤テルと云ふ日本美人の上にかゝつた。
種々取調べの結果、とうとう安藤テルは極刑を申渡された。

 當時、今の西公園に一疋の猛虎が養はれてあつた。
 鐵檻の裡で、生血に餓えてゐた猛虎は、
鐵の格子で其鋭い爪を磨いて、折からの寒
月に嘯いて居た。
 憐れにも、安藤テルは衆議の結果、
その餓虎のいけにえに上らすことに一決した。
そして泣き叫ぶテル女を、手とり足取り、虎の檻に投げ込んだ。
久しく生物(いきもの)の血に餓えて居た檻の中の虎は、
舌なめずりしつゝ
恐氣(おぢけ)立つて震ひ戰慄(おのゝ)いて、
正體もないテル女の側に迫つた。
 やがて一聲高く咆哮すると見る間に、
鋭い利鎌の樣な爪は、白い柔い女の肌に觸れた。
觸れたと思ふ刹那、鮮血はサツト迸つてテル女の身體は、
バリ…バリ…と引裂かれてしまつたと云ふ事である。

 餓虎の犠牲となつて、
紅い殉難の血潮に咽んで倒れた可憐の大和撫子よ。
 それは日露戰爭當時、
その裏面に絡まる憐れな物語りとして、
隨分喧傳されたものであつた。
 此事があつて以來、このダルニー公園虎公園と呼びなされた。
其後、此ダルニー公園が日本軍の手に歸して、
西公園と改稱されたのである。
今も尚、西公園の事を虎公園と云ふ人がある。
そして、當時血に餓えた猛虎が居たと云ふ
古い鐵製の檻が現存して居るのである。

 然し、實際かゝる涙ぐましい、
殉難の血潮で色彩(いろど)られた悲痛な物語りは、
一種の傳説か、
或る好事者が面白くロマンチツクに拵え上げた、
全々架空の物語りに過ぎない。
 又、女軍事探偵安藤テル等云ふ女は跡方もない人物だ、
えてして戰爭中などは、
其國民の敵慨心を極度に昂上せしめんがための常用手段として、
こういふ風な架空の物語りは、何處でも流布されるものだ。

 明治三十七年五月、ダルニーが日本軍の手に占領された當時、
今の大連西公園の檻の中には、
純露西亞産の猛虎が咆哮して居たのは事實である。
 當時の事を知つて居る人は次の樣な事を物語つた。
 『誰が作りあげたか知らぬが、日本の婦人が祖國のため、
  猛虎の餌食になつたな
  どと云ふ事は、
  全々架空な物語りに過ぎません。
  無論、大連が日本軍に占領された當時、
  左樣に面白く潤色され、喧傳された毛並の美しい虎が、
  ダルニー公園の鐵の檻の中に居たのは事實です。
   今でも其虎は剝製になつて、大連の第三小學校に、
  標本として飾られて居る筈です。 ※常盤小学校
  何しろ、當時のダルニー公園と來たら、
  實にお粗末千萬なものであつて、
  公園とは名のみで何の設備もなく、
  草茫々たる有樣でした。
   その雜草の繁茂(おいしげ)つて居る中に
  頑丈な鐵の檻のみが淋しく立つて居るのでした。
   その檻の裡から、時折物凄い虎の唸り聲が、
  四邊(あたり)の寂寞を破つて響いて來るのを聞く毎に
  何だか一種異樣な感に打たれて居りました。
   例の安藤テル女の殉難の事などは、嘘と知り乍ら、
  淋しい秋の夜の月が、
  家まばらなダルニー荒原を照らして居る時など、
  その猛虎の凄い唸り聲を聞くと、
  日露戰爭裏面に傳はる哀れな物語りなどを、
  しみじみ思ひだす事も度々ありました。
   確か、その虎は明治四十二年の春二月頃、死んだ筈です。』…
 大連第三尋常小學校の標本室に、 ※常盤小学校
空しく剝製となつて存して居る、その傳説の虎にして、
若し靈あつて當時の事を觀得する事が出來たならば、
蓋し感慨無量なるものがあるであらう。

昭和七年十二月二十五日印刷 定價金壹圓五拾錢也
昭和八年 一月 一 日發行   特價六拾錢
著 者 奥野 復堂
發行者 東京市小石川區上富坂町十七番地
    成田 茂策
印刷所 東京市小石川區戸崎町九十二番地
    己羊社印刷部
發行所 東京市小石川區上富坂町十七番地
    己羊社
    振替東京 八九四三番
    電話小石川六五八八番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[青枠]第三小学校=常盤小学校
    西 公 園(園が記載もれ)
p33-50西公園【露西亜時代の大連】大正13年
p33-50西公園【露西亜時代の大連】大正13年

[青枠]常盤小学校=第三小学校
    西 公 園
p8-50西公園【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
p8-50西公園【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[大連西公園の一隅①]旅順要塞の築城土工【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年

[大連西公園の一隅①]旅順要塞の築城土工
【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年

【満蒙人の性欲と恋愛】昭和8年
 [大連西公園の一隅]  p58-62/148

 滿洲大陸の一大關門である大連に上陸した人は、
そこに西公園と稱する立派な公園を見出すであらう。
 此公園は、植民地のシンボルとも云ふ樣な、
或特殊の線と、色とを有して居る氣持の好いパークである。
殊に其線と色とが強く表はれるのは、
晩春から初夏の候にかけてゞある。
 植民地特有のアカシヤの花が咲き亂れる頃、
この公園は全くその馥郁たる馨につゝまれてしまう。
白く夢の樣に咲き亂れるアカシヤの花……
そして、甘く輕いデリケートの馨を持つアカシヤの香ひ……
西公園は全く植民地的公園である。
そして、此公園は植民地にふさはしい樣な、
一種のローマンスを持つてゐるのである。

 明治三十六年の暮から、明治三十七年の初春にかけて、
日露の國交はどうも穏やかでない。
日露兩國の軍事當局者や、外務當局者は、
こゝを先途と盛んに暗中飛躍を試
みる樣になつた。
日露兩國より等しく軍事上、最大の要處と目されてゐた
旅順、大連、金州にかけて、
その一帶の要塞は次第に戰時狀態に移つて行く。
旅順や大連あたりをうろうろ、うろつく怪しの支那人には、
露國官憲の眼が光つて來る。

 どうも日露兩國の雲行が、日一日、刻一刻と怪しくなつて來た。

 旅順要塞の築城土工は、
滿洲としては未曾有の大げさな計劃の下に、
開始さるゝ樣になつた。
日に何千といふ支那苦力(クーリー)は、
夜に日をついで大工事の工程を急いだ。
當時、同要塞の父と謳はれた當年の猛將、
コンドラテンコ少將が具さに同要塞の各部を檢し、
難攻不落と云ふ自信の下に、
其一角に立ち長劍にそりを打たして、
遙かに日東の天地を睥睨し、
ひそかに東亞の風雲を顧みて會心の微笑をもらした時、
旅順要塞は全くコンドラテンコ將軍の、理想通りに築城された。

 其築城大工事の終了と同時に、
露國官憲は其築城の最大要處に使役した、
支那苦力を招待して盛大なる慰勞宴を張つた。
招待を受けた苦力共は、
飲めや唄へやと大浮かれに浮かれ出した。
宵の内は大騒ぎに騒いで居た苦力の聲が、
夜が更けるに從つて次第々々に細くなつて、
明け方間近くなると、其聲がぱつたり止んだ。
そして、澤山の苦力は、幾日たつても幾日たつても、
其建物から出て來なかつたさうである。


昭和七年十二月二十五日印刷 定價金壹圓五拾錢也
昭和八年 一月 一 日發行   特價六拾錢
著 者 奥野 復堂
發行者 東京市小石川區上富坂町十七番地
    成田 茂策
印刷所 東京市小石川區戸崎町九十二番地
    己羊社印刷部
發行所 東京市小石川區上富坂町十七番地
    己羊社
    振替東京 八九四三番
    電話小石川六五八八番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[青枠]第三小学校=常盤小学校
    西 公 園(園が記載もれ)
p33-50西公園【露西亜時代の大連】大正13年
p33-50西公園【露西亜時代の大連】大正13年

[青枠]常盤小学校=第三小学校
    西 公 園
p8-50西公園【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
p8-50西公園【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大連市街圖【露西亜時代の大連】大正13年

大連市街圖【露西亜時代の大連】大正13年

【露西亜時代の大連】大正13年

p29【露西亜時代の大連】大正13年
p29【露西亜時代の大連】大正13年

大連市街圖 縮尺二萬分ノ一
p30【露西亜時代の大連】大正13年
p30【露西亜時代の大連】大正13年

p31【露西亜時代の大連】大正13年
p31【露西亜時代の大連】大正13年

p32【露西亜時代の大連】大正13年
p32【露西亜時代の大連】大正13年

赤枠 大連税関(山縣通)
   高等女学校=弥生高等女学校
   第三小学校=常盤小学校
青枠 高等女学校=神明高等女学校 満鉄病院
p33【露西亜時代の大連】大正13年
p33【露西亜時代の大連】大正13年

p34【露西亜時代の大連】大正13年
p34【露西亜時代の大連】大正13年
大正十三年七月十五日印刷 (露西亞時代の大連)
大正十三年七月二十日發行  定價 壹圓六拾錢
著 者 上田 恭輔
發行者 濱井松之助
    大連市浪速町九十三番地
印刷者 芦澤 臺甫
    大連市東公園町二十一番地
滿洲日日新聞社印刷所印刷
發 兌 大阪屋號書店
    大連市浪速町
    本店 東京、支店 旅順、奉天、京城
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
大連市街圖・連鎖商店街各業種配置圖
【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】
大連市街圖  關東州地圖
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大連市街圖・連鎖商店街各業種配置圖【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】

大連市街圖・連鎖商店街各業種配置圖
【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】

【大連市に於ける営業分布に関する調査. 昭和10年7月調査】

大連市街圖  關東州地圖 p8/70
p8-70【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
p8-70【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11

大連市街圖        p9/70
昭和九年九月二十九日旅順要塞司令部許可濟
p9【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
p9【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11

連鎖商店街各業種配置圖  p52/70
p52【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
p52【大連市に於ける営業分布に関する調査】S11
昭和十一年六月十八日印刷
昭和十一年六月二十二日發行
著作兼 大連市敷島町八十二番地
發行人 長永 義正
印刷人 大連市東公園町三十一番地
    吾妻 力松
印刷所 大連市東公園町三十一番地
    滿洲日日新聞社印刷所
發行所 大連商工會議所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2020年10月29日
大連市街圖【露西亜時代の大連】大正13年
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大連商業學堂規則・金州農業學堂規則【官報. 1923年07月31日】大正12年【官報. 1940年06月17日】昭和15年

大連商業學堂規則・金州農業學堂規則
【官報. 1923年07月31日】大正12年
【官報. 1940年06月17日】昭和15年

【官報. 1923年07月31日】大正12年
◎關東廰令第十一號  p2/26
大連商業學堂規則左ノ通定ム
 大正十二年三月十七日
    關東長官 男爵伊集院彦吉
  大連商業學堂規則
第一條 大連商業學堂ハ支那人ニ
    商業ニ關スル須要ナル知識技能ヲ授ケ
    兼テ德性ヲ涵養スルヲ以テ目的トス
第二條 商業學堂ノ修業年限ハ三年トス
    商業學堂ニハ專修科ヲ併置スルコトアルヘシ
    專修科ノ修業年限ハ一年以内トス
第三條 ―略―
 ~
第二十五條 ―略―
   附 則
本令ハ大正十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス

◎關東廰令第十二號  p2-3/26
金州農業學堂規則左ノ通定ム
 大正十二年三月十七日
    關東長官 男爵伊集院彦吉
  金州農業學堂規則
第一條 金州農業學堂ハ支那人ニ
    農業ニ關スル須要ナル知識技能ヲ授ケ
    兼テ德性ヲ涵養スルヲ以テ目的トス
第二條 農業學堂ノ修業年限ハ三年トス
    農業學堂ニハ專修科ヲ併置スルコトアルヘシ
    專修科ノ修業年限ハ一年以内トス
第三條 ―略―
 ~
第二十五條 ―略―
   附 則
本令ハ大正十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス

【官報. 1940年06月17日】昭和15年
◎關東局令第二十六號  p4-5/17
大連商業學堂規則中左ノ通改正ス
 昭和十五年四月一日
  滿洲國駐箚特命全權大使 梅津美治郎
第二條第一項中「三年」ヲ「四年」ニ改ム
   附 則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
本令施行ノ際現ニ在學スル生徒ノ修業年限ハ
仍從前ノ例ニ依ル

◎關東局令第二十七號  p5/17
金州農業學堂規則中左ノ通改正ス
 昭和十五年四月一日
  滿洲國駐箚特命全權大使 梅津美治郎
第二條第一項中「三年」ヲ「四年」ニ改ム
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

◎阿片◎貸席◎藝妓置屋等【帝国商工信用録 : 分冊. 昭和11年度版 [大連市ほか]】

◎阿片◎貸席◎藝妓置屋等【帝国商工信用録 : 分冊. 昭和11年度版 [大連市ほか]】

【帝国商工信用録 : 分冊. 昭和11年度版 [大連市ほか]】
 滿洲版配列順序 p5/287
 大 連 市   p6/287
◎寫眞撮影    p17/287
三船德造  大連市連鎖街銀座通 営業税一九
◎和洋樂器    p17/287
一木敏之  大連市西通七八   営業税八七

◎玉突臺     p18/287
  撞球用品
八木重春  大連市聖德街三ノ六五 営業税一四
◎ゴルフ道具 p18/287
赤松鹿之助 大連市愛宕町二    営業税九二

◎阿 片     p21/287

◎旅館(下宿)  p48-49/287
 ホテル

◎和洋料理    p49-50/287

◎炊事(請負)  p50/287
◎貸 席     p50-51/287
川本茂藤市郎 大連市逢坂町一一 營業税 二五〇
[逢坂町遊郭組合]p51/287
大連市 逢坂町一六四
貸座敷業ノ組合
設 立 明治三十九年
取 締 高本 吉郎
副取締 中野 常助
會 計 八尋雄次郎
事務長 宮崎 泰任
組合員=六十七名
電 話 三{四七四二 三二一七}

◎藝妓置屋   p51/287
◎飲食店    p51-54/287
 カフヱー・うどん・壽司

◎映畫館    p54/287
[常盤座]
大連市連鎖街
活動寫眞 常設館 松竹キネマ 洋畫各社 上映
設 立  昭和四年
館 主  小泉 友男(廣島縣出身)
電 話  三、二二九三
錢正隆
収容人員 千三百名

[合資會社 中央映畫館]
大連市西廣場
活動寫眞常設館
松竹映畫 滿洲封切場
メトロゴールド ウインメーヤ映畫 全滿配給所
設 立  昭和六年
代表者  南  信夫(出身地 和歌山)
支配人  首藤勝三郎(出身地 大阪府)
電 話  二一三三
収容人員 九百人

◎遊技場    p61/287
 麻雀・ダンスホール・玉突

關東洲 旅順市 p73/287

昭和十年十二月十日印刷
昭和十一年一月一日發行
帝國商工信用錄
   分冊 定價 金六圓
編輯兼 大阪市北區東野田町六丁目四五
發行者 藤江 福吉
印刷者 福岡市藥院中溝町一二ノ二
    八尋甲太郎
印刷所 福岡市藥院中溝町一二ノ二
    帝國商工會印刷部
發行所 大阪市北區東野田町六丁目四五
    帝國商工會
    電話 東 六六〇四番
    振替 大阪三六一六番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[大連税關(埠頭ビル)][大連駐在領事館]【大連商工案内. 昭和9年度版】

[大連税關(埠頭ビル)][大連駐在領事館]【大連商工案内. 昭和9年度版】

【大連商工案内. 昭和9年度版】
[大連税關(埠頭ビル)] p252/264
税 關 長  福本順三郎
副税關長   中村  元
總務科長   前田 芳助
税務科長   岡田 文雄
鑑査科長   木林 正嘉
統計科長   平田 五郎
監視科長   矢田 劣一
郵包科長   六郷 愼也

[大連駐在領事館]    p252-253/264
英國領事館 (越後町一  電話七三四一)
   領事 アール・マツクピー・オースチン
米國領事館 (奥町十二  電話四〇一八)
   領事 ジョン・カーター・ビンセント
瑞典名譽領事、和蘭名譽領事、フインランド名譽領事
      (東公園町三 電話二二三五四)
      ダブリユー・エイチ・ウイニング
獨逸領事館 (柳町七五  電話八六三二)
   領事 イー・ビシヨツフ
佛國名譽領事館  (山縣通二一二 電話二一六四八)
   領事 エフ・ゼイ・ブリナー
ソヴエツト領事館 (山縣通二 電話六四三二)
   領事 イワン・ダニロヴヰツチ・ミハイロフ
白耳義名譽副領事 (千歳町三二 電話二二五七九)
      古澤 丈作
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[大連市街圖][老虎灘方面略圖]【大連商工案内. 昭和9年度版】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大連市街及附近地價調(昭和九年八月)甘井子、周水子方面地價【大連商工案内. 昭和9年度版】

大連市街及附近地價調(昭和九年八月)
甘井子、周水子方面地價
【大連商工案内. 昭和9年度版】

【大連商工案内. 昭和9年度版】
大連市街及附近地價調(昭和九年八月) p190-193/264
町 名  最高  最低 p193/264
黄金町  三〇  一五
泉 町  一〇   五
西 町  一五   八
巴 町  二〇  一〇
元 町  二〇  一〇
仲 町  二五  一〇
京 町  三〇  一〇
大正通  四〇  一五
櫻花臺  二五  一五
松風臺  三〇  一五
靑雲臺  二五  一五
初音町  二五  一五
若松町  二五  一五
向陽臺  二〇  一〇
文化臺  二五  一五
光風臺  二五  一三
長春臺  二〇  一〇
晴明臺  二五  一五
桃源臺  二五  一三
臥龍臺  二五  一三
鳴鶴臺  二〇  一〇
平和臺  二五  一五
香月臺  一五  一〇
黑礁屯  四〇   五
月見岡  五〇  二五
靜ケ浦町 二〇  一〇
嶺前屯  一五   五
水明莊  三〇  一五
淸見町  一五  一〇
春陽臺  一〇   五
香月臺  一〇   五
小波町  一五  一〇

  甘井子、周水子方面地價       p193/264
1、棧橋及海員クラブ附近        五圓以上
2、中心を稍々離れたる場所       三圓五十錢
3、石山附近              二圓四、五十錢
4、山手(二三十町離れたる場所)畑地  一圓三、四十錢
5、海猫島附近             一圓七、八十錢
6、周水子寄リ金家屯凌水屯附近畑地   三圓五十錢

光風臺 p259/264
p259【大連商工案内. 昭和9年度版】
 
〔画像〕p259【大連商工案内. 昭和9年度版】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[大連市街圖][老虎灘方面略圖]【大連商工案内. 昭和9年度版】
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[大連埠頭]歴代ノ所(埠頭)長【大連港要覧. 昭和10年10月編】

[大連埠頭]歴代ノ所(埠頭)長【大連港要覧. 昭和10年10月編】

【大連港要覧. 昭和10年10月編】
◎ 大連埠頭  p38/51
1. 沿 革
1 明治40年4月
  會社營業開始ト同時ニ當所營業開始
  當時ノ名稱 大連棧橋事務所
  ―略―

2 歷代ノ所(埠頭)長 p39/51
     氏 名    就   任       退   任
調査役 坂口 新圃  明治40年 4月 1日 明治40年 4月23日
理 事 田中淸次郎  明治40年 4月23日 明治40年12月15日
所 長 相生由太郎  明治40年12月15日 明治42年11月14日
 同  楢崎猪太郎  明治42年11月24日 大正 7年 8月26日
 同  村井啓次郎  大正 7年 8月26日 大正 9年 3月11日
 同  梅野  實  大正 9年 3月11日 大正11年 1月17日
 同  貝瀨 謹吾  大正11年 1月17日 大正12年 4月21日
 同  市川 數造  大正12年 4月21日 昭和 2年 4月 5日
 同  羽田 公司  昭和 2年 4月 5日 昭和 2年11月21日
埠頭長 秋山 卯八  昭和 2年11月21日 昭和 5年 6月14日
所 長 羽田 公司  昭和 5年 6月14日 昭和 6年 8月 1日
 同  吉冨 金一  昭和 6年 8月 1日 昭和 7年11月22日
所 長 關根四男吉  昭和 7年11月22日 昭和10年 4月10日
埠頭長 杉本 義藏  昭和10年 4月10日
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大連山縣通リノ支那税關・大連ノ遊郭逢坂町【大連名勝写真帖】大正13年

大連山縣通リノ支那税關・大連ノ遊郭逢坂町【大連名勝写真帖】大正13年

【大連名勝写真帖】
左:大連山縣通リノ支那税關
右:大連取引所信託株式會社
p12【大連名勝写真帖】大正13年
〔画像〕p12【大連名勝写真帖】大正13年

左:大連遊郭逢坂町仲ノ町
右:大連ノ遊郭逢坂町
p26【大連名勝写真帖】大正13年
〔画像〕p26【大連名勝写真帖】大正13年
大正十三年七月二十日印刷
大正十三年七月廿五日發行
著作兼 旅順市乃木町
發行者 大西 守一
印刷者 東京市麴町區有樂町三丁目五番地
    葛西虎次郎
印刷所 東京市麴町區有樂町三丁目一番地
    株式會社 靑雲堂印刷所
    電話 靑山 長 三六一一番
發行所 旅順市乃木町
    東京堂
    電話 一七五番
    振替口座 大連一六六七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
小野文子:略歴
大正10年(1921)6月5日生
支那奉天省営口綏定門第15号 海関官舎
昭和5年(1930)~
大連市山縣通205番地 海関官舎
昭和9年(1934)~
大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
昭和18年(1943)3月6日 小野又一と婚姻
中国 四平街?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ