2021年04月

小倉鉄道と小林組(小林德一郎)の勃興【日本鉄道請負業史 明治篇 下】昭和19年

小倉鉄道と小林組(小林德一郎)の勃興
【日本鉄道請負業史 明治篇 下】昭和19年

【日本鉄道請負業史 明治篇 下】昭和19年(1944)
 第一二八 小倉鉄道と小林組の勃興  p305-306/327

 初め資本金百五十萬円の金邊鉄道株式会社なるもの設立され、
男爵小沢武雄専務となり山田寅吉を聘して技師長となし、
明治三十年二月 福岡縣小倉市付近の足立村高浜より
呼野、香春を経て下山田に至る約二十七哩の免許状を受け、
三十年六月起工式を挙げ
先づ金辺峠隧道開鑿より着手したが
其後経済界変動のため会社は非常の苦境に陥り
遂に工事を中止するに至った。

 然るに三十六年、岩田作兵衛
資本金百五十萬円の小倉鉄道を発起し金辺鉄道を買収、
明治四十五年五月金辺峠隧道工事に再着手し
次で全線工事を開始した。
請負者は不明であるが、
その一部の工事は左記の小林組の施工である。
大正四年四月、東小倉より上添田に至る二十四哩余を開通した。

 小倉の小林組小林德一郎は出雲の人にして
初め門司に於て微々
たる土木請負業を営みつゝあったがこの線路建設に際し、
小倉海岸の埋立工事を請負い一擧にして巨利を占め
爾來同組は順風に帆を揚げたるが如く
幸運に恵まれ忽ちにして大を爲すに至った。
門司停車場の鉄骨プラット・フォーム、
九州本線遠賀川の複線工事等
何れも仝組の施工である。

 組主小林德一郎は五尺足らずの小男なれど
精悍敏捷にして又
弁口に長し、
曾て軍人と衝突し、
軍人怒って剣に手をかけたを見るや、
小林は例の快辯を揮って、
「軍人の帶剣は國賊外敵を斃すために、
 陛下より許されしもの、
 それを以て吾々良民を斬らば、
 これ聖旨に背くの甚しきもの、
 斬れるものなら斬って見よ」とて
忽ち衣類を脱し素裸となり
「さァ斬れ」と
据り込みしたため相手の軍人も仕末に窮したと云う。

 小林德一郎は一面に於て非常な敬神家にて
出雲の大社に大鳥居を奉納し
宮司千家のためには有数の後援者となり、
また熊本の清正公祠にも、
某宮家御揮毫の額を奉納し、
御揮毫の御礼に数万金を値ひする
素晴しき緋縅の鎧一鏆を献上した。
宮家も其志を深く嘉され
大花瓶をお下げになったと云うことである。

 後年門司小倉附近に廣大なる地所を購入したが、
東京製鋼所が工場敷地として
小倉海岸の埋立を行はんとするに及び
小林は自己所有地所の大部分を無償にて会社へ提供し、
その代償として会社の埋立工事を引受けたと云う。
この製鋼所は後ち浅野製鋼所の買収する所となった。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年07月21日
《小林德一郎》[咸鏡北道明川郡]【鉱区一覧】大正8~9年
[虚言癖のあるオタクの友人]
2014年2月19日水曜日
『小林徳一郎略歴(大野伴睦回想録)』
島根県邑智郡出身
小学校もろくにでず
13歳で流浪の旅で北九州の炭鉱の田川市で坑夫
20歳で小林組(請負業)で親分
その後浅野セメントの工場建設で500万ほど儲ける
[虚言癖のあるオタクの友人]
2014年2月19日水曜日
『鳩山一郎と小林徳一郎(大野伴睦回想録)』
北九州一帯の大親分
九州小倉の炭鉱王
大野との出会い

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年10月24日
快男児・小林徳一郎1/2
[大野伴睦回想録]義理人情一代記・昭和39年
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須知高校 辻垣晃一様[須知高の高原に響く鐘─京都新聞 丹波版]の『鐘』についてmail 2021/04/15

須知高校 辻垣晃一様
[須知高の高原に響く鐘─京都新聞 丹波版]の『鐘』について
mail 2021/04/15

mail 2021/04/15(木)08:37
京都府立須知高等学校
地理歴史・公民科 教諭 辻垣晃一様

[須知高の高原に響く鐘 校歌のモデル可能性─京都新聞 丹波版]の
『鐘』は、
【我等の田園生活. 1927刊】昭和3年
一 場所 京都府船井郡高原村府立須知農學校
一 期日 (昭和二年)自七月二十五日至八月七日(二週間)
京都府立京都第一中学校生の寄宿生活に記載されている、
『鐘』と同じではないかと思いますが。

詳細は下記ブログを。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月13日
須知高の「高原に響く鐘」?⇒『鐘』
【我等の田園生活. 1927刊】昭和3年
https://kazuo1947.livedoor.blog/archives/34835264.html

※参考までに
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月14日
京都府立須知農林學校調査【農事必携全国天気予知】昭和23年

小野一雄
京丹波町中台垣内57
blog[小野一雄のルーツ]改訂版

須知高校 教諭 辻垣晃一様
〔画像〕須知高校 教諭 辻垣晃一様
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 須知高等学校 同窓会
須知高校誕生秘話と高原の鐘の発見について p2/2
地理歴史・公民科 教諭 辻垣晃一
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國道十八號線(觀音峠)改良工事 昭和八年度ニ於ケル時局匡救事業【直轄工事年報】昭和8~10年度

國道十八號線(觀音峠)改良工事 
昭和八年度ニ於ケル時局匡救事業
【直轄工事年報】昭和8~10年度

【直轄工事年報. 昭和8年度】
 第八二 國道十八號線(老ノ坂)改良工事 時局匡救 p526-529/554
     緒 言
本工事ハ昭和八年度ニ於ケル時局匡救事業トシテ
工費三十萬圓ヲ以テ施工中ノ處六千圓減額トナリ
二十九萬四千圓ヲ以テ施工セルモノニシテ
其區域ハ
京都府乙訓郡大枝村大字沓掛地内ヨリ
京都府南桑田郡篠村王子地内ニ至ル
延長二千九十米間トス

 第八三 國道十八號線(觀音峠)改良工事 時局匡救 p529-531/554
本工事ハ昭和八年度ニ於ケル時局匡救事業トシテ
工費三十萬圓ヲ以テ施工中ノ處
同年度ニ於テ四萬五千圓增額トナリ
三十四萬五千圓ヲ以テ施工セルモノニシテ
其區域ハ
京都府船井郡園部町大字木崎ヨリ
京都府船井郡竹野村大字新水戸ニ至ル間
延長二千五百六十米トス
     計畫大要
      -略-
     施工狀況
一 園部路床工事
二 竹野路床工事
三 觀音峠隧道工事
四 觀音峠暗渠工事
昭和十年八月二十八日印刷
昭和十年八月三十一日發行
    内務省土木局
印刷者 杉田彌太郎
    東京市麴町區麴町五丁目
印刷所 杉田屋印刷所
    東京市麴町區麴町五丁目
    電話九段(33)  五七四番
          長一一〇二番

【直轄工事年報. 昭和9年度】
 第八四 國道十八號線(京都)改良工事  p540-546/575
            八年度時局匡救
               時局匡救
     計畫大要
一 老ノ坂側
二 觀音峠側
昭和十一年十月十五日印刷
昭和十一年十月二十日發行
    内務省土木局
印刷者 豐田作治郎
    東京市葛飾區小菅町一二八四
印刷所 小菅刑務所
    東京市葛飾區小菅町一二八四
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022018/573

【直轄工事年報. 昭和10年度】
 第八四 國道十八號線(京都)改良工事  p446-450/474
            九年度時局匡救
               時局匡救
     計畫大要
(イ)老ノ坂方面
(ロ)觀音峠方面
本年度ハ工費ノ都合ニ依リ新ニ計畫ヲ樹立セズ
前年度工事ニシテ天候及時日ノ都合ノ爲メ竣工ニ至ラザリシ
木崎路床工事ノ一部及觀音峠路面工ヲ繰越シ施工セリ
     施工狀況
昭和十二年八月二十六日印刷
昭和十二年八月二十九日發行
    内務省土木局
印刷者 杉田彌太郎
    東京市麴町區麴町五丁目
印刷所 杉田屋印刷所
    東京市麴町區麴町五丁目
    電話九段(33) 〇五七四番
          長一一〇二番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月29日
観音峠(京都府船井郡園部町~竹野村)
工期 昭和8年7月~昭和9年8月
【本邦道路隧道輯覧】昭和16年
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観音峠(京都府船井郡園部町~竹野村)工期 昭和8年7月~昭和9年8月【本邦道路隧道輯覧】昭和16年

観音峠(京都府船井郡園部町~竹野村)
工期 昭和8年7月~昭和9年8月
【本邦道路隧道輯覧】昭和16年

【本邦道路隧道輯覧】昭和16年
 觀音峠隧道  p13/64
所在地  京都府船井郡 園部町 竹野村 觀音峠
延  長 246.00m
路線名  國道十八號線
線  形 直線
有效幅員 7.50m
工事執行方法 内務省大阪土木出張所
       京都國道改良事務所直轄工事
工  期 起 工 昭和8年7月24日
     掘 鑿 導坑 115日間
         切擴 226日間
     坑門工     70日間
     竣 工 昭和9年8月14日
     巻立工    132日間
     舗 裝     12日間
照明設備  -
掘  鑿 主要機械 電氣鑿岩機中山式3馬力2臺
     施工中の換氣排水設備 自然換氣 自然排水
     火藥使用量 導坑 0.65kg/爆破㎥
           切擴 0.135 〃
     穿孔長   導坑 4   m/爆破㎥
           切擴 6   〃

工事費  總工費  金額 170,110.6圓
          單價   691.5(圓/m)
p13【本邦道路隧道輯覧】昭和16年
〔画像〕p13【本邦道路隧道輯覧】昭和16年
昭和16年3月10日印刷
昭和16年3月20日發行
   内務省土木試驗所
    東京市本郷區駒込上富士前町26番地
     電話大塚(86)自3101番 至3103番
印刷者 井上源之丞
    東京市板橋區志村町5番地
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京市板橋區志村町5番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月29日
國道十八號線(觀音峠)改良工事 
昭和八年度ニ於ケル時局匡救事業
【直轄工事年報】昭和8~10年度
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兄事した小野梓氏の紹介で、大隈參議に逢ふ【大隈侯一言一行】大正11年

兄事した小野梓氏の紹介で、大隈參議に逢ふ【大隈侯一言一行】大正11年

【大隈侯一言一行】大正11年
  (三九) 學生を愛した侯  p90-91/294
 今から四十二三年前のことである。
其時分侯は現時の大臣以上に權勢の高かつた參議をして居られた。
官尊民卑の風が極めて旺んな頃だから、
參議と云へば、飛ぶ鳥をも落すほどの素ばらしい勢だつた。
一介の書生などは、
とても其側に寄り付けさうもなかつたのである。
 ところが、私は高田(早苗)博士らと大學に居て
將に卒業せんとする時代に其頃、
兄事した小野梓氏の紹介で、
大隈(重信)參議に逢ふことになつた。
そして私(市島謙吉)等數人のものが、雉子橋へ出かけて、
ずらりと列を爲して、始めて侯に謁した。
當時私はどんな風にして
侯が私等を迎へられるだらうかと思つて居た。
心から私等を歡迎して客分のやうに好遇された。
今になつて考へると、
それは、侯が學問に對する深い愛を持つて居られたからで、
從つて學問に身を委ねて居る學生を喜んで迎へられたのであらう。
 私等は、今の學生のやうに。
學校の制服を着るやうなこともなく、
破袴弊衣のまゝ、大手を振つて大道を濶歩すると云ふ風だつた。
まあ昔の漢學者に毛のはえたやうなものだつた。
かうして、風采には頓着しなかつたが、
意氣は、天下を呑み、識見は高くて、
參議の前だからと云つて、
決して小さくなつては居なかつた。
だが、侯は却つて左樣した點を愛せられたのであらう。

大正十一年二月廿五日印刷  大隈侯一言一行
大正十一年二月廿八日發行  定價金貳圓三十錢
著 者 市島 謙吉
    東京市牛込區東五軒町三五
發行者 種村 宗八
    東京市牛込區辨天町一五七
印刷者 渡邊八太郎
    東京市牛込區榎町七
發行所 早稻田大學出版部
    東京市牛込區早稻田
    振替東京一一二三番
    日淸印刷株式會社印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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圍碁の上から見た維新の元勳【大隈侯一言一行】大正11年

圍碁の上から見た維新の元勳【大隈侯一言一行】大正11年

【大隈侯一言一行】大正11年
  (三三) 圍碁の上から見た維新の元勳 p80-81/294
 (大隈重信侯爵)侯は圍碁の趣味を有せられて、
維新の元勳らと其伎倆を戰はせ、
盤上に時ならぬ風雲去來を味はれたが、
それについて、先年、侯が圍碁の上は現はれた
元勳の性格を適切に批評されたことがあつた。
 侯曰く
伊藤(博文)はあの位な才子だが、碁にかけては駄目だ。
 我輩よりは餘程下手である。
 福澤(諭吉)もあの位活達な男であつたが
 碁にかけては實に痴であつた。
 考へることが長くつて對手は實に困つた。
 岩倉(具視)と大久保(利通)は兩人ともなかなか上手であつた。
 どちらかと云ふと、大久保(利通)の方が少し上手であつた。
 ところが大久保(利通)は激し易い人であつたので、
 岩倉(具視)はその呼吸を知つて居るから、
 對局中、常に大久保(利通)を怒らせて勝を取つた。
 兒島惟謙はなかなか強情張りで
 圍碁にもなかなか岡目の助言を聞かぬ。
 どうしても助言に聽かざるを得ない時には、
 助言に從ふとは云はん、
 その手もあると云つて自分の思ひつきとして行る」と。

大正十一年二月廿五日印刷  大隈侯一言一行
大正十一年二月廿八日發行  定價金貳圓三十錢
著 者 市島 謙吉
    東京市牛込區東五軒町三五
發行者 種村 宗八
    東京市牛込區辨天町一五七
印刷者 渡邊八太郎
    東京市牛込區榎町七
發行所 早稻田大學出版部
    東京市牛込區早稻田
    振替東京一一二三番
    日淸印刷株式會社印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大隈侯の西郷從道評「あれは貧乏德利だよ」【大隈侯一言一行】大正11年

大隈侯の西郷從道評「あれは貧乏德利だよ」【大隈侯一言一行】大正11年

【大隈侯一言一行】大正11年
著者の親族方に宿られし際の撮影 p5/294
侯 の 書 (大隈家藏)    p8/294
靑年時代の侯の詩書       p9/294

  (三二) 侯の西郷從道評  p79-80/294
 (大隈重信侯爵)侯の人物評は、侯一流の警抜なところがあつて、味が深い。
侯は、ある時、現代の政治家を評された序に、
西郷從道侯の人物に言及して
「あれは貧乏德利だよ」と唯一言で、其の特色をつくされた。
 成程、從道侯は、貧乏德利だ。
と云ふ意味は、從道侯が生前、どの内閣にも列して、
一種の調和劑となり、平生は茫漠として、
要を得ぬが如くであるけれども、
さて從道侯が内閣に居なくては困る。
と云ふ長所があつた。
貧乏德利の功能は、何人も注意しないが、
どこの臺所にもなくてはかなはぬ要具で、
酒も入れることが出來る、
酢も、醬油も入れることが出來ると云ふ具合で、
中々重寶だ。
それで侯は從道侯を「貧乏德利だ」と云はれたのである。

大正十一年二月廿五日印刷  大隈侯一言一行
大正十一年二月廿八日發行  定價金貳圓三十錢
著 者 市島 謙吉
    東京市牛込區東五軒町三五
發行者 種村 宗八
    東京市牛込區辨天町一五七
印刷者 渡邊八太郎
    東京市牛込區榎町七
發行所 早稻田大學出版部
    東京市牛込區早稻田
    振替東京一一二三番
    日淸印刷株式會社印刷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《杉本喜太郎》京城屈指の醬油醸造業家【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《杉本喜太郎》京城屈指の醬油醸造業家
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196

《杉本喜太郎》     p166-167/196
 醬油醸造業、
 岡山縣在籍
氏は岡山縣の出身にして
明治八年三月五日を以て
同縣上房郡津川村今津一九八五に生る
大正三年京城に至り
質屋並に一般金融業を營みて産を成し
同九年醤油醸造業を開始
拮据經營
遂に京城屈指の醬油醸造業家たるに至れり
長男 義雄 亦た父業を扶けて
間然する處なし
(本店=京城府黄金町三ノ二七六 電話本局三〇)
(第一支店=同府永樂町一ノ四一 電話本局三九一五)
(第二支店=同府京町一一    電話龍山一一四九)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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小野義眞、陶製の五百羅漢:陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系【随筆春城六種】昭和2年

小野義眞、陶製の五百羅漢:
陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系
【随筆春城六種】昭和2年

【随筆春城六種】昭和2年
    衝 口 發   p270/301

〇往年、小野義眞、陶製の五百羅漢を作り、
 之れを向島の邸に置く、
 後之れを淺草の花屋敷に移すに迨んで、
 衆庶見て之れを珍とす。
 余が鎌倉に養痾の日、
 長谷に陶器を製するの家あり、
 訪うて其主人に會すれば、
 其人卽ち五百羅漢の制作者也。
 由つて其の制作當時の苦心を聞く。
 曰く、五百の羅漢、
 各々其相貌を異にするは極めて難事に屬す。
 二百迄は辛うじて相貌を異にし得たれど、
 意匠全く盡き、それ以上力及ばず、
 已むなく三綠山に藏する兆殿司の五百羅漢圖粉本を借り得て、
 それに據り僅かに功を竣るといふ。
 此陶工の姓名加藤太兵衞、尾張の人、瀨戸の直系に屬すと聞く。
〇陶工苦心を談ずるの傍らに、老妻侍坐して余に語る。
 彼れが如く勞多くして酬の少き製作はあらず。
 當初千圓を以つて受負ひ、二百圓を剰すの打算の處、
 種々附屬品を要し、或は一羅漢を數個作る必要生じ、
 終に製品八百の數に上り、價は爲めに增加せず、
 最後決算に迨んで、受けたるもの僅かに八錢五厘に過ぎずと、
 喃々苦情を洩らして已まず。
 太兵衞、妻の言を聽かざるものゝ如く、
 曰ふ、彼れが如き製作を今一たびを試みんことを欲すと、
 辭色平然たる處に藝術家氣質を認め、
 余をして感動せしめたり。
昭和二年八月五日印刷 (隨筆春城六種)
昭和二年八月八日發行  定價貳圓八拾錢
著 者 市島 謙吉
    東京市牛込區東五軒町三十五番地
發行者 種村 宗八
    東京市牛込區辨天町百五十七番地
印刷者 竹内喜太郎
    東京市牛込區榎町七番地
發行者 早稻田大學出版部
    東京市牛込區早稻田
    (振替 東 京一一二三)
    (振替 名古屋二三四五)
    (振替 大阪六八九〇〇)
 日淸印刷株式會社印刷
 市島春城 著
大隈侯一言一行
 ▼侯の眞筆(寫眞版)二枚 其他口繪八枚
※ 侯の書(大隈家藏)  靑年時代の侯の詩書
東京 牛込 早稻田大學出版部
   東京 一一二三
   大阪 六八九〇〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日
小野義真[浅草公園]陶製《五百羅漢》陳列
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[北神圭朗]京都のため、日本のため:令和3年4月22日小野宅

[北神圭朗]京都のため、日本のため:令和3年4月22日小野宅

京都のため、日本のため。
 たゆまず、屈せず、再挑戦。
無所属 前 衆議院議員 2020年10月号
北神けいろう
私が目指す政治は、
1)私たちが、地元において
  平和で豊かな暮らしをしながら、
2)各国と対等にお付き合いをし、
  国民と国土を守る
ことであり、こうした京都・日本を次の世代に
つないでいくことです。
             北神圭朗
1-北神けいろう2020年10月号
〔画像〕1-北神けいろう2020年10月号

北神けいろう 6つの改革
2-北神けいろう2020年10月号
〔画像〕2-北神けいろう2020年10月号
※同行:山崎裕二(前京丹波町議会議員)
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京都4区 前衆議院議員
北神けいろう プロフィール
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月11日
[北神圭朗]京丹波町のため 日本のため:令和3年4月9日小野宅
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年05月01日
[東京すくも人]第2号:書評『世の中これでいいのか』依岡顯知著
こんな話も載っています。
昭和二十二年から発効せられる新憲法は、
総理大臣は国会議員でなければならない。

昭和二十一年五月、
総理になった吉田茂氏は国会議員の議席を持っていなかった。

林譲治氏は、恩人の息子、
田村良平氏が復員して来て、
高知から立候補しようと相談を受けたのを、
日本の為にどうしても吉田氏を土佐から立候補、
当選させたいと、
田村氏に辞退を懇願し県会議員になってもらった。

林氏自身も、
高知市と七郡のうち五郡を吉田茂氏の地盤に提供し、
自らは幡多・高岡の二郡で当選した。

この結果、
吉田氏は第七次まで内閣を組織し、
日本再建に大きな役割を果すことが出来た。

吉田氏が政界を退いた時、
林譲治氏は、吉田氏の議員バッヂを戴き
それを田村氏の襟につけてあげたという。
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