2021年07月

銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ卒業生(55名)第一回卒業證書授与(明治22年3月)【東京高等商業学校一覧】

銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ卒業生(55名)
第一回卒業證書授与(明治22年(1889)3月)
【東京高等商業学校一覧】

高等商業学校 第一回卒業證書授与
 明治22年(1889)3月
 商法講習所創立以來今日ニ至ル本校卒業生
 卒業證書授与 118名 ※内訳・下記
 銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ卒業生
 卒業證書授与  55名

商法講習所  卒業生  30名
 明治10年(1877)3月~明治17年(1844)2月
東京商業学校 卒業生  88名
 明治17年(1844)7月~明治21年(1888)7月

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
高等商業学校 第一回卒業證書授与(明治22年(1889)3月)
商法講習所・東京商業学校『卒業者名簿』
【東京高等商業学校一覧】

【東京高等商業学校一覧. 明治23-24年】
 高等商業學校沿革概略   p3/66
本校ハ明治十八年(1885)九月今ノ地ニ開設スト雖モ
其之ヲ創立セシハ實ニ明治八年(1875)ニ在リ
而シテ其間興癈沿革記スヘキ者甚タ多シ
今其要ヲ摘ミ之ヲ左ニ擧グ
 明治八年(1875)八月森有禮創メテ商法講習所ヲ
 東京尾張町ニ假設ス是則チ本校ノ濫觴ナリ
 -略-
十七年(1884)三月
本校ヲ農商務省ノ直轄官立學校ト爲シ
東京商業學校ト改稱
 -略-
(明治20年1887)十月本校ヲ高等商業學校ト改稱セリ
 -略-
廿二年(1889)三月本校及ヒ附屬科ノ規則ヲ改正シ
本科ノ修業年限ヲ三年トナシ
附屬主計專修科ヲ主計學校ト改稱ス
同月
商法講習所創立以來今日ニ至ル
本校卒業生百拾八名及
銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ
卒業生五十五名ニ
卒業證書授與ノ正式ヲ執行ス
 -略-

【東京高等商業学校一覧. 明治25-26年】
廿五年(1892)一月敎務委員規程ヲ定メ委員三名ヲ置キ
四月本校官制ニ據リ更ニ商議委員七名ヲ置ク
十一月第二回卒業證書授與式ヲ擧ケ
明治廿三年(1890)以後ノ本科卒業生百五十六名及
廿二年(1889)以後ノ附屬主計學校卒業生百二十五名ニ
卒業證書ヲ授與ス
    附屬主計學校卒業生    p68-70/150
   卒業年月       就職場所        姓  名
001 明治十九年(1886)七月 日本銀行        永井幸次郎
002 仝          自家營業        淸水靜太郎
003 仝          書肆          和田 貞吉
004 仝          死亡          内藤 滿一
005 仝          第九拾五國立銀行    大辻連太郎
006 仝          大藏省         猪狩 勉三
007 仝          仝           山本銈十郎
008 仝          死亡          和田銈之助
009 仝          不詳          井上  寛
010 仝          日本銀行        田中彦兵衞
011 仝          不詳          中野 音熊
012 仝          遞信省         杉原 由藏
013 仝          日本製鐵會社      堀田 芳雄
014 仝          不詳          蒲池德一郎
015 仝          横濱正金銀行      田中 金彦
016 仝          不詳          小林 小市
017 明治廿年(1887)七月  文部省         石川豐太郎
018 仝          第一國立銀行      仲 又七郎
019 仝          文部省         秋山 行藏
020 仝          第二國立銀行      笠間  淸
021 仝          會計撿査院       秋田宗四郎
022 仝          筑豐興業鐵道會社    田中 哲夫
023 仝          第四十國立銀行     二見幸之助
024 仝          筑豐興業鐵道會社    小野久左衞門
025 仝          東京機械製造會社    石川 信剛
026 仝          自家營業        目角勘太郎
027 仝          死亡          粟野金次郎
028 仝          吉佐移民會社      堀内  實
029 仝          日本銀行        田中 淸方
030 仝          深川電燈會社      牧野豹三郎
031 仝          日本銀行        柏木  忠
032 仝          不詳          畑  農實
033 仝          鐵道廰         小林 盛枝
034 仝          新潟第四國立銀行    髙橋 直行
035 仝          不詳          杉崎 林直
036 仝          第壹國立銀行      廣瀬市三郎
037 明治廿一年(1888)七月 死亡          木村 準太
038 仝          第一國立銀行      横田嘉兵衞
039 仝          第百十九國立銀行    大谷登喜雄
040 仝          死亡          茨木 賀眞
041 仝          不詳          池上 齋吉
042 仝          文部省         島谷 孝信
043 仝          海軍大學校       武藤松太郎
044 仝          日本郵船會社      吉田 武延
045 仝          不詳          三浦 正智
046 仝          自家營業        小林呈八郎
047 仝          死亡          四本 助七
048 仝          帝國大學        小磯久次郎
049 仝          仝           尾關德太郎
050 仝          不詳          野々口勝太郎
051 仝          三井銀行        大坪 三郎
052 仝          日本鐵道會社      古津 魚足
053 仝          鐵道廰         戸谷賢次郎
054 仝          日本鐵道會社      山下勝三郎
055 仝          板紙會社        宮島萬喜多
※以降、明治廿二年(1889)七月卒業
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

高等商業学校 第一回卒業證書授与(明治22年3月)商法講習所・東京商業学校『卒業者名簿』【東京高等商業学校一覧】

高等商業学校 第一回卒業證書授与(明治22年(1889)3月)
商法講習所・東京商業学校『卒業者名簿』
【東京高等商業学校一覧】

高等商業学校 第一回卒業證書授与
 明治22年(1889)3月
 商法講習所創立以來今日ニ至ル本校卒業生
 卒業證書授与 118名 ※内訳・下記
 銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ卒業生
 卒業證書授与  55名 ※別稿に記載

商法講習所  卒業生  30名
 明治10年(1877)3月~明治17年(1844)2月
東京商業学校 卒業生  88名
 明治17年(1844)7月~明治21年(1888)7月

【東京高等商業学校一覧. 明治23-24年】
 高等商業學校沿革概略   p3/66
本校ハ明治十八年(1885)九月今ノ地ニ開設スト雖モ
其之ヲ創立セシハ實ニ明治八年(1875)ニ在リ
而シテ其間興癈沿革記スヘキ者甚タ多シ
今其要ヲ摘ミ之ヲ左ニ擧グ
 明治八年(1875)八月森有禮創メテ商法講習所ヲ
 東京尾張町ニ假設ス是則チ本校ノ濫觴ナリ
 -略-
十七年(1884)三月
本校ヲ農商務省ノ直轄官立學校ト爲シ
東京商業學校ト改稱
 -略-

(明治20年1887)十月本校ヲ高等商業學校ト改稱セリ
 -略-
廿二年(1889)三月本校及ヒ附屬科ノ規則ヲ改正シ
本科ノ修業年限ヲ三年トナシ
附屬主計專修科ヲ主計學校ト改稱ス
同月
商法講習所創立以來今日ニ至ル
本校卒業生百拾八名及
銀行事務講習所引繼以降主計專修科ニ至ル迄ノ
卒業生五十五名ニ
卒業證書授與ノ正式ヲ執行ス
 -略-

【東京高等商業学校一覧. 明治25-26年】
廿五年一月敎務委員規程ヲ定メ委員三名ヲ置キ
四月本校官制ニ據リ更ニ商議委員七名ヲ置ク
十一月第二回卒業證書授與式ヲ擧ケ
明治廿三年以後ノ本科卒業生百五十六名及
廿二年以後ノ附屬主計學校卒業生百二十五名ニ
卒業證書ヲ授與ス
    卒業生    p52/150
   卒業年月       就職場所        姓  名
※商法講習所
001 明治十年(1877)三月  自家營業        森島修太郎
002 仝          大坂商業學校      成瀬 隆藏
003 明治十年(1877)四月  長崎外國商舘      隈本榮一郎
004 明治十年(1877)七月  不詳          内村 恒之
005 仝       米國陸軍軍吏 ヂヨージ・エ・パアチヤルド
006 仝          雜貨營業        中川 榮吉
007 仝          死亡          山口 甫吉
008 明治十一年(1878)四月 日本郵船會社      松下 道久
009 仝          日本鐵道會社      倉西松次郎
010 明治十四年(1881)二月 自家營業        鈴木熊太郎
011 明治十四年(1881)二月 三井物産會社横濱支店  坂本 良五
012 明治十四年(1881)二月 死亡          鈴木 久孝
013 仝          三井物産會社上海支店  間島 興喜
014 明治十五年(1882)三月 死亡          田邊太郎一
015 仝          北海時論社       邨上 祐
016 仝          第一國立銀行朝鮮支店  西脇長太郎
017 仝          北海道製麻會社     羽田桂之進
018 明治十六年(1883)三月 三井物産會社上海支店  小室 三吉
019 仝          高等商業學校      原田貞之介
020 仝          死亡          長野源太郎
021 仝          神戸外國商舘      齋藤軍八郎
022 仝          横濱同伸會社      新井 貢
023 仝          海上保險會社      羽生 久安
024 仝          米國メーソン商會代理店 堀越善重郎
025 仝          甲部鐵道會社      安藤高太郎
026 明治十六年(1883)九月 死亡          篠  有道
027 仝          三井物産會社新嘉坡支店 福井菊三郎
028 明治十七年(1884)二月 鐵道廰         名倉竹次郎
029 仝          三井物産會社倫敦支店  大野市太郎
030 仝          茨城縣廰        三戸 得一
※ここから、東京商業学校
031 明治十七年(1884)七月 不詳          一瀬鐐之助
032 仝          在朝鮮         植野 繁太
033 仝          不詳          朝比奈庸吉
034 仝          横濱水道會社      田中元次郎
035 仝          在上海三菱銀行     宮塚亥之助
036 仝          東京灣滊船會社     佐藤 鐵三
037 仝          新潟商業學校      東 富五郎
038 仝          長崎縣師範學校     原口松次郎
039 仝          死亡          來島 久祐
040 仝          自家營業        小倉鈴之助
041 仝          大坂商業學校      草野 安吉
042 仝          死亡          鈴木 銶作
043 仝          第一國立銀行      須藤壯一郎
044 仝          死亡          陶山 與一
045 仝          日本銀行        山田 七郎
046 仝          米國桑港スミツス商會  藤田鉚之助
047 明治十八年(1885)三月 名古屋商業學校     高柳豐三郎
048 仝          名古屋商業學校     佐々木要一
049 仝          小樽商業學校      依田 貫一
050 仝          正金銀行倫敦支店    高杉 東一
051 仝          神戸十七番米國貿易商會 新井 謹三
052 仝          高田商會        草刈義三郎
053 仝          明治火災保險會社    原  錦吾
054 明治十八年(1885)七月 北海道製麻會社     福田 久德
055 仝          三井物産會社倫敦支店  藤瀬政次郎
056 仝          米國紐育サイモン商會  西川 一平
057 仝          三井物産會社本店    北邨七郎
058 仝          仝           朝比奈孝重
059 仝          三井物産會社上海支店  高木銕太郎
060 仝          自家營業        久原房之助
061 明治十九年(1886)三月 江州八幡中一商會    松尾 幹次
062 仝          廣島縣廰        佐々木虎太郎
063 仝          高等商業學校      奥村忠三郎
064 仝          日本銀行        鹽田 幸二
065 仝          日本鐵道會社      澤野 銀藏
066 仝          米國紐育グリブル・ヱンド・ナツシュ商會
                          中山三保太郎
067 仝          死亡          小林 喜一
068 明治十九年(1886)七月 北海道炭鑛鐵道會社   高野寛三郎
069 仝          不詳          伊東雄次郎
070 仝          大坂商業學校      岡野熊太郎
071 仝          鐵道廰         水野 專吉
072 仝          中外商業新報      兼子初太郎
073 明治二十年(1887)三月 自營          保田 安政
074 仝          横濱正金銀行      水島 銕也
075 仝          第百十九國立銀行    江口 定條
076 仝          三井鑛山会社      市邨 芳樹
077 仝          長崎商業學校      東 奭五郎
078 仝          不詳          四屋 章之
079 仝          外務省         須藤十二郎
080 仝          死亡          吉田 貞太
081 仝          商業素修學校      森田熊太郎
082 仝          鐵道廰         梅田信五郎
083 仝          内外用達會社      小林安之助
084 仝          外國貿易自營      丹野 茂樹
085 仝          神戸商業學校      丸岡久之助
086 仝          不詳          春名鏈之助
087 明治二十年(1887)七月 新潟商業學校      @尾野藤八
088 仝          自家營業        富田勝三郎
089 仝          死亡          中川 市郎
090 仝       横濱九拾三番舘ウイスコー商會 上村 淸一
091 仝          不詳          村松龜太郎
092 仝          日本鐵道會社      田崎  要
093 仝          高田商會東京本店    松田 好生
094 仝          死亡          滑川 桃作
095 仝          尾道商業學校      小原右馬允
096 仝          三池炭鑛社       岩田謙三郎
097 仝          横濱商舘        田中倍次郎
098 明治廿一年(1888)七月 海上保險會社      各務 謙吉
099 仝          高等商業學校      下野直太郎
100 仝          不詳          宮崎 律三
101 仝          神戸商業學校      髙橋鈴太郎
102 仝          死亡          駒井佳三郎
103 仝          神戸商業學校      稻田藤次郎
104 仝          日本鐵道會社      井上英七郎
105 仝          第百十九國立銀行    坂野 兼通
106 仝          赤間ケ關商業學校    武田勝太郎
107 仝          生絲業自營       錦戸 右門
108 仝          函舘商業學校      立花 寛藏
109 仝          大坂商業學校      太田 正躬
110 仝          名古屋商業學校     有村彦九郎
111 仝          在濠洲         松崎萬之丞
112 仝          大坂内外綿會社     榎本謙七郎
113 仝          大坂紡績会社      杉村仙之助
114 仝          三井物産會社神戸支店  田村  實
115 仝          鐵道廰         五島廣太郎
116 仝          代言人         窪田 熊藏
117 仝          大倉組神戸支店     篠田文次郎
118 仝          赤間ケ關商業學校    彌津 雄男
※以降、明治二十三年(1889)七月卒業
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

江口定條・水島銕也『東京商業学校』明治20年3月 卒業假證書ヲ授與【官報. 1887年03月23日】明治20年

江口定條・水島銕也『東京商業学校』
明治20年3月 卒業假證書ヲ授與
【官報. 1887年03月23日】明治20年

【官報. 1887年03月23日】明治20年
   〇教育  p4/7
〇生徒卒業
 東京商業學校ニ於テハ此程制規ノ試驗ヲ執行シ
 舊敎則ニ據リテ卒業セシ者ニ
 去ル十九日卒業假證書ヲ授與シタリ
 其姓名等左ノ如シ(文部省)
靑森縣士族  前田 安政  二十二年四箇月
大分縣士族  水島 銕也  二十二年十箇月
高知縣士族  江口 定條  二十二年
廣島縣平民  市村 芳松  十九年一箇月
長崎縣士族  東 奭五郎  二十二年
宮崎縣士族  四屋章太郎  二十二年一箇月
東京府平民  須藤十二郎  十九年六箇月
大分縣士族  吉田 貞太  二十一年二箇月
東京府平民  井澤熊太郎  十九年九箇月
廣島縣士族  梅田信五郎  二十年一箇月
東京府平民  小林安之助  十九年七箇月
東京府士族  丹野 茂樹  二十四年一箇月
東京府士族  丸岡久之助  二十一年一箇月
埼玉縣士族  春名鏈之助  二十三年三箇月
【官報. 1887年03月23日】p4-25
〔画像〕【官報. 1887年03月23日】p4

【官報. 1887年07月12日】明治20年
〇東京商業學校卒業生  p4/7
 -略-

【東京高等商業学校一覧. 明治23-24年】
  本校出身者姓名  p41/66
高等商業學校   森島修太郎
仝        成瀨 隆藏
大坂藤田組    水島 銕也
高等商業學校   江口 定條

【東京高等商業学校一覧. 明治25-26年】
明治二十年三月卒業  p55/150
横濱正金銀行     水島 銕也
第百十九國立銀行   江口 定條
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【議会制度七十年史. 第1】1960
   貴族院議員名鑑
江口 定條(えぐち さだえ)  p58/184
   勲三等 同和会
慶応元年4月生、本籍 東京都、
明治20年 東京高等商業学校卒
○同年 東京高等商業学校教諭となり、
 その後、港湾調査会臨時委員、臨時船舶管理局、
 軍需評議会の各評議員、三菱合資会社総理事、
 日本郵船(株)取締役、南満州鉄道(株)副総裁、
 (財)日華学会理事、その他諸会社重役、
 団体役員等となり、
 また対支文化事業調査会委員となる
〇在任(昭和7・6~21・3)
〇昭和21年3月14日死去
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

商法講習所(一橋大学の前身)森島修太郎、成瀬隆蔵[慶應義塾百年史:上巻]1958(昭和33年)

商法講習所(一橋大学の前身)森島修太郎、成瀬隆蔵
[慶應義塾百年史:上巻]1958(昭和33年)

五七二頁
 それから、今日の一橋大学の前身にあたる商法講習所には
森島修太郎、成瀬隆蔵らがいちはやく教師となっているし、
のみならず、同校が明治七年(一八七四)森有礼の首唱により
わが国最初の商業学校として、
富田鉄之助らとの協力のもとに設立された際、
この商法講習所設立の趣意書を草して大いにその挙を賞揚したのは、
ほかならぬ福沢諭吉自身なのであった。
 (注)明治七年十一月一日付の同趣意書については、
    すでに『福沢諭吉伝』第二巻および
    『続福沢全集』第七巻等に掲載されて、 ※下記
    内容は容易に知ることができるが、
    昭和三十年五月篤志家西川考治郎の好意により、
    当時刊行のままの原本が
    内閣文庫に所蔵されていることがわかって、
    その写真をもそっくり恵贈をうけた。
    すなわち、それによると、一七・八×一一・九センチ
    本文七葉の活版刷和本で、
    表紙に「商学校ヲ建ルノ主意 附商法学校科目並要領」とあり、
    いままで知られていた前文のほかに講習所の教科目とか
    予算書までが付加されている。
    この原本はさらに森有礼旧蔵本を森有剛が所蔵していて、
    それは『図説日本文化史大系』第十一巻『明治時代』に
    写真が載っている。
    ※赤字部:令和4年(2022)3月8日 19:08 追記 小野一雄
 -略-
p572[慶應義塾百年史:上巻]1958
〔画像〕p572[慶應義塾百年史:上巻]1958

五七三頁
前記の成瀬隆蔵のごときは、
このとき義塾から同所に移った同講習所第一回の卒業生で、
結局そこにながく残って教頭を勤めたり、
商業教育につくすことになったものである。
p573[慶應義塾百年史:上巻]1958
〔画像〕p573[慶應義塾百年史:上巻]1958
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《森島修太郎》
【慶応義塾総覧. 明治41年】
   第十九章 卒業生   p80/123
安政五年本塾創立ヨリ
明治六年ニ至ルマデ未ダ卒業ノ制ナシト雖モ
其在學年限學力其他ノ廉ニヨリ
卒業生ト同視スベキ者
《森島修太郎》       p81/123

《成瀨隆藏》
【慶応義塾出身名流列伝】明治42年
《成瀨隆藏》  p248/536
 三井同族會書記長
 東京市麴町區元園町一ノ三七
 (安政三年生)
 -略-
 -略-
卽ち慶應義塾に入る、
時に明治八年なりき。
十年頃に森有禮氏等相圖りて
銀座の鯛味噌屋の二階を借て、
商業講習所を開設するに當り、
氏は塾を退いて同講習所に入り
十二年に同所を卒業す、
卒業後同所を主宰せし矢野二郎氏の周旋により助敎授となり、
十八年高等商業學校と改稱すると同時に、
卽ち同校助敎授として入り敎頭兼幹事を勤む。
 -略-

福沢諭吉『商法講習所設立趣意書』明治7年11月1日
【福沢全集. 続 第7巻】昭和九年
   商法講習所設立趣意書  p226-227/374
 人間の事務は内外公私の別あるより
其有樣を比較せざれば輕重を斷ずべからず
 -略-
 -略-
米國の商法學士ホウヰツニー氏
積年日本に來りて商法を敎へんとするの志あり
森有禮・富田鐵之助兩氏の知る人なり
東京其他の富商大賈各其分を盡して
資金を出すの志あらば
兩氏も亦周旋して其志を助け成すべし
 明治七年十一月一日  森 富田兩君の需に應じて
     福澤諭吉記す
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《木下竹次郎》訴訟代理及辯護人【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《木下竹次郎》訴訟代理及辯護人
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196

《木下竹次郎》     p169/196
 訴訟代理及辯護人、
 石川縣在籍
氏は石川縣の人 堂端四兵衞の男にして
明治九年九月を以て生れ後ち出でて
木下喜平の養嗣子となり
同二十九年養家を相續し現に
石川縣珠洲郡蛸島村に本籍を有す
明治二十八年早稲稻田大學の前身
東京專門學校政治經濟科を卒業し後
故山田喜之助奠南先生の門下生となり
法律學を修業す
同二十九年一月關東都督府囑託となりて渡滿し
爾來
關東州水産組合理事・大連市役所書記等を歷任し後
訴訟代理及辯護人の業務を開業し傍ら
鞍山不動産信託株式會社の囑託を兼務し
以て今日に及べり
現に株式會社大昌銀行淸算人・共榮商事株式會社及び
滿洲紡織株式會社の破産管財人たり
頭腦周到緻密にして其職に當るや忠實熱誠
朝野各方面に令名嘖々たり
家族は
妻  桑子(明治一九年生 福井縣 津田尚人 二女)
長女 貴美(明治四二年生 關東廰立旅順高女卒)あり
(鞍山大和町一丁目 電話長三〇三)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《星 直利》大連市若狭町・近代建築界及醫學界の粹を盡し【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《星 直利》大連市若狭町・近代建築界及醫學界の粹を盡し
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196

《星 直利》      p168/196
 醫學博士、
 星小兒科醫院長、小兒科醫師、
 福島縣在籍
氏は福島縣人星武次郎の三男にして
明治三十一年四月を以て若松市行人町に生る
夙に學序を履みて大正十二年
奉天醫科大學を卒業し
滿鐵大連醫院小兒科に勤務す後
京都帝大醫學部に於て更に研鑽を積み
昭和四年醫學博士の學位を獲得す
次で朝鮮京城龍山鐵道病院小兒科部長に就任
昭和八年之を辭し大連市若狭町三五に
小兒科醫院を新築獨立開業するに至れり
而も氏の刀圭界に於ける信望は夙に定評の存ずる處
更に其醫院の結構設備に至りては
近代建築界及醫學界の粹を盡し
正に大連一の稱あり
爾來專心診療に從事し以て今日に至る
曩に上海南洋方面へ二回
北支、東蒙古大坂上、林西方面へ一回視察旅行をなし
見聞亦頗る廣し
趣味として繪畫・讀書・音樂等を好む
家族は
妻  和子 (明治三六年生)
      (滋賀縣 川島梅吉 女 神戸高女卒)
長男 久文 (昭和三年生)
次男 博之 (昭和七年生)
長女 眞千子(昭和五年生)あり
(大連市若狭町三五 電話五二六二)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《野口庄次郎》北鮮財界一方の重鎭として錚々の名あり【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《野口庄次郎》北鮮財界一方の重鎭として錚々の名あり
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447419/13

《野口庄次郎》     p168/196
 咸鏡北道評議會員、
 羅南商工會特別評議員、
 羅南面協議會員、
 靑岩金山米山鑛業所鑛主、
 北鮮醫油(株)監査役、
 北鮮運輸(株)監査役
 北鮮日日新聞社監査役
氏は愛知縣西春日井郡の人
野口惣兵衞の長男にして
明治七年五月を以て生れ
同十七年十月家督を相續す
夙に學を卒るや
同三十九年八月朝鮮に渡り
直ちに第十三師團經理部に勤務し
同四十一年退職
馬糧商を開き
更に大正十年煙草元賣捌業を營みしが
昭和二年十二月廃業す
大正十四年より運送業を始め
傍ら靑岩金山米山鑛業所を經營
今日に及ぶ
尚餘力を事業界に展べ
現に
北鮮醫油株式會社
北鮮運輸株式會社
北鮮日日新聞社 各監査役を兼ね
北鮮財界一方の重鎭として錚々の名あり又
社會公共の事に意を致し
地方自治の發展産業の振興に貢献する所尠からず
現に推されて
咸鏡北道評議會員
羅南商工會特別評議員
羅南面協議會員等
其他幾多の要職に任ず
家族は
妻  ます子(明治一五年生)
長男 貫一 (明治三七年生 同志社高等商業卒 滿鐵在勤)
二女 菊子 (大正 七年生)
三女 百合子(大正一〇年生)あり
夫人は生花に趣味を有す
長女 かづ子(明治四一年生 同志社女子專門部卒)は
朝鮮殖産銀行勤務 西澤正則に嫁す
(朝鮮咸鏡北道鏡城郡羅南面本町八三 電話五)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《寺田順藏》哈爾濱・大和旅館及二葉旅館經營主【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《寺田順藏》哈爾濱・大和旅館及二葉旅館經營主
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196

《寺田順藏》      p168/196
 大和旅館及二葉旅館經營主、旅館業、
 長崎縣在籍
氏は長崎縣南高來郡布津村の出身にして
明治十四年を以て生る
夙に學を卒りて家郷に在りしが
明治四十一年滿洲に渡り
或時は乘合馬車の馭者として
風塵の街道を疾驅する等
刻苦奮闘を續くること約八年
大正五年哈爾濱に到り
同年三月現所に大和旅館を開業せり
爾來業務逐次隆昌を呈せる結果
大正八年秋
更に支店二葉旅館を創業するに至り
兩々相俟つて盛業を極む
然るに大戰後の財界不況に禍ひされ
一時營業不振に陥りたる爲め
大正十三年秋支店を閉鎖
本店のみにて營業しつゝありしが
昭和二年四月
不幸更に大火の厄に遭ひ
業態愈々危機に瀕す
其後滿二ヶ年間之が復興工作に專念し
遂に昭和四年春現在の場所に堂々復活するに至り
諸般の設備及接客法に大々的改革を加へ
堅實なる營業方針を持して家業に精勵せるが
滿洲事變後は業務飛躍的進展を遂げ
昭和八年九月
同市透籠街七號地に再び支店二葉旅館を開業す
陸軍指定旅館として其御用を承はり
同市斯業界屈指を以て稱せられ
逐日發展を重ねつゝあり
(大和旅館=哈爾濱モストワヤ街  電話四五〇八)
(支店二葉旅館=同市透籠街七號地 電話三三八六)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《淸水淸吉》澁川流柔道整復術師【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

《淸水淸吉》澁川流柔道整復術師
【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年

【財界二千五百人集. 満蒙及朝鮮篇】昭和9年
財界二千五百人集
 「滿蒙及朝鮮篇」目次 p5-13/196
 銀行會社商店之部   p13-14/196

《淸水淸吉》      p167/196
 淸水整骨院長、
 澁川流柔道整復術師、
 ほねつぎ專門及電氣治療業、
 大林組囑託、
 宮城縣在籍
氏は、宮城縣都城の人なり ※宮崎県?
夙に外國語を研究し
大正七年西比利亞出兵に通譯となり從軍し
引續きて尼港事變に於て陸軍運輸部の通譯となり
凱旋後地方有志
殊に武德會員の希望に依り
樺太知取に澁川流柔術道場を開き尚
富士製紙會社專屬造材組合專務整骨醫を囑託せられ
大に武士道の鼓吹と當時猶ほ一般的に認識せられざりし
電氣治療の普及に努めたり
昭和七年十月
滿洲國首都新京に進出し依然
淸水整骨院長として
澁川流柔道整復術師を以て立ち
ほねつぎ及電氣治療に從ひ今日に至る
大林組囑託たり
(淸水整骨院=新京入船町二ノ七ノ四)

昭和九年七月五日印刷  財界二千五百人集別巻共揃
昭和九年七月十日發行      並製 金參拾圓也
編纂兼 東京市芝區神谷町十八番地
發行者 中西利八
    電話芝(43)二六六九番
印刷者 東京市京橋區湊町二ノ一六
    篠倉政一
印刷所 東京市京橋區湊町二ノ一六
    第一印刷所
發行所 東京市芝區神谷町十八番地
    日本産業經濟資料社
    財界二千五百人集編纂部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

俣野左平次・俣野玄憙・俣野金右衛門・俣野勘右衛門・俣野兵庫:亀岡市千代川村【南桑田郡誌】大正13年

俣野左平次・俣野玄憙・俣野金右衛門・俣野勘右衛門・俣野兵庫:
亀岡市千代川村【南桑田郡誌】大正13年

【南桑田郡誌】大正13年
  第三 郡會議員  p65/224
明治四十四年九月三十日第四期滿期改選を行ふ。p67/224
町村名  千代川村
議員名  俣野左平次

  第二節 舊藩時代及び維新前後に於ける私塾 p89/224
歳寒舎  p90/224
千代川村字北ノ庄の私塾なり。
塾主俣野玄憙近村の子弟を集めて敎育す、
賴支峰嘗て題して歳寒舎と言ふ。
明治初年より十六年に及び生徒數常に五十名を上下せり。
當時地方靑少年殆ど此の門を潜らざるなしといふ。

  第六節 曾我部村  p111/224
與能神社
(種子三)古本願者心曉坊賢運(花押) p112/224
法貴村  法貴三郎右衛門  齋田甚太夫

慶應四年三月廿七日西園寺公望に隨從して、 p187/224
伏見に赴きしものゝ名を、
今津村人見銀三郎氏所藏の伏見行名寄帳より
抄錄すれば左の如し。
北ノ庄村  p188/224
 弓  俣野金右衛門
 鑓  俣野勘右衛門
 同  俣野 兵庫

大正十三年五月二十五日印刷
大正十三年六月 廿五日發行 〔非賣品〕
發行者 京都府敎育會南桑田郡部會
印刷者 桂 千代造
    京都市下京區柳馬場通三條南
印刷所 株式會社似玉堂
    京都市下京區柳馬場通三條南
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 三原市歴史民俗資料館
蔵出しお宝ニュース 第24号
掛物 賴 支峰 筆
 富士山図
〔賴支峰は賴山陽の次男です。〕
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ