《書簡》小野梓筆 馬場辰猪様 馬場勝彌氏藏
【幕末・明治・大正回顧八十年史. 第23輯】昭和12年
【幕末・明治・大正回顧八十年史. 第23輯】昭和12年
栗本鋤雲 p57/65
-略-
書簡
昨日御出被下候由、折節梅やしきへ罷越、誠に失禮ニ御座候。
何歟御急きの御よふはこれ無くや、
但しは伊賀之御都合ともには無之哉、
今日御宅へ御尋可仕心得ニ御座候處、
少々風邪之心地に御座候得者、罷出かたく、
幸に御近邊へ使者指出候へは、一寸御尋申上候。
何れ明日者、共存同會へ出席可仕候へは其節萬事可申上、
先つは御都合如何哉ト、御伺申上候也。
六月十八日 梓
馬 場 樣 ※①
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8797979/57[小野梓全集]第五巻 昭和57年3月31日発行
解 題 中村尚美 p557
(注)七五 馬場辰猪宛書翰(年不詳六月一八日)p641
前日に馬場が小野を訪ねたとき
留守にしていたことをわび、
明一九日には共存同衆の会合に出席するので
そこで連絡したいと伝えたこの書翰は年次を欠いており、
内容からも何年と推定する手がかりがないが、
一八七八、九年頃のものとみて間違いないのではないか。
〈明治11-12年〉
※明治11年(1878)6月18日=火曜日 6月19日=水曜日(第三)
明治12年(1879)6月18日=水曜日 6月19日=木曜日
【憲政殊勲者年譜集】昭和14年
十二、馬場辰猪 p98/187
明治十一年(1878)(二十九歳) p100/187
五月十一日歸朝す。
同月共存同衆に出席す。
十一月「法律一班」成る。
【共存同衆年会始末】明治11年9月
〇年會の紀事 p3/48
共存同衆の第一年會は同衆絛例第四絛の旨と
明治十一年七月十七日の會同に於て議定せし…
※明治11年(1878)7月17日=水曜日(第三)
共存同衆条例(明治十一年十月九日改定) p38/48 第二絛 毎月第一第三ノ水曜日ニ於テ常會ヲ開キ
-略-
第三絛 毎月第二第四ノ水曜日ニ於テ講談ノ會ヲ開キ
-略-
共存同衆員の姓名(明治十一年十月調) p45/48
廣澤眞臣 p57/65
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元田永孚
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重野安繹
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中村敬宇
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小野 梓 筆 馬場勝彌氏藏 ※②
◎本第二十三輯には地色二色版を以つて
幕末及び明治時代の名士の遺筆を掲げる事とした。
-略-
昭和十年九月二十日印刷納本
昭和十年九月廿五日發行
昭和十二年三月廿日四版發行
『幕末 明治 大正 回顧八十年史』第二十三輯
定價 金壹圓貳拾錢(朝鮮、滿洲、小笠原、樺太)
(臺彎、及 海外は送料別 )
編輯兼 大澤 米造
發行者 東京市京橋區銀座五丁目四番地
印刷所 東洋文化協會印刷所
東京市神田區須田町二丁目十九番地
印刷者 早川 一郎
東京市神田區須田町二丁目十九番地
印刷所 井口印刷合名會社
東京市小石川區西江戸川町十番地
發行所 東洋文化協會
東京市京橋區銀座五丁目四番地
電話 銀座(57)〇四〇七番 六五六七番
振替口座 東京三八三四八番
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※① 馬場樣:馬場辰猪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬場 辰猪(ばば たつい、
嘉永3年5月15日(1850年6月24日)
- 明治21年(1888年)11月1日)は、
日本の武士(土佐藩士)、思想家、政論家。
最も急進的で国粋的な『國友会』を組織した人物。
諱は氏保(うじやす)、通称として辰猪を称す。
※②馬場勝彌氏藏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬場孤蝶(ばば こちょう、
1869年12月10日(明治2年11月8日)
- 1940年(昭和15年)6月22日)は、
英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。
生涯
孤蝶は土佐藩士馬場来八の四男として、
土佐国土佐郡(現・高知市)に生まれた。
本名は勝弥といい、
19歳上の次兄に自由民権運動家の馬場辰猪がいる。
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