2022年05月

[社會研究]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】

[社會研究]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】

【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
 昭和二年 滿洲新聞雜誌總覽
       滿洲公論社發行
  <雜 誌> p33/49
[社會研究]  p34/49
發行所     滿洲社會事業研究會
所在地     大連市松山臺五番地
創 立     大正十一年
(沿革)
本誌は山田武吉氏を中心とせる
滿洲社會事業研究會の機關誌として發行せるものにして
山田氏編輯經營一際を擔當して居る。
「現況一班」
 組  織   會員
 發行回數   月刊一回
 記事内容   政治經財文藝
 料  金   普通 六〇錢
        頁特別七〇錢
 廣告料    特等八〇圓
        一等五〇圓
        二等三〇圓
        三等二〇圓
「役員及社員」
 幹事長    山田 武吉
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[協和]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】

[協和]<雜誌>【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】

【満洲新聞雑誌総覧:昭和2年】
 昭和二年 滿洲新聞雜誌總覽
       滿洲公論社發行
  <雜 誌> p33/49
[協和]    p34/49
所在地     大連市東公園町滿鐵社内
創 立     明治四十二年四月一日
(沿革)
最初自修會に於て刊行せられ後讀書會となり、
本社補助して社員の交友機關として發行し、
昭和二年四月社員會に移管せらる。
「現況一班」
 組  織   會員
 發行回數   月刊一回
 記事内容   時事記載せず
 購讀料    一部二〇錢
 廣告料    甲頁五〇圓
        乙頁廿四圓
「役員及社員」
 編輯部    奥村 愼次
        河瀨 松三
        波越時太郎
        齋藤 忠夫
        河村 牧男
        竹内 虎治
        加藤 新吉
        平野 博三
        大間知善正
        神守源一郎
        太田藤二郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《友景 保》④「国際香りのばら新品種コンクール」第16回受賞作品(2022年受賞)

《友景 保》④「国際香りのばら新品種コンクール」
 第16回受賞作品(2022年受賞)

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国営 越後丘陵公園
「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
※コロナの為、授賞式は行われていない。
 ホームページに掲載されていない。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年05月27日
《友景 保》③「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月23日
《友景 保》F部門の金賞で国土交通大臣賞‘ニンファ’
「国際香りのばら新品種コンクール」
第14回受賞作品(2020年受賞)
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《友景 保》③「国際香りのばら新品種コンクール」第16回受賞作品(2022年受賞)

《友景 保》③「国際香りのばら新品種コンクール」
 第16回受賞作品(2022年受賞)

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国営 越後丘陵公園
「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
※コロナの為、授賞式は行われていない。
 ホームページに掲載されていない。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年05月27日
《友景 保》②「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月23日
《友景 保》F部門の金賞で国土交通大臣賞‘ニンファ’
「国際香りのばら新品種コンクール」
第14回受賞作品(2020年受賞)
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《友景 保》②「国際香りのばら新品種コンクール」第16回受賞作品(2022年受賞)

《友景 保》②「国際香りのばら新品種コンクール」
 第16回受賞作品(2022年受賞)

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国営 越後丘陵公園
「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
※コロナの為、授賞式は行われていない。
 ホームページに掲載されていない。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年05月26日
《友景 保》①「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月23日
《友景 保》F部門の金賞で国土交通大臣賞‘ニンファ’
「国際香りのばら新品種コンクール」
第14回受賞作品(2020年受賞)
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《友景 保》①「国際香りのばら新品種コンクール」第16回受賞作品(2022年受賞)

《友景 保》①「国際香りのばら新品種コンクール」
 第16回受賞作品(2022年受賞)

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国営 越後丘陵公園
「国際香りのばら新品種コンクール」
第16回受賞作品(2022年受賞)
※コロナの為、授賞式は行われていない。
 ホームページに掲載されていない。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月23日
《友景 保》F部門の金賞で国土交通大臣賞‘ニンファ’
「国際香りのばら新品種コンクール」
第14回受賞作品(2020年受賞)
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[農牧學校 米人ゼームス・ヲスタイン・ウヰード]<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>大正13年

[農牧學校 米人ゼームス・ヲスタイン・ウヰード]
<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>大正13年

<丹波誌巻七:船井郡下巻236頁>

 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_01
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_01

〇北村先生編 丹波誌 一部拾五巻 p2/236
 先生に請ひて二部を淨寫し
 京都帝國大學圖書舘と
 京都府立圖書舘に各一部を寄託す
 大正拾四年七月一日
  北村龍象先生喜壽會
 (北村先生喜壽會結末報告書を添附す)
 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_02
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_02

蒲生野 p38/236
明治五年ニ 知事 長谷信篤 大参事 槙村正直ハ
大藏省ノ訓示ニ原ヅキ 全國ニ率先シテ
牧場ヲ此處ニ設ケ
ブラオン種ノ牝牡牛 二十八頭ヲ米國ヨリ購入シ
槙村正直ガ知事トナルヤ
農牧學校ヲ此處ニ設ケ
米人《ゼームス・ヲスタイン・ウヰード》
ナルモノヲ聘シテ教師トシ
弘ク學生ヲ募集シ畜産繁殖搾乳開墾ノ教授セシメ
 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_38
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_38

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〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_39

蒲生野  慶蘭野
深志野  合稱シテ
須知乃野ト云フ
 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_40
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_40

明治十二年六月京都牧畜場ニ於ケル
建物器械畜牛ヲ壹萬八千圓テ賣却スルノ悲運ニ接シ
當所農牧事業モ同一蹉跌ニ歸シ
牛畜器械建物ヲモ賣却スルヿトナレリ
槙村正直ハ
學校ノヿ
工商ノヿニ盡力シ
勧業知事ノ綽名ヲサヘ博リシガ
大抵挫折ニ歸シタルハ惜ムベシ
竊ニ疑フ
 ※竊:密かに/人知れず
《ウヰード》ノ如キ實業經驗家ニシテ
先見ノ明ナカリシヿナリ
著者モ其ノ規模ノ大ナルト
 ※著者:北村龍象先生
教師ノ勵精ナルトヲ目@シテ
 ※目@:目賭? 実際に見ること。目撃。
以爲(オモ)ヘラク
 ※以爲:思っているのには、考えていること。
前途有望ノモノニシテ
不毛ノ地無カラシムベシト
而シテ皆齟齬シ
教師ノ鞅々トシテ去リ
 ※教師(ウヰード)ノ鞅々:不満足をいう語。
生徒ノ戀々トシテ散ジタル
孰レモ傷心ノヿニテアリシ
其ノ土地拂下ゲノ手續ハ
京都府ニテ之ヲ爲シ
 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_41
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_41

遂ニハ之ヲ税務署ニ移シ
大抵一段歩 金一圓價格トシ
早キハ五年目ニ
晩キハ二十五年目ニ
納税地トスルノ方針ニテ
土地ノ情况ニテ遲速ヲ定ム
 丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_42
〔画像〕丹波誌巻七:船井郡下巻236頁_42
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『古文書資料置き場』
丹波誌全巻15巻
総論:1巻、亀岡町1巻、南桑田郡2巻、北桑田郡1巻、
船井郡2巻、何鹿郡2巻、天田郡2巻、多紀郡2巻、氷上郡2巻
著者:北村龍象
発行日:大正13年11月1日
寛政年間に福知山藩の古川茂正、
篠山藩の永戸貞が編纂した氷上、天田、多紀の三郡を再編し、
残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加
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《小川町藥局》石津武賀 神田區小川町三ノ二【東京市産業団体要覧 第1分冊】昭和18年

《小川町藥局》石津武賀 神田區小川町三ノ二
【東京市産業団体要覧 第1分冊】昭和18年

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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月

《吉田剛平》(丸屋藥舗)藥品賣藥小賣
 東京市神田區小川町二番地
【日本商工営業録】明治31年~35年

《小川町藥局》石津武賀 神田區小川町三ノ二
【東京市産業団体要覧 第1分冊】昭和18年
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東洋館書店住所:東京神田區小川町拾番地
【國憲汎論】明治18年9月
著述兼出版人 小野 梓 東京府平民
       東京神田區錦町三丁目五番地
發行書肆   東洋館書店
       東京神田區小川町拾番地

【英米契約法】明治16年12月
著者   砂川雄峻 著
出版者  東洋館
出版人  山下 保馬 高知縣平民
     東京神田區小川町十番地
發 兌  東洋館書店
     東京神田區小川町十番地

【東京市史稿. 市街篇附圖第四】
第四大區
 一小區 神田錦町一~三丁目
     小川町 表神保町 裏神保町
     駿河台北甲賀町 駿河台南甲賀町
 二小區 南神保町 北神保町
     今川小路一~三丁目
小野梓
北甲賀町19番地(赤枠)    p19/42
神田区錦町3丁目5番地(赤枠)
第四大區
 一小區 神田錦町(赤枠)一~三丁目
     小川町(緑枠) 表神保町 裏神保町
     駿河台北甲賀町(赤枠) 駿河台南甲賀町
 二小區 南神保町 北神保町
     今川小路一~三丁目
p19-小川町【東京市史稿. 市街篇附圖第四】北甲賀町-50-70
〔画像〕p19【東京市史稿. 市街篇附圖第四】北甲賀町-50-70
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【日本商工営業録 明治31年9月刊(第1版)】
東京府 神奈川縣 埼玉縣 千葉縣 群馬縣之部
町村番地順
東京市 神田區    p134/732
小川町二 丸屋
吉田剛平、物品販賣業、藥品小賣
税金▲一五、二六三

【日本商工営業録. 明治33年4月刊(訂正2版)】
東京市 神田區 番地順 p65/796
◎小川町
二 吉田剛平(丸屋藥舗)藥品賣藥小賣 
税金▲一五、二六三

【日本商工営業録. 明治35年9月刊(訂正3版)】
東京市 小川町(神田區) p38/806
二  吉田剛平(丸屋藥舗)藥品賣藥小賣
税金▲一七、二六〇

【東京市衆議院議員選挙人名簿:一名・公定東京紳士録
 麹町,神田,日本橋,京橋,芝,麻布,赤坂区之部】明治45年
神田區 小川町  p45/300
番地 職業   氏 名    税  額
一  書籍  立田 義元  七六・〇二〇
二  藥品  吉田 剛平  五五・三六〇
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《小川町藥局》石津武賀 神田區小川町三ノ二
【東京市産業団体要覧 第1分冊】昭和18年

【日本工業要鑑 昭和4年度(第19版)】
◎鶴屋醤油醸造株式會社  p930/1117
 東京市本所區向島請地一六四
 電話 墨田(74)一〇七五
醬油
創業    大正十一年十二月
資本    拾萬圓
取締役代表 二宮 景輔
取締役   石津 武賀
      松本 モト
      秋山運四郎
      片岡 恒三
監査役   平野 龍亮

【帝国信用録 第25版 昭和7年】
《石津 武賀》 p33/1284
職業   調劑・會社役員
住所   本所、向島須崎、三一五
開業年月 大正12年

【日本工業要鑑 昭和7年度(第22版)】
◎鶴屋醤油醸造株式會社  p902/980
 東京市本所區向島請地一六四
 電話 墨田(74)一〇七五
醬油
創業    大正十一年十二月
資本    拾萬圓
取締役代表 二宮 景輔
取締役   石津 武賀
      松本 モト
      秋山運四郎
      片岡 恒三
監査役   平野 龍亮

【帝国銀行会社要録 昭和11年(24版)】
朝日醬油株式會社  p352/1442
 葛飾區本田立石町一五〇
設立  大正十一年十二月
總株數 七千五百株
決算期 五月、十一月
資本金(拂込済) 一五〇、〇〇〇
(代)二宮 景輔
(締)石津 武賀
   片岡 恒三
(監)二宮 良輔

【東京中央電話局電話番號簿:昭和十七年十月一日現在】
石津武賀  神田25-1065 神、小川  p37/471

【東京市産業団体要覧 第1分冊】昭和18年
 7 藥粧類・油類・液體燃料・塗料  p468/498
《小川町藥局》
石津 武賀 住所 神・小川・三ノ二
      電話 神一六三九(呼)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《明治初期の京都の語学校関係の資料》

《明治初期の京都の語学校関係の資料》

西蒲原有明様
コメント、有難うございます。
<追記>2022/05/25 13:00

《明治初期の京都の語学校関係の資料》
【山本覚馬】昭和3年
目 次        p8/164
日本最初の小學校   p42/164
中學校創立 英學校  p51/164
獨逸學校 佛語學校  p53/164
女紅場、府立第一高等女學校、 p54/164
遊廓の女紅場
牧畜場、農學校、       p85/164
養蠶場、栽培試驗所
明治九年十月 丹波船井郡須知村蒲生野に
農牧學校をさへ創立し、
米人ウヰードを聘して敎師に任じ、
廣く生徒を募集し、蕃殖、搾乳、
原野開墾等を指導敎授せしめた。
《明治27年 獨逸語の資料》
【独逸読本. 第一】明治27年
 獨逸語學校藏版
 著者 松原善蔵 編
【独逸読本. 第二】明治28年
 獨逸語學校藏版
 著者 松原善蔵 編
【独逸読本. 第三】明治28年
 獨逸語學校藏版
 著者 松原善蔵 編

《明治35年の京都の語学校関係の資料》
【京都遊学案内】明治35年
◎獨逸語學校   p42/64
 下京區堺町通四條北二丁目
◎獨逸語夜學校  p42/64
 河原町荒神口下ル
◎私立英語學校  p43/64
 下京區烏丸四條南入ル

【京都修学案内】明治35年
獨逸語學校  京都市堺町通四條北  p46-47/80
京都英語學校 京都市三條通御幸町西 p51/80
私立英語學館 京都市烏丸四條南   p51/80
  高等學校入學試驗問題      p59/80
  (明治三十四年度)
 〇英文和譯            p61/80
 〇和文歐譯
 〇英文書取
 〇獨文和譯
 〇獨文書取            p62/80
  國民學校編入試驗問題      p63/80
 〇英  文            p64/80
◎英文和譯
◎和文英譯
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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<追記>2022/05/25 13:00
【京都府教育史 上】昭和15年
  第六章 洋學の移入  p200/364
   第一節 歐學舎の敎育制度
そして  p202/364
英學校には東伍市、池田潜藏、能美織之助、山田虎之助。
佛學校には原田輝太郞、廣瀨源八、近藤德太郞、伊藤源一郞。
新英學校には中川義行、有吉初熊、川原乙次郞。
女紅場には薩陲房、平井テルなどいふ秀才が居つた。
   第二節 英女學校と女紅場 p205/364
第六章 私學敎育の狀況/626
第七章 特殊專門敎育/635
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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早大当局VS革マル派 早稲田大学の奥島孝康・元総長の12年戦争【さらば革命的世代】第4部[平成21年]2009.5.30

早大当局VS革マル派 早稲田大学の奥島孝康・元総長の12年戦争
【さらば革命的世代】第4部[平成21年]2009.5.30
産経ニュース © 2009 Microsoft

早稲田大学の奥島孝康・元総長(寺河内美奈撮影)
【さらば革命的世代】第4部キャンパスはいま(3)
2009.5.30 13:00
 このニュースのトピックス:さらば革命的世代
 早稲田大学の奥島孝康・元総長(寺河内美奈撮影)

◇合鍵までつくられた
 「早稲田は自由の大学といわれていますが、
実際にあったのは、革マル派にとっての自由だったのです」

 早大の元総長で、
現在は学事顧問を務める奥島孝康さん(70)は振り返る。
革マル派に大学の実権が握られているという
危機感を強くした奥島さんは平成6~14年の任期中、
彼らをキャンパスから追い出すことを
最大の任務と位置づけていた。

 早大では昭和40年代後半から、
革マル派が各セクトとの抗争を制し、勢力を強めていた。
自治会の主導権を握り、
サークルの部屋が学外者も含めた活動家の拠点に使われるなど、
約30年間にわたり大学が利用されていたとされる。

 15万人以上の来場者を呼び「日本一の学園祭」といわれた
早稲田祭の収入が革マル派の資金源になっている
という疑惑もあった。
公安関係者によると、
サークル補助金の流用なども含めると、
早大から革マル派に流れる資金の総額は
年間2億円を超えていたという。

 奥島さんは、革マル派の主導で行われていた学生大会で
ストライキ決議が可決されると、
期末試験が中止になるという慣例を特に問題視していた。

 「値上げもしていないのに
値上げ反対のスト決議が可決されたこともあった。
こんなことが長年続けば、教育は荒廃する。
だが、以前の大学執行部は
『学生を追い詰める必要はない』と及び腰だった」

 革マル派は、
中核派などとの激しい内ゲバで知られる過激派の一つ。
警察無線すら傍受できる盗聴技術を持っているといわれる。
その技術を駆使したのか、
革マル派に批判的な姿勢を見せた早大関係者は次々と、
金銭問題や女性問題などのスキャンダルを暴露された。
アジトを捜索した警視庁が大量の合鍵を見つけたこともある。
その中には、奥島さん宅の玄関ドアの鍵も含まれていたという。

【さらば革命的世代】第4部キャンパスはいま(3)
2009.5.30 13:00
 このニュースのトピックス:さらば革命的世代
 早稲田大学の奥島孝康・元総長(寺河内美奈撮影)
◇「合図したら逃げて」
 約40年前の全共闘運動の特徴は、
ノンセクトラジカルと呼ばれる
セクトに属さない活動家が多かった点だ。
組織に拘束されず、誰もが参加できる。
ただ、そのスタイルは共感を集めると同時に、
沈静化するのも早かった。
セクト回帰の動きは次第に加速し、
全共闘以降も生き残った各セクトは
労組や大学を拠点としながら命脈をつないだ。

 こうした動きを「大学側にもメリットがあった」
と指摘する関係者もいる。
「彼らは不審な新興宗教や悪質商法を
学内から追い出す役目も果たしてくれた。
セクトをうまく使えば、
学生管理がしやすいという面もあったことは否定できない」。
早大では、反共産党の教授が
「民青がはびこるぐらいなら、革マル派の方がまし」
と支援に回ったこともあったという。

 首都圏のある大学を拠点としたセクトは
大学当局と表面上は衝突しながらも、
背後で「一線を越えない」
と取り決めをしていたという逸話も残る。
この大学の学長経験者は
「団体交渉の際、学生側から
『追及はするが合図したら途中で逃げてください』
と事前に持ちかけられたこともあった」と打ち明ける。

 だが、平成に入ったころから、
新左翼セクトとの決別を進める大学が増加。
早大の場合、奥島さんが法学部長に就任した平成2年ごろから、
革マル派との対決姿勢が鮮明になった。
奥島さんはまず、慣例を振り切り期末試験を強行する。

 平成5年1月23日の法学部の期末試験初日。
試験強行の方針を知った革マル派側は全国動員で活動家を集め、
教室前でピケをはった。
ただ多かったのは学生ではなく40、50代の活動家。
教職員ともみあいになり、けが人も出たが、
教員が拡声器で「試験は予定通り行う」と連呼すると、
一般学生が教室になだれ込んだ。
「革マル支配に風穴が開いた」
と奥島さんが思った瞬間でもあった。

【さらば革命的世代】第4部キャンパスはいま(3)
2009.5.30 13:00
 このニュースのトピックス:さらば革命的世代
 早稲田大学の奥島孝康・元総長(寺河内美奈撮影)
◇保守派も結託
 奥島さんは、思想的には「左」だ。
学生運動経験もある。
全共闘運動の約10年前に盛り上がった
昭和35年の60年安保闘争のときは、早大2年生。
クラス委員として赤い腕章をつけて全学連デモの先頭に立った。

 同年6月15日の国会突入デモでは、
機動隊とのもみあいで亡くなった
東大生の樺美智子さんのすぐそばにいた。
「学生のころから、社会主義に共感は持っていたし、
そうした気持ちは今でも残っている」と話す。

 革マル派の勢いを止めるためにさらに必要なことは、
資金源を絶つことだった。
大学側は平成7年には商学部自治会の公認を取り消し、
自治会費の代理徴収もやめた。
経理の不透明な学園祭の実行委員会をめぐっては9年、
事態の正常化を一気に進めるため早稲田祭そのものを中止した。

 法学部長として4年、
総長として8年の計12年間にわたった「12年戦争」。
奥島さんは「大学の歴代執行部は、
あえて対決を避ける事なかれ主義に陥っていた」と振り返り、
さらにこう指摘した。

 「革マル派との対決は、
いろんな人の協力があってこそできたこと。
ただ、革マル派と手を組む人が
学内に大勢いたことは我慢できなかった」

 例えば、教授の中にも、清廉潔白を売り物にして常々
「不正は良くない」という割に、
革マル派の不正は容認するという人、
保守的な主張を繰り返す一方で、
裏では革マル派と結託していた人もいたという。

 「彼らとの対決を通じて思想的な立場よりも、
その組織や個人が実際にどんな行動を取っているのかを、
見極めることができた。
『世の中を変える』と口先では言いながら、
実際には『変わらないほうがいい』
と内心では思っている人が大勢いることも知りました」

【さらば革命的世代】第4部キャンパスはいま(3)
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