2023年01月

《旧 丹波町》大本山南禪寺本堂再建費寄附人名報告【禅宗 (18)】明治29年(1896)

《旧 丹波町》大本山南禪寺本堂再建費寄附人名報告
【禅宗 (18)】明治29年(1896)

【禅宗 (18)】明治29年(1896)
出版者   [禅定窟]
出版年月日 1896-08-31

p1【禅宗 (18)】明治29年(1896)
〔画像〕p1【禅宗 (18)】明治29年(1896)
https://dl.ndl.go.jp/pid/11006007/1/1


    公  告 p25-26/38
大本山南禪寺本堂再建費
寄附人名報告(第八回)
  本堂再建事務本部
     會計収納係
一 金五圓
内閣總理大臣秘書官      鮫島武之助
https://dl.ndl.go.jp/pid/11006007/1/25

一 金壹圓    p26/38
丹波國船井郡高原村字豐田   山下虎之助
丹波國船井郡高原村      田中半之烝
丹波國船井郡高原村      山内寛治郎
丹波國船井郡高原村      荒木源之烝
丹波國船井郡須知村字須知   岩崎 平造
丹波國船井郡須知村      森本安兵衞
丹波國船井郡須知村      岡本 直吉
一 金八拾錢
丹波國船井郡須知村      谷  嘉吉
丹波國船井郡須知村      河合 茂市
一 金五拾錢
丹波國船井郡須知村      荒井彌兵衞
丹波國船井郡須知村蒲生    福西小太郎
丹波國船井郡須知村蒲生    松本勉之助
一 金四拾錢
丹波國船井郡須知村      山崎善左衞門
一 金參拾錢
丹波國船井郡須知村      岩崎瀧三郎
丹波國船井郡須知村      田端庄治郎
丹波國船井郡須知村      田端 秀吉
丹波國船井郡須知村      岡本萬次郎
丹波國船井郡須知村      岡本與市郎
一 金貳拾五錢
丹波國船井郡高原村      山内國右衞門
丹波國船井郡高原村      田端 繁吉
丹波國船井郡高原村      山崎瀬三郎
丹波國船井郡高原村      山崎 佐吉
丹波國船井郡高原村      田端幸治郎
一 金貳拾錢
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本淸左衞門
丹波國船井郡須知村字蒲生   吉田宇三郎
丹波國船井郡須知村字蒲生   竹瀬重左衞門
丹波國船井郡須知村字蒲生   吉田伊三郎
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本竹次郎
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本小市郎
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本 平吉
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本 一馬
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本 政六
丹波國船井郡須知村字蒲生   田端源三郎
一 金拾八錢
丹波國船井郡須知村字蒲生   吉田龜右衞門
一 金拾五錢
丹波國船井郡須知村字蒲生   田垣辰之助
丹波國船井郡須知村字蒲生   吉田與市郎
丹波國船井郡須知村字蒲生   林  岩吉
丹波國船井郡須知村字蒲生   上田 淺吉
丹波國船井郡須知村字蒲生   中村 紋吉
丹波國船井郡須知村字蒲生   岡本 宇吉
一 金拾錢
丹波國船井郡須知村      田端 連吉
丹波國船井郡須知村      岡本 喜藏
丹波國船井郡須知村      岡本倉之助
丹波國船井郡須知村      山崎 仙吉
丹波國船井郡須知村      田端重右衞門
丹波國船井郡須知村      竹瀬 榮六
丹波國船井郡須知村      岡本 マキ
https://dl.ndl.go.jp/pid/11006007/1/26
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《坂本鼎所有》國千保丸遭難ノ件:全ク天災ニ起因シタルモノトス【官報 1894年01月15日】明治27年

《坂本鼎所有》國千保丸遭難ノ件:
全ク天災ニ起因シタルモノトス
【官報 1894年01月15日】明治27年

【官報 1894年01月15日】明治27年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治27年
  判決  p2/9
◎船舶司檢所判定
 汽船國千保丸遭難ノ件ニ關シ
 大阪船舶司檢所ニ於テ該船長審問ノ末
 左ノ如ク言渡セリ
   判定
   汽船 國千保丸 元船長 兵庫縣 平民
      山崎 初太郎
右ハ高知縣幡多郡宿毛村 坂本鼎所有
木製汽船 登簿 噸數百二十四噸五一
公稱馬力十五ヲ有スル國千保丸ニ乘組
船長トシテ執職中
明治二十六年十月十四日
土佐國幡多郡佐賀港内ニ於テ
本船難破ノ顚末審問ヲ遂クル處

本船ハ明治二十六年十月七日午前八時
土佐國浦門港ヲ發シ久禮須崎ノ兩地ニ寄港シ
同日午後二時四十五分
佐賀港ニ著ス
同三時下田港ヘ向ケ同港ヲ發シ
凡ソ一分時間航行シタル頃
船體ニ異響ヲ感シ乍ラ
機關ノ運轉止マリタルヲ以テ
之ヲ調査セシニ
本船ノ副龍骨十餘尺脱却シタル爲メ
螺旋翅ヲ破損シ
運航ヲ爲ス能ハサルニ至レルヲ發見セリ
此時天候ハ半晴
東ノ軟風ナリ
茲ニ於テ再ヒ佐賀港ニ回航シ
乘客三十餘名ヲ上陸セシメ
豫備ノ螺旋ヲ取付ケン爲メ
同港ノ川内ニ入船セントセシモ
川口ノ水底本船ノ喫水ニ對シ
一尺程淺キヲ以テ
之ヲ掘鑿センカ爲メ
人夫百餘名ヲ使役シ

翌八日午後三時頃
浚工畢リ
本船ヲ川口ニ引寄セ滿潮ヲ待チ居タルニ
同日ハ天候曇天
風位北東ニシテ
漸次風力增加シ
波浪モ亦タ高ク
遂ニ入船スルヲ得ス
近傍適當ノ場所ニ兩舷錨
竝ニ豫備ノ大錨ヲ投シ
嚴重ニ繫泊シタリ
爾後連日天候不穏ニシテ

十一日午前九時頃ニ至リ
汽船中村丸ノ入港スルニ會シ
曳船ヲ依頼シタルモ
天候險惡ナルヲ以テ謝絶セラレ

翌十二日午前四時頃
大風雨ト爲リ
晴雨計ハ漸次低降シ
暴風雨ノ襲來スヘキ徴候ナルニ由リ
錨鎖ノ注意ハ勿論
前ニ投シタル三錨ノ外
尚ホ片爪ノ大小錨二箇ヲ加ヘ
防禦ノ方法ヲ盡セシニ

同十三日夜半ニ至リ風位
東ニ變シ風雨彌々猛烈ヲ極メ

翌十四日午前二時頃
諸錨索ノ堪難キコトヲ思料シ
船橋ノ風除及兩檣ヲ切倒サント準備中
同二時半頃
左舷ノ錨鎖切レタルヲ以テ
直チニ船橋ノ風除竝ニ兩檣ヲ切捨テ
尋テ端艇二艘ヲ甲板ニ卸シ
本船破壊ニ至ラハ
兩艇ノ綱ヲ切リ使用スヘキ用意ヲ爲シ
又紅燈二箇ヲ旗竿ニ掲ケ陸地ノ注意ヲ促シ
防禦ニ盡力セシニ
同四時半頃
片爪錨ニ付シタル梭梠繩二筋同時ニ切レ
殘ル二錨ヲ曳キナカラ
船體ハ陸地ニ近寄リ
同五時半頃
字横濱沖ノ磯ニ撞觸シ
船底破損シ
海岸ノ砂地ニ打揚ケラレ遂ニ全船
悉ク破壊シタル旨
本人ヨリ陳述セリ

依テ乘組參考人ノ陳述竝
ニ海難取調調書等ヲ參照シ
判定スルコト左ノ如シ

船長山崎初太郎ハ
本船ノ螺旋翅破損セシニ由リ
佐賀港ニ回船シ同地碇泊中
暴風雨ニ遭ヒタルモノニシテ
當時風雨ノ激烈ナリシ
中央氣象臺ノ報告ニ依リ確實ナリ
右遭難ノ際
適當ノ所置ヲ施シ
職務上
過失ノ廉ナク本船ノ破壊ハ
全ク天災ニ起因シタルモノトス

右ノ理由ナルヲ以テ
船長山崎初太郎受有ノ第三則船長免狀ハ直ニ還付ス
    審問主任船舶司檢所司檢官  森本 弘策
    審問參坐船舶司檢所司檢官補 堀  禎吉
右ノ判定承認候條直ニ執行スヘシ
  明治二十七年一月六日  遞信大臣 伯爵黑田淸隆
 p2【官報 1894年01月15日】明治27年
〔画像〕p2【官報 1894年01月15日】明治27年
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【官報 1894年03月07日】明治27年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 明治27年
   登簿船除籍數  p6/7
免狀番號  三八
船  名  國千保丸
信號符字  HBQK
登簿噸數  一二四
公稱馬力   一五
定繋場   土佐國 宿毛 大島
船主氏名  坂本 鼎
事  由  難破
 p6【官報 1894年03月07日】明治27年
〔画像〕p6【官報 1894年03月07日】明治27年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年12月07日 05:00
《船主・阪本 鼎:船名・國千保》[明治廿五年 船名錄]
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《纏め》木口幸男家所蔵[世木澤翁 記念帖]全39頁

《纏め》木口幸男家所蔵[世木澤翁 記念帖]全39頁


※世木澤翁 華甲 記念帖
※世木澤藤三郎 明治9年(1876)9月生
    出版年 昭和11年(1936)
華甲/かこう
意味 華甲とは、数え年で61歳。還暦。華年。
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北海道立図書館
区分    図書。
タイトル  世木澤藤三郎還暦記念。
著者名    著者名ハ、アリマセン。
出版社   [出版者不明]。
出版年   1936。
シリーズ名  シリーズ名ハ、アリマセン。
請求番号  289/SE。
配架場所  貴重書(閉架書庫)。
資料番号  1101789343。
資料状態  禁帯
世木澤藤三郎還暦記念-1
〔画像〕世木澤藤三郎還暦記念-1
世木澤藤三郎還暦記念-2
〔画像〕世木澤藤三郎還暦記念-2
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[世木澤翁 記念帖]全31頁:p01~p04
 世木澤翁 華甲 記念帖

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p05~p08

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p09~p11

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p12~p13

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p14~p17

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p18~p20

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p21~p25

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p26~p28

[世木澤翁 記念帖]全31頁:p29~p31〔完〕
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木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p05/31 p07/31 p14/31

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p09/p21/p22

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p12

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p15

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]『瀧野常吉氏』p19

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p20

木口幸男家所蔵:[世木澤翁 記念帖]p23/p24/p25
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月26日 13:02
木口幸男家所蔵書籍:世木澤藤三郎氏について:第一回
関ヶ原の戦い(1600)の頃から
胡麻郷(現 京都府南丹市日吉町上胡麻タニ8番地)に
居住の旧家、
木口家の御主人、木口幸男さん。
平成24年(2012)2月10日~24日迄、同室で、
日吉町始め南丹市・京丹波町・北海道旭川市・満洲等、
多岐に渡り、色々な事を教えて頂きました。
大変、勉強になりました。
有難うございます。
木口家に残る多数の、貴重な文書・書籍の中、
世木澤藤三郎氏の書籍をお借りしました。
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《理事長 世木澤藤三郎》財團法人 旭川隣保會【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年

《理事長 世木澤藤三郎》財團法人 旭川隣保會
【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年

【北海道社会事業団体誌:紀元二千六百年記念】昭和17年
出版者   北海道社会事業協会
出版年月日 昭和17

   四四 財團法人 旭川隣保會  p113-115/153
(一)所 在 地 旭川市六條通九丁目自一號至九號
         旭川市役所内(電話四、一四五番)
(二)創立年月日 昭和十五年八月一日
(三)創 立 者 世木澤藤三郎
(四)現 代表者 理事長 世木澤藤三郎
(五)事   業 託兒、授産、母子保護
(六)組   織 在團法人
(七)沿   革
   本會は旭川市の醸造家世木澤藤三郎氏が、
   同市の社會事業振興を圖る爲、
   自家所有田地三十二町歩餘を寄附し
   更に市内有志に呼びかけ一萬圓の資金を造成し、
   是を基金として各種社會施設を綜合的に經營せんとし、
   市有志谷口甚角、谷川喜市氏等と協議
   光輝ある紀元二千六百年を卜して
   華々しくスタートしたものである。
   ―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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旭川の世木澤藤三郎君【庭訓録】昭和17年

旭川の世木澤藤三郎君【庭訓録】昭和17年

【庭訓録】昭和17年
著者    井上活泉 著
出版者   井上善吉
出版年月日 昭和17

世木澤藤三郎氏經營の隣保會館
 p189【庭訓録】昭和17年
〔画像〕p189【庭訓録】昭和17年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/189

 七、北海道と丹波人  p193/252
   ―略―
渡道の丹波人は、何れも何に物かを地上に殘し、
良威化を郷土内外に與へてゐるものが多い。

現に旭川の世木澤藤三郎君の如きは
正に其の一人である。
君は船井郡竹野村の人、
明治三十三年渡北以來、
茲に四十年餘、
初めは雜穀肥料業を營みしが、
十數年後之れを癈業し、
更に大正七年から酒造業を開始、
本年に至り實に二十三ケ年、
此間、毎年四千石を醸造したが、
統制後の今日、尚二千餘石に達してゐる。
然るに數年前より家業一切を令息に一任し、
君は巨萬の資を投じて專心社會事業を起し、
旭川隣保會の理事長として活躍して居らる。
同會が昭和十五年、紀元二千六百年の
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/193
式典に當り、
社會事業の一に選ばれ、
畏くも御内帑金御下賜の光榮に浴したるが如き、
是れ實に君の誠意熱情、
公事に獻身努力したる賜と言はねばならぬ。
乞ふ君、益々自重勵精、
國家社會民人の爲めに盡す所あれ。
(昭和十六年九月)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/194
昭和十七年五月十五日印刷
昭和十七年五月二十日發行 (非賣品)
著者兼發行者 井上 善吉
       京都市上京區小山堀池町三九
印 刷 者  橋本岩太郎
       京都市上京區上椹木町千本東入
印 刷 所  眞美印刷所
       京都市上京區上椹木町千本東入
發 行 所  井上 善吉
       京都市上京區小山堀池町三九
https://dl.ndl.go.jp/pid/1024292/1/250
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「幻の写真家 チャールズ・ウィード 知られざる幕末日本の風景」横浜開港資料館

「幻の写真家 チャールズ・ウィード 
 知られざる幕末日本の風景」
 横浜開港資料館

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年05月19日 05:35
【ウィードの年譜】ウィード先生
《J. A. Weed》James Austin Weed:
京都府立須知高等学校2022年3月18日発行
この年譜のウィードの兄は
チャールズ・リアンダー・ウィードといって
来日したこともある著名なカメラマンです(※)。
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神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙
タウンニュース
中区・西区版掲載号:2023年1月26日号
横浜開港資料館
幻の写真家 28作品初公開
幕末維新期の風景 展示
 横浜開港資料館で1月28日(土)から、特別展
「幻の写真家 チャールズ・ウィード
  知られざる幕末日本の風景」が開かれる。
明治維新の直前1867年から68年に来日した
米国のプロカメラマン、
チャールズ・リアンダー・ウィード
(1824〜1903)が撮影した
幕末維新期の横浜や江戸、長崎の
風景写真28枚が初公開される。
 ―略―
 特別展は3月12日(日)まで。
開館時間は午前9時30分から午後5時
(券売は4時30分)まで。月曜休館。
観覧料は一般500円、
小中学生と市内在住の65歳以上は250円。
毎週土曜日は高校生以下が無料。
(問)横浜開港資料館【電話】045・201・2100
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世木澤藤三郎傳【旭川市功労者伝】山崎有信 著 昭和15年

世木澤藤三郎傳【旭川市功労者伝】山崎有信 著 昭和15年

【旭川市功労者伝】昭和15年(1940)
著者    山崎有信 著
出版者   日本書院
出版年月日 昭和15
   世木澤藤三郎傳 p51-52/135
世木澤藤三郎氏は明治九年九月三日
京都府船井郡竹野村字新水戸に於て、
與市 長男として呱々の聲を舉ぐ。
氏は小學校卒業後、
郷里にあつて專ら農業に從事し、
明治三十一年七月十三日
年齢二十二の時
同村 口八田 船越源七の長女よしを迎へて
華燭の典を舉ぐ、
時に よし二十二歳なりき、
氏は郷里にあつて農業に從事しては
到底滿足出來ずと、
奮然起つて明治三十三年四月十六日渡道し、
旭川に來り一ケ年間家族は專ら農事に從ひたるも
其の間氏は僅に三日間農事を爲し
他は調査研究に餘念なし、
明治三十四年四月 米穀商を開業
二十四年間卽ち大正十三年迄繼續せしが、
是より先、大正七年以來酒造業を兼營し、
大正十四年に至り他の業を癈し酒造業を專一とし、
銘酒「千代の澤」及「登鶴」の名聲全道に喧傳し、
造石高三千八百石に至りしと云ふ。
是れ全く氏の奮闘努力の結果と云ふべし
氏の公職としては
大正九年六月三日
一級區會議員に當選、
現在に於ても市會議員、
大正八年十二月
商業會議所設立當初より其の議員となり、
且つ常議員を十二ケ年間繼續
目下顧問たり
其の他
旭川火災豫防組合聯合會長、
旭川方面委員協
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/51
會長等に就職し
氏子總代。
事業關係は
旭川肥料株式會社社長、
旭川商事株式會社、
旭川市場株式會社、
旭川瓦斯株式會社の重役にして
其の他
旭川雜穀商組合長、
酒造組合の副組合長等
枚舉に暇あらず。
昭和十四年三月
旭川市防空兵器獻納會へ金壹萬圓を寄附せり。
氏 時局に付ては銃後後援會副會長として活動。
昭和十三年二月十一日
紀元の佳節に當り
旭川市の功勞者表彰規程第一條第一項第一號の
本市の交益に關し功勞顯著なりと認むる者とあるに
該當せるものとして
旭川市長 井上英より表彰せられ又
陸軍特別大演習の際は
御賜餞の光榮に浴したるは
誠に一家の名譽なりと云ふべし。
昭和十三年五月十四日
皇后陛下の御名代として
賀陽宮妃敏子殿下の御來道に際し
軍事關係の功勞者として
道廰に於て特別奉拜、
石黑長官より感謝狀を受く。
氏 今や家業の全部を
三條通十八丁目右四號を長男登に譲り。
登は昭和十二年三月五日
家督相續人として、
相續を爲し
業務益々發展せりと云ふ。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1054964/1/52
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《登鶴・世木澤藤三郎》【日本酒類醤油大鑑】昭和11年

《登鶴・世木澤藤三郎》【日本酒類醤油大鑑】昭和11年

【日本酒類醤油大鑑】昭和11年(1936)
著者    醸界新聞社 編
出版者   醸界新聞社
出版年月日 昭11
 淸酒醸造家氏名  p382/416
代表マーク  石 數  氏  名   住   所
登 鶴  三、七〇四 世木澤藤三郎 北海道旭川市三條通
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263562/1/382
 焼酎醸造家氏名  p382-383/416
代表マーク  石 數  氏  名   住   所
        二一 世木澤藤三郎 北海道旭川市三條通
https://dl.ndl.go.jp/pid/1263562/1/383
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《世木澤藤三郎》母 いま 京都府 木口太郎右衞門 二女【昭和調査録 昭和6年版】

《世木澤藤三郎》
 母 いま 京都府 木口太郎右衞門 二女
【昭和調査録 昭和6年版】

【昭和調査録 昭和6年版】
出版者   日本人事通信社
出版年月日 昭和5
《世木澤藤三郎》  p903/
 北海道多額納税者、
 旭川商業會議所常議員、
 丸肥旭川肥料(株)取締役、
 旭川商事(株)取締役、
 酒造業、
 直税二六六七
 旭川市三條通八丁目
北海道人世木澤與市の長男
明治九年九月生る
曩に雜穀商を營みしが
現時酒造業を營み
傍ら前記各會社の重役にして
旭川商業會議所常議員に推さる
家庭
母   いま (嘉永六年 六月生)
        京都府 木口太郎右衞門 二女
妻   よし (明治一〇年 三月生)
        京都府人 舟越源七 長女
男   登  (明治三二年 三月生)
同妻  キヌ子(明治三八年一〇月生)
        北海道 大谷禎次 三女
同長男 淳一 (大正一四年生)
同長女 俊子 (大正一三年生)
男   淸一 (明治三五年 七月生)
女   富惠 (明治三八年 三月生)
女   正子 (明治四三年 三月生)は分家し
長女 富惠(明治三八年生)は
北海道人 石田浩治に嫁す
 p903【昭和調査録 昭和6年版】
〔画像〕p903【昭和調査録 昭和6年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1033556/1/903
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《世木澤藤三郎》北海道多額納税者【現代人事調査録】大正14年

《世木澤藤三郎》北海道多額納税者【現代人事調査録】大正14年

【現代人事調査録】大正14年
著者    猪野三郎 編
出版者   帝国秘密探偵社[ほか]
出版年月日 大正14
《世木澤藤三郎》 p991/1083
 北海道多額納税者、
 旭川商業會議所常議員、
 丸肥旭川肥料(株)取締役、
 旭川商事(株)監査役、
 酒造業、
 北海道平民、
 旭川、宮下通、一二ノ右一
君は北海道世木澤與市の長男にして
明治九年九月を以て生る
曩に雜穀商を營みしが
現時酒造業を營み
傍ら前記各會社の重役にして
旭川商業會議所常議員に推さる
北海道多額納税者にして
現時直税二千六百六十七圓を納む
家庭
母  いま (嘉永六年 六月生)
       京都府 木口太郎右衞門 二女
妻  よし (明治一〇年 三月生)
       京都府 舟越源七 長女
男  登  (明治三二年 三月生)
婦  キヌ子(明治三八年一〇月生)
       長男 登 妻
       北海道 大谷禎次 三女
男  淸一 (明治三五年 七月生)
女  富惠 (明治三八年 三月生)
女  正子 (明治四三年 三月生)
 p991【現代人事調査録】大正14年
〔画像〕p991【現代人事調査録】大正14年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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