2023年03月

《小松島・八洲園》【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)

《小松島・八洲園》【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)

【東京そのむかし:珍しい写真集】昭和30年(1955)
著者    宮尾しげを 編
出版者   アソカ書房
出版年月日 1955
小松島 Komatsujima……53 ⑤
隅田川言問橋の先にある島で
明治十年頃まで稲が植えてあつたのを
八洲園という庭園にした所,
花の頃は種々の催しがあつてにぎわつたが,
いつしか荒れて蒸気船発着地点となつた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3010278/1/66

⑤鐘淵手前小松島風景
p30【東京そのむかし:珍しい写真集】1955
〔画像〕p30【東京そのむかし:珍しい写真集】1955
https://dl.ndl.go.jp/pid/3010278/1/30
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《向島八洲園》上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會 明治28年1月20日[群馬縣第一區正義同志者]

《向島八洲園》上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會
 明治28年1月20日[群馬縣第一區正義同志者]

【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
著者    中村周次郎 編
出版者   中村周次郎
出版年月日 明28.11
  群馬縣第一區正義同志者
  明治廿八年十一月
    附 記  p32-33/41
一 二十七年十一月十一日旅順陥落ス
一 廿八年一月二十日ノ良日ヲ卜シテ
  名譽アル我上毛出身軍人諸氏ノ出征豫餞會ヲ
  向島八洲園ニ開ケリ
  此日天氣淸朗ニシテ微風ダモナク
  遠路來臨者ニ向テ數等ノ利便ナリシハ
  極メテ好都合ナリキ
  例刻ト共ニ上毛學友會員并ニ軍人諸士ハ
  陸續トシテ歩ヲ八洲園内ニ向ケ
  午后二時半ニ至レバ來會者ノ數
  實ニ三百三十餘人ト注シヌ
  茲ニ於テカ掛員等ハ左ノ順序ニ從テ開會ノ式ヲ
  八洲園内ノ東丘ナル黄芝靑松ノ間ニ舉グ
   一 開會之辭  二 送別辭   三 答辭
   四 君ケ代   五 萬歳    六 宴會
   七 餘興
  此間各切レ目等ニ樂隊ノ演奏アル筈ナリシモ
  音樂師ニ差支アリテ
  事ノ茲ニ出シ能ハザリシハ實ニ終生ノ遺憾トス
  特ニ此式順ヲ指示セラレタル
  鈴木眞一君ニ向テハ實ニ謝スルノ辭ナキナリ
p32【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
〔画像〕p32【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年

p33【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
〔画像〕p33【第七・第八両議会ニ於ケル顛末】明治28年
明治廿八年十一月七日印刷
明治廿八年十一月十日出版
發行兼 群馬縣士族
編輯  中村周次郎
    群馬縣前橋市榎町五十七番地
印刷者 柴辻誠太郎
    東京市京橋區八官町十九番地
印刷所 忠愛社
    東京市京橋區八官町十九番地
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【東京名所図絵】明治23年
出版者   東雲堂
出版年月日 明23.3
隅田川近傍には
八洲園の美亭あり
園裡に池を遶(めぐ)らして
北海松を所々に植へ
水禽を放ち
庭景頗る宣(よ)し
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「和知黒共和国民」第一回「和知ボタン鍋まつり」開催【地方議会人:議員研修誌 19(10)】平成元年(1989-03)

「和知黒共和国民」第一回「和知ボタン鍋まつり」開催
【地方議会人:議員研修誌 19(10)】平成元年(1989-03)

【地方議会人:議員研修誌 19(10)】平成元年(1989-03)
著者    全国町村議会議長会 編
出版者   中央文化社
出版年月日 1989-03
 p1【地方議会人:議員研修誌 19(10)】1989-03
〔画像〕p1【地方議会人:議員研修誌 19(10)】1989-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/2764368/1/1
人気呼ぶ和知の味
第一回「和知ボタン鍋まつり」開催
   ―京都府和知町―
都会の人たちに丹波の冬の味覚と郷土芸能を
楽しんでもらおうと、
京都府和知町のふるさと振興センターは、
去る二月十一日第一回「和知ボタン鍋まつり」を、
同町上粟野の府立和知青少年山の家などで開き、
京阪神の家族連れ、グループなど八十人が
ボタン鍋や強度芸能で休日を過ごした。
同町、町ふるさと振興センターが都市住民との交流で
町振興を図ろうと行っている一連の
「和知黒共和国民」事業の一つで、
夏の「アユまつり」、秋の「クリまつり」に続く
冬のイベントで、
新たな”和知ファン“開拓を図ったもの。
町の活性化を目指して、
同町では四季折々の豊かな自然を生かしたイベントを
三年前から開き、
京阪神の人たちと交流を深めているが、
「ボタン鍋まつり」を本格的に催すのは今回が初めて。
イベントは、午前十一時半から、同山の家で始まり、
野間町長の歓迎のあいさつの後、
丹波特産のイノシシを使ったボタン鍋、
ボタン雑炊のほか、シカ肉の刺し身、
黒大豆、ワラビやフキの山菜、
絞りたての地酒などを味わった。
また、特産化を目指し栽培を進めている
ハーブの風呂も用意された。
午後は町大倉文化センターに移動し、
地元の人たちが演じる府無形文化財の
「和知人形浄瑠璃」、
大江山鬼退治にゆかりの勇壮な
「和知太鼓」といった伝統芸能を楽しんだ。
 p33【地方議会人:議員研修誌 19(10)】1989-03
〔画像〕p33【地方議会人:議員研修誌 19(10)】1989-03
https://dl.ndl.go.jp/pid/2764368/1/33
 地方議会人  (禁転載)
三月号(第十九巻第十号)
平成元年三月一日発行
   定価四三〇円(送料共)
編集 全国町村議会議長会
   (財)全国町村議員会館
   責任者 大橋茂二郎
   東京都千代田区一番町二五
       全国町村議員会館
   TEL(二六四)八一八一(代)
発行 株式会社 中央文化社
   責任者 宗万誠一
   東京都千代田区一番町二五
       全国町村議員会館
   TEL(二六四)二四五七(直通)
   TEL(二六四)八一八一(内)五二六
印刷 株式会社 中央文化社印刷部
   東京都台東区東上野一丁目二八の三
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年03月13日 14:05
《山﨑裕二議員ブログ》
[京丹波町役場のパソコン]
インターネット接続に5分ほどの時間がかかる
[令和5年3月議会]
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「豆しぼり」(京都府和知町) 和知黒共和国【観光 6月(309)】平成4年(1992-06)

「豆しぼり」(京都府和知町) 和知黒共和国
【観光 6月(309)】平成4年(1992-06)

【観光 6月(309)】平成4年(1992-06)
出版者   日本観光協会
出版年月日 1992-06
町全体で和知黒共和国をつくり
地域の自然と行事に参加してもらい
野菜などの物産物を提供する、
この地域を代表する特産加工品は
「豆しぼり」である(京都府和知町)などの事例もある。
農山漁村には、このような事例は沢山みられる。
 p13【観光 6月(309)】平成4年(1992-06)
〔画像〕p13【観光 6月(309)】平成4年(1992-06)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2841838/1/13
月刊観光  4年6月号 © 禁無断転載
発行日   平成4年6月10日(月刊)
定価    670円(本体651円)
編集発行人 奈良繁雄
発行所   社団法人 日本観光協会
      〒100 東京都千代田区丸の内1-8-3
      TEL 03(3211)1595
      FAX 03(3287)2747
      振替 東京 7-43891
印刷    (株)丸井工文社
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京丹波和知地域発祥の地と言われる「豆しぼり」:よしもと住みます芸人

京丹波和知地域発祥の地と言われる「豆しぼり」:
よしもと住みます芸人

京丹波太郎さんがリツイートしました
【伝統食復活プロ弱と】
京都府住みます芸人木下弱のBSよしもと企画
「京丹波町の伝統食復活と伝統食商品化」第11弾
現在は作り手も減り、販売もされなくなった
京丹波和知地域発祥の地と言われる
「豆しぼり」の作り方を学ぶ木下。
「豆しぼり復活」の夢を掲げ、
ある場所に早速提案を持ち込む。
午前11:48 · 2023年3月29日
 【伝統食復活プロ弱と】京都府住みます芸人木下弱-1
〔画像〕
【伝統食復活プロ弱と】京都府住みます芸人木下弱-1

 【伝統食復活プロ弱と】京都府住みます芸人木下弱-2
京丹波町役場 片山さん(商工観光課課長)
京都府住みます芸人木下弱
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<豆しぼり>小箱入 - 黒豆菓子 
「京の黒豆 北尾」で取り扱う商品
「豆しぼり 小箱入」の紹介
粒選りの京都丹波産「新丹波黒」を
使用した黒豆菓子です。
自然のままの風味を生かし、
昔ながらの素朴な味わいに仕上げています。
京の四季を描いたかわいい小箱入りです!
北尾商事株式会社
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京都市下京区西七条南中野町47
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お福豆しぼり
厳選丹波産黒大豆をじっくり4昼夜掛けて仕上げ、
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丹波が世界に誇る特産品「丹波黒大豆」は、
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それに加え永年の研究・努力の賜物です。
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《船井郡丹波町・与謝郡岩滝町》民謡調査概要報告【資料館紀要 (11)】昭和58年(1983-03)

《船井郡丹波町・与謝郡岩滝町》民謡調査概要報告
【資料館紀要 (11)】昭和58年(1983-03)
《安井ハルエ》旧須知町の塩田谷
《小林 茂市》旧竹野村の口八田
《菊島 ゆき》旧高原村

【資料館紀要 (11)】1983-03
出版者   京都府立総合資料館
出版年月日 1983-03


 民謡調査概要報告   p112-117/118
     文科資料課
 一、船井郡 丹波町  p112-115/118
丹波高原のただ中にある丹波町は
船井郡の西部に位置し
旧須知町、旧竹野町、旧高原町が合併した町で、
船井郡日吉町、和知町、瑞穂町、園部町、
兵庫県多紀郡篠山町にそれぞれ隣接しています。
また京都と丹後を結ぶ街道のほぼ中間に位置し、
交通の要所として栄えました。
鉄道が丹波町の中心を通らずに開通したことにより、
一時おとろえはしましたが、
近年国道の整備により
自動車交通が盛んになるとともに、
分岐点でもあるこの地は、
交通の要衝となっています。
旧須知町には、かつて宿馬が設けられ、
旧竹野村・高原村の地域は、
古くからの農村地帯で、
川沿に広がった耕地による農業が主です。
これらの地域の中から、
旧須知町の塩田谷、
旧竹野村の口八田、
旧高原村の下山・富田・実勢の
各地を調査しました。

塩田谷では、
《安井ハルエ》さんをたずねました。
明治36年生まれのこのおばあさんは、
耳が遠いとおっしゃりながらも、
よく徹る美しい声で、
今でもひ孫の守りにうたうという
子守り唄を歌って下さいました。
  子守り唄
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/112
また、今は故人となられたこのおばあさんは、
手まり唄を完全に覚えておられました。
次にあげる曲は、二十番まである手まり唄です。
  手まり唄(ひとつもんちの太市さん)

次に丹波杜氏として伏見で酒造りを経験された
《小林茂市》さんからは、
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/113
朗々たる酒造り唄を、
酒造りの手順に従って収録しました。
  一番櫂唄(山おろし唄)

昔の酒造りには、
それこそ何百という種々様々の歌詞が
歌われてそうですが、
その中で最初の歌い出しは、
縁起を祝って必ず
この歌詞から始めたということです。
そのほか、伊勢まで道中して、
その搗きぐあいで行きつ戻りつするという
歌詞の唄もあります。
  風呂上り唄
  風呂上り唄(後唄)

今度は、伊勢を出発して
奈良・京都・大阪と歌われ
住吉の浜までが歌われます。
異常、酒造りの唄の中から
一部を紹介しましたが、
この他にも様々な興味深い曲を
収録することができました。

次に旧高原村地区での収録曲を紹介します。
  嫁入り唄
  はがね打ち唄
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/114

ここ丹波町には、現在も嫁入りの際に
嫁入り唄を歌っているところがあります。
唄が生活の中に生きているのです。
また、共同で池を作った時などに歌ったのでしょう。
はがね打ち唄が収録できました。

次にあげるのは手まり唄で、
京の大火事を歌ったものです。
街道伝いに伝わり、
この地に手まり唄として残ったものでしょう。
  京焼けの手まり唄

ここに紹介しました曲はほんの一部であり、
まだまだ多数の曲を収録できました。
しかしながら、
この最後の曲を歌っていただいた、
《菊島ゆき》さんとおっしゃるおばあさんも、
二度目に完全な収録をと思い伺いました時には、
すでに故人となっておられました。
心暖まるふるさとの唄が、
おとしよりとともに
なくなってゆくのを見るのは
寂しい思いがします。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/115

 二、与謝郡 岩滝町  p115-117/118
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/115
  石場搗き唄
  織り手節
  車廻し唄
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/116
   子守り唄
   嫁入り唄(長持ち唄)

以上のように、
船井郡丹波町と、
与謝郡岩滝町では、
土地柄も歴史も異なり、
残っている民謡にも違いがあります。
土地土地の人々が何げなく
口ずさんでこられて歌詞にも、
思わぬ歴史が秘められていたり、
新しい発見があります。
民謡は、まさに生活文化の一端と言え、
音楽文化を語るうえで、
欠かせないものなのです。
(文責・大西基子)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/117
資料館紀要 第11号
昭和58年3月31日
  606京都市左京区下鴨半木町
編集 京都府立総合資料館
発行 TEL(791)9101
  606京都市左京区百万遍交差点上ル東側
印刷 (企業)昭和堂印刷所
   TEL(075)721-4541~3
https://dl.ndl.go.jp/pid/3437852/1/117
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《向島八洲園》讌饗:法學部敎師米人テリ理學部敎師ワグ子ル醫學部敎師ベルツ【学芸志林 15(84)】明治17年

《向島八洲園》讌饗:法學部敎師米人テリ
理學部敎師ワグ子ル 醫學部敎師ベルツ
【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)

【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
出版者   東京大学
出版年月日 1884-07
東京大學明治十七年六月畧報  p54/68
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/54
◎讌饗  p56-57/68
同月(六月)六日
本學所轄植物園集會所ニ於テ先例ニ準シ
外國諸敎師ヲ讌饗ス
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/57
[明治17年]六月廿日
法學部敎師米人テリ
理學部敎師ワグ子ル
醫學部敎師ベルツ
向島八洲園ニ饗シ
不日解雇歸國ノ送別ヲ爲ス

〇講談演説准可
同月九日
東京大學助敎授 關谷淸景
醫學部講師 淸水郁太郎
同 梅錦之丞
理學部講師 岩谷立太郎
同 北尾次郎ノ五名ニ
敎授ニ準シテ講談演説ヲ爲スヿヲ許ス」
同廿三日
理學部講師 難波正ニモ之ヲ許スヿ
一ニ上ニ同シ
〇歐洲行
助敎授 丹波敬三
同 飯盛挺三ノ
學術研究トシテ
大約一年半ヲ期シ
歐洲ヘ渡航セントスルノ願ヲ准可ス
p57【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
〔画像〕p57【学芸志林 15(84)】明治17年(1884-07)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1558730/1/57
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《小野梓と大隈》明治一四年の政変 大久保利謙【明治史研究叢書 第1巻 (明治政権の確立過程)】1957

《小野梓と大隈》明治一四年の政変 大久保利謙
【明治史研究叢書 第1巻 (明治政権の確立過程)】1957



【明治史研究叢書 第1巻 (明治政権の確立過程)】1957
著者    明治史料研究連絡会 編
出版者   御茶の水書房
出版年月日 1957
明治一四年の政変  大久保利謙
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/8
 五 開拓使官有物払下問題の勃発 p52/173
  1 問題の勃発
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/52
  2 大隈陰謀説おこる
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/54
  3 大隈陰謀説の検討
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/58
  4 大隈重信の憲法意見
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/61
  5 小野梓と大隈
この政変に、伊藤の蔭には井上毅、
大隈の下には矢野文雄と、
この二人が対比されている。
屢々引用した三宅雪嶺の
『同時代史』(第二巻、一三八頁)にも
この二人が比較されている。
矢野もたしかに大隈の有力な才能であったが、
小野梓も、もっと評価すべきであろう。
小野の力が蔭から
かなり大隈をうごかしていることは
改めて検討すべきであると思う。
矢野が大隈の意見書に修正を加えたとすれば
小野梓あたりであるといったのは
もっともな推察である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/63
  6 三菱会社と福沢をめぐる問題
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/66
 六 大隈追放のクーデターと
       国会開設の詔勅
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/70
著者略歴
林   茂 東京大学社研教授
大久保利謙 名古屋大学教授
洞  富雄 早稲田大学文学部講師
原口  清 静岡大学内法経短大研究室
 1957年4月10日 第1版第1刷発行
明治政権の確立過程 明治史 研究叢書 第一巻
  定価280円
編 者 明治史料研究連絡会
発行者 百瀬けさも
発行所 御茶の水書房
    東京都千代田区神田駿河台3の7
    電話東京(29)0454・0155
    振替東京14774
印 刷 明和印刷・製本 関文堂関山製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/3018650/1/172
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《小野梓》立憲改進黨名士肖像[明治十七年の寫眞石版]改進新聞附錄【公私月報 (43)】1934-04

《小野梓》立憲改進黨名士肖像
[明治十七年の寫眞石版]改進新聞附錄
【公私月報 (43)】1934-04

【公私月報 (43)】1934-04
出版者   宮武外骨
出版年月日 1934-04
  改進黨の新聞記者  p2/5
明治十七年八月一日發行の
『改進新聞』第四百二十四號に添付した
石版印刷の繪附錄、縦一尺六寸
總理大隈重信を中心として、
河野敏鎌、前島密、矢野文雄、
小野梓、牟田口元學、春木義彰、
沼間守一、島田三郎、藤田茂吉、
北畠治房、成島柳北の十二人
當時令名錚々であつた俊傑そろひである
右の内、
前島密は驛遞寮頭時代
『毎日平假名新聞誌』の發起者、
小野梓(東洋)は『共存雜誌』創立の外、
隔日刊行新聞『内外政黨事情』の客員であつた、
矢野文雄(龍溪)は『郵便報知新聞』社長、
藤田茂吉(鳴鶴)は同新聞主幹、
沼間守一(弄花)は『東京横濱毎日新聞』社長、
島田三郎(烏山)は同新聞主幹、
成島柳北(弘)は云ふまでもない
『朝野新聞』社長であつた

前島 密 大正 8年 4月28日死、享年85
小野 梓 明治19年 1月11日死、享年35
矢野文雄 昭和 6年 6月18日死、享年82
藤田茂吉 明治25年 5月17日死、享年42
沼間守一 明治23年 5月17日死、享年48
島田三郎 大正12年11月14日死、享年73
成島柳北 明治17年11月30日死、享年48
最も早く歿したのは、
此時(明治十七年八月)より四ケ月後の成島柳北、
次ぎは小野梓である、
最長壽者は前島密、次ぎは矢野文雄

 明治十七年の寫眞石版
  立憲改進黨名士肖像
   改進新聞附錄
p2-1【公私月報 (43)】1934-04
p2-1【公私月報 (43)】1934-04

p2-2【公私月報 (43)】1934-04
p2-2【公私月報 (43)】1934-04
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476171/1/2
公私月報  毎月一回發行
  定價一部金十錢 郵送料二錢
  一ケ年分前金郵送料共金一圓四十錢
  初號以下二十五部合本金二圓五十錢
昭和九年四月二十八日印刷
昭和九年四月 三十日發行 (禁無斷轉載)
編輯兼 半狂堂(宮武)外骨 (是本名也)
發行者 東京市本郷區龍岡町十五番地
    電話小石川(85)二六九番
    振替 東京三九四二〇番
印刷者 近藤印刷所 近藤秋治
    東京市小石川區柳町二十四番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1476171/1/5
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《福元 清》福徳相互銀行アイスホッケー部[明治大学昭和15年卒業]

《福元 清》福徳相互銀行アイスホッケー部
[明治大学昭和15年卒業]

【校友名簿】明治大学・昭和34年(1959)
著者    明治大学校友名簿編纂委員会 編
出版者   明治大学校友会本部
出版年月日 1959
校 友   p24/641
https://dl.ndl.go.jp/pid/9580701/1/24
氏 名   福元 清   p394/641
職 業   福徳相互銀行 境川支店
住 所   豊中市小曽根1285
本 籍   愛媛
年 卒   昭和15年政治
 p394【校友名簿】明治大学・昭和34年(1959)
〔画像〕p394【校友名簿】明治大学・昭和34年(1959)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9580701/1/394
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年03月26日 14:16
《小川清久》<写真>福徳相互銀行アイスホッケー部
【福徳相互銀行十年史】昭和36年(1961)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年04月19日 11:43
小川清久:福徳相互銀行アイスホッケー部
叔父:小川清久(母 小野文子の弟)
大正12年(1923)3月29日生
平成8年(1996)12月25日歿 73歳
生誕:支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎
   大連市山縣通205番地 海関官舎
   大連市光風台53 (現)大連市西崗区民主街19
   大連高等商業学校 アイスホッケー部
読売新聞 朝刊
昭和31年(1956)2月23日
※ 小川清久 記
第2回関西実業団アイスホッケー選手権大会
福徳のメンバーの中、
FW福元は戦前の明大のキャプテン、 ※上記
小川は大連高商OB,
DF木村は明大のキャプテン、
水沼は同志社大のキャプテン、
水倉だけが昭和29年(1954)卒関学大のキャプテン。
準決勝迄は速成のメンバーも使ったが、決勝では使えず、
FW・DFともオールラウンドプレイヤーで死闘。
決勝の第3ランドはやっと動いているというところ、
それにしても、
あと23秒で同点にされた時はガックリ来た。
延長のラウンドは精神力で動いていたのだろうが
0点に抑えたのは立派。
引分けは、
もう動けない福徳のメンバーに対する同情?で、
再試合はせず、準優勝となった。
私は33才だった。
この大会の結果、
それまで同好会だったものが、
銀行のアイスホッケー部となり、
翌年には関大や大商大の選手、
翌々年には明治大等の関東の選手が入り、
福徳が優勝するようになった。
私は、昭和34年(1959)36才で退部した。
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