2023年04月

《細川正典》特攻隊員たたえる歌「嗚呼(ああ)西村少尉」作詞者【京都府立園部中学校十年史】昭和11年

《細川正典》特攻隊員たたえる歌
「嗚呼(ああ)西村少尉」作詞者
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年
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作詞者の次女語る思いとは
配信 2023年4月22日 14:51
更新 2023年4月22日 14:52
京都新聞
元来体が弱く、
32歳になる戦後の1947年(昭和22年)に
結核を患って死去した。
次女は4歳の頃で、細川さんの記憶はない。
須知農林学校(現須知高)で国語を教えていた。
本来は英語教員だったが、
敵性語として英語の授業はできなかったという。
嗚呼 西村少尉
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2022年08月29日13:30
「戦死した特攻隊員
(京丹波町出身の西村克己少尉)をたたえる歌」
復活演奏YouTube · 京都新聞2022年8月29日
「嗚呼 西村少尉」
作詞 細川正典  作曲 岩崎初枝
第五神風特攻隊(銀河主体直掩機随伴)
隊  名 第1草薙隊(銀河2)
階  級 少尉
氏  名 西村 克己
出身県  京都
出身別  明治大学13
生  年 大正11年
戦死場所 スルー海
戦死日  昭和19年12月15日
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《細川正典》
京都府立園部中学校
(1927)昭和2年4月 入学
(1932)昭和7年3月 卒業
(1944)昭和19年12月15日
 西村克己少尉 戦死(25歳)
(1945)昭和20年8月15日終戦
 畑中健二少佐 自決(33歳)
(1947)昭和22年 32歳死去
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【京都府立園部中学校十年史】昭和11年
出版者   京都府立園部中学校
出版年月日 昭和11
  大正十五年度(創立第一年次) p21/102
 四月十六、第一回入學式並に開校式。
   第一回入學生徒

  昭和二年度(創立第二年次)  p26/102
 四月八日、始業式。九日、第二回入學式。
   第二回入學生徒
細川正典
第一學年 (副級長) 細川正典

  昭和三年度(創立第三年次)  p28/102
 四月八日、始業式。十日、第二回入學式。
   第三回入學生徒
第二學年 (副級長) 細川正典

  昭和四年度(創立第四年次)  p31/102
   第四回入學生徒
岩崎兆民
第三學年 (副級長) 寺町倉太
第四學年 (正級長) 畑中健二
校旗旗手  正    畑中健二
風紀委員       畑中健二

  昭和五年度(創立第五年次)  p34/102
   第五回入學生徒

 昭和六年一月一日、新年祝賀式舉行。
二月二十四日、第一回卒業生送別會。
三月四日、第一回卒業證書授與式。
 第一回卒業生
畑中健二(第一回卒業生ト同級、
     第四學年ヨリ上級學校入學者)
第四學年 (副級長) 細川正典
風紀委員       細川正典

  昭和六年度(創立第六年次)  p38/102
   第六回入學生徒

 昭和七年一月一日、新年祝賀式舉行。
二月二十四日、第二回卒業生送別會。
三月四日、第二回卒業證書授與式。
 第二回卒業生
細川正典
胡 大春(第二回卒業生ト同級、
     第四學年ヨリ上級學校入學者)

昭和八年十月二十三日、
岩崎兆民に劍道初段を允許する。
昭和九年三月、山根正己、谷垣丹治、西田重一、
卒業生西垣勘藏に劍道初段を允許する。
昭和九年十月十二日、森重雄に劍道初段を允許する。
昭和十年二月、田中貞一郎に劍道初段を允許する。
昭和十年六月二十日、今西淺五郎に劍道初段を允許する。

昭和十一年四月十一日印刷
昭和十一年四月十六日發行
(非賣品)
編輯兼發行人 江村定憲
       京都府船井郡園部町字宮町十八番地
印刷人    松崎辰三郎
       京都府下京區油小路通松原上ル
印刷所    松崎印刷所
       京都府下京區油小路通松原上ル
發行所    京都府立園部中學校
       京都府船井郡園部町字小櫻町
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年08月17日10:20
[昭和7年:第2回卒業生:70名]
【京都府立園部中学校十年史】昭和11年
【京都府立園部中学校十年史】
昭和七年三月四日 第二回卒業證書授與式 p40/102
[第二回卒業生]            p40-41/102
藤木幸男   藤田長生   藤村 修
船越三郎   船越淸一   船越利雄
船越 寛   細川正典   水口純一
三輪惣一   森 勝    森田誠三
八木茂美   八木光之助  矢木嘉雄
山下竹治郎  山下三郎   山内 巌
山田英治   山村 甫   山本弘一
吉田 勝   計 七十名
胡 大春(第二回卒業生ト同級、
     第四學年ヨリ上級學校入學者)
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2018年10月28日 04:10 ◆京丹波町 [畑中健二]『自決』
[畑中健二]①「分解結合の虚偽」
『自決:森近衛師団長斬殺事件』飯尾憲士
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《疎開:昭和20年8月5日須知農林学校》新香里病院院長(大阪府)岡田 弘【日本病院会雑誌 = 44(8)】1997-08

《疎開:昭和20年8月5日須知農林学校》
 新香里病院院長(大阪府) 岡田 弘
【日本病院会雑誌 = 44(8)】平成9年(1997-08)

【日本病院会雑誌 = 
 Journal of Japan Hospital Association 
 銷夏随筆特集44(8)】
出版者   日本病院会
出版年月日 1997-08
 p1【日本病院会雑誌 = 44(8)】1997-08
〔画像〕p1【日本病院会雑誌 = 44(8)】1997-08


  終戦前後のこと
 国家公務員共済組合連合会
  新香里病院院長(大阪府) 岡田 弘
第二次世界大戦も末期となった昭和20年春、
わが国も遅まきながら将来の軍事科学者の養成が
必要ということになり、
京都市で特別科学教育学級の生徒の
選抜試験が行なわれた。

 【日本理科教育史】1968
 著者    板倉聖宣 著
 出版者   第一法規出版
 出版年月日 1968
 昭和19年(1944)12月26日
 文部省、「特別科学教育研究実施要綱」を発表。
 (翌年1月から、
 京都帝国大学および各高等師範学校で
 中学生・国民学校上級生の少数英才教育を始める)
 p246【日本理科教育史】1968
〔画像〕p246【日本理科教育史】1968
https://dl.ndl.go.jp/pid/3043870/1/246

幸いそれに合格した私は、
京都師範学校男子部付属国民学校6年の
特別学級で勉強することになった。
近畿一円から集まった1クラス22人である。
前年から本土空襲が始まっていて、
警戒警報が発令されると直ちに防空頭巾を被って
下校するという日々の連続であった。

東京、名古屋、大阪等の大都市は空襲で焼かれ、
京都だけが奇跡的に被害を受けずに残っていた。
しかし京都も必ず爆撃されると予想され、
学童は続々と田舎へ疎開をしていた。
最後まで市内に残っていた私たちのクラスも
8月5日朝、
特別学級4年生、5年生の下級2クラスとともに、
父母に見送られて
京都駅から山陰線で疎開先へ出発した。
皆揃って教育を受けるために、
縁故疎開は認められなかった。
京都府船井郡の須知農林学校(現・農業学校)内の
養蚕室が私たちの宿舎であった。
正午過ぎに国鉄下山駅で降りて、
「歩調とれっ!」の号令で元気よく
行進して校門を入った。
よく晴れた大変暑い日であった。
農林学校の生徒さんたちが迎えてくれ、
対面式が行なわれた。
また農林学校長のご好意で、
夕飯は赤飯のご馳走であった。

翌8月6日、広島に原子爆弾が投下された。
私たちがそれを聞いたのは、
ソ連の参戦のニュースとともに
8月10日頃の朝礼であった。
夜は灯火管制のために黒い布で覆った
僅かなあかりの下で、
4、5人ずつ集まり自習をした。
消灯は午後9時であるが、
希望する者には、
以後も別室で学習が許可された。

8月15日正午から
天皇陛下の重大放送があるとのことで、
一同和室に正座して正面のラジオに聞き入った。
どなたの記憶にもあるように、
雑音が多くて良く聞き取れなかった。
しかし、不審だったのはその日の午後の授業がなく、
先生方が一切無口でただならぬ態度、
表情であることだった。
翌朝、日本は戦争に負けたのだと聞かされ、
徹底抗戦をしようと近くの藪から青竹を切ってきて、
めいめいの竹槍を作ったりした。
この事はずっと後の父兄会で、
科学教育の特別学級なのに
何と野蛮な振舞いであったかと、
担任の先生が糾弾される羽目になった。

この疎開地一帯は「蒲生(こもの)が原」という、
すすきの多い高原地帯であった。
農林学校に接して海軍の演習地があり、
時々カーキ色の戦闘服をきた
兵隊さんを見かけることがあった。
8月16日夕食後、校内の通り抜け道を歩いていると、
向こうから片手に40センチくらいの鯉をぶらさげ、
他の手にずっしりとした袋をぶらさげた
兵隊さんに出会った。
私がいつものとおり「こんにちは」と挨拶をすると、
兵隊さんは酒に酔った真っ赤な顔を向けて
https://dl.ndl.go.jp/pid/2831977/1/27
「君は何年生か」ときく。
「6年生です」と答えると
「これから君らががんばれ、
 俺たちはもうだめだ、
 砂糖をやろうか、容れものをだせ」という。
空の弁当箱をもっていたので、
渡すと袋の中からがっぽりと
ザラメの砂糖をすくって入れてくれた。
お礼をいって寮にとんで帰り友達と分けて嘗め、
とても嬉しかった。
その夜、海軍の演習地の方角に
何十発かの照明弾があかあかと打ち上げられた。

やがて日本がポツダム宣言を受諾したこと、
敵が新たに残虐なる爆弾を使用したのは
原子爆弾であること、
戦艦大和が沖縄特攻に出撃し、
何十発もの爆弾と魚雷の攻撃にあい
沈没したことなどが、
我々生徒にも知らされた。
また植物学の指導に来られた京大の先生からは、
調査に行かれた広島の惨状をお聞きした。
担任の先生らは、
敗戦のショックからどうやら落ち着き、
終戦の勅語にある
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」、
わが国は苦難の道を歩まねばならないと
諭されるようになった。
以後私は辛いことがあると、
いつもこの名句を思い出すことにしている。

嬉しかったのは灯火管制がなくなり、
夜も部屋が明るくなったことである。
また警報がなく、
自由時間には胴乱や野冊を携えて、

※胴乱:植物標本収集用の
    ブリキ製肩掛けかばんの通称。
※野冊:野外で採集した植物を挟んで
    持ち歩くための用具。

野山に好きな植物採集に行けることであった。
すすきの根元には、
今では珍しいナンバンギセルが自生していた。
秋の夕暮れには、
ウスバカゲロウという
とんぼによく似た昆虫が大発生して飛び交い、
壮観であった。
この年の秋は雨が長く激しく続いた。
それである先生は
「何時まで続くこの雨で、
 三日二夜はとめどなく、
 なお降り止まぬ秋の雨」
という軍歌「討匪行」の替え歌を作られた。
汽車の割当が大変難しかったのと、
占領軍の様子を見るためもあったのか、
私たちはなかなか京都市に帰してもらえなかった。
それで連絡のため本校に行かれた先生から、
京都の様子を聞いた。
二条城の前の広い道を滑走路にして、
米軍の小型飛行機が発着していること、
円山公園に入る階段道をジープが駆けのぼるなどの
土産話には大変驚いた。
結局11月中旬頃に、
待ちに待ったわが家に帰ることができた。

その後も特別学級の教育は続き、
リンゴの歌の流行っていた翌昭和21年春に、
付属小学校を卒業し、
旧制最後の京都府立第一中学校の
特別学級に無試験で進学した。
この時期に早や微分積分などを教えられ、
私の京大進学への基礎学力となった。
ところが中学3年の春、
この学級は解散となり一般学級に編入、
ついでに地域制となったため、
小学校からの同級生はバラバラになってしまった。
最後に科学特別学級の生徒は果して科学者になったか?
必ずしもそうではないが、
皆各界の指導者として活躍している。
医師は私を含めて22人中3人
(ほかの2人は東大医卒)である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2831977/1/28
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サボテンの花:令和5年(2023)4月28日

サボテンの花:令和5年(2023)4月28日

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丹波高原地方の鳥類相 白井邦彦【鳥獣集報 16(1)】昭和32年(1957-06)

丹波高原地方の鳥類相 白井邦彦
【鳥獣集報 16(1)】昭和32年(1957-06)

【鳥獣集報 16(1)】昭和32年(1957-06)
出版者   林野庁
出版年月日 1957-06
p1【鳥獣集報 16(1)】1957-06
〔画像〕p1【鳥獣集報 16(1)】1957-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723485/1/1



丹波高原地方の鳥類相
 白井邦彦
 〔林野庁造林保護課〕
 〔所在:東京都目黒区下目黒4、林業試験場構内〕
 松本貞輔
 〔京都府船井郡園部町宮町6〕
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723485/1/16
写真1 船井郡高原村附近の環境。
    川は由良川上流の高屋川(白井)。
写真2 船井郡高原村附近の環境。
    前方の山は美女山 482m。(白井)
写真3 船井郡須知町附近の林相。
    このあたりは
    多数の雉が棲息している。(松本)
写真4 船井郡世木村附近の環境。
    山はクヌギ山で
    鹿が棲息している。(松本)
写真5 南桑田郡馬路村の旧禁猟区。
    池は上の池。(松本)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723485/1/17
121.  ホシハジロ
    Ahthya ferina ferina (LINNAEUS) 冬
    1941年(昭和16年)1月15日、
    京都府船井郡須知町郊外、
    須知農林学校裏の用水地で、
    ♂1羽を銃獲した(白井)。
p25【鳥獣集報 16(1)】1957-06
〔画像〕p25【鳥獣集報 16(1)】1957-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723485/1/25
   あとがき
著者両名は、
ここに1930年(昭和5年)来
記録したところの
丹波高原地方の鳥類相に就いて報告した。
本著に関する諸記録の整理と記述は
白井がこれに当った。
茲に文責を明らかにしておく。
擱筆に当り、調査に関して寄せられた、
多くの先輩友人各位の御芳情を深謝する。
特に、調査に格別の便宜援助をいただいた、
京都府立須知農林学校の大川勝蔵先生
(現・静岡農高校長)、
並びに調査の指導をしていただいた
京都大学理学部教授 川村多実二先生
(現・名誉教授・京都芸術大学学長)、
同教授 宮地伝三郎先生に鳴謝する。
p27【鳥獣集報 16(1)】1957-06
〔画像〕p27【鳥獣集報 16(1)】1957-06
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723485/1/27
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《花木駒夫》出納局次長(府立須知農林、五十六歳)【月刊官界 10(1)】昭和59年(1984-10)

《花木駒夫》出納局次長(府立須知農林、五十六歳)
【月刊官界 10(1)】昭和59年(1984-10)

【月刊官界 10(1)】1984-10
出版者   行研
出版年月日 1984-01
地方自治体人脈図…連載第82回
京都府庁 松永賢三(京都新聞政経部)
 運命づけられていた知事就任
林田悠紀夫知事(東大法、六十八歳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/28
 持ち味発揮の副知事コンビ
荒巻禎一・副知事(九大法、五十二歳)
植田穂積・副知事(京大農、五十六歳)
片山健三・出納長(京大法、五十歳)
岡田忠司・出納局長(同志社大短、五十三歳)
花木駒夫・出納局次長(府立須知農林、五十六歳)
今年退職するが、会計一筋の苦労人。
花木駒夫【月刊官界 10(1)】1984-10
〔画像〕花木駒夫【月刊官界 10(1)】1984-10
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/29
川本 邵・教育長(京都繊維専、五十七歳)
仲  勲・管理部長(京大法、五十三歳)
武田 浩・指導部長(奈良学大、五十二歳)
吉田弘正・総務部長(東大法、四十六歳)
行待史朗・総務部次長(京大法、五十歳)
並河秀行・総務部次長(大阪農専、五十三歳)
吉岡 勉・企画管理部長(立命館大法、五十三歳)
安井 茂・知事公室長(立命館大法、五十四歳)
山口周三・企画調整室長(東大法、四十一歳)
井上裕雄・文化芸術室長(京大教育、五十二歳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/30
大本昌司・交通対策室長(立命館大法、五十一歳)
西村隆雄・府民相談室長(府立桃山中、五十四歳)
谷岡豊次・福祉部長(府立山城高、五十五歳)
尾崎昭・衛生部長(鳥取大医、四十六歳)
八木義和・農林部長(京大農、五十四歳)
清水 南・商工部長(京大農、五十一歳)
渡辺達郎・労働部長(京大経、五十二歳)
冨田 實・土木建築部長(京大工、五十三歳)
庄野勇夫・国体準備局長(京大農、五十二歳)
枡岡義明・国体準備局次長(京都学芸大、四十七歳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/31
青山正夫・企業局長(立命館専、五十五歳)
萱島祥二・議会事務局長(京大農、五十五歳)
加藤一治・監査委事務局長(立命館専、五十四歳)
人見光治・人事委事務局長(京大法、四十九歳)
谷 勝利・地労委事務局長(大阪市立大商、五十二歳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/32
月刊・官界 一月号
昭和五十九年一月一日発行
    定価三八〇円
発行兼編集人 竹内陽一
発行所    行政問題研究所
〒100 東京都千代田区内幸町二ノ二ノ一
    日本プレスセンタービル
電話(03)[五〇四]一二六六(代)
振替口座 東京[八]三二六〇〇番
印刷所  (株)耕文社
取次店・東販・日販・栗田・協和・
    中央社・大阪屋・全官報
https://dl.ndl.go.jp/pid/2837721/1/109
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《室 和夫》須知農林学校(昭和12年卒) 京都府知事公室広報課庶務係長【日本官界名鑑 第10版 昭和29年版 中央篇 地方篇】

《室 和夫》須知農林学校(昭和12年卒) 
 京都府知事公室広報課庶務係長
【日本官界名鑑 第10版 昭和29年版 中央篇 地方篇】
 ~
【日本官界名鑑 第21版】昭和44年(1969)
 京都府土木建築部住宅課長

【日本官界名鑑 第10版 昭和29年版 中央篇 地方篇】
著者    日本官界情報社 編
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1954
《室 和夫》
 京都府知事公室広報課庶務係長
京都府人
大正八年十月十一日出生
昭和十二年 須知農林卒業
昭和十五年九月 京都府に勤務
現在に至る
家庭
妻 光子 外 一男二女あり
住 京都市上京区紫野門前町
https://dl.ndl.go.jp/pid/3026322/1/686

【日本官界名鑑 第11版 昭和31年版 中央篇 地方篇】
著者    日本官界情報社 編
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1956
《室 和夫》
 京都府経済部水産課庶務係長
京都府人
大正八年十月十一日出生
昭和十二年 府立須知農林卒業
昭和十五年九月 京都府に勤務
現在に至る
家庭
妻 光子 外 一男二女あり
住 京都市上京区紫野門前町
https://dl.ndl.go.jp/pid/3027368/1/761

【日本官界名鑑 第15版 昭和38年版】
著者    日本官界情報社 編
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1963
《室 和夫》
 京都府民生労働部婦人児童課長
京都府出身
大正八年十月生
昭和十二年 須知農林学校卒
昭和十七年 京都府属
昭和十八年 海軍省出向
      海南海軍特務部勤務
昭和廿一年 京都府復帰 広報課 水産課
      農産茶業課 各庶務係長
      財政課長補佐 歴職
昭和卅七年 京都職業訓練所長
昭和卅八年五月 現職
家庭
妻 光子 (大正十三年生、京都学芸大卒)
女 啓子 (昭和廿四年生)
男 裕通 (昭和廿五年生)
女 久美子(昭和廿七年生)
男 保次 (昭和廿八年生)
住 京都市北区紫野門前町七七
電 (44)七三六七
https://dl.ndl.go.jp/pid/3026365/1/759

【日本官界名鑑 第16版 昭和39年版】1964
著者    日本官界情報社 編
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1964
《室 和夫》
 京都府民生労働部婦人児童課長
京都府出身
大正八年十月生
昭和十二年 須知農林学校卒
昭和十七年 京都府属
昭和十八年 海軍省出向
      海南海軍特務部勤務
昭和廿一年 京都府復帰 広報課 水産課
      農産茶業課 各庶務係長
      財政課長補佐 歴職
昭和卅七年 京都職業訓練所長
昭和卅八年五月 現職
家庭
妻 光子 (大正十三年生、京都学芸大卒)
女 啓子 (昭和廿四年生)
男 裕通 (昭和廿五年生)
女 久美子(昭和廿七年生)
男 保次 (昭和廿八年生)
住 京都市北区紫野門前町七七
電 (44)七三六七
https://dl.ndl.go.jp/pid/3026320/1/557

【日本官界名鑑 第19版 昭和42年版】1967
著者    日本官界情報社 編
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1967
《室 和夫》
 京都府土木建築部住宅課長
京都府出身
大正八年十月生
昭和十二年 須知農林学校卒
昭和十七年 京都府属
昭和十八年 海軍省出向
      海南海軍特務部勤務
昭和廿一年 京都府復帰 広報課 水産課
      農産茶業課 各庶務係長
      財政課長補佐 歴職
昭和卅七年 京都職業訓練所長
昭和卅八年 婦人児童課長
昭和四十二年六月現職
家庭
妻 光子 (大正十三年生、京都学芸大卒)
女 啓子 (昭和廿四年生)
男 裕通 (昭和廿五年生)
女 久美子(昭和廿七年生)
男 保次 (昭和廿八年生)
住 京都市北区紫野門前町七七
電 (44)七三六七
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025089/1/565

【日本官界名鑑 第20版】昭和43年(1968)
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1968
《室 和夫》
 京都府土木建築部住宅課長
京都府出身
大正八年十月生
昭和十二年 須知農林学校卒
昭和十七年 京都府属
昭和十八年 海軍省出向
      海南海軍特務部勤務
昭和廿一年 京都府復帰 広報課 水産課
      農産茶業課 各庶務係長
      財政課長補佐 歴職
昭和卅七年 京都職業訓練所長
昭和卅八年 婦人児童課長
昭和四十二年六月現職
家庭
妻 光子 (大正十三年生、京都学芸大卒)
女 啓子 (昭和廿四年生)
男 裕通 (昭和廿五年生)
女 久美子(昭和廿七年生)
男 保次 (昭和廿八年生)
住 京都市北区紫野門前町七七
電 (44)七三六七
https://dl.ndl.go.jp/pid/3033011/1/592

【日本官界名鑑 第21版】昭和44年(1969)
出版者   日本官界情報社
出版年月日 1969
《室 和夫》
 京都府土木建築部住宅課長
京都府出身
大正八年十月生
昭和十二年 須知農林学校卒
昭和十七年 京都府属
昭和十八年 海軍省出向
      海南海軍特務部勤務
昭和廿一年 京都府復帰 広報課 水産課
      農産茶業課 各庶務係長
      財政課長補佐 歴職
昭和卅七年 京都職業訓練所長
昭和卅八年 婦人児童課長
昭和四十二年六月現職
家庭
妻 光子 (大正十三年生、京都学芸大卒)
女 啓子 (昭和廿四年生)
男 裕通 (昭和廿五年生)
女 久美子(昭和廿七年生)
男 保次 (昭和廿八年生)
住 京都市北区紫野門前町七七
電 (44)七三六七
https://dl.ndl.go.jp/pid/3033012/1/582
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《山内昭男:山内製瓦工場主人》京都府船井郡須知町【大衆人事録 第19版 西日本篇】昭和32年(1957)

《山内昭男:山内製瓦工場主人》
 京都府船井郡須知町
【大衆人事録 第19版 西日本篇】昭和32年(1957)

【大衆人事録 第19版 西日本篇】昭和32年(1957)
著者    帝国秘密探偵社 編
出版者   帝国秘密探偵社
出版年月日 1957
《山内昭男》
 山内製瓦工場主人
 京都府船井郡須知町字須知
 電 須知六五
[歴]
昭和五年六月二〇日生
京都府出身
昭和二一年 園部中卒
青年団に入り
須知支部長
須知本部会計を歴任し
父 死亡後 家業を継ぎ
現在に至る
元須知町青葉会長を務め
現在 須知町消防団本部会計を兼任
[家]
祖母 とみ(明治一六年)
母  こいそ(明治四一年)
妻  佳織 (昭和六年)
   福知山高女卒
弟  光二 (昭和七年)
   須知農林卒
弟  二三夫(昭和八年)
   須知高卒
妹  千鶴 (昭和一一年)
   須知高卒
https://dl.ndl.go.jp/pid/3010652/1/473
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《中等師範學科》女子の部第1回(明治16年)~第22回(明治20年)【京都府師範学校一覧 明治35年刊】

《中等師範學科》女子の部
第1回(明治16年)~第22回(明治20年)
《初等師範學科》女子の部
第1回(明治19年)~明治23年
【京都府師範学校一覧 明治35年刊】

【京都府師範学校一覧 明治35年刊】
出版者   京都府師範学校
出版年月日 明29-43
女子之部  p188/204
《中等師範學科》
 第一回明治十六年七月十四日中等師範學科
加納 春野  下野 きし  木村 かね
大西 まつ  恒川 さた  岩崎 てる
武田 いと  山田 とも  乾  いそ
 第二回明治十六年十二月廿四日中等師範學科
松島 はな  佐藤 なか  後藤きんや
奥田 かね  谷口 いは  津田 はつ
 第三回明治十七年二月十五日中等師範學科
淸水すなを  赤松 藤枝  長村 きぬ
川俣 なみ  平和 とき  石原 いつ
楠 はる枝
 第四回明治十七年六月十九日中等師範學科
小菅 ちか  木戸 かが
 第五回明治十七年七月十五日中等師範學科
小川小ます
 第六回明治十七年十月十五日中等師範學科
辻  すみ
《中等師範學科》
 第七回明治十八年二月十六日中等師範學科
北條きやう  安原 はつ  稻田はつ枝
川瀬 よそ  岡本 まき  淺井 演榮
 第八回明治十八年四月廿八日中等師範學科
平田 うめ
 第九回明治十八年五月五日中等師範學科
南村 ゑん  吉川 こう
 第十回明治十八年七月十五日中等師範學科
植田 さい  宮崎 つや  神田 たつ
 第十一回明治十八年十一月二日中等師範學科
田中 たよ
 第十二回明治十八年十一月廿五日中等師範學科
鈴鹿かめを
 第十三回明治十九年二月十日中等師範學科
廣瀬しんじ  乃美 あや  森本 あや
勝田 すて  芳山 みわ  井戸 もん
 第十四回明治十九年三月五日中等師範學科
河井 やす
《中等師範學科》
 第十五回明治十九年七月十六日中等師範學科
河邊 とゐ  平野 のち
 第十六回明治十九年九月一日中等師範學科
牧野 光榮  尾見 ふみ
 第十七回明治十九年十一月廿日中等師範學科
竝河 かめ
 第十八回明治十九年十一月三十日中等師範學科
家生 とく
 第十九回明治十九年十二月廿四日中等師範學科
福井 まさ
 第二十回明治廿年二月十二日中等師範學科
福田 千代  茂原 さき
 第廿一回明治廿年三月十九日中等師範學科
平島 かす
 第廿二回明治廿年七月十二日中等師範學科
岡本 あい  佐原りやう
《初等師範學科》
 第一回明治十九年七月十六日初等師範學科
川上  順  伊勢 ふみ  石原 ます
《初等師範學科》
 第二回明治廿年三月十九日初等師範學科
村田 ふみ  山﨑 あい
 第三回明治廿年六月廿七日初等師範學科
田中 はな  橋本 よね
 第四回明治廿年七月十二日初等師範學科
奥  こと
《尋常師範學科》
 第一回明治廿一年三月廿九年尋常師範學科
平野 のち  宇佐美とゐ
 第二回明治廿二年四月一日
八木 きぬ  秋田 こう  寺尾千鶴枝
恒川きぬえ  福井 なか  小西ひさえ
 第三回明治廿三年四月二日
薗 きしゑ  橋詰 ひろ  千賀 とみ
天岡りやう  河合 なつ  原井すゝえ
吉田 さわ  淺井 たね  板倉 かつ
《初等師範學科》
 第四回明治廿三年七月十四日初等師範學科
若山 らく  鹽澤 こま  宮澤 てつ
田口 みと  山口 はる  鈴木 しう
高木 てい  松田 ふさ  木戸 きよ
森田 とみ  蜂須賀たけ  野路井むら尾 p192/204
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高畑小十郎君の逝去を悼む(昭和20年1月1日逝去)【日本瓦斯技術協会誌 15(2/3)】昭和20年(1945-03)

高畑小十郎君の逝去を悼む
(昭和20年1月1日逝去)
【日本瓦斯技術協会誌 15(2/3)】昭和20年(1945-03)

【日本瓦斯技術協会誌 15(2/3)】昭和20年(1945-03)
出版者   日本瓦斯技術協会
出版年月日 1945-03
日本瓦斯技術協會顧問
金門金屬工業株式會社取締役
高畑小十郎君の逝去を悼む
我國に於ける瓦斯メートル製作に對して
多大の功績を遺されたる
高畑小十郎君は六十一歳を以て
昭和二十年一月一日午前五時半卒然逝去せらる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1551056/1/5
高畑小十郎君を想ふ
日本瓦斯技術協會理事長
豐島愛明
https://dl.ndl.go.jp/pid/1551056/1/6
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金門商會と品川製作所 瓦斯メーターの時局相【瓦斯の世界 11(12)】昭和16年(1941-12)

金門商會と品川製作所 瓦斯メーターの時局相
【瓦斯の世界 11(12)】昭和16年(1941-12)

【瓦斯の世界 11(12)】昭和16年(1941-12)
出版者   瓦斯の世界社
出版年月日 1941-12
金門商會と品川製作所
瓦斯メーターの時局相
資材は不足乍ら製作は忙しい
https://dl.ndl.go.jp/pid/1586380/1/10
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