2023年05月

最近の企業事件簿【激動!総会屋戦線】1977

最近の企業事件簿【激動!総会屋戦線】1977

最近の企業事件簿
▼昭和四十九年
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/182
▼昭和五十年
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/183
▼昭和五十一年
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/184
石川明保(いしかわ・あきやす)
昭和17年 茨城県水戸市生まれ、法政大卒。
経済雑誌、新聞記者を経て、
昭和50年よりフリーとなる。
現在、(株)イシカワ・プレス・サービス主宰
著書『企業の恥部』(広論社)など。
激動!総会屋戦線
1977年1月20日 第1刷発行
著 者 石川明保
製 作 (株)イシカワ・プレス・サービス
発行者 黒田 洋
発行所 市民書房
    東京都新宿区西大久保2-350
    電話(03)202-5564
    振替口座 東京8-196594
印刷所 喜栄印刷(株)
定価  1300円
製 本 ニッセイバインダリー
1977©AKIYASU ISHIKAWA
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/185
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グループ・人脈系統概略図【激動!総会屋戦線】1977

グループ・人脈系統概略図【激動!総会屋戦線】1977

グループ・人脈系統概略図  p175-181/189
 ▼関東地区
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/175
▽小川企業系統図
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/176

https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/177
▽各種集団及び連合機関・関東地区
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/178

https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/179
▼関西地区
 松島聖悟
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/180
▼中京地区
▼九州地区
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/181
石川明保(いしかわ・あきやす)
昭和17年 茨城県水戸市生まれ、法政大卒。
経済雑誌、新聞記者を経て、
昭和50年よりフリーとなる。
現在、(株)イシカワ・プレス・サービス主宰
著書『企業の恥部』(広論社)など。
激動!総会屋戦線
1977年1月20日 第1刷発行
著 者 石川明保
製 作 (株)イシカワ・プレス・サービス
発行者 黒田 洋
発行所 市民書房
    東京都新宿区西大久保2-350
    電話(03)202-5564
    振替口座 東京8-196594
印刷所 喜栄印刷(株)
定価  1300円
製 本 ニッセイバインダリー
1977©AKIYASU ISHIKAWA
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/185
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総会屋まがいのこともした田中角栄〔共産党の指導で得た解決金〕【激動!総会屋戦線】1977

総会屋まがいのこともした田中角栄
〔共産党の指導で得た解決金〕
【激動!総会屋戦線】1977

【激動!総会屋戦線】1977
著者    石川明保 著
出版者   市民書房
出版年月日 1977.1
企業攻略の新戦法
 総会屋まがいのこともした田中角栄
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/58
 マッチポンプによる政治資金ぢくり
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/59
 政治献金という使途不明金を告発する
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/60
 共産党の企業告発闘争
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/61
 ”解決金“という巨額な資金
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/62
 〔共産党の指導で得た解決金〕
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/63
石川明保(いしかわ・あきやす)
昭和17年 茨城県水戸市生まれ、法政大卒。
経済雑誌、新聞記者を経て、
昭和50年よりフリーとなる。
現在、(株)イシカワ・プレス・サービス主宰
著書『企業の恥部』(広論社)など。
激動!総会屋戦線
1977年1月20日 第1刷発行
著 者 石川明保
製 作 (株)イシカワ・プレス・サービス
発行者 黒田 洋
発行所 市民書房
    東京都新宿区西大久保2-350
    電話(03)202-5564
    振替口座 東京8-196594
印刷所 喜栄印刷(株)
定価  1300円
製 本 ニッセイバインダリー
1977©AKIYASU ISHIKAWA
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952306/1/185
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《小野英夫》小野英之助の二男【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年

《小野英夫》小野英之助の二男
【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年

【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
著者    国際探偵社 編
出版者   国際探偵社
出版年月日 昭14
《小野英夫》
 新興醫療器(株) 專務取締役
 日本精機(株) 專務取締役
 新興興業(株) 專務取締役
 新興土木建築(株)專務取締役
東京府人 小野英之助ノ二男
明治卅八年(1905)九月十日
小石川區ニ出生
京北中學ニ學ビ
富山房出版計算部ニ勤務
昭和十二年(1937)四月
新興土木建築
昭和十二年(1937)十月
新興醫療器
昭和十三年(1938)三月
新興興業
昭和十四年(1939)
日本精機 各株式會社ヲ創立
專務取締役ニ就任ス
趣味 ゴルフ
家庭
妻  信子  明治卅八年(1905)
       東京府 岡田德三郎 長女
       上野高女卒
長男 淳之介 昭和 七年(1932)
長女 道子  昭和 九年(1934)
二女 靜子  昭和十一年(1936)
三女 幸子  昭和十三年(1938)
住  杉並區松庵南町一九
p612【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
〔画像〕p612【法人個人職業別調査録 第9版】昭和14年
https://dl.ndl.go.jp/pid/8312104/1/612

【法人個人職業別調査録 10版(昭和16年)】
著者    国際探偵社 編
出版者   国際探偵社
出版年月日 昭和16
《小野英夫》
住  杉並區西荻窪一ノ一八四
※住 以外は上記と同じ
https://dl.ndl.go.jp/pid/1683802/1/704
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月06日
[小野義真の息・小野英之助と英之助の嗣子・小野鶴太郎]
[小野英之助氏](626 頁以下の写真のキャプション)
小野義眞翁の息。
明治4年(1871)生。
明治29年(1896)
東京専門学校英語専修科卒業。
同年(明治29年(1896))冨山房入社。
明治38年(1905)
父君 義眞翁 死去後退社。
明治45年(1912)2月16日歿。
嗣子 鶴太郎氏は、
大正15年(1926)
東大農学部卒業後直ちに帝室林野局奉職、
昭和8年(1933)退官、出版を志し、
神田小川町に秋豊園を興し、今日に至る。
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《小野十三郎》東京市神田區駿河臺鈴木町五【東京市及接続郡部地籍台帳・地図】1912

《小野十三郎》東京市神田區駿河臺鈴木町五
【東京市及接続郡部地籍台帳 1】明治45年(1912)
【東京市及接続郡部地籍地図 上卷】大正1年(1912)

【東京市及接続郡部地籍台帳 1】明治45年
出版者   東京市区調査会
出版年月日 明45
東京市神田區
駿河臺鈴木町
地番   所有者氏名  坪 數
一    淺田 正文  二〇〇・〇七
二    井上 達一  三一九・八〇
三    井上 達一  二一二・二四
四    井上 達一  二五〇・四三
五    小野十三郎  二一八・〇四
六    服部 親民  五〇二・三二
七    服部 親民  四五四・四〇
八    谷森 眞男  三九九・一三
九    岩崎 久彌  五〇九・一〇
一〇   岩崎 久彌  四七四・三五
一一   平田 東助  二四四・一二
一二   松崎 純男  六五〇・六二
一三ノ一 薩摩 ハル  三〇〇・〇〇
一三ノ二 薩摩 スミ  三〇三・七二
地番   所有者氏名  坪 數
一四   曾我 祐準  七二三・七七
一五ノ一 坊城 俊德  四〇二・一五
一五ノ二 曾我 祐準   六一・一二
一六ノ一 坊城 俊德  九七六・二七
一六ノ二 宮部  久  五四四・〇〇
一六ノ三 宮部 敏切  二〇七・六五
一七ノ一 日下部志勇  一一七・一九
一七ノ二 日下部志勇   九三・一八
一七ノ三 五味卯三郎  一三二・〇四
一八   原田 熊雄  一八六・四〇
一九   原田熊雄   二七八・三〇
二〇   薩摩治兵衛  六八〇・四〇
二一   薩摩治兵衛  八三八・四一
二二   箕田長三郎  八〇〇・五四
二三   服部 親民  二九三・一九
二四ノ一 高津 善紹  一二四・〇〇
二四ノ二 境野 五郎   七八・四二

【東京市及接続郡部地籍地図 上卷】大正1年
出版者   東京市区調査会
出版年月日 大正1
東京市 神田區 駿河臺鈴木町、同袋町(神田13)
※赤枠:五  小野十三郎  二一八・〇四
※緑枠:九  岩崎 久彌  五〇九・一〇
    一〇 岩崎 久彌  四七四・三五
p79【東京市及接続郡部地籍地図 上卷】大正1年
〔画像〕p79【東京市及接続郡部地籍地図 上卷】大正1年
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《小野十三郎》磐城炭礦株式會社 大株主【銀行会社要録 : 附・役員録 第三版】明治32年5月

《小野十三郎》磐城炭礦株式會社 大株主
【銀行会社要録 : 附・役員録 第三版】明治32年5月

【銀行会社要録 : 附・役員録 第三版】明治32年5月
出版者   東京興信所
出版年月日 明30-45
 磐城炭礦株式會社
明治卅一年十二月卅一日決算
東京市 京橋區本湊町九番地
電 話 新橋二六八番八三〇番
資本金 400,000
設 立 明治廿六年十二月
總株數 8,000.
株主人員  69.
役員并ニ使用人 33.
取締役會長   澁澤 榮一
專務取締役   唐崎 恭三
取締役     淺野總一郎
仝       渡邊治右衛門
仝       久米 良作
監査役     西園寺公成
仝       佐久間精一
副支配人兼   萩原 久徴
經理部主任
販賣部主任   尾川 友輔
  大株主氏名及持株
淺野總一郎   1,996.
澁澤 榮一   1,518.
唐崎 恭三     400.
渡邊治右衛門    386.
小野十三郎     328.
川崎八右衛門    286.
大倉喜八郎     276.
内國通運會社    276.
西園寺公成     200.
  派 出 所
(北豐島郡南千住町)
(日本鐵道會社 隅田川貨物取扱所構内)
開設 明治卅年四月
主任 稻葉俊之助
  礦 業 所
(福島縣石城郡湯本村字三函二一六番地)
開設 明治廿九年九月
技監兼所長 相河保四郎
事務長   落合 良明
技 士   倉田 龜吉
小野田採炭係主任 安井和太郎
運輸係主任 角地勝太郎
器械係主任 葛岡 文治
經理係主任 生駒 東一
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[宿毛小野銀行の開業]小野十三郎(故小野義眞氏の令息)の手に買収せられ【銀行通信録 62(371)】大正5年

[宿毛小野銀行の開業]
小野十三郎(故小野義眞氏の令息)の手に買収せられ
【銀行通信録 62(371)】大正5年

【銀行通信録 62(371)】大正5年
出版者   東京銀行集会所
出版年月日 1916-09
 ◎宿毛小野銀行の開業
信濃國南安曇郡明盛村に本店を有せし
株式會社明盛銀行は
東京神田區駿河臺鈴木町に本宅を有する
小野十三郎(故小野義眞氏の令息)の手に買収せられ
昨年十二月同氏の郷里高知縣幡多郡宿毛町に移轉し
本年四月現今の商號に改稱し行舎新築中の處
漸く落成を告げたるを以て
七月二十五日より一般の營業を開始せり
資本金は十五萬圓全額拂込にして
積立金二萬圓あり
營業部長として
土佐銀行計算課長
前高知銀行宿毛支店長たりし
臼井耕治郎氏就任せり
https://dl.ndl.go.jp/pid/1586989/1/55
大正五年九月二十日發行
發行人兼編輯人 鶴岡 伊作
發行所 東京銀行集會所
    東京市日本橋區坂本町四十番地
https://dl.ndl.go.jp/pid/1586989/1/117
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《吉村法俊・山口二矢》大日本愛国党【右翼左翼】昭和35年(1960)

《吉村法俊・山口二矢》大日本愛国党
【右翼左翼】昭和35年(1960)

【右翼左翼】昭和35年(1960)
著者    新聞「日本」社 編
出版者   大日本国民党
出版年月日 1960

大日本愛国党
東京都台東区浅草公園一ノ七
総 裁   赤尾  敏
參 與   浅沼美知雄
青年隊   岡田 尚平
      石川 忠一
      鷺  信次
      中堂 利夫
      加藤 一夫
      中村 芳彦
      吉村 法俊
      渡辺  伸
      山田 十衛
城南支部長 福田  進
      山口 二矢
      村岡 照章
p39【右翼左翼】昭和35年(1960)
〔画像〕p39【右翼左翼】昭和35年(1960)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/39

 全日本愛国団体 主宰者所在(順序不同)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/55
国際反共会議  松本 明重
京都市中京区新町武蔵町下ル

国民運動社   柴田金三郎
京都市伏見区東藪ノ内四六
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/64

 左翼文化人列伝
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/102
細川チカ子 本名 横田 冬
東京 明治38年12月31日 俳優
東京都港区赤坂新坂町八〇
香蘭女学校卒、民芸
藤山愛一郎外相の妾、子供あり、
細君の資格で外交官社交界に出席して
問題を引き起す、
外相の左翼、共産圏えの機密の抜穴
p141【右翼左翼】昭和35年(1960)
〔画像〕p141【右翼左翼】昭和35年(1960)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/141

昭和34年12月25日 印刷
昭和35年  2月11日 発行
編 纂 新聞「日 本」社
監 修 荒原 朴水
印刷者 丸田 順康
印刷所 日本文教新報社
    東京都新宿区西大久保2ノ278
発行所 大日本国民党
    東京都板橋区常盤台4ノ7
https://dl.ndl.go.jp/pid/3032566/1/152
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《松本明重》祇園すゑひろ・クラブひめゆり・
日本民主同志会中央執行委員長
【京都年鑑 1969年版】昭和43年(1968)
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《鳩居堂の息で熊谷平三郞》會津の小鐵[寺子屋時代の友 山田茂助]【大沢善助翁】昭和4年

《鳩居堂の息で熊谷平三郞》
會津の小鐵に家業を一任された
[寺子屋時代の友 山田茂助]
【大沢善助翁】昭和4年

【大沢善助翁】昭和4年
出版者   大沢善助翁功績記念会
出版年月日 昭和4
  大澤さんの幼年時代
    寺子屋時代の友  山田茂助
大澤さんとは幼年時代、
麩屋町姉小路上る島田といふ寺子屋
毎日共に通ひました。
其の當時私は十一歳、
大澤さんは確か十三歳だつたと覺えて居ます。
十五六歳の時、
維新當時有名な大垣家に養子に行かれたのですが、
それまでは駒井松之助と云つて居られました。

養家先きである大澤家の本宅(大垣家)
富小路丸太町下ル處に在つて、
人入れ稼業として非常な勢力があり、
會津の小鐵などは子分でありましたが、
養父である先代が眼を患ふて遂に失明され、
會津の小鐵に家業を一任されたと聞いて居ます。
斯うした家庭で成長された丈けに、
子供の時から膽力があり、
利かぬ氣の人で、
喧嘩をしても決して負けない、
歳も上であり、
腕力も強い者と爭つて、
假令押さへつけられても、
決して悲鳴を揚げない
其の膽と氣には、
對手の子供が却つて泣き出すといふ有樣で、
いつの程にか、
一方の旗頭として號令されて居ました。

鳩居堂の息で熊谷平三郞と呼ぶ子供が非常な腕白者で、
たえず歳下の子供を苦しめ、
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/236
腕力も子供に似合はしからず強かつたので、
誰しも子供心にも癪にさはつてならぬのだが、
其の腕力に恐れをなして、
之れに對抗するものがないのをよいことにして、
傍若無人の振舞を續けて居た。
一日歳下の子供を捉へて
亂暴をして居るのを見た大澤さんが、
進んで之れに對抗し、
結局對手を慴伏せしめられました。
それから以後非常に其の子供が溫和しくなつて、
一同が助かつたことを覺えて居ます。

斯ういふ風で、
幼年時代から任侠的氣風、
謂はゞ親分的な處があり、
世人から前途を囑目されて居られましたが、
維新の改革と共に家業の衰運は是非もなく、
二十二三歳頃には寺町通り丸太町下ル處で、
小さな道具屋を營んで居られました。

斯やうに大澤さんの靑年時代は、
文字通りの奮闘力行時代だつたのです。
それが新島先生によつて導かれ、
熱心眞摯な基督敎徒となられて以來、
精神的に強い固い信念がお出來になつて、
一歩々々地位を築いて行かれたので、
大澤さんの今日あるは、
決して偶然ではないと信じて居ます。

情誼に厚い方で、
今日でも幼年時代のことを忘れないで、
始終遊びに來るやうにと云つて頂いて居るのは、
非常に嬉しく存じて居ります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/237
昭和四年十一月十三日印刷
昭和四年十一月十八日發行 (非賣品)
編輯兼 三浦 豐二
發行者 京都市上京區新烏丸通荒神口下ル
    新烏丸頭町百四十八番地
印刷者 須磨勘兵衞
    京都市下京區北小路通新町西入
印刷所 内外出版印刷株式會社
    京都市下京區西洞院通七條南入
發行所 大澤善助翁功績記念會
    京都市下京區西洞院三哲南
https://dl.ndl.go.jp/pid/1057970/1/396
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月08日10:55
[本官勘合帳 外国官一号]
原本:第379号 戸田欽吾~第438号 岩男俊貞
旅券番号 第396号 伊井 直助 p067
          西京為替会社
          河邊九郎三郎 手代
旅券番号 第397号 熊谷平三郎 p068
          西京為替会社
          熊谷久右衛門 忰
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《伊井直助・熊谷平三郎》歐羅巴州航海修行【日本金融史資料 明治大正編 第2巻】1956

《伊井直助・熊谷平三郎》歐羅巴州航海修行
【日本金融史資料 明治大正編 第2巻】1956

【日本金融史資料 明治大正編 第2巻】1956
著者    日本銀行調査局 編
出版者   大蔵省印刷局
出版年月日 1956

[七十五號] 明治四年二月
   上京貳拾六番組
    車屋町姉小路上ル町
     河邊九郎三郎手代
       伊井直助
 洋學修行航海申付候事
  但早々東京ヘ罷出大藏省ヘ可届出候事

   京都府
    大年寄
     熊谷久右エ門忰
       熊谷平三郎
 文云前仝斷

       熊谷平三郎
〇歐羅巴州航海修行段神妙ノ事ニ候
 謹テ御法則相守往年御用ニ可相立心掛
 肝要タルヘシ
 依テ旅服一領遺之候事

       伊井直助
 文云前仝斷
   旅服一領
   旅服料
    金五兩
p320【日本金融史資料 明治大正編 第2巻】1956
〔画像〕p320【日本金融史資料 明治大正編 第2巻】1956
https://dl.ndl.go.jp/pid/3033904/1/320
日本金融史資料 明治 大正 編 第二巻
        頒価 一、五〇〇円
昭和三十一年 十月二十五日印刷
昭和三十一年十一月 一 日発行
編 者 日本銀行調査局
    東京都中央区日本橋本石町二ノ二ノ一
印刷兼 大蔵省印刷局
発行者 東京都新宿区市ヶ谷本村町一五
https://dl.ndl.go.jp/pid/3033904/1/425
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2012年02月08日10:55
[本官勘合帳 外国官一号]
原本:第379号 戸田欽吾~第438号 岩男俊貞
旅券番号 第396号 伊井 直助 p067
          西京為替会社
          河邊九郎三郎 手代
旅券番号 第397号 熊谷平三郎 p068
          西京為替会社
          熊谷久右衛門 忰
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