2023年10月

生きる儘@京大西部講堂【京都ミュージックシーンの系譜】

【京都ミュージックシーンの系譜】
 生きる儘@京大西部講堂
入り口で渡された竹籠弁当は、
京都屈指の出張茶懐石「三友居」のもの。
同店の山本寛氏は大の「村八分」ファンという
ロックン・ロール・マンだそうである。

さらに講堂内の茶室を預かったのは
上七軒の老舗和菓子店「老松」の五代目・太田達氏、

供されたお干菓子は
木村氏のご令嬢の嫁ぎ先でもある
「亀屋伊織」の山本和市氏が用意されたもの、

「本家 尾張屋」の前には十五代目稲岡傳左衞門氏が立ち、

ブライダル業界の雄「TAKAMI」の社長・高見重光氏や、

先頃、文字通り新たな船出を果たした
「一澤信三郎帆布」の裏方を支えた
徳力みちたか氏の顔も見える。

誰もが当然のように協力を申し出たのだろう。

他にも名前を挙げれば誠にキリがない、
豪華な顔ぶれとかどうだとか、
有り体な言葉では言い表せないほど
京都を拠点に活躍する錚々たる面子が揃った。
 京都ClubScene: 生きる儘@京大西部講堂
ステージに向かって最前列の席に座す御仁が
乾杯の音頭を承った。
青蓮院門跡、第四十九世門主・東伏見慈晃氏である。

お父上は久邇宮邦彦王の第3王子にして
香淳皇太后陛下実弟、
つまり現天皇の従兄弟にあたるというお血筋である。

縁は「青蓮院門跡・華頂殿」の襖絵を
木村氏が手がけたことという。

さらに、現役の学生達が数十名、
「ここは何だ?今日は何の場だ?」
と怪訝な顔で入ってくる。

聞けば立命館大学の客員教授を務めている
筑紫哲也氏の引率でやってきた学生だという。

筑紫氏も壇上で、
「(木村氏とはいろいろな場面で親交があるが)
麻雀仲間です」と一言、場内を沸かせる。
 ―略―
木村氏の予想どおり、
内田裕也氏は会が始まってずいぶんと
時間が経ってから現れた。
樹木希林さんを伴って。
ご夫妻そろって、
出入り口にほど近いテーブル席に無造作に腰掛ける。
VIP待遇など全く求める風でもない。
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京大西部講堂【京都ミュージックシーンの系譜】

【京都ミュージックシーンの系譜】
 京大西部講堂
それは日曜日の夜から、
月曜日の未明にかけてだった。
2000年大晦日から2001年元旦、
旧世紀が終わり、
新世紀が始まるその瞬間、
琵琶湖畔でカメラを構えていた。
因果な商売である。
特別な瞬間に、家族との団欒もままならぬ。
 京都ClubScene: 京大西部講堂
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《石丸五郎》日本コロンビア蓄音機(株)新京支店長【大衆人事録 第14版】昭和18年

【大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
著者    帝国秘密探偵社 編
出版者   帝国秘密探偵社
出版年月日 昭和18(1943)
《石丸五郎》正八 陸軍少尉
 日本蓄音機商會(株)新京支店長
 日本コロンビア蓄音機(株)新京支店長
 新京特別市中央通四〇ノ二
 電話三ノ五八九七
【閲歷】愛媛縣
明治卅年(1897)二月十八日生る
大正十一年(1922)早大商科卒業
三ツ引商事勤務を經て
昭和四年(1929)現社入社
名古屋・大連・奉天
各支店歷勤
昭和十四年(1939)現職
宗敎 眞言宗
趣味 運動・打球
【家庭】
妻  琴 子 明治四〇年(1907)
       末吉 長女 愛知縣立專門卒
長男 哲 郎 昭和一五年(1940)
長女 伊都子 昭和 八年(1933)
p451【大衆人事録 第14版・満支篇】昭和18年
p451【大衆人事録 第14版・満支篇】昭和18年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【早稲田大学校友会会員名簿 [昭和10年用]】
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1934.12
《石丸五郎》大正11年 大 商 愛媛
勤務先 日本コロンビア蓄音機會社 大連支店
    大連市山縣通
住 所 日本コロンビア蓄音機會社 大連支店
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【早慶紳士録:職域別 昭和25年度版】
著者    早慶出版会 編
出版者   早慶出版会
出版年月日 1949
《石丸五郎》
早稲田ラグビーOBクラブ參與
通商産業省(早稲田・大正一一年)
東京大田区馬込東四ノ七〇
https://dl.ndl.go.jp/pid/1160891/1/109
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《小野田康一》早稲田ラグビーOBクラブ【早慶紳士録:職域別 昭和25年度版】

【早慶紳士録:職域別 昭和25年度版】
著者    早慶出版会 編
出版者   早慶出版会
出版年月日 1949
《小野田康一》
早稲田ラグビーOBクラブ
日本電機製造(早稲田・商科・大正一二年)
神奈川縣北鎌倉山ノ内五四九 自宅
p111【早慶紳士録:職域別 昭和25年度版】
p111【早慶紳士録:職域別 昭和25年度版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/1160891/1/111

【日本ラグビー史】昭和39年(1964)
出版者   日本ラグビーフットボール協会
出版年月日 1964
 青山学院
早大O・B・の小野田康一を
コーチに招いてチーム作りに専念し、
翌(大正)14年の春になって学友会の一部に認められた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/68
 ◎実業団の草分
その草分とみるべきは、
大正13、14年ごろ
早大出の小野田康一がつくった
東京電気(マツダランプ)、
大町清のつくった愛国生命、
慶応出の北島辰蔵のつくった常盤生命などであろう。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2505473/1/82
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《井上元佶》三浦元佶(三浦環の支配人)【会員名簿】昭和33-40年度版早稲田大学校友会

《井上元佶》三浦元佶(三浦環の支配人)
三浦 環のマネージャー
早稲田大学
昭和13年(1938)卒業
専門部商科(第2部)
ラグビー部OB
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徳富蘇峰記念館
人物名 井上元佶
職 業 三浦環の支配人
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【会員名簿 昭和33年】昭和33年(1958)
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1958
三浦 元佶 (旧姓 井上)
昭和13年 専 商
親和広告 取締役
品川区小山町六の三九一
三島荘
p556【会員名簿 昭和33年】昭和33年(1958)
p556【会員名簿 昭和33年】昭和33年(1958)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9580678/1/556

【会員名簿 昭和36年度版】昭和37年(1962)
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1962
三浦 元佶
昭和13年 専 商
日本電位療法研究所
鎌倉市山之内九一〇
電話 高野三〇一九
https://dl.ndl.go.jp/pid/9580865/1/635

【会員名簿 別冊(学科年度別)】昭和38年(1963)
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1963
専門部商科
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544635/1/109
昭和一三年(第一部)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544635/1/114
昭和一三年(第二部)
三浦 元佶(旧姓井上)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9544635/1/115

【会員名簿 昭和40年度版】昭和41年(1966)
出版者   早稲田大学校友会
出版年月日 1966
昭和13年 専門部商科
  第1部
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622692/1/497
  第2部
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622692/1/498
昭和13年 専門部商科
三浦 元佶〔井上〕
日本電位療法研究所
鎌倉市山之内910
https://dl.ndl.go.jp/pid/11622692/1/499
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京丹波町の城【日本国誌資料叢書 丹波・丹後】大正14年(1925)

【日本国誌資料叢書 丹波・丹後】大正14年(1925)
著者    太田亮 著
出版者   磯部甲陽堂
出版年月日 大正14
  第五節 船井郡
https://dl.ndl.go.jp/pid/1876766/1/97
須知城(須知村)
 須知主水景氏の居城也。
 須知氏、また志宇知氏とも云ふ。
 淸和源氏にして赤井と同族也と云ふ。
 六郎景澄が末孫主水景氏
 戰國時代波多野氏に屬す。
 太平記には志宇知とあり。

井尻城(井尻村)
 安田若狭守の居城也と云ふ。
 安田氏は武田氏の族か。

三ノ宮城(三ノ宮村)
 山の内甚右衞門弟小太夫等居住す。

鎌谷城(鎌谷村)
 細見河内守の居城也。
 細見氏、天田郡細見村より起る。
 武内宿禰裔紀氏の族也。

橋爪城(橋爪村)
 山内伊勢守通意の居城也。

檜山城(檜山村)
 柴田氏此地に住居す。

出野城(和知谷出野村)
 片山彦五郎の居城也、
 小野木縫殿介と戰ひ討死す、
 一族に伊豫守有重あり。
〇井上氏 鎌谷城の家士。
〇金川氏 鎌谷城の家士。
〇内藤氏、
〇船井氏、船井郡より起る。
p98【日本国誌資料叢書 丹波・丹後】大正14年
p98【日本国誌資料叢書 丹波・丹後】大正14年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1876766/1/98
大正十四年三月十五日印刷 丹波・丹後
大正十四年三月十八日發行 定價金貳圓參拾錢
著 者 太田  亮
發行者 磯部辰次郎
    東京市日本橋區鐵砲町六番地
印刷者 田中常太郎
    東京市神田區表猿樂町二番地
印刷所 三誠社
    東京市神田區表猿樂町二番地
發行所 磯部甲陽堂
    東京市日本橋區鐵砲町六番地
    振替東京一五〇五六番
    電話大手六六八七番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1876766/1/206
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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丹波霧の里
京丹波町  兜山 八田城・井尻城 ・坂井城・
垣内城・橋爪城・三宮城・三宮東城・井脇城・豊田城
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京都府船井郡京丹波町(瑞穂町)井脇<別所>【月刊状況と主体 (156)】昭和63年(1988)

【月刊状況と主体 (156)】昭和63年(1988)
著者    谷沢書房 [編]
出版者   谷沢書房
出版年月日 1988-12
蝦夷〝征伐〟の真相(74)丹波国の別所(続) / 柴田弘武/
https://dl.ndl.go.jp/pid/2207928/1/82
 七、京都府船井郡瑞穂町井脇<別所>
   ―略―
〔写真〕瑞穂町井脇 別所古墳・別所付近
高屋川の西、小字別所には
別所一号・二号墳(円墳)があり、
いずれも山麓の台地にある。
一号墳は径十四メートル、高さ三メートルで、
頂部に稲荷の小祠が祀られるが、
横穴式石室を有し、ほぼ完存する。
二号墳はこれよりやや小型で半壊しており、
横穴式石室は
長さ四・三メートル、幅一・二メートルである
(『歴史地名大系』)。

井脇の上流域は三ノ宮であるが、
ここにはこの地方では珍しい
横穴遺跡が一か所発見されているが、
半壊しているという。

また下流域の中台(ちゅうだい)中島に円墳一基、
中台桜池には須恵器登り窯跡群がある。
奈良前期から平安初期の遺跡だという。
ここにも古墳が八基確認され、
いずれも後期のものと推定されていて、
うち七基が円墳で、
また五基が横穴式石室である
(『地名大辞典』)。
p86【月刊状況と主体 (156)】昭和63年(1988)
p86【月刊状況と主体 (156)】昭和63年(1988)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2207928/1/86
月刊 状況と主体/第156号/88年12月号/
1988年11月10日発行
編集人・岡田道枝
発行・谷沢書房/東京都文京区本駒込5-72-14
        よしかたビル 〒113
電話・03(946)6681/振替・東京1-193671/
銀行振込・三菱銀行駒込支店061-4404234
定価・850円/購読料・半年4,900円、1年9,600円
https://dl.ndl.go.jp/pid/2207928/1/90
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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船井郡京丹波町(瑞穂町)【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)

【全国遺跡地図:史跡・名勝・天然記念物および
 埋蔵文化財包蔵地地図 京都府】昭和50年(1975)
出版者   文化庁文化財保護部
出版年月日 1975
   例  言
3. 『京都府遺跡地図』昭和47年(1972)3月発行
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/6
番号 名  称     種別   所 在 地    位置
14
001 皿引野古墳    古 墳  瑞穂町皿引野    a2
002 中台遺跡     散布地  瑞穂町中台中島   a3
003 中島古墳     古墳(円) 瑞穂町中台中島   a3
004 桜池窯跡     窯 跡  瑞穂町中台桜池   a3
005 天ヶ棚1号窯跡  窯 跡  丹波町中台天ヶ棚  a3
006 天ヶ棚2号窯跡  窯 跡  丹波町中台天ヶ棚  a3
007 天ヶ棚3号窯跡  窯 跡  丹波町中台天ヶ棚  a3
008 天ヶ棚4号窯跡  窯 跡  丹波町中台天ヶ棚  a3
009 院内窯跡     窯 跡  丹波町院内     a3
p58【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
p58【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/58
〔地図〕
p20【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
p20【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/20

番号 名  称     種別   所 在 地    位置
11
137 三ノ宮校裏山横穴 横 穴  瑞穂町三ノ宮    c2
138 薬師寺跡     寺院跡  瑞穂町鎌谷中寺ノ谷 d2
139 薬師寺窯跡    窯 跡  瑞穂町鎌谷中寺ノ谷 d2
140 鎌谷城跡     城 跡  瑞穂町鎌谷中    d2
141 コハケ谷古墳   古墳(円) 瑞穂町井尻コハケ谷 d2
142 丁谷古墳     古墳(円) 瑞穂町井脇丁谷   d2
143 別所1号墳    古墳(円) 瑞穂町井脇別所   d2
144 別所2号墳    古墳(円) 瑞穂町井脇別所   d2
145 谷古墳      古墳(円) 瑞穂町和田 谷   d2
146 和田狐塚古墳   古墳(円) 瑞穂町和田諸内   d3
p57【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
p57【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/57
〔地図〕
p17【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
p17【全国遺跡地図:京都府】昭和50年(1975)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/17
全国遺跡地図 京都府
昭和50年3月20日印刷
昭和50年3月31日発行
発行者 文化庁文化財保護部
〒105  東京都港区西新橋3丁目5番2-202号
印刷者 財団法人 国土地理協会
    電話 代表(433)1561
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573632/1/81
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《城跡》橋爪城・大朴の城山・井尻城・八田城[檜山村誌]平成5年

[檜山村誌]平成5年(1993)
  第二節 城跡
(1) 橋爪城
船井郡誌によると承久の乱(一二二一年)後、
丹波の守護は北条時房-時盛-時益が、
又、南北朝期は、
仁木頼章-頼夏-義伊などで、
室町時代には山名時氏-氏清、
次いで明徳三年(一三九二年)以降は
細川氏が八代に亘って当地を支配した。
こうした中で地方豪族層の出現が多数あり、
山内氏は当地に於て早くから勢力を有していた。
橋爪城は山内一豊の祖父
久豊の居城であったと称されている。
而し山内伊豆守憲邦、
山内越後守憲方などの居城は字三ノ宮であり、
三ノ宮城址として残っている。
[檜山村誌]第一節 遺跡p826
〔画像〕[檜山村誌]第二節 城跡p826

一説によると橋爪城は
山内出羽守長宗の居城であるとも称されている。
城址は丹波誌によると、
橋爪常照寺の卵塔場東側の坂道を上った所にあって、
本丸は二四m~一四mの規模で
高さ一m、長さ一八m、幅二mほどの
土塁が北側を限っている。
本丸の上には更に一四m~六mの高台があり、
この高台の北側にも高さ二m巾二mほどの土塁がある。
この高台が最高所の居館跡とすると、
天守台の祖形とも考えられる。
本丸には井戸跡らしい凹地があり、
本丸の南側の一段下った郭にも
池か泉の跡と思われる六ヶ所の凹地がある。
また南郭には三方に土塁がめぐらされていた痕跡があり、
また南郭の東南には城戸口があって、
下方の数郭にも同方向に入口の門が認められる。
城主は山内但馬守盛豊等四代に亘り、
廃城後は桧山に蟄居すとも記されている。
一説によると城跡が橋爪山内家の上の高台にもあり、
近藤家の持山との間に堀の跡があり、
こゝにも何等かの形で居城を構えていたとも考えられる。

(2) 大朴の城山
旧村時代避病院のあった地で、
この土地を大朴方面からは道場ヶ谷と呼び、
和田方面からは飼馬谷と称していて、
大朴の城山と言われているが、
地方の豪族等の見張番の地と推意される。

(3) 井尻城(丹波誌による)
井尻区内中央部消防器具置場のあたりより
西に向って井尻川を渡った所の
城山と呼ばれているのが井尻城跡である。
谷垣氏は「往古谷口と名乗り坂井の城主であったが、
井尻の城主谷垣兵部と
[檜山村誌]第一節 遺跡p827
〔画像〕[檜山村誌]第二節 城跡p827

市場の束の山に戦い討死す。
今其所を武士谷と云う」
と丹波誌では書かれている。
本丸を中央にして東、西側にそれぞれ郭が接しており、
両端凡そ五~七mの急斜面に掘られた空堀となっている。
また南側の空堀に連なる二三m×一七mの規模の西ノ丸には、
幅約四m長さ約十一m、高さ約一mの土塁があり、
その中央は通路のようにくぼんでおり、
同形の土塁は本丸の東の郭の北端にも認められる。
さらに、本丸と西の郭との間には
中央櫓の跡かとみられる高まりがある。

(4) 八田城
国道一七三号線高畑の北方にそびえる山があり、
そこに八田城があったと伝えられている。
丹波誌によると
「八田ノ井尻 村上氏先祖ハ
当 奥八田村ノ古城主ノ子孫ニテ
往古 信濃ノ国ヨリ来往ス」とあり。
また
「吉田氏本苗 上原氏 
先祖ハ則チ八田村ノ古城主上原氏ノ分流也。
下八田村 山王権現ノ棟札ニ曰ク、
文安元年(1444)上原久左衛門ト記ス」
ともあり
八田村城主が上原氏であったことが考えられる。
「遠山文書」の「中津川秀家申忠状」によると、
観応三年(正平七・一三五二)七月十四日の記述に、
八田の地名が二ヶ所記されている。
本丸は一二m×一九mの規模で、
北西の尾根には階段上に下りながら五つの郭があり、
南の尾根にも同様四つの郭があって、
輪郭型式がとられている。
附近には巨岩が多いが、
それらが巧みに防衛線に取り入れてある。
[檜山村誌]第一節 遺跡p828
〔画像〕[檜山村誌]第二節 城跡p828
 桧山村誌
平成五年四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
    桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
    (非売品)
表題題字 山内勝氏書(字橋爪)
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《遺跡》中台遺跡・別所一号墳・別所二号墳・丁谷古墳・皿引野古墳・谷古墳・コハケ谷古墳[檜山村誌]平成5年

[檜山村誌]平成5年(1993)
  第一節
(1) 中台遺跡
縄文時代から古墳時代にかけての遺跡として
中台地区に遺跡があり、
散布地集落跡の可能性もあり、
縄文弥生土器片、土器須恵器、
磨製石斧片も出土している。
また中台中島には円墳一基、
中台桜池には須恵器登り窯跡群がある。
奈良朝前期から平安初期の遺跡で、
古墳が八基確認されている。
そのうち七基が円墳で、
また五基には横穴式居室がある。
(船井郡誌)

(2)(イ) 別所一号墳
字井脇別所にあり、
台地径一二~三・〇米の円墳で、
頂部は平坦で稲荷の小祠をまつる。
横穴式石室自然石二枚は露出している。

(2)(ロ) 別所二号墳
字井脇別所にあり、
円墳で径一〇米、高さ〇・五米、
横穴式石室跡であって、
長さ四・三米、巾一・二米
巨石が露出している。

(2)(ハ) 丁谷古墳
字井脇丁谷にあり、
丘陵の陵を切った如き様子で
径四米、高さ〇・七米、
墳頂に墓石あり。

(3) 皿引野古墳
台地あり古城があったと伝えられるのみ。
[檜山村誌]第一節 遺跡p823
〔画像〕[檜山村誌]第一節 遺跡p823

(4) 谷古墳
字和田谷にあり、
横穴式石室、
過去石材搬出されると伝えられる。

(5) コハケ谷古墳
井尻コハケ谷にあり、
横穴式石室で自然石が多数寺の東側に置いてある。
須恵器(𤭯、広口つぼ、長頚台付つぼ、無蓋高杯、
杯身三、その他破片多く出土)する。
(古えの桧山の項参照)

(6) 米屋の道標
   ―略―
[檜山村誌]第一節 遺跡p824
〔画像〕[檜山村誌]第一節 遺跡p824
 桧山村誌
平成五年四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
    桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
    (非売品)
表題題字 山内勝氏書(字橋爪)
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