《早咲小梅太夫》女德利兒
天保7年(1836)・年30歳位、
明治8年(1875)・年69歳位
《竹本駒吉》
江戸の香具師と出演の交渉中、
或日突然吐血して頓死
【新聞集成明治編年史 第2巻 民論勃興期】昭和10年
出版者 財政経済学会
出版年月日 昭和10
ロンドンで死んだ 足藝の竹本駒吉
〔七・八、讀賣〕明治8年(1875)7月8日
越前生れの竹本駒吉といふ女は、
足藝が上達して
先年も淺草や兩國にて
評判で有りましたが、
其後西洋にわたり、
諸方で興行いたして
大さうに金を儲けましたが、
其内病氣に成つて
英吉利(イギリス)の
倫敦(ロンドン)で死にました。
其時の葬式には
英吉利の兵隊が二百人も送つていつたといふ。
ナント足藝ぐらゐの事でも藝といふものは
大したものでござります。
是を聞ても人間は無藝大食では
金持に成る事は出來ますまい。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1123713/1/200
【好色見世物志】昭和7年
著者 松浦泉三郎 著
出版者 風俗資料刊行会
出版年月日 昭和7.10
降て萬延元年に到り、正月から
※下記:壬申五年正月[明治5年(1872)2月
大阪難波新地で德利兒
竹本駒吉の足藝興行が行はれた。
是は從來の足藝と違つて、
五斗俵を右足で差切つたり、
齒で咥へて、打振り、投上げる、
等の力技をも演じ、大當りをとつた。
是より先、
天保七年(1836)
天保七年(1836)
各所に現れて興行した
女德利兒、大阪下り早咲小梅太夫は、
それが女であつただけに、
好色家間に異常の人氣を呼び、
後年女の足藝興行を盛ならしめた。
小梅太夫は年三十歳位、
琴、三味線、縫物、生花、紙折り、
紋の切抜き、揚弓、投扇興等、
紋の切抜き、揚弓、投扇興等、
樣々の曲藝を演じた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1208402/1/83
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《竹本駒吉》
江戸の香具師と出演の交渉中、
或日突然吐血して頓死
【見世物研究】1928
著者 朝倉無声 著
出版者 春陽堂
出版年月日 1928
萬延元年(1860)正月から、
※下記:壬申五年正月[明治5年(1872)2月
大阪難波新地で足藝を演じた竹本駒吉は、
缶兒であるが血氣盛んな若者で、
見るも勇しい力持や齒力、
喝采を博したのである。
先づ最初に足調べとあつて、
足で文字を書いたり、
又は鼓を打ちなどした後、
足で巧みに鉢巻をしめる。
それから五斗俵を右足で差上げ、
又齒で衝へて打振り、
最後に其俵を空中高く投上げるといふ、
缶兒としては至難の離れ業を演じたので、
連日大當りであつた。
そこで江戸の香具師と出演の交渉中、
或日突然吐血して頓死したとは、
曾て浪花の老興行師から聞いた懐舊談の一節である。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1823457/1/94
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SUBCULTUREAT
23日 2月 2019
【見世物】缶児「足芸に秀でた両手のない見世物芸人」
天保7年(1836年)には、江戸の渋谷で。
女缶児の早咲小梅太夫が各地で足芸興行を行い、
女ゆえの人気を集め、のちの女足芸流行の先駆者となった。
小梅太夫は、弓、投扇などさまざまな足芸を見せたという。
また同年、安芸国宮島にて、
女太夫小蝶と女太夫清山という女缶児の女足芸が行われたという。
幕末の万延元年(1860年)に、
大阪難波地で缶児竹本駒吉の足芸興行が行われた。
駒吉はこれまでの缶児の足芸に、
勇壮な力技をくわえて注目を集めた。
彼の芸は、まず、文字を書き、太鼓を打ったりしたあと、
足で鉢巻きを上手にしめてみせた。
それから、右足で五斗俵をさしあげたり、
歯でくわえて振ったりし、
最後にその俵を足で高く投げ上げるという
缶児としては至難の離れ技を見せた。
しかし、駒吉は、連日の満員入りを見た
江戸の興行師と出演の交渉中、
突然、血を吐いて死んでしまったという。
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見世物興行年表
2014年02月07日
明治5年(1872年・壬申)1月~4月
1月
〇一月上旬より、大阪難波新地溝の側にて、竹本駒吉の足芸。
(『近来年代記』/「大阪新聞」四月・二号/
「名古屋新聞」三月・八号)
「難波新地ニおいて見せ物
〇手無の足芸 竹本駒吉 此度の足げいハ、
両手共うでくびよりすっぱりなしニて、
いろ〳〵様々の芸をなし、古今めつらしき人物也。」
(『近来年代記』)
―略―
〈編者註〉無声はこれを万延元年正月のこととして
『見世物研究』(173頁)に以下のように述べている。
「万延元年正月から、
大阪難波新地で足芸を演じた竹本駒吉は、
缶兒であるが血気盛んな若者で、
見るも勇しい力持や歯力に、喝采を博したのである。
先づ最初に足調べとあつて、足で文字を書いたり、
又は鼓を打ちなどした後、足で巧みに鉢巻をしめる。
それから五斗俵を右足で差上げ、又歯で銜へて打振り、
最後に其俵を空中高く投上げるといふ、
缶兒としては至難の離れ業を演じたので、
連日大当りであつた。
そこで江戸の香具師と出演の交渉中、
或日突然吐血して頓死したとは、
曾て浪花の老興行師から聞いた懐舊談の一節である。」
「観物画譜」183にも「万延元年」と書込みをしているが、
典拠は不明で、
おそらく「申」を万延元年として推定したのであろう。
しかしここは『近来年代記』その他より
「申」を明治五年と推定する方が正しいと思われる。
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![p6【教育学研究紀要 41[(1)]】1996-03](https://livedoor.blogimg.jp/kazuo1947/imgs/5/d/5d6cfa96-s.jpg)







