【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者 板垣進助 著
出版者 理論社
出版年月日 1952
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
『明鏡止水』の伝統
鳩山自由党はこうして
阿片の密売者、ヤミ屋、詐欺ブローカー、
土建屋、ゴロツキ、テキ屋などから資金をうけ、
またこのような勢力のうえにのって誕生した。
しかしこのことは、
鳩山と三木武吉が中心となって一党をたてる以上、
当然のなりゆきであった。
鳩山と、三木とは、
かつて政党政治はなやかな
大正の中期から
昭和の頭にかけて、
所属政党こそ
政友会と民政党にわかれてはいたが、
連合して東京市会を牛耳り、
市民二百万の納税のうえに利権の花をさかせ、
砂利をくい
ガスをくい
水道をくい
電気をくい、
疑獄事件を連発させて
なんという丈夫な歯と腹をもつものかと
市民をおどろかせ、
東京のタマニー・ホールとして名をあげた。
このとき三木はついに尻ッぽをだして逮捕され、
出獄後も市民の白眼視に東京をのがれ
故郷の香川に走って再起をはかり、
鳩山はようやく連座をまぬがれた。
鳩山が都内の土建屋、テキ屋に
勢力をもったのはこれにはじまる。
さらに鳩山は文相当時、
夫人の薫子の共立女子学園に
神田の広大な敷地を無償にちかい安値で払下げ、
北鮮 清津市の土地をほとんど専有し、
帝人疑獄に関係して
『明鏡止水』の名句をはくなど、
利権のあるところ
すかさず活躍した。
のちに吉田の政治指南番となった
古島一雄も
『鳩山は利権政治家じゃから』
と評するのを口癖とした。
鳩山と三木を中心に結成された自由党は、
東京のタマニー・ホールから
日本のタマニー・ホールに発展するほかはなく
あたかも敗戦のどさくさにまぎれた
不当成金の ぞくしゅつに際会し
このコースはたちまち軌道にのった。
こうして
ヤミ屋・土建屋・ゴロツキ・テキ屋などの
「大衆」と、
重臣に庇護される気弱な、
反東条の利権政治家との、
奇妙な結合体が、
一見進歩的な印象をあたえる
自由主義の看板をかかげ、
衆議員五十三名をあつめて誕生し
『天皇陛下万才』のうぶ声をあげた。
ついで日政会の混乱につれ、
ヤミ屋が農村にはいりこむように、
政友会の農村地盤を回復しながら成長した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行 定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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