2024年02月

古島一雄『鳩山は利権政治家じゃから』鳩山一郎・三木武吉【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 『明鏡止水』の伝統
鳩山自由党はこうして
阿片の密売者、ヤミ屋、詐欺ブローカー、
土建屋、ゴロツキ、テキ屋などから資金をうけ、
またこのような勢力のうえにのって誕生した。

しかしこのことは、
鳩山と三木武吉が中心となって一党をたてる以上、
当然のなりゆきであった。

鳩山と、三木とは、
かつて政党政治はなやかな
大正の中期から
昭和の頭にかけて、
所属政党こそ
政友会と民政党にわかれてはいたが、
連合して東京市会を牛耳り、
市民二百万の納税のうえに利権の花をさかせ、
砂利をくい
ガスをくい
水道をくい
電気をくい、
疑獄事件を連発させて
なんという丈夫な歯と腹をもつものかと
市民をおどろかせ、
東京のタマニー・ホールとして名をあげた。

このとき三木はついに尻ッぽをだして逮捕され、
出獄後も市民の白眼視に東京をのがれ
故郷の香川に走って再起をはかり、
鳩山はようやく連座をまぬがれた。

鳩山が都内の土建屋、テキ屋に
勢力をもったのはこれにはじまる。

さらに鳩山は文相当時、
夫人の薫子の共立女子学園に
神田の広大な敷地を無償にちかい安値で払下げ、

北鮮 清津市の土地をほとんど専有し、
帝人疑獄に関係して
『明鏡止水』の名句をはくなど、
利権のあるところ
すかさず活躍した。

のちに吉田の政治指南番となった
古島一雄も
『鳩山は利権政治家じゃから』
と評するのを口癖とした。

鳩山と三木を中心に結成された自由党は、
東京のタマニー・ホールから
日本のタマニー・ホールに発展するほかはなく
あたかも敗戦のどさくさにまぎれた
不当成金の ぞくしゅつに際会し
このコースはたちまち軌道にのった。

こうして
ヤミ屋・土建屋・ゴロツキ・テキ屋などの
「大衆」と、
重臣に庇護される気弱な、
反東条の利権政治家との、
奇妙な結合体が、
一見進歩的な印象をあたえる
自由主義の看板をかかげ、
衆議員五十三名をあつめて誕生し
『天皇陛下万才』のうぶ声をあげた。
ついで日政会の混乱につれ、
ヤミ屋が農村にはいりこむように、
政友会の農村地盤を回復しながら成長した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
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海原清平:院外団自由クラブ(同交会)理事長・日本街商連盟(テキ屋)総裁【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
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以上は片山内閣の暴力団がりに
ひっかった大物のうち、
それも東京関係だけをあげたにすぎない。
検挙されずに羽根をのばしている
大小の侠客・街の紳士・ゴロツキ・ヨタモノで
自由党の区議・都議・国会議員でも
あるものはかなり多い。
自由党の結党大会にあつまった参加大衆も、
ジツはこの種の人士であった。

党が生長してからもこの性格はかわらず、
自由党の院外団で「党の前衛」をうけたまわり、
党の演説会のサクラや共産党演説会のブチこわしに
それッととびだす「同交会」の主力は、
全国にわたるテキ屋や土建屋で、
この同交会の理事長をつとめる海原清平は、
同時に、日本街商連盟(テキ屋)の総裁でもある。

かつて床次竹二郎の秘書をつとめた
代議士でもあったかれは
六代目尾上菊五郎への売勲に連座してから
一線を引退していたが、
鳩山自由党の結成とともに、
院外団自由クラブ(のちの同交会)の理事長におさまり、
吉田内閣が勲章制度の復活を策するいま
総裁指名の院外総務として
いんぜんたる勢力をふるっている。
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この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
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関根賢(関根組)木津政雄(関根組)安田朝信(安田組)茂木竹治(茂木組)【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
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尾津組とならんで有名なのは、
東京の両国から江東一帯をなわばりとした
表看板は土建業
ジツは博徒の暴力団組織、
関根組である。

親分は関根賢、
輩下一万と称し、
尾津とおなじく暴力団狩りで捕われたが、
組の事業場建築祝には鳩山の名の花環がおくられ、
組の幹部 木津政雄は自由党の区議候補として
四月選挙に出馬した。

少し勢力は弱いが
新宿のテキ屋 安田組も自由党支持で、
親分の安田朝信は自由党の新宿区議、

また東京都杉並区を根拠とするテキ屋
茂木組の親分 
茂木竹治は自由党都議、

いずれも暴力団がりで捕われた。
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この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
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尾津喜之助・大久保留次郎【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
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 テキ屋に愛される
自由党はまたテキ屋の支持をえている。
戦後新宿で戦災地の不法占有や恐喝をもとに
尾津マーケットやリンタクを経営し、
輩下一万、
みずから「新宿復興の恩人」と称した
テキ屋 尾津組の親分・殺人の前科をもつ
尾津喜之助は四月選挙に
自由党から公認候補として出馬
「反共」と「男の中の男」をスローガンにたたかい
票数わずかにおよばず落選したが、
このとき鳩山派の領袖 大久保留次郎はかれにたいし
『君が出馬してくれなければ
 おれの顔が断たぬ』
と立候補を懇請、
当選のあかつきには
都の党支部長の椅子を約束していた。
かれの党献金は多額で、
一千万円説までたてられていた。
落選後のかれはまもなく
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/37
片山内閣の暴力団がりにかかり、
小菅刑務所に、おくられたが、
かれの落選でほッとしたのは
アメリカ民主主義の仮面を大事がる司令部民政局で、
そのスポークスマンはかれの検挙のあと
『政党の健全な発達をさまたげた
 軍閥や財閥の旧勢力は一掃されたが、
 これにかわって今日では
 いわゆる新円階級や新興財閥が
 政党その他の団体にたいして
 ある種の圧迫をくわえている事実がある。
 その他にも街の親分やヤミ屋で
 政界と特殊な関係をむすんでいるものも多く、
 相当ふかくくいこんでいることは
 現在刑務所にある有名なギャングの親分某が
 あやうく国会議員に当選しかかったことからも
 十分うかがわれる。』
と発表した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/38
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
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大隈憲二・河野一郎・大野伴睦【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
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 群がる土建屋
敗戦当時横須賀にあって
一介の運送屋にすぎなかった大隈憲二は、
横須賀鎮守府関係の放出物資をたねに
途方もない大もうけをつかんで
たちまち土建屋隅田組の社長にのしあがり、
三百万円を投じて妾宅をかまえるなど
豪勢な羽振りをみせて
自由党の幹事長 河野一郎とくみ、
四月選挙には自由党から出馬して参議院に当選、
自由党のドル箱となって
一躍党の会計監督の地位についたが、
その翌年、
かれは妾宅の隱匿物資を摘発され、
戦後のどさくさにまぎれた
軍物資の窃盗事件まで、
追及され起訴されるという
たくましい波瀾をみせた。

ちょうどこのころ労働運動を
「不逞の徒」とよんだ
鳩山の後継者 吉田首相が、
昭電疑獄のあと綱紀粛正をとなえて、
再度首相の椅子に座ったとき、
逞しいこの大隈をふたたび
会計監督の地位にすえたのは
「不逞にあらず」の
しゃれからであろうか。
それはともかく、
大隈の会計監督就任は、
戦後のどさくさに立廻った敗戦成金や、
戦後の土建景気をつかんだ土建成金から、
発足当時の自由党が資金を
みつがれた一典例である。

じっさい都市の土建成金の
自由党支持はめざましく、
そのごも自由党はひと口に
土建屋の党とよばれるほど
大小の土建屋から声援をうけ、
土建業出身の議員も
各党をつうじて第一位にあるが、
これは土建屋のもつ組の組織が
仁義と贈賄の荒っぽい封建色にとみ、
自由党の天皇制護持をとなえる性格と
たがいに肌合いがあうからであろう。

鳩山派の柱石 大野伴睦にしても、
その長男と次男がいずれも
土建業にはいっている。
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この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
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    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
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《閉会中の委員会報告》京丹波 議会だより 第83号[令和6年2月16日]

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年12月28日18:31
2023年11月15日18:30
京丹波町議会議長 梅原好範様より回答を頂きました
件名:行政視察研修レポートの公開について
小野 一雄 様
 行政視察研修レポートの公開につきまして、
ご意見を賜り、ありがとうございます。
 議会といたしまして、
委員会による行政視察等研修につきましては、
他の委員会研修も含め各委員会が総括的に取りまとめた内容を、
「議会だより京丹波」に掲載する予定としておりますので
ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 今後とも、本町議会に対しまして変わらぬ
ご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
令和5年11月15日
            京丹波町議会議長  梅原 好範
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京丹波 議会だより 第83号
[令和6年2月16日]
NO83京丹波 議会だより_p1
NO83京丹波 議会だより_p1

《閉会中の委員会報告》 p17-18/20
【総務産建常任委員会】 p17/20
10月13・14日、
岡山県真庭市への視察研修を行った。
◎取り組みの概要
 ・生ごみの分別
 ・民間事業者による
  バイオマス発電施設
◎まとめと総括
〇生ごみ、し尿浄化槽汚泥の液肥化、
 メタン発酵プラント
NO83京丹波 議会だより_p17
NO83京丹波 議会だより_p17

【教育福祉常任委員会】 p18/20
10月24日・25日、
岡山県奈義町の子育て支援施策の取り組みを視察した。
◎主な子育て支援策
・奈義しごとえん
◎まとめと総括
NO83京丹波 議会だより_p18
NO83京丹波 議会だより_p18
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黒幕 辻嘉六おおいに動く【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
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 黒幕 辻嘉六おおいに動く
辻は政界の一部ではやくから
大ボスの黒幕として有名であった。
かれは日露戦争で名をあげた
児玉源太郎大将の秘書となったのを振りだしに、
元自由党院外団の金子某のことばをかりれば

『大正九年原敬内閣の選挙には
 当時の金で百万円を主として政友会にばらまき、
 大正十三年清浦内閣の選挙にさいしては
 数千万円を投じ、
 政友本党床次竹二郎の帷幕にあって活躍した。』

普選に反対した床次派の鳩山とは
ずい分古い関係になるが、
辻にかかっては
かれも小僧ッ子にあつかわれ、
牛込加賀町の辻邸に参ずる
かれは頭ごなしに、
お説教をくうという調子で、
かつて独伊を訪問して帰国のさいも、
かれがまっさきに
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/36
挨拶をした先がこの辻だったという。

辻は政界に金をばらまき、
あとで かれらから利権を提供させ、
それを業者たちにあたえて献金をうけ、
この金をまた政界にばらまくという
腐敗の循環をくりかえしながら、
黒幕的存在をのしあげてきた人物であるが、
この辻が鳩山の音羽邸の一部と自由党本部をたて、
鳩山と自由党の料亭宴会費を支払い、
自由党議員多数の選挙費をまかなった。

不当財委の報告によっても、
かれは自由党本部建設費として二十万円、
自由党結党当時の料亭
我善坊・常盤亭などへの支払四、五十万円、
鳩山との会食費四十万円、

そうして
昭和二十二年の四月選挙には
選挙費として
自由党の倉石忠雄(長野)に二十万、
小沢佐重喜(岩手)に二万、
河野謙三(神奈川)に二万、
三浦虎之助(前同)に三万、
磯崎貞序(前同)に二万、
木村公平(岐阜)に三万、
高木松吉(福島)に五万、
浅岡信夫(全国参議)に三十三万、
ほかに民主党の保利茂(大分)に一万、
社会党の岡田宗司(全国参議)に二万、
その他計百七十五万余円をわたしている。

辻のこうした金の出所は、
おなじ不当財委の報告によれば、
緑産業社長吉田彦太郎から三百万円、
元新夕刊新聞社長高源重吉から百万円、
熱海の貿易業者青木勇から百五十万円、
旭工機社長杉山嘉市から百万円、
小計六百五十万円

これに中曾根幾太郎からの
二百五十万円をくわえて
計九百万円にのぼる。

ところで辻献金の筆頭にすわり
この発表額の半ばをしめる吉田と高源こそは、
ほかならぬ児玉誉志夫の残党であった。

児玉は中国で海軍の物資収奪機関
すなわち児玉機関をつくって巨富をつみ、
敗戦とともに多額の金をふところにして帰国、
ついで戦犯として巣鴨に拘引される形勢に、
この金を各方面に分散して保管をはかったが、
そのひとつが かつて児玉機関で幕僚をつとめた
吉田や高源の新商売であった。

児玉が中国でやったいちばんの荒かせぎは
阿片密売による巨利であるが、
かつて東条政権下の翼賛選挙に陸軍省がばらまいた
多額の選挙資金もこの阿片密売にからむ巨利で、
こうした阿片などの犯罪的巨利が、
時うつり人もかわって、
かつての翼賛議員から
こんどは鳩山と自由党にながれこんだのである。

また辻献金の第二位にすわる中曾根の献金は、
のちの昭和二十二年の四月選挙に
自由党から出馬落選した中曾根が、
おなじ落選組の藤川文六や、
ときの外務参与官 自由党議員 塩月学らとはかり、
軍服払下げをたねに
全国の農・漁村からまきあげた
詐欺とヤミの金六百万円の一部である。

鳩山の音羽邸は辻と中曾根の金で
死灰のなかに真新しく再建された。

辻の活躍と資金の授受が以上にとどまるとは思われず、
調査にあった不当財委もその報告の冒頭に、
『辻氏の実体についてはなお疑問を残す』と
ことわっている。

辻はこの種の金をばらまき、
おおぜいの妾と妾宅をかかえ、
麻布の料亭「我善坊」や「桂」を本拠として
自由党議員や官僚にふるまった。

またかれの秘書で英語をぺらぺらの
外交官未亡人 東光孝子は、
かれの命をうけて
司令部幕僚第二部(GⅡ)の政治部長
ワイズルなど要員にちかずき、
本拠の料亭にまねいてとりいり、
三万台の自動車をのりまわして
辻勢力の宏大無辺さを誇示したものである。
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この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
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鳩山一郎・西尾末広・平野力三・水谷長三郎【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
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 鳩山私党はこうして生れた
自由党結党の下話は敗戦直後にはじまった。
芦田の勧めで軽井沢の山荘を敗戦後一週間たった、
八月二十二日におりてきた鳩山は、
芦田・安藤・植原悦二郎・矢野庄太郎・北昤吉らと
新党結成について語りあったが、
軍閥の余香(よこう)なお
におう当時の形勢に弱気の鳩山は、
まず近衛文麿のかつぎだしを策してことわられた。

ついで戦時中親しんでいた
西尾末広・平野力三・水谷長三郎の三名と
芦田をまじえて銀座の交詢社にあい、
『いっしょに政党をつくろうじゃないか』と
話をもちかけ、
そのために新党名を
『日本大衆党』とする案まで用意した。
これには多少のわけがあった。

戦時中大阪の国粋大衆党首として
衆議院の無所属に席をしめ、
のちに巣鴨の戦犯拘置所にはいった笹川良一は、
西尾・水谷の二人と親しいなかで
資金的な援助もあたえていたし、
鳩山とも懇意なあいだだったので、
この提案となったものである。

しかし西尾・平野・水谷の三人は思案ののち、
われわれはやはり無産政党をつくる、
それにはいくらなんでも
鳩山といっしょではまずいと結論し、
九月の上旬これをことわり、
双方とも
『新政党は別につくるが、
 なにかと協力できることは協力してゆこう』と
将来の友諠を約してわかれた。

社会党が結党後ことあるごとに
自由党など保守党との連立にうごいたのは、
こうした いんねんによる。
鳩山はそのごも斎藤隆夫と協議するなど弱気をみせたが、
幣原内閣出現後は自信を回復して結党にすすんだ。

自由党の結党資金は ほとんど鳩山一人がまかない、
その顔とこうした才覚がものをいって誕生した党は、
はじめから鳩山私党となったが、
ひさしく軽井沢にひきこもっていた鳩山に
そんな たくわえのあろうはずはない。

鳩山の金ずるのひとつは
ブリッジストン・タイヤの石橋正二郎で、
鳩山の長男 威一郎が、
石橋の長女 安子と結婚した縁つずきから
多少の資金もでたし
そのころ鳩山の宿舎に
赤坂の石橋邸が提供されもしたが、
石橋資金はさして多くはなかった。

鳩山自由党はもっとほかの
大口資金がみつがれた。

みついだのはまず、
笹川良一の子分すじにあたる
児玉誉志夫の中国収奪資産であり、

ついで中曾根幾太郎らの詐欺とヤミ屋であり、
また大隈憲二らのヤミ屋と土建屋であり、

『光は新宿から』とたたえた
尾津喜之助らのテキ屋とヤミ屋である。

これら敗戦のどさくさにかすめとった
不当資金がいろいろなルートをつうじて
自由党内にながれたが、
その典型的な一例がのちに
片山内閣当時の
不当財産取引委員会で曝露された
辻嘉六への献金事件である。
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この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
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鳩山一郎・星島二郎・河野一郎・芦田均【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年

【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
著者    板垣進助 著
出版者   理論社
出版年月日 1952
 p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
p3【この自由党! 前篇 (民衆なき政治)】昭和27年
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/3
 Ⅱ 犬(ワン)マン私党化行進譜
   国民を忘れた私利党略
 1 自由はヤミのなかより
   さてみなさん!
   いかに金色さんぜんと輝きましょうとも、
   臭氣ふんぷんたる汚物から生れた金蠅が、
   美しいなどといえましょうか?
 その誕生の日
敗戦で天皇の地位がぐらぐらゆれ、
昨日までの現人神(アラヒトガミ)のありがたさが
迷夢のさめるように日一日とうすらぎ、
その戦争「責任」がかれこれ論議のまととなって、
もうインテリ人種のなかでは
陛下ずけでよぶのなんかてんでおかしく、
なにか旧時代の骨董のたぐいになりかかっていた
この年(昭和20年)の十一月九日、
日比谷の一角に元気な齊唱でときならぬ
「天皇陛下万才!」の三唱がおこった。
『なんだ、まだ戦争がおわっていないみたいだナ』と、
このあたりの新聞街がけげんな顔をしたこの声こそ、
わが自由党発足の創立大会であった。

当日の参会者はこの日
総裁にあげられた鳩山一郎や、
星島二郎・河野一郎・芦田均など
戦時中軍部に冷や飯をくわされて振わなかったが
顔は相当に古い政客と、
これはまたおしなべて威勢はよいが
どうみても品はよいとはいえぬ
えたいのしれぬ
とりどりの恰好をした
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/35
参加大衆であった。

あるものは紋付羽織に袴、
あるものはかなりいたんだ着流しながら
一見なにか共通するものをもつ
この大衆の大部分が、
じつはこの日東京都内各区から動員されたテキ屋の群で、
かれらはおよそ自由主義とはゆかりもない
気強そうな面持ちでガヤガヤと散っていった。

『日当はいくらなんだ、
 十円か、いや十五円ぐらい奮発したらしい』と
せんさく好きな新聞記者たちのざわめきは、
やがて
『動員をかけたのは国粋大衆党の笹川らしいぞ』の
ささやきになっていた。
こうして自由党は発足した。

 なぜ鳩山が?
話は戦前にさかのぼる。
太平洋戦争のはじまったあと、
民政党の大麻唯男や政友会の前田米蔵らは
政党を解消して東条の陣頭指揮にこたえる
翼賛政治会(略称は翼賛会)を組織、
ついで本土決戦期をむかえるや翼賛会を改組して
大日本政治会(略称は日政会)にきりかえたが、
鳩山一郎や芦田均らはこの時流からはずされ、
同交会や無所属にあって冷や飯をくわされていた。

この仲間には尾崎行雄のような孤独な反軍派もあったし、
笹川良一のような一城の主をもって任ずる
唯我独尊の右翼浪人もあったが、
鳩山の場合、
かれは若槻、岡田ら重臣派から息がかかったことと、
政党政治時代の疑獄事件に名をうり、
軍部のたたいた政党悪の恰好な一標本であったことの
二点からすげなくされ、
鳩山の方もいまさら政友会時代にあらそった
中島知久平や前田らの下風にたつのをいさぎよしとせず、
さらに東条憲兵政治下では多くの人々と同様、
東条を礼讃しないのゆえで、
憲兵隊からときおり内偵をうけるなど
圧迫もあったので、
軽井沢の別荘に隱遁した。

この圧迫は小磯内閣にかわってからはきえ、
むしろ重臣層から情報・忠告をうけて庇護されたが、
かれらのひそかな戦争打ちきり策謀に
参加するほどの勇気はもたなかった鳩山は
そのまま軽井沢をうごかず、
まだ曉のくらいうちから
中仙道を走って馬糞をひろうなど、
せっせと家庭菜園をはげんで食膳をゆたかにする
たたかいに専念していた。

この菜園の斗士のゆえに戦後かれは
『政党!政党!』の波にのって一躍
『反軍の斗士』にまつりあげられ、
日政会の幹部連が敗戦後の雲行きに
あわてふためくころ、
自由党の総裁にかつぎだされた。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/36
この自由党 前篇 民衆なき政治
1952年9月15日 第一刷
1952年9月20日 発 行  定価180円
著 者 板垣 進助
発行者 小宮山量平
印刷者 斎藤 和夫
発行所 株式会社 理論社
    東京都千代田区神田神保町一丁目六四番地
    振替口座東京九五七三六番
日協印刷・橋本製本
https://dl.ndl.go.jp/pid/2982142/1/108
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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靖國神社合祀者名簿:昭和15年10月【靖國神社臨時大祭記念寫真帖:昭和十五年十月】

【靖國神社臨時大祭記念寫真帖:昭和十五年十月】
出版者   靖國神社臨時大祭委員
出版年月日 1940.10
 昭和十五年十月 靖國神社合祀者名簿(官報登載順序)
 陸軍軍人軍屬
p132【靖國神社臨時大祭記念寫真帖:昭和十五年十月】
p132【靖國神社臨時大祭記念寫真帖:昭和十五年十月】
通譯
野津 勝正  島根縣八束郡朝酌村
陸軍 歩兵  曹長
樋口 和市  京都府船井郡下和知村
陸軍 歩兵  伍長
中村 泰一  京都府船井郡梅田村
陸軍 歩兵  上等兵
戈村 德雄  京都府船井郡下和知村
陸軍 歩兵  伍長
南波 敬助  北海道空知郡赤平村
陸軍 歩兵  少尉
老松石五郎  北海道小樽市色内町
陸軍 歩兵  伍長
雨宮 義信  北海道札幌市南一條
長岡 道廣  北海道帶廣市大通南
陸軍 歩兵  伍長
出野 秋雄  京都府船井郡下和知村
陸軍 通譯
齋藤 左一  千葉縣長生郡茂原町
陸軍 歩兵  曹長
渡邊 作藏  北海道旭川市綠町
陸軍 歩兵  上等兵
戸澤 多吉  北海道龜田郡錢龜澤村
木村 武雄  北海道龜田郡錢龜澤村
陸軍 輜重兵 曹長
中井 邦男  樺太大泊郡大泊町
陸軍 歩兵  上等兵
足立  淸  京都府天田郡雲原村
陸軍 軍屬
村上  太  熊本縣飽託郡淸水村
陸軍 軍屬
岡田 久治  香川縣大川郡造田村
陸軍 輜重兵 上等兵
田中  實  京都府船井郡高原村
陸軍 歩兵  伍長
細井淸太郎  京都府船井郡梅田村
陸軍 歩兵  上等兵
土肥 正治  樺太豐原市大字豐原
森谷 林藏  北海道紋別郡遠町
佐藤 一郎  樺太富内郡富内村
樋笠 隆則  廣島縣尾道市土堂町
陸軍 軍屬
上田  索  廣島縣賀茂郡志和堀村
陸軍 歩兵  上等兵
谷  新藏  樺太泊居郡泊居町
陸軍 軍屬
西原 小芳  高知縣長岡郡岡豐村
 海軍軍人軍屬
海軍 少將
加藤仁太郎  神奈川縣鎌倉市淨明寺町
海軍 中佐
諸岡 安一  佐賀縣杵島郡大町町
中村 三男  佐賀縣西松浦郡曲川村
中野外代吉  石川縣石川郡松任町
近藤 道雄  山形縣米澤市福田町
海軍 少佐
岡本 衞平  山口縣吉敷郡鑄錢司村
南郷 茂章  東京府東京市赤坂區
手島 秀雄  廣島縣廣島市手塚町
海軍 大尉
米田 充平  東京府東京市杉並區
新庄 直久  茨城縣行方郡麻生町
平原 藤彦  鹿兒島縣姶良郡福山町
海軍 囑託
野崎權太郎  神奈川縣足柄下郡小田原町
海軍 一等水兵
大須賀政治  北海道十勝郡大津村
海軍 囑託
見湏 愼一  神奈川縣横濱市中區
内野 一三  東京府北多摩郡村山村
海軍 軍屬
福本  繁  熊本縣玉名郡彌富村
村田吉次郎  熊本縣下益城郡當尾村
下田 光喜  熊本縣上益城郡乙女村
川口 信雄  熊本縣下益城郡豐野村
桐原 幸平  宮崎縣都城市天神町
河崎 榮松  大分縣南海部郡下八津村
片伯部 滿  宮崎縣延岡市大字恒富南
那須  @  大分縣大分郡稙田村
   ※@:宀+言
津野 常盛  高知縣高岡郡仁井田村
小園 義德  鹿兒島縣伊佐郡羽月村
牟田  保  福岡縣朝倉郡金川村
海軍 大尉
二葉 泰次  東京府東京市淺草區
海軍 三等兵曹
尾田 榮作  石川縣鹿島郡崎山村
海軍 一等水兵
堀口 景雄  鹿兒島縣姶良郡帖佐村
海軍 二等看護兵
蓑原 茂明  福岡縣筑紫郡南畑村
昭和十五年十月
靖國神社臨時大祭委員
撮 影 陸地測量部
印刷者 小林 又七
    東京市麴町區永田町一丁目四番地
印刷所 小林又七印刷所
    東京市麴町區永田町一丁目四番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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